セーブデータについて

ゲームというのはルールの体系であるから、ルールをはじめから適用しなおすことで全く同じ状態から繰り返し遊べる、ということについて、なるほど、と感心はしたが、デジタルゲームに適用するとすんなりいかない。デジタルゲームには、同じ状態からまた遊び始めることを阻害する要因がある、それがセーブデータです。

繰り返し遊ぶ、その一回の遊びを"プレイ"と呼ぶとして、セーブデータを消すまで、完全に元の状態に戻るまでは一度のプレイが終わっていない、と考えるのは無理があるように感じられるケースが多い。通常、セーブデータが保持しているのはプレイの途中経過ではない。

一方の極端な例からはじめるために、セーブデータ == プレイの途中経過、つまり、プレイの終了 == セーブデータの削除、を満たす例を考える。一本道で、周回要素のない、ラストボスを倒すことを勝利としてプレイするようなRPGがこれにあたる。クリアしたらそこでプレイは終了、もう一度遊びたければセーブデータを消して1からやりなおす。

逆に、セーブデータがプレイに全く影響を与えないような例を考えると、アーケードゲームのハイスコア記録があげられる。プレイされるたびに蓄積されるが、一回一回のプレイの内容には何も影響しない。一回のプレイが終了した段階でセーブデータは作成され、プレイの途中には何も記録されない。

この両極端の間にあるすべてのセーブデータは、プレイの途中経過自体、そのものを保存しているのではないが、繰り返し行われるプレイに外部からなにかしらの影響を与える。

繰り返されるプレイとは、

などになる。

セーブデータは「ゲーム内、プレイ外、の環境」を保存している。セーブデータの役割が少ないほど、競技的、アスリート的な楽しまれ方をする。腕だけが頼り、平等な条件でプレイヤーが競い合い。

セーブデータに蓄積されるものが多く、プレイに与える影響が大きいゲームでは、セーブデータを作り上げる、武器を集め、キャラクターを育てることにもプレイヤーは意味を見出すようになる。

純粋に競技的なゲーム、例えばスポーツ、将棋のようなボードゲーム、では、そのように蓄積でき、プレイの内容に影響する要素は自分の技量しかない。一回一回のプレイからみたセーブデータの存在は、ルール体系の外であり、スポーツにおける技量に近く、それがいろいろなことを錯覚させる。作り上げられたセーブデータは、消費された時間ではなく、築き上げられた自分の属性として誇られる。