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みずもり亭日誌2.0

2016-02-10 お蔵出し:米研究者が「STAP細胞」の再現に成功!?

医療情報サイト「Medエッジ」2015年12月13日付で「米研究者が「STAP細胞」の再現に成功!?」という論評記事を発表させていただいたのですが、同サイトが終了してしまったので、記事も消えてしまいました。原稿をここに採録させていただきます。実際に掲載されたものとは改行などが異なる可能性があります。また小さなミスをしてしまい、15日付で訂正を入れたのですが、以下はその訂正を反映させたものです。ご参考までに。全文引用にしておきます。


研究者が「STAP細胞」の再現に成功!?

対象も方法も結果もまったく異なる研究。1万歩譲っても「研究不正」は揺るがない



 12月12日、私は東京で、研究倫理に関するシンポジウムを傍聴していました。少し疲れてスマートフォンを覗いてみると、「STAP細胞はやっぱりあったのか!?」、「小保方さんは正しかったことを海外の研究者が証明し、論文が『ネイチャー』に掲載された!」といった情報がソーシャルメディア上で飛び交っていることに気づきました。

 結論から述べると、その理解は誤りです。


■「損傷」という刺激で「多能性様細胞」ができた、が……


 根拠とされている論文は「損傷によって誘導された筋肉由来幹細胞細胞群の特性評価」という題名で、米テキサス医科大学研究者らがまとめ、『ネイチャー』と同じ出版社が発行する『サイエンティフィック・リポーツ』という電子ジャーナルに掲載されたものです。

 題名からわかる通り、この論文は、マウスの足を「損傷(怪我)」させて筋肉の細胞を刺激し、その後に採取・培養したところ、多能性幹細胞、つまりES細胞iPS細胞のように、さまざまな細胞になることができる細胞に“似たもの”ができた、という実験結果をまとめています。著者らはこの細胞を「iMuSC細胞(損傷誘導筋肉由来幹細胞細胞)」と名づけています。彼らはこの研究を数年前から行っており、初期実験の結果をすでに2011年の『プロスワン』で発表しています。今回の論文はその延長にあるものです。

 一方、2014年、当時理化学研究所にいた小保方晴子氏らが「STAP細胞」または「STAP現象」として主張したことは、マウス脾臓から採取したリンパ球を弱い酸性の液に25分ひたしたところ、ES細胞iPS細胞をもしのぐ多能性(さまざまな細胞になる能力)を持つ細胞ができた、ということです。この実験結果は有名な研究者らとの共著で『ネイチャー』に掲載されました。しかしご存知の通り、数多くの研究不正があることが指摘され、STAP細胞とされたものはES細胞である可能性が高いこと、複数の図表に改ざんがなされていたことが確認されました。また、論文通りに実験しても、再現性がまったくないことも確認されました。論文は同年中に撤回され、小保方氏は理研を退職しました。

STAP細胞」は、正確な日本語訳では「刺激惹起性多能性獲得細胞」といいます。つまり、iPS細胞のような遺伝子導入ではなくて、物理的な刺激を与えるだけで多能性を持たせることができた細胞、という意味です。ある時期からその仮説は「STAP現象」と呼ばれるようにもなりました。


■対象も方法も結果も異なる


 今回、テキサス医科大学研究者らが行なった実験は、マウスの筋肉細胞に「損傷」という物理的な刺激を与えた、というものです。したがって、「STAP」の定義にあてはまらないこともありません。

 しかし方法がまったく違います。小保方氏らもさまざまな刺激方法を試したそうですが、最終的に成功したものとして論文にまとめたのは、酸です。それに対して、テキサス医科大学研究者らが行なった刺激は、「損傷(裂傷)」です。実験対象も、小保方氏らはリンパ球、テキサス医科大学研究者らは筋肉細胞なので、まったく異なります。

 これらの事実からだけでも、今回の論文が、小保方氏らの方法によるSTAP細胞またはSTAP現象の再現を確認したわけではないことが簡単にわかります。

 そして結果も異なることが重要です。研究者らは、このiMuSC細胞が3種類の胚葉(内胚葉、中胚葉、外胚葉)に変わることは確認しましたが、「キメラ」という多能性の確認方法でも「完全な生殖細胞系の遺伝」は確認できなかったと明記しています。つまり生殖細胞にはならなかったということです。この論文では、分化し終わった筋肉細胞を「損傷」することによって「部分的に(partially)」初期化することができ、「多能性様状態(pluripotent-like state)」にすることができたと主張されているのですが、「部分的に」や「様(-like)」という言葉遣いからわかるように、体細胞初期化や多能性の獲得に、完全に成功したとは述べていません。小保方氏らが『ネイチャー論文で成功したと称したこととは異なるのです。


■小保方氏らの論文を明確に否定


 この論文には、確かに小保方氏らが2011年に『ティッシュエンジニアリング』誌で発表した論文への言及があります。STAP細胞を報告した『ネイチャー論文へとつながるものです。しかし、その部分を翻訳すると、

 成体組織中に多能性様細胞が存在するということは、何年も論争の話題になってきた。というのは、矛盾する緒結果が複数のグループから報告されてきたからだ。しかしながらこれまでのところ、そのような多能性幹細胞体細胞組織からつくることができたという研究は存在しない。

 となります。「複数のグループ」に9から15までの文献註が付いていて、13が小保方氏らの論文です。つまり著者らは小保方氏らの2011年論文を「矛盾する緒結果」の1つとして紹介したうえで、成功したものとは認めず、明確に否定しているのです(撤回された『ネイチャー論文については言及すらされていません)。

 ちなみに13以外の文献註には、米国研究者がつくったという「MACP細胞」や日本の研究者がつくったという「MUSE細胞」などの論文が挙げられています。STAP細胞ばかりが取りざたされがちですが、体細胞から多能性のある細胞をつくろうとした研究は珍しくはないのです。

 いずれも今回の論文の著者らが書いている通り、確固とした評価は得られていないことが知られています。

 さらにいえば、『サイエンティフィック・リポーツ』は、確かに査読のある学術ジャーナルではあるのですが、査読の基準は「技術的妥当性」のみで、「個別論文の重要性については、出版後、読者の判断にゆだねます」と明言されている電子ジャーナルです。いわば、ごく予備的な実験結果を示して、読者の意見を求めることを目的にして書いたものも掲載される媒体です。読者はその分を割り引いて解釈することが前提になっています。

 このiMuSC細胞もまた、再現実験など科学と歴史による評価を待つことになります。

 小保方氏らの『ネイチャー論文は撤回されましたが、否定されたのは小保方氏らの方法であって、遺伝子に手を加えることなく体細胞初期化して多能性を持たせる、というアイディア(仮説)ではありません。iMuSC細胞に続き、そのような細胞が今後も登場する可能性は十分にあります。その再現性が確認されたとしても、『ネイチャー論文における研究不正が取り消されるわけではないのですが、今回と同じような混乱や誤解、曲解がまた生じることも予想されます。


■「再現性の有無」と「研究不正の有無」は別問題


 繰り返しになりますが、強調しておきたいのは、「再現性の有無」と「研究不正の有無」はまったく別問題だということです。100歩、いや1万歩譲って、テキサス医科大学研究者らの実験結果は小保方氏らの主張する「STAP現象」の再現に成功したものだとむりやり解釈しても、そのことは、研究不正がなかったということを意味するわけではありません。

 小保方氏が複数の図表を改ざんしたこと、STAP細胞と称されたものが実はES細胞である可能性が高いことは、理研自体も調査結果をもとに認めました。今回の論文には、このことを覆す要素はありません。したがって小保方氏や共同研究者理研早稲田大学の名誉回復にはまったくつながりません。

 にもかかわらず、ソーシャルメディア上では、誤解が拡散したのです。「STAP細胞はあってほしい!」と思っている人もいるようです。残念ながらそうした願望は思い込みに変わりやすく、思い込みはデマを生みます。日本社会は2011年3月11日以降、デマの弊害を経験してきたはずです。ましてや、デマによって責任ある者たちが免責されることなどあってはならないことでしょう。


文献情報

Vojnits K. et al. Characterization of an Injury Induced Population of Muscle-Derived Stem Cell-Like Cells. Sci Rep. 2015 Nov 27;5:17355. doi: 10.1038/srep17355.

http://www.nature.com/articles/srep17355

2015-12-31 恒例!? 今年観た映画のベスト3

このブログでは、毎年大晦日、僕がその年に観た映画のベスト3を紹介しています。

今年は試写を含めると100本弱の映画を劇場で鑑賞しました。去年よりはちょっと少ないかもしれません。

今年は、いや今年もシリーズやリメイクリブートが目立ちましたね。偶然でしょうが、今年はほんとに僕が好きなシリーズものの新作が多く、そのなかには当然ながら印象深いものもあったのですが……それらは思い切って対象外とし、ベスト3には入れないことにし、後述することにします。

では以下、順不同で…。


●『草原の実験』(アレクサンドル・コット監督)

タイトルと宣伝文句から、結末は予想できてしまったのだが、面白くなかったわけではない。それどころか、台詞はまったくないまま、これでもかというほと次々に展開する美しいシーンに目を奪われた。タルコフスキーキューブリックウェス・アンダーソンの諸作品を思い出せなくもなかったが、ほとんど見たことのない新しいタイプの映画といってもいいだろう。実験を扱った実験的な映画である。そして描かれているテーマを考えると、3.11を経験したはずの日本で、いまのところこの作品に匹敵する作品がないことを残念に思う。

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●『ハーモニー <harmony/>』(なかむらたかしマイケル・アリアス監督)

いわずと知れた天才作家・伊藤計劃の遺作をアニメ映画化するという「Project Itoh」の第2弾。僕は幸か不幸か、いやたぶん不幸なことにこれまで原作を読む機会がなかったのだが、評判がいいらしいと仄聞したので、なんとなく観てみたところ……アニメ映画でここまでの衝撃を受けたのは、『イノセンス』(押井守監督)以来かもしれない。ジャンルとしては、これまで飽きるほど観てきたいわゆるディストピアもので、映画にしては台詞が多すぎるという欠点もあるのだが、フーコーやそのフォロアーのいう「生政治」を最もラティカルに解釈し、想定した未来社会が描かれた作品であるのは間違いない。その後、「Project Itoh」を遡るかたちで『屍者の帝国』(牧原亮太郎監督)も観てみたところ、こちらは普通に面白い歴史SF(?)映画だったのだが、登場人物たちが築こうとする「理想」が、『ハーモニー』とほとんど同じで、原作者・伊藤計劃の作家性を強く感じた。そしてその「理想」とは、『イノセンス』で主人公バトーが、ハラウェイやキムから提示され、惹かれつつも抵抗する「理想」ときわめて近いことも興味深い。いつか考察してみたい。

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●『野火』(塚本晋也監督)

これまたいわずと知れた大岡昇平の同名小説を映画化したもの、もっといえば二度目に映画化されたものである。少し遅れて秋に鑑賞したのだが、劇場で観ることができてほんとによかった。監督のインタビューなどでは、制作費に苦労したとのことだが、観た限り、安っぽさを感じることはいっさいなかった。『プライベートライアン』など、ハリウッドの大作戦争映画に匹敵する力作。戦争という極限状態であらわになる人間の残酷さがそのまま残酷に描かれているのだが、日常・平時との距離はいかほどだろうか−−。

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○そのほか


ではシリーズものについて。『マッドマックス 怒りのデスロード』(ジョージ・ミラー監督)、『攻殻機動隊 新劇場版』(黄瀬和哉監督)、『007 スペクター』(サム・メンデス監督)、そして『スターウォーズ フォースの覚醒』(J・J・エイブラムス監督)は、シリーズそのものに思入れがありすぎて、冷静に批評できません(苦笑)。一言ずつのみ述べておくと、『マッドマックス』はまさかのフェミニズム映画であったことに驚き、『攻殻機動隊』は押井や神山の攻殻作品をオマージュしつつも媚びない姿勢が好ましく、『007』は(前作に続き)古さと新しさが入りまじった完成度に感心した。そして『スターウォーズ』は、旧シリーズへのオマージュが多すぎて新作というよりはリメイクにも見えてしまったともいえるが、その一方で新しいキャラクターたちが素晴らしく、いい意味で謎も多く、次作が心から楽しみになる一作だった。『ターミネーター』のリブートと『ジュラシックワールド』は、まあ観ている間楽しかっただけでいいとしましょう。『アベンジャーズ』も楽しかったけど…次の『シビル・ウォー』のほうが面白そうですね。しかし、楽しみだったのが『007』、『スターウォーズ』、『ジュラシックパーク』、『マッドマックス』、『ターミネーター』なんて、今年はいったい何年だったしょうか(苦笑)。

『顔のないヒトラーたち』、『ヒトラー暗殺、13分の誤算』、『ミケランジェロプロジェクト』、『黄金のアデーレ』など、ナチスがからむ映画が多かったように思うのは気のせいかな。

来年もよい作品に出会いたいものです。みなさん、よいお年を。

2015-08-31 『草原の実験』

午後、ふと試写があることに気づき、いつもの京橋の試写室で『草原の実験』(アレクサンドル・コット監督)という映画の試写を観てきた。これが予想外の傑作だった。

映画の舞台は数十年前の旧ソ連圏のどこか。後述するような雰囲気から、1950年代カザフスタンあたりだろう、と予想して観ていたのだが、後でプレスキットを読んだところ、1949年カザフスタンをモデルにしているようだ。

見渡す限り草原の大地に立つ一軒家で、少女が父親と暮らしている。少女も父親も、ボーイフレンドっぽい少年もモンゴロイドである。そこに白人の少年が訪れて、三角関係のようなやりとりがなされる。

ひたすら美しい画面が続く。父親が夕日を食べているように見せるところなど、美しいだけでなく、ユーモアや安心感をもたらしてくれるシーンがすばらしい。しかし、そんな平和は続かないのだ。

あるとき、父親が体調を崩し、近くでとてつもないことが起きていることがわかってくる…。

『草原の実験』というタイトルと「タルコフスキーの『サクリファイス』を想起させ…」、「“風吹く”ロードショー」といった宣伝文句からその後の展開は想像ついたのだが、実際、想像通りにに物語は進んだ。しかし物語が想像通りだったからといって、つまらなかったわけではない。

この映画の作品としての最も大きな特徴は台詞がないこと。しかし物語は十分すぎるほど伝わってくる。映画には過剰な台詞など不要、という映画通・映画人たちがよく口にする見解を再確認した次第。台詞がない映画はいくつかあるが、僕はキム・ギドグ監督の『春夏秋冬そして春』を思い出した。無口な親子が終末に向き合う、という展開は、数年前に観た『ニーチェの馬』(タル・ベーラ監督)に似ているかもしれない。

僕が強く惹かれたのは、音、色、光、そして構図である。とりわけ、これでもかというほど頻発する左右対称の構図の美しさに目を奪われた。もしかすると、全カットの半数以上が左右対称かもしれない。当然ながら、スタンリー・キューブリックウェス・アンダーソンの諸作品を思い出した。主題が近いものとしては、チェルノブイリ事故後に放棄された街を撮ったドキュメンタリー映画なのに、左右対称の画面が頻出する『プリピャチ』(ニコラウス・ゲイハルター監督)をも想起させた。

実験が描かれる実験的な映画である。秀逸。すべての人にとって面白い作品ではないかもしれないが、3.11を経験した多くの人に観てほしい作品である。そして3.11後の日本で、近い主題を扱った映画はたくさん制作されているのに、どれもこの作品に及ばないことを残念に思う。

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2014-12-30 今年観た映画ベスト3

ごぶさたしています。こちらでは…。

さて今年も観た映画ベスト3を書きます。

今年はおよそ100本の映画を劇場で観ました。毎年この時期にベスト3を書いていますが、年によっては「ベスト3」といってもその「分母」、つまり観た映画の総数が少なくて、自分で書いてて説得力が弱いと思ったこともありました。今年はまあまあでしょうか(それでもいくつか重要作を見逃しています)。

ということで、順不同で−−。


●『猿の惑星 新世紀(ライジング)』(マット・リーヴス監督)

この枠(?)にこの作品を挙げるか、それとも『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』を挙げるか迷った。いわずとしれた『猿の惑星』シリーズのリブート版2作目である。前作でシーザーたち類人猿が人間社会に反旗を翻してから後、“猿インフルエンザ”の流行により人類がほぼ死滅した未来社会において、独自の文明を築きつつある猿たちとわずかに残った人間たちとの出会い、そして争いが描かれる。猿の側にも人間の側にも、いわゆるタカ派ハト派がおり、一瞬だが両者のハト派どうしによって共存の可能性が示されたのだが、しかし…。戦争というものはこうして引き起こされるのだなあ、と実感させる一作。アクション、特殊メイク、CDなども文句なし。リブートもの、リメイクもの、続編ものには、手抜きや安易さを感じることも少なくないが、その側面にもおいても1つの理想型・模範となるものであろう。

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●『イーダ』(パヴェウ・パヴリコフスキ監督)

舞台は1960年代のポーランド修道院に暮らす1人の少女がある日、自分がユダヤ人であることを告げられ、自分の両親について知るため、判事をしているという叔母を訪ねる旅に出る。その過程で、ナチスにもソ連にも翻弄されてきたポーランドにとって、おそらくは最も知られたくない歴史的事実が徐々に浮かび上がる…。(このあたりの展開は、ポール・バーホーベン祖国オランダの暗部を描いた『ブラックブック』を彷彿とさせる。)また、主人公の修道尼アンナ=イーダにも変化が訪れるのだが、彼女の最後の選択は少し意外にも思えるし、当然にも思える。要所要所で流れるジャズやモノクロの映像も印象的。

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●『ホドロフスキーのDUNE』(フランク・パヴィッチ監督)

僕はホドロフスキーのファンではない。大学生のとき、ジョン・レノンなどが絶賛していると知って、『エル・トポ』などいくつかの作品をVHSで観たが、まったく理解できなかった。その後、『エル・トポ』のリマスター版がつくられたとき試写で観たが、とりあえず画面で何が展開されているのかだけを理解することができた。また、デヴィッド・リンチ監督の『デューン/砂の惑星』は好きでも嫌いでもないが、評判が悪いことは知っており、当初、ホドロフスキーが映画化しようとしていたことはどこかで読んだことがあった。本作は、その挫折したホドロフスキー版『DUNE』がいかにして企画され、進められ、そして挫折したかを、当事者たちへのインタビューをまじえて問い直したドキュメンタリー。挫折した企画のメイキング・ドキュメンタリーなんてそもそも成立するのかよ、と思いながら観てみたところ、ギーガーメビウスミック・ジャガーピンク・フロイド、ダリ、オーソン・ウェルズなど、とんでもない人物たちの関与が次々と明らかにされ、そして、『DUNE』という企画そのものはつぶれてしまったものの、ホドロフスキーを中心に彼らが生み出したアイディアが、『エイリアン』や『スター・ウォーズ』にも大きく影響したことが描かれる。映画史ドキュメンタリー(?)の傑作であろう。

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◯総評など

ベスト3に入れるかどうか、いちばん迷ったのは『インターステラー』(クリストファー・ノーラン監督)である。いくつか疑問点もあるものの、文句なしに面白い作品であったし、『2001年宇宙の旅』のフォロアー的映画としても素晴らしかったのだが、ほかに挙げるべき作品があったので、次点にとどめておく。

ドキュメンタリーでは、『大いなる沈黙へ』(フィリップ・グレーニング監督)、『リヴァイアサン』(ルーシャン・キャステーヌ=テイラーほか監督)、『聖者たちの食卓』(バレリー・ベルトーほか監督)のように、ナレーションはもちろん、インタビューさえほぼない、というスタイル−−フレデリック・ワイズマン的作風?−−でつくられた作品が目立ったような気がする。説明や台詞を使わなくても、伝わるものは伝わる、という命題は、劇映画によってもよい教訓になるのではないか。

よかったのは以上ですが、逆に悪かったのは…あまりいいたくありませんが、「裏切られた」という意味では、『トランセンデンス』、『LUCY』、『荒野はつらいよ』あたりでしょうか…。

すごくよかったわけでも、悪かったわけでもありませんが、『複製された男』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督)は、初見で理解できなかったことが少し悔しかったです。

総じて、収穫の多い年だったように思います。来年もいい作品にめぐり合いたいものです。みなさん、よいお年を。

2014-09-07 『THX1138』、『1984』、『すばらしい新世界』、『1Q84』

ごぶさたしています。こちらでは…。

昨日、東京海洋大学海洋科学部での非常勤「生命文化」の最終回を終えることができた。

その前の講義では、ジョージ・ルーカスの劇場デビュー作『THX1138』を題材に「ユートピアディストピア」について話した。『THX1138』を一例として、人々はユートピアディストピアをどのようにして描いてきたか、想像してきたかということでもある。

その過程で、ジョージ・オーウェルの小説『1984』やオルダス・ハクスリーの小説『すばらしい新世界』について話したのだが、学生からのリアクションペーパーで、村上春樹に『1Q84』という小説作品があり、あれはディストピア的な話ではなかったように思います……という意見があった。いい指摘だと思う。授業の中で話し忘れたことでもある。

語るべきことはやまほどあるのだが……とりあえず、『1Q84』では、オーウェルがいまでいう「現存(した/する)社会主義国家」を想定して予言したものとは違う1984年が進行中であること、そこでは実在する団体をモデルとしているらしきカルト団体が描かれていること、彼らは彼らなりのユートピアをめざしていること、などは認められるだろう。

そして興味深いことに、『THX1138』のDVDにおけるオーディオコメンタリー(音声解説)によると、ルーカスはこの映画を撮影するにあたり、坊主頭のスタッフが足らなかったため、「シナノン」という団体のメンバーをエキストラとして大勢雇ったという。その後、彼らがまさに『THX1138』のような世界をつくって生きる集団へと変貌してしまったことに、ルーカスは驚いたらしい。

調べてみたところ、シナノンは1950年代チャールズ・デートリッヒという人物が設立した薬物中毒患者の自助グループだったらしい。シナノンはコミューン化し、事業や学校を始め、メディアやセレブに注目されていった。その過程で、メンバーらは結束を固めるためであろうか、女性も含めて髪の毛を剃り、子どもをつくることが制限されるようになった。既婚のメンバーは離婚させられ、男性にはパイプカット、女性には強制的な中絶なども行われたという。ようするにカルト集団化したわけだが、この手のグループではよくあるように、やがて彼らは暴力事件などを起こして自壊したという。


参考:Synanon's Sober Utopia: How a Drug Rehab Program Became a Violent Cult

http://paleofuture.gizmodo.com/synanons-sober-utopia-how-a-drug-rehab-program-became-1562665776


どうしても、『1Q84』に出てきた「証人会」や「さきがけ」、そしてそれらのモデルになったといわれる実在の団体を思い起こさせる。

現存社会主義国家もカルト集団も、それらを始めた人々は、少なくとも当初は彼らなりのユートピアの実現を目指していたはずだ。しかしその実質的な成功は困難らしい。彼らがつくりあげた社会は、ある成員にとっては居心地がよい一方で、別の成員にとっては不快かもしれない。そうした状況は抑圧や内紛を起こすだろう。かろうじてそうした状況をごまかすことができても、あまりにも外部との違いが激しい社会は、外部との摩擦を起こしうる。

その一方で、現行の資本主義、あるいは「資本制」はユートピア実現に成功しているのだろうか? そのように考えるナイーブな人はほとんどいないだろう。

社会主義な社会もまたディストピア化しうることを、ハクスリーは、オーウェルが『1984』を書く前に、当然のように示唆していたように思う。『THX1138』には、『1984』だけでなく『すばらしい新世界』を参考にした痕跡がある。『1Q84』には、『すばらしい新世界』への言及はないが、1984年には「ビッグ・ブラザー」ならぬ「リトル・ピープル」の出現が描かれている(が、その解釈はきわめて困難である)。

学生からは、「ユートピアを描いた文学や映画ってありますか?」という質問もあった。前々回はトマス・モアの『ユートピア』やジョナサン・スウィフトの『ガリバー旅行記』などを紹介した。映画では宮崎駿の『風の谷のナウシカ』など挙げてもいいかもしれない。文学では、コミューンのポジティブな側面が描かれている作品として、池澤夏樹の『光の指で触れよ』がいいかもしれない。この作品がハクスリーと同名の『すばらしい新世界』の続編作品であることは意味深である。

また、ウォシャウスキー姉弟らの『クラウド アトラス』のネオ・ソウルのパートでは、まさに「消費主義」の浸透したディストピアが描かれる。最後の講義では、これまでの総括として、『クラウド アトラス』を題材に、「ジャンルミックス」やメディアの時代的役割、ユートピア観の対立、それを前提とする抑圧とそれへの抵抗という物語における普遍的テーマ、などについて話した。レポートの課題もこの作品についてのものとした。

この講義やその過程で鑑賞した映画を通じて、科学技術の功罪、異なるユートピア観の対立のやっかいさ、映画というメディアの面白さ、メディアを読み解く能力の重要性などが、学生さんに伝わればいいな、と思う。さて、その成果はいかに−−

THX 1138

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一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

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1Q84 BOOK1-3 文庫 全6巻 完結セット (新潮文庫)

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ユートピア (中公文庫)

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ガリヴァー旅行記 (岩波文庫)

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風の谷のナウシカ [DVD]

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すばらしい新世界 (中公文庫)

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