http://d.hatena.ne.jp/crow_henmi/20060306#1141621642
 えー、『ドカベンプロ野球編』『スーパースターズ編』は確かに戦闘マンガのオルタナティブ的な価値はあると思いますが、それ以上に水島先生のファナティックな部分がむき出しになったマンガでもあって、取り扱いには細心の注意が必要です。YYSはどんなに頑張っても抑えきれない事の方が多かったりします。
 というか、ファナティックな、その世界が好きすぎる人が書き継いでしまった大長編少年漫画は自然にオルタ化するんじゃないかと。
 野球なら水島新司、ボクシングなら森川ジョージ。少年漫画的なストーリーとかどうでもよくなって、彼らの脳内甲子園*1・脳内後楽園ホールでの出来事をただ綴っていくだけになっていく。
 そこは、脳内とはいえリアルなので、スタジアムやリングで起こるような出来事はすべて起こり得る、という事ではないかと。

 なお。
http://d.hatena.ne.jp/ululun/20060301/IMS0063011
http://d.hatena.ne.jp/ululun/20060303/story060303
 に関してはKNEGならぬKNTP、これなんてテニプリ? と思ったものでした。弱くなると男女混合以外は大体満たしているはず。
 
 ところで、野球漫画における特訓&魔球主義は、そも勝利への条理と勝利への条理との鬩ぎあいであったはず。その条理を通すために異常なモチベーションが持ち込まれる。それがそうでないように観念されだしたのはいつからなんだろう、とか。
 というか熱血だけで勝てる漫画、て敢えてするパロディであるところの『逆境ナイン』くらいしか思いつかない。その『逆境ナイン』の境地はすぐさま『無謀キャプテン』で徹底的に批判されるのだけれど。
 

*1:は実はあんまりでてこないんですが。

http://d.hatena.ne.jp/kemu-ri/20060307/1141660102
 えー、この件に関しては、最初に町山氏に噛み付いた人はまあバカだと思うんだけど、恐ろしいのはあそこのコメント欄がサヨクによる迫害に負けるな、みたいなコメントで埋まってた事で、ああ、こんなに俺と見えてる世界が違う人がいるんだと正直慄然としたり。
 それはそうと、引き揚げの時の話は引き揚げの時にさえ悪い事をした朝鮮人はその前からそういう事をしていたのではないかと推測できるって言ってるんじゃないかな。大震災と二次大戦の先後関係がわかってないんじゃなく。何がどう「でさえ」なのかはよくわからんけど。逃げ落ちていく支配層なんか襲われるに決まってるじゃん。
 さらにそれはそうと。ここから本題。
 隣人てのは隣に住んでいる人以上の事をは意味しないんじゃないでしょうか。通州で殺された日本人・朝鮮人は自業自得、というような物言いはどうかと思います。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060306/1141619058

 日本人が加害か被害かが隠された問題ではないのかと疑念を抱いた

 という物言いは確かに間違っています。その問題は隠されていない、と言うべきか。「ルワンダと同じような状況になったとき」、つまり自分が所属する集団が虐殺加害者になった時、「あなたは隣人を守れますか?」虐殺被害者を庇えるか、というのがポールさんの問いなのだから、日本に即して言えば、当然日本人――というのは実はちとまずい。大和民族? うーん。――が加害者に回った事例を挙げなければならないわけで。
 ところで町山智浩氏は名前を間違えられる事を嫌う人だったはず。それを町村町村と連呼したのにはなんらかの意図を感じずにはいられないわけですが。
 えー、まあ、つまり通州事件じゃない方がよい、という理由はあるものの、それを通州の日本人・朝鮮人は通州住民にとっての隣人じゃなかったから、つまり殺されてもいい連中だったからだと言っては間違いつうか、それは虐殺の芽そのものです、とか。