『ミッドナイト・イン・パリ』

本日は国士舘大学町田キャンパス(21世紀アジア学部)の非常勤「生命科学と21世紀社会」の第8回目だった。テーマは「出生前診断」について。そのバリエーションをひと通り説明し、ある動画を見せた。今年は人数が多くて1人ひとりをケアできないため、学生の反応が非常に悪く、モチベーションは下がる一方だったのだが、今回は、授業中はあいかわらずだったが、少なくともリアクションペーパーはかなりマシになった。テーマによるのだろうか? 出生前診断って、そんなにメジャーなテーマだったのだろうか!?
非常勤終了後、新宿で何か映画を観ようと思ったのだが、若松孝二ウディ・アレンかで少し迷い、結局、後者の新作『ミッドナイト・イン・パリ』を新宿ピカデリーで観る。僕はもちろん、かつてはウディ・アレンのファンだったのだが、いつのころからかあまり面白くなくなり、ここ数年は、新作が公開されると知っても、見逃すことが多くなっていた。ところが、今作は前評判が非常によい。ということで、タイミングもよかったこともあり、観てみた次第。
で、ものすごく面白かった。主演はさすがにウディ・アレンではない。オーウェン・ウィルソン演じる主人公が、婚前旅行でパリにやってきて、ある夜、1920年代のパリにタイムスリップしてしまう。そこにはゼルダ&スコットフィッツジェラルドのほか、ヘミングウェイピカソ、ダリ、T・S・エリオットらがおり、小説家志望の主人公は興奮しながら日々を送る。彼は、マリオン・コティヤール演じる、ピカソの愛人に一目惚れする。しかし彼が1920年代に憧れているように、彼女は彼女で1890年に憧れていて…というのが主なあらすじ。
僕は村上春樹を通じてフィッツジェラルドを知り、その関係で1920年代のパリに、当時の最新文化を牽引する人々が集っていたことぐらいは知っている。英語圏の作家志望者ならば、憧れて当然であろう。僕も1960年代や70年代の文化をリアルタイムで経験したかったと思うこともなくはない。しかし、そうした思い込みには隘路がある、というのがこの映画の主なメッセージなのかもしれない。
いまの若い人のなかには、1980年代をリアルタイムで経験したかったと思う人もいるのだろうか? いるとしたら、そんなにいい時代でもなかったよ、と1980年代をティーンエイジャーとして過ごした者としてはいっておこう。『ブレードランナー』を劇場で観たというのは、僕としてはちょっとした自慢なんだけどね…。
あまりに面白かったので、また、物語はともかく、登場人物の設定がどこまで史実に忠実で、どこからがフィクションなのかを知りたかったので、プログラムを買おうと思ったのだが、売り切れだった。それだけ人気なのかもしれない。
それにしてもオーウェン・ウィルソンウディ・アレンみたいで笑えた。台詞による知識自慢合戦はあいかわらず昔のまんま。そして…マリオン・コティヤールはやっぱりいいなあ。