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へむへむブログ

2009-10-09 引っ越します。

突然ですが、引っ越します。

excite blogの方へ。

アドレスは↓

http://tsubaki986.exblog.jp/


別に理由はないです。気分です。

家の引っ越しはなかなかに大変ですが、ブログの引っ越しは楽ですね。

そういえば村上春樹のエッセイで、何か引っ越しについて書いてあったような…。


というわけで、これがはてなで書く最後のブログとなりますね。

最後までたいして何も書けませんが、なんか書いときましょうかね。




と、まぁ今日もまたまたまた研究室で実験。

あの中和滴定みたいなやつをね。

今回は粉末:DMFを質量比にして2:1にして行ったので(これまでは1:1だった)、

意外とうまい具合に成功した…

はずが、途中で不注意のあまりビーカーを転倒させ、液が半分くらいテーブルにこぼれるという最悪のアクシデント。

というわけで、だいぶやる気がなくなる……。

ってまぁ、はっきり言ってしかたない。

この1週間こればっかりやってたもんなぁ。

おそらくピペット換算でアセトンはもう1000滴くらい垂らしたんじゃないだろうか???

そりゃ集中力も下がるってもんさ…。まぁ、そんなに危険な液体じゃないし、

そもそもこぼれた液体の量自体5mlくらいだったしな。

そういう意味ではよかったけれど、やっぱり精神的にきつい。


明日は休みだし、ゆっくりまた本読むか映画でも観るか…(昨日の自主休校の振り替え登校はなしでw)。



最後のはてなブログもぐだぐだして終わってしまった。

これからはexcite blogの方でぐだぐだしますか!

2009-10-08 今日は台風なので

もちろん学校は休みですよ。まぁ、自主的に…ですがね(笑)。

そのかわり土曜に行きますよ。もちろん。



今日休んだおかげでいろいろ溜まっていたことが片付いた。

よかった、よかった。

先週の土日は副業のため何もできず、

またその前とその前の土日は北海道に旅立っていたので、

そいえばかなり久しぶりのゆっくりとした休日だったのか、と今気づいた。

副業も旅もいろいろと楽しいし、学ぶことは多いわけだけれど、

やっぱり家でゆっくり本を読んだり考え事をしたり…という時間も欲しい。

動的なものと静的なもののバランスが人生においては大事だなぁと思う次第。

どうも世の中、動的なものばかりで五月蠅いなぁとか思ってしまう。

グールドはそういう五月蠅いものを闘牛場と言ったわけだけれど、

いかんせんどこを見渡しても闘牛場ばかりだ。特に現代の都市は。

反対に家は全く持って静かなので安心する。嗚呼、ずっと家にいたい。

つまり創造的な引きこもりってやつだねw


さて、今日は朝5時くらいに起きて、

なぜだか自分でもわからないけれど「風の歌を聴け」を再々読してしまった(本当になぜだろう?)。

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)

1Q84」やその他後期の作品とは全く趣が違うのは当たり前なのだけれど、

僕はこの断片っぷり(?)というか、

ただ単にそれぞれの文章たちが、単独で宙に浮いて存在しているような雰囲気が好きだ。

それを僕らは自由に扱うことができるからだ。

料理を出されるんじゃなく、材料、素材をただ渡されている感じがして、

押しつけがましくなくて僕としては気持よく読める。

まぁこれが小説、物語かどうかと言われれば若干微妙なところはあるが…。

やっぱり処女作ってのはいい。


半分呼んで6時半くらいにちょっと寝て、

8時くらいに起きてまた読む。で、読了。


その後、夏に読むはずだった「銃・病原菌・鉄」をやっと読み始める。

夏はなんだかんだ言って旅に出ていたのが原因で読めなかった。

「ブラック・スワン」を読んだ後にこういう類の本を読むと、

「歴史なんてただのお話だ!」みたいになってしまいそうだけれど、

これは相当なスゴ本ですからねぇ。そんなことはやすやすとは言えない代物ですね。


その後は副業の方のブログを更新したり、

テレビで台風の情報をチェックしたりしていたらお昼に。


昼は簡単に炒飯で済ませ、

リストアップしていた買いたい本を「本やタウン」で注文する。

また15000円程を使ってしまう。

まぁ副業で稼いだお金の他に、今週はちょっとしたバイトがあったり、

その他いろいろあって相当なお金が転がり込んでくる予定なので(うまくいけば2桁くらいはいけそうだ)、

思い切って買ってしまうことに。

特にこちらが相当楽しみな本↓

薔薇の名前〈上〉

薔薇の名前〈上〉

このノリで、買おう買おうと思っていたトイカメラも買ってしまうことに。


しかしなかなかトイカメラというのは選ぶのが難しい…。

僕は初心者なので、どうしようか迷う。

Diana F+にしようと決めてはいたもののいざ買おうという段階で、

120フィルムしか使えないことが判明し、いったん保留に。

135(=35mm)フィルムじゃないといろいろ面倒かなとか思い、やっぱりLC-A+を買うことに…。

と思ったら、なんとDiana miniなら35mmなので、これでいけるんじゃね?とか思い、

さらにトイカメラ初心者うってつけ!みたいなことが書いてあったのでこれにしようと決める。

またまたしかし、

このminiだといかんせん拡張性が悪く、その後の応用が利かないという難点もあり…。

延々と悩み続ける。

まさにあちらがたてばこちらがたたず的な状況だ…。

で、いろいろと論理的に考えた結果、

miniを買うならF+を買った方がもちろんいいわけで(大は小を兼ねるわけで)、

F+でも35mmフィルムを使えるようにする手段もあり、

LC-A+はやっぱり高いので、トイカメラにある程度慣れてから買おうという結論をだし、

やっとこさ最初の結論に戻りDiana F+を購入することを決意。

(まぁ、途中Diana F+コンプリートセット!みたいな、カメラやらレンズやらがすべてそろった素晴らしいものを見つけてしまったんだけれど、それは例えば、読書なんてしたことのない高校生がいきなり「安部公房全集」を買うようなもので、あまりよろしい行為ではないなと判断してやめた。でも、こんだけそろってこの値段はやばいな…とちょっと(というかかなり)悩んでしまったのだけれどw)

カメラ本体意外にも、面白そうなレンズも一つ購入。

それとクロスプロセスのフィルムも購入。

これからはちょっとばかりトイカメラに凝ってみようかな。






と、さて、ここからが本題(でもないが)。

ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質

ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質

まぁまた「ブラック・スワン」ネタなのだけれど、

この本におけるプラトン化というものへの抵抗というのは、

非常に面白い挑戦なんじゃないかと思う。

つまりは脳への挑戦…みたいな。

池田裕二の「進化しすぎた脳」にもあるように、脳の重要な機能に汎化がある。

目はデジカメよりも性能は悪く、100万画素ほどしかない。

それにも関わらず綺麗に見えるのは脳の汎化のおかげだ。

つまり脳は目のから入ってくる画像(情報)の粗さを編集しているということ。

この汎化を利用した錯覚図というのはたくさんある(色を使った錯覚図は基本これを逆手にとって面白いものを見せてくれるわけ)。


この100万画素くらいの粗い、切れ切れの情報を編集するのが汎化なわけだが、

しかしこの類の汎化をプラトン化といって批判するのは、そりゃいくらなんでも酷だ。これはしかたない。

批判しなければならないプラントン化は、

バラバラの事象に対してご都合主義的なお話を作り上げることであったり、

相関関係と因果関係をごっちゃにして考えて簡単に納得したりすることだ。

つまり安易に「なるほどね〜」とか思ってしまうことだ。

この類の汎化は脳のように無意識で起こるものじゃない。

ただ単に頭が悪いという原因によって起こる。


つまり脳の汎化にも、

「強い汎化」と「弱い汎化」が存在するわけだ。

これは野矢茂樹の「強いア・プリオリ」と「弱いア・プリオリ」みたいなもんだ。


僕らはこの弱い汎化に対抗しなくちゃいけない。




容易に敵がいる時代はもう終わったかもしれない。

20世紀は戦争や社会主義などの明確な敵が存在した。

それは今もあるし、現代だから生じた敵もたくさん存在する。

貧困やテロとかがそうだ。

でもずっと平和になったんじゃないだろうか?特に日本は。

平和になった今でも、僕らはやっぱり敵を見つけてしまう。

いつの時代も良いものと悪いものは同じ割合で存在するんじゃないだろうか?

例えば自由主義社会は素晴らしいにも関わらず、

多くの人が少なからずその恩恵を受けているにも関わらず、

その正の部分を全く見ようとせず負の面だけに目を向けて攻撃をする。

そんなのはフェアじゃない。全然フェアじゃない。

そしてこれが起きるのは、まぁぶっちゃけ勉強不足なんだろうけれど(ハイエクとかフリードマンあたりを)、

根本にあるのはこのプラトン化だ。

安易にお話を作って、批判したいだけなんだ。

(その最たる例が小泉政権に対する批判だ。)


だから(と言ってもだいぶ話はぶっ飛ぶけれど)今後の芸術(文学や絵画)は、これに対抗しなきゃならない。

簡単に敵を作って単純に攻撃するだけなら、子供でもできる。

ちきゅうはちよんは原理主義の批判…云々…?馬鹿言っちゃいけねぇ。


「何か」がただ単に宙に浮かんでいるということに、

僕らはどことなく気分が悪くなってしまうんだろう。

それをうまい具合につなぎ合わせたり、こっち側に引っ張ってきたくなる。

でもそうしたとたんにその「何か」は消えてしまう。





(これまでの話と全然関係ないが)永井均が久しぶりに読みたくなった。

全読しようかな。野矢茂樹とかあたりも攻めようか。

なんだか読書におけるタスクがどんどん増えてるような…

2009-10-07 黒い白鳥。

ブラック・スワン[下]―不確実性とリスクの本質

ブラック・スワン[下]―不確実性とリスクの本質

やっと(下)を読み終わった。

まぁ入荷待ちやら一人旅やらで時間がなく、

(上)を読み始めてから1か月も経ってしまったけれど。


後半はやや失速気味な印象だったけれど、

すごくおもしろかった。

興味深いという意味合いでもそうだし、

エンターテイメントとして楽しめたという意味合いでもそうだ。

すごく刺激的な読書だったなぁ。


いつも通りぐだぐだ感想でも書こうとしたけれど、

いつも通り長くなるので(笑)、今日は手短に。





僕は基本的に認識論というのが嫌いだ。

認識論的な話というのは多くが哲学者の言うチンケなもので、あほくさい部分が多い。

(例えば、「自分が見えるように他者も見ているのか?」とかなんだとかいうもの。そんなのどうだっていいじゃないか(笑)!)

しかしこの本でいう認識論とは、もっと根本的なものからくる認識論だ。

そう、脳だ。


最近脳科学と言うと、

脳トレブーム」や茂木健一郎のせいで

だいぶエセ科学的な雰囲気を醸し出してしまっているような印象をメディアから受けるけれども、

いやいや、馬鹿言っちゃいけねぇ

21世紀は脳の時代だ(と僕みたいな人間がエラソーに言えるか分からないけれどw)。

ず〜っと昔に量子論が生まれたにも関わらず、

その重要さに科学者以外はあんまり気づいていないようで、

哲学や思想や社会に全く持って広まっていないように思う。

特に文学などの分野には(「文学に科学は相容れない!」とか言う人間はあほだ!)。

まぁこれは科学者が基本オタクであって、周りに十分に広めることができなかったのかもしれないけれど…。その点、ポパーはやっぱりすごいと思うし、科学哲学というものの重要性は計り知れないと思う。なんで科学哲学がこれほど軽視されているのか、僕には全くもって理解不能だ

すべての根本は脳にあるんだ。


錯覚の現象については僕が前書いたような気がするけど、

目、というか脳は、

三次元的に世界を捉えるように作られており(というか進化しており)、

二次元的に正しいが三次元的には間違っているものでも、三次元的に捉えてしまう。

これによりあの奇妙な錯覚の現象が起きる(2本の線が本当は同じ長さなのに違って見えてしまうとか)。

これが錯覚の主な原因の一つで、

人間は、というか脳は、このバイアスを取り払うことがそもそもできない。

そう、人間は脳の解釈からは逃げられないわけだ


この脳の限界が認識論の限界であって、

量子力学で言うならばつまり、

「僕らはあまりにも小さすぎるものをそもそも理解できない。そういうふうに脳は作られていない。だから量子力学はものすごく奇妙なんだ!」

ということになる。


そして僕らの脳にとってこれらと同じような限界がもう1つある。

それが時間についての認識、未来についての認識だ。

(まぁ過去についても同様だけれど。)


おそらく(というか完全に)僕らは時間に関して、全くもって無知だ。

アインシュタイン相対性理論では相当ミクロの時間の話なので納得はできるのだけれど(光速に近い速度だと時間の進み方が遅くなる…というのは、結構簡単に理解できる。あれは単なる物理学であってなんら難しくない。つまりあれは脳の限界を超えていないということだ)、

もっとマクロ的な意味合いでの時間、つまり明日とか1か月後とか1年後とか・・・

そういう未来を僕らは扱うことがそもそもできない。

(過去については、脳はお話を作り上げてしまうので、これまた扱えない。)

よって時間学なんてものはありえない。

あらゆるものが無駄に学問になっている現代においても(エセもいっぱいあるが…例えば社会学(笑)だとか)、

このような学問は存在しない。


しかし生きる上である程度扱わなければならないので、

どうしても予測してしまうわけだ。


でも、予測して何が悪いかって?

いや悪いんです。

それはこの本を読んでください。読めばわかります。わかってください。





錯覚のようなものはある種のおもしろいパズルのようなものなので、

別にそんなに深刻に考えないでもいい。

楽しく遊べればよいと思う。


量子論については、これは知らなきゃ知らないで別にいい(知っておいた方が世界はもっと面白くなると思うけれど。僕も今ちゃんと数式を使って勉強中です)。

これは人間の脳の限界に挑戦しようとする物理学者たちが

アツい志を持ってやることだ(僕はこう言う人たちが大好きだけれどね)。

私たちは、訓練と練習によって、ミドル世界から自らを解放し、黒いブルカを脱ぎ捨て、非常に小さいもの、非常に大きいもの、非常に速いものについてある種の直観的な、―まさに数学的でもある―理解を達成することができるのだろうか?私にはその答えは本当にわからないが、人類が理解の限界を押し広げようとしている時代に生きていることに、私は興奮を覚える。もっとうまくいけば、そこには限界などないのだと、いつかは知ることができるかもしれない。

リチャード・ドーキンス 「神は妄想である」より


しかし、予想はし過ぎちゃいけない。

それはなぜか…この本を読んでください。

まぁ簡単に言うならば、

アホくさいからだけれどね(笑)!!!





と…あんまり書かないとか言っておいて、無駄に書いてしまった。

まぁ、続きはまた今度で。

この本を読んで、「わからないものはわからないんだ!」としっかり言えるような、

そんな根性を持った人間になりたいと思いました。



今日はまたまた実験は不調だったので、

松本清張を読んだよ。再読だけれど。

点と線 (新潮文庫)

点と線 (新潮文庫)

僕は鉄ヲタじゃないが(!)、最近時刻表が好きになってきた。

それを踏まえて改めて読んでみるとだいぶおもしろかった。


まぁこういう推理小説なんてご都合主義のお手本みたいなものだが(特にこの「点と線」ポパー主義と全く持って正反対なものだけれど)、

そんな堅いこと言わず、エンターテイメントとして楽しもう。

そう、別に損したり、他人に迷惑かけたりするわけじゃないんだからさ!

2009-10-06 にゃ〜お

週末は副業。

土日に仕事が入ると、休みのはずなのになんだか逆に疲れてしまう。

でもまぁ、仕方無い。稼がなければ、生きていけないし…。

で、そのまま月曜日に突入。ああ、実験だ。


また以前の続きで、中和滴定のようなことを延々とやり続ける。

しかし…どうもおかしい。

先週成功したと思ったはずのフェネチルが、どうもうまくいっていたいような気がしてやり直すも、うまくいかない。

ベンジルにいたっては、これはいくらやっても無理だと確信した。

だって、ビンに目一杯入れてもなんの変化もないのだから…(つまりビン目一杯まで一滴ずつ入れたのだ!)。


今日はそのビンを仕込まなきゃならないのだけれど、

そんな感じで全くできあがっていない状況。

ああ、これは一体どうすりゃいいの???




気分転換に本に関して少々。

これから読む本をば↓

ブラック・スワン[下]―不確実性とリスクの本質

ブラック・スワン[下]―不確実性とリスクの本質

(上)はもう読んだけれど、

なぜか(下)が本やタウンになくて買えなかった。

やっと入荷したので、やっと買った。

まぁぶっちゃけた話、

ポパーハイエクは再読されるべきだ!ということなんだね。


で、池田信夫が、

経済学の教科書は脳科学から始まるようになるんじゃない?

とかなんとか言っていたような気がするけれど、僕も確かにそうだと思う。

あらゆるものは脳科学に通じる…なんて言えるかどうかは知らないけれど、

脳科学は人間にとって必修科目であるように思う。



プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?

プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?

で、脳科学の本を2冊。

これはよさそうだ。



グレン・グールド発言集

グレン・グールド発言集

今最も興味があるのがグールド

グールドという人に興味がある。



これは「しなければならない」ものなので、ちょっとウツだ。

今のところ、何を言っているかさっぱりわからない。

むむむ…なんだかまた人生におけるタスクが増えてしまった。。。

2009-10-04 1Q84

1Q84 BOOK 2

1Q84 BOOK 2

amazonのレビューの星一つの人たちに同感です。

春樹の作品の中でもワーストワンです。


最初読んだ時は無理でした。

でも多くの文芸評論家(笑)が絶賛しているので、

僕が間違っているんだろうと思い、

いろいろと読み直したり、

自分なりにあれこれずっと考えてみました。

しかし、無理です。僕には。もう無理です。

そういうものなんだと諦めました。





気分が悪くなったので、なんだか古典が読みたくなった。

グールドは「草枕」を愛読していたようですので、

まずはこれから読みますか(って未だに読んでいなかったことが恥ずかしいけど)。

草枕 (新潮文庫)

草枕 (新潮文庫)

2009-10-03

グールドとか1Q84とか夢とか。

20:55

〜業務連絡〜

情報系の友人に情報倫理的な問題を指摘され、

昨日のエントリーを若干訂正しました。

こういうものはなかなか微妙なものなので、難しいですね。




さて、今日は副業のため、キリンビール仙台工場へ。


でまぁ、自宅から仙台駅まで歩き、仙石線中野栄駅へ、そこからさらに30分くらい歩いていかねばならないので、

iPodで音楽を聴いたりPodcastを聞いていたんだけれど、

なんだかどうも飽きたので無駄にいろいろと考え事をしながら今日はその往復の3時間程をすごす。

その時考えたことなどをつらつらと・・・



グレン・グールドの話だけれど

「芸術の目的は、瞬間的なアドレナリンの解放ではなく、むしろ、驚嘆と静寂の精神状態を生涯かけて構築することにある」

というあまりにも有名な言葉が頭を巡っている。

グールドはコンサートを否定し、自分の世界に籠ることこそが創造的であると言ったわけだけれど、

まさしくそうだと僕も同感だ。

そもそも論として、世の中ではなぜ

「他人が認識できる形にしなければこの世に存在しないも同じだ」

というような暴力的な発言が起こり得るのか、僕には全く理解できない。

そんな認識論的な話は確かにビジネスとかにはあるかもしれない。

自分をアピールするだとか、うまくプレゼンテーションをするだとか、他人に認めてもらうように頑張るとか、

そういうことをしなきゃ社会では生き残れない…みたいな部分は確かにあるかもしれない。

けれど、そういう「他者」を完全に断ち切って、自分の殻に閉じこもって何かをするということの方が、

すごく大事なことなんじゃないかと思う。少なくとも、僕はそう思う。

そういう営みによって創られたものが、

つまりは芸術(文学とか音楽とか絵画とか)なんじゃないかと思う。


前々から思っていたのは、

芸術なんて言うものは恐ろしいまでに作者の超個人的なものであるべきであって、

他者への表現欲求なんてない方が僕としてはすっきりする。

そうすれば、鑑賞する側の僕らも超個人的に接することができるからだ。

芸術においては、作者と鑑賞者がそういう対等な関係にあるべきなんじゃないだろうか?


こんな感じで独我論的にいろいろと考えてたら、1Q84にある

「説明しなくてはそれがわからんというのは、つまり、どれだけ説明してもわからんということだ」

を思い出した。

ウィトゲンシュタインにおける独我論的な印象を受ける表現だ。




その1Q84関連で、最近おかしな体験をした。

ビールを飲んだら気持ち良くなって、いつの間にか寝てしまって、起きたら0時で、

一体今は夜の0時なのか昼の0時なのかさっぱり分からなくなってしまったという奇妙なことがあった。

窓から見る外の明るさからすれ完全に夜なのだけれど、

そういえば天気予報で明日は雨が降るなとかなんとか言っていたので

そのせいで外が暗いのかと思ったりもした。

しかしそれにしても相当暗い。

ベランダに出てちゃんと確かめみると、これは確かに夜の暗さだとか思ったけれど、

いやもし皆既日蝕なら昼でもこんな暗さだとかなんだと、なぜか思い始めた。

いやでも、皆既日食はこの前あったばかりだと思い、やっぱり夜だと確信。

しかし1Q84の読み過ぎなのか、昼と夜が逆転している世界に迷い込んだのかと、

寝ぼけていてまたまた意味不明なことを考えてしまい、

なんだか今が夜であることを納得するまでに相当な時間がかかってしまった(結局24時間表示の時計を見て、やっと夜だと確信したわけだけれど)。

一体なぜだろう?



なんだかこれ以上書いても、

いろいろとむちゃくちゃになりそうなので、もうやめよう。

グレン・グールドの生涯

グレン・グールドの生涯

2009-10-02 またまた実験

今日は昨日に続き実験だ。

朝早く研究室に行き、昨日うまくいかなかったベンジルのペレットを作ることに。

昨日から一晩乾燥機に入れていたので、昨日のような失敗はないだろうと思っていた。

が…しかし!結果は昨日と全く同じで、唖然。。。

またべちょ…という感じになり、まったくペレットにならない。

うう。

C4もフェネチルもうまくいったのに、これだけがうまくいかない。

准教授に聞いたら、そうか…じゃぁ、粉末のままやるしかないね…とのこと。

まぁ一応できるだけいいか!と開き直り、測定をすることに。


測定したら、まぁまぁいい感じではあった。

しかし、いかんせん僕の知識がなく、

その測定結果がどのような意味をなしているかが良く分かっていない(汗)。

収束の問題あたりは何とか分かったのだけれど、

フィッテングがどうたらこうたらとかの話になると、全くちんぷんかんぷんだった。

まぁこれからしっかり勉強していきたいと思う。


測定終了後、以前の実験の中和滴定みたいなものの続きをやろうと思ったんだけれど、

なんだか頭痛がしてきたので中止。

研究室もフェードアウト気味に帰ることに。

久しぶりに早めの帰宅だ。




さて、ゆっくり休もうと思ったけれど、

明日からの土日は副業があって、意外と忙しい。

今日の夜はその準備をせねばならない。

もうちょっと休みがほしいものだなぁ。

ああ、また旅に出たい。

そいえば、誰かが言っていたこんな言葉を思い出した(たぶんこんなことだったと思う)。

人には2種類いる。その場に留まれる人と、留まれない人だ。私は留まれないから旅をする

僕は留まれない方なのかもしれない。


まぁでも留まっていたいときももちろんあるけれどね(笑)。

もっと秘境駅へ行こう! (小学館文庫)

もっと秘境駅へ行こう! (小学館文庫)

2009-10-01 また実験。

昨日の中和滴定(のようなもの)に続いて、今日はペレットを作ることに。

明日の重要な実験に使うために、3種類のペレットを作らねばならない。

そう、明日の実験がうまくいけば僕の卒論はだいたい終わるのだ!

こんなに早くデータが出てしまうのはどうなのかと思ってしまうけれど…

まぁ、いいか。早いことにこしたことはない。


しかし、なかなかペレットの製作作業が微妙な感じだ。

フェネチルの場合は非常にうまくいったのだけれど、

ベンジルになると全くうまくいかず、べちょ…という感じになってしまう。

これは粉末中の水分が多いためであるので、

もう一度ジエチルで洗浄し、真空ポンプで吸い、仕切り直し。

しかし!いかんせん、うまくいかない。

准教授に聞いたら「試料によってはそういうのもあるから。それなら乾燥機に入れちぇえば!」とのこと。

入れていいのか!というわけで、乾燥機に入れちゃって、明日またペレットを作ることに。

本当にこれは成功させたい。

そうすれば卒論がうまくいくんだ!!!!!!

明日は僕にとってだいぶ重要な日になりそうだ。。。




さて、今日は研究室の友人と、

なぜか政治や経済の話になっていろいろと話した。

マルクス主義とか自由主義とか計画経済とか資本主義経済とか・・・

まぁいろいろと「用語」はあるけれど、

ファイマン的に言えば、こんな「用語」なんてぶっちゃけどうだっていいんだ!

そもそもあらゆる「用語」はあまりにもテキトーなものであって、

一つの用語にたった一つの意味が当てはまるってわけじゃない。

そんな簡単な用語で分類できるほど、世の中は単純じゃない。

本当に大事なのはもっと本質的な意味だ。

これは僕がファイマンから学んだことだ。


一応その友人にはハイエクを教えてあげた。

今再読されるべきは、ハイエクフリードマンなんじゃないかな?

まぁ、特に亀井静香がちょっと危ない社会主義者なので、みんな心配してるしねw

ハイエク 知識社会の自由主義 (PHP新書)

ハイエク 知識社会の自由主義 (PHP新書)




明日はまた実験。

土日は副業もある。

なかなかに休みが取れないなぁ。

ああ、また秘境駅に行きたいと思う(夢にまで見てしまったくらいだw)

秘境駅へ行こう! (小学館文庫)

秘境駅へ行こう! (小学館文庫)

2009-09-30 日常生活スタート

ああ、なんだか北海道の旅ではいろんな人に出会ったような気がする。

でもいろいろ思い返してみると、実はそうでもない。

いや、でもそうでもあるような気がする・・・なんでだろ?

この奇妙な感覚の原因は、

たぶん駅ノートにあるんじゃないかなと、ふと思った。

いろんな駅の駅ノートを読んだり、さらには書き込んだりしていたから、

なんだかいろんな人に出会ったように思っていた。

でもこれはたぶん単なる記憶なんかじゃない。

僕は本当にいろんな人に出会ったんだ。





さてさて、日常生活スタートということで、

いろいろとまた研究室で実験をやっているわけなんだけれど、

今やっている実験はなかなか人生における教訓に満ち溢れているなぁとか、

しみじみ思っている次第w


やっていることはぶっちゃけ中和滴定みたいなものなんだけれど、

いかんせん事前の情報が全くない状態なので計算もできず、

いったいどれくらいやればいいかの予測が全くつかない。

つまり一般的には、ある程度のところまで気楽に液体を注ぎ、

ラインに近づいたら一滴一滴垂らすという方法をとれるけれど、

今回はそれが全くできないということ。

しかもさらに今回は、液体を急に注ぐとすぐに沈澱が起きてしまい、

ぎりぎりの飽和状態をしっかりと把握するという目的を達成するには、

やはり最初から最後まで一滴ずつやらねばならないという、

大変過酷なルールの下行われる実験をしているのだ・・・ああ・・・。


まぁでもその他の時間では、

最近ファイマン物理学量子力学をちゃんと勉強しているので、

なんだか充実した日々を送っている気がする。

量子力学メタファー的というか哲学的というか、

そういう意味合いばかりで捉えていて、

数学的な本質をちゃんと捉えていなかった(一応授業でやったけれど、簡単な行列式のみしか扱わなかった)。

そこで、ちゃんと勉強しておこうと思った次第。

ああ、そしてファイマンさん、

あなたのような魅力的な人生を僕は送りたいと真剣に思います。


研究室ではいろいろあっても家に帰れば意外と楽しいし、自由に過ごしている。

で、最近ちょっとはまりそうなものがあってなんだかウキウキしている。

それが、トイカメラだ。

デジカメとかそんなつまらないもんじゃなく、

トイカメラがほしい!とかちょっと前から思っていたんだけれど、

ついに行動に移そうかな!と。

LC-Aはちょっと高いのでDiana F+を買おうと思う。

トイカメラにおける偶然には非常に魅力を感じるし、

さらにはあのグールドの「創造的な捏造」をも思わせる。

この偶然であり創造的である捏造・・・

僕はこう言う言葉に弱く、鳥肌が立ってしまう人種なんだなぁw





↓は北海道のあちこちで見かけたお土産。

オタクの友人に買ってあげようかと悩んだけれど、

流石にこれを札幌から仙台まで持ち帰る勇気はなかった。

パッケージに騙されないように!

パッケージで客を釣ろうとしている商品ではないです。

ものすごくおいしいプリンのようですよ。。。

2009-09-29 旅最終日終了

若干(というかだいぶ)のタイムラグがあるけれど、

旅が終わりました。

ああ、楽しかったなぁ。。。

最終日はただ単に移動しただけだったけれどね。

夜行札幌から青森、そしてひたすら鈍行で仙台まで…

なんと16時間余り。疲れたなぁ〜。


電車ではひたすら「破獄」を読んでました。

「ジャン・クリストフ 4」を置いといて(笑)。

こんなことだからいつまでたっても読み終わらないんだよなぁ…。

でもまぁ、「破獄」は面白かったですね。

破獄 (新潮文庫)

破獄 (新潮文庫)




さてさて、今日はずっと研究室。

これからこ〜ゆ〜生活が続くんだろうなぁ。

ま、でも、久しぶりの日常生活ってのもなんだかいいかもしれない、

とか思った次第。