ぼくらのみのりん

 http://d.hatena.ne.jp/K_NATSUBA/20070525#1180102471で告知していた、みのりんイベントのパンフに書いた原稿をアーカイブしておきます。
 誤植を直した完全版。

ぼくらのみのりん
 
 ぼくらのと言っても、鬼頭莫宏の漫画ではない。無論、新・麻原彰晃マーチでもない。みのりんは『ぼくらの』には出演していないし、みのりん麻原彰晃その人だ、というわけでもオウム信者だというわけでもない
 ただ、『新世紀エヴァンゲリオン』とオウム真理教阪神淡路大震災の1995年を経たサブカルチャー的想像力の文脈においてこそ、僕らは茅原実里を空想的に所有できた、というのもこれは間違いのないところである。
 例えば彼女のアニメデビュー作はエイベックスアニメの『天上天下』棗亜夜役であるが、同作の原作者・大暮維人は、『エヴァ』とその半年後の『雫』の影響を最も色濃く受け、サブカル的な方向へ強力に傾倒し、90年代のオタク文化史に特異なポジションを占めた「漫画ホットミルク」でデビューした作家だ。無論、美少女漫画が内省的な方向へ傾倒したのは、有害コミック規制の影響のほうが甚大であるし、大塚英志・「漫画ブリッコ」の実験の延長線上で理解されるべき要素も多々あり、そもそも大暮維人のデビューは『エヴァ』の放映よりも少し早く、『エヴァ』影響下の作家、とは言えない。だから、ここでは、『エヴァ』に先行した想像力の中から飛び出したスターの一人と、大暮維人を呼んでおきたい。
 伏流した、『エヴァ』以前的な、『エヴァ』以降には却って抑圧された想像力の噴出。そのような文化潮流の一端として、僕らは茅原実里の登場を受け止めた。我々若い世代が、思春期に向かい合うべきだった『エヴァ』をエヴァ本ブームによって上の世代に掠め取られてしまった、そのような事態に対するレコンキスタでもあった、とこのような『エヴァ』以前的なものの回帰を捉える事も恐らくはできるだろう。このような潮流が我々に茅原実里「ぼくらの」と呼ばしめる大きな原動力であるのは間違いない。
 しかし、それはエイベックス時代の話ではなかったか。レコード会社を移籍し、今イベントでもエイベックス時代の楽曲を封印した茅原実里は、そのようないまさらエヴァなんたらなどというかび臭い文脈からは解き放たれてしかるべきなのではないか。
 それはまったくもって見当はずれだと言うべきだ。いや、レコード会社の思惑を推し量る事で茅原実里の実態に空想的に迫れるのではなどと期待する下種で邪な欲望に基づいた犯罪的に陋劣な思考の産物であり、そのような意見の人間とは倶に天を戴くべきにあらず、とさえ言わねばならぬ。
 LANTIS時代のみのりんの『エヴァ』以前性について一例を挙げよう。
エヴァ』以前的な想像力の回帰、という観点から最も注目されるべき作品は、アニメならば『シムーン』、漫画ならば『シグルイ』――『シグルイ』に血を流せばエラい、という同人バブル絶頂期作家的耽美漫画の感性が息づいている事は見落とされてはなるまい――であろうと思われるが、残酷無残時代劇・『シグルイ』の作者こそ、LANTIS楽曲の雄・影山ヒロノブにも大きな影響を与え続けている、あの山口貴由なのである。
LANTISでの茅原実里の代表曲に、「雪、無音。窓辺にて」が挙げられるが、雪、無音、窓辺、これが全て山口貴由のもうひとつの代表作、『エヴァ』以前的想像力の精髄の中の精髄、『覚悟のススメ』のキーワードと密接に関わってくる事は、あまりに明らかだ。寡黙だが饒舌な長門有希のパーソナリティーに、僕たちは当然見覚えがある。強化外骨格そのものだ。強化外骨格「雪」。それが長門有希の正体なのだ。無音、とは、瞬殺無音部隊の無音であろうし、逆十字学園の窓辺こそは、侵略に対し幾度も葉隠覚悟が飛び出していき、覇岡が、罪子が覚悟をあるいは見送りあるいは待ち望んだ、ドラマの舞台に他ならない。
 回帰する『エヴァ』以前的な想像力から、LANTISと言えどもまったく自由ではない――それどころか、そのような文脈に沿う事で――コナミ黄金期のサウンドクリエイターや『ドラゴンボールZ』の歌手を担ぎ出す事で――アニメ音楽シーンをリードしているのがLANTISなのだ。
 周辺状況の話が続きすぎた。茅原実里は声優であり、である以上、声優史的観点からこそ、その登場は語られてしかるべきだ。
 声優史的に言えば、『エヴァ』以前は声優アイドルの時代、として記憶される。櫻井智草地章江椎名へきる岩男潤子。『美少女戦士セーラームーン』で一気に拡大した声優市場を当て込んで、アイドルを声優として売り出そうという動き、レコード会社を積極的に巻き込んでビジュアル・歌中心に声優を売り出す動きが目立った時代だ。既存の声優がアイドル化したアイドル声優とはちがう、このような声優アイドルたちは、『エヴァ』後のアニメ業界の作品主義への傾倒、声優ビジネスはさておいて作品的な要請で声優を起用しようという流れの中で、桑島法子川上とも子雪野五月などの本格指向の声優がもてはやされる趨勢により淘汰されていった。
 そんな中、茅原実里のデビューは、このよう系譜の華々しい蘇りとして、ある懐かしさ――我々が彼女を本来親しく所有すべきであったという実感――をもって受け止められたのだ。
 この懐かしさはしかし、茅原実里にとって諸刃の剣でもあったろう。声優アイドルは、一般に、芝居に見るべきところはなく、顔がいいだけ、として語られがちな存在である。このような偏見が偏見でしかない事は『まなびストレート!』と『ときめきメモリアルOnlyLove』で90年代前半のアイドル声優代表の林原めぐみ声優アイドル代表の椎名へきるのパフォーマンスを聞き比べれば一発でわかるのだが、椎名へきるが林原との評価の格差を覆すのに13年を要したように、茅原実里も2年の雌伏を余儀なくされてしまうのである。
 このような世間の蒙を啓いたのが、2006年に放映された『LEMON ANGEL PROJECT』でのエリカ・キャンベル役での好演だった。
 アイドルアニメについて、少し。アイドルアニメは、『超時空要塞マクロス』をもって嚆矢とし、80年代後半にはすたじおぴえろの一連の魔法少女モノで、少女向けTVアニメの重大な潮流となる。もう一方に、『メガゾーン23』『Key the Metal Idol』と受け継がれたSFアイドルアニメの潮流が存在し、この両者の交点に位置するのが、90年代初頭のアミノテツロー首藤剛志の一連の仕事、『アイドル伝説えり子』『アイドル天使ようこそようこ』『超くせになりそう』『マクロス7』という作品群であろう。
 この系譜は、しかし日本アニメ史上に燦然と輝く傑作『マクロス7』を最後に、『エヴァ』時代到達の直前に途絶えてしまう。もうひとつ、『レモンエンジェル』に端を発し『アイドル防衛隊ハミングバード』『アイドルプロジェクト』と受け継がれていった男性向けアイドルアニメの系譜もあるが、こちらも『アイドルプロジェクト』のリリースの後半が『エヴァ』後に食い込んだだけでいったん途絶える。
 『セーラームーン』により、少女向けアニメの本流が戦闘美少女に移行した事、『魔法少女プリティサミー』に見られる如く少女向けアニメのパロディの対象も戦闘美少女へと変質していった事がこの断絶の直接の原因であろうと思われるが、とにかく、『エヴァ』前後に80年代的なアイドルアニメの系譜は途絶えてしまったのである。
耽美系と並ぶ、『エヴァ』以前的な想像力のもうひとつの精髄、それがアイドルアニメの系譜だった。
男性アイドルを主にフィーチャーした『超者ライディーン』と、『パレードパレード』『アイドル堕天使理奈』などのアダルトアニメを例外として、アイドルアニメの新作が殆どない時期、というのが暫く続いたのだが、それが打破されたのは1998年の事だ。映画『パーフェクトブルー』が公開され、『魔法のステージファンシーララ』が放映され、アニメの世界に女性アイドルたちが華々しく戻ってきたのだ。しかし、戻ってきた彼女らは、かつての魔法の輝きを失っていた。地に足の着いた芸能活動を展開する彼女らに、ようこが、バサラが持っていた超俗の香りは既になかった。
 超俗の香りを失ったアイドルは、しかしそれがゆえに、女性キャラクターの魅力や変転する運命を描くための扱いにくくはない題材として、アニメシーンに一定の地位を得る事となる。『チャンス〜トライアングルセッション〜』『満月をさがして』などの本格アイドルアニメだけでなく、『カレイドスター』『BECK』のような亜流の芸能モノ作品、『マーメイドメロディーぴちぴちピッチ』の如きもう何がなんだか分からない怪作まで、断続的にアイドルアニメやそれに類するアニメはリリースされ続け、ついに運命の06年、『LEMON ANGEL PROJECT』が放送される事となる。
この作品は、かの『レモンエンジェル』のリメイクであり、『舞-乙HiME』『灼眼のシャナ』以来の櫻井智――旧作『レモンエンジェル』でデビューした、声優アイドル時代の時代精神そのものと称すべき偉大な才能――再評価の機運の一環をなしたわけだが、ここで、茅原実里は、エリカの外国訛りを持ち前の、鋭くはないが可愛げのある重い、肉感的な声できっちりこなし、高い地力を示した。
 その後の活躍は、皆様ご存知のとおりである。
 みのりんは、『エヴァ』以前的想像力の蘇りである『天上天下』で声優アイドルとしてデビューし、そしてぼくらの――『エヴァ』以前的な、アニメをぼくらのものとぼくらが思えていたころのアニメの典型である――アイドルアニメで実力を示し、毎クール何かしらのレギュラーがある声優の仲間入りを――大ブレイクを果たした。
 だから、彼女はぼくらのみのりんなのである。

 当初はこれをB5一枚に詰め込んでいた俺畏れ。