ろくでもない日常

2009-03-01

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| 22:17

実際の写真がコチラ!!

f:id:Kuaro:20090301220641j:image

デジ一で撮りました。

商品名:E-30

OLYMPUS社製

12.3MP

ART FILTER 7シーン+α

お気に入りです。

18万9千円なり。

OLYMPUSE-30公式サイト

http://olympus-imaging.jp/product/dslr/e30/

mozartyardmozartyard 2009/03/02 06:08 良い写真。色や光に感じるものがあるようですね。身体が良かったら写真家を目指したいのでしょうか。

草野さんとは、Skypeで少し話す機会が持てましたので幾分はわたしの境遇も理解されているようです。
幸せ・・・・なんでしょう。
おごった言い方かも知れませんけれども、わたしはただいまを楽しもうと生きてきました。

少し長くなるかも知れませんけれども、ごめんなさいね。
ほかの方がこのコメントに目を通される機会があったとしても、(まあ、多少は目に止めて欲しいから書くのですし、twitterにもつぶやくのですけど)いろいろなところでも自分から先に話し出していたりするので良いでしょう。

今日、二人の方から黙ってリムーヴされたのも、なかなかわたしのことがとらえどころがないことにあります。

わたしは生まれる時に、母体をとるかこどもをとるかで刻々と死の淵に落ちていました。
最終的には帝王切開でも自力で出ようとしないのを引っ張り出され、何度か叩かれて声を出したそうです。
その出産を助産された方の言葉が、「この子は育たない」というものでした。母には非常な宣告に響いたと言うことです。
両親共に高齢であったことから、江戸時代以前からの名前を絶やすべきではないと世話を焼きすぎるほど焼いてくれました。

見返してやれ。出産の場にいた人が元気だったらいまの姿を見せてやりたい。

小学低学年までは病院を行ったり来たり、いまでも異常脈に近く、骨はもろい。幼い時の繰り返しの高熱で、物音、気配への感覚は特殊なようです。音楽を聴くことにうるさがられることを言われなかったのは、その時ばかりはわたしが上機嫌、病状も現れないほどさわやかな笑顔を見せるからだったのかも知れません。四六時中レコードを聞き返しているわけですから、両親が見たいテレビなどのあったでしょうに・・・といまは思う次第。
転機は小学4年。そして、高学年で東町団地に住むクラスメートの所に毎日健軍神社の近くの小学校から着いていくようになって、クラスメートもわたしを一番気遣って休み休み帰宅してくれて・・・2年間暑い日も、寒い日も歩いて行き来したのは自力をつけることに、また、一人で帰ることで自分だけで何かできる自信を持つことが出来ました。

神社のほの暗い脇を通って幾度か怖い経験をしましたので、遠回りでも健軍終点を大きくまわって家路を急ぎました。昼と夜の顔の違う商店街から、夜の街並みを肌に馴染んだのもその後のための経験になりました。
急に投げ込まれれば、うろたえるしかありませんものね。
その頃、見よう見まねでマンガを書き始めてやがてイラストへ。それまで教室の隅っこでわからない存在だったわたしが、教壇にいてみんながいろいろ話しかけてくれたり、書いたものを回し読みしてくれたり。

いまのtwitterなどネットで知り合った親切なみなさんが、わたしが遊びはじめたものを一緒に試して下さる。そんな様子と同じで、同じようにマンガを書き始めた男の子たちと親しくなっていきました。
わたしと最も親しくなってくれた男の子は、美術の高校を目指すようにもなりました。
彼との中学3年間は、本当に感謝に尽くせません。彼の父親の理解もうれしいものでした。空気の良いところへ時に連れて行って下さって、美味しいものを・・・せかせることなくわたしが過ごせる時間を下さいました。

そんな流れで音楽だけはわたしから離れない一番の友であり、幼い頃からほとんどのジャンルを嬉々馴染んだことで音楽を通しての親しくして下さる方々が出来いまに至っています。

今度はこれを教えてあげたら喜ばれるかしら。
そう日々思うようになって、明日元気に通えるように。一週間後に調子を崩さないようにと。ひと月後に・・・という希望でいつしか上手く病とつきあってこられたのでしょう。

苦しい時には、あとで思えば後悔する行動、言葉を言ってしまっている。

多少ぎこちなくなっても、丁寧に落ち着いた言葉で接する、言葉を残す。わたしはそうしてきました。
いまこうして書きながらも、目尻には丸い涙の粒がたまっています。
ディスプレイの部分部分はぼやけています。
もとより出産時の摘出時の道具がずれていて、視野に光の屈折が出来る現象を抱えてもいますが・・・。


長いこと書いてごめんなさいね。解決となるものはわたしは持っていません。
おそらく見つけようとすることはないでしょう。
何かの出来事に少しずつ学んでいくのでしょう。

道具は朽ちていくもの。
でもその道具で為したことは、何らかで続いていくこともある。いや、わたしが書きつづった言葉が、わたしの言葉だと言われることがなくても良い。
誰かの口を通してつながっていけば。
いま、この時にわたしが生きていて、今日の深夜から世が白みかけている時間にこの文章を書き上げようとしていることは記録にとどめられなくても、何らか。このあまりにも私的な文章からくみ取ってもらえれば良いんです。

泣きたい時は、いつまでも泣きましょう。
叫びたい時は、遠慮しないで叫ぼう。
でもね、味方。それはいないと思います。ううん、手を差しのばしてくれるやさしい思いの方はたくさん、かならずいらっしゃいます。
でもね、尋ねるだけ、訴えるだけではいけません。

だからね、わたしにDM下さったように働きかけよう。

悲しい言葉は使わないようにわたしはしています。
汚い表現はしないように、わたしはしています。
その言葉たちがかわいそうだから。
その言葉を目にして、耳にして心に苦しいものがわき上がってくるから。

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