■『インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国』(ネタバレ)

前回でこの映画をひどく批判したので、私のことを知る人は「ハハン!社会派を自認するおっさんオタのジョー・チップはあのシーンも『けしからん!被爆国の国民として抗議する!」とか言うのだろうと思うかもしれないが、そんなことはない。
むしろあのシーンはこの映画の中では好きなほうである。エリア51での格闘からジェットエンジン実験、さらにほうほうの体でたどり着いた先がマネキンの家、と出だしから一つの流れでここまで意外性のあるビジョンをつなげる芸当は見事なものである。最後に荒唐無稽かつ、悪魔的な結末で締めることによって、この50年代というものが、今までインディが活躍してきた、かろうじて英雄譚が成立した時代ではなくなったことを告げる。この映画のいいところはインディが正確に年齢を重ねており、そのことを隠さないことであろう。また、映画『アトミック・カフェ』に出てきたアトミックソルジャー(きのこ雲に向かって進撃する兵士たち)の映像が念頭にあったのではないか。このシーンは50年代の戯画として見るべき。
そもそもインディが侵入した典型的50年代の家の雰囲気が、彼と絶望的なまでに合わないことが一つの悲劇である。一瞬、時代考証が間違ってるんじゃないか、と思ってしまう。この時点でなにか恐ろしいことが起こるのではないか、と予感せずにはいられない禍々しい雰囲気がある。この辺りが実にスピルバーグらしいところである。
大体このシリーズは本編より前フリのほうが面白い。『魔宮の伝説』はつまらない映画だったが、ケイト・キャプショーがタイトルの前に立ちはだかる冒頭から意外やミュージカルシーンを中継して上海の本編へつなげる一連のシーンは映画史に残るんじゃないかを思うほどすごいものだった。ただ本題に入るとトロい話になってしまうのであるが。
『レイダース』で顕著になったこの「冒頭に見せ場を作って観客の度肝を抜く」という手法は、その後の娯楽映画の手法を変えてしまった。それ以前は見せ場は最後に取っておくものだという了解があったと思うのだが、それを破壊してしまった。一度刺激を与えたら、もう刺激のない時代には戻れない。みな似たような構造の映画を撮るようになってしまった。スピルバーグは何度も映画手法に変革をもたらしたが、これは結果として映画表現を狭めてしまったのではないか。
これから何を撮るか知らないが、一度、映画内でもちょっと触れられた「赤狩り」について、スピルバーグには正攻法で一本映画を撮ってほしいものだ。

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