小料理屋さつき

かつて「はてなダイアリー」にあった「小料理屋さつき」をインポートしたもの+細々と。

盧生之夢:白隠和尚の「激」と「柔」

 先日、今月のNTを買いにジュンク堂へ行ったのですが、せっかくだからとぶらぶらしていると「Amazon:白隠 (別冊太陽 日本のこころ)」と「Amazon:芸術新潮 2013年 01月号 [雑誌] (大特集 よみがえるスーパー禅僧白隠)」の二冊が目に入って速攻で手に取りました。東京のBunkamuraという所で展覧会があるそうで。大阪でもやらないかなぁと思いつつ、帰宅して、ゆっくり少しずつ眺めています。
 禅宗に心を寄せる前……高校が仏教系だったので、しぶしぶ仏教の授業を受けたり、お寺への合宿等行きましたが、禅宗というのは厳しく堅苦しく、動作のひとつひとつまでルールがあるようなイメージしかありませんでした。その後、紆余曲折を経て、観音様におすがりするようになり、観音様をおまつりしているお寺にしばらく通ったりしたのですが、そこが臨済宗妙心寺派のお寺でした。そこの和尚は話し上手でダイナミック。自分が抱いていた禅宗に対する考え方を見事にぶち破って下さいました。そして、坐禅和讃と出会います。その作者が白隠和尚なのです。
 坐禅和讃は陀羅尼とは違い、ちょっとだけ難しいけれど、でも比較的わかりやすい感じで仏様の教えについて書いてあります。それをリズミカルに、歌うように唱えます。「衆生本来仏なり」という出だしが有名ですが、個人的には「たとえば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり」というところが胸にしみます。モノも情報も沢山ある現代社会。ありすぎるから、迷う。そんな感じも表しているのではと思うのです。
 坐禅和讃を知り「白隠和尚というのはどういう方だろう?」と思って臨済宗の入門書を読んだりします。そこに「南無地獄大菩薩」とぶっとく、激しい筆遣いの書の写真が載っていて、びっくりしました。今回購入した本によって、地獄大菩薩=地蔵菩薩ということを知りましたが、それまでは、地獄と菩薩という天と地のように離れたものをビシッとひとつに書き上げたその迫力にまいってしまったのです。まあ、今回その種明かしがあったとしても、あの筆遣いから受けるインパクト、そして業火と血と内腑、悲鳴と号泣に満ちた地獄、そんな恐ろしい所にあっても地蔵菩薩さまは救いのやさしい御手を常にみなに差し出しているのだということ、激と柔、ふたつが合わさった書なのだなと思うのです。
 今回購入した二冊の本には、そんな白隠和尚の激と柔が沢山つまっています。人は喜怒哀楽を持つ存在。それでいい。だけど甘えてはいけない。やさしくあれよ、と。良い事があれば喜べ、悲しければ、うんと泣け。贅沢をするな、ほどほどでよろしい。忙しくしすぎるな、たまには休みなさい……そういう感じが伝わってきます。初めて見てすぐに大好きになったのは、観音様が蓮の咲く池のほとりでくつろいでいる絵。観音様は多くの人々の救いに多忙なはずだけれど、でも、その合間に少し一休み、というような図です。
 観音様と自分。かつては高い所の方でした。でも今は、一緒に傍に居て下さる、空気や水のようにありふれているけれど有り難い存在です。
 自分自身の仏教への取り組みも変化していきました。以前は坐禅会にいかねば、お経を唱えなくては、とカチコチになっていました。でも、今東光和尚の著作の中で、日々の行いや思いに仏様の教えが生きていればそれでいい、というような事があり、ああ、カチコチで形ばかりじゃだめなのだと思ったのです。それからは、短い陀羅尼や十句観音経、それよりも「南無大悲観世音菩薩」とヒトコト、いやもっと短くて「有り難い、有り難い」と思い、無理せず、自分らしく、ゆるやかに生きていこうと思うようになっていったのです。
 大切なのは、喜んでいる人がいたら一緒に喜び、悲しんでいる人がいれば慰め、困っている人がいたら手伝い、面白いことがあれば大笑いする、そういうシンプルなことじゃないのかなと思うんですよね。仏教以外の宗教の多くでもそういう感じじゃないかなと思うんですよ。まあ、今は宗教(しゅうきょう)ならぬ、集金(しゅうきん)をしている所もありますし、自分の宗派以外のところは一切認めない、ぶっつぶしたる! と息巻いて、実際内戦や戦争状態になっている所もあります。でも、それらの宗派をさかのぼると、きっとそういう教えではないのでは? と思いたくなるのです。
 例えば、イスラム教は基本的にお酒を飲んではいけませんが、昔はどうやら飲んでも良かったようです。まあ、ほどほどに、ということでしょう。個人的な考えですが、お酒を飲んでカッとなってケンカをしたりなどの度を過ぎた行いをしてはいけないというところから、段々厳しくなって禁酒になっていったのではと思います。
 なにしろ、昔のバグダッドといえばシルクロードの交易で潤っていた大都市。多くの場所から多くの民族がやってきたのですから、様々な文化……食文化も花開いたでしょう。やってきた人々は自分の口にあった食事にありつける地区へ行ったり、たまには違う食べ物や飲み物を、とかやっていたかも知れません。そんな時代なら、様々なお酒もあったに違いないでしょう。
 おっと、話がそれました。そんな訳で、本当ならば東京の展覧会へ行って、間近でびっくりどっきりしたいのですが、そうもいかないので、二冊の本で我慢しなきゃ。でも、これでちょっぴり白隠和尚のおそばに寄る事ができたかな、と思います。まだまだ、分からない事だらけですけれども。
 
 2013/02/23追記 :仏教以外の宗教の多く // :仏教以外の宗教の多くでも 
 だらだらと書いてしまったため、大事な所でミスをしてしまいました。長い間気づかず申し訳ありません。