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「お世辞をいうのは、愛情のない証拠です。お世辞をいうぐらいなら、皮肉をいってあげた方が愛情です」(川島雄三)

2016-08-26

Kurobaku2016-08-26

[]8月に見た映画(その2)

『シアター・プノンペンカンボジア2014 ソト・クォーリーカー監督)→アホな女子大生が不良とつきあう青春映画かと思ったら、ポル・ポト政権下のカンボジア映画女優だったヒロインの母親がいかに過酷な運命を辿ったかを描いた作品だった。クメール・ルージュ時代、それまで作られていたカンボジア映画は焼き払われ(1975年以前の映画はほとんど残っていないとの事)、映画人は他の文化人らと同様、強制収容所へ送られ虐殺されたそうだ。その強制収容所のことは深作健太監督の『僕たちは世界を変えることができない。』で少し触れて知っていたが、映画および映画人たちの話は初耳だった。そういった意味で大変有意義で立派な映画だと思うが、不良娘が母親の女優時代の過去を知って、急に歴史や映画に興味を持ち始めるという展開はいささか出来過ぎてて安っぽい。失われた映画の続きを新たに撮影するというのもオリジナリティはどうなるのか、とか余計な心配をしながら見ていた。 <8/19金 シネ・リーブル梅田4、C-6>


×『華魂 幻影』(日:渋谷プロダクション2016 佐藤寿保監督)→ご贔屓の佐藤寿保監督だし、映画館の話だというので期待して見たが、いまひとつであった。そもそも前作の『華魂』もいまいちだったしなあ。河原でレイプされる少女を助けられなかった映写技師のトラウマ話と、映画館が閉館して最後の映画上映を見て関係者が乱れまくるという話との関連性が薄い。映画の中に少女の姿を発見した主人公の映写技師が、フィルムを必死で確認するという前半の展開はちょっとアントニオーニの『欲望』を思い出した。 <8/19金 第七藝術劇場


ゲッタウェイ(米1972 サム・ペキンパー監督)→午前十時の映画祭。2K上映のようだが、画質は悪くない(一ヵ所、最初の刑務所の場面で一瞬画像乱れがあったけど)。困った…俺、この映画なら何度でも見れる。本当に面白い。敵役のアル・レッティリが強そうに見えて実はでくの坊なのだが、まあ、あんな男くさいツラがまえは近頃とんと見かけないので許す。車の中でキレて、チキンを投げ合うところなんか最高におっかしい。それにしても今回見直して思ったのだが、ストーリーはあってなしのごとしで、自由奔放である。そして浮かび上がってくるのは男と女の寓話。昔はマックイーンのガンアクションに痺れて見ていたが、今回は脇役も含めた登場人物の人間くささを楽しんで見ていた。ある程度の齢を取らないとわからない滋味がこの映画には溢れている。ペキンパーなら私は『ワイルドバンチ』よりもこっちの方が好きだ。 <8/22月 TOHOシネマズなんば別館12、I-9>


×『秘密 THE TOP SECRET』(日:松竹、WOWOW2016 大友啓史監督)→死者の脳から生前の記憶を甦らせるMRIスキャナーが発明され、それを犯罪捜査に活用する警察組織が出てくる近未来の話だが、この機械や組織のことを説明するセリフが多くてうんざり。上映時間149分の長尺はこのせいか。それなのに原作に出てこないキャラクターを増やした挙句(原作は読んでいないが)、人間関係を複雑に、秘密めかして入り組ませるので、ますます長ったるく、鬱陶しい映画に。生田斗真は謎に包まれた知的な変人というキャラクターをワイシャツの中にタートルネックを着るというので表現(笑)。新人捜査官の岡田将生は一応主役なのに影が薄く、有能なのか無能なのかもよくわからず。栗山千明のキャラクターなど本当に要るのかと思う。さらに猟奇犯罪者の描き方をはじめ、熱血刑事やらの脇役はいずれもステロタイプで薄っぺらい。いくらマンガが原作とはいえ、これはちょっとヒドいぞ。大友監督は次回の『ミュージアム』も猟奇犯罪の捜査ものみたいだけど大丈夫か? <8/22月 なんばパークスシネマ11、I-6>


『健さん』(日:ガーデングループ、レスペ2016 日々遊一監督)→2014年に亡くなった俳優・高倉健を、生前を知る関係者が語るドキュメンタリー。『単騎、千里を走る』で中国人ガイドを演じた(というか本当にガイドさんだったと聞いた)チュー・リンが案内役になるというアイデアが面白いが、最後まで一貫していないのが残念。彼が新世界東映高倉健の映画を見る場面があるが、健さんが画面に登場すると場内から「ヨ、健さん!」「待ってました」と声があがる。いつの時代の話なんだ(笑)。スコセッシ監督やジョン・ウーらは何の関係があるのかと思うが、かつて高倉健の出演を望んだことがあったが実現しなかったとのこと(スコセッシは来年公開の新作『沈黙』で高倉健を出演させるつもりだった)。他にも『ブラック・レイン』で共演したマイケル・ダグラスなども出てくるが、こういう海外の人たちより、もっと東映の関係者に話を聞くべきだろう。実際多くの人が畏まってリスペクトするのに対し、梅宮辰夫や八名信夫らは健さんの神格化を崩すような面白い話をする。そういえば、高倉健東映やくざ映画に出なくなったのはある宗教家に「たとえ映画の中でも人を殺していると不幸になる」と説教されたから、というような話が出てくるが、それが本当ならバカな話である。どうもこの映画は高倉健の死に便乗した企画で、付け焼刃的な印象は拭えないが、それでもTVのドキュメンタリー番組には出てこないような話もあり興味深い。 <8/26金 第七藝術劇場


×『眼球の夢』(日、米:アレット・トン・シネマ、スタンス・カンパニー2016 佐藤寿保監督)→海洋ドキュメンタリー『リヴァイアサン』のプロデューサーが出資した日米合作の佐藤寿保作品。眼球をめぐる物語であるが、ストーリーがよくわからなかった。目の幻影肢もピンとこない。ジャンル的にはホラーのような、ポルノのような感じなのだが、どっちつかず。もしかして芸術映画か。歩道橋でのゲリラロケ(?)は初期のピンク作品を思い出させるが、あれほどのパワーはもうなく、自己模倣しているような印象。眼球舐めは鈴木清順が先にやっていたので驚かず。眼球破壊にしても『アンダルシアの犬』とは言わないまでもせめて『サンゲリア』ぐらいの衝撃は欲しかった。あと第七藝術劇場は夜一回のレイトショーで、先週は『華魂 幻影』、今週は本作という形で公開したが、十三に2週続けて足を運ばなければいけないこっちの身も考えてくり(笑)。 <8/26金 第七藝術劇場

2016-05-19

Kurobaku2016-05-19

[]関東やくざ嵐(日:東映1966 小沢茂弘監督)

知らなかったのだが、『関東流れ者』(1965)から始まる「関東〜」から始まるタイトルのシリーズ5作目だそうである。これも何かの機会にニュープリントされたのか、きれいな状態で感激。典型的な当時の任侠やくざ映画だが、主演は高倉健ではなく鶴田浩二。ヒロインは桜町弘子。異色なのは新東宝のイメージが強い天知茂が、鶴田と対立する悪玉代貸(後に組長)を演じていることで、鶴田の恋人である桜町を横から強引に奪おうとしたりする悪辣なキャラクターを憎々しげに演じている。脚本も同じ新東宝出身の宮川一郎(中川信夫の『地獄』など)なのは偶然か。あと鶴田と意気投合する、荒っぽい土方の親分に扮した山本麟一がなかなかの好演で印象に残る。最後、鶴田と一緒にショットガンで殴りこみに行く。そのとき山本麟一は、ちゃんと排夾してから弾を込める細かい演技までしていて感心した。

<5/19(木) 新世界東映にて鑑賞>

2008-02-13 新世界東映で見たマキノの2本。

Kurobaku2008-02-13

[]侠客列伝(東映1968 マキノ雅弘監督)

なんか、見たことあるのか、初見なのか、わからんなー。でもたぶん初見。

オールスターキャストで忠臣蔵のやくざ版、とのことだが、この頃の東映任侠やくざ映画はいっつもオールスターキャストだし、いっつも忠臣蔵…とまで行かなくてもガマン劇(by笠原和夫)だ。先に市川崑の『四十七人の刺客』を見てるのだが、そーか、この頃から高倉健は忠臣蔵をやっていたわけだな。「いっつもガマン劇」だから、言われて見るまでこれが忠臣蔵とは気づかなかった(いいもんの親分:菅原謙二が集まった親分衆の前で河津清三郎にいたぶられるところだけ忠臣蔵みたいだな、と少し思った)。

今ストーリーを読んでもあんまり映画を思い出せないところがさすがプログラムピクチャー。藤山寛美が珍しく高倉健に食ってかかる人足の役をやっていてお笑いがなかったな(だからいつもより暗い内容)とか、鶴田浩二扮する人斬りが一宿一飯の義理で敵側につき、健さんと長ドスで一騎打ちするのも第三者の放った拳銃の的になって、健をかばって死んだな、とかそんなことしか思い出せない。

ラストの討ち入り、じゃなかった殴り込みも2人ではなく4人で、私の記憶では幹部たちは確かそこにはいなかったように思うのだが…キネ旬データベースのあらすじを読むと健さんたちに殺されたことになっているなあ。いたとしてもあまり印象的な殺され方ではなかったように思う。

この時期の東映仁侠映画に関しては私はマキノより、山下耕作や小沢茂弘の方がずっと面白いと思っている。正直マキノはテンポが遅く、人情味がうるさく思うときがある。けれどもエラい評論家先生もみんなマキノ、マキノというので気になって、機会があればこのように見るようにしているのだが、まだ私はマキノの真髄に出会っていないような気がする(ただし『鴛鴦歌合戦』は別格)。せっかく今年は生誕百年なんだから、どこかの映画館さん、私にマキノの素晴らしさを教えてよ!

<08年2/13(火) 新世界東映にて鑑賞>

2006-01-28

Kurobaku2006-01-28

[]スタンドアップ(米2005 ニキ・カーロ監督)

暴力夫と別れた女性(シャーリーズ・セロン)が二人の子供を連れて故郷のミネソタ州の鉱山へ帰ってきた。出戻りの娘を父親(リチャード・ジェンキンズ)は歓迎しない。親の世話になんかなりたくないヒロインは友人の紹介で男ばかりの職場、鉱山で働くことにするが、そこでは情け容赦のない女性差別が待っていた。

こういうストーリーを読むと、さぞや女性の権利を高らかに謳い上げた左翼フェミニズム映画なんだろうな、と敬遠する人もいるだろうが、そこはいい意味でアメリカ映画。ある種の娯楽映画の呼吸がしっかり押さえられていて、そういう押しつけがましい思想臭はまったくない(脚色はマイケル・サイツマン)。

かつて脚本家の笠原和夫は「やくざ映画はがまん劇」と言った。本作をやくざ映画と一緒に並べるのはどうかと思うが、その「がまん劇」の呼吸がしっかり出来ている。ヒロインのシャーリーズ・セロンは前半とにかくこれ以上ないかというぐらい、いじめにいじめられ、ひたすらに我慢に耐える。男性従業員の言葉の暴力に始まり、卑猥な落書き、レイプ寸前のいやがらせ、果てはトイレに閉じこめられトイレごと倒されて、汚物まみれになる。強烈ないじめ描写が実に具体的で素晴らしい(こらこら)。こっちが被害者なのに、自分の夫を誘惑したと相手の奥さんから言いがかりを付けられたりする場面や、女性雇用を歓迎すると言っていた「理解ある」社長に助けを求めると、手の平返したように「いつやめたってかまわないよ」と追い返される展開も、徹底したどん底落としで観客はヒロイン共々、暗澹たる気持ちになる。

セロンは落ち目の弁護士ウディ・ハレルソンを雇い、会社を訴えることを決めるが、他の女性従業員はクビにされたり、さらなるいじめに合うことを恐れ、誰も一緒に法廷で闘ってくれない。一人だけの訴訟だと裁判は成立しない。このあたりの展開も実にうまい。とにかくヒロインを追いつめて追いつめて、もうダメかと思わせるこの監督の手腕は相当のものである。この映画は実話をベースにしているというが、現実だったら、もしくは日本だったら、普通はこれで泣き寝入りして終わりである。しかし、残り三分の一ぐらいになってからようやくヒロインたち側に日の光が射し込む。それはセロンが工場で演説をして野次を飛ばされているのを見た父親リチャード・ジェンキンスが我慢できなくなって、娘を庇う発言をするのである。この場面、父親がそれまで娘にまったく理解を示さなかったという設定だけに実に感動的である(その影に母親シシー・スペイセクの活躍があることもしっかり描かれているのもうまい)。

そしてクライマックスの裁判でも、それまで観客は女性雇用法によって自分たちの居場所が減る男性側の嫌がらせという社会派的な問題に焦点があると思っていたのが、もっと個人的な問題に根ざしていたことがわかる。これがちょっと意外な展開で面白い。それまでセロンの過去が回想として挿入されていたのだが、それが伏線だったという仕掛けである。ミステリー映画的な面白さまで盛り込まれていて思わず唸ってしまった。

このように本作の基盤はアメリカ映画らしい娯楽映画の呼吸なのだが、ニキ・カーロ監督はそれだけで終わらせず、ヒロインの親友であるフランシス・マクドーマンドとショーン・ビーン夫婦のサイドストーリーを挿入して、奥行きを持たせた。というのはこのマクドーマンドは筋萎縮症(だったと思う)という不治の病にかかっていて、それを夫のショーン・ビーンが付きっきりで看病している。元気だった頃のマクドーマンドは鉱山の男どもを相手に堂々と渡り合う頼りがいのある女性労働者の代表だったが、今は病に冒されていく自分の境遇にすっかりやる気をなくしているという設定。けれどもセロンはそんな友人に何度も相談を持ちかける。このマクドーマンドの名演が素晴らしいのだが、もっと驚かされたのは、ショーン・ビーンの方である。この俳優、ハリウッド映画ではいつも殺し屋だとか犯罪組織のボスだとか、同じような悪役ばかりやらされているが、本当はイギリスの舞台俳優出身者である。なので、この映画のように妻を看病する無口な夫を演じさせても実にうまい。中でもセロンの息子が自分の母親が淫売だと言われ信じられなくなったとき、時計をプレゼントしてそっとなぐさめる場面は思わず涙腺がゆるむ。

結局この映画、パターンどおりといえばパターンどおりなのだが、それでもこの手の作品を見てていつも思うのは、やはり映画は弱者の味方だ、ということだ。弱い者が必死で抵抗する姿を描くとき、映画は最も力を発揮するのではないだろうか、とついつい思ってしまう。本作はたまたま女性映画だったが、弱い者に男女の区別はないと思う。

最後にクリス・メンゲスによる撮影が特筆に値するほど美しいことを付け加えておく。70年代の映画の雰囲気を狙っているのだろうか。寒々とした風景の中にどこか暖かみを残すような、綺麗な色調である。

<06年1/28 梅田ピカデリーにて鑑賞>