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2017-08-19 好きな人と抱き合うと このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 好きな人と抱き合うと、自意識過剰というときの、その過剰な自意識が真っ白になって、肩の荷からどっさり落ちる。

互いの腰に腕を回し合い、肩の上に顎を乗せ合って全身が隙間なく密着するのを感じる。何もかも気にしない。そう、もう何もかも忘れてしまえる。

相手も同じ気持ちかもしれないと思うと、いてもたってもいられないくらいドキドキする。

 ガマンできない。そして唇を吸う。舌が絡み合い、互いを欲しいままに求め合う。自分の中にあった、あの空虚さは、いつのまにか消えている。

理詰めで行動してもかき消せなかった迷いは、衝動かられた行動の中で、真っ白に焼き消えている。ほとばしる。一心不乱に。無我夢中で。


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2017-08-18 人を楽しませる事は難しい事である

 人を楽しませることはとても難しい事だと私は思う。それは、学生時代からそう思っていた。そもそもの話、私自身が、色々な事をつまらないと思っていた。

つまらないと思っている人間は、つまらない表情を出すなり隠すなりして、まわりから浮いてしまう。そういう人間が誰かを楽しませられるようになることは

とても難しい事だろう。どれだけ盛り上がった集団の中にも、だれかつまらなそうにしている人というのはいる。その人の暗い表情を見ると、まわりもだんだん

シラケて、全体が盛り下がっていく。一人一人が、楽しんでいる自分バカに思えてきて、全体が盛り下がっていく。ただ、そのとき同時に、自分もまた、

暗く盛り下がっているのだと思えてくる。自分が盛り下がることで、その自分の表情をみてさらに誰かが盛り下がっていくだろうと思てくる。

 そもそも、つまらないのではなく、ただ疲れているだけなのかもしれない。そして実は、その人もその人なりに楽しんでいるのかもしれない。

いずれにしても、盛り上がっている中で、暗い顔をしている人がいて、見て見ぬふりをし続けているのは、つらいことだ。あるいは、そういう人がまったくおらず

どちらかといえば自分けが、ノリに乗れずにいるなと思う時、俺のせいでテンションが下がるかもしれないなと思うのは、つらいことだ。


 そうなることが分かっているから、私は大体の場合、率先して泥酔する。そして、常軌を逸したバカをやる。自分が異常に楽しんでいるという姿をさら

ことで、まわりを笑わせることが出来る。そして、つまらなそうにしている奴に絡んで、踊りのリズムの中に巻き込んでいく。それは狂気じみた楽しみ方だけど

その狂気を伝染させることで、その場を共振させることができる。


 俺がずっとやっているのはそういうことなのだけれど、それは滑稽なピエロのような、身を削るような苦しい自己犠牲でもあると言われれば、そうだ。

自分はいつもいかなるときも、つまらないという気分を抱えている。そのつまらないという気分を隠して、全力で泥酔し、無理やりに楽しんで、馬鹿さらす。

その馬鹿な姿は、つまらないと思っている他の人たちを楽しませることはできるが、自分は、肉体も精神もひたすら消耗してしまっている。

 それでも、たまに無理をしてまわりを楽しませることは、楽しい。そして、笑ってくれる仲間たちが受け入れてくれることも、嬉しい。けれど、

常に一緒にいたら、自分の方がもたなくなってしまうだろう。自分のほうはといえば、ひたすら自分の体をごまかして、酒で無理やり楽しんでいるふりをしているだけかもしれないのだから

まわりがどんなに楽しかったと言っても、自分は酒でその記憶を失ってしまっているのだから


 シラフでいても、お互いに幸せを感じられ、常に楽しいと思って笑い合えるような相手が一人でもいる人は、こんなピエロのような生き方共感できないだろう。

俺にはそういう相手いたことはないような気がする。どこかで何か、気を張っていなければならない相手ばかりいた気がする。

そして、そもそもそれらは、自分がなにもかもをつまらないと思ってしまうことについて、正面から向き合ってこれなかったせいなのかもしれない。

とんこつらーめん 七志

16:59 | とんこつらーめん 七志を含むブックマーク とんこつらーめん 七志のブックマークコメント

 とんこつらーめん 七志は、神奈川東京エリアにチェーンを展開するラーメン店だ。神奈川エリアとんこつとなると、横浜家系の何々を思い出す。

濃ゆいスープに、分厚い油のまくがはっている系のあの手の横浜家系スープは、年に一回ぐらいなら許せるものの、それ以上の頻度では、思い出すたびに胃もたれのような

ものを感じるだけで、夏バテや食欲不振元凶にもなりかねない。だがこの七志のとんこつは、そういう見栄え重視のスープとは一線を画すような独特のキレがあるのを私は感じる。

味のこってり感はそのままだが、旨味がちゃんとあるのだ。それも、ある意味では中毒性のあるジャンクフード的な旨味である。そして麺がすばらしい。

歯ごたえと滑らかさ、密度の深い肌理の細やかな強い麺だ。ムッチリとした太さも絶妙。私は麺をしゃぶり、そして舌でねぶった。スープから産声をあげるようにして

温もりを帯びたその麺は顔を上げ、まるで何かを求めるかのように私の舌に執拗に絡みつく。それはじわじわと焦らすように味を広めて私の心を翻弄する。あっと私は声を漏らした。

見知らぬスープの染みが、股間に広がってしまったのである……(嘘。

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 店内で良く注文されているのは、タマゴが載った奴のようだ。私は700円の七志ラーメンである

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2017-08-17 某氏とポケモンセンターへ このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 昨日、一昨日とお世話になった男版の菅野美穂とまで言われたあのK氏が、

池袋ポケモンセンターに来ると言うので、また会ってきた。


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 ポケモンGOは離れて久しい私だが、最近でもレイドなどが実装され、現に駅前では伝説のポケモンやらレイドでしか出ないポケモンやらで

大勢人が殺到している状況を目の当たりにした。


 そして、焼き肉を食った。

しかも、氏のおごりであった!

ご馳走様でした!

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2017-08-16 シビれる夏のひと暴れ このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

D

 すべてはいつものように突然のことだった。電撃のように「明日、集まる」という話が決まり、朝起きてウワーォやべえ

ちょう久しぶりやぜあれよあれよ、そう思っている間に、デキる某氏らが懐かしい仲間たちに召集をかけ、6名ぐらいだろうと思われていた面子

10名になっていた。

 K氏には、ゴールデンウィークに会っているが、その他の面子は数年ぶりに会う。皆、びっくりするほど中年的な雰囲気になっていた。

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 中でも驚いたのは、市民ランナーとしてデビューしたらしいS氏で、歩き方も立ち居振る舞いも、全身の隆々とした筋肉のせいでまったく別人のオーラ

になっていたのである。かつていじられキャラであった彼はもう絡みずらい兄貴になったのか……と思ったら、性格はあまり変わっていなかったのでホッとした。

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 昔、男版の中山美穂とT氏に言われていた某氏が駅まで迎えに来てくれたのだが、眉毛が濃くなり、年相応の貫禄もでていた。

みんな俺だけが変わっていないと言うのだが、この某氏によれば、顔が全体的に丸く太って、昔とは別人だ!とのことである

(昔の俺は、シュッとしていたらしい)。

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 S氏の家のそばにある小さなカレー屋でそれなりに本格的なカレーを食った。そして、カラオケ屋に行って発狂した。

ところでカラオケで合流した某氏パズドラやっているのを隣で見ていたが、彼と、O氏とN氏はそれぞれレベルが600〜800代になっているようだ。

課金しまくって3年ぐらいやってると、そうなるらしい。彼らはいつものように、俺を置き去りにして遠いところにいってしまったようだ。

集まっている面子は、皆、何かのゲームに関してトップクラス廃人であるという共通点があるってことに、気がついた。

 先にお盆休みを終えて帰ってしまったもう一人のN氏も含めて、この三名は、FF14パズドラ、白猫辺りの廃人で、もう一人のN氏はFF14ネオエクスデス戦に備えて

先に帰ったので都合がつかなかったようである。そして、FF15をやっているのは、俺だけであった。FF15には、何かしら哀しみがある。オンゲ界からの逆行みたいな哀しみが。

からなのか、俺がFF15に強く惹かれてしまうのは。

 カレーの後カラオケではなく銭湯に行こうとしていた三名が、結局カラオケに来たのは、実は私が某氏を呼び止めたせいだと思うのだが、彼は最終的にオールナイト

カラオケに残ったのだろう。カラオケに顔を出しつつ銭湯に向かおうとしているK氏(イニシャルでK氏というと、何名も被っていて誰が誰だかわからないが)とT氏(T氏も何名も被る)

カラオケを出るタイミングで、俺は眠いので離脱した。

 朝、中山美穂に似ていると言われ続けて確かに似ているほうのK氏から、「暴れたりないぞ」と電話があり、前々から約束

帰ろうとする俺と一緒に部屋まで泊まりにいくという話が進みそうになったのだが、色々あって、それはまたの機会になることになった。彼は別の用事があって

ちょうど便乗すると、都合がよかったらしいので、もしかしたら申し訳ない事をしたかもしれん。準備ができたときに、恩返しをしたいところ。

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2017-08-14 文藝春秋を立ち読み 沼田真佑「影裏」

 そういえば昨日、文藝春秋立ち読みした。

沼田真佑さんの「影裏」の全文が載っているやつであった。第157回芥川賞受賞作のやつである


 この手の賞を取るのは大体、今時珍しい古めかしい文芸の域にある文章のようで、それはこの「影裏」についても

やはり当てはまっているようだ。今時そのような漢字を使う人は珍しい、と言われるような文章である必要があるらしい。

 私は二ページも読めなかった。


 むしろ、選評のほうがおもしろかった。中でも、村上龍氏によるものに興味をひかれた。

氏が言っていたのは、自分たちは作品を書くといつも何が言いたかったのか、と聞かれるが、自分

言いたいことなど何もない、と答えている、本作の良いところも言いたいことなど何もないというのが

よくわかるところだ、自分はこの作品を推薦していない、旨のことを述べていた。


 自分村上龍氏の作品のようなものを、何か言いたげだなと思ってあれこれ読み解こうとし、

それなりにつじつまの合う”意味”を見出そうとするまで満足できない。だが、当の本人たちはと言えば

言いたいことなど何もありません、と思っているようだ。

 しかも、「影裏」については、言いたいことが何もないのをむき出しにしているところが良い、というようなことを

うろ覚えだし特に気にせず読んでいたので誤解かもしれないが)評価している。その他には

釣りに行く場面の川辺の描写を褒めているようではあるものの、その文章はそれほど器用でないみたいなことも

言っていた。ただこれは別の評者の言葉だったかもしれない。


 その選評はとても奇妙な矛盾の仕方をしているように私は思った。

言いたいことが何もない作品を書くことを良しとする、それが村上龍氏の本心なのであれば、

彼はなぜこの作品を推薦しなかったのだろう。

言いたいことが何もない文章を書く

10:03 | 言いたいことが何もない文章を書くを含むブックマーク 言いたいことが何もない文章を書くのブックマークコメント


 言いたいことが何もない文章とは、一体なんなのだろうと私は思い、そしてセブンイレブンで買い足した紙パックのコーヒーをパックのまま飲む。

賞味期限11月18日とある。アラビカ豆は100%使用だそうだ。ひどく苦い。無糖、と書いてある。私はコーヒーという飲み物がまったく好きではない。

好きでもないものがどんな味をしていようが構わないというだけの理由で、無糖のものを選んでいる。苦みが好きだとかそういうことはない。そういえば

ゲリラコーヒーだかゴリラコーヒーだとかいう店について、昔、ある女性が語っていたが、今時のコーヒーは酸味が大事なのだという。酸味とはどういう

つもりなのだろう。コーヒーそもそも酸味などという味があったろうか。出まかせを食わされただけなのだろうと思って後で調べてみたら、確かに

最近コーヒーの酸味が話題なのだそうだ。ただいずれにしても、このイレブンの無糖コーヒーにはそんなものはない。残念な苦々しさが舌の上に

いつまでも残留するだけだ。それは何かしら、敗北した球団球場の砂を握って泣いている姿を思い出させるような種類の苦みだ。もし仮に、

コーヒーではない何かの食品を口にして、こんな苦々しい味がしたら、どうするだろうか。私はパンの焦げ目でも食わされたと思って、吐き捨てることだろう。

そしておや、と思う。何も書くことがないと思って書き始めると、文章は逆に極めて密度が上がってくることに気がついた。苦々しいコーヒーは今や

テーブルに置かれたヘッドホンの両耳の間の辺りに置かれている。そのヘッドホンは、謎の汚れで灰色がかっている。極めて粒度の高いなんらかのホコリが

耳当てをほとんど埋め尽くしているかのようだ。こんな汚いヘッドホンは、この世に二つとないように思える。こんなものから音がなるとは信じられないことだ。

するとその隣に、ノートパソコンがあるのだった。ごくたまに、ほとんどラジオ代わりに音楽を流す為だけのノートパソコン

つまりヘッドホンを使いたくない場合に、直接音をだすためだけに存在しているとでもいうかのようなノートパソコンであるが、かつては彼にも仰々しい使命とやらが

存在をしていたものだった。だがそれについては、イチイチ語ることでもなかろうと思う。今や彼も、うすぼけた本の下敷きのような立場に身をやつしている。

それは、西研氏による哲学的思考 - フッサール現象学の核心 - と題された書だ。風呂トイレで、飽きもせず何度も読み返したその本は、つややかな新書であった

時期が遠い日の思い出になってしまった。今や茶色味のあるふやけた、古本屋から現れたとしか思われない姿をしている。

 その書は、冒頭から極めて熱い言葉が記されていた。いや、普通意味ではそれはむしろ静かで淡々とした文章だと理解されるであろうが、その言葉の裏側に

脈々と流れる確信のようなものが、私にとっては高熱のようなエネルギーを放って放射線のように強い影響をこちらに及ぼしているのを感じたというだけのことだ。

「人それぞれですね」と言って、対話を止めてしまう、若者たちがそれでは残念だ、と著者は書いている。どのようにして、互いの考えを共有し合うか

あらゆる枠組みも真理もズタズタに切り刻んで解体してしま哲学という分野から、著者は実は、コミュニケーションという営みを論じようとしているのだということが

冒頭から明らかにされる。人と人とが互いをより深く理解しともに考え合うということについて、歴代の哲学者たちがどう取り組んできたのかを、微細に語り明かそう

というのである。本当にそうしたことが可能なのかどうかを、私は何度も何度も考え、そしてそのたびにこの書物に立ち戻る。p.22を開くと、レヴィ=ストロースについて

少し触れられている。彼は異文化に対してヨーロッパ近代のモノサシを持ち込み裁断することを禁止し、あくまでも当の文化の内側に入り込んで、その文化

内在的に理解することを提案した。この文化相対主義の前には、彼等は西欧以外の文化を、西欧よりも遅れた文化として、ただ足りない部分だけを評価していたのかもしれない。

中に入り込んで内側から内観すると、むしろそれが西欧文化と同じだけの歴史を持った、別の可能性であることがはじめて評価できるようになる。この文化相対主義

相対主義とついている。その時代には色々な学問分野が同時に相対主義構造を取るようになっているように思える。ある価値観絶対的普遍的視座として前提し、

そこから展望した客観的全体性、というものを想定することで成り立っていた様々な学問分野は、そのような普遍的な視座というものには原理的に到達できないという

構図への気づきによって急に呼応するように相対性を取り入れるようになったのだろうか。ただ、それだけでは本書の冒頭にある「人それぞれですね」といって

対話を終えてしまうような互いに相いれない相対主義に終わってしまうだろう。これをどのようにして乗り越えていく事ができるのかということを、今もう一度

考えてみる必要があるのかもしれないなと思う。おや? 言いたいことが何もないはずの文章が、何か言いたげな文章になっていった。不思議なことである

言いたいことなど何もないその2

10:39 | 言いたいことなど何もないその2を含むブックマーク 言いたいことなど何もないその2のブックマークコメント


 言いたいことなど何もない状態で書くと、逆に非常に書きやすい事に気がついた私は、タバコを一服してもう少し書いてみるかと思い立ったのだった。

タバコを吸うと言っても、今はやりの電子タバコではないし、パソコンの間でタバコをふかしているわけでもない。キッチン換気扇を回して吸っているのだ。

私はむかしかタバコの灰が非常に怖い。喫煙者なのに部屋には灰皿もない。空き缶に灰を落として吸い殻を捨てている。そういう人物を小説に描いたことが

あるがあの部分はまさに自分だと言う気がする。といっても、むかしかタバコの灰が苦手だったわけではないが、吸うよりも少し前から苦手であったことは

記憶している。プレイステーションソフトが、CD-ROMになったことと、自分の中では関係がある。幼かったあの頃、私はどうしてもCD-ROMゲームが遊べる

ことに納得がいかなかった。CD-ROMレコードのように、あるいはカセットテープのように一方向に再生されるはずだという偏見を持っていたのだ。画面を行き来したり

自由自在に動き回るゲーム世界を、CD-ROMの中に封じ込めることなどできるはずがない……と思って、ほとんど恐れを抱いていた。CD-ROMの裏面に付着する

ホコリや灰を徹底的に排除しなければ、魔力が失われて夢から覚めてしまうかもしれない……とでも思ったかのようだった。プレイステーションにはヨコ面辺りに

排熱の為の通気口が無数に空いていた為、そこからホコリや灰が入り込むこともまた同時に恐れていた。そうならない為にはそもそもそれを扱う自分の手に

ホコリや灰が一切付着していない状態でなければならないと思うようになっていったわけだ。

 だがそうなる前まで、つまりゲームソフトカートリッジであった時代には、私の中ではそういう違和感はなかったようだ。ドッジボールをしていてボール

汚染された河川に転がり込んだりすれば、ためらうことな重油の中を泳ぎながらどこか流れにひっかかっているボールを捕まえて岸に戻ってくる。そうすると

全身がドブ川の色に染まって、水草がまとわりついた状態で這い上がってくることになる。それでもあの頃は、それをまったく気にしていなかった。家族の方が

それを気にしていたかもしれないぐらい無頓着であったものであったものだった。何はともあれ、あの頃必死に追い回していた昆虫の類があるときから恐ろしく思えてきた。

知らない間に寝返りをうったら背中でつぶしているかもしれない。蝶や蛾の類は羽がバラバラになり、粉末に近くなる。あの鱗粉にはしばしば毒がある。

まあこれも、昔は自分から毛虫やハチを素手で捕まえて自分から刺されたりしていたにもかかわらずの、潔癖ぶりだ。とにかく彼らは声も出さずにいつのまにか死んでしま

ので近くにいてほしくないのだ。コンピュータ世界バグという言葉そもそもあいう虫が電気回路に入り込んで焼け死ぬことが原因で装置が壊れた事が起源だと言うから

こういう感受性は、コンピュータ世界ではそんなに物珍しいものでもないのかもしれないと思う。

 ところで電子タバコは、臭いも残らず、灰もでないらしいと聞いているので、良さそうではある。しかし、私は実際にはタバコ好きで吸っているつもりはなく、

ただやめられないから吸っているだけなのだ。やめられないから吸っているだけのものに、さらに嗜好性のある投資をしようというモチベーションがどうしても起こらず

結局これまでもこれから電子タバコには縁がないと思う。あんな馬鹿馬鹿しいものを使うくらいなら、灰皿の灰でもなんでも舐めていたほうがマシに思える。

電子タバコはほとんどファッションのようにある場所の喫煙所では流行っていて、タバコを吸わないお嬢さんまで、それがきっかけで電子タバコ喫煙者になったりしている。

そういうことも含めて、余計に嫌だなと私は思ったりした。

言いたいことなど無い3

11:33 | 言いたいことなど無い3を含むブックマーク 言いたいことなど無い3のブックマークコメント


 言いたいことなど無い状態で何かを書こうとすると、どういうわけか自分過去記憶に関することであるとか、自分に関することばかりを書いていく事になってしまう。

それは自分自身にとっては、もう分かりきっているだけのことにすぎず、自分で読み返す分にはやはり何も言っていない文章のもののように思える。それよりはむしろ

読み返してみて自分自身にとって意味のあるようなものを書きたいような、書くべきであるような気がする。だからと言って、一体何を書けばいいのだろうか。

 三角関数グラフについてでも、書けばいいのだろうか。そういえば昔、ニュートン法というものを学んだ。三角関数ではない。ただ私の理解が正しければ、あの方法を

使うと、式を解かなくても、繰り返し演算し続ければ限りなく解の近似値に近づいていく。専門家はどう考えるのか分からないが、あれについて考えていると、私は

円周率の近似値を得るために円に内接するおびただしい頂点を持った多角形を描き、例えば大量の三角形に分解して計算するという営みについて思い出す。世の中には

直接答えを得ようとすると困難な事柄が沢山あるけれども、外堀や内堀を埋め尽くして近似値に迫ると言うアプローチが、幾通りにもある。ウィトゲンシュタイン

人間の思考の限界を考えようとして、思考可能な事の限界言語限界)の内側と外側について身を削りながら考えたアプローチも、そういうやり方だったのではないだろうか。

思考の限界というものを、思考によって指し示すことはできないが、その境界線の内側と外側から板挟みにすることによって、かぎりなくその輪郭を浮き彫りにすることはできるだろう

という計画だったのかもしれない。ただまあ、私は専門家ではないので、適当に言っているだけである

 何かしら直接目的を達成しようとしても、人生、中々うまくいかないものだ。大抵のことは、最初は失敗してしまうものである。ただ、その失敗した地点を新しい出発点に、

延々と何かしら何かがありそうな辺りをグルグル彷徨っていると、だんだん目的地には近づいていく。そういう風に考えても、もしかしたらあながち間違いではないのかもしれない。

なにもかも投げ出して、振り出しからやり直そうと匙を投げたりせず、ああでもないこうでもないと粘ってみる事で、見えなかったゴールに近づいていく事を信じてみるのも悪くはない。

言いたいこと無き言葉の羅列4

12:17 | 言いたいこと無き言葉の羅列4を含むブックマーク 言いたいこと無き言葉の羅列4のブックマークコメント


 そういえば昨晩は夜中に目が覚めた。午後に酒を飲んでしまい、夜中まで寝ていたのだった。夜中に起きだしてきて、クヨクヨと女々しい事を悩んだり書いたりした。

私はかつてある人に、酒と女で人生を滅ぼすだろうと言われた事がある。確かに私は、学生時代ゼミ飲み会の頃にはすでに、飲み方がおかしかった。

日頃鬱屈させているわだかまりを、無礼講の名目でぶちまけてやるとでも、いうかのようだった。そんな風に鬱屈させる原因となっていたのは、当時住んでいた学生アパート

大学の真裏、道路一本しか隔てていない場所にあったせいだろう。夜中でも学生たちは騒ぎまわっていたし、周辺の部屋からは騒ぎ声や喘ぎ声がつつぬけに漏れ伝わってくる。

自分けが、そういう今時の学生生活からある種の意味隔離されているような気がし、地元に帰るたびに、高校時代の友人らに対して尊大な態度でうっぷんを晴らしていたのが

徐々に酒の席にまで勢いあまって表出するようになりはじめた。それが、あの頃のことだった。

 高校時代に救急車で搬送されるほど飲酒したことがあり、自分自分なりに自分場合限界酒量を察知できる。舌が痺れ始めるのがその合図で、そうなると嗚咽を堪えるまでもなく

そのままゲロが直接噴射される。喉が痺れているからフタが利かないのだ。そのショックでそのまま気絶することになるだろう。搬送されたときは、自分ゲロですべって転んだ音で

家族が目覚めて、救急車を呼んだそうである

 一度限界を知ってしまうということは、逆に言えば、そこまでは無事行けるということを知ってしまうということでもある。

私は常に限界近くを試すようになった。本来遺伝的には酒が飲める体質ではなく、二日ほど酒を抜くと、翌日は一缶で

真っ赤になるほど酒に弱いのだが、脳がほとんどアルコールで酔って眠っても、残った部位だけで冷静さを失わない訓練を自分に課すことを修行のように試すようになった。

酔って冷静さを失わなかったにせよ、勢いで躊躇いを捨て去ることができるので、わだかまることなく本音を爆発させる。その場では、そういう姿を周囲は笑ってくれることも多いのだが……。

逆にそれを見た周囲は、後日またシラフに戻った私を見ると、普通にしているというだけの事が、どれほど私にとって抑圧の強い状況なのかを察してくれはじめるのか、ひどく周囲に気を使われるようになるのが常だった。

 それはともかく、昨日も、午後から飲んで、ある女性になれなれしいことを言ってしまい、不快な思いをさせてしまった事に気づいて、モヤモヤしながら、ふてくされて寝ていたという訳である

 そして早朝になってまた寝ようとしたときのことである。これまでも時々そういうことはあったのだが、ゴミ袋の中から物音が聞こえた。コンビニ弁当弁当ガラなどばかりはいっている

袋が、エアコンも切って無風状態になっているはずの室内で、カサコソと音をたてはじめたのであるゴミ袋の中に、何かがいるのだという予感がした。時々、そういう音が聞こえる時はあった。

どうやって入るのかゴキブリがどこかから飛来して、直接ゴミ袋の口の中をめがけて飛び込んでいく様を想像し、そういうことが起きたのだろうと思って、袋を縛って、ゴミの日でもないのにゴミ置き場に

出してしまうのだ(トランクになっているので、曜日じゃなくても、外が散らかったりはしないタイプのゴミ置き場だ)。ただ私にはわからない。部屋でゴキブリをみたわけではないし、

ゴミ袋の中にいることを確認したわけでもない。そしてゴミ袋という、口が宙に浮いている袋をゴキブリが駆け上がることはできないだろうし、たとえその触覚がどれだけ鋭敏であっても、

袋の中に食い物があることをゴキブリが感知できるとは信じられない。飛んで上から袋に入っていく様というのは、まさにそうしなければ絶対にこういう状況にはなりえない唯一の可能性だと思える。

 これまでも、何か自分の体調が良くない朝などに限って、何か自分の体調が惹きつけてでもいるかのように、謎めいた昆虫の類が部屋に出現することが多かった。そしてまた、今朝も、何かを暗示するかのように

不吉な昆虫の気配がムンムンと立ち込めたのである。私は、袋を縛って、またゴミを出してしまった。今回の前兆はどんな、ヤバいことが起こる前触れなのだろうか。

言いたいこと無き文章の墓場5

13:12 | 言いたいこと無き文章の墓場5を含むブックマーク 言いたいこと無き文章の墓場5のブックマークコメント

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 言葉はしばしば、意図が伝わるようには記されないことがあるように私には思える。本当はその言葉とは全然真逆の事を、意図している場合があると私には思える。ただ、そのように考えると

人は恐らく、言葉を信じることができなくなるだろう。今ここで便宜的に、ラーメン屋ラーメンを頼んだ状態について考えてみることにする。ラーメンは、注文したものが出てくる。私は食べる。

しかし、何故かよくわからない不満を感じるとする。その不満の原因がどこにあるのかはっきりとわからない。注文通りのものはでてきたはずで、先方に落ち度はないのに、なぜかおいしくない。

私は苦労して、それを、スープの温度がおかしいのでは、チャーシューに火が通ってなさすぎるのでは、などなど多様に検討し続け、やがて、タマゴが半熟でなかったせいだと店員に言うかもしれない。

店員はそれを聞いて、そうかと思うかもしれないが、タマゴが半熟でないぐらいのことで、なぜそんな不満なのかと思われるかもしれない。ここで不幸なのは、伝えられた不満がタマゴが半熟で

なかったという不満だっとしても、実は不満を感じている本人自信、ほんとうにそれが原因なのかわかっておらず、もしかしたら不満の原因は別のなにかかもしれないということにある。

ここでタマゴが半熟になっても、もしかしたら状況はなにも変わらないかもしれない。とにかく次に店に来て、タマゴに関しては状態が変わっているのにまだ不満は残っている可能性がかなりある。店員にとっては

しかしそれは知りようがなく、言葉として伝わった不満を一応受け止めて、注文の内容をそのまま出すだろう。本当に問題はタマゴなのか? それともタマゴじゃないのか? あるいは、タマゴと

密接に結びついた無数のほかの原因があるのだろうか? タマゴもスープも麺もダシも温度もすべてが全体的にダメなのか? そのダメさが微妙過ぎて、何がまずいのかハッキリ見えにくくなっているのだろうか?

大事なのは、そこで私は本当のことを言おうとしているし、店員も誠実に対応してくれていたとしてすらも、問題は残ってしまうかもしれないという可能性がかなりある、ということにある。

本当に言いたかったことはなんだろう。それは、タマゴが半熟でなかったせいでまずいということでは、ないのかもしれない。なんだかはっきりとはわからないのだが、このラーメンは許しがたい、

ということが本当の意図だろう。それがなぜなのかは、てめえのほうで、考えてみてくれ、ということなのではないだろうか。それをよくわからないままタマゴのせいにしてしまうことによって

悪気がないにせよ、問題は永続化されてしまい、すれ違いは果てしがないものになっていくかもしれない。タマゴは実は問題ないと店員が思うのであれば、そこで店員の側から問い返すべきだったのだろうか?

それとも、ただ黙って、よきにはからうべきだったのだろうか? それでまた、店員のほうでも読みが外れていたらどうなるのだろうか?

久しぶりに気分がアガってきた

05:36 | 久しぶりに気分がアガってきたを含むブックマーク 久しぶりに気分がアガってきたのブックマークコメント

 こんなタイミングだが、時間の都合のつくメンバーで集まれる事になったので、とあるところでカレーを食い、カラオケに行く事になった。本当は別の目的があったのだが、それは非常にお金がかかるということで

それならば無理だという面子が多かったのだが、カラオケであれば、誰も問題はなさそうであった。ホテルというのは、実は当日でもネット予約できるんだなという事に気づいた。有名な予約サイトでは、当日の日付

disabledになっているが、それは直接日付を指定すれば、問題なく選択される。確認メールを見ても、一応問題はなさそうだ。予約なしでホテルフロントに行くと、どうみてもガラガラでも満室だと言われる場合

ツインダブルの部屋ならどうかと言われて、倍ぐらいの部屋に泊まらされることもある。ただそういう時は、元々多めに予算をみるようにしていて、そうなったらそうなったで、人を呼んで泊めたりすれば、よかったりもする。

そういえば数カ月前は、飲まない予定で車できて結局飲んで泊って行った某氏が、早朝にごそごそ起きて、となりでコソコソとオナニーし始めるのを見てしまうという軽いショッキングがあった。まああれは、色々話の

ネタとしては面白かった。そしてその話は誰も信じてくれないのだった。彼らは俺がどんなバカなのかも、そして実はどんなに真面目なのかも、両方知っていて、その上でこういう場でどんなひどい事をやらかすかも

みんな分かったうえで、ずっと腐れ縁を続けてくれている。彼らの前でしか見せられない素顔もある。そういう連中との再会は、気分がアガる。みんなで何もかも忘れて、ひどく暴れ回るぞ。