兵士は政治の駒

昔から、兵士になることを志願する若者の多くは、純粹な使命感にあふれてゐる。しかし同時に、その使命感と尊い命は、しばしば政府によつて誤つた目的に利用される。その大義名分として唱へられるのが「國益」や「國際貢獻」である。
災害派遣と「軍隊」の狭間で―戦う自衛隊の人づくり
ジャーナリストの布施祐仁は『災害派遣と「軍隊」の狭間で――戦う自衛隊の人づくり』(かもがわ出版、2012年)で、自衞官らへの取材をもとに、2003年から自衞隊をイラクに派遣して行つた「國際平和活動」の實態を描いてゐる。それは戰後の復興支援としてはほとんど無意味な行爲だつた。

陸上自衞隊は約二年半のイラク派遣で、學校、道路、診療所、養護施設、淨水場、低所得者用住居など計百三十三カ所の公共施設を補修・整備した、とその「成果」をアピールする。だが「そのほとんどは自衛隊自身によるものではなく、地元の業者に発注して実施したものであった」(32-33頁)。自衞隊は時折現場を訪れて、役務業者に對する「指導・監督」を行ふだけだつたといふ。

當時志願して現地に赴いた陸上自衞官は、イラクでの仕事にやりがいを感じる一方で「自衛隊がやるべき仕事ではなかったのでは」と疑問に思ふこともあつたといふ。布施の取材にかう話す。「浄水場とかもODA〔政府海外援助。外務省が所管〕で補修しましたし、外務省の企画で給水車を現地に寄付しましたが、あれも自衛隊は〔マンガの〕キャプテン翼のステッカーを張っただけ」

布施が解説するやうに、派遣を決定する際、日本政府は「(危険性の高いイラクで)効果的な人道復興支援を行い得るのは自己完結性を持った自衛隊をおいて他にない」(首相談話)と説明した。ところが自衞隊だけでは限定的な復興支援しかできず逆に住民の不滿を高めてしまふことや、住民の最大のニーズが雇傭であることから、派遣二カ月後には自ら「自己完結性」を抛棄し、地元業者への發注に方針轉換したのである。

布施は續けてかう指摘する。「自衛隊は、これにより一日最大で1100人、のべ約49万人の雇用を創出できたとしている。しかし、約721億円の派遣費用の大半は、人件費をはじめとして約600人の部隊を駐留させるために費やされた。実際に宿営地外での活動にあたった隊員はごく一部であったことを考えても、そのお金を復興支援事業に回したほうが、より多くの雇用を創出できたはずである」(33-34頁)

自衞隊派遣は、費用に對して效果が小さかつただけではない。「負」の效果をもたらす危險もはらんでゐた。陸上自衞隊のある内部文書には、かう記されてゐた。「多国籍軍については占領軍との住民意識も根強いため、治安情勢は一朝一夕には改善されない状態にある」「(自衛隊が)人道復興支援活動を実施するにはリスクがつきまとう」(36-37頁)。復興支援の使命感を抱いた自衞官たちが、イラク戰爭を主導した米軍と同じく、「占領軍」として現地で憎しみを買ひ、武裝勢力の攻撃を招く恐れもあつたのである。實際、參戰しなかつたフランスやドイツは人道復興支援目的でも軍隊を派遣しなかつた。

それでも日本が派遣に踏み切つたのは、一つには、「唯一の同盟国」米國への配慮からであつた。前述の陸上自衞官はかう語る。「結局あれは日米関係のための派遣だったのかな、と。自衛隊は政治の駒として派遣されたと感じました」(32頁)

もう一つの目的は、日本の「國益」追求である。2007年、海外派遣の計劃・訓練・指揮を一元的に實施する「メジャーコマンド」として陸上自衞隊中央即應集團が新たに編成された。同部隊の第二代司令官、柴田幹雄陸將(當時)は2009年年頭の訓示で、その存在意義をかう語つたといふ。「中央即応集団は、海外における国家目的や国益、戦略的な利益を追求するためのツールもしくは手段として使用される」(150頁)。布施は「ついに日本でも、海外で国益や権益を追求するためのツール〔道具〕として『軍隊』を活用することが、現役の自衛隊高級幹部によって公然と唱えられるようになった」と驚く。

イラク戰爭でフセイン政權が崩潰すると、世界第二位の埋藏量を誇るといはれる油田の開發が外國石油會社に開放された。日本企業も石油資源開發や三菱商事が海外企業と組み、開發への參入に成功した。かうした「成功体験」は自衞隊の海外派遣をいつさう後押しするに違ひない、と布施は書く。事實、日本経団連は2007年に發表したビジョン「希望の国、日本」の中で、「(憲法九条を改正して)国益確保や国際平和の安定のために集団的自衛権を行使できることを明らかにする」やう求めた。

布施は「フィールドを全世界に拡大しつつある自衛隊は、同じくグローバルに活動する財界や大企業との関係を徐々に深めつつある」(152頁)と指摘する。自分が率ゐる部隊を、海外での國益追求の道具とあけすけに呼んだ柴田司令官は2009年、三菱商事の顧問に天下りしたといふ。政治や軍事と癒着した企業活動は、資本主義の健全な姿とは言ひがたい。

布施はあとがきでかう書く。「若い自衛隊員を取材していると、気持ちが良いくらい真面目で誠実で、尊敬の念すら覚えることが多い。そんな彼らの純粋な使命感とかけがえのない若い命が、『国益』という大義名分の下で(しかも、それはアメリカの『国益』である可能性が高い)、政府に間違った方向で利用されるのだけは何としても食い止めたい」。同感だ。國益や國際貢獻の美名の下に、兵士を使ひ捨ての「政治の駒」にしてはならない。

(「『小さな政府』を語ろう」「Libertarian Forum Japan」に轉載)

筆者の本

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)