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2015年03月26日

松花江流域の勢力配置

*[蒼狼]松花江流域の勢力配置

現実逃避にシナリオを弄ってます。地域名として「女真」が適切かどうかも気になるところですが、中心都市の会寧を所有する「契丹族」と「建州女真族」を大きな勢力として配置。

f:id:Junsai618:20150326020737p:image

北方の黒龍江アムール川)流域に勢力が急速に伸長しないように、五國城から北の経路をイベントで封鎖しておきました。五國城を所有する勢力の騎馬数が一定数を超えると封鎖されていた経路が解放されるようにしてあります。

西のモンゴル高原からやってくるモンゴル帝国と南の金国の間で、どう身を振るかが当面の課題になりそうです。


2015年02月27日 *[モンゴル]チンカイ城発見か?

チンカイ城発見か?

鎮海(チンカイ)が建設したとされる城が発見されたかもしれませんね。碑や文書が発見できると良いですねえ。

モンゴルの遺跡、チンギスハンの軍事拠点か 調査隊が分析

13世紀にモンゴル帝国を建設したチンギスハンの軍事拠点「チンカイ城」とされるハルザンシレグ遺跡で、木片や土器、家畜の骨片が出土し、日本モンゴル合同調査隊が26日、大阪府枚方市の大阪国際大で発表した。

...

 遺跡は、首都ウランバートルの西880キロのゴビアルタイ県シャルガ郡にある。当時、遺跡付近を訪れた中国の道教の道士・長春真人(1148〜1227年)が旅行記に記した山や湖の位置が遺跡の周辺の景観と一致することから合同調査隊はチンカイ城と判断。2014年8〜9月に発掘調査を実施し、ごみ捨て場とみられる穴などから木片などが見つかった。

...

(出所)日本経済新聞、2015年2月26日

2015年02月25日

サライ建設イベント

*[モンゴル]サライ建設イベント

比較的簡単に組むことが出来る都市建設イベントを作ってみた。「リガ建設」イベントと同じようにバトゥ=サライとベルケ=サライを建設するイベントです。
f:id:Junsai618:20150225135548p:image
どちらの建設イベントも、1220年以降に「ジュチ王家」が存在し、当主がそれぞれバトゥとベルケであることが条件です。なので1189年スタートだと順当にイベントが起こる確率はずいぶん低いかと思います。
f:id:Junsai618:20150225135547p:image

2015年02月20日

黄海の勢力分布

*[東アジア]黄海の勢力分布

細々と蒼き狼1189『草原を駆る狼』軽量版を作成中。ver0.007まできました。
経路封鎖・開放イベントを組んだ後に、城拠点を削除すると城番号がずれてしまい、イベント内で指定した城番号までずれるようですね。城拠点の増加や削除の際には注意しないと。

さて、黄海には海賊や塩賊を配置してみました。

f:id:Junsai618:20150220153941p:image

<作成中の「蒼き狼1189軽量版(ver.0.007)」>


1189年当時の黄海がどのような状況にあったかについて不明なので、便宜的に3つの海上勢力を配置しました;

渤海海賊(初期石高:4万石)
・巨文海賊(初期石高:0万石)
・浙江塩賊(初期石高:0万石)

渤海海賊は河北に利津を所有しているので、有利になっています。

海賊などの勢力は内陸に攻め込まないようにしたいのですが、イベントで組もうとするとなかなか煩雑です。都市や勢力をタグ付け出来てイベントに対応できるとやりやすくなるのではないかなあと。



2015年02月16日

アンゴルモア 元寇合戦記

*[日本]アンゴルモア 元寇合戦記Amazonさんを見ていたら、元寇を題材にしたコミックが発刊したそうです。

対馬への襲来時の凄惨な有様がどのように描かれるのか期待。良ければ朽井迅三郎を「蒼き狼」に登場させようかしら。


f:id:Junsai618:20150216020121j:image

2015年02月15日 *[蒼狼]日本海封鎖イベント

日本海封鎖イベント

*[蒼狼]日本海封鎖イベント

「戦国史」最新バージョンで実装された経路隠蔽と復活イベントですが、「蒼き狼」シナリオに有効活用すべくぽちぽち打ち込んでます。

たとえば日本海では、ゲーム開始時には海路を封鎖しておいて、特定の拠点の航海技術が一定数に達すると経路が開放されるように組むことが出来る。

f:id:Junsai618:20150215041631p:image
<作成中の「蒼き狼1189軽量版(ver.0.007)」>

ただし、問題が発生。その後、新規イベントを挿入したりすると、先の経路イベントで指定した城IDがずれてしまいました。結果、経路イベントが機能しなくなります。

私のPC環境だけなのでしょうか。どうしたものか。

2015年01月02日 *[東アジア]金国の世宗以降の系図

Wikipediaをもとに、金国の世宗以降の系図を作ってみた。

5[世宗]完顔烏禄

┣[并窅王]允中(?−1194)

┃┣神徒門(?−1194)

┃┗阿離哈懣(?−1194)

┣[顕宗]允恭(胡土瓦)

┃┣8[宣宗]吾睹補(1163-1224)

┃┃┣[荘献太子]守忠

┃┃┃┗[冲懐太孫]鏗(1214−1216年1月19日)

┃┃┣[濮王]盤都([荊王]守純)

┃┃┣9[遂王→哀宗]寧甲速(守礼/守緒)(1198-1234)

┃┃┗[至王]玄齢

┃┣6[章宗] 麻達葛

┃┃┣絳王洪裕

┃┃┣荊王洪靖(阿虎懶)

┃┃┣栄王洪熈(訛魯不)

┃┃┣英王洪衍(撒改)

┃┃┣寿王洪輝(訛論)

┃┃┗葛王洪烈(忒隣)

┃┣[鄆王]吾迪簠(螬)

┃┣[瀛敦懿王]吾里簠(従憲・蒅)

┃┣[霍王]従彝(玠)

┣[越王]允功

┣[趙王]孰轟(允昇)

┣[越王]斜魯

┣[鄭王]允蹈

7[衛王]果縄(允済)(?−1213)

┃┣[梁王]従恪(-1234)

┃┣従琚

┃┣従瑄

┃┣従璪

┃┗岐国公主(哈敦)

┣[潞王]允徳

┣[豫王]允成

┗[菱王]允升

<追記>これをもう少し見やすく書き直してみた;

f:id:Junsai618:20150428002806p:image:w640

2014年12月02日 元寇の敦賀上陸の可能性

元寇の敦賀上陸の可能性

2chの「元寇」スレッドに以下のようなコメントが。

56 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2014/11/20(木) 14:48:14.87 0

太平記の、元寇に際し東山道北陸道の兵が敦賀を固めた?とか記載見たけど、若狭湾上陸からの京都攻略は、地図・海図も怪しい時代では無理だったろうね。

長い海路での騎馬輸送も困難。特に江南軍なんて若狭湾に来るまでが過酷。渤海使のルートもえらい大変だったようだし、当時の船で対馬海流に逆らう帰路がさらに厳しいと考えると、日本海側の攻略は厳しい。

57 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2014/11/20(木) 16:03:58.81 0

敦賀からの琵琶湖までの陸路も、地理を知らない大軍が簡単に行軍できなさそうな隘路

13-14世紀の日本海の海路について考える一助に。

2014年12月01日 古代朝鮮半島三国史

古代朝鮮半島三国史

2chの古代朝鮮半島三国史から以下引用。

6 :世界@名無史さん:2013/09/05(木) 14:03:28.16 O.net

今、放送されている韓国時代劇は、コリョ?

9 :世界@名無史さん:2013/09/05(木) 14:32:49.44 0.net

>>6

このスレに関係するものでは

朱蒙 (高句麗)

善徳女王 (新羅)

階伯(百済)

広開土太王(高句麗)

鉄の王キムスロ(金官伽耶(弁韓))

百済の王 近肖古王(百済)

こんなとことかな?

10 :世界@名無史さん:2013/09/05(木) 14:39:33.74 0.net

>>9

風の国(高句麗

幻の王女 チャミョンゴ(高句麗

ヨンゲソムン(高句麗

大祚榮(渤海

薯童謡(百済)

2014年10月22日 *[インド]チョーラ朝

チョーラ朝

【名称】チョーラ家→チョーラ朝 【期間】846年頃〜1279年

【本拠】首都:タンジャーヴール→ガンガイコンダチョーラプラム。 

【家祖】ヴィジャヤーラヤ

【概要】チョーラ朝(Chola dynasty)は、9世紀から13世紀にかけて、南インドを支配したタミル系のヒンドゥー王朝。

チョーラ家のヴィジャヤーラヤ(在位846 - 871)は、パッラヴァ朝パーンディヤ朝と抗争を繰り返す過程で勢力を拡大し、846年頃にパッラヴァ朝の封臣ムッタライヤル家からタンジャーヴールを奪って本拠とした。

(出所)http://www.geocities.jp/me2hero_jp/keifu/s_asia/s_india2.html#chola


1189年のゲームスタート時で以下のような勢力配置にしてます。

f:id:Junsai618:20141030083932p:image:w360

当面は、南のパンディア家に当たることになりますが、人材と兵力が不足しているので、軍備を増強しながらになりますかね。

2014年10月21日 *[インド]カルナータカ

カルナータカの勢力図

1189年のゲーム開始時には、このようになってます。

f:id:Junsai618:20141021175954p:image:w480

東部のチョーラ朝と西部のホイサラ朝が不戦同盟を結び、南部のパンディア家と対抗する構図です。

パンディア朝成立やホイサラ朝分裂などのイベントも仕込んでみましたが、パンディア朝が史実通りなかなか伸びてくれない。

2014年10月15日 *[インド]インドの詩人たち

インドの詩人たち

近頃、自分の中で南インドブーム。ちまちまシナリオを弄ってます。しかし、インドは情報収集が難しいですね。

忘備録として、某掲示板の情報をコピペ。7割は入力済み。

936 :818:04/07/02 20:14

インドの人物は詩人ばかり。

ラズィーヤ ?―1240 奴隷王朝五代女王

クトゥブッディーン・アイバク ?―1210 王

アラーウッディーン デリー諸王朝のハルジー朝第2代王

バルバン デリー諸王朝最初の奴隷王朝の王  ?―1287

イルトゥトミシュ ?―1236 奴隷王朝第3代王

フィールーズ・シャー ?―1296 デリー諸王朝のハルジー朝の創始者

マリク・カーフール 生没年不詳 アラー・ウッディーンに仕えた武将

モハンメッドゴーリー ?―1206 ゴール朝王

アミール・ホスロー 1253―1325 詩人

ファリード・シャカルガンジュ 1173―1266 ペルシア語詩人

ドゥニャーネーシュワル 1275―1296 宗教詩人

ガンゲーシャ 論理学者  1200頃

ギャーネーシヴァル 詩人 1271―1296 

ジュニャーネーシュワル 1275―1296頃 詩人

ケーシャバミシュラ 13世紀頃 学者

コークコーカ 13世紀頃 文学者

コーナ・ブッダラージャ 13世紀 詩人

マドヴァ 1197―1276 哲学者

マドバ 1238―1317 哲学者

メーイカンダデーヴァ 13世紀 哲学者

ムイーヌッ・ディーン ?―1236 聖者

ムイーヌッ・ディーン ?―1236 聖者

ナームデーオ 1270―1350 詩人

パヴァナンディ 12世紀―13世紀 ジャイナ教

シャークヤシュリーバドラ 1127―1225密教

サールンガデーヴァ 1210―1247 音楽家

テーラ 13世紀 セイロン島の文学者

ティッカナ 13世紀 詩人

ヴェーダーンタ・デーシカ 13世紀 学者

(出所)大草原の覇者チンギスハーン総合スレッド9

2014年09月05日 [西欧]アサル朝スコットランド

アサル朝スコットランド

【名称】アサル朝スコットランド 【期間】1001-1286年

【本拠】 【家祖】ダンカン1世(Duncan I)

【概要】ダンカン1世(Duncan I)を国王とするスコットランドの王朝。1001年に成立したが、1040年8月14日にダンカン1世がマクベスに殺害されて終わった。

【系図】

?ダンカン1世(1001-1040)

┣?マルカム3世カンモー(1031-1093)

┃┣?ダンカン2世(1060-1094)

┃┣エドワード(?-1093)

┃┣エドマンド(?-?)

┃┣?エドガー(1074?-1107)

┃┣?アレグザンダー1世(1078?-1124)

┃┗?デーヴィド1世(1080-1153)

┃ ┣マルカム(夭逝)

┃ ┗ヘンリー(1114?-1152)

┃   ┣?マルカム4世(1142-1165)

┃   ┣?ウィリアム獅子王(1143-1214)

┃   ┃┗?アレグザンダー2世(1198-1249)

┃   ┃ ┗?アレグザンダー3世(1241-1286)

┃   ┗デーヴィド(1143?-1219)

┃    ┗チェスター伯ジョン(?-1237)

┗??ドナルド3世(1033-1097)

(出所)「世界帝王事典」

2014年09月02日 [日本]武蔵安達家

武蔵安達家

f:id:Junsai618:20140901223124j:image:medium:left【名称】武蔵安達家 【期間】

【本拠】上野、武蔵、出羽 【家祖】安達盛長


【概要】鎌倉幕府の有力御家人の氏族。藤原氏魚名流を称する。

祖の藤九郎盛長は、平治元年(1160年)の平治の乱に敗れ伊豆国に流罪となった源頼朝の従者として仕え、頼朝の挙兵に伴い各地の坂東武士団の招集にあたり、鎌倉幕府の樹立に尽力した。盛長の父は『尊卑分脈』魚名公孫によれば小野田三郎兼広?であるが、新訂増補国史大系の底本である前田家所蔵林家訂正折本によれば、小野田三郎兼盛?とある。盛長は『尊卑分脈』魚名公孫によれば、足立六郎?、小野田藤九郎?と称している。盛長以前の家系は系図によって異なり、はっきりしないが、盛長は藤原邦通?や平家の筑前房良心?など京都の人物と深い繋がりを有しており、藤原氏の末流を称していた。『源平闘諍録』には藤原伊尹の末裔とする記述がある。

【系図】

安達盛長┳景盛┳松下禅尼
    ┗時長┗義景┳頼景
          ┣大室三郎
          ┣泰盛┳宗景
          ┃  ┗盛宗
          ┣時盛━時長
          ┣重景
          ┣顕盛━宗顕
          ┣長景━宗長
          ┣時景
          ┗公義

<出所>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E9%81%94%E6%B0%8F

蒼き狼1189『草原を駆る狼』軽量版(ver0.006)ではこんな感じで配置してます。鎌倉政権にとって奥州藤原家への先兵になる位置づけになります。

f:id:Junsai618:20140901224136p:image

プランタジネット朝

【名称】プランタジネット朝 【期間】1154‐1399年

【本拠】ガティネ (Gatinais) 【家祖】ヘンリー2世

【概要】ヘンリー2世からリチャード2世に至る8代245年に及ぶイングランドの王朝。王朝名はヘンリー2世の父アンジュー伯ジョフロアが冑に常時挿していたエニシダのラテン名planta genistaに由来する。別にアンジューAnjou朝ともいう。イングランド中世のほぼ全時代を支配したが,14世紀初頭のエドワード1世の治世の終りをもって前期と後期に分けられる。

プランタジネット朝はスティーブン王の内乱時代の後をうけてヘンリー2世(在位1154‐89)の即位とともに始まるが,彼は父方よりアンジュー,メーヌ,トゥーレーヌを,母方よりノルマンディーを,また王妃エレアノール(もとフランスのルイ7世の王妃)よりアキテーヌを得て広大な〈アンジュー帝国〉の主君たる地位を占めた。

【系図】

.悒鵐蝓2世(在位:1154年-1189年)
┣ー礇悒鵐蝓次紛ζ厩餡Α∈澎漫1170年-1183年)
┣▲螢船磧璽1世(獅子心王、在位:1189年-1199年)
┣ジョフロワ2世(ブルターニュ公)
┗ジョン(欠地王、在位:1199年-1216年)
 ┣ぅ悒鵐蝓3世(在位:1216年-1272年)
 ┃┣ゥ┘疋錙璽1世(在位:1272年-1307年)
 ┃┃┣Ε┘疋錙璽2世(在位:1307年-1327年)
 ┃┃┃┗Д┘疋錙璽3世(在位:1327年-1377年)
 ┃┃┃ ┣エドワード黒太子
 ┃┃┃ ┃┣┘螢船磧璽2世(在位:1377年-1399年)
 ┃┃┃ ┣ライオネル・オブ・アントワープ
 ┃┃┃ ┣ジョン・オブ・ゴーント(ランカスター家)
 ┃┃┃ ┣エドマンド・オブ・ラングリー(ヨーク家)
 ┃┃┃ ┗トマス・オブ・ウッドストック(グロスター公)
 ┃┃┣トマス・オブ・ブラザートン
 ┃┃┗エドマンド・オブ・ウッドストック
 ┃┗エドマンド・クラウチバック
 ┗リチャード(コーンウォール伯)

(出所)

http://kotobank.jp/word/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E6%9C%9D

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E6%9C%9D

2014年08月28日 [日本]信濃平賀家

信濃平賀家

f:id:Junsai618:20140901221614p:image:small:left

【名称】信濃平賀家  【期間】

【本拠】信濃国佐久郡平賀邑 【家祖】平賀盛義

【概要】信濃国を本領とした清和源氏義光流の一族。

新羅三郎義光の子盛義が佐久郡平賀邑を有したことに始まり、子の平賀義信の代に、源氏御門葉として、また御家人筆頭として隆盛を誇ることになる。

【系図】

源盛義(平賀家)

├有義

│├資義(越後金津家)

│├有資

│└有延

├安義(佐々毛家)

├義信

│├惟義(伊賀大内家)

│├朝雅

│├朝信

│├隆信

│└景平(安芸小早川家)

├義広

├義澄

├敦義(犬甘家)

└覚義

(出所)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E8%B3%80%E6%B0%8F

2014年05月30日 *[日本]大江家

大江家

大江広元の家系について下調べ。のちの毛利家につながる。


f:id:Junsai618:20140901214754p:image:small:left大江広元(1148−1225年)は、平安末期から鎌倉時代初期にかけての朝臣。はじめは朝廷に仕える下級貴族だったが、鎌倉に下って源頼朝の側近となり、鎌倉幕府の政所初代別当を務め、幕府創設に貢献した。


大江広元(1148-1225)?

┣大江親広(?-1242)

┃┣大江高光

┃┣大江佐房

┃┃┣上田佐泰

┃┃┃┗泰広(1264-1285)

┃┃┃ ┣盛広

┃┃┃ ┗泰元

┃┃┣大江佐時

┃┃┃┣大江次郎太郎広次

┃┃┃┣大江佐次郎広宗

┃┃┃┗大江四郎宗房

┃┃┗上田長広

┃┃ ┗佐長

┃┃  ┗光佐

┃┣大江広時

┃┃┣大江政広

┃┃┃┣大江元顕

┃┃┃┃┣大江元政

┃┃┃┃┣大江懐広

┃┃┃┃┗大江顕広

┃┃┃┣小沢広顕

┃┃┃┃┣小沢貞広

┃┃┃┃┣小沢親顕

┃┃┃┃┣小沢懐顕

┃┃┃┃┗小沢政顕

┃┃┃┣古河親元

┃┃┃┗大江公広

┃┃┣大江親政

┃┃┗大江重祐

┃┣大江隆元

┃┗大江隆時

┣長井時広(?-1241)

┃┣長井泰秀(1212-1254)

┃┃┗長井時秀

┃┃ ┗長井宗秀(1265-1327)

┃┣長井泰重

┃┣長井泰元

┃┣長井泰茂

┃┗長井泰経

┣那波宗元

毛利季光(1202-1247→毛利家)

┣海東忠成(?-1265)

┣尊俊

┗水谷重清

<出所>http://reichsarchiv.jp/">http://reichsarchiv.jp/:title=Reichsarchiv 〜世界帝王事典〜]

それにしてもブログで系図をきれいに表示させるのは、なかなかに難しい。

大江広元の顔画像は、「NIGAOE MAKER」で作成してみました。当然ですが、中世の人材の顔を作成するのは部品が用意されていないので、なかなかに難しいです。

2014年05月18日 [日本]「平三直宗」

「平三直宗」

【鎌倉北条氏】〜その門流・子孫・残党・被官〜

812 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2014/04/30(水) 01:41:27.01

鎌倉幕府の正史である吾妻鏡に「平三直宗」って熊谷直実の孫が出てくる

直実の本流と看做され勝ちな芸州熊谷のほうは名前すら出てこないのに。この「平」が仮冒だとしたら、平盛方から代数が近すぎないか盛方ー直貞ー直実ー直家ー直宗

直実の段階でどこの馬の骨とも知れぬ血筋ってみんな知ってたなら直宗になっていきなり平氏ですって公認されんだろ

直実は盛方の孫だよ、捏造するならもっと遠い子孫にしないとバレバレだろ

927 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2014/05/17(土) 22:06:58.57

■有史以来、武蔵国にあった御所号は全3ヶ所

平安時代〜鎌倉時代

・吉見御所(埼玉県吉見町)

源範頼(三河守)の息子、源範円(正法寺(三河国宝飯郡)僧侶)が移り住む

範円の息子(為頼)から吉見氏と名乗る

現在も、吉見姓は愛知県蒲郡市(源範頼の本拠)が日本一多い

室町時代

・世田谷御所(東京都世田谷区)

長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬)を祖する奥州吉良氏、三河国生まれ吉良治家(初代奥州管領、吉良貞家の息)が移り住む

戦国時代

・蒔田御所(横浜市南区)

長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬)を祖とする奥州吉良氏、吉良頼康が移り住む

■家康入城前の江戸城主は富永直勝

三河国設楽郡富永保を本貫とする三河富永氏

家紋は木瓜に足利二つ引両(太平記多々良浜の戦いの功労により、家紋に足利二つ引両を与えられる)

先祖に源頼義の家来、鶴岡八幡宮社職家の三河伴氏の平松氏、源義家の郎党No.2 三河伴氏の伴助兼

<リンク元>http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1349401762/

2014年05月11日

エヴェンキ

*[北アジア]エヴェンキ


f:id:Junsai618:20140901221346p:image:small:left【名称】エヴェンキ  【期間】

【本拠】トゥラ(1930-) 【家祖】

【概要】ツングース系民族の一つで、主にロシア国内のシベリア連邦管区にあるエヴェンキ自治管区に居住する。ほか、ロシア国内ではサハ共和国などにも居住し、中国国内でも興安嶺山脈周辺の内モンゴル自治区黒竜江省などに居住している。「エベンキ」とも表記される。

 民族を代表する生業は狩猟とトナカイ遊牧で、狩猟では皮革採取や肉・内臓の食用のために鹿類、テンなどが捕獲の対象である。狩猟の際の移動にはトナカイに騎乗し、トナカイで荷物も運搬する。 交配のための種雄を除き、雄のトナカイには去勢を行なう。トナカイはそのほか、乳飲用に利用するほか、その肉・内臓・血を食用・飲用とし、中国では漢方薬として袋角採取も行う。基本的にトナカイの飼育・管理は女性の仕事であり、男性が狩猟に専念しやすくなっている。

 伝統的な住居はオロチョン族と同様、比較的細い白樺などの幹を何本も組んで、その外部をトナカイ等の毛皮、または夏には樹皮で覆った円錐形の天幕式住居である。現在では定住化のため、ベースとなる住居は近隣のロシア人や漢族と同様のものだが、狩猟や、地衣類の豊富な場所へのトナカイの移動で、ベースの住居を離れねばならない場合、伝統的な天幕式住居またはその他のテントを設置して野営する。

2014年04月29日

クライシュ族

*[中東]クライシュ族


【名称】クライシュ族 【期間】
【本拠】メッカ 【家祖】クライシュ

【概要】イスラム勃興期、メッカに住んでいたアラブ部族。
 北アラブ系のキナーナ部族の支族で、預言者ムハンマドを生み,彼の11代前の祖先クライシュを共通の祖先としていた人々。5代前の祖クサイイがカーバの管理権を奪い,近親者をメッカに定着させてから部族としてのまとまりをもつようになる。

 3代前の祖ハーシムHāshimの時代に遠隔地隊商貿易の組織化に成功し,祖父の時代に南アラビア軍の攻撃からメッカの聖域を守り、以後急速に発展する。

2014年04月27日 [東アジア]大理国

大理国

【名称】大理国(dàlǐguó)  【期間】937-1253
【本拠】大理  【家祖】段思平

【概要】937年に白蛮(チベット系のペー族)出身の段思平が南詔(およびその後継国家の大長和、大天興、大義寧)にかわって樹立した国家。
 君主は終始国内的には皇帝号を称していたが、後大理国時代の1117年に北宋より「雲南節度使大理国王」に冊封もされ、対外称号と国内称号を使い分けている。1253年にモンゴル帝国雲南・大理遠征を受けると、翌年大理はモンゴル帝国に降伏。クビライがモンゴル帝国第5代皇帝となると、その地はクビライの庶子・フゲチに与えられ、雲南王国となった(のち梁王国と改称)。大理の旧主の段一族はフゲチとその子孫に仕え、子女を梁王家に嫁がせて、この地における支配階級の一員としての地位を保ち続けた。

 1390年に明がこの梁王国を滅ぼした際、段一族は梁王家を裏切って明に取り入り大理国の復活を目論んだが、その領内にあった当時東アジアでも有数の銀山に目をつけていた洪武帝は段氏による王国復活を認めず、この地は中国に併合され、南詔以来の独立国家の歴史はここに終った。
 首都は大理。


<大理国>

 段保隆┳1思平━2思英━ ??━ 思恩━11思廉┳12廉義

    ┃                   ┣ ??━13寿輝

    ┃                   ┗ ??┳14正明

    ┃                             ┗ 正淳(後大理へ)

    ┗3思良━4思聡━5素順━6素英┳7素廉━ ??━9素真━ ??━10素興

                    ┗ ??━8素隆

(出所)林謙一郎「大理国史研究の視角」http://ir.nul.nagoya-u.ac.jp/jspui/bitstream/2237/9828/1/%E6%9E%97%E2%80%90%E5%A4%A7%E7%90%86%E5%9B%BD.pdf