戰爭はいかがはしい商賣

世の中には、戰爭を崇高な行爲と崇める一方で、商賣を俗惡な行爲と蔑む人々がゐる。しかし戰爭の多くは商賣である。それも、顧客が望む品質・價格の商品を自發的に贖入してもらふ、まつたうな商賣ではない。多くの人々の生命を犠牲にしながら、しばしば劣惡な商品を一方的に押しつけ、對價を課税で強制的に奪ひ、政府と親しい一部の企業が潤ふ、いかがはしい商賣である。
戦争はペテンだ―バトラー将軍にみる沖縄と日米地位協定
およそ八十年前、このやうな戰爭の惡を糺彈した米國人がゐた。左翼の大學教授などではない。海兵隊少將のスメドレー・バトラーである。戰場での活躍で數々の勳章に輝き、英雄と呼ばれたバトラーは、やがて米國の對外侵攻戰爭(帝國戰爭)に公然と反對するやうになる。みづからの體驗に照らして、一部の大企業や金融機關の利益のために一般兵士を犠牲にする戰爭はやるべきでないといふのである。バトラーの發言は政府の怒りを買ひ、就任が豫想されてゐた海兵隊司令官への道も斷たれ、1931年に退役する。持論を記したのが、1935年の小册子『戦争はいかがわしい商売だ』(War Is A Racket)である。元桜美林大教授、吉田健正が著書『戦争はペテンだ――バトラー将軍にみる沖縄と日米地位協定』(七つ森書館、2005年)に邦譯を收めてゐる。

「戦争は……いかがわしい商売だ。これまで、いつもそうだった」(11頁)とバトラーは單刀直入に説き起こす。「その実体を知っているのは内部の少数グループだけだ。それは、大勢の人が犠牲を払って、ごくわずかな人々の利益のために行われる。ものすごく少数の人だけが戦争から膨大な利益を得るのだ」(同)

戰爭から多額の利益を得る「ごくわずかな人々」とは誰か。バトラーは第一次世界大戰を例に、具體名を舉げてゆく(17-19頁)。爆彈メーカーのデュポンは、戰時中の平均利潤が通常の十倍近くに増えた。ベテルヘム鐵鋼は八倍、ユナイテッド・ステーツ・スティールは二倍強に膨らんだ。銅メーカーのアナコンダは三倍、ユタ・コッパー社は四倍である。その他、皮革、化學、ニッケルなどの製造業者も軍需品の販賣で儲けを大幅に伸ばした。そして非上場のため數値は不明だが、企業や政府に融資を行つた銀行が巨額の收益をあげたのは間違ひない。

しかも商品には、役に立たないものも少なくなかつた(20-22頁)。蚊帳業者は海外勤務の兵士用に二千枚の蚊帖を賣つた。バトラーはかう皮肉る。「泥だらけの塹壕で寝ようとするときにつるして欲しい、と政府は考えたのだろうか。片手はシラミのたかる背中をひっかき、もう一つの手でちょろちょろ走り回るねずみを追いまわす兵士たちに」。時代がかつた四輪荷馬車六千臺が大佐用に賣られたが、一臺も使はれなかつた。造船業者が納めた船の一部は木造で、繼ぎ目がはがれて沈んでしまつた。戰爭が終はると、背嚢とそれに入れる備品約四百組が倉庫に積まれたが、「中身に関する規則が変わったため、これらの品々は今やスクラップにされている。もちろん、業者は儲けたままだ」。これら無駄な出費のツケは國民に囘される。

軍需産業の荒稼ぎは上院の軍需産業調査特別委員會(ナイ委員會)で一部が曝露され、政府は戰時收益の規制に腰を上げた。しかし損失、すなはち戰爭を戰ふ人々の損失は規制されないとバトラーは言ふ。「兵隊が失うものを一個の眼や一本の腕だけに制限したり、傷を一つまたは二つだけに制限したりする計画はない。命の損失を制限する計画も」(23頁)。全米の在郷軍人病院には、戰場の異常な緊張で精神が破壞され、「生ける屍」となつた元兵士が多數收容された。

しかも兵士は「お金でもツケを払った」(26頁)。米西戰爭(1898年)まで、米國には報奬制度があり、兵士はお金のために戰つた。その後、政府は報奬金を廢止し、代はりに徴兵制を敷くことで戰費を引き下げた。「兵士たちは自分たちの労働について交渉することはできなかった。ほかのみんなはできたのに、兵士たちには許されなかった」(27頁)。若者が進んで召兵に応じるやう、勳章制度を作つた。米國では南北戰爭(1861-65年)まで勳章なるものは存在せず、その後は米西戰爭まで新たな勳章が發行されることはなかつたといふ。

兵士の給與は工場勞働者よりやや多いが、その半分は扶養家族のために差し引かれ、保險料も拂はされる。さらに自由公債(米國政府が戰費調達のため第一次大戰中に發行した國債)も買はなければならないので、「弾薬も服も食料も、ほとんど自腹で払ったも同然、ということになる。大半の兵士は、給料日でも一銭もない」(28頁)。そのうへ政府は兵士に自由公債を百ドルで買はせ、戰爭から戻つたものの職のない彼らから、元本割れの八十四ドルや八十六ドルで買ひ戻した。差額で潤つたのは政府と、公債を取り扱ふ銀行である。

第一次大戰で當初中立を標榜した米國が英佛側として參戰に踏み切つたのは、米資本家への多額の負債を英佛が返せなくならないやうにするためだつたといふ説がある。バトラーはこれを事實とみる。宣戰布告の直前、英佛側の委員會が大統領を訪問し、「もしわれわれが負ければ……この金を返済できません」と參戰を暗に促したといふ(34-35頁)。しかし會議の内容は祕密にされ、若者たちはウィルソン政權が掲げる「民主主義にとって安全な世界にするための戦争」「すべての戦争を終わらせるための戦争」といふ表向きの大義や、敵であるドイツ人が殺されるのは神の意志だといふ聖職者の言葉を信じ、戰場に送られた。

バトラーは以上のやうに戰爭のペテンを暴いたうへで、このいかがはしい商賣をつぶす手順の一つとして、「軍隊の目的を真に専守防衛とする」(32頁)やう求める。その際注意すべきは、軍上層部の抵抗である。海軍なら「まず、米国がどこかの海軍大国から脅威を受けていると言う……それから提督たちは海軍増強を訴え始める」(同)。しかしその本音は「戦艦なしの提督になんてなりたくない」(36頁)といふにすぎない。背後には「戦争で利得を稼ぐ組織の、きわめて強力な腹黒い代理人たち」が控へてもゐる(同)。最後にバトラーはかう吐き捨てる。「戦争なんてまっぴらご免だ!」(37頁)

この小册子が書かれて長い年月がたつが、いかがはしい商賣はますます横行してゐる。父子二代の大統領を輩出したブッシュ家は、イラク戰爭で潤つた防衞關聯請負業者のカーライル・グループと關係があつたし、副大統領となつたディック・チェイニー率ゐるハリバートン社は、アフガニスタン經由の石油パイプライン建設やイラク戰爭の後方支援で大きな役割を果たした(210-211頁)。しかしブッシュ政權は、かつてのウィルソン政權と同じやうに、テロとの戰ひといふ看板を掲げ、若者を戰場に送り出したのである。

一方、日本では、經濟界がかねて緩和を要望してゐる武器輸出三原則について、安倍政權が事實上の撤廢も視野に見直すと報じられてゐる憲法改正による集團權自衞權の明記とともに、經濟界がこのやうな要望をする背景には、吉田が指摘するやうに、「防衛産業活性化への期待がある」(232-233頁)とみるべきだらう。それがバトラーのいふ專守防衞のためならともかく、他國のいかがはしい商賣のおこぼれにあづかる狙ひなら、願ひ下げである。皮肉なことに、海外での軍事介入に強く反對したバトラーは、沖繩の在日米海兵隊基地司令部キャンプ・バトラーにその名をとどめてゐる。

(「Libertarian Forum Japan」に轉載)

筆者の本

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)