東日本大震災・名取の報告(4/23〜25)



4月24日の肩もみサラダ

4月25日の運動場にて(子どもが私のカメラで勝手に撮っていました。空がきれいです。)



23日は田中先生が帰られる日でした。先生は、どんなに疲れていても、被災者の方のことを常に想い、活動について熱心に考え、そして私たちメンバーに優しい笑顔を絶やすことがありませんでした。誰からも厚く信頼される先生の働きかたに、私は強く感銘を受けました。


先生が帰る前に一緒に隣の避難所へ行き、親しくされていたおばあちゃんに会いに行きました。7日の地震の夜に診察されてから、先生は時間があればおばあちゃんを訪ねていて、私は時々同行させてもらうようになっていました。おばあちゃんは申し訳なさそうに胸につかえた悩みを打ち明け、そしてがんばらないかんっちゃねぇと自分に言い聞かせるように笑顔を見せてくださりました。そんなおばあちゃんに私は励まされていました。おばあちゃんのふるまい一つ一つに素敵だなぁと心惹かれ、そして自分も頑張ろうと思うのです。頼りにしている田中先生が帰る…この日おばあちゃんの寂しそうに泣く姿に耐えられなくて、私も泣き、先生も泣いていました。お二人の絆に私は感動していたんだと思います。誰かの存在が、誰かとのつながりが、今日を乗り越えるためのエネルギーになる…真の思いやりの心があれば、私たちは誰かのそんな存在になることができます。素晴らしいことを学ばせてもらいました。


先生とさよならし寂しくなっていましたが、幸いにもこの日の午後、前任者の友人が名取に来てくれました。石巻での活動を終え、帰りに寄ってくれたのです。一緒に避難所を周り、彼女は仲良しだった子どもたちとの再会を果たしました。帰って来たの?と言って飛びつく嬉しそうな子どもたちの姿が嬉しく思いました。ずっと気にしてるからね、そんなメッセージが被災された方に届くことが今はとても重要だと思います。



24日は4回目の肩もみサラダでした。これまでのメンバーに加えて、クリニックのすぐ側の仮設住宅を建てに来ている若い大工さんや桑山先生の息子さんも参加してくださりなんと15名という大所帯でした。何かしたい、そんな想いを持ったいろいろな立場の人がこうして集まり、心をひとつにして行けることが嬉しくて仕方ありませんでした。私たちは肩もみチームと、子どもたちと遊ぶチームに分かれました。運動が不得意な私は傍観者でしたが、子どもたちも看護士さんもごちゃまぜになっておもいっきりボールを蹴っていました。


そして25日、もうお一方、陸前高田と名取で診察にあたられてきた香先生が帰られました。先生が名取に来られたのは、私は最も疲れがたまっていた頃で、先生はほんの少しのことでも誉めたり、休んだほうがいいと説得してくださりました。先生に優しい言葉をもらう度、私も誰かに優しくしたくなりました。共同生活をしながら働くというとき、ちょっとした優しさの循環がチームの支えになるということを身を以て感じました。