アクセス権について(2)

マジ? と書かれたので言いますが、マジではありません。クリエイティヴ・コモンズ? とか? が普及して、ライセンスについて明言することが当たり前になれば、勝手に全文翻訳するのはよくないよ、いや、この人はきっと翻訳されて嬉しいはずだから良いんだよ、とかのまぎれが無くなって良いんじゃないか、とは思う。けど、世の中はそんなクリエイティヴな活動ばかりで成り立っているわけではなく、見てほしくない人に見られたとか、相手にしてほしくない人種に言及された、冗談で言ったのにマジ切れされた、物陰(ブクマのコメント欄)から言ったのに本気で相手にされた、いつもメタ視点から語りやがってむかつく、とかそういう些細な出来事の集まりで揉めたりしており、それに関わっているのはもっと下世話で非法律的な所有感覚に違いなく、その辺の感覚はわかるような気がするから、一応言葉にしてまとめておきたかった。のと、Web2.0という単語がすごい面白かったのでうっかり混ぜてしまった、ということです。今は反省している
非商用だったら勝手に翻訳していい、商用だと駄目、というのはわかりやすい分類だとは思うけど意味が分からない、結局は、あんまり叩かれない方法は良い、ということにしかならないと思うけど、筋が通っているように見えることは叩かれないために大切なことなので、筋を通すのは大切なことだ。
勝手ルールというのは、実際の所ルールではなく、「こうやって扱ってほしい」という態度の表明なのだから、人間として尊重するのが当たり前なわけで、そのルールを口にしている人間が勘違いした態度でむかつくとか、そういう事情がもしあればわざと勝手ルールを破ることでむかつきをはらしたりすればいい、良いって言うか、そういうのは理解できる。でも勝手ルールがむかつくのは、勝手ルールを口にしている人がなぜか勝手ルールをルールとして守られて当然と思っている、説得力があると勘違いしている、訳の分からない根拠を持ち出す、からで、強制力はないけどお願いですよ、という形でみんながみんな扱われ方について口にするようになれば、あまりむかつかないんじゃないだろうか。そんかわし、言及しないでください、とか言ってる人は自然に相手にされなくなると思うし、そっちの方が楽ならそうすればいいと思う。言及するけど、言及はされたくないです、とか。そういうのは別に卑怯ではない。匿名で書いててもつまんないから、そういうのは止めたわけだし、実際には態度とか文体で無意識にやっていて、コメントを付けにくい所は、たぶん、コメントを付けられたくないからコメントを付けにくい感じになっているんだ。人が嫌がっていることをやる人は良くない人なので、やられて嫌なことを書いておくだけで意味があるはず、嫌なことをやるあいつは悪いやつ、なので、嫌なことはちゃんと書いておく文化が良いのではないだろうか。Web2.1はそういう思い遣りで運用されているインターネットです。

後書き

しつこいようですが、ウケるブログセミナーは明日の朝八時半集合なのでもう寝なければなりません。明日からはこのようなウケないブログを書くことは決してないと思います。明日の雰囲気の予想ですが、まず、座敷のようなところで車座になると思います。そして一人一人が、自分がやってしまった一番ウケなかった、酷かった、恥ずかしかったブログのエントリを告白する。すると、周りの人がそれをウェブアーカイヴから取り出してきてよってたかって音読する。僕の場合は二年ほど前に書いてしまった小説がそれに当たるので、みんなに朗読されている内に恥ずかしさで死にそうになります。いくらかは涙も出るかも知れない。更にその後、なぜそんなエントリを書いてしまったかについて、総括される。混乱の内に、いくらかは人死にが出るでしょう。もちろん、それでも最後には、生きてて良いんだ、おめでとう! ありがとう! というお決まりのあれに辿り着くのですが、そのころにはみんなすっかりウケるブロガーになっているはずです。僕もすっかり啓発されるので、今の僕が挨拶するのはこれで最後かもわかりません。さようなら!