2012-02-08 『J・エドガー』
夜、いつものシネコンで『J・エドガー』を観る。いうまでもなく、イーストウッドとディカプリオがタッグを組んだ話題作中の話題作。しかも主人公はFBI初代長官エドガー・フーヴァー。
映画では、回顧録を口述筆記させる年老いたフーヴァーと、司法省に勤め始めたころの若きフーヴァーが交互に描かれる。周知の通りフーヴァーは数十年長官に在任し、8人もの大統領に仕えた。
冒頭のシーンで、フーヴァーの執務室に飾られているジョン・デリンジャーのデスマスクが写る。デリンジャーといえば、ジョニー・デップ主演、マイケル・マン監督の『パブリックエナミーズ』の主人公だが、イーストウッドはそれを意識したのだろうか?
若きフーヴァーはある日、司法省の女性(後に秘書になる人)をデートに誘い、国会図書館で、本を分類するカード・システムを考案したのは自分だと自慢げに話す。これは史実なのだろうか? 初めて知った。みんな忘れているかと思うが、昔はみんな、大きな図書館で資料を探すときには蔵書の情報をまとめたカード・システムを使ったものだが、あれはフーヴァーが発明したものだったのか…。
フーヴァーはその発想の延長で全国民を監視し、情報を集め、治安強化に役立てるシステムの構築に取り組む。それと同時にFBIの権限をどんどんと強めていく。また指紋など科学捜査を取り入れ、FBIのイメージを向上させていく。
彼に狙われたのはギャングや共産主義者だけでなく、周知の通り歴代大統領も含まれていた。しかしこの映画の主題は、そうした政治的なものではない。フーヴァーは同性愛者だったという、彼の内面が映画では中心的に描かれる。イーストウッドのような「男らしい」監督が、こうしたテーマに目を向けるのは、意外といえば意外だが、脚本は『ミルク』の人だと気づいて、なるほどと思った。)
たとえばオリバー・ストーンだったらストレートなアメリカ政治批判を前面に出すだろうが、それではあまりに予定調和になるというのが、映画会社サイドらの判断だったのだろう。
劇中に『パブリック・エナミー』というギャング映画が登場するのだが、マイケル・マンのと同名の映画が実在するのだろうか? ジョン・デリンジャーのほかにもロバート・ケネディ、リンドバーグ、シャーリー・テンプル、ニクソンなどが登場。それぞれが登場する映画と比較すると面白いかもしれない。
2012-02-07 お知らせ:Vol.3 映画が描いた核・原子力、そして・・・。
こちらでのお知らせが遅くなってしまったのですが、僕とサイエンスライターの斉藤勝司さんとやっているトークライブ「映画で語るサイエンス」の第3弾が開催されます。
今回は「みけねこサイエンスカフェ」に登場することになりました。ご参加いただければ幸いです。よろしくお願いします。
http://www.mikeneko-scienceproject.com/science-cafe/sciencemovie.html
2011年7月の星と風のサロン、11月のサイエンスアゴラで人気を博した「映画で語るサイエンス」がみけねこサイエンスプロジェクトとコラボレーションで続編が実現しました。
サイエンスライター斉藤勝司、粥川準二の二人が古今東西の様々な映画を紹介しながらネタ元になっている科学技術についてご紹介します。
皆さんも一緒に映画な科学探しに行きませんか??
Vol.3 映画が描いた核・原子力、そして・・・。
日時:2/12(日)14:15〜16:00
内容:映画の中で描かれた科学技術を語り尽くすトークライブ・シリーズ「映画で語るサイエンス」。
今回は、昨年11月に開催されたサイエンス・アゴラでの好評を博した、核・原子力にまつわる映画トークの再演です。サイエンス・アゴラで紹介した映画に数作品の映画を加えて、多くの映画作家に影響を与えた核・原子力、そして、これからのエネルギーについて語ります!
参加費:1500円(1ドリンク制、別途ドリンクの注文代がかかります。)
参加申し込み: sciencemovie@mikeneko-scienceproject.comまでお申し込み下さい。
お問い合わせ先:上記のみけねこサイエンスプロジェクト サイエンスカフェ事務局までメールでお問い合わせ下さい。
(本イベントは店舗とは関係ありませんので、店舗へのお問い合わせはご遠慮下さい。)
2012-02-03 『レンタネコ』
夕方、渋谷のショウゲート試写室で『レンタネコ』の試写を観る。いわずと知れた荻上直子の新作である。荻上の作品は『かもめ食堂』を試写で観て感心し、デビュー作の『バーバー吉野』をDVDで観て、『めがね』、『トイレット』を試写で観た。『かもめ食堂』以外は、荻上的な世界を好む人には面白いかもしれないけど、そうでない人にはどうだろう、と思ってきた。(つまり『やっぱり猫が好き』とかが好きな人にはいいだろう、ということ。そのほか監督は違うけど、『マザーウォーター』とか。そういえば、僕は『東京オアシス』を見逃している。)
今回は市川実日子主演ということで期待しないわけにはいかない。僕はずいぶん昔から彼女って存在感ある女優だなあと思っていたのだが、なぜか主演作が少ない。『タイムレスメロディ』と『Blue』ぐらいではなかろうか?
というわけで、それなりに期待してしまったのだが、その一方で、寂しい人にネコを貸す人が主人公の映画だということを試写状で知り、わかる人にしかわからない、難解な(?)映画だったらいやだなあ、とも思っていた。
主人公は、ネコ好きの祖母の残した家で、何匹ものネコと暮らすサヨコ。もちろんネコが大好き。サヨコは、ネコをリヤカーで引き、「レンタ〜ネコ〜」と宣伝して歩く。しかし誰にでも気軽に貸すわけではない。残念ながら動物をいじめる人もいるので…と説明し、希望者の家を訪ね、審査してから貸すかどうかを決める。そういえば、つい最近、虐待を目的に動物を買う人がおり、ブリーダーもそれを気にする、ということを知ったばかりだ。サヨコは、老婦人や中年男、レンタカー屋の受け付け女性などと知り合い、それぞれの人生に少しずつかかわり、ネコを貸すことを決める。孤独な人々の心の「穴」が、一つひとつ埋まっていく。
なかなか面白かった。
おそらくこれまでとくに荻上の作品を気に留めてこなかった人でも楽しめるのではなかろうか。また、たぶんネコ好きの人にはとりわけ面白いのではないかと想像する。
通常、動物が登場する映画では最後に、いかなる動物も虐待されていないということを明記されるが、この映画では……このことは書かないでおこう。
動物が登場する映画を観たり、動物に関するニュースを読むたびに思うのは、この社会には人間のように扱われる(保護・虐待される)動物がいる一方で、動物のように扱われる(保護・虐待される)人間がいる、という矛盾のようなことだ。この映画も、描かれているのはネコだけでなくて、むしろ人間のほうである。確か、何年か前に、ドキュメンタリー映画『犬と猫と人間と』を観たときも、同じような感想を抱いたと記憶している。
2012-02-01 『サラの鍵』、『パーフェクト・センス』
『サラの鍵』
午前中、がががっと原稿書いて、昼頃新宿へ。インド料理店で打ち合わせし、ディスクユニオンプログレ館でCD数枚購入してから新宿武蔵野館へ。今日は映画の日。
まずは『サラの鍵』を観る。パリ在住のアメリカ人記者である女性の主人公は、第二次大戦中のユダヤ人迫害について取材し始める。その過程で、自分の夫が祖父母から譲り受けた家には、収容所に送られたユダヤ人家族が住んでいたことを知る。
そこにはサラという少女がいた。サラは家族とともに警察に検挙されるとき、弟を壁の物入れの中に隠した。「すぐに帰ってくる」と。サラたちは収容所に送られるが、彼女はそこをなんとか逃げ出して……主人公は存命の関係者を訪ね、サラの人生を少しずつ知っていく。彼女はその後どうしたのか? 生きているのか? そして彼女自身の人生も、それに呼応するかのように変わっていく。時代は1940年代と2000年代を行き来し、少しだけ60年代も描かれる。舞台はフランス、ドイツ(?)、アメリカ、イタリアと次々に変わる。
主人公が知ったサラの運命は……もちろんここでは書かないが、プーリモ・レーヴィのそれを彷彿とさせる、と書けばそれで十分であろう。秀逸。どのレビューも絶賛していたのは当然である。
この映画には原作小説がある(タチアナ・ド・ロレ『サラの鍵』新潮社)。ストーリーそのものはフィクションらしいが、サラが巻き込まれる「ヴェルディヴ事件」は実際にあったらしく、『黄色い星の子供たち』という映画にもなっているらしい。どちらもチェックしておきたい。
『パーフェクト・センス』
か「いやあ、われわれとしては必見の映画と思われる映画を観てきたよ」
さ「『と思われる』って何?『われわれとして』ってことは、科学関係?」
か「うん、もちろん科学関係なんだけど」
さ「トークライブのネタになりそうな映画ってことね? ライフサイエンス? 原子力?」
か「いや感染症」
さ「ほう、われわれとしては、ウイルス・パニックもののトークも準備中だからね。でも感染症映画だったら、昨年公開された『コンテイジョン』がすごくよくできていたので、あれを超えるものってなかなかないと思うけど」
か「僕もそう思ったよ。『コンテイジョン』は、いくつかいいたいことがないわけではないけど、ものすごく完成度が、とくに科学考証の点で高かったのは事実。それまでのパニック系感染症映画って、どうしても荒唐無稽になりがちがったからね」
さ「ま、なんてったって、『CDC(疾病管理センター)監修』の映画だからね。で、今日あんたが観てきたのは?」
か「言ってなかったっけ?『パーフェクト・センス』。知っている?」
さ「うーん、どっかの映画館で予告編観たことあるかも…」
か「ま、僕もせっかく新宿武蔵野館で『サラの鍵』を観るんだから、ついでもう1本何か観ようと思ってネットで調べてみたら、同じところでこれをやっていると知って観てみたんだけどね」
さ「誰が出ているの?」
さ「で、どんな話? トークに使えそう?」
か「それがですねえ。ストーリーはだいたいこんな感じ。まず主要な登場人物は、ユアン・マクレガー演じるシェフのマイケルとエヴァ・グリーン演じる疫学者のスーザン。この二人の恋愛が物語の中心。イケメンと美女が出会ってすぐに恋に落ちるっている映画的展開は観ているだけでムカムカとするんだけど…」
さ「あいかわず、そういうところにはカラむねえ(苦笑)。で、どんな病気が蔓延するの?」
か「まずは深い悲しみに襲われ、その後、嗅覚がなくなってしまう」
さ「え、それが感染症なの?」
か「そう、それでスーザンは科学者としてそれに取り組む」
さ「で、疫学調査して原因を突き止め、その一方でウイルス学者が抗体をつくるとか」
か「それは『コンテイジョン』。結末をいう前に、実はまだ病気が続くんだよ。人々が匂いのない世界に慣れ始める。たとえばシェフのマイケルはスパイスの利いた料理を開発し、客に出す。しかし新しい病状が出始めるんだよ」
さ「新しい病状って、同じウイルスで?」
か「そこのところはちょっとはっきりしないんだけど、とにかく今度は、世界中の人が猛烈な飢えに襲われて、手元にあるものを何でもがつがつと食べ始める。嗅覚が消える前に現れた症状は、うつ病のような印象があったけど、今度のは、あえていえば摂食障害かな。とにかく病的。でもそれも短時間で終わり、人々はふと我にかえる。そして味覚がなくなってしまったことに気づく」
さ「何食べてもわかんなくなるんだ。シェフは失業だね」
か「そうなると思うでしょ? ところが人々は、味覚のない世界にもやがて慣れ始める。マイケルも、熱や食感を工夫した料理をつくって客を喜ばせる。そして二人の恋愛も進むんだけど、それを観ているとまたムカムカと…」
さ「それはいいっつーの。で、ワクチンはできるの? それとも抗ウイルス薬?」
か「いや、また新しい病状が現れるんだよ」
さ「またかよ。別のウイルスじゃないの?」
か「そうかもしれんが、そのことはこの映画にとってはどうでもいい」
さ「で、今度は?」
か「今度は人々が激烈な怒りにかられ、近くの人になぐりかかり、暴徒と化す。二人もケンカ別れする」
さ「あんたにとっては、いい展開じゃん」
か「あのな〜、そこまで性格悪くないよ、俺」
さ「そ。で、今度は聴覚がなくなるんでしょ」
か「その通り。みんな耳が聞こえなくなる。そして隔離政策がとられ、耳の聞こえない者は原則として外出を禁止される。しかし今度もまた、人々は音のない世界に慣れ始めるんだ。みんな手話を憶えたりする」
さ「ほほう。で、そうなると次は視覚と触覚だね。その前に何かまた新しい病状が起こるんでしょ」
か「その通りなんだけど、これ以上いうとネタバレになりそうので、もういわない」
さ「ネタバレならもうとっくにしているよ」
か「で、次の展開が起きたところで映画は終わる」
か「なし。この映画では、科学はまるっきり無力。ついでながら陰謀論とかもなし」
さ「ほほう。『コンテイジョン』とはずいぶん違うね」
か「そう。ようするにこの映画は、ウイルス・パニックものとか感染症映画とか呼んでもいいんだけど、多くのそれらとはまったく違う雰囲気とメッセージを持っている。人間はどんな苦難に会ってもそれに立ち向かったり適応したりすることができる。そのなかでも人は愛し合える。そんなところかな」
さ「なるほど、感染症は単なる小道具なんだ」
か「ま、そういうことになるかもね。あとね、この映画の感染症が各五感を奪う前に起こす病状って、悲しみであったり、飢えであったり、怒りであったり……ようするに動物的かつ人間的なことなんだよね。人間のある一面を極端化した後で、人間のある能力を奪う。それがこの病気なんだけど、病気といえるかどうか。そして人間はそれさえも克服してしまうところが、また人間的であったりする」
さ「ほほう。その解釈は面白い。トークライブのネタに使えるかどうかば微妙だけど」
か「まあね。でもね、東日本大震災でダメージを受けてしまった日本人には、ぜひ観てほしい作品ですよ」(了)
…以上、某事情で、対談調でお送りしました。なお「か」および「さ」というキャラクターは、実在の人物とはまったく関係ありません(笑)。
2012-01-23 『リスク社会』再考
今日は非常勤先で試験だった。
終了後、図書館でウルリヒ・ベック『リスク社会』の英訳を借りてきた。これは僕が大学院在学中に図書館にリクエストして買ってもらったものだ。なぜまた借りてきたかといえば、先日、僕のTLでは斉藤環氏のコラム http://t.co/sUGKAmu4 が話題になったが、そこで援用されていたベックの立論が気になり、邦訳を読んでもどうも腑に落ちなかったからだ。しかしドイツ語原書はハードルが高い、日本語よりはドイツ語に近い(?)英語を介せば何かヒントがつかめるかもしれないと思った次第。
まず知りたかったのは、ベックは彼なりのリスクの定義を述べているか、ということ。英訳には詳細な索引が付いているので、すぐに以下のような記述が見つかった。
リスクの定義が非常に明快に書かれているが、これはスコット・ラッシュとブライアン・ウィンによる序文。このテキストは邦訳にはない。索引の「risk difinitions」にはそのほかいくかの頁が示されているが、いずれもリスクという概念をクリアに定義した文章ではなく、リスク、というか、リスクとみなされるものの定義を、メタなレベルで議論している文章である。
僕が知りたかったことの1つは、ベックは「リスク」を「危険」と区別して議論しているかということだったのだが、どうやら彼はルーマンとは違ってその区別にはこだわっていないようだ。英訳には「risk」以外に「danger」という単語も散見されるが、後者はごくわずかなうえ、特にそれらの相違を議論した部分は見つからない。やはりこの件については、ルーマンの『リスク:社会学的理論』(『リスクの社会学』の英訳)などを参照すべきなのだろう。邦訳は残念ながらないようだ。
リスク社会においては、われわれの生活を快適にするはずの技術が同時にリスクも生産してしまうため、ひとたび事故が起こればリスクは万人に等しくふりかかることになる。原発事故がそうであったように。
http://t.co/sUGKAmu4
僕がとくに引っかかったのは「リスクは万人に等しくふりかかる」という部分だ。ある研究者は、斎藤氏とは違うように援用していた。つまり、富の配分が不平等であるように、リスクの配分も不平等ではなく、リスクは人々に不平等にふりかかる(大意)、と。
僕自身は数年前、修士論文を書くために邦訳『危険社会』(法政大学出版)を読んだとき、非常に多くのことを学びながらも、最も気になったのはその辺りのことである。ベックは両方書いているのだ。ある部分ではリスクは「等しく=平等」にふりかかるという意味のことを述べ、別の部分ではリスクは不平等にふりかかるという意味のことを述べている。おそらくベックは両面を見ているのだろう。しかし彼が『リスク社会』(=『危険社会』)を出版した時点で、つまりチェルノブイリ事故が起きた年でもある1986年に強調したのは、どうやら前者であるようだ。たとえば
危険社会では(階級社会とは異なり、危険とのさまざまなかかわりが客観的にみて同一のものとなってくる。極端にいえば、敵と味方、東洋と西洋、上と下の関係、都市と地方、黒人と白人、南と北などは、文明の中で増大している危険の圧力に等しく曝されているのである。危険社会は決して階級社会と同じではない。(邦訳71頁、英訳47頁)
つまり斎藤氏の援用に問題はない。彼は標準的な解釈を取っている。僕が問題にしたいのは、むしろベック自身の立論だ。率直にいって間違っていないだろうか。僕がそう思うのは、いわゆる健康格差論、健康の社会的決定因子論の知見は逆のことを示し続けているからであり、ベックの議論はあまりにもそれからかけ離れていると感じられるからである。そしてその印象は、東日本大震災をめぐる、ある研究者の真摯な考察を目にしてさらに強まった。蛇足ながら、ある事情で、昨年、ではなく、一昨年の『防災白書』に目を通したときにも。
しかし、それは後知恵、後出しジャンケンにすぎないかもしれない。ベックは『リスク社会』以降も論考を発表しつづけているが、僕はそれらを消化できていないということもある。
そしてつまらない後出しジャンケン、重箱の隅つつきよりも重要なことがたぶんある。
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