かなわない。

ありがとうございまし、た:続・空から降ってくるので
カズマ 氏
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さて。
何を書けばいいのか、そもそも何か書けるのか。
何か言葉をかけることができないかと、この週末は雪除けなんかしながらウダウダと考えていたわけなんですけども、まぁ考えてどうにかなる話ではないので。
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私がこの場所に遊びに来て、アイドルマスターというものを認識し、更にニコマスというフィールドを意識するようになった頃というのは2009年のこと。
ここに居る、ここに居た人々の多くが、発信する事に魂を燃焼させていた時期でした。何がそうさせていたのか、というのは、きっと多くの要因が絡んでいて「これが原因です」なんてものは誰にも捉えきることはできないのだろうけれども、とにかく、常にどこかで誰かが大声で何かを叫んでいて、そしてそれに対してより大きな声でレスポンスがある。それは賛同であったり、反発であったり、ぜんぜん関係ないだろそれ、みたいな暴発であったりしました。
で、あの頃はよかったよね、みたいに言えればいいんだけども。そらそういう事ばかりではなくて、もちろん取り返しのつかないこともあったりしました。ただ、その「取り返しのつかないこと」についてさえ、誰かが言及し、本気になって悩み、傷つき、それでも何かを返そうと発信し続ける。そんな時期であったと思っています。
私はニコマスに対する感想として、時に「血の味がする」という表現をすることがあり、その原体験は、まさにその頃に自分の周囲に存在していた日常であったのでしょう。
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「○○はいいぞ」なんて言い回しが流行ってるそうで、お察しの通り私はこのフレーズ大っ嫌いなんですね。
「かわいい」とか「ヤバい」とか、そういう日常の表現については、もうどうすることもできないんでしょう。「どこがどう」かわいくてヤバいのか、なんて説明は、今の市井での会話には求められていない。
でも、何かを本気になって思う人、そこに何かがあると信じ、自分が惹きつけられていることを自覚している者が、それを誰かに伝えるにあたって、自分の中からその思いを取り出し、言葉という形を与えて送り出す。その行為を否定していいのか。わかっている者同士が、何も口にすることなく、お互いが自分の中にあるものだけをよりどころに、それが共有されていると勝手に思い込んだまま、微笑みを浮かべ肯く。それが同じ時に同じものを好きになった者同士の、あるべき姿だというのか。
その言葉は、傍目にはその人の腹部から抉り出された臓腑の様に、血塗れでグロテスクに映ることもあるかもしれない。でも、それでも目の前に「こんなに素敵なものを見つけたんだ。それをあなたに見てほしいんだ」と笑顔で突きつけられたら、少なくとも人はそれを無視できないでしょう。
私は、そうして生み出されてきた言葉たちと、それらによって表現されてきた動画、そしてその動画の中にいるアイドル達に魅せられて、今ここにこうしています。ほんの僅かでも、誰か一人にでも、あと一度だけでも、自分を揺さぶるモノについて伝えることができたら、その思いと共に。
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とは言いながら、今まさに私が書いているこの文章はやたら感傷的で、前後もばらっばらで、我ながら誰かに届けるという意識に欠けているな、と思います。では何故こんなモノを書いているのかというと、それはもう、悔しいからですね。
本気であの人に殴りかかって、そんであっさりと返り討ちにあうか、あるいはへらりと身を躱され、飄々と置いていかれるか。でなければ、思いのほかクリーンヒットしちゃって、こっちが気まずくなっちゃってる所でけらけらと笑い飛ばされるか。
私にとって、この場所には私がどう足掻いても「かなわない」と心底刷り込まれている方が何人も(!)いる。その人の背中を追いかけて、いや姿が見えなくても、私の前に居るんだと信じていられるだけで、この場所の私が私でいられる、そんな人。
そんな人に対して、私が今さら、何か言えるんだろうか、という悔しさと、それでも何か言わなくてはいけないんだ、という負けず嫌いでちっぽけな自尊心の産物が、この文章です。
でも本当なのか。本当にもう、私のこの思いは、かなわないのか?
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んで、あと1時間ですか。そりゃ見てますとも。
どうなんでしょうね。あと1時間。ひたすら書いてほしい気もしますし、そんなんいいから好きな動画をウハウハ見てください、とも思うし。
まぁ、その、なんだ。一度〆た記事に追記ってのも、これ恥ずかしさがあるので。

だから、ね。
大好きですよ。