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「お世辞をいうのは、愛情のない証拠です。お世辞をいうぐらいなら、皮肉をいってあげた方が愛情です」(川島雄三)

2016-05-12

Kurobaku2016-05-12

[]アイアムアヒーロー(日:東宝ほか2015 佐藤信介監督)

これまでも日本のゾンビ映画をいくつか見てきたが、ほぼ全てが低予算で、観客より作り手の方が楽しんでいるような自主映画くささが支配していた。またパロディだと言い訳しているようなものも多数あった。というわけで、本作はおそらく日本映画史上初めてのビッグバシェット、有名キャスト多数で作った本格的ゾンビ映画といって差し支えないだろう。

ジョージ・A・ロメロの『ゾンビ』を下敷きにしているのは言わずもがなだが、この映画で成功しているのは前半部分である。退屈な日常が、少しずつゆっくりと壊れていく過程をしっかり作っている。マンガ家アシスタントの仕事場でのいざこざや文化住宅での同居人との喧嘩など地に足の着いた日本のドラマであり、一方でインフルエンザ流行のニュースや空を飛ぶヘリの編隊などで小出しに非日常が侵食してくる様子を描いていく。そして主人公の彼女(片瀬那奈)がゾンビに変身した朝、普通の日本の街の風景が見る見るうちに崩れていく。その呼吸がうまかった。私がゾンビ映画でいつも楽しみにしているのは、ゾンビでパニックになった直後までのシークエンスである。みんながようやく事態に気づいてあわてふためく前後が一番ワクワクする(笑)。

反対に盛り下がるのは後半の富士のアウトレットモールのところだろうか。篭城ものになるのはゾンビ映画の宿命ともいえるのだが、さすがに新味がない。それでもここは屋上コミュニティでの人間関係をしっかり描いていないとダメだと思うのだが(長澤まさみらの性奴隷的立場も含めて)、前半で尺がなくなったのか、最後のショットガンでのゾンビ虐殺アクションをメインにしたかったのか、上っ面だけで済ませてしまった。私は原作を途中まで読んでいたから知っているのだが、反逆者の首にタイヤをかけて焼き殺す彼らの私刑も、肝心の説明のところでオミットしてしまっている。

こういったところはリーダーの吉沢悠(好演!)の処理の仕方でも爽快さが優先されてて不満が残った(こちらは原作ではどうなっているのか知らない)。全体的にコメディ部分を残しているので難しいところだが、本当に残酷な人間のドロドロした部分をオミットして、視覚的にエグいだけのゾンビ大量虐殺に力を入れたのはやはり疑問である。前半が丁寧だっただけに、後半の荒っぽさにはガッカリした。

それでも最後まで飽きずに見させるのはハマり役の俳優陣によるところが大きい。大泉洋はメガネとダサい服装でスターらしさを消し、トボけたやりとりも面目躍如で面白い。半ゾンビの有村架純もよかったが、後半ほとんど眠ったままで、活躍しないのは不満だ。しかし今回一番巧いと思ったのは長澤まさみである。一見捌けたかっこいい女でありながら、弱い一面も持っているという奥行きのあるキャラクターをちゃんと演じている。「ヤブ」っていうのはあだ名だったのか。本名の方が滑稽で哀しかったのになあ。

ちなみにZQNっていうのはネット用語のDQNから来ているのだけど、この原作マンガ(2009〜)が書かれた頃と比べて最近はあまり聞かない気がする。こういう言葉は流行り廃りがあるからなあ。ラストが途中ですっぽかしたようになっているのもマンガの映画化の限界を示している。ま、この作品は面白かった方だけど。

<5/12(木) あべのアポロシネマ スクリーン8、座席J―6にて鑑賞>

[]スポットライト 世紀のスクープ(米2015 トム・マッカーシー監督)

カトリック神父が長年にわたって未成年児童にいたずらをしていた。また教会はそれをずっと隠蔽していた…といった事実を2002年に暴いたボストングローブ紙の記者チームの話。こういう不屈のジャーナリストを描いた話は『大統領の陰謀』などを始め、アカデミー賞に好まれるところであり、本作はみごとオスカーの作品・脚本賞を獲った(ちなみに『大統領の陰謀』は作品賞ノミネート止まり)。

マイアミから異動してきた局長リーブ・シュレイバーから提案され、半信半疑で調べていく4人の記者たち。口を閉ざす教会側の弁護士、マスコミを信用しない偏屈弁護士、被害者団体、被害者…といった人たちへの取材を通じて、カトリック教会の闇が明らかになっていくのを観客は記者たちと一緒に、目の当たりにする。とりわけ最初、事件を起こしたことのある神父の数が13人だったのが、別の視点から調べたら、本当は90人ぐらいいた! と判明したときの衝撃は凄まじい。神父の小児性愛症を専門に研究している心理療法士によると、神父にそういう傾向の人間が現れるのは、神父の独身制(妻帯不可)と、聖職という重圧に耐え切れなくなるからではないかという。合点がいくだけに怖い。そういえば日本でも小坊主を餌食にする僧侶の話なんかもよく聞くし。

こういったジャーナリズム的視点に加えて、デスクのマイケル・キートンが、古くからの友人である教会側の弁護士と対立する葛藤のドラマや、女性記者レイチェル・マクアダムスが熱心なカトリック信者の祖母に事件のことをどう伝えればいいのか悩んだりするエピソードなどが挟まれる。本を読んでわかるようなことだけでなく、事件の大きさが取材する側をも巻き込んでいく様子まできっちり描いている。

さらに最後には、何十年にも前に「問題のある神父20人のリスト」を、弁護士がボストングローブ宛に送っていたのだが、そのときは忙しさを理由にスルーしていたという話が出てきて、ジャーナリズムに対する訓戒まで忘れずに押さえられている。局長の〆の言葉、「我々はみんな暗い道を手探りで歩いている。そこに一条の光(スポットライト)が当たって、初めて正しい道がわかるんだ」にぐっときた。この我々というのはジャーナリストだけでない。カトリック教会関係者も、司法関係者も、そして観客である私たちも含む「みんな」だと思う。アカデミー脚本賞も納得の見事な脚本である。

ところで、本記事を書くために開いたウィキペディアで知ったのだが、この映画の発端として出てくる、ボストンで問題を起こしたゲーガン神父のその後の話。彼は2002年に禁錮9 〜10年の実刑判決を受けた後、2003年8月にソーザ・バラノフスキー矯正センターで他の収容者に暴行されて死亡している。なんかKKKの時代から少しも時代が進んでいないような、いかにもアメリカらしい話だが、この事件はどれくらい報道されたのだろう?

<5/12(木) TOHOシネマズなんば 別館シアター12、座席I-12にて鑑賞>

2016-05-06

Kurobaku2016-05-06

[]黒い画集 ある遭難(日:東宝1961 杉江敏男監督)

シネヌーヴォの香川京子特集からの一本だが、香川京子はほとんど出てこない(^_^;)。

原作は松本清張で、脚色は石井輝男。あれっ新東宝東映の作品では? …と思うが、石井監督は最初、東宝から映画界入りした。その縁で、東宝のプロデューサーに勧められて習作的に書いたものだという(ワイズ出版石井輝男映画魂』109頁より)。三人の男たちが登山中に遭難し、その際一人が事故で死んでしまう(ちなみに死ぬのは若き日の児玉清)のだが、その事故に至るまでの顛末が回想する形で何度も繰り返される。こういうのは下手な脚本だと混乱するし、まどろっこしくなるのだが、この石井脚本はスッキリ整理されていて、混乱することがない。後の『異常性愛記録ハレンチ』の回想なんか、回想の中に回想があったりして滅茶苦茶だったんだけどな(笑)。このときは若いので、まだ真面目に取り組んでいたのだろう。さらに前半は冬の、雪に覆われた鹿島槍、後半は夏の緑豊かな鹿島槍で、冬・夏同じ登山コースを辿る構成も見事だ。季節を変えて、同じ場所で二回撮影に行っている手間を惜しんでいないのも素晴らしい。

これは原作に元からあるアイデアかもしれないが、ほとんど誰もいない登山道で、探偵役が犯人と二人だけで遭難コースをたどりながら謎解きをし、犯人を追い詰める展開も面白い。言わば開かれた密室というわけである。ただ二人だけだと犯人が開き直った場合は危険では?…と思って見ていたらあんなオチだった。ちょっと嫌な後味だが、エンタメのミステリーとしてよく出来ていた。

<5/6(金) シネ・ヌーヴォにて鑑賞>

[]太陽(日:KADOKAWAほか2015 入江悠監督)

これも俺様設定のSFかな。原作は劇団イキウメの戯曲だそうだが、舞台劇の俺様SFも珍しい。

21世紀初頭の日本。原因不明のウイルスによって、人類は二分化した。生き残るために人体改造(?)した新人類「ノクス」とそのまま何もせずただウイルスで滅びていくのを待つ旧人類「キュリオ」である。「キュリオ」から「ノクス」への移行は可能で、「ノクス」になると裕福な暮らしもできるのだが、太陽の光を浴びると死ぬという弱点もあった、という設定。

しかし…いくらウイルスから生き残るためとはいえ、昼間外で活動できなくなったり、人格が変わったりまでする欠陥があるのに「ノクス」化が奨励されるのは倫理的におかしい、となるし、未来の人類にしては開発努力が足りないのではないか、と思う。つまり作り手が差別の寓話をやりたいがために考え出した設定、という強引さが感じられる。これが舞台劇ならそこまで気にならないかもしれないが、映画はリアリティがあるので、そこまで考えてしまうのだ。また『ガタカ』と『デイブレイカー』を合わせたような感じで、設定に既視感もある。

扱っているテーマが重いこともあって、脚本も演出もおふざけなしで全編通すのだが、それにしてはキャストが弱いかな、という気がした。門脇麦父親役である古舘寛治は、私はどうしてもその特異な容貌から、個性派俳優にしか思えないのだが、こういう普通の父親役だと浮いているように思えてしょうがない。苦悩する父親の重みも足りない。また神木隆之介は好きな俳優なんだけど、いつもの明るく知的な彼の個性は生かせられておらず、かといって、これまでのイメージを打ち破るところまでも行っておらず、ミスキャストに思えた。

逆に村上淳は、容貌が昔のよかった頃の彼に戻ったようで嬉しく思った。

<5/6(金) シネ・リーブル梅田 劇場1、座席D-10にて鑑賞>

2016-05-03

Kurobaku2016-05-03

[] アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち(英2015 ポール・アンドリュー・ウィリアムズ監督)

1961年4月にイスラエルで行われた元ナチス親衛隊将校アドルフ・アイヒマンの裁判にTVカメラを持ち込み、世界中にホロコーストの真実を伝えたTVプロデューサーとドキュメンタリー監督の苦闘の活躍を描く物語。

この映画は取り立てて派手な演出もしていなければ、見せ場もない。おそらく歴史的な重みから考えて、控えめな製作態度に徹したのだろう(もしかしたら演出が下手というのもある?)。しかし、私にはそれが不満だった。許可を得るためにカメラを裁判所の壁に埋め込む苦労話や元ナチ党員のいやがらせと襲撃、ソ連の世界初の有人宇宙飛行と重なり視聴率がとれないかもという心配…といった興味深い出来事が次々描かれるのに、映画はさほど盛り上げず、淡々と撮っている感じ(役者の演技だけに頼っている感じもする)。これがアメリカ映画なら、例えばベン・アフレックの『アルゴ』みたいに危機連発みたいな感じで盛り上げたらいいと思うのだが…。そういうのが嫌なら、『東京裁判』のように彼らの撮った当時の裁判映像を上映するか、当時の関係者を訪ねてインタビューを行うとかしたドキュメンタリーの方がずっと面白いと思うのだけどね。

一つ、この映画で初めて知ったことに、当時はまだナチのホロコーストが実際の出来事だと一般的に認知されていなかったということがあった。アラン・レネ監督の、アウシュヴィッツ収容所のドキュメンタリー『夜と霧』は1955年の作品なのに…やはりTVの方がより多くの人の目に触れるということか?(ちなみに『夜と霧』の日本での初公開は1961年10月だから、やはりこの頃から関心が高まっていったのだろう) かつてナチの収容所に入れられていたホテルのオーナーのおばさんが、主人公のドキュメンタリー監督に「よく放送してくれた」と感謝する場面は感動的だった。

<5/3(火) テアトル梅田 劇場2、座席C―3にて鑑賞>

2016-04-30

Kurobaku2016-04-30

[]その他の4月に見た映画(下)

『映画クレヨンしんちゃん 爆睡!ユメミワールド大突撃』(日:双葉社ほか2016 高橋渉監督)→劇団ひとりの脚本は、いつもより泣かせよう、泣かせようという意図が見え見えでシラける。ゲストの城咲仁とにかく明るい安村も私は知らない。大和田獏はちょっと小粒すぎないか。全体的にパロディのレベルが低いように思う。


『あいつだ』(韓2015 ユン・ジョンヒョン監督)→妹を殺された青年(チュウォン)が、霊能力体質の少女(イ・ユオン)と一緒に真犯人を追い詰めるサスペンスもの。昨年、第一回大阪韓国映画祭で見た『極秘捜査』もそうだったが、韓国映画はときどき霊媒師や霊能力者などの存在がごく普通に出てくる。それも刑事ものとかサスペンスものとか、わりとシリアスなジャンルに(そういえばどちらも実話がベースというフレコミだった)。これはお国柄の違いだろうか。ファンタジーやホラー、いっそ怪談話として作ればいいのに、そういう作り方ではない。もちろん見ていてついていけなくなる。


『グランドフィナーレ』(伊、仏、スイス、英2015 パオロ・ソレンティーノ監督)→マイケル・ケインもH・カイテルも最後に演奏するアカデミー賞ノミネートの音楽もみんな好きなのだが、映画自体はピンとこなかった。「老い」がテーマになっていて、こちらが若輩者だからかもしれない。ケインが指揮を引き受けない理由はそれほど思わせぶるほどのものではない気がした。また構図やカット割りなどいかにもアート映画っぽくて、嫌味な感じ。それにしてもJ・フォンダの老醜ぶりがすごかった。そういう役作りなんだろうけど、よく演ったなあ。


『風のある道』(日:日活1959 西河克己監督)→川端康成の女性小説を、西河監督が映画化。北原三枝芦川いづみ、清水まゆみの三姉妹が出てくるが、主役は芦川いづみで、華道の名家の御曹司である小高雄二か、貧しいながらも養護学校で教師をやっている葉山良二か、どちらと結婚しようか苦悩する話。北原が遊び人の夫をもらって苦労していたり、妹の清水まゆみが葉山を狙っていたりといろいろ人間関係が錯綜する。しかし葉山の死んだ父親が、芦川の母親の、戦争によって結ばれなかった元婚約者だったという過去がわかり、要するに古い因習に囚われることなく、好きな相手と結婚しなさいという戦後的自由な女性のあり方を奨励する物語である。まあ、今見ると古くさい話だが、会話劇に墜さず、最初と最後を猛スピードで走るタクシーのイメージで繋ぐところは撮影所が機能していた時代の映画だと感心した。


『中国決死行』(米1953 ドン・シーゲル監督)→プラネット+1にて。第二次世界大戦を舞台にした戦記ものであり、内容は、撃墜した飛行機に乗っていた日本人将校が中国現地の山賊たちに拘束されているので、彼らと交渉してその将校をアメリカまで連れてくるという密命を受けた特別部隊の話である。低予算なのか全体的にセットがチャチで、脚本も看護担当(衛生兵ではない)の女と主人公が恋仲になるという暢気な展開があってヒドい。だが山賊の仕掛けた罠で主要人物が途中であっさり死んだり、中国軍に包囲され壮絶な撃ちあいになるクライマックスなどの部分にドン・シーゲルらしさがある。特に後者の、自分を犠牲にして仲間を助ける展開は、後のS・マックイーンの『突撃隊』(1962)を思わせる。最後は任務が完了し、日本人将校とアメリカ軍上層部が会談したことで、原子爆弾を落として早く戦争を終結させることができたと俺は信じている、という主人公の独白で終わる(キノコ雲のカットにエンドマークだ)。いかにもB級映画らしい荒唐無稽さだが、本作が日本未公開になったのはこのせいだろうね、やはり。


『さざなみ』(英2015 アンドリュー・ヘイ監督)→45年間連れ添った老夫婦が、あることをきっかけに夫婦関係に溝ができ、どんどん崩れていくというシリアス劇。ちょうど同じ日に見た『風のある道』の大坂志郎と山根寿子の夫婦みたいである(本作とは夫婦逆の立場だが)。邦の洋を問わず、永遠のテーマなのだね。この映画で感心したのはそのきっかけで、夫が青年時代に付き合っていた恋人が雪山登山中にクレバスに落ち、その死体が雪解けで何十年ぶりかに出てきて見つかった、って設定。よくこんなの思いついたなあ。それで夫がかつての恋人の話をしたり、妻に隠れて屋根裏で昔の写真を見たり、現地へ死体確認しに行くために航空券を取ろうとしたりする。どう考えても夫が無神経である(ショックを受けておかしくなっているようでもある)。それに耐えて、感情を抑えようとする妻役、ランプリングの演技が見もの。でも彼女が巧いのはわかっているから、もう新鮮な驚きはなかった。

2016-04-26

Kurobaku2016-04-26

[]ボーダーライン(米2015 ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督)

『灼熱の魂』『プリズナーズ』といった作品で過酷な世界を描き、いつも観客の度肝を抜かせる要注目監督ドゥニ・ヴィルヌーヴの新作は、メキシコの麻薬カルテルを追うCIAの特命部隊に組み込まれた女性FBI捜査官の話だ。

もうのっけからFBIの装甲車が麻薬密売人の家に強襲をかける緊張感あふれる場面から始まる。リアルな銃撃戦、壁の中から出てくる腐乱死体の数々、そして爆発。早くも観客はヘトヘトである(笑)。しかしそんなのはこの映画のほんの導入部に過ぎなかった。

エミリー・ブラント演じるヒロインがCIAの特命部隊に編入して、メキシコ国境の都市フアレスに着いたところから再び画面に緊張感が漲りはじめる。車で街を移動中、いつどこから銃弾が飛んできてもおかしくない不穏な空気が漂っている。そして目にする高架から吊るされているいくつかの人間の死体。ただの死体ではない。よく見ると手足が揃っておらず、人の形を成していない。登場人物でなくてもオエッとなる。このフアレスの場面、どうやって撮影したのかと思うほど大規模な車の移動が続く。まさか現地ロケーションってことはないだろうけど、似たような都市で撮影してCG加工でフアレスっぽくしたのだろうか?(あとで公式HPのプロダクション・ノートをみると、街並みなどは一部フアレスで撮影され、大半はニューメキシコやその他の似た街で撮影したとのこと。まあ、当然か)

恐怖が最高潮になるのは、麻薬カルテルの重要人物を護送中に高速道路で渋滞に巻き込まれる場面。恐ろしいことに周囲の車のほとんどに麻薬組織の手下が乗っており、護送中の幹部を助けようと銃器片手に群がってきて、護送車を取り囲む。たちまち始まる銃撃戦。こんなの、どれが悪人で、どれが一般人かわからへんやん、とヒロインでなくても叫びそうになるが、CIAの人たちは顔色一つ変えずに「撃ってきたら撃て」とアドバイス。戦場にも似た光景に思わず興奮してしまう凄い場面であった。

ただこういう題材なので、全体的にどこまでがフィクションで、どこまでが実話ベースなのかが気になった。例えば、CIAの捜査官がヒロインに「花火を見に行こう」と誘い、ビルの屋上にあがると、そこから見えるのは夕暮れのフアレスの街に飛び交う銃撃の火花。そういう光景が毎日普通に見られるという。素直に「スゲエところだな」とビビるし、おそらく事実なんだろうけど、そういうリアルさがあればあるほど、創作の部分が気になってしまうのだ。

そもそも主人公が女性っていうのは、ちょっと私には違和感があった。『オール・ユー・ニード・イズ・キル』で鍛え上げられた肉体を披露していたエミリー・ブラントあっての起用だろうけど、ひと昔前なら正義感の強い若い男という設定だったと思う。いや、女性差別ではなくって、リアリズムの話である。その方が自然に思えるのだが? 後半の展開も、ハニートラップならぬ、イケメントラップ(?)である。まあ、男女逆転しているのも面白いんだけどね。

後半の二転、三転するストーリーも悪くはないけれど、やはりリアリズム視点からは微妙な感じがした。アメリカ=メキシコ間に麻薬密輸の秘密トンネルがあるっていうのも確か2009年の『ワイルド・スピード MAX』に出てきてたりして、あまり新味がなかった(映画は確か都市伝説みたいな扱いだったと思うが、その後、2013年に本当に密輸トンネルが見つかるというニュースがあった)。なによりメキシコの麻薬カルテルを扱ったドキュメンタリーがいくつか公開されているので、その辺を見ている人たちからすればどういうふうにこの映画は映るのかな、と気になってくる(私は見てないけど…)。なので、同じヴィルヌーヴ監督の『灼熱の魂』『プリズナーズ』といった作品よりは少し落ちると思う。

しかし途中で何回か映されるフアレスの平凡な警察官一家の母子が、最後に登場し、子どもの少年サッカーの試合中、銃声が鳴って一瞬固まったあと、すぐまた日常の試合に戻るというところで終わるのが見事だった。強烈な後味が残る。

<4/26(火) MOVIX堺 シアター2、座席I―11にて鑑賞>

[]名探偵コナン 純黒の悪夢(ナイトメア)(日:小学館ほか2016 静野孔文監督)

劇場版シリーズ20作記念ということで、珍しく黒ずくめの組織を全面的に扱った話。TVアニメ版のような推理ものの要素はほとんどなく、ハリウッドのアクション映画か、パニック映画のような構成になっている。のっけは007的なカーチェイスだし、スケールは一応世界規模にまで広げているし、黒の組織の非情さもよく出ている(脚本は櫻井武晴)。もちろん子供向けの要素は捨てられないので、ゲストキャラのヒロイン、キュラソー(声:天海祐希)が少年探偵団にほだされるところは甘ったるいし、コナンは現場で形振り構わず大活躍しているし(もはや子どもにされたというハンデ設定の意味がない)、といった弱点はある。

物語とは別に一つ気になったのが、組織に潜入している公安の男・安室透と、組織を狙うFBIスナイパー・赤井秀一の声が、それぞれ古谷徹池田秀一で、二人は確執があるという「機動戦士ガンダム」の関係まで引き継いでいるんだけど…なんだこりゃ?(笑) TVアニメの方は見ていないから知らなかったけど、いつからこんなお遊びをするようになったんだろう。コナン・ドイルポアロ、乱歩といった探偵ものからの引用はわかるけど、ガンダムは何の関係もないでしょ(笑)。まあ、いいけど。

しかし黒ずくめの組織を出したのはいいけど、大ヒット作である「名探偵コナン」の世界に何か進展をもたらすわけにもいかず、風呂敷を広げるだけ広げてハイおしまい、というのはわかっていたこととはいえ、やっぱり不満が残る。来年のコナンはまたいつもどおり、何もなかったようにして始まるんだろうなあ。こんなに長く続けると蘭はどんなけ鈍感やねん、とか、少年探偵団は、一般人が一生かかっても体験できないくらいの大事件に何回も巻き込まれているゾ、とか思ってしまう。言うだけ野暮なのは承知なのだが。

<4/26(火) MOVIX堺 シアター12、座席M―17にて鑑賞>

[]モヒカン故郷に帰る(日:関西テレビ放送ほか2015 沖田修一監督)

なんか沖田監督はだんだんレベルダウンしていっている気がするが、気のせいか(『滝を見に行く』はまだ楽しんだが)。今回は125分だったけど、『横道世之介』のときと同様、けっこう長く感じた。

タイトルはなかなかインパクトがあっていいのだが、物語的にそれほどモヒカンが生かせられてない気がする(エンディングの細野晴臣の曲は除く)。他にも矢沢永吉ファンの父親とか、設定は面白いんだけど、ドラマ自体はしごく真っ当なものなので、それらが空回りしている印象を受けた。彼女が妊娠したので故郷に帰ってきて家族と過ごすぎこちなさを描いた作品なら『グッド・ストライプス』(2015)という小品佳作があって、それに負けている。もっとも、こっちは末期癌の父親を看取るという話の方に比重がかかっているか。しかし結果的にどっちつかずになっているような気もする。

それでも沖田監督独特のゆる〜い、いい感じの会話は健在で、柄本明が病院の屋上から向かいのビルの屋上の吹奏楽部に携帯電話で指示する場面のやりとりとか、その吹奏楽部でただ一人の男の子が「今日は家族と回転寿司食べに行くから」といつも言い訳して帰ろうとするのとか、素晴らしい。特に後者の「回転寿司」という小市民っぽさがたまらない。あと、もたいまさこが料理のできない前田敦子に肉じゃがを教えるとき「そうめんつゆ入れておけばなんとかなるから」って言うのも面白かった。さらに松田龍平吹奏楽の男の子を車に乗せて送っていくとき「俺も最近知ったんだけどさ、親って死ぬんだナ」っていうセリフも、何気ないだけにグッと身につまされた。けど、ここは予告編でもやってて、先に見ていたのでちょっと驚きがなかった。でも、こういう良さがもっと全体に出ていたら『キツツキと雨』のような佳作になったかもしれない。

基本、小ネタの積み重ねで作っていて、その小ネタに当たり外れのバラツキがあるような印象も受けた。こういう映画は見る方のセンスも関係してくるので難しい。

<4/26(火) MOVIX堺 シアター7、座席H―9にて鑑賞>

2016-04-21

Kurobaku2016-04-21

[]バンクシー・ダズ・ニューヨーク(米2014 クリス・モーカーベル監督)

バンクシーのことは知らなかったが、予告編を見て面白そうだったので見た。映画の最初に簡単な説明があって、バンクシーを知らなくても面白く見られる。

せっかくなので簡単に要約すると


  1. イギリス出身の覆面ストリートアーティスト。決して表に姿を現さない、正体不明の人物となっている。
  2. 作品は型紙とスプレーを使って、ゲリラ的にどこかの街頭などに落書きとして発表したものが中心。大きさは大小様々。その内容は政治的メッセージを含んだものもあるが、ちょっとしたユーモアや風刺、遊び心に満ちていて、いちいち気が利いている。
  3. 彼の落書きは芸術作品として高く評価されていて、業界では高額で取引されている。

…といったところが基本情報か。この映画はバンクシーがニューヨーク滞在中の、2013年10月の一ヶ月間に、毎日インターネットでスプレー落書き(やその他のインスタレーション)の写真をアップし、それを見た人々が、ニューヨークのどこに描かれたかもわからない彼の落書きを探し回る一連の騒動を収めたものである。

まず驚くのは、ニューヨークで、バンクシーのアートに関心のある人の多さ。連日、見つけた作品の前では大量のギャラリーが発生し、銘々カメラやスマホなどでバンクシーの作品を撮ったりする。東京ならともかく、大阪でバンクシーが同じことをしても、こんなにノってくれる人がいるかどうか。そして集まる見物人をよそに今度は落書きされた壁の所有者が迷惑だとバンクシーの作品を上からペンキで塗りつぶしたり、壁ごと切り取って画廊へ売ったりする。そうすると見物人たちも「やめろー」と怒ったり、騒いだりする。それを見て、バンクシーに興味ない人もまた群がってくる。

さらに所有者でもないのに見物料を要求したり、盗み出して美術商に売ったり、アンチの人がバンクシーの作品の上から落書きをしたりもする(それをまた修復する人も現れるから面白い)。ついには警察まで駆けつけ、ますます大騒ぎになる。そういう騒ぎに立ち会うことも含めたアートというわけだ。

正直彼の落書きだけを、絵画を鑑賞するように見ても、大して面白くないものも多いと思う。リアルタイムで街頭に出て、騒ぎを見物すること(=参加する)によって、初めて作品の全てを鑑賞したことになる。これは昔、赤瀬川原平ハイレッドセンター寺山修司がやっていた参加型アートや街頭ハプニング劇と似ている。

バンクシーにそういう狙いがあるとよくわかるのが、落書き作品以外のインスタレーション作品だろう。牛や豚のかわいいぬいぐるみを乗せたトラックが街中を走り回りときに肉屋の前で停まるとか、ライトバンに河のせせらぎを模したジオラマを載せてどこかの街角で公開するといった作品である。これらは街を走り回って運よく見つけ、そこに立ち会えることが重要視されているわけだ。スプレー落書きにしてもそこに昨日あったものが、今日はもうないという、基本的に一期一会のチャンスである。それゆえに関心のある人は熱狂する。

また忘れてはいけないのは、バンクシーのアートは社会の秩序を混乱させ、日常に揺さぶりをかける性質のものであることだ。彼のアートを巡って、喧嘩が起ころうが、暴動が起きようが知ったことか、という愉快犯的な無責任さが感じられる。そもそもバンクシーの出自であるスプレー落書きそのものがすでに犯罪なのだ。だからバンクシーは絶対に姿を現さない。こういうアンチヒーロー性もまた多くの人を虜にしてしまう。警察が本気でやればバンクシーを捕まえるのなど容易いことのように思えるのだが、ある種のピカレスクヒーローなので、見逃しているのだろうか。『ザ・ウォーク』の主人公を見てもわかるように(誰も傷つけていないのが前提だが)あまりにその犯罪が見事だと逆に迎え入れる大らかさが欧米社会にはある。それとも何か裏取引でもあるのか。正体を巡っていろいろ想像するのもまた面白い。

最後に、寺山修司らの時代にはなかったインターネットを有効に活用しているのも見逃せない。見物する側もバンクシーの落書きを探したり、撮影したりするのにSNSなどを有効活用している。もし寺山が今、生きていたらこういうツールをどう利用しただろうか。こういった別の想像もどんどん膨らむ。

何はともあれ、このドキュメンタリーは、バンクシーのアート:ニューヨーク編の断片にでも触れたような気分になれる楽しい作品であった。

<4/21(木) シネマート心斎橋 劇場1、座席I―7にて鑑賞>

2016-04-20

Kurobaku2016-04-20

[]生き残った者の掟(仏1966 ジョゼ・ジョバンニ監督)

ロベール・アンリコ監督の名作『冒険者たち』の原作の続編にあたる小説を原作者自らが映画化した作品。製作当時は日本未公開だったが、1989年に配給会社ケイブルホーグが『冒険者たち』をリバイバル上映した際に一緒に配給し、上映した。今回、シネ・ヌーヴォの「特集上映 フィルム・ノワールの世界」で上映されたので何となく見た(ちゃんとフィルム上映だったし)。シネ・ヌーヴォのチラシによると『冒険者たち』が気に入らなかった原作者のジョバンニが自らメガホンを取った、となっているが、製作年からすると『冒険者たち』より一年前に作られていることになる。しかしimdbでは同じ1967年作となっていて、本国フランスでの封切り日も近い。これではどちらが先に作られたのかわからない。また、なぜかどちらの作品もフランソワ・ド・ルーベが音楽を担当しているのも奇妙である(曲は違う)。

ストーリーは『冒険者たち』で描かれた金塊探しで、一人生き残った主人公ミシェル・コンスタンタンが、コルシカで仲間の墓参りするところから始まる。コンスタンタンは『冒険者たち』でリノ・バンチュラが演じた役ということだが、似ても似つかない猿顔のブ男で、落差にびっくり。でもそれはそれでいい。

で、落ち込んでいるコンスタンタンを見かねた旧友が、コルシカを離れる前にちょっと遊んでこいよと言われて、紹介された秘密の娼館に行くが、そこで出会った娼婦の女アレクサンドラ・スチュワルトに入れ込み、売春組織から強引に連れ出す。当然、組織からの追っ手がかかり…てな話。

初監督になるジョゼ・ジョバンニの演出は、いかにも初めて映画を作るぞという喜びに溢れている。不自然なズームやアップ、奇抜なカット割り、ヘンな海辺でのピストル対決。その対決などは勝新太郎が初演出した『顔役』の対決場面に似ている気がした。職業監督なら絶対こうは撮らないだろうというヘンテコさである。見る人によっては好悪が分かれそうだが、私は映像が瑞々しく感じられて好きだ。またコルシカ島周辺の次々現れる独特の景観は、少しロケハンしただけでは撮れそうもない美しい瞬間を捉えたカットが多く、さすがジョバンニ本人の出身地だなと思わせる。フィルムで見てよかったと思う。

最後にこの映画で一番の魅力は何かといえば、ヒロインを演じたアレクサンドラ・スチュワルトだろう。最初に登場したときは陰気でキツい顔立ちをした女で、とてもヒロインとは思えなかった。ところが一度抜け出そうとしたヒロインが捕まり、娼館の主である謎の男(手足ばかりで、顔を映さない不気味な演出!)の前に出されたとき、見る見る彼女の顔が青ざめ、額から汗がしたたり落ちる。ここで強烈な色気を感じた。別に何をされているわけでもないのに、まるで彼女が縛られて鞭打ちの拷問を受ける場面を見ているかのようにドキドキした(実はこの場面、最後の方で意味がわかる)。それが後半は、主人公と逃避行を続けるうちに打ち解けてきて、ずっと暗い表情だった彼女にチラチラと笑顔が生まれ始める。ついにはフザケてロバと遊んでいたりするところなど、キャッキャッと笑い、めちゃくちゃかわいい。とても第一印象とは違うのだ。このギャップにはやられた。主人公と一緒に、私も彼女に恋している?(笑) まんまとジョバンニ演出の罠に私はハマっている。

ちなみに私はこの女優さんをまったく知らなかったのだが、今調べたら、ずいぶん長い芸歴の女優さんだった。トリュフォーの『黒衣の花嫁』やルイ・マルの『鬼火』、ポランスキーの『フランティック』に出ている。つい最近もランプリングの『まぼろし』や『アガサ・クリスティーの奥さまは名探偵』にも出ている。このうちの何本かを見ているが、うーん記憶にないなあ。

この映画の良い評判はあまり聞いたことないけど、隠れた佳作だと個人的に思っている。こういうマイナー映画を掘り出してくれたケイブルホーグという配給会社は、現在の午前十時の映画祭の数百倍偉いと思が、今はもうない。

<4/20(水) シネ・ヌーヴォにて鑑賞>

2016-04-19

Kurobaku2016-04-19

[]結婚相談(日:日活1965 中平康監督)

シネヌーヴォの芦川いづみ特集で鑑賞。せっかくなのだから、もっと愛らしいいづみちゃん作品を上映すればいいのに、本作は30歳になって婚期を逃したと焦る女の役。しかも通い始めた結婚相談所が実は悪質な売春組織で、そこの所長(沢村貞子)の罠にかかり、いづみちゃんは…という暗黒映画である。円地文子の原作だから本当は当時の風俗を取り入れた女性サスペンスなんだろうと思うけど、才気煥発すぎてときどき変な映画を作る中平監督は、本作もシュールな怪作に仕上げてしまった。特に意中の男性が急に自殺したり、沢村に脅されたいづみが豪邸の精神薄弱の男に体を捧げたりする展開は確かにショキングだけど、やりすぎで支離滅裂と言ってもいい。何の救いもない転落劇かと思ったら、最後は急に能天気なハッピーエンドになったりするし。いいようにとれば、予測不能の暗黒ジェットコースター映画、と言ってもいいが、やっぱり私は失敗作だと思います(笑)。あと伊部晴美の音楽が渋谷系っぽくてオシャレ。

<4/19(火) シネ・ヌーヴォにて鑑賞>

[]光りの墓(タイ、英、仏、独、マレーシア2015 アピチャッポン・ウィーラセタクン監督)

眠り病という謎の病気にかかって眠り続ける患者を収容した病院と、そこに訪れる人々を描いた作品。

この監督特有の、ドラマも動きも最小限の、まったりした自然豊かな映像を見続けているとこっちまで眠り病にかかったように眠たくなってくる。正直ほとんど睡魔と闘って見ていたが、野グソ(小便かも)の場面や、見舞いに来た親族のおばちゃんたちが眠り病患者の勃起を指差して話題にするといったときおり挟まれる下ネタエピソードにだけ敏感に反応してた(←最低)。この眠り病からつかの間だけ目覚めた青年も、アニメ『田中くんはいつもけだるげ』の田中くんみたいにずっとけだるげで(オタクな比喩ですみません)、喋っている途中で急に睡魔に襲われてその場で眠ってしまう、というのがなんだか見ていてとっても気持ちいい。こういうところにこの映画を見ていて眠くなる原因があるのかもしれない。

さらに、この病院が何百年か前の王朝の墓の上に建てられたもので、その王女の幽霊が現代の服装をしてヒロインの前に現れたり、スカイフィッシュ(?)が突然空に現れたり、まさにやりたい放題。でもこの眠り病という設定は、『僕だけがいない街』で批判したような俺様設定のSFとぜんぜん違って、あざとさがまったく感じられない。まあ、あざとく感じる前に、ストーリー要素がぜんぜん希薄だからかもしれないが。設定だけ先にあって、あとはフリーハンドで適当にやりますって感じで、いっそ潔い。

<4/19(火) テアトル梅田、劇場2、座席F−3にて鑑賞>

[]マジカル・ガール(西班牙2014 カルロス・ベルムト監督)

タランティーノの『パルプ・フィクション』を思わせるようなスタイルの映画。人物Aの視点の話が終わると、人物Bの視点の話が始まり、今度は人物C…と巡っていき、途中でそれらの人物が交錯していく、という作り。どこへ話が転がっていくのかわからない面白さがあっていい(今のタランティーノにはそれがないような気がする)。タランティーノは映画ネタを題材に入れていたが、このスペインの新鋭は日本のアニメや歌謡曲ネタを入れてくる新機軸。ネタは違えども、サブカルを映画のスパイスとして入れるところも似ている。最後の方の、父親と老教師との夜のカフェでの会話などいかにもタランティーノらしいバイオレンスな怖さがある。

もちろんタランティーノの影響だけでなく、スペイン映画らしい不条理さやブラックなエげつなさも濃厚。ゲロが降ってくるとか、謎の黒トカゲの部屋とか、どこまでも暴走する登場人物とかは昨年見たスペイン=アルゼンチン合作の泥沼オムニバス映画『人生スイッチ』を彷彿させた。ラテンの笑いとはこんなにクセのあるものなのか。最後、魔法少女の子(最初は男の子だと思って見てたら女の子だった)が老教師に殺されそうになるが、なにか魔法でも発動して助かるのかと思ったら、普通に殺された(銃声だけで、映像は見せないが)。こういうフェイントも計算してなのだろうが、子どもを殺すのは嫌な感じ。…と思ったら、最後に気の利いた、冒頭場面に繋がることをやってニンマリさせる。やはりアメリカ映画にはない味わいがある。

で、結局、この映画で誰が一番悪い奴かと考えてみたが、きっとアニメの衣装にプレミア価格をつけて販売するアニメ業者だと思う。衣装で7千ユーロ(1ユーロ=125円でおよそ88万円)。それを買ったとなると今度は魔法のステッキ2万ユーロ(上記同でおよそ250万円)が必要となる。金額の大小はあるが、こういう地獄はアニメファンならみんな経験している(笑)。これに関しては鬼畜作家の平山夢明が立派なことを言っている。要約すると、昭和50年くらいまでは子どもから取っていい金額の上限は彼らのお小遣いまでと決まっていた。それ以上取るのはおいはぎと一緒でみっともないことだという常識があった。しかしテレビゲームの出現でそれは一気に瓦解した。そこから日本人は、子どもの買い物で3千円も取るのが恥ずかしいっていう感覚がなくなった、と(『ゴミ VOL.2』より引用)。それがエスカレートして今の日本はダメになったと言うことなんだけど、一理あると思う。この日本通を自称するカルロス・ベルムト監督はアニメ商売のえげつない事情をよくわかって描いている。映画と同様に話が意外な方向に行ってしまった。以上、終わり。

<4/19(火) シネ・リーブル梅田、劇場3、座席E−5にて鑑賞>

2016-04-16

Kurobaku2016-04-16

[]COP CAR コップ・カー(米2015 ジョン・ワッツ監督)

この映画、始まってから一番最初のセリフが「ちんこ」。そのあと(順番忘れたが)「ま●こ」「おっぱい」と卑猥語が続く。もうこれだけでこの映画、OK! と何の根拠もなく信用した。

ストーリーは、家出中の二人のガキが森の入り口に停まっていたパトカーを見つけ、いじっているうちにパトカーを動かせることがわかり、それに乗って遊びまわる。ところがそのパトカーは悪徳警官ケビン・ベーコンのもので、彼が死体を森に埋めている間に、ガキどもに奪われたというわけである。しかもパトカーのトランクの中には殺す予定だった麻薬の売人が入っており、ベーコンは必死になってガキの乗ったパトカーを探し回ることになる。

ケビン・ベーコンの演じる悪徳警官がけっこうマヌケで、思ったより怖さや異常性が出ていないのが弱いが、日常の延長線上にある少年の冒険ものという発想は悪くない。クライマックスの銃撃戦になると大人との心理的対決といった要素も出てきて、ようやく緊迫感が出る。あれほどの傑作ではないが、エリック・レッド監督の『ジャッカー』のような路線でわくわくする。

そしてこの監督の今後に期待できるのは、演出が丁寧で優れているところだ。最初のワイド画面いっぱいに広がる荒野を二人のガキがとぼとぼ歩いているショットが素晴らしいし、パトカーを動かすのでも何か一つのきっかけがあってから、動かすというのがちゃんとできている。またパトカーのボンネットの上に置かれたビール瓶一つで、時間経過を観客に分らせたりするのも非凡だ。ラストのパトランプだけでハイウェイを疾走するパトカーのカットも見事で、終わってからもしばらく観客の頭の中でパトカーが走っているかのような後味を残す。こういう映画的な演出ができる人は最近なかなかいないので応援したい。

でも、次回は『スパイダーマン』の新作に抜擢か…才能潰されるな、たぶん。

<4/16(土) シネ・リーブル梅田、劇場3、座席E−4にて鑑賞>

2016-04-15

Kurobaku2016-04-15

[]今週のひとりごと

新しいつまらない映画を見分ける法則を見つけた。映画のタイトルの頭に「劇場版〜」「映画〜」とついていたら、それはきっと映画じゃない。飛ばしてもいいのではないか(笑)。

[]その他の4月に見た映画(上)

博徒外人部隊』(日:東映1971 深作欣二監督)→懲りずに新世界東映へ。前回ゴキブリがいなくなってた、と書きましたが、今回はいつもどおりいてました。やはり季節と関係あるみたいです。さておき。本作は私の大好きな映画で、劇場で見るのは2回目。何回見ても惚れ惚れするほど面白い。まあ、たった七人だけで沖縄の黒社会を制覇するのはウソっぽいけど、それ以外は3部仕立ての構成といい、役者のメンツといい、男くさいハードボイルド観といい、文句なし。最後の、鶴田浩二たちの斬り込みとその散りっぷりが凄まじかった。山下毅雄の音楽も絶品。


『トラック野郎 熱風5000キロ』(日:東映1979 鈴木則文監督)→こちらを目当てで新世界に足を運んだが、あちゃー、真っ赤に褪色したプリントでガッカリ。昔はそれでも我慢して見ていたが、今やデジタル時代なので、フィルム上映の真価を伝えるためにもこういうプリントは即廃棄して、きれいなニュープリントを焼いてもらいたい。というわけで映画の評価もチト自信ないが、これはいまいちだったのでは? 地井武男の北海道開拓にまつわる復讐話と、死んだトラック仲間の幼子をその母親に届ける泣かせ話と、その他せんだみつおの諸々のサイドストーリーがつぎはぎのように並べられた感じで、全体的にまとまりがない。文太とキンキンが別行動(同一画面が少ない)なのもそれに拍車をかける。そもそも暗い因縁の復讐譚と、子どもを使ったメロドラマのカップリングというのが、いつものお笑いを期待している方としては肩透かしである。マドンナの小野みゆき、ライバルの地井武男はよかったんだけどなあ。また文太と小野みゆきの呑みくらべや、牛の乳搾りの会話がセックス中の会話にしか聞こえないという笑わせる場面もあるのだが…。


『あやしい彼女』(日:日テレほか2016 水田伸生監督)→これはもう歌ったり踊ったり泣いたり怒ったり笑ったりする多部未華子をひたすら堪能する映画やね。本当に面白いほどコロコロ表情が変わるのが見もの。意外だったのは、昔よくあった歌謡映画として楽しめる側面で、登場する昭和歌謡が実にいい感じ(韓国オリジナル版を見たときは歌に馴染みがなかったので気づかなかった)。特に「悲しくてやりきれない」はヒロインの苦労する回想場面とあいまってよかった。こういうのはベタな演出を積極的に楽しみたい。また本作のための書き下ろしである「帰り道」という歌もよかった。多部ちゃん、初めてにしてはけっこう歌がうまい。/韓国映画『怪しい彼女』のリメイクだが、そのままうまく日本に移し変えたようで好印象。中国版リメイク『20歳よ、もう一度』は公開済みだが、今年のアジアン映画祭ではベトナム版リメイクも上映されていた(どちらも未見)。ここまで人気のあるコンテンツとは思わなかった。


×『映画 暗殺教室〜卒業編〜』(日:フジテレビほか2016 羽住英一郎監督)→1作目を見たので、仕方なくつきあいで見たがひどいね。CGキャラクター+マンガの実写映画化という2000年代の映画界でもっとも最悪な組み合わせの典型例。『デビルマン』『20世紀少年』『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』…と枚挙暇がない。私に言わせればこないだの『バットマンVSスーパーマン』ですら例外ではない。こんな映画をつまらなくするデジタルCGのために、映画はフィルムを捨てたのかと思うと本当に情けなくなる。登場人物はみんな見た目どおりのペラペラな存在。内面性も奥行きもないので実写でやる必要性は微塵も感じられない。原作はまだ完結していないようだが、ラストの「卒業までに殺せるといいですね」をうまくオチに使ったのだけ褒めてやる(脚本:金沢達也)。