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2017-02-19 J・ジョバンニという人物

 学生時代からの友人で、今では役所のお役人となっている男がいる。

その男との私的会合で聞いた話で面白い話があったのを思い出した。

厚労省審議会関係ニューヨークに現地視察に行った際、

空いた時間を利用して彼はあるセミナーに顔を出したそうである

ロンドンからラカン派を自認する開業医、J・ジョバンニが来ていて、

興味深い内容を語ったと教えてくれた。


 その内容は大変に難解であり、専門用語が入り乱れて非常に難しかったが

彼は私にも分かるように高校レベルの生物学野球話題

例えてかみ砕いて教えてくれた。


 人間には、ホメオスタシスという機能が備わっているという、高校生物の授業で聞いた話から

それは始まっている。

ホメオスタシス病原菌ウィルス、外傷などに対して元の内的状態を保つために

自己回復する力に関わっている。


 ところで、ボディビルダーが使うような筋肉増強剤というものがある。

それは身体ホルモン系において、男性ホルモン

成りすまして作用するような組成式を持った成分であるが、

これを使用している間、体内は男性ホルモンが過剰な状態となり、

筋肉がつきやすく髭が濃く、そして頭がハゲやすく、性欲が強くなる。

この間にトレーニングすると、不自然なほど筋肉量が増量する。

だが、一方では体内は過剰になった男性ホルモン抑制するホメオスタシスが働くために、

筋肉増強剤を使用している間、

体内では男性ホルモンをみずから生成する機能抑制されてしまう。

このため、筋肉増強剤の使用をやめると、

体内における男性ホルモン女性ホルモンに対して少なすぎる状態になり、

乳房が大きくなり、まつ毛が濃くなり、

尻が丸くなるなど身体女体化が起きる。

これを防ぐために、ボディビルダーは、

筋肉増強剤の使用をやめるタイミングで、女性ホルモンの代わりになる

組成式を持った薬品摂取し、

ホメオスタシスによって男性ホルモン女性ホルモンが両方少なくなる状態を作り出し

症状を緩和するのだという。

 実は同じ事が精神安定剤についても起きる。

精神安定剤は、脳内セロトニンノルアドレナリン

ドーパミンなどの神経伝達物質に成りすますような組成式

持った成分なので、セロトニンノルアドレナリン

ドーパミンなどが欠乏した状態で起きる精神症状に対して

処方されるが、精神安定剤摂取することで起きるホメオスタシスは、

しろ本来セロトニン

ノルアドレナリンドーパミンなどの神経伝達物質が過剰になったことを感知して、

それらの神経伝達物質の生成を

より一層抑制するようになる。

従って、薬の服用をやめると、服薬前よりも余計に症状が悪化し、

より強い薬をより大量に服用しなければ

ならないという循環が起きてしまう。

この悪循環解決するには、

本来自分身体自分で作り出している神経伝達物質のバランスを解決することが

必要なのだが、それは薬だけでは逆効果になるというのだ。


 これにはロドリゲス朝倉デンジャラス真紀子の対談を思い出させられ、考えさせられた。

こうした神経伝達物質は、実際には脳内思考によってコントロールされており、

困難な思考や快適な状況などによって

脳が自らバランスさせている物質なのだろう。

つまり神経伝達物質の量を健全に保つためには、

困難に直面したときにそれを悩まず解決できる問題解決能力

身に着けていくことが重要なのかもしれない。

痛み止めが傷口を直すのではなく、傷口を直すのは自身免疫であるということも言える。

痛み止めで感覚をマヒさせて平気になって動き回っていても傷口は広がるばかりだ。

自分精神を病ませているものがあるなら、

それをどのようにして解決するかという問題解決能力が身につかなければ、

薬が切れればまた悩みの種は思い出され続けるのであろう。

悩みは神経にあるというよりも、その人の生活のほうに原因がある。

薬がそれを片時の間忘れさせてくれたとしても

病院は待合室に列をなしている患者人生を一人ひとり深く理解して解決することなどできないわけである

医者が本当に解決したがっているのは、医者本人の人生問題のほうだろう)。

グッドウィルハンティング

12:08 | グッドウィルハンティングを含むブックマーク グッドウィルハンティングのブックマークコメント

 当時は、何とも思っていなかったが、

グッドウィルハンティングという映画を時々思い出すことがある。

ウィルは異常な天才性のある問題児で、

彼をラマヌジャンだと思った教授が、彼を最終的にシンクタンクに進めるように手配するのだが、

様々な精神科医がお手上げ状態になった彼を、教授の友人の精神科医が引き受け、

そこで二人はきびしい議論や衝突の果てに互いの人生問題に気づいていく。

精神科医の方にもまた、心にわだかまった問題があり、

ウィルもまた彼の人生との偶然の遭遇によって

自分が本当に求めている生き方を知る。

ウィルシンクタンクではなく、自分が素直でなかったためにうまくいかなかった恋人との人生を選び、

精神科医もやり残していた最後のチャレンジへと向き合っていく。

彼等は互いか学び合い、目を背けていた問題に向き合うことで、精神的な問題解決したように思う。

愛しき小さな大食漢 ノーブルヒナドリス、狂った古木を伐採しろ トレント 討伐

14:30 | 愛しき小さな大食漢 ノーブルヒナドリス、狂った古木を伐採しろ トレント 討伐を含むブックマーク 愛しき小さな大食漢 ノーブルヒナドリス、狂った古木を伐採しろ トレント 討伐のブックマークコメント

 メルダシオ協会本部での討伐クエストを進め、ノーブルヒナドリスとトレントの討伐も完了した。

が、リゾラ盆地大蛇というミドガルズオルムの討伐クエストが、まだハンターランクであるために受注できなかった。

 ハンターランクを上げるため、オールド・レスタに移動し、来週末はクロウズ・ネストでの討伐クエストを片づけていく予定。

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私には夢がある

18:16 | 私には夢があるを含むブックマーク 私には夢があるのブックマークコメント


 私には夢がある

 たくましい人もそうでない人も、

それぞれが自分なりに頑張った結果が適正に評価される世の中で暮らしたいという夢である


 資本主義システムはすでに行き詰まりを迎えているかに思えるし、

共産主義的な思想への回帰の動きが

そこかしこで始まっているかに思えた。

 しかしかつて、ベルリンの壁を打ち砕いたのは戦争でも冷戦でもなく若者だったことを忘れてはいない。

知識人マルクスをどれだけ礼賛したところで人類物質的な豊かさと自由を求め、

若者たちは自ら壁を壊して共産主義が終わったことを忘れてはいない。

 やはり人間には資本主義しかないという現実から

今更逃れることはできない。


 では資本主義問題とは一体なんなのだろうか、と考えると、

 資本主義問題というよりもむしろ

人間が元々平等に生まれていないという不公平感が存在するという事が問題であるように思われた。

それはまるで、フェアプレイルールの上で行われる八百長のように、

どれだけ頑張っても、優勝者がはじめから裏で決められている試合を思わせる。

そしてそれを生み出している権益や、利権

あるいは巨大な財閥の跡取り御曹司平民の間にあるような不公平さのようなもの

法的に無効にする仕組みについて考えてみた。

 あるいはまた、オリンピックに対するパラリンピックのような、

ハンデを背負っていても努力が報われる仕組みについて考えてみた。

社会学校とは異なり、

プロセス努力)ではなく結果だけで評価されるのだという現実を痛感したときに感じる矛盾に対して

努力の量に応じて適性に評価を与えられる仕組みというものを、

考えてみたのである


 そうして生み出された思考をかつて私は小説として表現した。


それがクリスタルクレバスという短編小説である


 たくましい人もそうでない人も、それぞれが自分なりに頑張った結果が適正に評価される世の中で暮らしたい、

そう思う革命家人生を描いた作品である

人間の生きる意味とは

20:52 | 人間の生きる意味とはを含むブックマーク 人間の生きる意味とはのブックマークコメント


 人は何のために生まれてくるのだろう。

 生まれてきたからには、誰もに何か役割があるのではないだろうか。


 そのことについて私は長年思い悩んできた。そうして歴史を学んでみると、

奇妙なことに気がついた。

 日本史歴史上、天皇に対するクーデターが何度となく試みられてきたが

それらは長い日本の歴史上一度も成功したことがない。暴君が力をつけて

やがて天皇に刃を向けようとするとき、いつも不思議一族が現れて

暴君暗殺してしまうのである

 そしてその者たちの家紋は常に桔梗紋であった。


 本能寺にて信長を討った明智光秀も、坂本龍馬も、戦後初めて自民党から政権を奪った細川護熙も、

皆、桔梗紋の一族である

 そしてその桔梗紋の因果をさかのぼっていくと、平将門の乱にて将門を裏切って暗殺した桔梗姫にまで

遡ることになるのである


 彼らの生には、明確に宿命的な役割がある。彼らの場合は、天皇を守る為の暗殺者としての

役割宿命づけられているのかもしれない。そうした人間の命の役割についての考え方を

かつて小説しるしたことがある。


 それが、桔梗刺客という短編小説である

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2017-02-18 ロドリゲス朝倉とデンジャラス真紀子の大胆な対談

ロドリゲス朝倉デンジャラス真紀子の大胆な対談を私は思い出した。

1997年ごろに行われたとされる、その不敵な対談でデンジャラス真紀子はある強靭ロジックを持ち出し

そして私たちを感化したのだった。


彼女の壮大な理念を私なりに整理すると、次のような話になる。


 1. 人間というのは身体から発するハッスル本能によって生み出された「目的」を志向する存在である

   「目的」は身体的には欲求へ、精神的には意義へと昇華されていく。


 2.「目的」を達するために人類多種多様な<課題/困難>に直面する。その困難に対する

   問題解決能力行使により、人は失敗と成功を繰り返しながら自らの問題解決能力の精度を高め、

   やがては<課題/困難>を攻略しながら徐々に「目的」の「達成」へと進んでいくのが人生である


ところが、それに対してロドリゲス朝倉は次のような二つの疑問を呈する。


 Q1. <課題/困難>に対する”問題解決能力"が不足していた場合はどうなるのか


 Q2.身体から発するとされる「目的自体を、達成する意義がないと思える人はどうするのか


 この問いに対するデンジャラス真紀子の回答は極めて難解であったが、乱暴に整理すると次のような意味だろう。


 Q1の状態に陥るとき、人は悩み、無力感に苛まれて絶望体験する。その時人は、目の前の<課題/困難>を詳しく認識

それに対する対応策を先例や基礎的な問題解決能力の応用方法などを学びながら、戦略的に乗り越えていくための方法学習することで

自らの問題解決能力を高め、克服できなかった<課題/困難>を攻略する事で絶望を乗り越え、今までその<課題/困難>乗り越えられずにただ悩んでいただけの

自分を成長させることができる。


 Q2の状態に陥るとき、人は一切の人の営みに意味を見失う。その原因は本能を生み出す身体性の衰弱である人間は実は、

精神的な生物であるというよりも獣なのである。具体的には、本能に従って適切な栄養素を摂取しなければ体が不健全になり、あらゆる官能器官が不快と痛みを

発しながら老衰していく。身体を鍛えることによって身体強靭健康さを取り戻し、本能的な”力への意志”を取り戻すことで、

本能が求める欲求に従い自らの身体性に足りないもの補給していけば、

自然に力は蓄えられ身体性/本能から昇華によって生み出される自らの「目的」はよみがえる。その声に耳を傾けるのである

冥府に宿る神獣 ケツァルコアトル 討伐など

15:39 | 冥府に宿る神獣 ケツァルコアトル 討伐などを含むブックマーク 冥府に宿る神獣 ケツァルコアトル 討伐などのブックマークコメント

 今週末は、メルダシオ協会本部の討伐クエストを片づけている。

 リッチブラックプリンなどをスチリフの杜周辺で討伐し、アラネアがいたときに倒した記憶のあるケツァコアトルを討伐。

 アビリティポイントがだいぶ溜まっていたので、ノクティスのアクセサリーを2つ装備できるようにし、新しくできた空きにオートチェンジャーをつけてみた。

武器の中に慈王の盾をつけていたので、他の武器攻撃した後、盾でのノックバック(?)が入り、敵が反撃できないまま連続攻撃し続けられているような気がする。

戦闘も余計にスタイリッシュになり満足。

D

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2017-02-12 地を這う凶兆を討て グローツラング 討伐など

先週末にコースタルマークタワーを攻略し、ファントムソードが残り一つになっていたのだが

一体どこにあるのか見当もつかないのでまたしても誘惑に負けてググってみたところ、

ダスカ地方とあるパーキングエリアから歩いて行ける場所墓所があり、そこに盾があるとの情報があったので

うろ覚えのままパーキングエリア「ケディアの丘」の周辺をうろついて

あれあれ?釣り場ばかりあるなあ帝国兵がどんどん空から降りてくるなあと思って散策するも、

ついになぜかまたコースタルマークタワーにたどり着いてしまい、なんか場所が違うかもなと車にもどって

パーキングエリアの一覧をみていたら、セクルム峠のパーキングエリアがダスカ地方の一覧からちょっと離れたところに

表示されていて、なんかこんな名前だったかもなと言ってみたら案の定パーキングから脇道が伸びていた。

修理セットを必要とする兄貴にセットを渡しつつ脇道にポツンと建っている墓所を訪れて「慈王の盾」をゲット。


 その後、レスタルムの討伐クエストを消化することにした。

地を這う凶兆を討てというクエグローツラング戦。もうこの辺りになってくると

召喚が出ても敵が即死しないほどHP高い。

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死将 王を討つ アヤカシ討伐 推奨Lv.99 をLv.60台にて攻略

14:38 | 死将 王を討つ アヤカシ討伐 推奨Lv.99 をLv.60台にて攻略を含むブックマーク 死将 王を討つ アヤカシ討伐 推奨Lv.99 をLv.60台にて攻略のブックマークコメント


 レスタルムの討伐クエストで、推奨Lv.99という奴がひとつ残ってすべて片付いていた。

ノクティスのレベルがLv.66で、ほかのメンバーはLv.61〜63ぐらいという現状なのだが、

思い切ってこの「死将 王を討つ」という討伐クエストにチャレンジ。するとアヤカシLv.110というのが出てきた。

ありとあらゆる攻撃即死するぐらいのレベル差だ。

 とてつもない長期戦となり、アイテムが(特にフェニックスの尾が)もうなくなるギリギリというところで

なんとか討伐に成功した。

 さきほどゲットした「慈王の盾」を構えた状態のノクティスがアヤカシの前であらゆる攻撃を受けとめている間に

仲間に攻撃してもらうという作戦であった。そうでもしないと、相手攻撃してくるたびに死体が増えてしまうからである

 とにかく、大幅なレベル差を乗り越え攻略成功

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2017-02-08 夏目漱石の「こころ」におけるKと先生の自殺 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 「こころ」におけるKの自殺理由は何なのか、とか、先生自殺する理由はなんなのかということは

もし入試問題に出るのであれば、文中の言葉引用してそこにある言葉そのまま説明できる正解があるという出題者の解釈があるのだろう。

Kはお寺の生まれだし思想的にも修行僧的なところがあるので、恋を患ったこと自体に罪を感じて自殺したなどと書かれたサイトもある。

だが字面通り読んで思ったのは、そもそも先生仕打ちは、先生氏による視点から見た場合ではなくKの側からとらえなおした時に

どんな風に映っただろうかという想像力に答えられるような回答は知らない。

 Kは先生お嬢さんへの恋を打ち明けるも反対され、よりによもってその秘密を打ち明けた先である先生がいつのまにか自分が恋心を抱いたお嬢さん結婚することに決まったと、

何も事情を知らされておらぬ「お嬢さんの母」に知らされた後、

二、三日の間平静を装った後に死んだ。その間、先生氏の平静な態度をKはどのように見て、何を考えたかと想像したような回答を知らない。

 Kにお嬢さんへ恋を打ち明けられた後の先生は、Kを魔物のように恐れた瞬間があったが、それよりもまして先生によるこの仕打ちは、そしてKを取り巻くすべての人々の仕打ち

Kにとって不気味で非情悪夢のように襲い掛かったであろうとしか思えない。Kにとってみればその出会いも、下宿先も、彼の帰結へ至る言葉も皆あらかじめ先生氏によって与えられ導かれたものである

二、三日の平静の間のKの心の内は、誰も知らない先生氏はお嬢さんの無神経ぶりを気にする場面が何度かあったが、それ以上にKは全員に対してそれを見たことだろう。

 何よりも、自分が恋していると打ち明けた人物を知った上で奪い去るように結婚が決まって、そのことを何も言ってこない先生氏の事を、特に恐ろしく思い、

そしてその相手自分が何も知らず相談を打ち明けてしまったことを悔やんだに違いない。

そしてそもそもそのように思う自分自身そのものも、何もかもが彼にのしかかっていた。

そしてもちろんそれらすべての心の動揺をKは自分の弱さとして自らに引き取ったのだろう。彼は恋心など患わずに元の仏道を進んでいれば良かったと考えたかもしれない。

彼が、もっと早く死ぬべきだったと書き記したのは、そういう意味だったのかもしれない。


 そして先生氏がそのことを十分に理解していれば、そこには殺人者の罪悪感さえあってさえおかしくない。

先生氏は他人の手の平の上で踊らされることを嫌ったようだが、その実、彼は自分でK氏を導き入れ、そして彼の居場所を決定的に奪う事によって

知らず知らずのうちに彼を手の平の上に踊らすかのように翻弄してしまったのだ。

ただ先生氏は罪悪感から死ぬのではなく、本当のことを誰も知らなかったがゆえに続いてきた日常の中に、一人だけ秘密を抱えて生きる孤独を感じ、そのことから作中における”私”氏を求め、

そしてそれを明るみに出すことによって死ぬのだ。先生氏は恋であれ、その過去であれ、本当のことをいうことで関係性が壊れることを恐れ、常に選ばなかった。

そうであるがゆえにギリギリまで日常は保たれていたが、そうやって築いたつもりの関係性を、真実は急破壊する。

 作中における”私”氏は、父親の今際の際に父元を飛び出して駆けつけようとする列車の中でその遺書を読んでいることになっている。

 その道程の先に、何か折り重なった暗い絶望的なトンネルの闇を予期せざるを得ない。想像もしていなかった手紙の返事の内容を、極めて間が悪いタイミングで読まされている”私”氏もまた

K氏と同じぐらい先生氏の言葉によって精神を試される。この物語の哀しさは、先生氏はお嬢さんに対しても、Kに対しても、私氏に対しても嘘をいう事も騙すこともしていなかったということだと思う。

ただ、言うべき時に、言い出すことが出来なかっただけで、物語はこれほどまでに悲劇的な運命を辿っている。

先生氏が、なんら悪意も意図ももっていないにもかかわらず、どうしようもなく様々なものをその勇気の無さゆえに、思い迷って先送りしていると、いつのまにか手遅れな状況がやってきて、

最悪のタイミングで真実に直面することになり、結果的に知らず知らず先送りによって守ってきたもの破壊してしまう結果になるという哀しさがある。

 Kの自殺も、そして自身自殺も、そして書かれざる"私"氏についても、その繰り返しになっているのだ。

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2017-02-07 言葉が覆い隠す主体の相対性についての思考実験

言葉が覆い隠す主体の相対性についての思考実験

| 20:07 | 言葉が覆い隠す主体の相対性についての思考実験を含むブックマーク 言葉が覆い隠す主体の相対性についての思考実験のブックマークコメント


主体他者との間にどんな壁があるのかを考えてみるとき

私はこんな想像をしてしまう。


主体他者は同じもの経験してもまったく違う体験を得るとした場合でも、

コミュニケーション上、一切それが表面化しないまま

互いに違う体験をしていることに気がつかず同じ体験をしているのだというコミュニケーション

破綻なく保ち、幻想を維持できることを仮定できる。


それは以下のような思考実験検討すると、納得できるかもしれない。


ここに主体Sがいる。

そして、他者Aがいる。


この二人が同じ現実に異なる体験を得るという分かりにくい状況を少し分かりやすくするために、

他者Aは「世界を左右逆転して目撃」し、かつ、「色も反転して知覚する」人物であると考えてみよう。


今、主体Sは他者Aは並べられた二つの椅子に窮屈そうに座っている。

白衣の男が音もたてずにその部屋に現れて、二人の前のテーブルひとつリンゴを置いた。

リンゴ中央の上部に茎が残っており、葉のようなものが右に一つついている。


主体Sにとって

白衣の男が現れて右に葉のついた赤いリンゴをおいたという体験がある。

他者Aにとっても

言葉の上ではまったく同じ体験がある。

なぜなら、他者Aの反転した知覚においては白衣というのは主体Aの知覚に変換するなら黒い服を現す。

そして同じく他者Aの反転した知覚においては、右に葉がついているということは主体Aの知覚に変換するなら左に葉がついている事を現すからだ。


内的な体験が異なったとしても

同じ言葉で呼んでいることによって

互いの内的経験の違いは言葉の上に吸収され、覆い隠される。


他者Aが、その色の反転した青いリンゴの絵を描いて

主体Sに見せるとどうなるだろうか。

他者Aはパレットの中から青い色を選ぶが、それは色が反転しているために主体Sにとっては赤い色である

彼が描いたリンゴの絵は左向きに葉がついているが、その絵は主体Sにとっては左右が反転しているため右向きに葉がついているように見える。


絵や言葉で互いにとっての現実表現しても、

そこからは互いの内的経験が違っているということはまったく表面化しないのだ。

表現したいものもそれを表現するために選ぶものも含めて、全体が反転しているために違いが表面化しない。

「色や左右が反転」している人間コミュニケーションをとっても、彼の体験の色や世界が反転しているかどうかは知りようがないのだ。

(左右が反転した人が描く左右が反転した絵は、左右が反転していない人にとっては左右が反転していない絵にみえるので矛盾が表面化しない。

 そして、色が反転した人が赤いリンゴ主体Sにとって青のように体験したとしても、彼にとってその色の名前は赤である)。


こうして二人は互いに

まったく異なる経験をしていながら

まったく同じ経験をしていると信じることができてしまうだろう。


この思考実験では、

”色や左右が反転している”という分かりやすい仮定を置いたが、

実際に人間

実はそれぞれ極めて似ているもののそれぞれ個性を持った異なる五感思考を持っているため

もっとわかりにくい、奇妙で複雑なそれぞれの経験のあり方の違いを持っている可能性があっても不思議ではない。

人間はおなじ活動をしていても脳波活性化部位は個々で大きく異なると言われるため、

実際には本当にそれぞれがまったくことな体験をしていて、言葉がそれを覆い隠しているという可能性はあるように思われる。


もしかりに本当に

人間同士が実は違う現実経験しながら生きていたとしても

この思考実験からも分かるように、我々は互いの現実の違いに気づくいかなる手段も持たないのではないだろうか


現実と知覚の間で、それぞれの個体差のある互いの器官が写像を生み出す作用関数fと呼んだとして、

主体Sと他者Aの間で関数fの写像が異なっていたとしても

それぞれが言語や図表によって現実表現する過程においてそれぞれの関数fの逆写像が行われるために

互いの写像が異なること自体については知るすべがないのだ、とも言い換えられるかもしれない。

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