東日本大震災・名取の報告(4/20〜22)



4月20日仙台空港(水に浸かったところまでガラスが汚れています)


4月22日の増田川


20日は2名の看護士さんが帰られる日でした。14日に帰られた看護士さんも含めて、みなさん本当に熱心でまっすぐで優しい方たちでした。ずっと一緒だったお二人が帰ってしまうと、自分が想像していた以上に力が抜けてしまい、クリニックに戻ると急に感情が溢れてきて、壊れたように涙が止まりませんでした。


専門家ではなく私のようにコーディネート役として入ってる場合、直接被災者の方をケアする専門家の方が少しでも仕事に集中してもらえるよう環境を整えるということが、重要な仕事の一つでした。しかしそのことを組織としてどこまで理解しているのかいら立ちや葛藤もあり、大切な仲間である看護士さんをくたくたにさせてしまったことが悔しくて仕方ありませんでした。こうして支援に入る時、被災された方のための活動をするという目的はどんなことがあっても見失ってはいけない、これは確かなはずです。そのことがぶれはじめると、悪循環の末人間関係にも歪みが生まれかねません。それは結果として支援の質が下がることになります。もっと責任を持ってメンバーの生活環境整備に努めなければいけなかった、これが名取での私の最大の反省でした。残すは10日間。気持ちを落ち着かせて再出発したほうがいい、そう思い、22日に一日休みを取り近くのホテルに泊まることを決めました。


22日の朝、田中先生の散歩についていきました。すぐ側を流れる増田川沿いを歩くと、大きく陥没しているところがありました。ここが被災地であることを改めて思い知らされました。川沿いにある小学校の側には桜の木が何本かありました。関西よりも東北の桜の季節はだいぶ遅く、まだ花がきれいな木もありました。東北に来てからゆっくり見上げたりはすることはありませんでしたが、気仙沼でみた桜も名取の桜も美しくて励まされているような気分でした。


朝食をとってクリニックを出て名取のホテルに車を残し、電車で仙台へ出かけました。1人でレストランに入ると、片側のテーブルでは震災の話、片側では震災とは別の話をされていました。頭まるごと震災のことばかり考えてきたこれまでから、ほんの少し離れたことを実感した瞬間でした。