統制經濟の悲喜劇

政府は政治的目的を達するために、しばしば經濟に介入する。しかし政府が介入すればするほど、經濟の働きを歪める。その結果、政府は目的を果たせないばかりか、思はぬ副作用を惹き起こす。それを抑へ込まうと介入を強めれば、さらなる副作用をもたらす惡循環に陷る。
黙って働き笑って納税
政府の介入が最も甚だしいのは戰時である。戰爭に勝つために國家の總力をあげるといふ大義名分の下、經濟を嚴しく統制する。しかし國民生活に不便を強ひると反撥を招くし、統制の及ばない領域もある。そこで國民を煽動・洗腦して協力を促す必要が出てくる。そのための手段の一つがスローガン(標語)だ。里中哲彦黙つて働き 笑つて納税――戦時国策スローガン傑作100選』(現代書館、2013年)には、政府やその關係團體などが昭和戰前期、國民を煽動・洗腦するためにこしらへた標語が年代順に收められてゐる。

戰時國策スローガンはその性格上、勇ましいものばかりだが、背景にある經濟事情を知ると、經濟を思ひどほりにできない政府の焦りが透けて見える。以下、いくつか紹介しよう。なほ當時の經濟事情については、本書の解説のほか、山中恒戦争ができなかった日本――総力戦体制の内側』(角川oneテーマ21、2009年)を參照した。

胸に愛國 手に國債(24頁)

大東亞戰爭(アジア・太平洋戰爭)にかかつた戰費は、それまでの日清・日露戰爭、第一次世界大戰に比べると桁違ひに膨らんだ。それでも財源は國民に頼るしかない。戰費の國民所得に對する割合は、支那事變(日中戰爭)が始まつた1937(昭和12)年には16%にとどまつてゐたが、太平洋戰爭に突入してから急激に高くなり、敗戰前年の1944(昭和19)年には97%にも達した。

政府がカネを召し上げる手段は、第一には税金だが、それだけではとても足りない。そんなとき、いつの時代も頼るのは國債である。支那事變以來、發行限度を擴大し、支那事變國債や大東亞戰爭國債を次々と起債した。ただし税金と違ひ、國債は贖入を強制できない。そこで政府は上記標語のやうに、國債は愛國の證しだと訴へ、買ふのが國民の務めだといふムードを煽つたのである。他にも「買つた國債 賣らぬが忠義」「求めよ國債 家庭の軍備」といつた標語がある。國民は生活を切り詰め、のちに敗戰で紙くず同然となる國債を買ひ求めた。

男の操だ 變るな職場(74頁)

昭和戰前期、政府は戰爭に必要な軍需産業を發展させるため、重化學工業の生産力擴充計劃を進めた。この結果、機械、船舶、金屬などの重化學工業は、とくに支那事變以降、働き盛りの男性が軍隊に取られたこともあり、熟練工を中心に深刻な人手不足に陷る。企業の間では、人手を確保するため、他社からの引き拔きが活溌になつた。引き拔かれた側はたちまち生産量が低下する。事態を憂慮した内務省社會局は1937(昭和12)年10月、新聞廣告やポスターで熟練工の募集をしないやう、自肅を呼びかける始末となつた。

1940(昭和15)年に出された上記標語も、引き拔き防止が目的とみられるが、當時としても時代がかつた「男の操」に訴へて、はかばかしい效果があつたとは考へにくい。その證據に、翌年には勞働力の移動防止を目的とした國民勞務手帖法が公布され、これがないと米の配給が受けられなくなつて初めて、勞働者は職場に張りつくやうになつた。

無職はお國の寄生蟲(138頁)

近衞文麿内閣は1938(昭和13)年6月23日、臨時閣議を開き、企劃院が立案した物資總動員計劃を承認すると、鋼材、棉花、羊毛、木材、重油、生ゴムなど三十二品目の使用制限を發表した。これが産業界に及ぼした打撃は深刻で、なかでも中小商工業は多くが廢業や轉業に追ひ込まれ、大量の失業者を出した。また1940(昭和15)年に出された奢侈品等製造販賣制限規則で、「贅澤は敵だ」の標語そのままに、奢侈贅澤品の製造販賣が原則禁止されたことも、寶石、貴金屬、高級呉服など關聯業界で多くの失業者を生み出した。

上記標語は1942(昭和17)年のもの。「お國」の介入政策のせゐで職を失つたのに、寄生蟲呼ばはりされてはたまらない。著者の里中が憤るとほり、「公衆の税金で暮らす自分たち〔政治家・役人〕こそ、寄生虫の自覚をもってしかるべき」であらう。

儲けることより奉仕の心(84頁)

1940(昭和15)年の標語。時期はややさかのぼるが、1933(昭和8)年3月1日に發表された滿洲國經濟建設要綱は「從來の無統制なる資本主義經濟の弊害に鑑み、これに所要の國家的統制を加へ、資本の效果を活用し、もつて國民經濟全體の健全かつ溌剌たる發展を圖らんとす」とし、配當を制限し、利潤追求を否定した。滿洲での産業開發は「儲けることより奉仕の心」をもつて進めるべきだといふわけである。

しかしこれでは資本家が投資するはずがない。滿洲國は關東軍による建國から五年たつても産業開發は困難なままで、成果を舉げられなかつた。さすがの關東軍も困り果て、最後は内地資本を受け入れた。鮎川義介率ゐる日産財閥にそれなりの採算に合ふ援助を保證するからと約束し、滿洲進出を承諾させたのである。

協力一致 強力日本(20頁)

政府は國民に一致協力を呼びかけるのが大好きである。戰時中もさうだつた。ところがその政府自身が、内部でまつたく一致協力できてゐない醜態をさらけ出す。官廳の繩張り爭ひである。

たとへば化學製品は、商工省がアンモニア、硫酸、曹達などをまとめて一元的統制を圖つたが、硫安(肥料)を所管する農林省と話し合ひがつかなかつた。電氣機器は、商工省が電氣通信機器を合はせて統制しようとすると、逓信省が電氣通信機器はすべて自省の所管だと主張した。石炭は、商工省が樺太炭を北海道炭と一括して統制しようとし、樺太を所管とする拓務省ともめた。各省ばらばらの繩張り爭ひに、國民は「一致協力は、まづ官からやれ」と皮肉つた。

政府の介入政策がもたらす混亂も、ここまでくるともはや喜劇である。しかしそのしわ寄せを食ふ國民にとつては、笑ひ事ではすまされない。統制經濟の悲喜劇は、政府の傲慢と無能を映し出す。

筆者の本

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)