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「お世辞をいうのは、愛情のない証拠です。お世辞をいうぐらいなら、皮肉をいってあげた方が愛情です」(川島雄三)

2016-08-30

Kurobaku2016-08-30

[]ディアスポリスDIRTY YELLOW BOYS(日:エイベックス・ピクチャーズほか2016 熊切和嘉監督)

東京に住む密入国者たちを守る裏都庁の警察組織・ディアスポリスである主人公の活躍を描く原作コミックおよびそのTVドラマシリーズの映画版。

マンガもTVドラマの方も見ていないのでよく知らないが、この映画版もおなじみディアスポリス松田翔太と浜野謙太のコンビが密入国者がらみの事件を解決するというフォーマットは同じようだ。しかし映画が始まってみると、二人が追う凶悪なアジア人犯罪組織:ダーティ・イエロー・ボーイズの二人の中国人(須賀健太とNOZOMU)に比重がかけられていて、主役の松田翔太たちはほとんど傍観者と言ってもいいくらいだ(おそらくTVドラマのレギュラーであると思われる柳沢慎吾などは、前半で出番がバッサリ終わらせる気持ちよさ)。故国の貧しい環境で育った二人が日本に留学するもうまくいかず、反社会組織と関わって誘拐ビジネスを請負う。金ほしさに雇い主のヤクザを殺し、さらに現金輸送車を襲い、最終的には大阪にある裏組織の地下銀行の襲撃を計画する。そういう裏社会に生きる中国人二人の暗黒ストーリーが回想混じりに描かれ、かなり面白い。

前半のアジア人犯罪組織が田舎で一人暮らしする老人の家に押し入ってそこを根城にする設定や、そこで行われる相撲取りみたいなボスの血なまぐさいバイオレンス描写などリアリティがあって凄い迫力。他にも出番は少ないが安藤サクラ演じる大阪のヤクザの女も実際にいるような感じですごくイイ。

それだけにクライマックスの地下銀行の設定が急に絵空事っぽくなり、また金庫の横に都合よく扉があるなど、脚本の詰めの甘さが目に付いたのは残念だ。しかしそれでも虫けらのようなチンピラが一攫千金の大逆転に賭ける暴力まみれの青春という感じが二人の中国人にあり、高級ブティックでいい服を買うも途中で似合わないと思ったのか、道頓堀川に投げ捨て、戎橋の上を駆け抜ける場面にはグッとくるものがあった。

全体的に井筒監督の『ガキ帝国』や『ヒーローショー』といった諸作品やかつての東映セントラル作品および東映Vシネマといったアウトローもののテイストを思い出させる。それゆえに今の若い子にはおっさん臭い懐古映画に見えるかもしれないが…こういうジャンルはどうすれば復活させることができるのだろうか。

最後に、ダーティ・イエロー・ボーイズの中国人・周を演じた須賀健太の迫力ある好演が素晴らしかった。ほとんど原型を留めていないほどのメーキャップ(片目が白い)で、『ALWAYS 三丁目の夕日』の吉岡秀隆んところのガキとはまったく気づかなかった。本当の中国系の俳優だと思ってみていたほどである。それに比べて松田翔太は父親のTVドラマ『探偵物語』や兄貴のTVドラマ『まほろ駅前番外地』を意識したようなところがあるが、ちょっと貫禄不足に思えた。ギプスをしたままのアクションなど面白いのだが、ところどころ青臭さが見えるんだよね。

<8/30(火) なんばパークスシネマ シアター7、座席L−19にて鑑賞>

2016-08-26

Kurobaku2016-08-26

[]8月に見た映画(その2)

『シアター・プノンペンカンボジア2014 ソト・クォーリーカー監督)→アホな女子大生が不良とつきあう青春映画かと思ったら、ポル・ポト政権下のカンボジア映画女優だったヒロインの母親がいかに過酷な運命を辿ったかを描いた作品だった。クメール・ルージュ時代、それまで作られていたカンボジア映画は焼き払われ(1975年以前の映画はほとんど残っていないとの事)、映画人は他の文化人らと同様、強制収容所へ送られ虐殺されたそうだ。その強制収容所のことは深作健太監督の『僕たちは世界を変えることができない。』で少し触れて知っていたが、映画および映画人たちの話は初耳だった。そういった意味で大変有意義で立派な映画だと思うが、不良娘が母親の女優時代の過去を知って、急に歴史や映画に興味を持ち始めるという展開はいささか出来過ぎてて安っぽい。失われた映画の続きを新たに撮影するというのもオリジナリティはどうなるのか、とか余計な心配をしながら見ていた。 <8/19金 シネ・リーブル梅田4、C-6>


×『華魂 幻影』(日:渋谷プロダクション2016 佐藤寿保監督)→ご贔屓の佐藤寿保監督だし、映画館の話だというので期待して見たが、いまひとつであった。そもそも前作の『華魂』もいまいちだったしなあ。河原でレイプされる少女を助けられなかった映写技師のトラウマ話と、映画館が閉館して最後の映画上映を見て関係者が乱れまくるという話との関連性が薄い。映画の中に少女の姿を発見した主人公の映写技師が、フィルムを必死で確認するという前半の展開はちょっとアントニオーニの『欲望』を思い出した。 <8/19金 第七藝術劇場


ゲッタウェイ(米1972 サム・ペキンパー監督)→午前十時の映画祭。2K上映のようだが、画質は悪くない(一ヵ所、最初の刑務所の場面で一瞬画像乱れがあったけど)。困った…俺、この映画なら何度でも見れる。本当に面白い。敵役のアル・レッティリが強そうに見えて実はでくの坊なのだが、まあ、あんな男くさいツラがまえは近頃とんと見かけないので許す。車の中でキレて、チキンを投げ合うところなんか最高におっかしい。それにしても今回見直して思ったのだが、ストーリーはあってなしのごとしで、自由奔放である。そして浮かび上がってくるのは男と女の寓話。昔はマックイーンのガンアクションに痺れて見ていたが、今回は脇役も含めた登場人物の人間くささを楽しんで見ていた。ある程度の齢を取らないとわからない滋味がこの映画には溢れている。ペキンパーなら私は『ワイルドバンチ』よりもこっちの方が好きだ。 <8/22月 TOHOシネマズなんば別館12、I-9>


×『秘密 THE TOP SECRET』(日:松竹、WOWOW2016 大友啓史監督)→死者の脳から生前の記憶を甦らせるMRIスキャナーが発明され、それを犯罪捜査に活用する警察組織が出てくる近未来の話だが、この機械や組織のことを説明するセリフが多くてうんざり。上映時間149分の長尺はこのせいか。それなのに原作に出てこないキャラクターを増やした挙句(原作は読んでいないが)、人間関係を複雑に、秘密めかして入り組ませるので、ますます長ったるく、鬱陶しい映画に。生田斗真は謎に包まれた知的な変人というキャラクターをワイシャツの中にタートルネックを着るというので表現(笑)。新人捜査官の岡田将生は一応主役なのに影が薄く、有能なのか無能なのかもよくわからず。栗山千明のキャラクターなど本当に要るのかと思う。さらに猟奇犯罪者の描き方をはじめ、熱血刑事やらの脇役はいずれもステロタイプで薄っぺらい。いくらマンガが原作とはいえ、これはちょっとヒドいぞ。大友監督は次回の『ミュージアム』も猟奇犯罪の捜査ものみたいだけど大丈夫か? <8/22月 なんばパークスシネマ11、I-6>


『健さん』(日:ガーデングループ、レスペ2016 日々遊一監督)→2014年に亡くなった俳優・高倉健を、生前を知る関係者が語るドキュメンタリー。『単騎、千里を走る』で中国人ガイドを演じた(というか本当にガイドさんだったと聞いた)チュー・リンが案内役になるというアイデアが面白いが、最後まで一貫していないのが残念。彼が新世界東映高倉健の映画を見る場面があるが、健さんが画面に登場すると場内から「ヨ、健さん!」「待ってました」と声があがる。いつの時代の話なんだ(笑)。スコセッシ監督やジョン・ウーらは何の関係があるのかと思うが、かつて高倉健の出演を望んだことがあったが実現しなかったとのこと(スコセッシは来年公開の新作『沈黙』で高倉健を出演させるつもりだった)。他にも『ブラック・レイン』で共演したマイケル・ダグラスなども出てくるが、こういう海外の人たちより、もっと東映の関係者に話を聞くべきだろう。実際多くの人が畏まってリスペクトするのに対し、梅宮辰夫や八名信夫らは健さんの神格化を崩すような面白い話をする。そういえば、高倉健東映やくざ映画に出なくなったのはある宗教家に「たとえ映画の中でも人を殺していると不幸になる」と説教されたから、というような話が出てくるが、それが本当ならバカな話である。どうもこの映画は高倉健の死に便乗した企画で、付け焼刃的な印象は拭えないが、それでもTVのドキュメンタリー番組には出てこないような話もあり興味深い。 <8/26金 第七藝術劇場


×『眼球の夢』(日、米:アレット・トン・シネマ、スタンス・カンパニー2016 佐藤寿保監督)→海洋ドキュメンタリー『リヴァイアサン』のプロデューサーが出資した日米合作の佐藤寿保作品。眼球をめぐる物語であるが、ストーリーがよくわからなかった。目の幻影肢もピンとこない。ジャンル的にはホラーのような、ポルノのような感じなのだが、どっちつかず。もしかして芸術映画か。歩道橋でのゲリラロケ(?)は初期のピンク作品を思い出させるが、あれほどのパワーはもうなく、自己模倣しているような印象。眼球舐めは鈴木清順が先にやっていたので驚かず。眼球破壊にしても『アンダルシアの犬』とは言わないまでもせめて『サンゲリア』ぐらいの衝撃は欲しかった。あと第七藝術劇場は夜一回のレイトショーで、先週は『華魂 幻影』、今週は本作という形で公開したが、十三に2週続けて足を運ばなければいけないこっちの身も考えてくり(笑)。 <8/26金 第七藝術劇場

2016-08-06

Kurobaku2016-08-06

[]ロスト・バケーション(米2016 ジャウマ・コレット=セラ監督)

見逃しているのだが、前に『フローズン』という映画があった。スキーに来た若者が乗っているリフトを途中で止められ、その上で一夜を過ごすというサバイバル映画である。見た人に聞くとリフトの下にオオカミが集まってきて、襲いかかるそうだ。本作はそのサメ版で、誰もいない秘密のビーチへサーフィンしに来た女性が、サメに襲われ、たどりついた岩礁でたった一人サバイバルするという話。一度噛まれているので傷口から血液はどんどん流れ出るし、おまけに満潮になればその岩場は海の底へ沈む。回りには襲ったサメが彼女を狙って回遊している。もちろん脱出しようにも船もなければ、携帯もない。なかなかよく考えられた絶望的シチュエーションである。

ヒロインはそれでも医学生としての知識を使って傷を応急処置したり、腕時計のストップウォッチでサメの周回するタイムを計ったりする。前半に登場する何気ない小道具が後半で役に立ったり、サンゴやクラゲといった彼女を邪魔立てする存在が後半でうまく活かされたり…という映画ならではの仕掛けがいくつもあり、脚本が実によく練られている。

『蝋人形の館』の監督(どうでもいいけど、この監督の名前ジャウマは以前、「ジャウム」と表記されていたはずだが、どうなってるの?)なので、クジラの腐乱死体に掴まるときのドロドロの気持ち悪さや、傷口を縫い合わせるときの直接描写など手加減がなく素晴らしい。またラスト近くのヒロインとサメとの1対1の死闘はこれまた『ラン・オールナイト』の監督らしく、手に汗握るたたみかけで思わずヒロインに「ナイスファイト!」と声をかけたくなる。

ヒロインのブレイク・ライブリーはそれほど美人でもかわいくもないんだけど、スタイルがよく、水着からのびた長い脚を見せてくれる。ちなみにこの映画、ほとんど彼女の一人舞台である。

ちょっと最後の方、ブイを留めてある鎖を切ると海底に引き込まれる仕様になっているとか普通は知らないだろうから御都合主義的な感じがしないでもないが、まあ、許せる範囲かな。『激突!』とかそういった昔からある、ワンアイデアだけで勝負をかけた、正しいB級アメリカ映画の血統を引き継いだ映画で、じゅうぶん楽しんだ。

<8/6(土) なんばパークスシネマ、シアター9、座席H−4にて鑑賞>

2016-07-26

Kurobaku2016-07-26

[]その他の7月に見た映画

×『ふきげんな過去』(日:東京テアトルほか2016 前田司郎監督)→エピソードや会話は部分的に面白いけど、ストーリーは脈絡がなく散漫な印象。私には何がやりたい映画なのかさっぱりわからなかった。昔から思っているのだが、小泉今日子ってアイドルのイコンではあっても、映画女優としては何の魅力も感じないのな(『快盗ルビィ』みたいな使い方はハマるが)。二階堂ふみも最近は不発ばかり。TVに出るとやはりダメになるのでは。<7/1金、なんばパークスシネマ・9>


『教授のおかしな妄想殺人』(米2015 ウディ・アレン監督)→生きる希望を失っていた哲学科の教授(ホアキン・フェニックス)が、完全犯罪を実行して生を取り戻すも、教え子の女学生(エマ・ストーン)に見破られ…というブラック犯罪コメディ。ヒッチコック風の犯罪ものに哲学ネタの蘊蓄を混ぜたようなアイデアは悪くない。しかし淡々と流すような味気ない進行で、いつもウディ作品はこんなんだっけ、と首を傾げる。それでも女優に対するこだわりはさすがで、エマ・ストーンは魅力的に描けていた。<7/1金、なんばパークスシネマ・3>


『スティーヴ・マックィーン その男とル・マン』(米、英2015 ガブリエル・クラーク、ジョン・マッケンナ監督)→脚本未完成のままのクランク・イン、ジョン・スタージェス監督の途中降板、予算や撮影日数の大幅な超過、撮影中のスタントマンの死亡事故…マックイーンは途中で製作権を剥奪され、自ら興したプロダクションも倒産する。つまり『栄光のル・マン』は『地獄の黙示録』や『天国の門』などと同様の厄災映画の一本だったということがわかるドキュメンタリー。ただこれ、再現イメージ映像がやたらカッコつけててドキュメンタリーとしてはかなりダサい。<7/7木、シネマート心斎橋・1>


『忘れえぬ慕情』(仏、日:松竹1956 イヴ・シャンピ監督)→珍しいフランスと松竹の合作で、シャンピ監督と岸恵子が結婚することになったきっかけの作品。舞台は日本の長崎。造船技師のジャン・マレーと呉服屋の娘;岸恵子は婚約していたが、マレーの昔の恋人のルポライター;ダニエル・ダリューが追いかけてきて、三角関係になる話。フランス人の恋愛観(マレーの「どちらも愛している」、ダリューの「恋愛はゲーム」的考え)と、日本人のそれとの違いがうまく描けている。クライマックスの台風上陸場面は、この映画の売りの一つで、公開当時、特殊技術賞を受賞している。確かに本物の台風にしか見えない。また後に007で憎たらしい悪役ゴールドフィンガーを演じることになるゲルト・フレーベが、この映画では親日家の心優しいスイス人を演じていて驚いた。<7/14木、シネ・ヌーヴォ>


『疑惑のチャンピオン』(英2015 スティーヴン・フリアーズ監督)→実話の映画化。ツール・ド・フランスで7年間連続チャンピオンになったランス・アームストロング(ベン・フォスター)がドーピングをやっていた事実を暴くルポライター(クリス・オダウド)の話。隠す側と暴く側の激しい攻防! それにしてもこういうのが平然と行われていると知ると、オリンピックをはじめ多くのスポーツ競技が無意味なものに思えてくるなあ。<7/15金、シネ・リーブル梅田・4>


『セトウツミ』(日:ブロードメディア・スタジオほか2016 大森立嗣監督)→脚本もええし、役者もええし。つまり何も考えんで面白いんやけど、映画ってこんなんでホンマにええのんか? と逆に不安を感じてしまう。さすがに2時間は持たないので、1時間15分にしたのは正解。当初、二人が延々に河原で喋るだけだと思っていたので、他の登場人物が出てきたり、二人が出会うまでの話があったりするのは意外だった。逆に固定カメラでじっと二人だけを撮るというストイックな映画も見てみたかった気もする。一話15分ほどの深夜テレビの連続ドラマでやったら、きっと毎週見てしまう。<7/15金、テアトル梅田・1>


『ターザン:REBORN』(米2016 デヴィッド・イエーツ監督)→REBORNも何も、これ時制をいじっているだけで、普通にターザンの物語だよな。なぜ今さらターザンなのか? 日本でも今さら真田十勇士をやるくらいだから、古典は定期的に復活するのだろう。これまたなぜかS・L・ジャクソンとクリストフ・ヴァルツの二大タランティーノ系俳優で脇を固めているが、悪役のヴァルツはあまり冴えず。最後死ぬのでも、ちゃんとエゲつなくワニに喰われるところまで見せてほしいが、家族向け映画で遠慮したのか。一方のS・L・ジャクソンは久しぶりにノリノリで演技を楽しんでいる風。ジェーン役のマーゴット・ロビーは今度の『スーサイド・スクワッド』ではっちゃける予定。それにしても予告編で、主演のターザン俳優に「安心シテクダサイ、ハイテマスヨ〜」と流行のギャグを言わせる日本の配給会社よ…。<7/20水、大阪商工会議所・国際会議ホール(試写会)>


『ONE PIECE FILM GOLD』(日:集英社ほか2016 宮元宏彰監督)→ゲストヒロインのカリーナの声を満島ひかりが担当。2015年のTVドラマ版『ど根性ガエル』でピョン吉の声を演じて好評を得た彼女だが、本作でプロの声優(ナミ役の岡村明美)とからんでいるのを見たら、劣っているのがはっきりわかる。声量が足りないのかな。それでも「シシシ」と笑うのはなかなかかわいかったが。映画の出来は別にいつもどおり。<7/26火、なんばパークスシネマ・7>


『シング・ストリート 未来へのうた』(アイルランド、英、米2015 ジョン・カーニー監督)→『ONCE ダブリンの街角で』『はじまりのうた』と音楽をテーマにした映画で良作を連打したカーニー監督が、今回は自分の高校時代のバンド話を元にして作った一本。80年代中頃に流行ったMTVに影響を受けて、仲間たちとプロモーションビデオを作るエピソードなど懐かしかったり、微笑ましかったり。規則づくめの学校の体制、貧しく荒んだ家庭…など閉塞的なアイルランドの環境と、それに対する主人公の鬱屈感、反発心がよく描けている。ただこういう題材の青春映画はわりとありふれているし、大人を主役にした前2作と比べ、こちらはさすがにガキっぽい気がして、少々落ちるように思った。オリジナル音楽はやはり優れている。<7/26火、シネ・リーブル梅田・1>

2016-06-17

Kurobaku2016-06-17

[]素敵なサプライズ ブリュッセルの奇妙な代理店(オランダ2015 マイク・ファン・ディム監督)

母親を亡くした億万長者が、生きる希望をなくし、偶然知った自殺請負業者に自分の殺人を依頼する。けれどもその店で知り合った女性と恋におち、自殺を取りやめるように頼むが、一度契約したらやめれないと言われ…という話。ちょっとしたブラック短編みたいな感じだが、似たような話にアキ・カウリスマキ監督の『コントラクト・キラー』(1990)という先行映画がある。そちらと比べると、ちょっとこっちの方が弱いかな。

ネタバレになるけど、恋に落ちる女性が実は代行業者の娘で、殺し屋だった、というのはどんでん返しのつもりかもしれないけど、逆に物語を無難に閉じていく方向性がありありで面白くない。もっとこっちの予想を斜め45度の角度で飛び越えていくようなサプライズ展開がほしかった。まあ、言うは易しだけど(笑)。

また演出的なことでいえば、後半、主人公の屋敷と財産が弁護士の陰謀で危うく手放すことになりそうな展開がある。売却契約をとりやめるのにタイムリミットが設けられているので、これがハリウッド映画なら、主人公が役所に駆けつけるまでに様々な妨害を入れて大いに盛り上げるところだろうけど、このオランダ映画は一応、妨害要素を入れつつも演出的にはちっとも盛り上げる気がないようで、すごく中途半端な印象を受けた。なんかいつのまにか間に合っていた、みたいな処理。特に金属探知機のところなど丁寧に伏線まで張ってあったのに、引っぱらずに軽くスルー。うーん、そんなのでいいのか。

ただ、主役の億万長者を演じるイェルン・ファン・コーニンスプルッヘは目つきの悪い、癖のある顔の俳優で、少し変人であるこの主人公にぴったり。ヒロインのジョルジナ・フェルバーンも一見どこにでもいるような普通の女性なのだが、時おり可愛く見えたり、艶っぽく見えたりする不思議な女優さん。ハリウッド映画にありがちな美男美女を使っていないのがヨーロッパ映画の魅力である。

あと日本の配給会社が「言語によって字幕を色分けしています」みたいな試みをしていたけど、実際見てみたらそれほど分量が多くないので、従来どおりメイン言語以外は丸かっこで閉じるとかで別によかったと思う。

<6/16(木) なんばパークスシネマ シアター1、座席J−4にて鑑賞>

2016-06-01

Kurobaku2016-06-01

[]HK 変態仮面 アブノーマル・クライシス(日:東映ビデオほか2016 福田雄一監督)

2013年に公開された『HK 変態仮面』の、まさかの続編。前作は変態仮面の名に恥じぬ、鈴木亮平がほとんど全裸の恥ずかしい格好でヒーローを演じていて、ビジュアル的なインパクトが強かった。またヒーローものの画期的なパロディとしても大いに楽しんだ(変態行為をしないと正義の味方に変身できないという矛盾、偽者の方がより上の変態だとかいう設定に笑った)。

けれども今回はこっちにももう変態仮面に免疫ができて(笑)、多少のことには驚かなくなっているし、パロディとしても、『スパイダーマン2』のパロディになっているくらいで(あと『ヤッターマン』もあったか)、ほとんど新しい工夫が感じられなかった。

新しいことといえば、今回は柳楽優弥がゲスト的な役回りで悪の怪人を演じている(おそらくTV『アオイホノオ』で福田監督と一緒に仕事をした関係で、か)。こんな仕事でもキチンと演じてくれるところは偉いが、せっかく主人公の彼女に横恋慕する役にもかかわらず、主人公たちとからむ場面が少なく、演技派の実力を生かせられなかった恨みが残る。どちらかといえばエロで誘惑する教師役の水崎綾女の方が目立っているのだけど、どっちをメインにするかといったら、柳楽クンの話でしょ! ムロツヨシ、安田顕(そして今回は出てなかったが佐藤二朗)のオフザケもずっと福田作品を見ているとそろそろ目に余ってきたので、そこを少しカットしてでも柳楽クンの(お約束ではあるが)悪に堕ちる葛藤のドラマを入れてほしかったと思う。

あと、前作のラストでもしょぼい安CGの巨大ロボットと対決していたが、安CGは見栄え的に汚いのであまり使わない方がいいと思う。それなのに今回は『スパイダーマン2』のパロということもあって、ニューヨークの摩天楼対決や、最後の柳楽クンとのバトルなどでふんだんに使っていた。あのね、基本的にこういう話だし(笑)、ましてや昭和の特撮ヒーローもののお膝元である東映(厳密には東映ビデオ)作品なので、チープなシチュエーションは承知の上だ。だからCGなんか使わなくてもいいので、もっと手作り感覚のチープさを突き詰めてほしかった。例えば皆川猿時演じるバキューム怪人のくだりなどはその変態的な着ぐるみも含めて、けっこう好きだったのだが。なんか最近『テラフォーマーズ』や『神様メール』のところでも書いているが、私はアンチデジタルCG派なんだなあ、とつくづく思う(あわてて書くけど、全否定ではないよ)。

ちなみにほぼ満席の場内は女性の姿が目立った。よく考えたら水曜はレディース・ディだったが、それにしてもこれを見に来るか、君ら。

<6/1(水) なんばパークスシネマ シアター9、座席H−5にて鑑賞>

2016-05-19

Kurobaku2016-05-19

[]あのひと(日:松竹撮影所2014 山本一郎監督)

戦時中の1944年に織田作之助が書いたとされる未映画化脚本を、松竹のプロデューサー山本一郎が自らメガホンをとって自主映画化した作品とのこと(樋口尚文の千夜千本 第63夜「あのひと」参照)。見ようかどうしようか、迷っていたのだが、大阪市交通局がタイアップしていて、PiTaPaを見せたら1100円で見られるというので、見た。

内容は戦死した上官の遺児を、四人の部下たちが育てていて、町の人たちもそれに手を貸すといった明朗な人情話なのだが、どんどん男たちが消えていく展開や、四人の女たちが揃って体操をしたり、歌を歌ったりする場面など、どこか薄気味悪さが立ち込めている。

中でも舞台設定が、一見、脚本が執筆された当時の太平洋戦争末期のようでいて、現代と地続きであるようなSF的演出が施されていて、不気味さに拍車をかけるのに成功している(ロケ場面で自動車やアスファルトなど明らかに現代のものが映る、カレンダーに昭和88年と書いてある、等)。

ただ、メタ映画的なラストも含め、どこまでがオダサクの脚本どおりなのかを考えると、首を傾げるところもある。そのままでもじゅうぶん「ほのぼのとした設定なのに、なぜか恐い(チラシより)」のなら、そういう演出は不要だったのではないかという思いも頭に浮かぶ(セリフは一切変えていないとのことらしいが)。また神戸浩の役など明らかに狙いが過ぎるところがあり、もっとメジャーな俳優が普通に演じていた方がよかったような気もする。

役者に関しては、主役の男女8人は劇団とっても便利の役者たちだろうが、やはりどこか小劇団っぽさが漂う。子役が極端に下手なのも困りもの。その点、田畑智子は好演で、劇中若いのにババアと呼ばれているが、ババアというあだ名なのか、本当は歳をとった役者が演るべきなのか、よくわからなかったが、それでもうまく演じていた。

ちなみに川島雄三監督のデビュー作として知られる『還って来た男』は同じ1944年に織田作之助の脚本を映画化したものである。川島の回想によると軍の検閲があって、思うように撮影できなかったとのこと。『還って来た男』は昔見ているけど、ほとんど記憶にない。ただ軍部を批判した内容ではなかったと思うし、もちろんSF要素などなかったように思う。果たして本作『あのひと』の脚本は本当に、今回の映画化のように、戦時下の不気味さを描いた作品だったのだろうか。読んで確かめてみたくなる。いずれにしろ1944年当時に映画化されていたらどんな風だったろう、とか興味はつきない映画ではある。

<5/19(木) なんばパークスシネマ シアター1、座席J―6にて鑑賞>

2016-03-26

Kurobaku2016-03-26

[]家族はつらいよ(日:松竹ほか2016 山田洋次監督)

『東京家族』の続編かと思ったら、微妙に設定が変わっていて、パラレルワールドみたいなものだろうか。そういえば前作で吉行和子は死んでたもんな(笑)。しかし家族構成は同じで、ありものから一本作ったという手抜き感は拭えない。

離婚の危機を迎えた老夫婦の話と言っても、山田洋次のこの手の喜劇で、離婚が成立するわけがない出来レースなのは、観客もわかっている。わざとらしい空騒ぎを俳優たちがまた大げさに演じる。特に小林稔侍や西村雅彦、林家正蔵のくさい芝居には、見ていて辟易した。それでもほぼ満席のお客さんは随所で笑ってくれるのだから、ラクチンな話だ。

一ヵ所。橋爪功が倒れたあと、動転した吉行が二階で気を静めていると携帯が鳴り、取るや否や少年野球の状況を知らせる孫の元気な顔のアップになるという編集の呼吸など、思わず涙腺が緩む、さすがのベテラン職人らしい技だが、あくまで部分点。全体的にふやけた出来なのは変わりない。

何より本気で作っていないなと思ったのは、映画のあちこちに『東京家族』や「男はつらいよ」のポスターやらDVDやらが登場すること。いったい何の目配せなのだ? 松竹や山田のファンが目ざとく気づいて、何か反応でもしてくれるとでも思っているのだろうか。それはファンサービスではなく、ただの甘えである。

<3/26 なんばパークスシネマ、シアター8、座席K-6にて鑑賞>

2016-03-21

Kurobaku2016-03-21

[]ヘイトフル・エイト(米2015 クエンティン・タランティーノ監督)

ウルトラパナビジョン70方式は日本のシネコンでは上映できないってんで、シネスコサイズに上下黒入れて、いつもより細い横長の画面で上映していた。けど、パナビジョン70で、よりによって密室劇とは、なに考えてるんだ、タランティーノ? まあ、前半の雪景色とか綺麗だし、後で種田陽平の徹底して作りこんだセットや小道具を大画面で見るという意見も聞いたけど…舞台劇をかぶりつきで見る贅沢ってことかな。それでも普通の発想的には『釈迦』とか『戦場にかける橋』とか…それこそセルジオ・レオーネ監督の『ウエスタン』とかスペクタクルや活劇を70mmシネマスコープにすると思うんだけど。もっとも最近気づいたのだが、タランティーノってB級映画好きとかで知られるけど、本当はアクション活劇はそれほどやってなくて(本格的なのは『キル・ビル』ぐらい?)、やっぱり脚本家としての才能の方が大きいんじゃないのかな、と思い始めた。

しかしその脚本家としての才能も、近年は衰え始めているのでは? と思うことがしばしば。今回も一見、犯人当てミステリーのような体裁をとっているけど、あまり意味はない。だって、誰が女賞金首(J・ジェイソン・リー)の共謀者であっても不思議でないからだ。だいたい探偵役のサミュエル・L・ジャクソンすら、理不尽に挑発するやり方で南軍の元将軍(ブルース・ダーン)を殺すような悪人だから、感情移入のしようがない。カート・ラッセルが探偵役をするのが一番自然なのだが(それこそオマージュを捧げた『遊星からの物体X』のあの場面のように)、ジャクソンに仕切らせるからおかしなことになる。つまり本来なら「この人は絶対犯人ではありえない」というキャラクターが何人かいないとダメなのだが、ここでは誰もが怪しくて、誰もが普通に犯人でありえるから、観客は誰も本気で犯人探しなんかする気にならないというわけだ。タランティーノは推理小説とかマトモに読んだことあるのかしらん。

(ここからネタバレになる)だから床下から新たな犯人が出てきても驚きにならない。これが伏線でも張っていればまた別だったかもしれないが。単にああ、タラちゃん考えたんだな、と思う程度である。そして一番衰えたなと思ったのは、得意の時系列転倒シナリオが思ったほど鮮やかでなかったことだ。この時系列転倒でわかったのは先にミニーの紳士洋品店に居た四人が全員グルだったって真相。ひょっとして『オリエント急行殺人事件』?…かどうかはさておき、結局種明かしで終わってしまっている。かつてのタランティーノだったら、それを利用して、回想後はまた新たなサスペンスが始まったはずだ。例えばマイケル・マドセンは一味だと観客は知っていても、まだジャクソン側にはわかっていない。テーブルの下の拳銃もしかり。観客だけが知っている真相を利用して、またハラハラドキドキが起こる。こういう面白さがかつての『レザボア・ドッグス』にはあった。

けれどもジャクソンは最初からマドセンを一味だと疑っているし、何のためもなく撃ち殺す。どうした、タランティーノ! と思う。種明かしの意味がまったくないじゃないか。かような理由で、私は本作をあまり優れた作品とは思えなかった。

…しかし今回私は、本作を高評価で見た人の感想を聞く機会があり、それによると「なるほど」と思うところがあったのでここに記しておきたい。

これまでのタランティーノ映画には黒人差別を中心とする人種問題ネタが繰り返し使われてきた。当初はそれがバイオレンス映画におけるスパイス程度だと思っていたが、近年の『イングロリアス・バスターズ』以降はそのスパイスの方が表立ってきた。本作でも南北戦争直後のワイオミングが舞台で、リンカーンによる北軍の奴隷解放が物語の重要な背景となっている。ただ本作はこれまでの『イングロリアス〜』や『ジャンゴ 繋がれざる者』における幼稚でわかりやすい正義感で描かれた「人種差別問題」よりも、ずっと高度に複雑化して描かれている、というのだ。

そう言われてみれば思い当たることがたくさんある。

例えばタランティーノ作品における残虐な暴力描写は今に始まったわけではなく、これまで幾度も描かれてきた。元々スプラッター映画やバイオレンス映画が大好きな私は、ある種の爽快感を持ってそれらを見てきた。時にはゲラゲラ笑いながら見てきた。しかし本作のそれはどこか陰湿で、そういった爽快感はほとんど感じなかった(ラッセルが血を大量の吐くところは、そのやりすぎに笑ったけど)。

それはサミュエル・L・ジャクソンが主人公であるにも関わらず、黒人をバカにする人間は容赦なく殺してもいいと本気で思っている逆差別主義者であるところが大きい。先にもブルース・ダーンの殺し方を理不尽だと書いたが、その直前の、よく映倫を通過できたなあと思う、ブルース・ダーンの息子を雪の中フルチンで引き回した挙句、フェラをさせて撃ち殺す回想(?)場面には不快感を覚えた。いつもなら「クールなジョークだ」と笑いたいところだが、今回は明らかにやりすぎで笑えないのだ。娯楽映画の範疇を超えていると言ってもいい。

またそれは、あの対立していた元北軍のジャクソンと、元南軍のウォルトン・ゴギンズが手を組んで女賞金首を殺し、嘘のリンカーンの手紙を読んで、笑いあって死を待つというラストを見てもわかる(ちなみにこの部分も『遊星からの物体X』のラストからの引用だったりする。使い方が巧みではあるが)。

表面的にはハッピーエンドに見えなくもないこのラストが、私には実に後味が悪かった。大の男が二人がかりで一人の女を吊るすような真似をしておいて、敵対する両者が和解するというのは強烈な皮肉ではないか。吊るされるのが女性だというのもあるが、法の下での刑罰ではないので、これは紛れもなく「私刑」であり、後味がよくないのは当然だ。これは明らかにこれまでのタランティーノ映画のラストとは違う、嫌な感じが残るラストだった。

さらに時系列転倒の回想場面で、執拗に描かれるミニーの紳士洋品店で働く人々の大虐殺。罪もない人たちが虫ケラのように殺されていく不快な場面だが、実は一見平穏に普通の生活を送っている人たちも「チカーノと犬はお断り」という看板を店内に飾るくらい人種的偏見を持っていたと描かれていた。極端な逆差別主義者のS・L・ジャクソンなら殺してもいいということになる。このような煮え切らない、なにかいや〜な残留感がそこかしらに仕掛けられているようにも思える。

これらのことを考えれば、本作がこれまでのタランティーノ映画での単純な人種問題の扱いより、はるかに複雑な、人間の善悪にまで踏み込んだ人種問題に対する洞察が感じられるのは確かである。そしておそらくタランティーノは中東諸国に対するアメリカの対応やイスラム国によるテロおよびヨーロッパの難民問題、ヘイトスピーチなど今、世界中で増殖している民族間の憎しみ、不寛容を念頭に置いて本作を作ったのではないかのではないかというのである。

正直、私はタランティーノの映画にそこまで深いものを求めていなかったので、この読み解きにはちょっと虚を衝かれた。これまでのタランティーノ作品と違う、というのは感じられたが、それを娯楽性の面から考えて失敗作だと判断してしまった。しかし負け惜しみを承知で言うが、重いテーマを扱ったら、娯楽性の方がお留守になるようではまだまだ脚本家として甘い、とも言えないでしょうか(笑)。

ところでタイトルの「8人」って誰のことよ? 御者も入れたら9人じゃね? またタランティーノの監督8作目という意味もあるらしいが、オムニバスの中の1本『フォー・ルームス』や2部作に分かれた『キル・ビル』はどう計算するの?

<3/21 なんばパークスシネマ、シアター3、座席H-6にて鑑賞>

2013-03-17

Kurobaku2013-03-17

週刊エイガデイズ 【復活第4回 2013年2月15日〜3月1日】 


米アカデミー賞が発表されました。今年は圧倒的な優秀作品が賞を独占するというのではなく、仲良く賞を分け合う結果になった、と言われています。けどよく見てみると作品賞にノミネートされているうち『ハッシュパピー』だけはまったく無視されてますよね。まだ私は見ていないので何とも言えませんが。

で、作品賞の『アルゴ』。脱出するときの盛り上げ方が古くさいとかいう批評もありましたが、私はこういうのん大歓迎。本来の映画的サスペンスってこういうものだと思う。ベン・アフレックはよく映画を勉強しているっていうか、他があまりに勉強していないんだよ。そういえば、この映画『猿の惑星』のメーキャップ師ジョン・チェンバースをはじめとする当時の映画人を讃えた作品でもあった。冒頭ワーナー・ブラザースのマークが当時のロゴマークで始まるっていうのもそうだけど、こういうのはやっぱり嬉しいです。ただ私がこの映画を全面的に推せない理由は、やはりアメリカがイランにしたことを考えるとね。もちろんアフレックはフェアな人で、黙っていればわからないのに冒頭で全部アメリカがやったことを洗いざらい説明している。そこは偉い。しかし、それでも最終的にはイラン人を出し抜いて、彼らをコケにしている映画というのには変わりがないわけで、そういうものにアカデミー作品賞をあげるっていうのはやはりアメリカ人によるアメリカの映画の賞だなあ、と思う。それでも『レ・ミゼラブル』みたいな愚作を作品賞にするよりはずっといいけどね。


★今週の当たり玉

・『つやのよる ある愛に関わった、女たちの物語』(日:東映ほか2013 行定勲監督)

「当たり玉」といってもそんな滅茶苦茶面白かったわけではないが、今週見た新作の中ではまあ一番よかった、ような…気がする。

井上荒野の原作は短編連作集なのかな? 一種のオムニバス(5話)である。つやというオトコ関係に奔放に生きた女が病に倒れ、危篤状態になる。つやの最後の夫(阿部寛)がつやの昔の愛人やその家族たちに連絡をする。その連絡が行った先々で波乱を起こしていく、という構成。

1話目はつやの従兄の小説家・羽場裕一が授賞式の会場で、羽場の妻である小泉今日子と、羽場の愛人である荻野目慶子がワインをかけ合い、掴みあいの喧嘩をする話。80年代に活躍した二代女優が争うという趣向が素晴らしい。

2話目は不動産屋に勤める野波麻帆が会社の社長である渡辺いっけいと不倫の関係を持ちつつ、顧客であるつやの元・夫の岸谷五朗とも関係して、その間を行ったり来たりする話。岸谷五朗が和服姿の引きこもりの変人という演技が見ものであるが、野波の脱ぎっぷりもなかなかよろしい。しかしここまでの2話はほとんどつやの本編と関係がない。

3話目はつやと不倫し、自殺してしまった男の妻・風吹ジュンの話で、自分の知らない夫の正体を確認しに、伊豆大島の阿部寛の元を訪ねていく。こういうさまよえる風吹ジュンが出てくると阪本順治監督の『魂萌え』とかつい思い出してしまうが、またこういう役がけっこうハマっている。

4話目はつやがストーカーしていた大島でスナックをやっている色男(永山絢斗)と現在のカノジョ(真木よう子)の話。このあたりで島の住人の話になるけど、あまり印象なし。真木はもっと頑張れ。

5話でようやく危篤状態のつやがどういう人物で、連絡をしていた阿部寛がどういう男なのか、関係や経緯がすべてわかる。大竹しのぶと忽那汐里の母娘関係がまた『オカンの嫁入り』を彷彿させたりして。忽那と大学教授・奥田瑛二とのエピソードも面白い。

結果的に画面にはっきり出てこないつやの物語と見せかけて、実はつやはそれほど重要ではなく、どちらかといえば阿部寛の方に比重が置かれているような気がする。またその他のエピソードも男女のどうしょうもない愛欲関係を描いているという共通点はあるものの、一つ一つの物語の結びつきはまったくと言っていいほどなく、正直私にはピンとこなかったのが実際のところだ(田畑智子のオマケのエピソードなんか不要な気もするが…)。

しかし、登場する女優たちの過去の作品を含めたキャラクターの使い方の妙、そして大島の地層断面を背景に自転車を走らせる阿部寛のイメージや、ママチャリに乗った渡辺いっけいと野波が会話する深夜のボーリング場裏とか、場所の映像的イメージが豊かでその連なりを見ているだけでなにかいい気持ちになった。エンディングに流れるクレイジー・ケン・バンドの主題歌「ま、いいや」を聞いていたら、多少納得いかなくても「まあ、いいか」って気になってごまかされたかも(笑)。でも久しぶりにこの監督のいい面が出た作品だと思う。

<2/17 なんばパークスシネマ シアター3、H−7にて鑑賞>


★今週の当たり玉2

●特集「ロバート・アルドリッチ監督回顧上映」inプラネット+1 2/1〜3/31

雑誌『映画論叢』29号で、永井啓二郎という人がプラネット+1のことを、東京でもやらないような珍しい映画を上映しているのにいつでも空いていて、結局東京の後追い番組しか客は入らないのだろう、みたいなことを書かれていたが、私からすれば「ま、一度でいいからプラネットに行ってみてよ、話はそれからだ」と言いたい。椅子とか部屋の広さとかいった設備のことまで、私はこの私設映画館に求める気はないが、ここで上映されるフィルムはほとんどが16ミリで画質は荒く、カラー作品は褪色していることが多い。ときにシネスコやビスタの作品でもスタンダード焼きだったりする(テレビ局の映画番組用に焼いたプリントだと私はにらんでいる)。昔は日本語字幕なしだったが、最近はスライド投写方式で付くようになった。しかし音声はそれほどよくない。いつも言っているように家のテレビで見るDVDに負けるようでは今の時代は生き残れない。

それでもこの劇場が家のDVDに勝っているところがあるとすれば、DVDにもなっていないような珍しい作品を上映してくれたり、映画作家ごとにまとめて特集上映してくれることだろう。今回の2ヶ月にわたって行われる「ロバート・アルドリッチ監督回顧上映」の全15本は、チラシによると全監督作品の半数だそうである。『カリフォルニア・ドールズ』『合衆国最後の日』のリバイバル上映に便乗した「後追い上映」であるが、映画ファンならこの機会を逃す手はないだろう。会員になれば4回券3千円というのもリーズナブル(一本750円)で、私も4回券を買って利用してみた。


一本目は『傷だらけの挽歌』(1971)。キース・キャラダインが出てこないので、おかしいな、と思って見てたら、そっちはロバート・アルトマン監督の『ボウイ&キーチ』(1974)だ。オーディションの面接でアルドリッチとアルトマンを間違えたローレン・ランドンのことを私は笑えません(『ロバート・オルドリッチ読本1』参照)。もっともどっちも見たことがなく、1930年代のギャングものという共通イメージだけで捉えているので無理もないか。で、初見の『傷だらけ〜』なのだが、いやあ、凄い! たまらん! 面白い! 『カリフォルニア・ドールズ』で感じたなにかしらの物足りなさが、こちらではバッチリ解消。これがアルドリッチだよね! アルドリッチの映画を見ていつも印象に残るのは、役者のすさまじい形相である。『攻撃』のジャック・パランスの最後の死に顔。『何がジェーンに起ったか?』のベティ・デイビスのギョロ目をむいた顔。『北国の帝王』の車掌アーネスト・ボーグナインのギラギラした顔…。この『傷だらけ〜』では監禁されたキム・ダービーが凄い顔して泣き叫ぶ。たまりません。またギャング一家の悪環境がちゃんと再現されていて、役者の額にしたたる汗から蒸し蒸しした湿度の高さが確実に画面から伝わってくる。これまたたまらん。そしてあの最後のやるせないラスト。画質は劣化していてあまりよくなかったけど、こんなに面白ければまあ、いいか。

2本目は『ワイルド・アパッチ』(1972)。こちらも、もうヒイヒイいうほど面白い←(C)殿山泰司。1994年、私がニューヨークへ行ったときにあちらの名画座でロバート・アルドリッチ特集をやっていた。そのときに見たのが『アパッチ』(1954)。こちらはインディアン居住区を逃げ出すアパッチの役をバート・ランカスターが演じていたのだが、ランカスターが出てくるなり、場内で笑いが起きた。確かに今見たら白人のランカスターがインディアンの格好をしているだけなので、笑ってしまうよね。で、本作はアルドリッチ=ランカスターのリベンジ作なのか。堂々とリアルな、アパッチ族のインディアンが登場する。ただしリアルといっても歴史的にどうなのかはわからない。何しろ、この脱走アパッチたちは相手の生命力を自分のものにするという理由の元に、凄まじい残忍さで、白人を次々血まつりにあげていくのだ。女とみるやレイプ。ある白人などは彼らから逃げられないとわかるやいなや、自分の頭を撃って自殺する。それほどアパッチ族は恐ろしい存在だと描かれている。そういう脱走アパッチ追跡の任務に騎兵隊の青年中尉ブルース・デイビソンが就く。ブルース・デイビソン! 『傷だらけの挽歌』のキム・ダービーに続き、アルドリッチはなぜか『いちご白書』の二人を別々の映画に使った。ただの偶然か否か。さておき、デイビソンだけでは頼りないので、インディアン社会に精通した白人のプロフェッショナルを追跡班に同行させる。これがバート・ランカスターの役。逃げるアパッチ役から、追う白人の役に、というのが心憎い仕掛けである。そして始まる追跡劇だが、ここからはもう知恵くらべの頭脳戦である。昔東映で『忍者狩り』という面白い映画があって「忍者に勝つにはこちらも同じくらい非情にならなければならない」みたいなセリフがあるのだが、あれを思い出した。アパッチに勝つにはこちらもアパッチと同じくらい非情にならなければ勝てません、だ。アパッチに移動手段を与えないためとはいえ、馬がこれほど殺される西部劇はない。とにかく徹底した娯楽映画でありながら、最後にはちらりと人種問題や製作当時のベトナム戦争問題のことまでのぞかせる。このあたりのアルドリッチは本当にどうかしていると思うくらい天才。

3本目は今まで見たい見たいと思って叶わなかった『飛べ!フェニックス』(1965)をついに見た。リメイクの方は見ているんだけどね。砂漠の真ん中に不時着した飛行機。生き残った人々はわずかな水を分け合って、助けを待つが何日たっても救助はこない。自ら助けを呼びに行った者も、帰ってこない。そこで飛行機の設計技師をしていたというハーディ・クリューガーが奇妙な提案をする。壊れた双発式飛行機を解体して、新しい単発式の飛行機を作れば自力で脱出できる。最初は笑い飛ばされるが、やがて人々は藁にもすがる思いで、飛行機を作り始める…。こんな奇想天外なアイデアの映画はなかなかない。しかしこれはアクション映画というよりは、極限状況下における異常心理映画といって方がいいかもしれない。ヒーローは登場せず、一癖も二癖もある登場人物同士が言い争う。パイロットのジェームズ・スチュアートと設計士のハーディ・クリューガーの衝突がメインで、二人の演技合戦はほとんど舞台劇であるといってもいい。神経質そうなメガネをかけたクリューガーの正体が途中でわかり、実は狂っているのではないかと思わせる急転直下の展開が素晴らしい。二人の陰に隠れているが、ロナルド・フレイザーの徹底して卑怯な軍曹もすごかった。仮病を使ったり、うるさい上官が死にかけているのを知らんぷりしたりするそのセコさ。フレイザーの大きな幼児といった風貌がまたぴったり。あまりにはまっているので彼が最後まで生き残るのが許せないくらいだ(笑)。こういった人間の暗部がドロドロと描かれているにもかかわらず、全体的にあまり陰惨にならないのはニューシネマ以前ののんびりした時代、ということもありそうだが、ところどころユーモアを入れたアルドリッチの演出とやはり結末の爽快さだろう。ちなみにオリジナルはビスタだが、プラネットのこの16ミリは明らかにスタンダード焼きだった。チラシに明記漏れです。


私の回数券はあと1回分残っているし、プラネット+1のロバート・アルドリッチ特集はなおも続く。本当は滅多に見られなさそうな『枯葉』や『悪徳』、『ガーメント・ジャングル』『甘い抱擁』などが見たいのだが、私に時間がないのが残念。


★今週のあめ玉

『東京家族』(日:松竹ほか2013 山田洋次監督)

いつの頃からか映画批評界(?)では山田洋次およびその作品を叩いておけば安心という風潮ができあがっている。古くさいとか、超保守とか、説教くさいとか、まあ、そういったことだろうか。けど山田洋次にもいい作品はある。「山田洋次=つまらない日本映画」と思い込んでいる人は本当に見てから言っているのか、と天邪鬼な私はつい言いたくなる。私は『故郷』や『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』で見せた、たまに出てくる厳しいリアリズム・タッチの作品が好きだ。しかしこの演出を抑えたリアル調、本当にたまにしかやらない。最近では『母べえ』のプロローグでちょっと見られたぐらい。もう出来ないのか、山田洋次…。

今回は小津安二郎監督の名作『東京物語』を、2013年の現代の日本に移して、山田監督なりのリメイクをするという企画のようだが、小津安二郎とは大それたことをする。蓮實一派が黙ってないぞ(笑)。しかしまあ、2013年の現代に移すのなら、それこそ山田洋次のあのリアリズム・タッチが見られるのではないか、と期待したのだが…やっぱりダメだった。冒頭の西村雅彦の家の周辺を映す場面から、もういきなり『男はつらいよ』である。通行人の歩かせ方とかが、いかにも柴又の団子屋の前を通る人とまったく同じ仕出し丸わかりの動かし方。『東京物語』が『男はつらいよ』でいいのか? 案の定、中嶋朋子と林家正蔵夫婦の美容室なんか、まるっきり団子屋と同じ雰囲気だった。どこが現代?

時事ネタではスカイツリーはともかく、妻夫木と蒼井優が東日本大震災のボランティアで知り合ったっていう設定は、いかがなものか。東日本大震災を扱った日本映画は園子温の『ヒミズ』や『希望の国』とか、岩井俊二の『friends after 3.11【劇場版】』とか、何本か見たけど、こんな無意味で弱腰な挿入の仕方をした映画はなかった。それだったら現地へ行って、ボランティアをやっている回想場面を入れるべきだろう。廣木隆一監督の『RIVER』も感心できる挿入の仕方じゃなかったけど、ちゃんと現地まで行ってたもんな。そして映画そのものがそのせいで破綻していたけど、映画を犠牲にしてまで描きたいというその気持ちは伝わってきた。まあこの作品は破綻させるわけにはいかないだろうけど。

それにしても前作は市川崑監督の『おとうと』からインスパイアされた映画で、今回は『東京物語』か。今の山田洋次監督はもう新しいものを産み出す力がないのか。それだったら藤沢周平原作の時代劇シリーズの方がまだよかったよ。山田洋次なんて見る前からつまらないと決めつけている連中を見返せるような映画をそろそろ一本頼みます。

<2/17 アポロシネマ8、スクリーン2 L−8にて鑑賞>


★今週の、他に見た映画(見た日付順)

『駆ける少年』(イラン1985 アミール・ナデリ監督)

『マルタ』(西独1975 ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督)

『ルビー・スパークス』(米2012 ジョナサン・デイトン、ヴァレリー・ファリス監督)

『ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日』(米2012 アン・リー監督)

『PARKER/パーカー』(米2013 テイラー・ハックフォード監督)


寸評

『駆ける少年』=西島秀俊が映画のタイトルを連呼して街中を走り回るキ●ガイ映画『CUT』の監督アミール・ナデリが1985年にイランで作った代表作をデジタル化して上映。主人公は両親もなく、毎日空き瓶拾いや水売りなどをして生計を立てている貧しい少年。ある日、読み書きができないと生きていけないと知った彼が、夜学に通い、必死で読み書きを習う。その肉体を極限まで酷使し、大声を張り上げて読み書きを覚えていく姿が『CUT』の西島君とそっくりそのまま。というか、元ネタか。熱い血潮や、根性といった言葉が好きそうな監督であるが、軟弱な私にはついていけないなー。なお、公式ホームページによると本作は1987年の東京国際映画祭で上映されており、本作が日本で初めて上映されたイラン映画だとのこと。

『マルタ』=マーメイドフィルム配給の特集「ファスビンダーと美しきヒロインたち」のうちの一本。金持ちの家に生まれ、世間知らずで婚期を逃した中年女マルタが父親の死を機に結婚するが、その夫は…という内容。現代版『人形の家』を狙って作られたようだが、夫のキャラクターが明らかにぶっ飛んでいる。海に行くとマルタに日焼け止めクリームをやめさせ、全身真っ赤に腫れあがったところを思いっきり抱くというサディストぶりを始め、マルタに断りもなく辞職届けを勝手に出し、強制的に仕事を辞めさせる。夫の大好きな料理を作れば、それは嫌いな料理だと言って食べない。マルタの好きな音楽を否定して、自分の好みのレコードを聴くように強要する。僕の仕事を理解して欲しいと、何の面白味もない専門的なダムの推進力の本を読むように薦め、読んでいないと怒って家に帰ってこない。帰ってくると、これからは家から一歩も出ないでくれと頼み、電話局に頼んで電話線を取り払ってしまう徹底ぶり。サド気質にくわえ束縛主義というか、ファシストというか、もはや人間ではない(笑)。明らかに作り手ファスビンダーの悪意が入っている。マルタの方もおかしくなって、外出すると夫あるいは夫の雇った誰かが自分を監視しているように思い始める。最後は男友達と車で逃亡しようとするが、後ろから夫が追って来ていると錯乱し、ハンドルを切り損ねた車は土手を転がり大破。かくして男友達は死に、マルタは半身不随で一生身動きのできない体になってしまう。「私が一生面倒見るよ。さあ、家に帰ろう」と微笑む夫。車椅子で病院から運ばれるマルタにエレベーターの扉が閉まってエンドクレジット。はい、ファスビンダーお得意の、見事に何の救いもない残酷ドラマ。前回の『マリア・ブラウンの結婚』より面白く(というか、不快に)見られた。

『ルビー・スパークス』=若くしてデビュー作がベストセラーになってしまった小説家カルヴィン(ポール・ダノ)が、2作目を書こうとするもさっぱり書けない。ある日、夢に出てきた女のことを小説に書いていると、なぜか突然その作中の女の子:ルビー・スパークスが現実に現れた! 何か裏があるのではないかと主人公も観客も疑うが、どうやら本当に小説上の人物。なので、カルヴィンが小説で「彼女はフランス語が喋れる」と書けば、すぐにフランス語を喋り始める! つまりタイプライターのキーで思い通りに操れる理想の女の子が出現したのだ。この映画のヒロイン:ルビーを演じ、脚本も書いたゾーイ・カザンはエリア・カザンの孫娘で、イェール大学も出たという才女。頭の悪いポーキーズな脚本家ならすぐエロに走るところを、本作は「相手が自分の思うとおりになれば恋愛はうまくいくのか」という主題にまじめに取り組んでいる。おそらく『マイフェアレディ』あたりのピグマリオンものも念頭にあっただろう。しかし学のない私的には「女の子を自由に操れる」という道具を出した『ドラえもん』を思い浮かべた。後半のダークな展開は「どくさいスイッチ」あたりを思わせる怖さがある。そんなわけでSFやファンタジーが対象となる本年度のサターン賞にノミネートされたのも納得である。ただ細かいけど見ていて気になったのは、カルヴィンはルビーの誕生から現在まですべてを書いたわけではないだろうから、記憶の抜けている部分があるルビーの内面はどんな風になっているんだろう、ということと、戸籍をはじめ身分証明書の類いはどうしているんだろうか、ということだった。まあ、いいけど。

『ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日』=2D版で鑑賞。最後まで見て、ああなるほどねー、と。しかしアン・リー監督は趣味が悪い。『アイス・ストーム』ではスワッピング大会を、『ブロークバック・マウンテン』では男同士の愛を、『ラスト、コーション』では過激なベッドシーンを…そして今回は『アンデスの聖餐』の子供版かい! わざとセンセーショナルな題材ばかりを扱っている。日本の配給会社は海洋冒険映画として売っているぞ。いいのか。だんだんこの監督、映画賞狙いのあざとい奴に思えてきた。『恋人たちの食卓』の頃は小津安二郎調だとか言われたものだが、そういうのもまた撮ってよ。ちなみに主人公の渾名のパイは円周率が出自と前半で語られるが、この「円」とはサークル・オブ・ライフの隠喩かな。『ライオン・キング』の主題歌だけど、要するに食物連鎖のことだよね。

『PARKER/パーカー』=リチャード・スタークの『悪党パーカー』をジェイソン・スティルサムが演るというので、バイオレンス満載のハードな犯罪映画を期待したんだが、彼に協力するジェニファー・ロペスが、ジュリア・ロバーツが演るような、婚期を逃し母親と同棲しているダメOLをやってて、なんじゃこりゃと。ゆるゆるです。監督は久しぶり『愛と青春の旅立ち』のT・ハックフォードだったりする。あとニック・ノルティがえらく年取ってた(泣)。