フリードマンを超えろ

二十世紀を代表する經濟學者の一人、ミルトン・フリードマンの『選択の自由』(西山千明譯、日本経済新聞出版社)が新裝版で再登場した。しばらく品切れになつてゐたので、復刊で手に入れやすくなつたのは喜ばしい。ただしこの本は注意して讀まなければならない。それは市場經濟を忌み嫌ふ論者が言ふやうに、フリードマンが極端な市場原理主義者だからではない。逆である。フリードマンの惜しむべき缺點は、市場原理主義を徹底して貫いてゐないところにある。
選択の自由[新装版]―自立社会への挑戦
フリードマンが妻ローズとの共著で1980年に出版したこの本は、政府による經濟への介入が人々の暮らしにいかに害惡を及ぼすかをわかりやすく説いてゐる。たとへば消費者を守るためには企業活動を規制しなければならないと思ひ込んでゐる人は、第7章を讀むべきである。消費者保護を目的とする政府の機關がじつは大企業の寡占的利益を守るためにつくられ、消費者の利益を損なつたことが明らかにされてゐる。

また勞働者の暮らしをよくするためには勞働組合を政府が支援し、企業の利益を犠牲にして高賃金を獲得しなければならないと信じてゐる人は、第8章を讀むべきである。企業に設備投資と技術革新をおこなふための利益がなければ、經濟全體は豐かにならず、無理に賃上げをしても他の勞働者の賃金を減らすだけだといふことがわかるだらう。

だが殘念なことに、フリードマンがいくつかの分野で提案してゐる有名な政策は、政府の介入を排除する姿勢が稀薄である。むしろ政府の介入を正當化する役割を果たしかねないし、すでに現實に果たしてゐるものもある。三つ舉げよう。

まづ、第6章で提案された「授業料クーポン」である。教育バウチャーとも呼ばれ、日本では未導入だが、教育改革の目玉として提案されたことがある。私立學校の學費など學校教育に使用目的を限定したクーポンを政府が親に支給することで、家庭の學費負擔を輕減するとともに、學校間の競爭で教育の質全體を高める效果があるとされる。

この制度の問題は、政府が公認する學校でなければクーポンを使へないことである。同制度がいくつかの地域で導入された米國では、宗教系の學校が對象から除外されたり、對象となつても宗教教育を強制しない條件を附けられたりしてゐる。これでは、私學の教育内容を政府が事實上統制することになる。また誰もが一定の授業料を支拂へるから、學校がそれを下囘る價格競爭に熱心でなくなつてしまふ。

次に、第4章で提案された「負の所得税」である。一定の收入のない人々は政府に税金を納めず、逆に政府から給附金を受け取るといふ仕組みだ。最近はベーシックインカム制度の一種としても注目されてゐる。既存の所得税制度を利用できるので、福祉政策を擔當してゐる巨大な官僚組織は不要になり、行政を效率化できる。受給者も煩瑣な申請手續きなしに給附金を受け取れる利點があるといふ。

けれどもフリードマン自身書いてゐるやうに、現行の福祉政策を廢止しなければ、行政は效率化されない。事實、これもフリードマンが無念さうに振り返るとほり、ニクソン、フォード、カーターの三大統領が負の所得税制度の採用を議會に提案したものの、いづれの場合も政治的壓力を受け、負の所得税を既存の福祉政策に上乘せするといふ最惡の内容になつた。フリードマンは既得權益を絶對に手放さうとしない政府の習性を甘くみてゐたのである。

別の問題もある。人々が政府に頼らないやうにするには、給附金を受ける手續きは面倒であればあるほどよい。それを簡單にしてしまつたら、むしろ政府への依存を強めてしまふだらう。またこの制度に限らず、一定の所得が保證されれば、安い賃金で働く人がゐなくなるから、アイデアはあつても資金に餘裕のない新興企業は人を雇ひにくくなり、經濟の發展が阻害される。

最後に、一番問題なのは、第3章での大恐慌の原因分析と、それにもとづく、景氣後退の際にはその影響を緩和するために中央銀行通貨供給量を積極的に増やさなければならないといふ主張である。

この分析と主張はいまやほとんどの經濟學者ばかりか、大恐慌の「犯人」としてフリードマンに批判された米聯邦準備理事會も受け入れる通説となつてゐる。理事會議長のベン・バーナンキは理事時代の2002年、フリードマンの九十歳の誕生日を祝ふ會で講演し、「大恐慌に関して、あなた方〔フリードマンと共同研究者のアンナ・シュウォーツ〕の意見は正しかった」と絶賛した。そして2007年にサブプライム住宅ローン危機が起こるや、フリードマンの教へに忠實に、巨額の通貨を市場に注ぎ込んだのである。

だがミーゼスやハイエク、ロスバードらオーストリア學派の經濟學者が明らかにしたやうに、大恐慌を含め、景氣後退とは中央銀行が通貨量を人爲的に増やして起こした景氣擴大の反動であり、歪んだ經濟構造が正常に戻る過程である。それをさらなる通貨の注入で妨げるのは、アル中を酒で治さうとするのと同じ愚行だ。サブプライム危機から五年、米國經濟がいまだに不安定なままなのは、フリードマンの處方箋が誤りだつたことを物語つてゐる。

私たちが眞の「選択の自由」を手に入れるためには、フリードマンを乘り越え、政府の介入をさらに嚴しく排除しなければならない。
(「『小さな政府』を語ろう」でも公開)