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たそがれどきのスナフキン

2011-08-03

嫁、妻、家内などの意味を手元の辞書で調べてみた

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中国嫁の差別性」によせて

http://d.hatena.ne.jp/islecape/20110801/yome

中国嫁日記」の差別性が自覚できない奴は差別主義者!…(゚Д゚)ハァ?

http://togetter.com/li/166146

を読んで気になったので、一般的に自分の配偶者を指す言葉について、よく聞くものを手元の辞書で調べてみた。

使用したのは新明解 国語辞典 第五版(特装版)*1。Webの国語辞典でも良かったのだけれど、情報量がイマイチだったのでこちらにした。あまりに関係ないかと思われた部分については、端折りました。



夫→妻

名称  意味
息子の妻として、その家族に迎え入れ△られる女性(ること)。〔狭義では、新婚のそれを指す〕⇔婿
1.〔夫に対して〕その人と結婚している女性。女房。〔雅語では、夫と書き、男性をも指した〕⇔夫 2.〔料理で〕刺身などのそばに添える海草・野菜など。「刺身の―〔=他を引き立てるだけで、それ自身には価値の乏しいもののたとえにも用いられる〕」 3.入母屋(イリモヤ)の屋根で、両端の三角になった壁面。切妻
家内その家で生活する人たち(全員)。〔狭義では、主人の妻(の謙称)〕「―工業〔=個人の家で、家族を初め少人数の人を動員して行う手工業〕・―安全」
1.内へ深く入った所。「穴の―/―多摩」 2.〔家の中で〕表の入口から内へ深く入った所。⇔表(オモテ) 3.容易に人に知らせたり、見せたりしない△こと(もの)。「心の―」 4.〔もと、めったに他人に会ったりはしない、士分以上の人の妻の意〕夫人。「―様・―さん」
女房〔もと、「女官の部屋」の意〕古くは宮中の官女や貴族の次女を指し、後、広く庶民の妻を指す言葉。〔「にょうぼ」は後者の口頭語形〕【―《詞(ことば)】女性語の一種。昔、宮中の女房が使った。すしを「すもじ」、だんごを「いしいし」と言うなど。表記:「女房言葉」とも書く。【―役】中心となる人のそばに居て、助ける役目(の人)。
かみさん「おかみさん」の簡略表現。「うちの―〔=女房〕」
おかみ〔「御上」と同源〕〔料亭・旅館などの〕女主人。表記:普通、「{女将}」と書く。【―さん】 1.商店などの主婦。 2.「妻・細君」の意の口語的表現。かかあ。表記:「{内儀}さん・《御神さん」とも書く。
かかあ【<嚊】「荊妻(ケイサイ)・愚妻・拙妻」の意の口語的表現。⇔亭主 表記:「<嬶」とも書く。【―天下(でんか)】その家庭で、妻の方に発言権が有ること。
細君1.自分の妻。 2.他人の妻。〔主に同輩以下に使う〕表記:「妻君」は、借字。
お母さん〔子供のある夫婦の間で、夫が妻を指すことも有る。〕
うちのもの【家の者】〔=家族(や召使のうちのだれか)。狭義では妻を指す。〕
ワイフ〔wife〕〔口頭〕妻。女房。⇔ハズ

調べて見たら、予想以上に多くて骨が折れた。


妻→夫も調べてみた

名称  意味
〔妻に対して〕その人と結婚している男性。⇔妻
旦那〔「布施」の意の梵語の音訳。〕1.施主 2.(商家などの)主人「―様」 3.商人にとって、得意先(の主人)。 4.一家の主人。〔めかけの主人にも言う〕 表記:もとの用字は「<檀那>」。【―芸】商店の主人などが、なぐさみに習う芸。【―寺(でら)】菩提寺(ボダイジ)。
主人  1.〔客と違って〕その家の長で、客を呼び迎える側の人。「―役」 2.その一家の長。〔妻が他人に対して、自分の夫を指す時にも使われる〕「ご―はご在宅ですか?」 3.〔雇い人と違って〕その一店の長。だんな。【―公】〔もと、主人の敬称〕事件・文学作品・映画などの中心人物。ヒーロー。
亭主〔もと、その家の主人の意〕1.夫。「―持ち」 2.茶の湯で、客を接待する人。主人。【―関白】夫が家庭内で非常にいばっていること。⇔かかあ天下
うちのひと【家の人】〔=自分の夫〕
お父さん〔子供のある夫婦の間で、妻が夫を指すこともある〕
ハズ〔←husband〕〔口頭〕夫。⇔ワイフ

夫→妻に比べて圧倒的に少ない。



夫⇔妻で使えるもの

名称  意味
配偶者法律で〕夫に対して妻を、また、妻に対して夫を、それぞれ指して言う語。
つれあい【連(れ)合(い)】1.つれそう相手。配偶者。〔夫婦の一方が他方を呼ぶ称〕 2.「連れ」になった者
パートナー〔partner=組んで何かをする人〕 1.〔二人で一緒になる〕ダンスの相手。 2.ボクシングの練習相手。 3.一緒に仕事をする仲間

最近はこの夫⇔妻で性別や関係性に関わらず、ニュートラルに使えるものの方を好む人も多い様子。『配偶者』に関してはどちらかというと書類上で見かける程度で、口頭ではあまり言わないけれど……。



思ったことなど

……という訳で、問題になっている『嫁』の表記だけれど、元々の意味を考えれば舅姑が使う言葉。とはいえ結婚してまだそれ程経っていないようなので、『嫁』という呼称自体にさほど問題は感じられない。

問題があるとすれば『その家族に迎え入れ△られる女性(ること)』という部分なのだろう。『女』と『家』という字から『女は家に居るべきという考え自体が現れていて差別意識を感じる』という意見もわからなくはないけれど、それはそれで既に『嫁』という漢字として存在している以上、どうしようもないことである。嫌なら漢字を変えるか、抹消するか、常用漢字から外すくらいのことをするしかない。

でも漢字を『形』として考えた場合、『嫁』と同様に現代にそぐわない意味になるものなんて山程ある。『婚』『姻』『姑』なんて字の形から見ると不穏だし、こういったものをひとつひとつ規制していくつもりだろうか。どう考えても不可能だし、合理的ではない。

第一意味から考えると、『嫁』より『妻』の方が余程失礼である。『他を引き立てるだけで、それ自身には価値の乏しいもののたとえにも用いられる』なのだから、引き立てるのは明らかに夫。男尊女卑も甚だしいという話にならないか。

こういう『表現』とか『形』をひとつひとつ規制したところでキリはないし、ましてや漢字を抹消するなんてどだい無理な話である。熟語や慣用句など、とてもではないが影響範囲が大き過ぎるからだ。

なので、中国嫁日記の『嫁』の一字は別に問題ないのではないか、というのが私の私見。

支那』に関しては差別用語となっているので、(個人的にはその言葉に対して差別意識を持っていなくても)避けておくのが無難かな、程度である。上の世代の人にとっては差別的意味合いを強く感じる言葉かも知れないけれど、若い世代ではあまり実感できない人も多いと思う。

むしろ最近では、『中国』や『韓国』の方が侮蔑的な意味合いで使われることが増えている気がする。「しょせん中国製だし」とか「また韓国か」とか。さすがに国名は差別用語に登録できないだろうし、どうするのだろう。

差別差別でないかとか、侮蔑的な用語かとかは、『その言葉を使ったかどうか』だけでははかれない事柄だ。仮に画一的に『その言葉』を規制したところで、いくらでも差別的・侮蔑的なことは言えてしまうので。

第一、どんなに些細に見えても『その言葉』や『漢字』を使えなくしてしまうのは、とても大変なこと。

もし『嫁』『婚』が規制されたらどうなるのだろう。『よめ』とか『こん』と平仮名で誤魔化すにしても、『責任転か』『か鶏随鶏』『結こん』『こん約』『冠こん葬祭』……誰がこんなことを望むのだろう?

最近、『差別』という言葉がやたらに気安く、かつ簡単に使われている気がする今日この頃。難しい問題なだけに、自分の意見だけでなく、人の言葉や反対意見にもちゃんと耳を傾けてから考えないと、結局自分の首を絞めることになるのに。






上に絡めた私見として

私は文章を書くので、あくまで『書く方の視点』から。

例えば小説の中で、幼稚園の男の子が幼馴染の女の子に告白する、という微笑ましい1コマを描くとする。

その時私が一番しっくりくるのは、こんな文章。

「僕のお嫁さんになってください!」

この言葉に、『嫁』に関する差別的な意識を感じるだろうか? 恐らく、感じないと思う。

ところがこれを仮に差別的な意味合いを気にして、こんな感じに書き換えたとする。

「僕のパートナーになってください!」

「僕の連れ合いになってください!」

「僕の配偶者になってください!」

途端に初々しさとか微笑ましさがなくなり、何だかつまらなそうだし、情熱がまず感じられない。第一幼稚園児が言ったとはとても思えない硬さ。

更に、もうひとつ別の例を出す。

「嫁と約束があるので」

「かかあと約束があるんで」

「連れ合いと約束しているので」

どれも言っていることは同じなのだけれど、妻との関係性やその人のパーソナリティがそれぞれ出ている。特に小説を書く上では、この『登場人物のパーソナリティ』をいかに出すかがとても大事なので、あえて推奨されない言葉を選択せざるを得ない場合もある。

言葉の選び方にその人のパーソナリティが出るのは当たり前だけれど、仮に差別用語やあまり推奨されない用語を使ったとしても、状況によっては侮蔑的に受け取られないこともあるし、その逆ももちろんある。


だからといって差別用語を推奨している訳では全くなくて、歴史的背景などから『使うべきではない言葉』はもちろんあると思っている。

例えば少し前乙武洋匡さんの、

乙武洋匡「僕は、カタワです」

http://togetter.com/li/152112

というのがあって賛否両論あった。そしてこのTogetterに関する意見でもっともだと思ったのがこちらのブログ

名誉健常者って呼んだら怒る?|てんかん癲癇)と生きる

http://ameblo.jp/moonsun3/entry-10936389385.html

どちらにも賛同できる部分とそうでない部分があるのだけれど、それはまた別の機会にでも。

もちろん、差別用語や侮蔑的な言葉を投げつけられたら怒る権利がある。

でもそういう言葉を他人に投げつけた時点で、言った方は『私はそういうパーソナリティを持つ人間です』と自己紹介していることになるのだ。相手を傷つけているつもりで、自分の一番黒い部分を剥き出しにしている。

本当は『言葉』そのものが問題なのではなくて、『差別を推奨するパーソナリティ』の方が根っこなのだけれど、ただただ『言葉狩り』に血眼になっている人は、そのこと忘れているのではないだろうか。

『言葉を狩る』方が目的になるべきではないし、第一『その言葉』を消したからといって、他に差別や侮蔑の感情の表現のしようはいくらでもあるのだから。



終わりに

こういうことに興味をもったきっかけは、有川浩さんの図書館戦争という本です。この本に関わる上でも色々大変なことがあったそうで、『言葉を狩る』というのがどれ程危険なことなのかということに気付くきっかけとなりました。





追記(2011/08/04)

『嫁』以外の言葉に関してもそう。特別差別感情を含まない言葉であっても、特定の言葉を『不愉快』と感じる人はいる。それがどんな言葉であっても『自分は×××××と呼ばれることに憤りを感じる』ということ自体は、当然の感情。そう呼ばれることを拒否する権利もあるのは大前提の上で。

とはいえ身近な人が仮に『このカタワが』などと普段から差別意識剥き出しで使っていれば、子供にはその言葉と共に差別感情まで一緒に伝わってしまうため、難しいところであると思う。

でも例えば『カタワ』を『障がい者』と言い換えたところで、『このカタワが』と同じ意識、用法で使っていれば、当然差別意識は『障がい者』という言葉にすり変わっていくだけで、全く問題解決にはなっていない。

どうやったら差別感情を無くすことができるか?→それを表す差別用語を無くせばいい、というのはあまりに安直だし、言葉というものの性質を考えるにあまり意味がない。

この記事の本題だった『嫁』という言葉に思うのは、『そう呼ばれることを拒否する権利』は誰にでもある。現代の女性観にそぐわない面があることも認める。

件の記事のコメントなどを見ているとこの辺りがごっちゃになっていて、『いけないからいけない』で思考が終始している印象。

けれど、それと『自分が×××××と呼ばれることが嫌だから、他人がそう呼ばれることも許せない』というのはまた論点が違うということ。

まずこの辺りの切り分けからしていかないと、そもそも議論にもならないのではないかと思う。

『婚』についての補足として

字をばらすと、『女』『氏』『日』という構成なのだけれど、これを『女の氏が変わることを表わしているのでは?』ととらえる人もいる、ということで。本来は『女』と『昏』なのだけれど、漢字の『形』だけを見てこういう誤解を招く場合もあるという一例として取り上げてみました。

*1:2002年2月1日 第25版発行

きゃあきゃあ 2011/08/04 10:33 「嫁」という字は字面だけ見ると家にいる女ですけど
実質は「ヨソからウチに入ってきた女」ですよね
だから「息子の妻として迎え入れ」てもらわねばならない
という窮屈な立場という側面があります
ひっくり返すと、「夫」はその点では査定する側になります
加えて「中国」嫁です、ヨソから来た感が強化される表現です
外からモノが入ってくるときに摩擦はつきものですが
「摩擦させられている側」の視点が強調されて見えます
その辺の対等さの欠落加減が人をムズムズさせるんではないかと思われます

赤瀬川さんの……赤瀬川さんの…… 2011/08/04 11:41 『新解さんの謎』と併せて読みたいと思いました。

KuichiKuichi 2011/08/04 22:09 >きゃあさん
コメントありがとうございます。
確かに結婚に関して女性が置かれていた環境というのは窮屈な側面もありましたし、現代においてもまだ完全に払拭されたものとは言えません。そういう意味では、『嫁』の一字がそれを想起させ不愉快になる、という主張も確かにわからなくはありません。
とはいえ、意味を考えると『嫁』は舅姑→息子の妻の視点があるので、主体は夫以外です。また、男性は所帯を持って一人前という考え方や一家の大黒柱という意識もまだ根強く、夫であっても常に査定の対象です。
一概に『夫は査定する側』であるとも言えないのではないでしょうか?

中国と嫁がセットになることで『「摩擦させられている側」の視点が強調されて見える』とのことなのですが、本当にそれだけでしょうか。
仮に件の作品が日本人同士の夫妻の生活を描く『嫁日記』や、中国以外の国の『米国嫁日記』『英国嫁日記』であっても、『嫁』という呼称に件の作品と全く同じ違和感を感じるのでしょうか。
もしそれぞれで違う印象を抱いたとしたら、『嫁』という言葉より出身国に対するバイアスがかかっていないでしょうか。
単に『嫁』という言葉だけでなく、そういったことも疑問に思い、配偶者の辞典的意味を調べてみる、という今回の記事を書いた次第です。

KuichiKuichi 2011/08/04 22:14 >赤瀬川さんの……さん
http://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E8%A7%A3%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AE%E8%AC%8E-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E8%B5%A4%E7%80%AC%E5%B7%9D-%E5%8E%9F%E5%B9%B3/dp/4167225026
で合っているでしょうか?
調べて見たらとても面白そうなので、是非読んでみたいと思います。楽しそうなものを教えていただいてありがとうございます。

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