新古今の周辺(27)鴨長明(27)和泉式部を巡って(2)公任の視

ところで「俊頼髄脳」を引用して、和泉式部赤染衛門のどちらが歌詠みの上手であるかを長明に語ったある人は、先に述べた藤原公任の視点(※)に対して二つの疑念を次のように呈している。(※)http://d.hatena.ne.jp/K-sako/20151025 

70 式部・赤染勝劣のこと(2)

「先ず一つ目の疑念について、公任大納言は和泉式部の方が赤染衛門よりも歌人として優れていると断じているが、当時のしかるべき歌の会や晴の歌合などでは、赤染の歌ばかりが選ばれて式部の歌は選から漏れる事が多かった。

二つ目の疑念の、式部の「暗きより暗き道にぞ入りぬべき、はるかに照らせ山の端の月」と「津の国のこやとも人をいふべきにひまこそなけれ蘆の八重葺き」の歌の優劣においては、「はるかに照らせ」の歌は詞も歌の姿も殊の外格調が高く、その上に情趣もあると評価する声が多かったのに、そのところを公任大納言はどのように感じられたのか、どうもはっきりしないのです」と。

そこで、長明自身がこの二つの疑念の解釈を試みたところ、式部と赤染の優劣は藤原公任一人の評価で決まった事ではなく、世間の多くの人たちも式部の方が優れた歌人であると評価していたからこそ確定したのである。

しかし、人の行為の評価は、本人が生きている間はその人の日ごろの身の処し方や他者への対応・もてなし方などに拠って優劣が判断されることが多く、歌において和泉式部は並ぶ者もない上手と見なされていいたが、日々の身の振る舞いや他人への心遣いなどにおいて赤染衛門に優っていたとは思えない。

その根拠として、次に長明は和泉式部赤染衛門と同時代に後宮文學を彩った紫式部の日記を活用することにした。

参考文献: 『無名抄 現代語訳付き』久保田淳 訳注 角川文庫