私が愛する三人の過激思想家

文章を書くのが好きな人なら、きつと自分の考へ方や書き方に影響を及ぼした著作家があることだらう。私の場合、日本人に限れば少なくとも三人の名を舉げることができる。ベストセラーを連發する作家やジャーナリストに比べれば知名度こそ劣るが、その文章は萬人向けの人畜無害な讀み物とはわけが違ふ。根本から考へ、過激に書く。つまり二重の意味でラディカルなのだ。私はこの人たちの本を讀んだことで、大げさではなく、世界觀が變はつた。わが愛する三人の過激思想家を紹介しよう。

呉 智英

うろ覺えだが、評論家の小谷野敦さんが數年前、「現在四十代の物書きで呉智英に影響を受けた人は相當多いはずだ」と書いた。私のやうな「ブロガー」が物書きの端くれに入るとすれば、間違ひなく影響を受けた一人だ。學生時代、『封建主義 その論理と情熱』(1981年。後に『封建主義者かく語りき』に改題)に出會ひ、愛讀者となつた話は別のブログで「呉智英氏の思ひ出」としてすでに書いた。

封建主義者かく語りき (双葉文庫)

「封建主義者」を名乘る呉さんの民主主義批判は衝撃だつた。思想の背景を知りたくて、『封建主義』の卷末に推薦圖書として掲載された白川靜、阿部謹也網野善彦といつた人たちの著作もいろいろ讀んだものだが、やはり一番面白いのは呉さん自身の本だつた。その魅力は俗論に切り込む知性と明晰な文章、そしてユーモアだ。また、マンガ評論からは多くの讀みごたへあるマンガを教へてもらつた。經濟的・物理的な事情でマンガは以前ほど買はなくなつたが、呉さんが賞賛した近藤ようこの作品はほとんど持つてゐる。

大學時代、文化祭の講演にやつて來た呉さんはまだ三十代の若き評論家だつたが、今では還暦を過ぎられ、髭も蓄へ、冩眞で見かけるお姿はなにやら仙人然としてきた。だが文章の魅力は昔のままだ。私はかつての呉さんよりも年輩になつてしまつたが、まだ直接お目にかかつたことはない。ファンレターへの返事とともに戴いた御本のお禮を、いつかきちんとしなければならないと思つてゐる。

松原 正

十年前の2000年4月、私は「地獄の箴言」といふウェブサイト(その後ブログに移行)を始めたが、その目的の一つは松原正先生の文章の魅力を宣傳することだつた。松原先生の專門は英文學だが、竝の作家など束になつてもかなはない見事な日本語をお書きになるし、『国家の品格』などといふ支離滅裂な本を書く數學者などより遙かに論理的な文章を綴られる。

「この世が舞臺 増補版」 (松原正全集第一卷)

呉智英さんは早大法學部卒で、社會科學系の智識が思考の根つこにある人だが、松原先生は同じ早大でも文學部出身で、そこで教授まで務めた人文科學系の人だ。もちろん政治や軍事の智識もおありになるのだが、あくまでも文學から學んだ人間理解をもとに政治・國防問題を斬るところに眞骨頂がある。だからこそ「良識的」な政治評論家やジャーナリストには眞似のできない根元的な議論が可能になる。

ウェブで松原先生のことを書くやうになつた後、お目にかかる機會を戴いた。『戰爭は無くならない』とか『自衞隊よ胸を張れ』とかいつた書名に恐れをなす人がゐるかもしれないが、嚴しい先生であることは事實としても、これほど氣さくで氣持ちの優しい方はゐない。最近は御高齢といふこともあつて機會が少なくなつたが、先生の講演には全國から驅けつける古い固定ファンの方々がゐて、とにかく先生の人柄を慕つてゐる樣子が傳はつてきたものだ。今年は劃期的な「松原正全集」の刊行が始まる豫定で、讀者がさらに増えることを期待したい。

越後和典

越後和典先生は滋賀大名譽教授で、專門は經濟學。松原正先生より二つ年上で、今年八十三歳になられた。だが老成といふ言葉はまつたく似合はない。それどころか日本の經濟學者の中で、現在、越後先生よりも過激な主張をしてゐる人はゐないだらう。なにしろ先生は國家なき社會を理想とするアナルコ・キャピタリズム(無政府資本主義)の信奉者なのだ。

新オーストリア学派の思想と理論 (MINERVA現代経済学叢書)

越後先生の『新オーストリア学派の思想と理論』(ミネルヴァ書房、2003年)を初めて讀んだのは、リバタリアニズムに興味を持ち始めてしばらくしてからだ。三年ほど前、當時住んでゐた名古屋から出版社を通じて手紙を差し上げたところ、御返事をくださり、大津市内の御自宅に初めてお邪魔した。その後、半年に一度くらゐの頻度で遊びに伺つてゐる。名古屋時代は『リバタリアン宣言』(朝日新書、2007年)の著者、蔵研也さんとも知り合ひ、蔵さんの車に乘せてもらつて一緒に先生を訪ねたこともある。實は昨日(3月28日)も久しぶりにお邪魔してきたところだ。

越後先生はマルクス經濟學の獨占理論から出發したが、實情に合はないと感じて新古典派の産業組織論の研究に轉じ、同分野の第一人者となつたが、その學問にも滿足できなくなつてゐた頃、市場經濟を徹底して擁護するオーストリア學派經濟學と出會ふ。七十代の頃は體を壞し、思ふやうに物を書けなかつたさうだが、最近健康を取り戻され、「マレー・N・ロスバードの貨幣論(.pdf)」「カール・ポランニー批判(.pdf)」など次々に論文を發表されてゐる。今後の發表分を含め、來春にはまとめて出版したいとお考へになつてゐるさうで、樂しみだ。

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三人の主張を比較すれば、當然相容れない部分はある。それについての考へはおひおひ述べて行くつもりだが、共通して學んだ點に比べれば大したことではない。ラディカルであることだ。

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