新古今の周辺(45)鴨長明(42)源頼政(2)俊恵の視点

それでは長明の師・俊恵は武士歌人源頼政(※1)をどのように評価していたのであろうか。再び鴨長明の『無名抄』から見てみたい。

「56 頼政歌道に好けること

俊恵が申しますには、

頼政卿は人並み外れた歌詠みの名人です。かれは、心の奥深く歌の心を持ち、どんな時でも歌を詠む心を忘れず、鳥が一声鳴き、風のそよと吹く音に、ましてや、花の散り、葉の落ち、月の出入りや、雨・雪などが降るにつけても、立ち居起き臥しも、常に歌の風情をめぐらさないという事はない。この姿こそ真に優れた歌が生まれる道理と思われます。

そうであれば、しかるべき時に名を挙げた歌などの多くは、前もって同じ歌題で幾つもの歌を詠んでおられたとか。

頼政卿の、ほとんどの歌合の席に連なって歌を詠み、歌の良し悪しのことわりを述べる姿からも、歌を深く心に入れておられることがしのばれて素晴らしく、かれが連なればどのような歌合の会も盛り上がりを見せるようです」

と、ほぼ激賞に近い評価をしている。

ところで、先回の藤原俊成の評価(http://d.hatena.ne.jp/K-sako/20161001)では「頼政さえ歌合の座に連なっておれば、衆目は自ずと彼に注がれ、『あー、また、彼にしてやられたなー』と思わせられるのである」と、頼政の際立った存在感を指摘しているが、今回の俊恵も「頼政卿が連なればどんな場でも引立ってみえるのです」と指摘して、二人ともども頼政の際立った存在感に注目しているのは興味深い。

この事は源頼政には俊恵が称する「出で栄え」あるいは私が勝手に作った「座栄え」ともいえる、一座の中で一際衆目を集める存在感ともいうべきものが備わっていた事を示している。

その「出で栄え」あるいは「座栄え」も、そこにいるだけで際立った存在感を発揮するというキャラクターの面と、何時も斬新な歌を詠んで衆目をうならせる歌人としての存在感との二つの意味があると思うが、どうやら、源頼政にはこの二つの要素を併せ持った歌人ではなかったかと私は想像する。

そこで、歌合の座に連なる人々に頼政が斬新な歌を披瀝して評価を得たた例として、既に述べたが、建春門院の殿上歌合(※2)における「関路落葉」の題で下記の歌を詠んだ話を挙げておきたい。(http://d.hatena.ne.jp/K-sako/20160915)。

都には まだ青葉にてみしかども、紅葉散り敷く 白河の関

(※1)源頼政:長治元年(1104)〜治承4年(1180)。享年77歳。清和源氏、仲正の息子。仲綱・二条院讃岐の父。蔵人・兵庫頭を経て右京権太夫従三位に至る。治承4年5月後白河院皇子以仁王を戴き平家追討の兵を挙げたが宇治川の合戦で敗れ、平等院で自害した。家集『源三位頼政集』

(※2)建春門女院の殿上歌合:建春門院北面歌合。嘉応2年(1170)10月19日(歌合本文は10月16日)に催された。題は「関路落葉」「水鳥近馴」など3題。作者は藤原実定・同隆季・同俊成・同重家・同清輔・同隆信・源頼政・同仲綱等20名。判者は藤原俊成

参考文献: 『無名抄 現代語訳付き』久保田淳 訳注 角川文庫