狐の王国

2014-08-08

新しい「男の物語」が求められている

「アナと雪の女王」のクリストフはなぜ業者扱いなのか?という記事。男性視点での「アナ雪」対談として非常に興味深く、おもしろく読んだ。

アナ雪は非常によい映画ではあったと思うのだが、確かに男がホントにロクでもない。知的な男の一人も出てきやしない。男はみんな愚かでいなくてよくてせいぜい女の世話になるか愛玩されるかでしかない。もちろん前者がクリストフで後者がオラフだ。

これはまた自信を失った男たちの物語でもある。かつて誇らしかった「男らしさ」は失墜し、それはすべて愚かさに切り替えられた。男性が男性でいることに誇りが持てない時代に、我々は突入している。

実際のところ、男というのはそんなに必要とされる存在ではない。

生物学的に人間だけが、男が異常にラッキーな種族。サルでもライオンでも、強い男しか自分の遺伝子を残せない。大体1割。残り90%は残せない。ただし人間は知性があって社会性の動物だから、一応女性に一夫一婦制にしてもらっているわけです。

「アナと雪の女王」のクリストフはなぜ業者扱いなのか? 夏野剛×黒瀬陽平×東浩紀の3氏が男性視点で新解釈

種にもよる数字だがだいたい言いたいことはわかる。チンパンジーのオスは成人するまでに5割程度は群れを追い出されるなどして死ぬので群れのオスメス比率は1:2だそうだ。男は半分もいれば充分群れは維持できる。少子化が完全に解消された北欧では四分の一の男性は子孫を残せてないそうだ。男の四半から半分くらいはいつでも死んでいい存在なのである。

こうした特性は、文明が未発達な時代にはよく働いたと思う。危険な仕事に「男らしさ」という誇りと引き換えに男性たちを送り込み、群れのために命を消費させることは、それはそれで意味を持ち得る生き方だったろう。だが文明も発達し、人間は危険な仕事からどんどん遠ざかっていった。我々の日常にかかる危険とはもはや自然の脅威などではなく、運動不足と精神疲労による健康被害である。

こうなってみるともはや男性が女性に比して優れてるとされた体格や体力など、たいした意味を持たなくなる。ブラック企業のような体力と根性任せの経営をするような企業でもなければ、労働者が男性である意味はほとんど無い。

誠実さゆえに女性の世話になるクリストフか、愚かさゆえに女性に愛玩されるオラフか。まっとうな男の生き方はいまのところこの2つになったのだと、「アナと雪の女王」は語りかけているようにさえ見える。

先日ベクデルテストの話を書いたのだが、これを紹介してる TEDxBeaconStreet の講演が非常に興味深いことを話している。

そして 女の子には 男社会への 立ち向かい方を教えます

しかし 男の子には 同じことを 示す 必要はありませんよね

彼らには手本がないのです

近年 素晴らしい 女性作家たちが 新しい物語を 子供たちに書いています

ハーマイオニーやカットニスは 素晴らしい女性キャラクターです

しかし 彼女たちの世界でも 戦いが繰り広げられます

大成功をおさめてきた ディズニー映画は 常に同じテーマを扱っています

つまり どの映画も 男性の旅物語なのです

少年や 男性の物語 2人の男友達や 父と息子の物語

または 少女を育てる 2人の男性の物語というように

コリン・ストークス 「映画が男の子に教えること」

男性主人公の旅物語というのは、劇作における古典といってもいいだろう。数多くの男性の旅物語が作られてきた。しかしそれももはや限界が来てるようだ。

思い返すと、90年代にラノベアニメで大流行した「スレイヤーズ」は女性主人公の旅物語だ。そして相棒のガウリイはクリストフの誠実さとオラフの愚かさを併せ持ったパートナーであった。その後のアニメの主人公は数えるまでもなく女性が多く、ある意味日本のアニメ業界はディズニーに先駆けて「女性の物語」を模索していたようにも思う。スレイヤーズの主人公は姉妹の妹だったが、彼女の「レリゴー」っぷりはたいへんなものであった。

だが男性がレリゴーしてありのままの自分を見せてしまうと「エヴァンゲリオン」のシンジになってしまう。アスカに「気持ち悪い」と言われるアレである。

そう、男性というのはありのままだと気持ち悪い存在なのである。それゆえ「ガンダム」のアムロ・レイは男らしさを不器用そうに身に着けていくし、「涼宮ハルヒの憂鬱」*1キョンはあらゆる物事から距離を置きたがる。

男というのは#アホ男子母死亡かるたを見てもわかる通り、そもそもが粗暴である。棒を持てば振り回し、丸いものを見つければ蹴っ飛ばす。これはもう男性ホルモンの作用だからどうしようもないのである。

たとえば、男性ホルモンの代表にテストステロンという物質がありますが、これをネズミに投与すると、攻撃的行動が増えると言われ、また刑務所に服役している受刑者の唾液からテストステロンを測ってみると、軽犯罪で捕まった人たちよりも、殺人犯や強盗犯の方が濃度が高く、かつテストステロン濃度が高い人たちは、服役中に暴力事件をおこす確率が高かったという報告もあります。

こころ学 - 「男らしさ」とは何か?:テストステロン出世仮説

もちろん人間には理性というものがある。こうした攻撃性の統制に成功した男性も少なくはないだろう。

だがこうした攻撃性をいかんなく発揮できるのは戦闘であり、競争である。だから男の物語は戦いや争いやそれに類する未知への挑戦でなくてはならない。男が「ありのまま」でいるための物語に、これらは不可欠なのである。

それでも時代は「アナと雪の女王」であり、運動不足と精神疲労が最大のリスクだ。こうした世界における男性のレリゴーを求めるなら、コリン・ストークスのこの言葉を噛み締めなくてはならない。

すでに 男の定義は ひっくり返されてきています

介護者や勤労者の役割が 変わってきていますよね

ひどい状況になっていますよね

だからこそ 息子たちは 新しい人間関係を 身に付ける必要があります

父親が 息子の手本となって 教えなければいけません

真の男性は 女性を信頼し 尊敬すること

女性とチームを組むこと

女性をいじめる男たちの前に 立ち向かう男性であること

これを 父親は息子たちに 示さなければいけないのです

コリン・ストークス 「映画が男の子に教えること」

群れのために命を消費しなくて良くなった男性たちは、運動不足と精神疲労に耐えながら、家族を得られない25〜50%の男性に自分が入ることを覚悟しながら、自分自身のレリゴーを探さなくてはならない。

そのモデルとして、この世界における「男の物語」が求められてるのである。

*1:ごめん、間違って「鈴宮ハルヒの憂鬱」とか書いてた。教えてくれた人サンクス

2014-08-03

MacBook に2つの外部ディスプレイをつないでみた

普段は Emacs と Terminal があればだいたいの作業ができるのだが、資料を表示したりウェブで検索しながら進めてたりするとやはり外部ディスプレイが欲しくなる。だが最近は面積を広く取るアプリケーションを利用することが増えてきて、いい加減Macbook本体+外部ディスプレイでも足りなくなってきた。

しかしいかに MacBook Pro とはいえ Thunderbolt 端子はひとつだけ。これを2つに分配しようと思うと3万円程度のドックを買う必要があってさすがにコストが高い。

うちの MacBook Pro 15" late 2011 はまだ USB 2.0 なので、USB 3.0 がつくメリットはあるのだが、それだけのために3万円を出すのはちょっと。

などと Twitter で愚痴ってたら Display Link 社のチップを採用した USBディスプレイアダプタはけっこう性能がいいと言う情報を教えてもらった。なるほど調べてみるとフルHDでも軽快に表示してくれるらしい。それはすごい。

Display Link のチップを乗せたものはいくつも出てるのだが、とりあえずラトックシステムから出ている REX-USB3HDMI を購入。

HDMI出力が2つあるデュアルヘッド版もあったのだが、値段が倍くらい違うし Mac から2つのモニタとして見えるかわからなかったのでとりあえずシングルヘッドをポチり。実際、GUIのパーツはたまに消えたりするのだが、動画の表示は全然問題ないくらいスムーズに表示してくれる。USB2.0につないでるのにすごい。サイズもびっくりするほど小さくて、持ち歩いててもいいくらいである。持ち歩いたところで何に使うのかという問題はあるにせよ。

そして家にあった古い液晶ディスプレイにプラスして、15480円という激安の24インチ液晶ディスプレイ BENQ GL2460 をゲット。これが意外に綺麗で、LEDがちかちかするフリッカー対策に調光方式もDC型を採用してるらしい。VGA/DVI/HDMI と入力端子も豊富で、Raspberry Pi のモニタにしてみたり、iPad から動画を出力してみたりといろいろ使えまくる。

俺が家にいないときは家族にゲームやDVDプレイヤーをつないで使ってもらうこともできるので、だいぶ無駄ではない買い物になったんじゃなかろうか。内蔵スピーカーはさすがにしょぼくてビープ音用って感じなので、やはり家にあった別のスピーカーをディスプレイの音声出力に出している。

ただ Mac から DVI で繋いでいると、Mac 本体のディスプレイがスリープになったときに「シグナルが検出されません!」というメッセージが繰り返し出て省電力モードにならないという欠点がある。これがちょっとめんどくさい。ラトックの HDMI アダプタを介すとそんなこともないので、Apple の Thunderbolt-DVI アダプタの問題かもしれない。

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というわけで見事にトリプルディスプレイ環境ができあがり。古いモニタは分厚いので、そこらへんで買ってきた車載用のタブレットスタンドを両面テープで貼り付けて iPad 置き場にした。たいへん便利でこれで家作業が進む……といいなあ……。

2014-07-04

ジョブズは間違ってる、iPhone は裸で使うべきではない

Apple 創業者スティーブ・ジョブズiPod を裸で使えと言った逸話はたいへん有名であると思う。孫引きになるが以下のようなものだ。

スティーブ・ジョブズは、 iPod の外見を損ねるものには、カバーであれ何であれ、非常に敏感に反応するのだ。

私は彼とのインタビューを録音する際に、外付けマイクと iPod を持っていったことがある。

「iSkin」という透明プラスチックのカバーをつけた iPod を鞄から取り出した途端、彼は私に名画「モナリザ」に牛の糞をなすりつけた犯罪者を見るような目を向けたものだ。

もちろん私は、繊細なiPodに傷や汚れをつけたくないのだと言い訳したが、彼は聞き入れようとしなかった。

「僕は、擦り傷のついたステンレスを美しいと思うけどね。僕たちだって似たようなもんだろう?僕は来年には五十歳だ。傷だらけの iPod と同じだよ」

スティーブン・レヴィ『iPod は何を変えたのか』(142ページ)

http://www.cyber-life.info/articles/17674.html

ご存知の通り、iPhone もまた iPod の一つだ。だから俺は2007年に iPod touch を買った時も、2008年に日本で初めて iPhone 3G が出た時も、タイで iPhone 4 を買った時も、そして今年のはじめにやはりタイで iPhone 5s を買った時もずっと裸で使ってきた。

ところがである。どうもそういった傷や汚れが「保証対象外」になると言われてしまったのである。

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上記の写真は俺の iPhone 5s についた小さなキズである。若干パネルの上部が欠けている。よく見ないとわからないようなものだ。スティーブ・ジョブズの言うとおり、これくらいは「擦り傷のついたステンレス」であり、美しさの一部だ。俺にとってはかすかな思い出でしかない。ポケットに入れようとした時にすべって地面にまっすぐ落ちた時についた傷だ。

修理を依頼したのはホームボタンが効かなくなったことだ。Touch ID も動かない。5s の意味もない残念な状態で、これはたいへんユーザー体験を損なうものだ。ところが、Apple の見解としては「保証対象外」とのことだった。この傷が理由だ。

タイの TrueMove の独自見解かと思って日本の Apple Storeジーニアスバーでも聞いてみたのだが、やはり保証対象外、有償での本体交換ということだった。ボタンのみの修理は受け付けてないらしい。

今までの iPhone は何度も落としてきたがこんなことはなかった。iPhone 4 は金属部品が周囲を覆っていたので、これくらいのことでパネルが欠けることもなかった。

だが iPhone 5s は金属部分が細くなり、パネル部分が露出している。この程度でも欠けてしまうのである。

どんなに「擦り傷のついたステンレス」が美しかろうが、保証期間内のものが保証対象外になってしまうのでは美しいもへったくれもない。

特にホームボタンが動かず Touch ID も動かない iPhone 5s になんの意味があるのか。購入後わずか5ヶ月で期待した機能が動かなくなる製品になんの意味があるのか。

そういうわけで、スティーブ・ジョブズの戯言を真に受けず、みんな iPhone を使うときにはケースに入れて使わなくてはならない。ケースに入れてなかったがために保証対象外になるなんて事態、本来あってはならないことだ。

正直今回の Apple の対応には腹がたってるし、ボタンの修理くらいどうにかしてもらいたい。傷は思い出にできるけど、ボタンは機能しないと始まらないのである。

2014-06-22

Twitterコナミコマンドの発見の経緯がそこはかとなくおもしろい

どうやらTwitterに隠しコマンドが発見された様子。「上上下下左右左右BA」といえば有名なコナミコマンドなわけだけれども、それをTwitterの検索窓に入力するとくるりと鳥のアイコンが回転する。

UNIX板にスレが立ってることでも有名なやす師匠に教わったところ、どうも発見者はこちらの方らしい。

Twitterのソースコードを読んでて konami_watcher という文字列を見つけて「おや?」と思ったようだ。この時点では「何に使われてるんだろう」という段階だった様子。

define("app/ui/konami_watcher",["module","require","exports","core/component"],function(module, require, exports) {

function konamiWatcher(){this.defaultAttrs({logoSelector:".topbar .Icon--bird",konami:"38,38,40,40,37,39,37,39,66,65"}),this.handleCodeEntered=function(){var a=this.select("logoSelector");a.css("transition","all 1s ease"),a.css("transform","rotate(360deg)"),setTimeout(this.undoCSS.bind(this),1050)},this.undoCSS=function(){var a=this.select("logoSelector");a.css({transition:"all 0s ease",transform:""}),setTimeout(function(){this.select("logoSelector").css("transition","")}.bind(this),0)},this.logKeystroke=function(a,b){this.keys.push(a.keyCode),this.keys.toString().indexOf(this.attr.konami)>=0?(this.keys=[],this.handleCodeEntered()):this.attr.konami.indexOf(a.keyCode)<0&&(this.keys=)},this.after("initialize",function(){this.keys=,this.on(document,"keydown",this.logKeystroke)})}var defineComponent=require("core/component"),KonamiWatcher=defineComponent(konamiWatcher);module.exports=KonamiWatcher

});

https://abs.twimg.com/c/swift/en/init.4021dcf7dc0cba9d1a50bec60c67dbcd18a4be76.js

確かにこんなコードが書かれている。

「38,38,40,40,37,39,37,39,66,65」という数字を見てパッと「上上下下左右左右BA」とわかるのもすごいなと思うが、キーコードというやつである。各ブラウザのキーコード表というページの表と見比べてみると確かにコナミコマンドであることがわかる。

そうしてコナミコマンドを実際に入力してみる人が出てきて、発見となったようだ。

公開されてるコードを読んでみるのはプログラミングの勉強にたいへんよいことで、書いた量より読んだ量のほうが多いくらいでないとなかなかよいコードというのは書けるものではない。こんな発見の楽しみもあるかもしれないので、ぜひぜひいろんなサイトのソースコードを読んでみたいところである。

とはいえ Twitter の js は minify されてるのでこれを戻さないと読めたものではないけれど。

2014-06-17

日本のアニメはとっても男女平等

映画に登場する女性の「扱われ方」を重要視するその理由という記事に、「ベクデルテスト」という物語が性差別的かどうかをチェックするテストが掲載されている。

  1. ふたり以上の名前のついた女性が登場するか 
  2. 女性同士が直接会話をするか 
  3. その会話の内容が男性以外のことであるか

バカバカしいことに、日本のアニメはほとんどこれをクリアしている。萌えアニメはほぼすべてクリアしてると言っていいだろう、そもそも男性が出てこないんだから。

よくよく考えてみると、日曜朝にやってる戦隊物もだいぶ前から女性2人男性3人構成の戦隊が増えてたように思う。あんなコテコテの男児向けの作品ですら、ベクデルテストはクリアしているシリーズが増えてるわけだ。

何度か書いてるが、例えば70年代の作品である「機動戦士ガンダム」にしても女性が戦争の前線に出て戦って死ぬような作品であるし、もちろんこのベクデルテストもクリアしている。

大昔のヒーローものだと紅一点という描かれ方は確かにあったけれども、今はそういう描かれ方もすっかり少なくなった。昔から日本のアニメは女性が活躍する作品が多い。

思うに、これは日本で作られてきた物語がそれなりに高度だからではないだろうか。勧善懲悪ロボットものにはガンダムが終止符を打ったし、キューティーハニーの時代から女性の戦う物語は数多く作られてきた。リメイクが近々公開されるセーラームーンも女性が戦う作品の代表格だろう。

多くの物語が作られたがゆえに、そして見る側の目が肥えてるがゆえに、男ばかりでヒロインが補佐役みたいなパターンは飽きられてるんじゃないか。

むしろアメリカにおいてベクデルテストが「厳しい基準」と認識される程度には、アメリカで作られる物語が「男ばかりでヒロインが補佐役」に偏ってきたということなのだろう。そういえばあれほど日本の影響が濃い「パシフィック・リム」にしても、名前のある女性キャラクターというとマコだけだった気がする。

物語多様性という側面において、日本はアメリカのはるか先を行っているわけだ。

実際日本のアニメでは、女性が重役についてる作品はとても多い。今世紀のガンダム・シリーズでは女性の艦長が多かったし、去年の「革命機ヴァルヴレイヴ」は女性が大統領になるし戦闘メカに乗り込む5人のうち2人は女性だ。80年代の「機動警察パトレイバー」でも主役、指導役、隊長などに女性が配置されていた。かの有名な「新世紀エヴァンゲリオン」でも主役級パイロット3人のうち2人が女性、研究開発担当者も指揮官も女性だった。アニメにおける女性の社会進出は、現実よりもはるかに進んでいる*1

こうした物語で育った日本の子供たちが、家庭や地域に関わらない男性や、家事と子育て以外しない女性をどう見るのか、少し想像を巡らせてみるとおもしろいかもしれない。

*1:とはいえ出産・育児休暇・復帰まで描かれるような作品はなかなか無いのでこういうのも普通の情景として描いてくれるとうれしいなと思う。男性の育児休暇もね