後白河院と寺社勢力(48)商品流通と政治権力(6)酒1 刀自から

 「久かたの、天の原より、生まれ来る、神の命 奥山の 榊の枝に、しらか付け、木綿(ゆふ)取り付けて 斎食(いはひへ)を斎(いは)ひ掘り痴ゑ 竹玉(たかたま)をしじに貫き垂れ 鹿じもの 膝折り伏して たわやめの おすひ取り掛け かくだにも我は祈(こ)いなむ 君に逢わじかも」


 これは、万葉歌人大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)が天平5年(733)の冬に詠んだ歌で、大伴旅人(※1)の妹の彼女が、旅人亡き後、大伴家の刀自(※2)として一家を仕切り、氏神を祭る際に、榊に白い布を結び、神酒を入れた聾(かめ)を地中に掘って入れ、懸命に祈った様を詠っている。


 現在の私たちの生活のあらゆる面で欠かせない酒であるが、古代の酒造りは、神を祭るためのお神酒から始まり、当時お神酒作りは一家の主婦である女の役割とされ、刀自(家刀自)という一家を仕切る主婦を指す名前はそこからきたものである。


 しかし、武士の時代になると、幕府は「家」を単位に、原則として男を戸主名に登録する制度を確立した事から、実際の酒造りは女であっても商売として登録されるのは一家の主の名前となり、中世の古文書に登場する酒造りは殆ど男性の名前になっている。それにつれて、酒造りをあらわす刀自(家刀自)も杜氏(※3)に変わっていった。


 ところで、『沙石集』(※4)には、酒造刀自のエピソードとして、美味しい酒を売ると評判の後家尼が、夫の法事で村の衆に水で薄めた酒を飲ませたため、村の衆が坊さんに頼んで「酒に水を混ぜて飲ませる事の罪」を説教にしてもらい、今度は美味しい酒が飲めると期待したところ、さらに水臭い酒を飲まされ、これはどうしたことかと村の衆に聞かれた後家尼が「酒を水で薄めるのは罪だと聞いたので、水を酒で薄めました」と、しゃあしゃあと答える愉快な話が載っている。


(※1)大伴旅人(おおとものたびと):奈良時代歌人。安麻呂の子、家持の父。太宰師(だざいのそつ)として筑紫へ下り山上憶良と交わり、大納言となって帰京。


(※2)刀自(とじ、とうじ):家刀自ともいう。家事をつかさどる女性。


(※3)杜氏(とじ、とうじ):酒造職人。酒造は元々女性の任務で、一家の主婦たる刀自(とうじ・とじ)がかもしたのでこの名が残った。杜氏の組織波長たる杜氏の下に、麹師(こうじし)・頭(かしら)・【もと】師の三役があり、その下に各係がある。農閑期の長い地方出身者が多い(百科事典マイペディアより)。


(※4)沙石集(しゃせきしゅう):鎌倉中期の仏教説話集。仏教に帰依させる方便として約130編の説話を集めたもの。平明な庶民的発想から大衆を教導しようとする点で、王朝回顧の傾向が強い先行説話集と大きく異なる(百科事典マイペディアより)。


参考資料:「中世に生きる女たち」脇田晴子 岩波新書