音楽映画ベスト10
うわー、気がついたら2年ぶりの更新だー!!!
というわけで、
音楽映画ベストテン-男の魂に火をつけろ!
http://d.hatena.ne.jp/washburn1975/20151031
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1位 オーケストラの少女(1937年、アメリカ、ヘンリー・コスター監督)
不景気で失業したオーケストラのトロンボーン奏者の娘が、パパを復帰させるため頑張る映画。アイドル映画には音楽が不可欠という意味で、日本のアイドル映画にも多大な影響を与えた作品だと思います。というか、この映画を見て私は中学、高校とブラスバンド部でトロンボーンを選びました(ヒロインの父親がトロンボーン奏者だったので)。
2位 風の丘を越えて〜西便制(1993年、韓国、イム・イム・グォンテク監督)
韓国の伝統歌謡パンソリをうたってあるく旅芸人一家(実は血が繋がってない)の物語。娘に歌の本質を覚えさせるために彼女を盲目にしちゃう基地害親父の話でもあるんだけど、でも以下のシーンは、アジアにおける「歌」とは何かを雄弁に物語って感動的。
3位 怪しい彼女(2014年、韓国、ファン・ドンヒョク監督)
いま世界でいちばん音楽の映画的な使い方がうまいのは韓国映画だと思います。
4位 ローズ(1979年、アメリカ、マーク・ライデル監督)
好感度ゼロのどーしょーもないヒロイン(しかもベット・ミドラー様)でも、歌が素晴らしければ(だってベット・ミドラー様)全部許される。そういう意味でも真の音楽映画!
5位 マイ・フェア・レディ(1964年、アメリカ、ジョージ・キューカー監督)
最初にテレビで見たのは小学校高学年かな。放映翌日の学校で、「実際うたってるのはヘップバーンじゃなくてジュリー・アンドリュースなんだぜ」って得々とデマを飛ばす友人がいたりしたw アールデコ調のファッションにこの頃憧れたりしたなー。
6位 ファントム・オブ・ザ・パラダイス(1974年、アメリカ、ブライアン・デ・パルマ監督)
私の嫁が生涯ベスト級に好きな映画。新婚の頃、「主人公(ポール・ウィリアムスじゃないほうね)が君にそっくりなんだよ」と言われ、ビデオ屋で借りて一緒に見て、しばらく口をきかなかった思い出が。
でも、この映画のジェシカ・ハーパーは素敵すぎて、思わずジェシカ・ハーパーファンクラブ会員になって、登録した後、彼女から直筆の手紙が送られてきて感激したよ!
7位 モダンタイムス(1936年、アメリカ、チャールズ・チャップリン監督)
もちろんティティナ! はじめて世界はチャップリンの声を聞いた!
8位 ハーモニー(2010年、韓国、カン・テギュ監督)
女性刑務所の合唱団という実話に基づいたお話。泣きっぱなしでしたわ。
この映画についてはhttp://d.hatena.ne.jp/Kai1964/20110219/1298081544で1時間くらい喋ってます。
9位 リンダ リンダ リンダ(2005年、日本、山下敦弘監督)
学園祭映画の最高峰!
10位 グレン・ミラー物語(1954年、アメリカ、アンソニー・マン監督)
実は1位の「オーケストラの少女」と合わせて、中学になったらブラスバンドに入ってトロンボーンやるぞと決意させた映画(主人公がトロンボーン奏者なので)。
とここまで選んで、あ、他にもまだまだあった! って作品をいろいろ思い出しんだけど。。。。。うわあ、もうトラックバックしちゃったーー!!!
「オーケストラ!」(2009年、フランス、ラデュ・ミヘイレアニュ監督)をあげたい。
つっか「イージー・ライダー」(1969年、アメリカ、デニス・ホッパー監督)とか
つっか「会議は踊る」(1939年、ドイツ、エリック・シャレル監督)とか
ごめん、いとしの音楽映画たち!
SF映画ベストテン
SF映画ベストテン-男の魂に火をつけろ!
http://d.hatena.ne.jp/washburn1975/20131031
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好きな作品は数多いですが、自分の人生や、映画を見る目に衝撃を与えてくれた作品を選びました。
第1位 日本沈没
1973年 日本 監督=森谷司郎 主演=藤岡弘。
小学生のとき、学校の講堂で見ました。文部省推薦だったんですよ。地震や津波や火災で、夥しい無辜の人々が無惨に死んでいく姿が、まだ一桁代の年齢だった少年にどんなトラウマを与えたか。終末論にとらわれてテロをおこしたオウムの幹部が、自分の同世代なのは、みんな小学生のとき、この映画を見させられたからだと思います。
第2位 ゴジラ
1954年 日本 監督=本多猪四郎 主演=志村喬
これはもう、コメントする必要もないですよね。
第3位 スターウォーズ エピソード4 新たなる希望
1977年 アメリカ 監督=ジョージ・ルーカス監督 主演=マーク・ハミル
いつの間にかサブタイトルがついてることになったんですね^^。
第4位 グエムル〜漢江の怪物
2006年 韓国 監督=ポン・ジュノ監督 主演=ソン・ガンホ
地球には、韓国映画とソン・ガンホとペ・ドゥナという素晴らしい宝石があったことを教えてくれた映画でした。
第4位 プルガサリ
1985年 北朝鮮 監督=申相玉監督 主演=リ・イングォン
韓国から監督を拉致してまで、北朝鮮版ゴジラを作りたかった金正日もいまは故人。特撮監督の中野昭慶氏とスーツアクターの薩摩剣八郎氏は、拉致ではなく正式に招待されたそうです。ちなみに監督の娘さんは、ポン・ジュノの奥さん。
第5位 惑星ソラリス
1972年 ソ連 監督=アンドレイ・タルコフスキー 主演=ドナタス・バニオニス
生まれて初めて見たソ連映画。中学生の時田舎のローカルテレビ局の深夜放送で。当時の南海放送やテレビ愛媛では、濃いつけまつげのねーちゃんのおっぱいが見られるATG映画と並んで、こんな作品が見られたわけです。
第6位 1984
1984年 イギリス 監督=マイケル・ラドフォード 主演=ジョン・ハート
ジョージ・オーウェルの原作「1984」を読んだのは、まだソ連が健在だった1984年。その年に英国で制作された映画。世界全体が共産主義社会になる悪夢を描いたが、ソ連を始め東欧の社会主義国がばたばた倒れるのはこの数年後。まさか、グローバリズムという、ある意味全体主義社会よりたちの悪い亡霊が世界をさまよう事になるとは思ってもいませんでした。ちなみにリチャード・バートンの遺作でもあります。
第7位 ミラクル7号
2008年 香港 監督・主演=チャウ・シンチー
『ET』の百倍好き!
第8位 『夢』より「赤富士」
1990年 日本 監督=黒澤明 主演=寺尾聡
見た当時は、「黒澤、老いたか」だったんですが、まさか今日の事態を予言していたとは・・・・。
第9位 月世界旅行
1902年 フランス 監督・主演=ジョルジュ・メリエス
世界最古のSF映画に敬意を表して。
第10位 大魔神
1966年 日本 監督=安田公義 主演=高田美和
動画つきボイスブログ公開しました・・・・『ハナ 46日間の奇跡』『アジョシ』
YouTubeとニコニコ動画で、『ハナ 46日間の奇跡』『アジョシ』についての動画付きのボイスブログを公開しました。
↓YouTube版
とにかく長いのでお暇ならお付き合いくださいw
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ボイスブログ更新・・・・『クソすばらしいこの世界』
ボイスブロク更新しました。現在公開中の『クソすばらしいこの世界』について語っています。
↓
http://www.voiceblog.jp/kai1964/1930370.html
サブタイトルを「日本人のなかに、キム・コッピが一人」としました。まさにこの映画の本質はそこなんです。
お話はアメリカ。ロサンゼルス郊外。母子家庭で娘を養うため苦労してきたお母さんを楽させるため、アメリカに留学して、いい会社に入るんだと真面目に勉学にいそしむ韓国人留学生アジュンは、ある夏、知り合いの日本人留学生から、「郊外のバンガローでキャンプしない」と誘われ、これも国際交流と参加したのが、悲劇の始まりでした。
とりあえず、にこにこスマイルで日本人たちに挨拶するアジュン(キム・コッピ)
この日本人留学生たちが揃いも揃ってバカ揃い。留学生のくせに日本語しか喋れない。経歴に「留学」とかければそれでいいと世の中舐めてる上に、食べ物飲み物買ったお店の支払いも英語を話せるアジュンに全部押し付け、知らん顔。
次第に不機嫌になるアジュン。なにこいつら? 私を誘ったのも、単なる便利屋扱い?(キム・コッピ)
このあたりの描写、すごく説得力を感じます。今も昔も、日本人って自分たちだけで固まるし、日本人のなかで自分だけ英語がしゃべれるというふうに目立ちたくない。米議会で英語でスピーチする大統領や、インタビューは全部英語で受け答えする五輪スケーターがいる国と、日本の国会ですら台本がないと何も喋れない首相(および、日本語すらあまり通じない五輪スケーター)が当たり前の国との差なのかな・・・という気もしますが。
日本国総理の国会答弁での台本。漢字にはルビがふられ、「ここで拍手」「ここで水を飲む」など細かいト書きが・・・・・・・(ため息)
そんなバカ日本人の代表格がこのエリカ(大畠奈菜子)。偶然、白人殺人鬼が殺した死体を処理してるのを目撃するけど、仲間には何も言わない。だってせっかく盛り上がってるのに、しらけるだろうから。そう日本人の一番の「美徳」は「空気を読むこと」
ところが!(以下、重大なネタバレ)
いよいよバカ留学生に襲いかかる基地外白人兄弟、登場。恐怖のハンマー攻撃、血みどろの惨劇がいよいよ始まって・・・・
あのエリカが、大林宣彦的仰天の映画マジックによって、なんと英語がしゃべれるよう! 同時に、横並びバカ日本人から脱して、確固たる個性をもった強烈なキャラクターに変貌!
クライマックスは、夢の「キム・コッピ vs へそだしメイド」対決だ!!!!!!
こんな素敵な映画を監督した朝倉加葉子さん。ポレポレ東中野でのトークショーではガーリーな雰囲気でしたが、現場ではくわえたばこであぐらをかくオトコマエな方だそうです。
公式HPはこちら
イ・サンミ・ファンクラブ最新情報
以前、書いた記事「イ・サンミファンクラブ結成宣言」の続報です。
あのシンナー少女の演技で多くの日本人観客の胸をえぐったチョン・ウヒさんが映画に初主演するとの情報を知ったのは昨年12月でした。
女優チョン・ウヒが映画「ハン・ゴンジュ」のヒロインにキャスティングされた。チョン・ウヒは昨年のヒット映画「サニー 永遠の仲間たち」でシンナー中毒の問題児役で出演し、強烈で印象的な演技を披露した。
今回の映画で、チョン・ウヒは高校生のハン・ゴンジュ役を演じる。映画「ハン・ゴンジュ」は、17歳の少女ハン・ゴンジュが、地方の小さな都市から仁川(インチョン)に転校してきて経験する試練と成長を盛り込んだ作品。チョン・ウヒは映画「母なる証明」「サニー 永遠の仲間たち」に続き、今回も高校生役を演じることになった。
この映画はイ・スジン監督が演出を務める。イ・スジン監督は、第7回ミジャンセン短編映画祭で社会ドラマ部門最優秀作品賞、ミジャンセン撮影賞を受賞しており、映画界から注目されている人材だ。
映画は10月中旬、クランクインする。 (http://news.kstyle.com/article.ksn?articleNo=1953172)
そして、映画「ハン・ゴンジュ」のクランクアップ動画を見つけたので掲載します。公開はまだのようですが、是非、日本にも来て欲しいです!
ちなみに、今なら、「ハナ 奇跡の46日間」で、セーラー服姿のチョン・ウヒさんを拝めますぜ!
↓
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ボイスブログ更新・・・・『ハナ 奇跡の46日間』
↓超久しぶりにボイスブログを更新しました(ここもw)。1991年、千葉県・幕張で行われた世界卓球選手権に、史上初めて、北朝鮮と韓国が統一チーム「コリア」として出場し、みごと女子団体戦で最強・中国を破って優勝した実話をもとにした韓国映画『ハナ 奇跡の46日間』について喋っています。
http://www.voiceblog.jp/kai1964/
この映画、なんといっても見せ場は、ハ・ジウォン&ペ・ドゥナという韓国二大オトコマエ女優の競演につきるでしょう。二人とも、ボーイッシュな顔立ち、モデル体型というよりアスレチックな長身に長い手足、そして抜群の運動神経と、まさにスポーツ選手を演じるために生まれたような女優さんたちです。
ペ・ドゥナといえば、『グエムル 漢江の怪物』(2006年)でアーチェリー選手を演じ、みごと銅メダルをとっただけでなく、最後に巨大な怪物まで仕留めてしまいました。
一方のハ・ジウォンは、『デュエリスト』(2005年)でカン・ドンウォン相手に見事な殺陣を披露し、さらには『第七鉱区』(2011年)ではペ・ドゥナにまけじと怪物退治。
そんな彼女たちの相手は、最強中国のエース・トン選手。グエムルなみの卓球モンスターw
左が不敵な面構えのトン選手。闘志満々のハ・ジウォン(右)に対して、ぼーっとした表情のペ・ドゥナ姉だが・・・・
負けじとハ・ジウォンも燃える!
韓国二大オトコマエ女優の激突、刮目して見るべし!!!!
未完の父殺し……『コクリコ坂から』(2011年、東宝)
2011年、東宝 スタジオジブリ
脚本=宮崎駿 監督=宮崎吾郎 声の出演=長澤まさみ 岡田准一
一昨年の夏に公開されたとき、ぼくは観なかった。言うまでもなく宮崎吾郎さんの前作『ゲド戦記』の出来映えから、わざわざお金を払って観る気になれなかったからだが、家族がレンタルDVDを借りてきて、「そんなに悪くないよ」というので観た。観ているうちに、複雑な気分に襲われた。さしてわくわくさせられないストーリーや、ジブリ作品であるとは信じられないアニメーション・クオリティの低さや、吹き替えの素人声優たちのへたくそな台詞回しに関してではない。「そもそも、なぜこの作品を、(宮崎駿さんではなく息子の)吾郎さんが作らねばならなかったのだ?」という思いが、苦々しく募ってきたからだ。
以下、敬称略です。
高橋千鶴の原作マンガを、宮崎駿が脚色したあらすじは、以下のとおりだ。
舞台は昭和38年、横浜の高校に通うヒロインの松崎海(声・長澤まさみ)は、同じ高校の新聞部部長・風間俊(岡田准一)と知り合い、心を寄せるようになる。新聞部をはじめ文化系サークルの部室棟「カルチェラタン」が老朽化を理由に取り壊されそうになっていた。海と俊、そして生徒会長の水沼史郎(風間俊介)は、「カルチェラタン」を保存するために奔走する……。
他に、海と俊は実は血のつながった兄妹ではないかという「冬のソナタ」じゃあるまいし的展開もあるが、正直どうでもいい。宮崎駿は、どちらかというと淡々とした味わいの学園恋愛ドラマに、「カルチェラタン」撤去をめぐる、生徒たちと学校側の「闘争」という要素を付け加えた。
言うまでもなく「カルチェラタン」は、パリにある学生街で、1968年(この物語の4年後)ソルボンヌ大学の学生達を中心とした学生闘争で「解放区」を出現させたことで有名になった場所だ。日本でも同年、全共闘の学生たちが「神田を日本のカルチェラタンにせよ」というスローガンの下、駿河台の道路に大学から持ち出した机でバリケードを築いた。
実を言うと、「カルチェラタン」という言葉は1968年のパリの学生運動で広まった言葉であり、1963年の横浜の高校の部室棟に名付けたとは思えないのだが、宮崎駿がそのあたりの細かな時代考証にこだわらなかったというわけではない。
むしろ、この作品は1963年でなければならなかった。この年は、宮崎駿が東映動画に入社した年だったからである。
ご自身で語っているが十代の宮崎駿は、手塚治虫にあこがれてマンガを書く、どちらかというと暗い青年だったらしい。学習院大学時代は児童文学サークルに所属しつつマンガを書き続けたが、卒業時、漫画家の夢を断念して東映動画に入社した。中学三年生のときに観た東映動画『白蛇伝』に号泣した思い出も手伝ってのことだった。
入社後、宮崎は結成された東映動画労働組合の書記長に就任する。ちなみに委員長は高畑勲で、二人の名コンビはこのときの組合活動から生まれたようだ。
そういう知識をもって観ると、『コクリコ坂から』の風間俊と水沼史郎は、高畑・宮崎コンビニ見えなくはない(ビジュアルはだいぶ違うが)。また、十代の頃あまり女性にもてた形跡のない宮崎が、組合活動をはじめてしばらく後、同僚の女性アニメーターと結婚するというのも、風間と海の関係を匂わせる。
要するに、この作品で描かれる主人公たち三人の存在は、東映動画時代の宮崎の回想が強く投影されていると考えて間違いないと思う。作品を見ながらそう確信したとき、このアニメを監督しているのが、宮崎駿の息子である吾郎であることに気づいて、いっきに嫌な気分にさせられた。
嫌な気分が頂点に達したのは、海と俊、そして史郎が、「カルチェラタン」取り壊し中止を訴えるため、学校理事長を東京の会社に訪ねる場面だ。徳丸という名前の理事長が社長をやっているその会社の壁には、『アサヒ芸能』のポスターが貼ってある。そう、徳丸理事長とは、徳間、すなわちジブリの大スポンサーだった徳間書店社長の徳間康快のことだったのだ。
宮崎駿が、現在の巨匠と呼ばれるまでには、順調でない道程があった。彼が東映動画に入社してほどなく、手塚治虫が手塚プロを立ち上げ、大勢のアニメーターを東映動画から引き抜くが、宮崎駿には声がかからなかった(宮崎が、手塚治虫の死後に書いた手塚批判のエッセイは有名だ)。高畑勲の下で『アルプスの少女ハイジ』などの名作アニメで大きな役割を果たすが、監督として一本立ちしたのは1978年のテレビアニメ『未来少年コナン』で、すでに37歳、決して早い出世ではなかった。翌年、先輩の大塚康生の斡旋で『ルパン三世 かりオストロの城』で劇場長編デビューするが、今でこそレジェンドとなった『カリ城』も、当時は歴代『ルパン三世』劇場版で最低の客の入りで、しばらく劇場用作品の監督としては声がかからなくなった。
そんな宮崎さんを救ったのは、言うまでもなく、徳間書店が刊行していた『アニメージュ』の鈴木敏夫(現ジブリのプロデューサー)らだった。劇場用アニメに進出しようとしていた徳間康快社長の決断で、『風の谷のナウシカ』(1984年)が世に送り出され、翌年徳間書店の出資でスタジオジブリが設立される。その後の活躍は言うまでもない。
徳間康快は、いわば巨大な才能と自負心を持て余しながら世間に認められなかった宮崎を、巨匠の地位までおしあげた大恩人だ。ここ数年、自分の死をしきりに口にするようになった宮崎が、その作品に徳間康快への感謝の気持ちをこめたくなったとしても無理はない。
アニメのなかの徳間社長ならぬ徳丸社長は、豪快でものわかりのよい人物で、海たちの懇願をあっさりと受け入れ、「カルチェラタン」はぶじ保存されることになる。
こうした「水戸黄門」方式といおうか、「デウス・エキス・マキナ」方式(古代ギリシャ演劇で、話が煮詰まると天井から神様がおりてきてあっさり解決させる)は、宮崎がもっとも嫌った手法のはずだ。それをなぜ、あえて徳間康快に水戸黄門役を演じさせたのか。
劇中、徳丸理事長は平日にもかかわらず東京にやってきた高校生三人に「エスケープか。わしもよくやったよ」と笑うシーンがある。徳間は早稲田大学にかよっていた学生時代、社会主義運動に従事していた。1943年に読売新聞に入社するが、戦後、労働組合運動に身をいれすぎて退社に追い込まれている。
そういえば、徳間と並んでジブリの後盾だった日本テレビの故・氏家斉一郎は、読売新聞の渡辺恒雄とともに戦後東大で共産党メンバーとして学生運動に従事していた。ジブリは、元は左翼活動に従事し、後にはどちらかというと保守的言動が目立ったメディア人たちによって支えられていたのだ。
1967年生まれの宮崎吾郎に、全共闘時代や学生運動華やかなりし頃への思い入れがあったとは思えない。よく言われていることだが、設計事務所につとめるサラリーマンだった吾郎が、なぜか鈴木プロデューサーに口説かれて監督した『ゲド戦記』の冒頭は、主人公が父親を殺害するシーンから始まる。これは吾郎の父・駿に対する「父親殺し」であり、偉大なる父親の幻影に悩まされる吾郎の複雑な思いが投影されているのは間違いないと思う。ジブリ作品にも似合わない『ゲド戦記』の暗く冷たいトーンは批判にさらされたが、間違いなく宮崎吾郎の作品だった。
そんな吾郎が、父親の自らの過去への思い入れだけで作られた作品の監督を務めさせられたのだ。
作品中に吾郎オリジナル要素を見いだすのは難しく、あえていえば「ジブリ印」を(劣化しつつも)継承せねばという思いしかない。
男の子は、内なる父親を殺し、乗り越えていくことで自立すると言われる。『ゲド戦記』で父親殺しを試みた吾郎が、本当の意味で自立した作品を見せる日は来るのか。同世代として無関心ではいられないが、それより気になることがある。
作品の舞台となる1963年に16〜17歳だった高校生たちは、その後の全共闘闘争で中核となる世代だ。彼らの多くは1968年の東大落城(安田講堂事件=闘争の終了)とともに運動を離れるが、その後も運動に従事しつづけた人たちは、内ゲバで自滅し、挙げ句の果てにあさま山荘事件を引き起こした。雪山で十数名が「総括」という名の下に殺されたのだ。
そのことを、後盾である読売新聞の意向に逆らって反原発的言動を繰り返した意気盛んな宮崎駿は、どう考えているのか、こののんきなアニメ作品からは微塵も伝わってこないのだ。
↓『コクリコ坂から』予告編
↓『ゲド戦記』予告編