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2009-10-30 日本ソフトハウス 昔物語 さらば青春

さよなら一太郎!!

『ジャストシステム』の浮川夫妻取締役退任を知り

http://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/20091030_325215.html

なんだか色々昔話を思いだした

一太郎』は『マルチプラン』のユーザーインターフェイスに合わせることで成功した

ESCキーを押すと操作メニューが出てきて作業を進めるリズムが

MS-DOSのビッグタイトルであったマルチプランとかみ合って

今でいう『WORD』と『EXCEL』のようなコンビで飛ぶように売れた

当時はMACが発売されGUI(グラフィックインターフェイス)に衝撃を受けた頃で

当時『アスキー』ソフトウェア事業部長だった古川さん(日本マイクロソフト初代社長)が

マウスで作業を進める日本初のワープロとしてジャストシステムに開発委託した『JS-WORD』

それが『一太郎』の始まりだった

そのころ日本 IBM が『JX』というワイヤレスキーボードのパソコンを発売するというので

古川さんが浮川さんをIBMに紹介したところ浮川さんは古川さんを飛び越してIBMと契約し

マルチプランとそっくりな画面の『JX-WORD』というワープロをジャストシステムブランドで発売する

古川さんは怒ってしまいジャストとの縁を切る

浮川さんは当時ソフトの流通をしていた『ソフトバンク』(SOFTBANK)と話を付けて

PC9801用にもJX-WORDを出す事にするがJXはIBMのパソコンの名前だったので『太郎』と名付ける

しかしソフトの中身は同じだったから拡張子は『.JXW 』のまま今も続く

当時まだ九段下の雑居ビルにいたソフトバンクは営業担当に喜屋武さんを付けるのだが

日本中を飛びまくって瞬く間に『太郎』はトップセラーのワープロになった

その後僕は自社のワープロを無くしたアスキーから『Z'sWord JG』という

日本で初めてアウトラインフォントを持ちポストスクリプトに対応したワープロを出させてもらうのだが

ちなみにアスキーとの始まりは古川さんが『Funny』というマウスを使ったグラフィックソフトを買ってくれた事だった

『JG』を出す頃ジャストも『花子』の発売前で新宿のツァイト(僕の会社)まで浮川さん自身が見に来た

僕は『一太郎』(Ver2から一が追加された)のファイルフォーマットを教えてもらうのと引き換えに見せたのだが

技術的な事は全て奥さんの初子さんが掌握していて約束は果たしてもらえなかった

それから数年後DTPがアメリカでブームになり日本でも研究会の様なものを持とうということになり

NECの速水さん・ジャストの浮川さんを中心にツァイト・管理工学研究所・サムシンググッド・ダイナウェアで集まったことがある

なんの成果も無かったのだがサムシンググッドは当時DTPナンバーワンだった『PageMaker』のアルダス代理店になり

それが縁でアルダスがAdobeに吸収された時担当だった石井さんはサムシングを辞め後にAdobeJapanの社長にまでなった

僕はやはり一太郎のフォーマットが知りたくて徳島のジャストまで訪ねたことがある

その頃ジャストは徳島では大塚製薬と並ぶ人気企業で空港でタクシーにジャストと言うだけで奇抜な自社ビルまで届けてくれた

ソフトバンクで担当だった喜屋武さんがジャストの役員になっていて社内を案内してくれたが「退屈・退屈」と言っていた

僕は徳島は初めてだったのでお遍路さんでも真似てみようとタクシーでいくつかお寺を訪ねてみたりした

ホテルの窓から眺めた徳島市街の真ん中を流れる川とその横の山に設置されたロープウェイが綺麗に思いだされる

夢の様な80年代が終わり95年にWindowsが上陸したとき

初代マイクロソフト社長古川さんが行ったのは日本のワープロを『一太郎』から『 WORD 』に変えることだった

結果、大がかりなキャンペーンによって『一太郎』は『 WORD 』にトップの座を受け渡すが

漢字変換の部分つまりATOKだけはその後も主流を長く務めた

そもそも『一太郎』の本質的な成功の原因は「かな漢字変換の思想」にあった

ジャストはATOKを外販しなかったので他のソフトハウスは独自で漢字変換の機能を開発したが

大抵はお客さんが便利なようにと外来語も含めて流通するあらゆる言葉を変換できる様に作る事を競っていた

しかしジャストは変換する言葉を選んでいた

いくら誰もが使う言葉であってもスラングや文法を崩した単語は扱えないようした

なのでATOKで文章を打ち込むと自動的に下品にならないよう日本語の教育を受けることになる

当たり前と思って使っていた単語がどうしても変換できないと困ればそれは間違った日本語だと知る事になり

ATOKを使い続けるだけで綺麗な文章を書けるよう上達するのだ

それは教職員やお役所に一太郎ユーザーが多かったこともあるが

開発リーダーが先生の様な女性であったことが良い結果を生んだのだと思っている

ATOKの果たした功績は大きい

しかしMS-DOSの時代には日立パソコンへの移植代だけで何億とかの噂が飛び交った一太郎だったが

WORDに負けてからはどうにも行かなくなり始めた

それでも『日の丸ソフトハウスを守れ』との心意気でSONYから出資を受けたりしたし

携帯電話などでもATOKは盛んに採用された

しかしATOKだけではとても会社を支え切れられない

ジャストの顔である『一太郎』は『花子』『三四郎』とOffice並みにラインを広げ価格はOfficeの数分の一にした

しかしPCには初めからOfficeがバンドルされてる上に『一太郎』はヨドバシAMAZONぐらいでしか買えない

何年も何年もかけて作ったソフトを全て詰めて1万円にまで値下げしたが昔の十分の一も売れない

コンセプトサーチなど自然言語処理や文書管理事業でも驚くような技術は開発できず

いよいよキーエンスに身売りとなったがまさか月並みに創業者切りされるとは想像していなかった

とにかくこれで僕がソフトをやっていた頃の日本のパッケージソフトメーカーは全て消えた

ジャストという会社は残っているが言語処理という個性の大切な分野でコアな技術者が切られたのだから

採算を取るのが非常に厳しいパッケージソフト事業を自社で続けることは難しいだろう

債権者は何でも売りはたきたがるからソースネクストあたりから1,980円でATOKが売りだされるかもしれない

折しも前ソニー会長の出井伸之氏が経営するファンドが吉本興業を買収(TOB)したと聞き

http://sankei.jp.msn.com/economy/business/091030/biz0910301100008-n1.htm

液晶パネル自社生産をサムスンに委託するなど(PS3への経営資源集中の意味もあったが)

日本の技術を世界的に認めさせたソニーをダメにした張本人が(思いこみかもしれませんが)

吉本という文化をまさにダメにしようとしているのが腹立たしい

ソニーは音楽では成功を超えて世界に大きな貢献をしたが

これは盛田さん大賀さんの純粋な音楽への愛情がアーティストや顧客に届いたからだ

映画会社はまだ玉虫色だが映像機器というソニーの本業と強くリンクしている

しかし出井時代に強行した経営形式の欧米型シフトはソニーの根を腐らせてしまった(と思う)

映画や音楽は集団が行うビジネス的側面を強く持つが

出版を経営した経験から思うのだが、お笑いは金より情や筋や業のほうが強いと想像する

つまりお笑いは映画等と違い大きな金がなくても身一つでも完結できる極めて個人の力量で決まる世界

そんな人を食うぐらいの覚悟を持った勝負人の集まりを金ぐらいしか手のないファンドがどう育てられるのか

髪はパリの美容院で整え「橋の上の女」の様なヨーロッパ映画が好みという出井氏に

本音をさらして生きる関西芸人をうまく扱い育てられるとは思えない

「私はファンドとして資金投資し会社の手助けするだけで芸人さんに口出すつもりはありません」

そんな言葉が浮かぶが、芸人は偉い人には絡んで欲しい、しかしアホと決めればとことんイビル

ネットの影響でテレビ局がダメになっていく状況を放置してよいわけではないが

ダメになっていくには理由があるのだから金を注射しても治るとは思えない

自分で立ち直れないテレビ局たちが集まって吉本買うより

出井さんに才能があるならテレビに代わるメディアや仕組みを創出してテレビ局にやらせればいい

話が戻るが

沖縄で暮らしていたころ

那覇の隣の西原町に喜屋武さんが暮らしていると知った

徳島の通信販売会社の沖縄支店長をやっているという話だったが

結局会わず終いで東京に戻ってきた

そもそも

あの頃の人とは

誰とも

会う機会も無いんだけど

たまにネットでお見かけする

今日の話も

そんなうちの一つの事でした

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E4%BA%95%E4%BC%B8%E4%B9%8B

Wiki 出井 伸之 より

『ソニーの経営戦略ものづくりからコンテンツ重視に転換したことでソニー凋落の原因を作ったとも指摘され、

2004年1月12日発売の米ビジネスウィーク誌が選ぶ「2003年度最悪の経営者」に選定[3]、

また日本の『日経ビジネス』2005年12月12日号においても三洋電機井植敏、ライブドアの堀江貴文らを抑え、

最悪の経営者ランキング第1位に選ばれている。』

わぁ背筋が凍る・・・吉本もったいないな、でももうダメな様ですね

出井さん失礼な物言いで済みません

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ちなみにマルチプランのESCキーを使ったユーザーインターフェイスは

「僕が考えたんや」と西さんから直接聞いた覚えがあります

Wikiで調べたらJS-Wordが最初に乗ったNECのPC100自体

西さんの企画でマルチプランとJS-Wordがバンドルされてたんですね

PC100はモニタを縦に置いて使う先進的なWYSWYGのパソコンでしたが

なんとMacより1年早く発売されている、やっぱり西さんは凄いなぁ!!

昔の友人昔の友人 2009/11/02 02:52 >古川さんが浮川さんをIBMに紹介したところ浮川さんは古川さんを飛び越してIBMと契約し

アスキーとジャストの分裂は、漢字変換の取り扱いも原因だったと思いますよ。JS−WORDは、ATOKが分離できなかったような記憶があります。ATOKが独立したFEPとなったのはJX-WORD太郎からで、当時、バックスさんは独立した製品として漢字変換のVJEを発売し、これがヒットしアスキーはその後一斉にVJEのアスキー専用Ver(VJE-Σ)をマイクロソフト製品(マルチプランなど)に同梱して発売するようになったと思います。浮川さんにも経営者として譲れない部分があったと思います。

JUNSJUNS 2009/11/04 02:12 VJE はLatice-C(後のMS-C)やPascalMP+とか販売していたライフボードさんが当初発売元でしたか? ツァイトもKidやJGにバンドルしていました。

しかしVJEの数年前であるPC100/JS-WORDの時代、つまりMS-DOS1.0の頃には、かな漢字変換を汎用的にOSの機能と使えるようするという概念は無かったと思います。

MD-DOS1.0はディレクトリーの概念も無いOSと呼べないようなものでしたから、デバイスドライバーの概念も怪しく、漢字変換を切り離すこと自体が不可能ですから

MS-DOS2.0になってやっとSYSやらでデバイスドライバーが使えるようになって、ATOKも一太郎から独立しほかのアプリからも使えるようなったのはVer3位の頃ではなかったでしたっけ

いまや世界的に有名になったスクエアも最初はASCIIからゲームを売っていましたが、同じようにASCIIを踏み台にして大きくなった会社が結構あったと思います

しかしジャストに対する悔しさの大きさは西さんや古川さんの口調から強く感じました、特別な感じでしたね、そのくらい一太郎が当時巨大な存在だったという事ですね

しかし「昔の友人」さん僕らも年をとりました、あの頃からもはや25年、浮川さんは60越してるそうです

僕は48才、十分おっさんだけど、リタイヤできる年でもない、いまだにお金ないですからねまったく・・・

生き恥晒しながらでも
やってくしか無いようです

昔の友人昔の友人 2009/11/10 11:11 お互い年を取りましたね。。。

お金が「ある・ない」よりも「生き恥さらしながら」でも、
一つの事をコツコツと続けていくのが素晴らしい事だと思います。

これだけ変化の激しい業界ですし、当時は「人柱業界」でしたから
紆余曲折があっても当然ですよね?でも、そんな中でも死ぬまで現役
を続けていきたいと思ってます。

季節の変わり目で、インフルエンザも流行ってますので、
くれぐれもお体に気をつけてお互いに頑張りましょう!

又、時々、お邪魔します。

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