狐の王国

2014-10-14

手に馴染んできた iPhone 6 Plus はやっぱりでかくて重たいが……

いまさらだが iPhone 6 Plus が今月届き、だいぶ手に馴染んできた。でかいので使いにくいだろうと思ったし実際使いにくい部分もあるのだが、両手で使っていれば意外と問題ない。片手で使おうと思うから問題なのである。

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Android のように下部に戻るボタンがあればもっと使いやすいのだが、iOS の戻るボタンは左上に配置される。これが右手だとまず届かないし、左手でもけっこうキツイ。ホームボタンをダブルタップすれば降りてくるとはいえ、かなりめんどうだ。

ただ画面が大きいことによるメリットというのもある。Kindle で本を読むのが意外に快適なのである。

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これは Nexus 7 の Kindle アプリと iPhone 6 Plus の Kindle アプリ、それと iPhone 5s で同じ漫画の同じページを表示して重ねあわせたところである。さすがに Nexus 7 のほうが読みやすいけれど、400 dpi を超える解像度もあって iPhone 6 plus で読むのも意外に辛くない。漫画1冊を割とストレスなく読めてしまったのにはびっくりした。

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こちらは左から Nexus 7 、漫画の単行本、 iPhone 6 Plus 、文庫本と並べてみたところである。考えてみれば文庫版の漫画などもあるのだし、文庫とそうサイズの変わらない iPhone 6 Plus も十分な解像度さえあれば読むに耐えるはずなのである。

7インチタブレットを新書とするなら、iPhone 6 Plus は文庫。そう考えるとこのサイズ感はぴったりくる。ただ新書と文庫を両方持つ意味を考えるとどちらかでいいよなあという気はする。

ただ入力作業にはやはりキーボードが大きい。フリック入力で慣れもあるのだろうがまだ指の移動範囲が大きいことによるミスが多い。表示領域が大きいのはうれしいのだが、これはいかんせんつらい。

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というわけで話題の ATOK for iOS も導入してみた。こちらはキーボードが小さくちょっと良く見える。

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ところが表示領域は iOS の日本語入力より狭くなる。左右にキーボードが振れるのは片手入力には便利なのだが……。

ただやはりカメラは綺麗だ。

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iPhone 5s を使い始めた頃から「写真が上手」だなどと言ってもらえるようになってきたのだが、6 Plus ならもっと上手だと誤解してもらえそうである。

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無理に夜の月も撮ってみたのだが、意外にちゃんと見えてるのがすごい。暗いところではなかなか活躍してくれそうだ。

ジョブズは間違ってる、iPhone は裸で使うべきではない ので、ケースはストラップホール付きのクリアケースを購入してみた。ストラップはデジカメ用のものを購入。


iphone6 ケース/ iphone6 plus ケース カバー ハードケース ストラップホール付   | Timber iPhone 6 専用ケース TIIP6PCCRS(ハードケース 5.5inch PLUS , クリア(ストラップホール付き))

Nikon ハンドストラップ P50付属 コンパクト用 シンプル ブラック AN-CP17


ストラップに手を通せばとりあえず落とす心配はないだろう。

また、今まで使っていたベルトポーチにはサイズ的に入らなくなってしまったので、ベルトポーチも買い直した。


PALS ベルトポーチ ラージ (オリーブ)


このサイズであれば iPhone 6 Plus も普通に入るし、かさばらないので便利だ。またベルクロの面積が大きいので盗難の不安も少なそうに感じる。


iphone用三脚ホルダー デジカメスタンド スマホ対応 モバイル iphone5 アイフォン5 クネクネ三脚

ただ以前購入したスマホ三脚はガチガチすぎて、入らなくはないが入れるのが大変なので使用に耐えないのが残念である。ストレッチをするときに iPhone のアプリでタイマーをかけながらやってるので立てておけるとうれしいのだが。

総じて、iPhone 6 Plus は 7インチタブレットと用途的にかぶりがちである。iPad mini はもう少し大きいのでまだ使い分けできるかもしれないが、Nexus 7 との共用の意味はあんまり感じられない。どっちも欲しいが2つ買うのもどうかと思うような人には割といいかもしれない。考えようによっては少し小型のタブレットに電話がついてると思えばそんなに悪くもない。

iPhone 5 、 iPhone 5s と軽量化されてきたことを考えると、ずっしりと重たい iPhone 6 Plus には違和感が強いのだが、大型化の潮流にはさしもの Apple も逆らえないだろう。日本市場だけ見てるとピンとこないだろうが、世界のスマートフォン市場では iPhone 5 サイズの端末はだいたい廉価版なのである。廉価版ゆえに最新の機能が入らないことだってある。小さいがゆえに安物に見えてしまうことだってある。それは Apple には耐え難いことだったろう。

ただスマートフォンに最先端の機能を求める時代でもなくなってきたし、いずれ 4.7 インチサイズの端末に戻すことになるだろうとは思う。オタク心としては1つでなんでもやれるより2つ3つと持ってたほうがうれしいし、常に両手で使う人や置いて使う人にはいいかもしれないが、やはり片手で使う局面も多いからだ。ただ今回に限って言えば、iPhone 6 Plus は内部的にはきれいな @3x 解像度で、変態解像度なのは iPhone 6 のほうである。この変態解像度での描画を iPhone 6 Plus は再現できる*1ようなので、開発者としてはどちらかといえば 6 Plus を持ってたほうがオトクそうである。いや両方持ってたほうがいいに決まってるけども。

2014-10-12

カウンターする相手のいない日本とオタク文化

今朝方ストレッチをしていると、たまたまつけっぱなしだったテレビの音が聞こえてきた。ファッションデザイナー3人による対談番組のようだった。印象的だったのはきゃりーぱみゅぱみゅレディー・ガガのファッションに対するメディアの扱いの話だった。レディー・ガガのファッションをメディアがすばらしいと持ち上げるのはおかしいだろうと。あれは綺麗だとか美しいだとか言われたくてやってるわけじゃないはずで、あんなものはダメだと言ってくれる人がいなかったら成立しないんだという話だった。

確かにそれはそうで、レディー・ガガはカウンターカルチャーであって、反抗すべき主流がいなければ過激さもなにも意味を持たなくなる。それを主流であるはずのマスメディアがよいものとして取り上げてたら、カウンターカルチャーとしての意義を失ってしまう。

アメリカではレディー・ガガやLGBTといったまさにそうしたカウンターカルチャーが有効なのかもしれないが、はたと日本ではどうだろうかと考えこんでしまった。

日本のカウンターカルチャーはそれなりにあったのだろうとは思うけれど、少なくともこの20年や30年の間にカウンターカルチャーと呼べるものがあったかと言われると疑問はある。なぜなら反抗すべき主流が弱く、反抗に値してなかったからだ。

日本のメインカルチャーといえば伝統的な芸能やらなにやらたくさんあったとは思うのだが、反体制を浮き彫りにするような動きはそう見受けられるものではなかった。反体制を唱えるような集団はおおむね頭の悪そうな左翼活動であったりしてきたし、ハイカルチャーにいたっては対抗しなきゃならないほど元気だったかと言われるとそんな姿も見受けられなかった。

そもそも日本のサブカルチャーは反体制的ではなかったようにも思う。ゲームのドラゴンクエストが採用した楽曲はすぎやまこういちの手による交響曲であったし、現在ライトノベルと呼ばれるようなジャンルの走りであるロードス島戦記は、今考えるととても正統派のファンタジーだった。

我々オタクと呼ばれるような人間にしても、反体制的かと言われるとそんなこともない。オタクには思想なんてない。ただ欲望があるのみだ。

インターネットが台頭して行われてきた言論も、ブログ界隈では左派の立場にたった発言も多かったが、2chなどの掲示板では右傾化が不安視されるほど体制よりだった。

カウンターカルチャーが意味を持つのは、ハイカルチャーや体制が強いからだ。そこに対抗するための文化の力がそこにはある。ところが日本のハイカルチャーはそんなに強くない。むしろ保護が必要なものばかりじゃないか。

体制にしても悪政を敷く政治家がいるかと言われると、悪政かもしれないが本人は善意だろうしがんばってるんだろうなあと思うものばかりだし、積極的にカウンターをあてなければいけない状況というものでもない。

あえて言うならマスメディアが仮想敵であり、そのカウンターとしてのネットの言論というのはあったと思うが、それもずいぶんとマスメディアが力を失ってネットよりになってきている。

欧米諸国での現在のカウンターである反差別やLGBTの盛り上がりにしても、日本ではいまいち盛り上がらない。日本に差別がないわけではないのだが、社会的合意として差別がよくないことであることは認識されてるように見えるし、性的マイノリティに対しての理解という意味では意外に他国よりはマシなのかなと思うこともある。三輪明宏や美川憲一のような性的マイノリティの芸能人が昔から大物として日々テレビに出てきてたし、彼らが保守的なたとえばNHKのような番組に出るときに問題になるという事もない。

我が国日本の体制やハイカルチャーは、意外とものわかりがいいのだろう。だからこそ欧米のカウンターカルチャーを取り入れただけの左翼運動などがこっけいに見えるし無理筋になりがちなのかもしれない。

これはある意味狡猾である。カウンターが盛り上がれば盛り上がるほど体制というのは崩れていく。適当に理解を示しておくことのほうがカウンター側は盛り上がらないわけだ。だからこそ日本の差別はわかりにくいなどと言われてしまうのだろう。表向きは公平に扱われてるというわけだ。

海外の盛り上がりに影響されて、ではこちらもとなってもはしごを外されてしまう。なるほど狡猾だなと思う。

今の日本というのはたいへんおかしな状況で、カウンターでもなければただのマイノリティだったはずの我々オタク文化が大手を振って歩いてる状況がある。莫大な利益をもたらすスマホゲームに使われる絵はまさしく我々オタク文化由来のものだし、アニメや漫画が国の輸出産業として期待される有様だ。20年くらい前までオタクがメディアの中でも散々バカにされてきた、いくらでもdisってかまわない対象として描かれてきたのが信じられないくらいの状況にある。

きゃりーぱみゅぱみゅが表現する「かわいい」はギャル文化とオタク文化をうまく接合してるようにも見えるし、ゼロ年代にネットで流行った電波ソングの影響かと思うようなものも感じることがある。

サブカルチャーがサブのままでいられない時代に、今の日本はなっているなと思う。

それは主流を見失い、ハイカルチャーもサブカルチャーもごった煮になってる日本の文化の姿がそうさせているのだろう。日本でカウンターカルチャーは成立しないということか。

おそらくこういう世界に必要なのは、わかりやすいカウンターのアイコンではなく、もっと別のアプローチなのだろう。強くて優しいリーダーに牽引される世界がおそらく望まれるのだろうが、それはもはや現代的ではない。

この解決は日本のみならず、アジア全域に必要とされるようにも思う。民主的なボトムアップから自分自身で壁にぶつかっていくような環境で、一人ひとりが体験を通じて理解を深めるようなやり方でなければいけないのかもしれない。だとしたら、それが実現できるのはコンピュータとネットの世界か、あるいはゲームかもしれない。

2014-10-09

どこのコンビニコーヒーよりもスタバが圧倒的に安いのを知るべき

なにやらスターバックスというコーヒーチェーンを高級店だと思ってる人たちが多い。確かに1杯200円程度から楽しめるドトールなどに比べれば高級かもしれないが、スターバックスは決して高級とは言えない。むしろコストパフォーマンスの高いお店だと俺は認識している。

こんな記事を読んだ。

はっきり言おう。こんなものスターバックスのコスパに比べれば圧倒的に高いということを。

スターバックスのドリップコーヒーは実はたいへんお安いのである。

  • Short \280
  • Tall \320
  • Grande \360
  • Venti® \400
ドリップ コーヒー | スターバックス コーヒー ジャパン

各サイズの容量は以下に書いてある。

  • ショート Short(240ml)
  • トール Tall(350ml)
  • グランデ Grande(470ml)
  • ベンティ Venti®(590ml)
How to オーダー|スターバックス コーヒー ジャパン

これだけだと決して安く見えないかもしれない。しかしスターバックスのドリップコーヒーは、実は100円、税込み108円でお代わり可能なのである。

これを元に ((本体価格+100)*1.08) / (容量/100*2) という式で計算してみると以下のようになる。

サイズ本体価格容量100ml当りの価格
ショート280円240ml85.5円
トール320円350ml64.8円
グランデ360円470ml52.8円
ベンティ400円590ml45.7円

いずれも小数点2桁切り捨て。

冒頭の記事ではどこのコンビニコーヒーも最安値でも100mlあたり58円台なのに、グランデでいきなり52円台を叩き出している。ベンティに至っては45円台であり、お代わりがなくてもコンビニコーヒーのコスパと戦えそうなレベル。

こうした計算をした上で、俺は日本にいるときは朝グランデのドリップコーヒーを買ってコワーキングスペースに行き、ランチから戻るときにお代わりをもらって帰るというのをよくやっている。もちろん理由は安いからである。スターバックスが高級店だという認識のある人とはどうも話がずれがちだ。

もっとも、実家にいるときはコーヒーミルもあるのでお気に入りの珈琲豆店から豆を買って挽いて飲んでいる。この店のコーヒーを飲むと今まで飲んでたコーヒーが泥水だったのではないかと思うほどたいへんおいしく、加齢でコーヒーが飲めなくなっていた母もこのコーヒーだけは飲めると喜んでいるのでオススメである。月に1〜2回ほど月替りのコーヒー豆セットを買っているのだが、毎朝仕事前にコーヒーミルを回すのが楽しみの一つである。

2014-10-02

「普通の人々」がヘイトスピーチするのは朝日新聞が悪いんです

ヘイトスピーチへの処方箋という記事ログインしないと読めない記事だが、登録すれば無料でも1日に数本見られる。

ヘイトスピーチという単語も耳慣れたものになってきたが、ようするに差別的なことを叫ぶデモ活動ということのようだ。それだけ聞くとひどい奴らがいるものだなあと思うのだが、こうした活動をする人たちは割と普通の人たちだというのは以前から言われていた。実際に学歴も仕事も収入も平均以上の人たちがそうした活動に参加してると聞いたときは、俺も意外に思ったものである。

記事中でもそうした現場の様子を伝えている。

 学歴では大卒(在学中・中退を含む)が24人。京大卒や東工大卒のエンジニアもいました。雇用形態も、正規が30人に対して非正規は2人。普通の会社員に多く出会いました。職業をみるとホワイトカラーが22人、ブルーカラーは6人でした。

 「移民が増えると摩擦も増え、排外的な運動が広がる」というのは欧州定説ですが、日本の場合はこれも違った。摩擦がなかったどころか、日常生活で外国人との接点すら持っていない人がほとんどでした。実は在日コリアンの実情をほとんど知らない人々が起こした運動だったのです。

(耕論)ヘイトスピーチへの処方箋 樋口直人さん、師岡康子さん、阪口正二郎さん:朝日新聞デジタル

そう、知らないから断片的な情報を鵜呑みにしてしまうのである。では誰が知らしめるべきか。それこそメディアの役割じゃないですか?

日本という国にはまともなマスメディアがない。それは以前から言われてきたことだし俺も繰り返し言ってきた。こう言うとよく「他国にはあるのか?」などと聞く人がいるのだが、他国にあるかどうかなんて問題ではないのである。日本に無いことが問題なのだ。

日本の新聞が記者クラブを通して警察と癒着してることはもはや公知と言ってもいいだろうし、それゆえ警察を批判しにくいこともよく言われる。新聞勧誘のガラの悪さは有名だろうし俺も新聞勧誘にドアをガンガン蹴られたこともあれば朝日新聞の新聞勧誘に脅迫まがいの電話をかけられ警察に通報したこともある。取材に協力したら名誉を毀損されるような記事を書かれたとか、取材によるストレス自殺に追い込まれるような人たちも少なからずいるようである。また縮刷版を出さない新聞もあるようで、もはやこんなものはタブロイド紙と言ったほうがいいだろう。

それでもまだ「他国にまともなメディアがあるかどうか」を語る価値があるというなら勝手に語っていればいい。俺はそんなことを問題にしたいわけじゃない。

そうしたメディアの問題点は、インターネットの普及とともに広がっていった。メディアが報じない情報がある。メディアが問題にしない問題がある。メディアにとっての不都合な事実がある。例えばある新興宗教の発行する新聞は大手新聞社の輪転機が動いてない時間帯に刷られていてそこに大きなお金が流れてるので新聞はその新興宗教の起こす事件を大きく扱えない、なんて話をネットで何度か見たことがある。しかし俺はそれについて検証した報道を見たことがない。もっともらしい話だし、実際その宗教団体を問題視する記事は新聞であまり見かけないので、信じてもおかしくないし事実でもおかしくないだろう。

こうした情報は昔からたくさんネットに流れていて、新聞はそれに反論もして来なかった。たかがネットの情報と侮っていたのであろう。便所の落書きだなんて言ってるジャーナリストもいた。

在日コリアンに対する差別的な言説というのも、こうした状況下で広まっていった。俺が記憶している最初の問題は「剣道問題」であった。韓国の剣道(クムド)が日本の剣道の源流でありクムドをオリンピック競技にするための活動をしている、という話がネットを駆け巡ったのである。当時ネットで流れてきた韓国剣道の写真は、完全に日本の竹刀と防具を使った剣道そのものであった。実際に空手が源流(のひとつ)とされるテコンドーがオリンピック種目になったこともあり、日本の伝統的な剣道が韓国のクムドとして紹介されることに嫌悪感を覚えた人たちが大きく反応していた。

あとから韓国に住んだこともある人に話を聞いたり、韓国人と話してみたり、さまざまな情報を調べてみると、どうやら韓国では今でも日韓併合後遺症とでもいうべきものがたくさん残されていることがわかった。独立国としての誇りは現代日本人が考えるよりもはるかに重たいものである。そうした誇りを取り戻すための様々な活動があそこでは行われているようだ。

これは日本でもあったことだ。中国文化圏であった日本の公式文書がすべて漢語であった頃、日本にも独自の文字があったと主張する人たちがいた。神代文字などと呼ばれるものでいろいろあるのだが、江戸時代に捏造されたものもあるそうだ。明治になって日本が欧米列強に並ぼうと必死に背伸びをしてたころにまたこのデマが復活した話を何かで読んだ覚えがある。独立国として、独自の文字と独自の文化を持つ民族であることは、想像以上に重たいことなのである。

高度経済成長が終わり、「もはや戦後は終わった」とこれまた新聞やテレビなどでも語られてた時代すら過ぎ去った20世紀と21世紀の境目。その当時のインターネットに触れていた若者たち太平洋戦争時代の影響を考えろというのも無理な話であろう。

その当時のインターネットというのは技術者研究者の比率が大きかった時代でもあり、後にモヒカン族と呼ばれる人たちの倫理観が支配していた。

■ 掟

  1. どんな努力をしても絶対に覆せない事柄を根拠にするな。「差別」という外道に堕ちる。

■ 宣言

  1. 発言者の社会的地位を気にせず、言説だけに注目する
  2. 事実のやりとりに、余計な装飾語はいらない
  3. 間違いは、きちんと認めて修正すればいい
モヒカン宣言 - モヒカン族

なのでこうした韓国ネタが集まる掲示板においても、明らかに間違った韓国起源説などを見ては笑いの種にするといった書き込みが多く、本気で怒りだして差別的な言説を言い出す人たちに対してはスターウォーズの暗黒面になぞらえて「韓国面に堕ちた」などと言われていた。この言葉もどうかとは思うが、本気で嫌うあまり嫌ってる対象と同じ事をしていることに気づかせるにはよい表現であったとは思う。

だがインターネットに触れる人たちが増えすぎ、モヒカン族の倫理観に触れずにネットで生きられる人たちが現れ、「韓国面に堕ちた」人たちの増加が止まらなくなったようだった。

こうした時代に醸成された韓国への反感が吹き出したのが現在の日本でのヘイトスピーチである。このころは新聞記者自身がモヒカン族の倫理観と相容れず、ネットにおかしなことを書き込んでは炎上して逃げ口上を残して去っていくというのを繰り返してたことを考えれば、新聞にも新聞記者にもこうした状況を止める力は無かったのだろうとは思う。またそうした炎上自体が、メディアへの不信感を補強していた部分もあっただろう。

メディアが報じない情報がある。メディアが問題にしない問題がある。メディアにとっての不都合な事実がある。そしてメディア自身にまともに情報を扱う能力があるのかという疑念。

実際のところほんの6〜7年前まで、新聞記事というのはたいへん役に立たないものだった。それこそウェブ検索でもしてみればすぐわかるようなことがわかってなかったり、この記事を見て何を判断しろというのかと思うほど情報の足りてないものが多かった。

以前それで自分で調べ始めてホントに大変だったことがある。

こういうのは割と日常茶飯事なのである。ここまで泥沼になることは珍しいにしても、メディアの情報が足りなくて自分で調べないといけない局面は多い。

こうした状況はだいぶ改善されてきててありがたいなとは思うのだが、それにしてもメディア不信が払拭されたとは思えない。役に立たないだけならいざ知らず、害をなすものもかなり多かった。ろくに調べもせずに救急医療や産婦人科を貶めるような記事を書いて、産科医のなり手がかなり減ってしまったなんて話もあった。実際あの記事はひどかった。

このようなメディア不信が「メディアの報道しない情報」への信頼感を増し、ひいてはヘイトスピーチにつながってきたことは、各メディア関係者みんなに認識しておいてもらいたい。

そしてマイノリティ人権を守るべき左派とその最大メディアである朝日新聞に、俺はヘイトスピーチにつながったこのメディアの責任の多くを求めたいと思う。「もはや戦後ではない」なんて言葉に踊らされて、日本国外の戦争の傷跡に目を背けてきてしまった。目を向けてみたと思えば虚言に踊らされ、本来伝わるべき事実の価値を毀損してしまった。

嘘というのは、真実の中にひとつまぎれていただけでも、それが嘘だとわかった瞬間に全体が嘘に見えてしまう。だから嘘はつかないことが大事だし、間違いは早めに認めることが大事なのである。慰安婦問題はまさにその渦中にいる。

左翼というのはそもそもが印象の悪いものだ。社会変革を求めてテロリズムを行うのが左翼のイメージであるし、そうでなくても無理筋を押し通したり事実をねじ曲げて批判する活動家たちが多い。最近だとオスプレイ反対運動がまさにそれ*1だし、左派のフェミニズム運動もカブトムシの値段がオスのほうが高いのは性差別だとして店に抗議だとか宗教的聖地である女人禁制の山に強引に入山するだとかロクでもない活動ばかりしてる印象が強い。

こうした活動が人権保護や差別解消に役立つとはとても思えないし、本当に人権や差別問題を真摯に考える人間が共感できるとは思えない。リベラル派の説得力の無さというのはそういうところに起因しているのである。

左派もメディアも、改革が必要なのである。

こうした中で正直に言わせてもらえば、自己変革を求めて良くなろうとしてるメディアだと思えるのは、実のところ朝日新聞である。

元々朝日新聞は技術面においては頑張ってたところがあって、ウェブに記事を出し始めたのも大手新聞社では最初だったし、RSS を配信し始めたのも下手すりゃそこらのネットメディアより早かった。また記事内容が変わったなあと思ったきっかけもいくつかある。

こちらの記事は消えてるが、これまで記者が情報技術に疎く一方的に技術者やネットユーザーを一方的に悪と断じるような記事ばかりだった中、こちらの神田大介記者はきちんと取材し、情報をまとめて詳細で正確な記事を書いてくださった。それまでの新聞記事とは一線を画す革新的な記事だったと思う*2。ちゃんと取材してくれたことが本当に嬉しかった。神田大介記者は現在はテヘラン支局長をされてるそうで、池田信夫 blog : 朝日新聞の「記者の反乱」という記事でも Twitter の発言が紹介されている。

もうひとつ重要な記事が上記のものである。これを消さずに置いといてくれてるのは英断だと思う。

これまでの新聞は、「お上」という権力を絶対悪とみなし、権力側がすすめる施策でほんろうされる「庶民」の声を代弁していればよかった。だがこれは、「お上」が既得権者と結びつき相も変わらぬ横暴を繰り返すという方程式が成立する場合にのみ有効な手段であった。

【Journalism】7月号より 「橋下現象」をどう報ずるか - WEBRONZA+政治・国際 - WEBマガジン - 朝日新聞社(Astand)

重要なのはこの箇所である。「庶民」と括弧書きしてあるのはそんなものは実在しないことがわかっているからであろう。政府を絶対悪として取り扱いなんでも反対を唱えてればいいというのは野党にも通じる。それがもう通用しなくなったことをようやく2012年になって自覚し始めたことを吐露している。

 30人中26人が「君が代条例に賛成」。当たり前のルールを守れない人が先生をしていること自体おかしいという。

 ショックだった。正直、6〜7割が「反対」と答えると思っていた。良心的な日本人にとって、国内外に大きな犠牲をもたらした戦争の記憶とつながる国旗国歌強制は根源的に受け入れられないものと信じていた。その人たちこそ朝日新聞の読者だと思っていた。

 だがそんな人たちは、もはや1割しかいないのだ。良心的な世論をリードしているつもりが、振り返ってみたら誰もいなかったのである。私が想定していた読者像は、自分たちに都合のいい甘いものだった。本当に想定しなくてはいけない読者は、朝日新聞的リベラルな主張を、ウソっぽい、あるいは嫌いだと感じている、世の中の9割の人たちだった。世の中が見えていたのは朝日新聞ではなく、橋下氏のほうであった。

【Journalism】7月号より 「橋下現象」をどう報ずるか - WEBRONZA+政治・国際 - WEBマガジン - 朝日新聞社(Astand)

この箇所もとても重要だ。リベラルの主張にもはや説得力がないことを自覚し始めた。こうした比較的若い世代の記者たちの活動が、慰安婦記事の誤報謝罪へとつながったのかもしれない。

朝日新聞は他にも記者の Twitter 利用を促進したり、海外の個人ブログ転載サイトであるハフィントンポストと連携して日本語版を作成したり、キュレーションメディアを立ち上げたりと時代に寄り添おうとする姿勢がとても強い。古い企業が過去の成功体験にしがみつきがちな中、すばらしいことだと思う。

いまもって日本にまともな新聞もマスメディアもひとつもないと俺は感じている。だがそれでも進歩しようとする姿勢、そして実際に記事にしてきたことは、大きく評価したいし応援もしていきたい。

朝日新聞がなくなってしまったら、誰が人権を見つめ差別を問題にするのか。まともな左派のいないこの日本で、誰が政府の暴走を監視するのか。

市民メディアのやれることなどたかが知れている。左派のマスメディアは必要なのである。

他の新聞もネットに寄り添う姿勢こそ見せてるが、おもねってはいけない。大事なのは我々ネットユーザー、ひいては市民の調べようがない情報や視点を与えることだ。

正しい判断は確かな情報が揃ってこそ行える。ヘイトスピーチを問題視する前に、ヘイトスピーチをする「普通の人々」にこそより正確な情報を伝えて欲しい。なぜクムドが生まれたのか、なぜ韓国があれほどの経済発展を遂げてなお反日の姿勢を崩せないのか。そこにある物語こそを、新聞には伝えて欲しいのである。

*1オスプレイの事故率は他の航空機よりだいぶ低い。参照記事: オスプレイとは何か? 「未亡人製造器」と呼ばれた革新的航空機

*2:ちゃんと取材して詳細で正確な記事が革新的というのが問題だけど……でも本当にそれが革命的なほどネットや技術に関する報道はひどかったんだよ……

2014-09-09

オンライン非言語コミュニケーションの幕開け

Apple が噂のスマートウォッチApple Watch を発表した。個人的にはジャッキー道斎さんの提案により「りんごっち」と呼ぶことにした。

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Apple Watch Comes With Its Own Terrifying, Animated Emoji

さてこのりんごっち、意外にとんでもない機能を備えてる。時計の盤面にさらさらと書いた図形をそのまま他のユーザーに送信できるのである。図形を描き送信して消える動作は実に美しい。これは見たところ、3Dのスマイリーの顔を変形させて送ることなども可能なようであった。米GizmodoはApple Watch Comes With Its Own Terrifying, Animated Emojiとして伝えてる。

これを見て真っ先に思い出したのが enchantMOON 、そして LINE であった。

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enchantMOON は描いたものがオブジェクトになってネットワーク透過性を持つ。手書きを認識してくれるところなどは素晴らしかったが、Apple はあえて限定的にすることで使いやすいものを提供しようとしてるようだ。

LINE を思い浮かべたのは、これがスタンプ同様の非言語コミュニケーションであるからだ。おそらく Apple Watch には LINE のスタンプストアのようなものが搭載され、スマイリー以外の3Dオブジェクトを加工して送信したり、手書きにもテンプレートのようなものが搭載されるかもしれない。

こうしたノンバーバルなコミュニケーションはまさに LINE が切り開いたものと言ってもいい。過去にもお絵かきチャットや絵文字などがあったが、コンピュータ的な意味での文字列から離れたコミュニケーションツール、それもある程度大きな規模で提供されて大成功を収めたものとしては LINE のスタンプがマイルストーンであったろう。

こうした手書きコミュニケーションに、日本的アジア的なセンスとしてのポップさと調和させるのは非常に難しい。enchantMOON も Apple Watch もやはり LINE のようなアジア的ポップさとはかけ離れたデザインだ。つまり日本で作って受け入れられるのが難しい代物という事になる。

なので LINE が即席手書きスタンプのような機能を導入するのは難しいのではないかと思ってる。デザイン上、それがとても浮いてしまうから。

元々コンピュータのコミュニケーションにノンバーバルな要素を持ち込んだのは顔文字であった。「(^-^;)」や「:-)」といった顔文字は古典であろうし、今では Unicode で増えた文字を使ったもっと独創的な顔文字が作られてる。アスキーアートのたぐいもそうだろう。

人間は、非言語コミュニケーションを求めてるのである。言葉に乗らない思いを表現したいのである。従来の絵かきチャットなどがうまくいかなかったのは、もちろん誰にでも絵を描く能力が備わってるわけではないからである。 LINE はスタンプという形でそれを提供した。Apple は手書き領域を狭くすることで絵心の差が出ないようにし、なおかつ動く3D絵文字を用意した。LINE のスタンプが Facebook にまで広がったように、おそらくこうしたアプローチは成功例が出るとフォロワーがぐっと増える。うまいやり方がわかるからだ。

Apple の手書きチャットがうまく行くかはわからないけれども、Apple のことだからそうとう練り込んできたはず。おそらく使いやすいものになってるであろう。そうしてモデルを得た開発者たちがフォロワーになって、ライバルとして立ちふさがるようになる。

そうしてオンラインの非言語コミュニケーションが加速し、ひとつの時代の幕開けとなるだろう。絵にも言語はあるが、自然言語に比べればたいした分量じゃない。むしろ参加人数が増えて語彙や文法が充実してしまうかもしれない。気がつけば見知らぬ外国人とオンラインで非言語コミュニケーションをとっていることになるかもしれない。

そんなことを想像させてくれた今日の Apple 発表会であった。その時代の勝利者は誰になるのか、今は予測もつかないけれども。