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ラディカルな経済学(旧館) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2012-07-01

死刑免除は遺言で決めよ

刑事法學の大御所で、元東大教授の團藤重光(だんどう・しげみつ)が先週九十八歳で死去した。最高裁判事も務めた團藤は、死刑制度廢止を強く主張したことで知られる。しかし死刑を廢止するにせよ、維持するにせよ、政府が畫一的に決めれば、反對意見を持つ人々には不滿が殘つてしまふ。もつと賢明な解決法があるので、提案したい。

死刑廃止論

その前に、死刑そのものが適正な刑罰かどうかを確認しておかう。團藤は生前のインタビューで、死刑に反對する理由の一つとして「生命は天の与えたもの、人間が決して作り出すことができないもので、これを人が奪うことは決して許されません」と述べた。しかしこれは誤りである。その證據に、たとへば正當防衞であれば人を殺しても罪には問はれない

つまり人を殺すことが許されないかどうかは、前後の状況に照らして判斷すべきであり、状況によつては許されるのである。もしある者が他人の生命を正當な理由なく奪つたならば、報復として死刑にすることは正義にかなひ、適切だと言はなければならない。

また團藤は刑罰の本質論からも死刑に反對する。いま述べたやうな、刑罰の本質とは犯罪に對する報復であるとする考へを「應報刑論」といふが、現代の刑法學者の多くは、應報刑論は人間の野蠻な復讐心の名殘だと考へてゐる。そして刑罰の目的を犯人の社会復歸のための教育であるとする、進歩的な「教育刑論」を支持する。この考へによれば、死刑は心を入れ替へるべき犯人自身を殺してしまふので、教育として意味がない。團藤は、死刑は犯人の「悔悟による変化、矯正の可能性」をすべて奪つてしまふと批判した。

しかしこの批判も誤りである。もし刑罰が報復でなく教育のためにあるとしたら、すべての刑は不定期刑でなければならなくなる。なぜなら教育にかかる時間は事前にわからないからだ。なほかつリバタリアンの思想家、マレー・ロスバードが指摘するやうに、大量殺人者であつても教育に成功したと判斷されれば三週間で釋放され、一方で、わづかな盜みを犯した者も教育が不十分とみなされれば一生刑務所に閉ぢ込められる(『自由の倫理学』110-111頁)。これは明らかに不合理だらう。

自由の倫理学―リバタリアニズムの理論体系

個々のケースで情状酌量の餘地はあるかもしれないが、原則として、殺人に對する死刑は適正だといへる。さて、私の提案はここからである。(註1)

さきほど述べたやうに、刑罰の本質は報復である。では誰のための報復か。それは國家や社會ではなく、被害者個人のための報復でなければならない。犯罪によつて被害を受けるのはあくまでも實在する個人だからである。言ひ換へれば、犯人を罰することは被害者の權利でなければならない。そして、もし罰することが被害者の權利ならば、その權利を抛棄する自由もあるはずである。

死刑の場合、被害者本人は死亡してしまつてゐるので、罰する權利は、他の財産と同じく、相續人(たいていは遺族)が引き繼ぐ。もし被害者が死刑に反對で、自分が殺されても犯人を死刑にしないやうにと遺言してゐたら、相續人は通常の遺言と同じく、その遺志にしたがひ、死刑にする權利を抛棄しなければならない。逆に故人の遺志が死刑執行だつた場合、相續人の獨斷で死刑を免除することはできない。

そしていづれの場合も、政府は被害者の遺志に反する刑の執行や免除を命じてはならない。政府は司法サービスの供給者として、利用者である納税者の要望にあくまでも忠實であるべきだからである。以上のやうな制度改革が實現すれば、死刑反對論者と肯定論者との間の不毛な論爭はなくなり、どちらも自分の信條にかなつた刑のあり方に滿足できるだらう。

もちろんこれだけでは十分でない。最大の懸念は、冤罪である。最近も東電OL殺人事件で再審開始が決まつたが、警察、檢察、裁判所の過去の「實績」をみるかぎり、無實の人間が殺人犯として政府によつて死刑にされる恐れは決して小さいと言へない。

團藤重光も死刑反對のもう一つの理由として、「誤判の問題」を強調してゐる。これだけは説得力があると私は思ふ。團藤は最高裁判事として、政府の司法能力の乏しさを身をもつて感じたのだ。しかしこの問題は死刑を廢止しても解決できない。刑罰の權限そのものを不效率な政府の獨占から解き放ち、より優れた能力を持つ民間の司法サービスを構築しなければならない。(註2)

無政府社会と法の進化―アナルコキャピタリズムの是非

(註1)私の提案は、ロスバードの "The Libertarian Position on Capital Punishment"にもとづく。

(註2)民間による司法サービスが可能かどうか、その能力は政府より優れてゐるかどうかについてここで論じる餘裕はないが、たとへば蔵研也『無政府社会と法の進化――アナルコキャピタリズムの是非』(木鐸社、2007年)が參考になる。

(「『小さな政府』を語ろう」でも公開)

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浅野浅野 2012/07/01 11:30 いつも素晴らしい記事をありがとうございます。
毎回、参考にさせて頂いております。
今回の記事も深く感銘を受けました。
ところで、一つだけ気になった事があるので質問させて頂ければと思います。
日本の現行の司法制度だと、死刑になるのは複数の人間を殺害した者が殆どだと思われます。
そこでロスバードの説を現代日本に応用するならば、殺された人間の間で遺言が食い違う場合はどのように判断するのでしょうか?
不躾な質問で失礼致しました。
もし、お時間があれば、お答え頂けると幸いです。

木村 貴木村 貴 2012/07/01 15:56 浅野さん、鋭いご指摘ありがたうございます。
死刑反對と賛成の間をとつて半殺し、といふわけにはいきませんからね。
おそらくまづ、被害者の遺族同士で話し合ひ、妥協點を探ることになるでせう。
死刑をあきらめて賠償金で折れるとかですね。
それでも決着がつかなければ、多數決といふことになるのかもしれません。
遺言もかうしたケースを想定して細かく決めておく必要がありさうですね。
とにかく一番大事なのは、政府の都合でなく、當事者同士の利益を最優先することです。

梅澤梅澤 2012/07/01 21:00 加害者を死刑にする権利が、「他の財産と同じく」相続人に帰するのであれば、その権利を相続人が自由に放棄したり譲渡したり金銭で売買してよい、といふことにはならないのでせうか。

sadatajpsadatajp 2012/07/01 21:00 人殺しの報復をするのは、殺された当人ではなく遺族や仲間です。報復の目的は、事件にケリをつける為と、再び同じ事件が起こって遺族や仲間が殺されるのを防ぐ為です。報復は、残された者が、残された者の為に行うものですので、報復の権利というものがあるなら、それを有するのは残された者、遺族や仲間です。ですので、殺された当人の遺言では決められません。

政府が報復の代行をしないというなら、本来の権利者にその権利を返すべきです。つまり、私刑の復活です。それが筋だと考えます。

木村 貴木村 貴 2012/07/01 21:29 梅澤さん
遺言は原則守らなければならないので、完全に相續人の自由にはならないでせうね。ただし、現行民法上も、どんな内容の遺言でも拘束力を持つわけではないので、どこまで自由になるかは内容との兼ね合ひになるでせう。

sadatajpさん
なにしろ本人が死んでしまつてゐるので、最終的には遺族が決めなければ仕方ない場合はあるし、遺族の都合を優先させなければならない場合もあるでせう。しかし一方で、死者の思ひをまるきり無視するといふことも考へにくいわけで、さういふ意味で、原則として遺言を尊重するといふルールを立てても問題はないと思ひます。

政府が報復の權利を返すべきだといふのは、私も記事の末尾に民間の司法サービスが望ましいと書いたとほり、完全に同意します。今囘はちよつとおとなしく、政府の獨占を認めたうへで、その範圍内で改善策を考へてみました。

浅野浅野 2012/07/01 22:16 丁寧な御回答ありがとうございます。
確かに、「社会のための刑罰」は違和感がありますね。
確かに細かい制度化は今後必要ですが、被害者当人の意識の尊重という点で深く納得出来ました。
今後とも、宜しくお願いします。記事の方も参考にさせて頂きます。

梅澤梅澤 2012/07/01 22:45 藤子F不二雄の短編漫画で、人口過剰により人を一人までなら殺せるといふ権利が与へられた未来で、それを売買の対象とするといふエピソードがありました。
個人的には報復が権利であるならば放棄はもちろん遺言の有無や内容によつては売買してもいいんぢやないかと思ひます。
まあグロテスクな話ですが、死人の意思が生きてゐる人間に誰かを殺すやう強制する社会よりマシかと。

枯山枯山 2012/07/02 15:01 木村様

記事を拜見致しました。
ところで一つ質問したきことがございます。この被害者の意志といふものなのですが、一體何を以て成立するのでせうか。
いつも誰かに殺されるといふことを考へてゐるとしたら、常識から考へてそれはその當人が相當切羽詰まる状況に陷つてゐるか、
はたまた心が病んでゐる時ぐらゐでせう。それ以外の己に殺意の刄が想像出來ぬときの報復云々など論じても、正直に申して時間の無駄以外の何物でもないかと考へます。
當人の意志が一番大事なのは、まさに己の命が奪はれんとする刹那の意志表示に他ならぬものだと考へるのですが、
それを一體全體どのやうにして確認し得ると稱しうるか、私には全く理解出來ないのです。

枯山

木村 貴木村 貴 2012/07/02 23:54 梅澤さん
報復權の賣買は、遺言で禁じられてゐない限り、もちろん有りだと思ひます。

枯山さん
前もつて遺言を作つておきます。最近はやりのエンディング・ノートに、「殺された場合、犯人に希望する刑」といふ項目が加はるといふことですね。まあ、それは遺族にお任せといふ人も多いかとは思ひますが。

枯山枯山 2012/07/03 06:18 木村様

御返信有難うございます。
前もつて遺言を作成し「殺された場合、犯人に希望する刑」を書いておくと言ふことですが、それは無意味といふよりも自己欺瞞ではないかと思ひます。
何故ならば復讐心は、何もない状態で發生するものではなく危害が發生してからおこるものであり、事前にそれが出來るとか言ふのは、
獨善の思上がりでしかないと思ひます。もう一度繰返しますが、復讐に對しての場合の當人の意志で一番大事なのは、まさにその當人に殺意の刄が迫つてゐる時か、
殺害直後に當人の亡靈に確認するのが尤も當人の自由意志を尊重したものでせう。その一番大事なところが缺けてゐるにも關はらず、被害者の權利を尊重するなどど嘯くのは、
己の中にある復讐心などを眞面目に考へてゐない自己欺瞞と知的怠惰から來る道徳的怠惰に他ならぬと私には思へてならないのです。

枯山

木村 貴木村 貴 2012/07/03 07:37 枯山さん
しかし信念として死刑に反對する人もゐます。そのやうな人があらかじめ、死刑免除の意志を表明しておくことは、きはめて自然だと思ひます。

枯山枯山 2012/07/04 06:31 木村様

死刑免除の意志と信念(死刑にすべしも同じ)が試されるのは、何度でも繰返しますがその當事者に對して殺害せんとする意志が向けられた時なのです。
その肝腎要の部分を無視した信念なぞは、きはめて自然な代物であるどころか、安樂椅子に坐りながら、衣食足りた人間が一度も飢渇に
陷つたことのない己を想像するぐらゐの不自然極まるものに他ならないものと思ひます。

人の心はわからぬものであり、なかでも復讐心はどうしやうもないくらゐ暗い性質を帶びてゐるものです。
赤穗義士の仇討やハムレットの復讐を喜んで受け入れる己がゐるにも關はらず、それを遺言状を認める時だけ忘却するやうな
意志表示などは私には眞中に大きな穴が開いた笊程度の代物にしか思へないのです。

枯山

木村 貴木村 貴 2012/07/04 20:25 まあ、私は枯山さんに遺言を書けと申し上げてゐるわけではないので……。世の中、いろんな人がゐますよ。それで他人に迷惑をかけるのでなければ、いいぢやありませんか。

枯山枯山 2012/07/06 08:41 木村樣

私自身が遺言を書く云々の話などはした覺えがございませんが、一體全體何處を見てそのやうな返答になるか意味が不明です。
何度も繰返してゐますが、殺意が向けれた時の當人の意志表示が缺けてゐる遺言(死刑免除も死刑實施)などは、缺陷品以外の何ものでもないと申してをります。
貴方はどうも自由といふ概念に醉拂てゐると御見受けしますが、貴方の提案が他人に影響を與へないと云ふ根據は何處にあるといふのですか、複數の殺人の場合で
遺言が異なる場合に遺族同士(死刑免除と死刑實施)の話合ひか、多數決に成るかも知れませんなどとしれつと書かれましたが、これが遺族に迷惑以上の影響を與へてゐないとでも言ふつもりなのでせうか。
己に對する復讐の意志表示を、何故赤の他人の意志表示如きに讓歩しなければならないか私には理解出來ません。もう少し言葉遣ひに注意された方がよろしいかと思ひます。

枯山

木村 貴木村 貴 2012/07/06 20:02 >私自身が遺言を書く云々の話などはした覺えがございませんが、一體全體何處を見てそのやうな返答になるか意味が不明です。

他人がどんな遺言を書かうが勝手であるのに、まるでご自分のことのやうに腹を立てていらつしやるからですよ。

>己に對する復讐の意志表示を、何故赤の他人の意志表示如きに讓歩しなければならないか私には理解出來ません。

言ふまでもありませんが、世の中には意見の相違といふことがあり、妥協はつきものです。それでも私の提案は、政府が畫一的に決める現行制度に比べれば、自分の意志を通せる餘地が大きく、勝つてゐます。私より勝れた案がおありでしたら、お示しください。

枯山枯山 2012/07/07 07:08 木村樣

私には矢張り貴方の言説は醉漢の發するものと御見受けするより他ありません。何度も何度も繰返しに成りますが、一番肝腎要の部分が無い意思表示なるものは所詮は、
眞中に大きな穴が開いた笊であり、そんな代物は缺陷品以外の何ものでもないと申してをります。それが現行制度よりも優れてゐる餘地があると云はれても私にはとても理解出來ません。
また假に貴方の述べる遺言制度が實施されてAとBがCと云ふ人物に殺害されて、Aが「死刑免除」でBが「死刑實施」の場合にAとBとの遺族同士の話し合ひが行はれるとありますが、
ここに一體どんな話合ふ餘地やら妥協點が存在すると云ふのでせうか、Aの意志表示はあくまで己自身に對するものでしかあり得ない筈だからです。
それがBの意志表示に干渉などは出來る筈がないのですから、ここにAB間の話合ひやら妥協の餘地など存在しない筈です。
若し干渉が出來るのでしたらその根據は奈邊にあるのか御答へ戴きたく思ひます。

さて、現行制度よりも優れてゐるかどうか全く不分明な貴方の提案に勝る案を提出してみろとの事ですが、それなら私は仇討を提案致します。
現在に於て政府に預けた個人の報復權を引受けるならばこれが一番道理にかなうと考へてをりますし、これでしたら個人の意志を何よりも尊重してをりますし、
古來から不變である人間の復讐心に無理矢理蓋をしてきた現行制度よりも優れたものだと考へてをります。これは私が學生時代に呉智英の著作を讀みまして以來この提案に同意してゐるのです。

枯山

木村 貴木村 貴 2012/07/07 19:08 >一番肝腎要の部分が無い意思表示なるものは所詮は、眞中に大きな穴が開いた笊であり、そんな代物は缺陷品以外の何ものでもない

もしある人が「缺陷品」だと思ふなら、そもそも遺言など書かないでせう。「大きな穴」が開いてゐようと、書かないよりはましだと考へるから書くのです。現行制度ではその餘地すらないのですから、比較して私の案が優れてゐることは明らかです。もし違ふとおつしやるなら、枯山さんは私の案より現行制度の勝れてゐる點を舉げなければなりません。

>AB間の話合ひやら妥協の餘地など存在しない筈です。

遺言に妥協の條件が書いてあるかもしれません。かりに互ひに一歩も讓らないとしても、何らかの方法で決着をつけなければなりません。それは復讐に限らず、世の中のあらゆる對立に言へることではありませんか。

>私は仇討を提案致します。

一氣に拍子拔けしました。もちろん呉智英さんの仇討復活論は知つてゐますし、完全に支持してゐます。本文の末尾に「刑罰の權限そのものを不效率な政府の獨占から解き放ち、より優れた能力を持つ民間の司法サービスを構築しなければならない」と書いたのがそれですよ。コメントでも「政府が報復の權利を返すべきだといふのは……完全に同意します」と書いてゐます。今囘仇討のことまで書かなかつたのは、これもコメントで書いたとほり、一足飛びに話を進めず、「今囘はちよつとおとなしく、政府の獨占を認めたうへで、その範圍内で改善策を考へてみ」たからにすぎません。

そのうへで指摘しておきますが、もし仇討を復活しても、枯山さんが夢想するやうな、一切の話し合ひや妥協と無縁の世界にはなりません。赤穗浪士にだつて脱落者はゐたし、仇討が半ば義務となつて悲慘な人生を送つた人もゐます。人間は復讐心を燃やす存在であると同時に、ある日突然、復讐なんぞ馬鹿馬鹿しいと心變はりする生き物でもあります。自分の心にもさういふ部分があるかもしれないと少しでも自覺した人であれば、はなから話し合ひの機會を拒むことなどないでせう。

枯山枯山 2012/07/08 09:11 木村樣

さうですか。貴方が仇討を完全に支持してゐるのですか、その上で貴方は政治實現性とやらを重んじて遺言制度の導入を説かれたに過ぎないと言ふわけですか、
では、一つだけはつきりしていただきたいのですが、この遺言制度を導入して私が指摘したやうな問題點が噴出していく場合には、貴方はその時こそは仇討の導入を
提案されるおつもりなのでせうか、そのところが不明確なので囘答を戴きたく思ひます。その邊をはつきりしないままですと裏に國語のローマ字化を抱へてゐるにも關はらず、
暫定案として現代假名遣ひを導入を提案し、現代に於て徒に混亂を招いた學者連中と同じやうな知的不誠實な態度をとられてゐるとしか、私には思へません。

枯山

木村 貴木村 貴 2012/07/08 12:29 仇討の話を書かなかつたのは、いきなり呉智英さんの二番煎じめいた話を書いても、このブログの讀者には面白くないだらうと思つたからです。事實、枯山さんもご存じだつたでせう? まづは他で書かれてゐない話を書き、それを踏まえて、さらにラディカルな仇討の話を、私なりの味つけを加へて書く算段です。別に政治的な實效性とか效果など狙つてゐませんよ。

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