地図より



三重県亀山市の関海洋センター隣の銅像には、Googleマップでは「町長の像」とされているが、実際の像のタイトルは「躍動」で、どう見ても町長感がない。素晴らしいなる口コミが付いているのも謎。
町長とは、亀山市に合併される前の'05年まで存在した関町の町長のことを指すと思われ、この像もあまり新しくは見えないため関町の頃に造立されたと思われる。この像と町長の実際の関係は、せいぜい題字の揮毫くらいか。

地図より


富山地鉄電鉄富山駅手前の枝毛のような線路が、かつてJRと繋がっていた短絡線の名残。ここを介して'90年代まで国鉄・JR側の特急が地鉄に乗り入れていた。電圧が異なるため、わざわざデッドセクションを設置していた。
元々地鉄とJRの線路は隣同士だったが、間に割って入るように新幹線が作られたため短絡線も切断。あいの風の線路も新幹線の北に移動+高架化したため物理的に再接続も不可能になり、更に地鉄自身の高架化工事も少し前に始まっており、この短絡線跡もじきに消滅。
現在でも魚津で地鉄×あいの風の線路は一応繋がってはいるが、現在はJR側の検測車乗り入れか地鉄車両の搬出入くらいしか使われていない。

撮影写真より


元々車外広告が多い三重交通では、スペースの狭いポンチョでもしっかり確保。さすがに大型中型のようなバックカメラ両サイドの広告枠こそないものの、ポンチョで後部に広告枠自体を、それもエンジンリッドの部分に設置している例はかなり希少といえる。隣を見ての通り、この細長い広告枠は元々他の車両でも使われているからこそ出来たのかもしれない。
そもそもエンジンリッド部分なんて狭すぎて設置する気が各事業者にないといった方が正しいか。あるにしてもブラックアウト塗装の部分を使う。

地図より


kv234l1.hatenablog.com

京滋バイパス草津市内のうち、この予定道路を通すためと思われる箇所に当たる区間。そもそもここだけ橋の構造自体が異なるが、バイパスの道路上では全く区別がつかず、逆に側道からは色が違うこともありすぐ見分けがつく。
現状では、わざわざ橋に変えたのが無駄に終わってしまうレベルなくらい、くぐる道路が出来る見込みは全くない。橋の前後にある駐車場は恐らく道路の用地になりそうだが、一部開通にするにしてもとても足りない。

撮影写真より


このロンドンバスは、山口県光市・梅田病院の施設として使われている車両で、ロンドン直輸入。同じ山口県内では、下関でかつて実際の営業運行としてロンドンバスが運行されていたが、それとは車種こそ同じルートマスターだが別の車両(下関の車両は運行終了後も市内で静態保存)。

地図より



奈良線にかつて無数に存在した「勝手踏切」。正規の踏切まで回るのが面倒くさい地元住民はみんなここを渡っていた。勿論違反であり、ローカル線でもなく単線時代からそれなりに列車があった奈良線では非常に危険な行為。
何度対策しても収まらなかったから、とうとう複線化の際に強硬手段として、高架区間でもないのに壁を張り巡らせて無理矢理仕切った。但しこれらは奈良線開通前から閉鎖まで普通に生活道路扱いで存在していた区間であり、地元住民はかなり反発していた。

撮影写真より


東武バス日光は、かつてはよその営業所の貸切車を転用してそのまま路線バスで使っていたが、低床化と多客化の観点から、より低くより乗せられる一般路線車にシフトしていき、観光バスタイプの車両は相当減ってしまった。
そんな中で数少ない生き残りの一台である社番5216。非常ブレーキも付いているので新車で日光に来たようにも見えるが、これも伝統に則り元貸切バス。但し貸切としての実働は数年だけ。行先表示は後付けで、整理券発行機のスペースは箱ごと入れ替えた。日光にも乗り入れる、親会社・東武の特急スペーシアXの宣伝仕様。