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2016-06-23 アーキテクチャの生態系|読書感想文 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

アーキテクチャ生態系浜野智史氏による、情報社会である

アーキテクチャという言葉は、元々は建築用語であるが、情報技術の分野においても設計意味で用いられている(システムアーキテクト、などという設計技術職能もある)。


だが、情報社会論においてはアーキテクチャはただの設計思想のことに留まらないさらに広範な意味を与えられている。

アーキテクチャ環境を決定し、ある種の権力として機能しつつあるからである

かつて社会秩序は法と規範によってコントロールされてきた。だが、今日においてそれよりも洗練された形で権力を浸透させつつあるのはアーキテクチャである

法による秩序とは、罰則を設けることによって秩序をコントロールすることであり、規範による秩序とは、教育によって規律内面化させることで秩序をコントロールすることであった(モラル教育)。

それらはいずれも規律訓練的な学習なり訓練によって道徳心理解内面化によって維持されなければ破綻してしまう(規律訓練型権力)。

従って、それは抵抗しようと思えば抵抗することも可能であった。

ところがアーキテクチャによる権力(これが環境管理型権力と呼ばれている)は、自分たち支配されている事をまったく意識させないままに秩序を作り上げる権力である


例として引き合いに出されているのが、ファストフード店が客の回転率を上げるために使う仕組みだ。

ファストフード店は、椅子の固さとBGMの音量によって客の回転率を自在にコントロールしているという。

長居しやすさ/しずらさを意図的に調整し意識させないレベルで無意識下に働きかける。

すると客はなんとなく居心地が悪いので店を出たり、居心地がいいために店に残ったりする。

このコントロールは、潜在意識には意識されないレベルのため、誰もそのことに気づかず抵抗できない。


あるいはまた、交通事故を防止するために飲酒運転罰則をどれだけ引き上げても、飲酒運転はなくならないという状況があったとする。

これに対する環境管理型権力の例は、車内にアルコール検知器を組み込み酒気帯び状態ではエンジンがかからないようにするというアプローチだという。

法律を知らない者、規範内面化しない者であっても、飲酒運転はしなくなる(できなくなる)。

こうした制約は、大抵の場合、何か新しい事を可能にするサービスに付随して浸透していくことがある。

例えば、コンビニで何々が可能になります、などの利便性にくっついて、オフにできないなんらかの規制が追加されたりというようなことである


本書は、そうした環境管理型権力議論に対して

徹底抗戦を呼びかける、あるいは全面肯定するというような類の書物ではない。一例をあげると、


 ・WEB2.0以降のネット界隈で生まれた様々なサービスについて、それらがどのようなアーキテクチャとして(意図的であるにせよないにせよ)機能しているか

 ・あるいはまた、ブログと2ちゃんねる、facebookmixiなど、日本アメリカでは異なるアーキテクチャが受け入れられていく様相

 ・なぜセカンドライフ凋落ニコニコ動画が支持されたのか、電車男のようなPC小説恋空のようなケータイ小説はどのようなリテラシーで読解されているのか。


などなど、ゼロ年代(つまり今となっては少し前の時代)のネット社会を、アーキテクチャ比較によって分析した書である


まだmixiが全盛でfacebook日本には浸透しないのではと言われていた時代の話なので内容的にやや古い部分はあるし、

書内で対立すると言われ比較されているものの中には、その後双方中間地点にそれぞれ着地して今では大差なくなっているものもある。

だが、セカンドライフニコニコ動画比較する視点から出てきている分析はかなり興味深く思える。というのは、その分析2010年代に入ってソーシャルゲームがなぜ受け入れられていったのかの

説明としても改めて追従できる極めて説得力ある答えになっているように思えるからだ。

(セカンドライフは、仮想世界上での場所時間現実そのままに再現した為に、盛り上がる為には仮想空間上を移動してその時間にその場所にいる必要があった。

 ニコニコ動画はそのレイヤーがなく、場所時間関係なくコメをつけられるために時空間を超えて始まりも終わりもない祭りが常に参加できる(視聴してコメをいれられる)状態で延々と続く。

 少なくともその後のソシャゲも同様に場所関係なく祭りに参加している感覚を非同期的に作り出していた。MMORPGも、街からいきなりダンジョンに飛べるなど

 仮想空間上の場所概念の持つ意味が次第に小さくなるような展開に向かってきたように思える。とは言えもちろんSkyrim以降の超広大なマップを持つオープンワールド系のRPGも支持されているが......)。


また、当時のローレンス・レッシグ議論Winnyなどについても分析されている(DRMクリエイティヴコモンズなど)。

これは当時レッシグのCODEが流行ったので、今となっては古びてきた内容の繰り返しに思える一方、

日本で浸透するサービスの多くがなぜ匿名性を持っているのかということについての分析は、興味深いものがあった。

2016-06-22 ラカン入門|読書感想文 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

ラカン入門 (ちくま学芸文庫)

ラカン入門 (ちくま学芸文庫)

向井雅明氏のラカン入門を読んだ。

ラカンというのは精神分析学である。ほとんど学会から無視されてきたフロイトを発掘し歴史に残したのはラカンによるフロイト研究だそうだ。

だが、ラカンフロイトの読解をあっという間に超越した。

構造主義と呼ばれる、数学からまりソシュール言語学レヴィ・ストロース人類学などに展開されていった方法論を

精神分析学に導入することによって乗り越えていったようだ。

この入門を読んでも分かるように、ラカン理論には位相幾何学的な根拠が築き上げられていて、

理論モデルとしては相当に強度がある。


当方高校時代に東裕紀氏の「存在論的・郵便的」や浅田彰氏の「構造と力」、柄谷行人氏の「探求」など

かつての「批評空間」系の書物を好んで読んでいて、出てくる学者などの理論にもある程度は親しんでいたものの、

ラカンに関しては誰もがさんざん引用しているにもかかわらず読める解説書を探し当てられずにいた。


当時はエヴァンゲリオンなどの深読みサイトなどでラカン精神分析用語がある程度説明されたりもしていた

エヴァンゲリオンには宗教学精神分析学などの根拠があるのではないかと考えるファン層が分厚く存在している)ので

ネットで把握できる程度の理解で満足してしまっていたのである


これまでも例えばフッサール現象学なり、ヴィトゲンシュタインなり、解説書が新書でも出ていることはあった。

しろこの手の書籍は、普通の本とは比べ物にならない値段で売られていることが多いので新書だとかなり助かる。

(といっても図書館で読んで勉強すればいいだけなのかもしれない)。

先日、ブックファースト新宿店にて立ち読みしていたところおっと思って購入した。


序盤は割ととっつきやすい内容なのだが、中盤辺りから後半にかけて内容が劇的に高度になるため

通常の読書とはまったく感覚が違う。図形をたどり、抽象的な用語に対してイメージをなんとか思い描きながらも

かなりの部分は一読しただけでは消化しきれないままになってしまった。


精神分析学は結局のところ大脳生理学の進展によって吸収されてしまうのではないか、想像界右脳象徴界左脳現実界ヴィトゲンシュタインカントの言う「物自体

に巻き取ることができるのではないか、とこの本を読むまでは思っていたが、

どうも事はそうシンプルではなさそうだ。

何故かと言えば、脳科学であれ哲学であれ、それらの説明では自我主体の正体には射程距離がかすりもしないからである

そのことに明快な回答を与えている部分がラカンにはあるので、他の分野の研究者も大いに参考になるだろうと思われる。

例えば、人工知能分野で本当に精神を持ったプログラムを書こうとしたとする。

チューリングテストによって人工知能と本物の人間区別はできるとされる。だがそれは人間から見た時の人工知能の本物らしさ問題しかない。

そのプログラム自身精神があるなら、プログラム精神立場になって考えてみた時、そのプログラムされた精神自分自身コピーと本物の人間をどうやって見分けることができるだろうか?と考えてみる必要がある。

どのように理論実装すればいいのか?ビッグデータ学習するにしても一体なにを学習すればいいのか?


まだ一読しただけなので全然理解は進んでいないのだが、

自分なりにラカン用語に囚われず、かねてより自分の中にあった疑問に大して拾えた答えをメモっておきたいと思う。


プログラムとは異なり、幼児はかなり早い段階で、人間識別できるようになる。

自分と同じ欲望を持った別の自我存在することを理解できる。

その仕組みは鏡像関係説明されている。

子供を抱きかかえた母親が鏡の前に立つ。子供は鏡の中に移る別のうごくもの自分であることを、映っているものが鏡のあちらとこちらで同じものであることから読み取る。

すると、自分自身自分を抱きかかえる母親とよく似た形のうごくものであることを理解し、その形のものに対して

あちらの人間自分と同じようにこちらを見、何かを思うのだろうと考える。

その時、何かを思う、考える主体他者の中に発見すると同時に、もっと不思議なことがおきる。

鏡の中でこちらをみつめるもうひとりの自分の目が、自分自身に向けられていることに気づく。

鏡の中の自分もまた、こちらに対して同じことを考えているだろうか?

このとき主体人間の形をしたものの内側へと疎外される。

ついでにこの時、自分というもの世界の全てではなく、母親自分とは異なる欲望を持った別の自我であることに気づく。

(それ以前には乳児自分思考しかない世界を生きている。言葉によって象徴界形成していく前の体験をしつつある神の思考。他我の存在に気づかないともいえるかもしれない)。

ここからすべてが始まる。

他者の発する音が言葉であることが理解され始め、母親欲望の主役が自分ではなく父親であることにも気づく(欲望を満たすことのできるファルスであることから去勢)。

他我の存在によって人は言葉理解し始め、言葉象徴界)を広げることによって世界を捉え始めるが象徴界現実界に対して原理的に不完全性がある。

象徴界に空いた穴が主体形成している。

考えてみればそれは別の意味からもそう言えるかもしれない。私は〜であるという言葉における"私"は、同じ言葉を誰が発するかによって都度、同定されるのであって

私という言葉自体固有名詞とは異なり発する自我特定しないブラックホールのような穴だ。私とは誰なのか?

対象aについては結局むしろよくわからなくなってきた。対象aのaは、他者頭文字からとられている。辞書には意味が載っているがその意味だけでは

理論の中では不足がある気がした。ただ、思うに、人は鏡像関係を経る前に他我の存在に気づかない時期があり、

母の欲求と自分の欲求が一致していると思っている時期を経験してしまった後になって、そこからの疎外、つまり異なる自我を持つ他者存在とその欲求が自分とは異なる事に感づく。

精神的へその緒の切断、とでも言えるかもしれない。そこで自分が母と一体の存在でない者へと疎外され切り出される境界線自我形成する。

根元的な渇望の中心として存在するのは恐らくそうなる前の失われた最初の瞬間にあった何の迷いもない完全な享楽/快感(つまり他我がなく自分の欲求が全てであった時点での快感)の残像なのではないだろうか。

そしてそれは様々な欲求が交錯する中では去勢されざるを得ず、代償を求めて多種多様に変形/進化しながら、象徴界に対する現実界の余剰と象徴界の穴を受け入れるのりしろを求めて精神駆動させるのかもしれない。

人間動物とは異なり本能ではなく欲動によって行動するという時のその欲動は、ある種の耐えざる不満足から抜け出すための症状行動として現れ、根源的な原因に対して常にニアミスしつづけながら多弁な象徴界理論武装の鎧を築き上げていくのだろうか?

そこに、割り切れぬ円周率の少数桁を延々と果てしなく求め続けるような、かつてそこにあった記憶の始まり享楽を追い求めそこへと回帰するための終わりなき近似計算のようなものを感じる。

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2016-06-15 ニコ動ヲッチャーもできた

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2016-06-12 ツイキャスヲッチャーってのを作ってみた

ツイキャスヲッチャーってのを作ってみた

| 15:31 | ツイキャスヲッチャーってのを作ってみたを含むブックマーク ツイキャスヲッチャーってのを作ってみたのブックマークコメント


 最初はKDPランキングの表示部分をbootstrapで作り替えようとしていたのだけれども

やっているうちに見た目は綺麗になるものの、既にレスポンシブ化のためのメディアクエリーなども含め諸々調整済みだったので

新たに可能になる要素がなんもねえなと思って、bootstrap使って別のものを新たに作ろうかなと思った。


 丁度1カラムテンプレートをいじっていたので、左側に画像なり動画なりを埋め込めるといいなと思って調べてみたところ、

ツイキャスAPIがあったので早速使ってみた。


 ツイキャスAPIからJSONデータを取得し、そこからユーザーIDをもってくると、

そのまま埋め込みプレイヤーURLをそのユーザIDに書き換えるだけでその動画を埋め込めるのではないかと思って試したところ

上手くいった。


 で、公開して寝たのだが、朝起きてみるとスマホだと動画がでてないなと。

Flash10が最近スマホでは入っていないらしいのだ。ツイキャスをやるのは若い層だけだろうから

スマホでみれないとあんまり意味がない。

公式サイトだとJavascriptユーザーエージェントからブラウザを判定し、ChromeApple系のブラウザにはHTML5再生するようにしているようだった。

そのHTML5での埋め込み方も公式ガイドにでていたので、PHPブラウザを判定して同様にChromeApple系のブラウザにはHTML5再生するように切り替えロジックをいれた。


 その他、再生前の表示画像動画静止画像に差し替えたりあまり大したことない事をゴニョゴニョやって公開してあります

http://kdp.url.ph/twicas/

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2016-06-07 町田松三先生「圧巻のグリモアール1 蒸気伯爵と暗黒の竜」KDP読書

町田 松三先生「圧巻のグリモアール1 蒸気伯爵と暗黒の竜 上巻」KDP読書感想文

| 12:32 | 町田 松三先生「圧巻のグリモアール1 蒸気伯爵と暗黒の竜 上巻」KDP読書感想文を含むブックマーク 町田 松三先生「圧巻のグリモアール1 蒸気伯爵と暗黒の竜 上巻」KDP読書感想文のブックマークコメント

 町田松三さんという方は、旧スクウェアソフトクロノトリガー、ファイナルファンタジー7、サガフロゼノギアスなどに携わった後、

聖剣伝説などの作曲で知られる菊田裕樹さんらと共に独立し、シャドウハーツなどのディレクターをやられている方である

今年に入って再び新たなるゲームタイトルの開発が噂になっているが、実はKindle電子書籍も個人で上梓されている。

従って、この方もKDP作家の括りに捉える事が出来る。

ちなみにイラストは同じくシャドウハーツ加藤 美也子さんである


こちらに公式サイトがあり、活動内容なども紹介されている。

http://ashandwildrose.sakura.ne.jp/


 とりあえずまず上巻を読んでみた。

スチームパンク世界観ベース物語となっているようで、往年のスタジオジブリ的でありつつファイナルファンタジータクティクス的でもあるような

そんな世界観を丁寧な筆致で描き出されている。物語主題というよりも、人や空間世界の在り方そのもの主題になっているようなそんな作品だと思った。

極めて意味ありげ断章が連なりながら、しかしその断章だけでは、それが良い事なのか悪い事なのかもつかないような極めて意味深断章である

後半、物語が走り出す予兆のように、それぞれの断章の中では徐々にキャラクター輪郭が濃くなっていくのを感じる。

これはもしかすると、小説ではすまないような重層的な作品なのかもしれない反面、難解さ、分かりにくさも半端ない印象を受けた。

その難解さに関してはどこかしらゼノギアスのようである

草壁丈二先生「ハッスル龍男」KDP読書感想文

| 13:12 | 草壁丈二先生「ハッスル龍男」KDP読書感想文を含むブックマーク 草壁丈二先生「ハッスル龍男」KDP読書感想文のブックマークコメント

ハッスル龍男

ハッスル龍男

 何も説明することはできない。どうしてもだ。

この書き手は、天才である

鈴木傾城先生「グッドナイト・アイリーン」KDP読書感想文

| 15:28 | 鈴木傾城先生「グッドナイト・アイリーン」KDP読書感想文を含むブックマーク 鈴木傾城先生「グッドナイト・アイリーン」KDP読書感想文のブックマークコメント

 鈴木傾城先生名前は、KDP作家界隈に限らないある種の界隈ではタブー視されているようだ。「ダークネス」「ブラックアジア」で計200万ビュー/月のサイト主催している方だ。

2ちゃんねるの経済板にスレが立っていて叩かれているものの、東南アジア主題にした鈴木傾城先生作品クーロン黒沢氏らの作品と同じ読者層に熱く支持を集めているのである


 本作、グッドナイトアイリーン舞台東南アジアではなく町田ちょんの間である

夜の街のある種のリアルをそのまま物語った小説であり、そこにはフィクションっぽい歯の浮くような何かはない。

確かな臭いのある現実のものが語られ、そしてその結末もまた、哀しいほど現実的ものである日本中の、あるいは世界中の夜の街において

時代を問わずに繰り返されてきたある種の業(カルマ)のようなものがただ徹頭徹尾、端的な筆致によって表わされている。

 徹底して異邦人として描かれる彼女たちに、読者はほとんど共感を感じられないであろうが、にも関わらず、あるいはであるがこそ、そこに

ハッキリと克明な人間のものウィトゲンシュタインがいう「他者」そのもの文章の中で生命力を発揮し屹立する様を目の当たりにすることになる。

松葉紳一郎先生「虚構のER」KDP読書感想文

| 16:40 | 松葉紳一郎先生「虚構のER」KDP読書感想文を含むブックマーク 松葉紳一郎先生「虚構のER」KDP読書感想文のブックマークコメント

 松葉紳一郎先生は現役の医師であり、本作は大手出版社文学賞の上位ノミネート作品であるという。

この作品リリースしているgabooksというレーベルを見ると、なぜか本作のランディングページしかなく、

gaデザイン株式会社という会社出版社ではないようである

従って、松葉紳一郎先生もまたKDP作家だということになりそうだが、それにしてはあまりにも実力が高すぎる。

瀬名秀明氏のパラサイト・イヴを読んだときのような知的な刺激だけでなく、後半の推理の展開が猛スピードかつ急激などんでん返し連続であるために、

ただのエンターテイメントというよりも、まったく新しい高度な知的体験様相を呈しているのだ。

 こういう作品存在するということが、KDPの世界の頂点を圧倒的に高く飛躍させ、また同時にピラミッド構造裾野の広がりを劇的に広く拡大しているのではないだろうか。

知的ハイレベルすぎるということ以外には非の打ちどころがない傑作。