2011-10-22
ジョナサン・クレーリー『知覚の宙吊り──注意、スペクタクル、近代文化』#1 序
[目次・構成]
序
第一章 近代性と注意の問題
一九世紀になぜ注意が決定的に新しい問題となったのか
どのようにして注意の問題が知覚の哲学的、心理学的、美学的探求と切り離せないものになったのか
注意を経験的に説明し操作可能なものにしようとした多くの前例がなぜ失敗したのか
第二章 一九七九年──拘束なき知覚
第三章 一八八八年──脱魔術化のイルミネーション
第四章 一九〇〇年──綜合(ジンテーゼ)の再創出
第二章から第四章にかけて
知覚と近代化との相関関係の問題を考察するために、一九世紀の最後の数十年を暫定的な図式によって示す
(一八七九年から一九〇〇年代にいたるまで年代別に検討するが)ここで提示するのは非連続性、つまり歴史の連続に切れ目を入れることである
総体的に自律した三つの分析が示される──拘束なき知覚・脱魔術化のイルミネーション・綜合(ジンテーゼ)の再創出
エピローグ 一九〇七年──ローマの魔法
原注
訳者あとがき
文献一覧
事項索引
人名索引
*序 pp.9-20.
「われわれが意識的に聴いたり見たり、あるいは何ものかに注意を集中したりする方法は、歴史に深く根ざした特徴をもっている」(p.9)
<本書の目論み>
・一九世紀以来の注意の系譜をたどり、さらに主体性の近代化において注意が果たした役割を詳述すること
・知覚や注意についての諸理念が、テクノロジーの新しい形態(スペクタクル、展示、映写、アトラクション、記録)の出現とともに、一九世紀においてどのように変容していくか(p.10)
・主体=主題としての人間の行動や性格についての新しい知識が、いかにして社会的・経済的な変化や新しい表象の実践、視覚/聴覚文化の広範な再組織化に組み込まれていくか(pp.10-11)
・一八八〇年代と九〇年代の知覚における一般的な機器の究明により、二〇世紀にまでおよぶ争点である「注意」という概念の重要性を示唆する(p.11)
・近代の視覚が、外部の一連の技術によって形作られ、制御される身体のただひとつの層をなすにすぎないということの証明(p.12)
・いかに主体が世界についての実践的で一貫した感覚を維持できるかについてのモデルとして、注意が如何に登場してくるかを検討(p.13)
・一九世紀後半以来、視覚に関する主観的概念にとって必要不可欠の要素となった注意は、個人の観察者が主観的な限界を克服し、知覚を自らのものとするための手段であり、また外部の作用による制御や併合に知覚者が適合できるようにするための手段でもあったということの解明(p.14)
----------
・ 一九世紀半ばから、これまでの近代的な主体性に関する歴史的分析(ヴァルター・ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」など)
→「散漫状態における受容」・・・知覚は断片・ショック・気散じの経験によって特徴づけられてきた(ベンヤミンの「気散じ」および「ショック」についての理解は諸説ある)
・この「近代の散漫」の理解には、一九世紀末の労働と教育と大衆消費との相関関係によって理解できるものである
〔要請される〕集中的な注意力
〔理想化される〕持続的な注意力・・・創造的で自由な主体性の構成要素
→この二種類の注意力がさまざまに交差する
・更に、「注意する個人(という可能性・あいまいな境界・失敗)」という枠組みの内部で、以下のふたつの近代の経験が交錯する
社会的分離(生産的で管理しやすい主体性が制度的に構築されてきた)
主体的自律(「純粋な美的な知覚」というスキームが可能となった経緯)
----------
*なぜ「注意」か
・単なる観察者としての眼差しや熟視、主体という問題をはるかに凌ぐ(テクスト及び実践における)概念である注意を扱うことで、特権化されがちな視覚性のカテゴリーの再検討をすると同時に、注意をめぐる近代の問題が、単に光学=視覚的性格の問題としては分析できない論点と立場を含んでいると考えるため
・視覚的なものを構成しているように思われるものの多くは、他の諸力や権力関係の”効果”にすぎない
・視覚性から転嫁し、作り上げられた知覚や主体性のモデルは、歴史的に決定された「身体化」の問題から切り離されている
・「身体化された主体」とは権力操作の場であると同時に抵抗の可能性として示唆されているが、このような視覚中心性-視覚のヘゲモニーの主張は現時点ではは無意味である
・「スペクタクルの文化」のストラテジー
個人という概念については、(主体をして見させるという必要性に基づくのではなく)孤立し分離し、無力化したものとしての個人が時間を占めるという視座を持つ
注意という概念に関しては、(視覚中心主義的理解に基づくのではなく)トランスや夢想におけるように、別の一時的性格や認識状態として組織されるものという視点から考察する
----------
*なぜ「知覚」か
・視覚という様態を超えて、聴覚と触覚さらには混在した様態の観点を用いて主体=主題を示そうと試みるため
・視覚という一義的な様態しか扱わない「視覚研究(ヴィジュアル・スタディーズ)」の範囲では分析不可能であったものへのアプローチ
・一九世紀末、知覚とは「注意が向けられる諸感覚」と同義のものであった
・「知覚」の歴史的重要性
「知覚」は、[a]視覚や知覚をめぐる現代哲学(ジャック・デリダ、モーリス・ブランショ、ジョルジュ・バタイユ、ジャック・ラカン)と、[b]近代権力の諸効果をめぐる経験や主体性の社会的・制度的な構成をめぐる研究(ミシェル・フーコー、ヴァルター・ベンヤミン)の両者が提起した諸問題の要に位置するものである
[a] は、歴史を超越し、見ることの確信には根本的不在があるということ、現前の知覚た十全たる存在への無媒介的な接近は不可能であることを強調する(p.13) 。
もはや無媒介性、現前性、正確さといった観点から知覚を考察することはできないという一般的な前提のもとで、一九世紀における観察者は、社会的につくり変えられた。(よって、現前性への批判に由来する多くの批評理論は有効ではないし、また、人が無媒介的な知覚によって自己現前性へと接近できるかという問いは、近代の規律的でスペクタクル的な文化においては見当違いである。)
----------
*その他の留意点および本書のテーマについて
・各々の章における問題を説明するにあたり、ひとつの芸術作品を枢軸として前景化させている(各章はそれぞれ、マネ《温室にて》(一八七九)、スーラ《サーカスのパレード》(一八八七—八八)、セザンヌ《松と岩》(一九〇〇年頃)を中心に構成されている)
・(前著『観察者の系譜』から引き続き)一八七〇—八〇年代の近代絵画を、視覚の実践と観察者の歴史的編成のおいて画期的なターニング・ポイントとみなす習慣的な説明への挑戦
・これらの芸術作品を対象とすることは、一九世紀のより早い時期に生まれた主観的で生理学的な視覚モデルがどのような帰結や反響を見せたのかを探求するため
・美的に決定された観照や没入を孤立化させることに疑問を呈するため、注意という問題を発展させている
・芸術作品を検討することで、それらの外部の領域を描き出し、そこへのリンクを増殖させ、そこにおいて「すべてのものが絶え間なく、そして繰り返し意味へともたらされる」絵画の「複数の様態に着目」する
・いくつかの作品と、それらが依拠している特殊な美的実践とは、出来事の々領域を構成する要素である
・作品は、関連する諸問題の創造的な形成物である──象徴的な人物としてマネとスーラ、セザンヌが選び出されている、そして彼らの絵画はいずれも知覚的な統合という一般的問題や、拘束するとともに分解するという注意の可能性に取り組むものである
・マネ、スーラ、セザンヌは、それぞれ知覚の領域における瓦解、空隙、裂け目に独自のやり方で対峙することにより、注意する知覚の非決定性こそが、知覚の経験や表象の実践を再構想するうえで、いかに基礎となるかを見出した
・上記の芸術家によって描き出され、今日までに汲み尽くされてきた空間のイメージが、機械による「リアリズム」の形式や工学的な真実らしさの出現とは切り離せないものである
・本書は、芸術に関するものである以上に、知覚の再考と再構成に関するものである
・本書のタイトルについて──
浮遊(停止、宙吊り、取り消し、中断)した存在状態
見ることや聴くことに夢中になって、通常の状況から免除され、一時的に浮遊した状態になったり、時間から遊離したりすること
注意という語の語根は、「緊張(テンション)」、「拡張された(ストレッチド)」もの、「待つこと」という意味と共鳴している(じっとして何かを熟視したり、驚嘆したりする可能性を暗示する)
混乱し、否定さえも示す、また没入、不在、遅延でもありうる知覚の観念──こうした矛盾する知覚の構成要素が本書における検討の対象である
そのための諸条件の考古学は、すなわち、われわれ自身の現在、またその技術-制度的世界の先史と同義である
- 作者: ジョナサンクレーリー,Jonathan Crary,岡田温司,大木美智子,石谷治寛,橋本梓
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2005/08
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 15回
- この商品を含むブログ (41件) を見る
- 3 http://d.hatena.ne.jp/takemita/20091204/p2
- 2 http://ezsch.ezweb.ne.jp/search/?query=叺要+????&ct=0001&pd=1&sr=0000
- 2 http://search.goo.ne.jp/web.jsp?MT=戦争 自然&OE=UTF-8&IE=UTF-8&from=query
- 2 http://search.yahoo.co.jp/search?p=ハーマン「心理学的支配」&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=
- 2 http://t.co/gxzKdtTT
- 2 http://twtr.jp/home
- 2 http://www.google.co.jp/m/search?site=universal&ie=Shift_JIS&q=救いのない+メルヘン
- 2 http://www.google.co.jp/search?q=ベンヤミン・コレクション1&rls=com.microsoft:ja:IE-SearchBox&ie=UTF-8&oe=UTF-8&sourceid=ie7&rlz=1I7ADFA_jaJP453&redir_esc=&ei=chSlT
- 2 http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=あたらしい美学をつくる&source=web&cd=7&ved=0CFUQFjAG&url=http://d.hatena.ne.jp/KANAH0/20110715/p1&ei=IhykTuPkOq75mAXM7riUDw&u
- 1 http://b.hatena.ne.jp/at_akada/favorite






