記号化される性とセックスファンタジー

セックスってなにもそのなんだ、性行為じゃなくて性差とか思ってくれてもいいんだからね!ふん!

最近ではジェンダーとか言いますかね。
物語を作るということは、ジェンダーを記号化することでもあります。
難しいね。つまりは人間一人一人を描くのではなく、単純化された存在として描くということ。
純化が難しいね。
例えば男性の存在を典型的な存在として描く、ということです。私達は同じ人間とか男性・女性といっても現実には一人一人生き方も考え方も違う、似たような生き方の人が集まっても考え方はそれぞれだったりします。それを一括りにして描いちゃう。
物語を作っていくと主人公以外は(いや、時には主人公すらも)単純化され、記号化されることになります。エロマンガに描かれる女性もそういう記号化されたものが多いですね。人間を記号化することによって、物語はスムースに進行する場合も多く有りますね。一々細かい人物設定にページを割くんであれば、単純化したほうがいいです。それにも増して、典型的なほうが都合がよろしい時もある。冗長になってテーマがぼやけるくらいならば、程度の事として。

記号化される「私の性」

ここで、私がひっかっかるのは「私の性が記号化される」という人々の声でしょうか。例えば。百合作品に見られる「典型化される女性同士の愛」。前にも書きましたが、私も異性愛者ですから、同性愛者の方々の事は解りかねる場合もあります。しかし、ゲイの女性は「女性として女性がすき」なのであろうし、ゲイの男性は「男性として男性がスキ」なわけです。
しかし、フィクション作品にはそうは描かれない場合がある。女子高生の憧れの的は「王子様」のような女の子だったり、男性が魅了される美少年は「男の娘」だったりする。実際にそうした性を持ってらっしゃる方から見れば「いや、そうじゃないんだよ。困ったなぁ」と思われるでしょうね。もっと言えば、そういう性に対する社会的偏見を助長する(深めたり広めたりしてしまう)ことになりかねません。そういう懸念を持たれているのではないでしょうか。いや、そうじゃなくてもやっぱりイヤかなぁ。「こんな絵描くんだからロリコンでしょ」とか言われたら違うわボケぇ、ぐらい思うしなぁ。(今、例えとしてハズした手応えがある)

ファンタジーのタノシミかた

しかし一方で私自身も「ファンタジーとして楽しみたい」という気持ちも持っています。前に書いた「青い花」の感想について「リアルさは求めていない。もっとファンタジーとして楽しみたいんだ」という声があって、私もものすごく同意してしまいました。同時に作品評に「リアル」という言葉を持ち込んだのは失敗だったかな、と反省もしております。青い花のストーリーとて、別にリアル指向なワケではないし、やはり「美しさ」が基準となって作られている「百合物」なわけです。私はこの「美しさ」こそが「百合物」の基準ではないか、と思っていて(異論は認める。まだよく解ってない)耽美と美しさのスレスレを行かなくては成り立たない、微妙なジャンルだと考えとるんですよ。作品個々については語りませんけれども。その辺は酒でも飲みながら深く語り合いたいところでもあります。

美しく描く

そういうスレスレを描こうとするなら、やはり記号化は避けられないかもしれない。しかし、「青い花」はそのスレスレを「美しさ」よりに、記号化を少なくして作られています。記号化を少なくというのは何もそんな難しいことを言ってるんじゃなく、「現実にありそうなことを除外せず描く」ということ。思いっきり単純に例示をすれば「女の子のおマタに毛がはえてる」ことを臆せず描くみたいなことです。(再び、思い切りハズした手ごたえがある。トホホ)ああ、現実ならこういう事が起きるだろうな、てことを排除せず描く。なおかつ「美しく描く」ということ。現実の同性愛者を嫌ってしまえば「美しく」は描けないでしょう。だからといって描きやすく「記号化」するのはどうなんよ。それは同性愛者差別ではないのんかえ?いや、私もワカリマセンけどね。だからそれらを描くときは気を使っちゃうんですよ。そして気を使って使いすぎることは無いであろう、と思います。要は「知らず知らずに差別してしまう自分」を戒めたいと思っておるのです。それは「百合物」「ボーイズラヴ」というジャンルを否定するものではない。どれだけ寄り添えるか、の問題だと思うんです。

記号化される男性。

最初に男性も記号化される、と書きました。これは今はてな界隈で話題になっていることも例外ではない、と考えます。「男は獣だから女性は自衛しなさい。挑発的な服装はおやめなさい」とかの言説ですが、これって男を記号化したお話だよな?と思います。一方で「草食系男子」とか言いながらなんじゃこりゃ、て。男はみんな狼かよ、肉食ジャン。なんだ、草食系男子なんていなかったんだー。こらーっ。
思いっきり失礼ですね、男性に。こういう失礼を知らず知らずに行ってしまう。コレを私は恐れているんですよ?
だから、男性は獣でも狼でもありません。キチンと物事を考えられる人間です。同様に女性が安心して生活できる社会を考えて、実現していける人間なはずです。こういった記号化は男性差別的であると思います。

そう考えれば同じ事

同様に現在の社会で女性に対して、「慎ましやかに暮らせ」というのも現実見てない気がします。時計の針を巻き戻して現状に安穏としたい、てのは違うと。男性達が自由でありたいと同じくらいに、女性達も自由でありたいはず。そして彼女らは自分らの不自由さに気づいてしまった。今や女性達は走り出そうとしています。社会が彼女らに足枷をはめようとしても止まりはしない。少女達は明日を見つめて走っています。彼女らは自分が着たい服を着て、自分がやりたい事を見つけて、自分のために走っていきます。私は彼女らと肩を並べて走りたい。彼女らだけじゃない、いろんな人と肩を並べて走って行きたい。がんばりましょうね。

余計な一言

これについて「オトコがケダモノなら檻に入れとけ」て言説があって、やたらと反発があるようなんですが、それってどうよ?オトコがケダモノで無いならば、檻に入れる必要も去勢する必要も無いんだからいいじゃねぇか。
妄想や創作でガマンできずに現実に痴漢や強姦しちゃうヤツは、私も「しょうがないから檻に入れましょうか」とは思いますけど、オトコ全部がそうではあるまいよ。表現規制問題で散々言われてきたことじゃないか。