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2008-02-17 (Sun)

「探すな決めろ - 書評 - 自分探しが止まらない」小飼弾さん

井上ネムです。紅月真有じゃないです、今回。

404 Blog Not Found

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51003082.html

の記事について。「探すな決めろ - 書評 - 自分探しが止まらない」

僕はこの記事気に入ったんだけれども。

ロリコンファルさんの

http://d.hatena.ne.jp/kagami/20080216

に言及がありました。「「自分探し」と山文京伝作品 −政治的幻影としての役割付け洗脳−

まぁ批判してるわけですが、いいかげんなことを書くこと書くこと。

悩まない人だけが哲学をするんだと言いたくなるくらい。もちろん言わせやしない。自分の試みを虚しくしたくはない。

便乗して適当なことを言えば、引用にある「リチャード・ローティが言いました。「いいかげん、そんなことはどうでもいいことだと、君達は思わないのかい?」」に最も賛成。

「自己も含め、生命とは決定できない」ということをきちんと受けとめて考える対応の方が、「自分」という

ものを決定してしまう対応よりも、ずっと誠実で世界の在り方に則した対応であると、私は思いますね…。

自分というものを一元的に決定しようとすれば、その行き着く先は弾氏のような覚醒者側の立場を取る他者に

利用されることになる位置付けとしての幻影か、もしくは生命内奥の認識を超えた混沌しかないと思います…。

だそうです。いや、メジャーな思考です。

「自分を決めよ」という政治的な振る舞いには、この作品で

描かれる帝国の権力のような効果(外的環境によって選ばされたにも関わらず、それを自分自身

の判断に拠るものだと錯誤させる視野狭窄効果)があることは、決して忘れるべきではないと思います。

僕がまとまった文章をなまぐさで公表していないのが悪いのですが。

はい結構。初心者にしてはとても結構。もちろん知識が初心者だということはないです。この方は僕よりずっと勉強されています。衒学者としては中級でも思想家としては四流です。

経験の向こうに現実界を見る思考はどうかしている。確実性ということをかんがえるのなら、此の経験だけは手放せまい。現実界とは経験された現実であって、経験を裏切るものであって、外ではない。ちなみに裏切るとは賛否含む。

生命内奥の認識を超えた混沌は生命の一つの像であって、内包視線に固有のものだ。

視野狭窄からほんの少しであろうと逃れうると思えるから外などと言う。おまえの思想以外のどこに内がある。どこに外がある。どこに像でないものがある。どこに虚構がある。

本サイト「好き好きおにいちゃんM!http://www5.ocn.ne.jp/~misuzu/index.html(これも面白い題名)も流し読みしたが、本当に流しただけだが、この人はスラヴォイ・ジジェクも読んでる。宝の持ち腐れだ!!

システムが決めるなどと言うな。システムが決めるのと自分が決めるのとは同義である。

自分とはなにか。一つのイメージである。システムはまた一つのイメージである。ただあり方がちがう。システムは共同幻想による。自分は生命の幻想による。この方のような思考を得るのにこの方が言うほどの勉強は必要ではない。そのへんで新たし目の哲学の概説書を一冊借りてきて通読すればよい。

探せばいい。決めればいい。暫定的に決めろと小飼さんは言っているのだ。いつ裏切られるか、それは知ったこっちゃない。いつかひっくり返されるに決まってる。それは探し続けている者も同じことだ。同じなら少しくらいは決めておいた方がいい。そうすれば何を探すのかも少しは当面の見当がつく。

どう決めるか迷うから探すのだ。決めないのならもうその問いはない、悟ったということか。解決するとは問いがなくなることですからね。そして解決に近づけるとは問いを限定することです。不可避。

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