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みずもり亭日誌2.0

2012-02-01 『サラの鍵』、『パーフェクト・センス』

『サラの鍵』

22:02

 午前中、がががっと原稿書いて、昼頃新宿へ。インド料理店で打ち合わせし、ディスクユニオンプログレ館でCD数枚購入してから新宿武蔵野館へ。今日は映画の日

 まずは『サラの鍵』を観る。パリ在住のアメリカ人記者である女性の主人公は、第二次大戦中のユダヤ人迫害について取材し始める。その過程で、自分の夫が祖父母から譲り受けた家には、収容所に送られたユダヤ人家族が住んでいたことを知る。

 そこにはサラという少女がいた。サラは家族とともに警察に検挙されるとき、弟を壁の物入れの中に隠した。「すぐに帰ってくる」と。サラたちは収容所に送られるが、彼女はそこをなんとか逃げ出して……主人公は存命の関係者を訪ね、サラの人生を少しずつ知っていく。彼女はその後どうしたのか? 生きているのか? そして彼女自身の人生も、それに呼応するかのように変わっていく。時代は1940年代と2000年代を行き来し、少しだけ60年代も描かれる。舞台はフランスドイツ(?)、アメリカイタリアと次々に変わる。

 主人公が知ったサラの運命は……もちろんここでは書かないが、プーリモ・レーヴィのそれを彷彿とさせる、と書けばそれで十分であろう。秀逸。どのレビューも絶賛していたのは当然である。

 この映画には原作小説がある(タチアナ・ド・ロレ『サラの鍵』新潮社)。ストーリーそのものはフィクションらしいが、サラが巻き込まれる「ヴェルディヴ事件」は実際にあったらしく、『黄色い星の子供たち』という映画にもなっているらしい。どちらもチェックしておきたい。

『パーフェクト・センス』

22:02

か「いやあ、われわれとしては必見の映画と思われる映画を観てきたよ」

さ「『と思われる』って何?『われわれとして』ってことは、科学関係?」

か「うん、もちろん科学関係なんだけど」

さ「トークライブのネタになりそうな映画ってことね? ライフサイエンス? 原子力?」

か「いや感染症

さ「ほう、われわれとしては、ウイルス・パニックもののトークも準備中だからね。でも感染症映画だったら、昨年公開された『コンテイジョン』がすごくよくできていたので、あれを超えるものってなかなかないと思うけど」

か「僕もそう思ったよ。『コンテイジョン』は、いくつかいいたいことがないわけではないけど、ものすごく完成度が、とくに科学考証の点で高かったのは事実。それまでのパニック系感染症映画って、どうしても荒唐無稽になりがちがったからね」

さ「ま、なんてったって、『CDC(疾病管理センター)監修』の映画だからね。で、今日あんたが観てきたのは?」

か「言ってなかったっけ?『パーフェクト・センス』。知っている?」

さ「うーん、どっかの映画館で予告編観たことあるかも…」

か「ま、僕もせっかく新宿武蔵野館で『サラの鍵』を観るんだから、ついでもう1本何か観ようと思ってネットで調べてみたら、同じところでこれをやっていると知って観てみたんだけどね」

さ「誰が出ているの?」

か「何を演じてもジェダイ騎士に見えるユアン・マクレガー

さ「で、どんな話? トークに使えそう?」

か「それがですねえ。ストーリーはだいたいこんな感じ。まず主要な登場人物は、ユアン・マクレガー演じるシェフのマイケルとエヴァ・グリーン演じる疫学者のスーザン。この二人の恋愛が物語の中心。イケメンと美女が出会ってすぐに恋に落ちるっている映画的展開は観ているだけでムカムカとするんだけど…」

さ「あいかわず、そういうところにはカラむねえ(苦笑)。で、どんな病気が蔓延するの?」

か「まずは深い悲しみに襲われ、その後、嗅覚がなくなってしまう」

さ「え、それが感染症なの?」

か「そう、それでスーザンは科学者としてそれに取り組む」

さ「で、疫学調査して原因を突き止め、その一方でウイルス学者が抗体をつくるとか」

か「それは『コンテイジョン』。結末をいう前に、実はまだ病気が続くんだよ。人々が匂いのない世界に慣れ始める。たとえばシェフのマイケルはスパイスの利いた料理を開発し、客に出す。しかし新しい病状が出始めるんだよ」

さ「新しい病状って、同じウイルスで?」

か「そこのところはちょっとはっきりしないんだけど、とにかく今度は、世界中の人が猛烈な飢えに襲われて、手元にあるものを何でもがつがつと食べ始める。嗅覚が消える前に現れた症状は、うつ病のような印象があったけど、今度のは、あえていえば摂食障害かな。とにかく病的。でもそれも短時間で終わり、人々はふと我にかえる。そして味覚がなくなってしまったことに気づく」

さ「何食べてもわかんなくなるんだ。シェフは失業だね」

か「そうなると思うでしょ? ところが人々は、味覚のない世界にもやがて慣れ始める。マイケルも、熱や食感を工夫した料理をつくって客を喜ばせる。そして二人の恋愛も進むんだけど、それを観ているとまたムカムカと…」

さ「それはいいっつーの。で、ワクチンはできるの? それとも抗ウイルス薬?」

か「いや、また新しい病状が現れるんだよ」

さ「またかよ。別のウイルスじゃないの?」

か「そうかもしれんが、そのことはこの映画にとってはどうでもいい」

さ「で、今度は?」

か「今度は人々が激烈な怒りにかられ、近くの人になぐりかかり、暴徒と化す。二人もケンカ別れする」

さ「あんたにとっては、いい展開じゃん」

か「あのな〜、そこまで性格悪くないよ、俺」

さ「そ。で、今度は聴覚がなくなるんでしょ」

か「その通り。みんな耳が聞こえなくなる。そして隔離政策がとられ、耳の聞こえない者は原則として外出を禁止される。しかし今度もまた、人々は音のない世界に慣れ始めるんだ。みんな手話を憶えたりする」

さ「ほほう。で、そうなると次は視覚と触覚だね。その前に何かまた新しい病状が起こるんでしょ」

か「その通りなんだけど、これ以上いうとネタバレになりそうので、もういわない」

さ「ネタバレならもうとっくにしているよ」

か「で、次の展開が起きたところで映画は終わる」

さ「ワクチンも抗ウイルス薬もなし?」

か「なし。この映画では、科学はまるっきり無力。ついでながら陰謀論とかもなし」

さ「ほほう。『コンテイジョン』とはずいぶん違うね」

か「そう。ようするにこの映画は、ウイルス・パニックものとか感染症映画とか呼んでもいいんだけど、多くのそれらとはまったく違う雰囲気とメッセージを持っている。人間はどんな苦難に会ってもそれに立ち向かったり適応したりすることができる。そのなかでも人は愛し合える。そんなところかな」

さ「なるほど、感染症は単なる小道具なんだ」

か「ま、そういうことになるかもね。あとね、この映画の感染症が各五感を奪う前に起こす病状って、悲しみであったり、飢えであったり、怒りであったり……ようするに動物的かつ人間的なことなんだよね。人間のある一面を極端化した後で、人間のある能力を奪う。それがこの病気なんだけど、病気といえるかどうか。そして人間はそれさえも克服してしまうところが、また人間的であったりする」

さ「ほほう。その解釈は面白い。トークライブのネタに使えるかどうかば微妙だけど」

か「まあね。でもね、東日本大震災でダメージを受けてしまった日本人には、ぜひ観てほしい作品ですよ」(了)



…以上、某事情で、対談調でお送りしました。なお「か」および「さ」というキャラクターは、実在の人物とはまったく関係ありません(笑)。