今見える青空
10年
社会人になって過ぎた年数
そう今年でもう社会人11年目
ちょうど今年、新卒の教育担当になった。ちょうど10こ下の22歳。
32と22、結構歳とったなオレ。
リーマンショック、震災、オリンピック、ワールドカップ。。社会に出ていろんな事があった。でもそんな時、今年の新卒ちゃんは中学、高校生。。。
おっさんになったなぁと
転職に海外勤務に結婚。
10年前、いっぱいいっぱいで見上げたあのときの大阪の青空
5年前、人生で今が最高ってはっきり言えたシンガポールの青空
そして、大きな不満があるわけじゃない。でも何かこのままでいいのかなって見上げた千葉の青空
いつもいつでも空はあり続ける
今見える青空は10年後、どう感じてるのかな
変わりばえのない空?
それともいつもあり続ける空?
現在の青空と理想の青空
青く綺麗な
でもすごい広くて優雅で
時に残酷で、切なくて、
いつも空っぽにしてくれる
考えごとを聞いてくれる
1人の時間をくれる
空
GA→CA
サンノゼに一ヶ月半出張に行って来ます。
今回は本当に幸運でした。
海外で働きたいっていう俺の言葉を拾ってくれた部長。
送り出してくれたチームのみんな。
そして、背中を押してくれた妻。みんなに感謝です。
正直、サンノゼオフィスで俺は役に立てるかわかりません。シンガポールでギリギリレベルの英語で、果たして仕事になるのか不安もあります。
でも、行きたかった。働きたかった、アメリカで。だから、もう何にでもなれ精神で、楽しんでやる!
たぶん最初で最後のカリフォルニアライフ。
ジョージア→カリフォルニア
アトランタからサンフランシスコ経由で帰って、サンフランシスコから始まるサンノゼ出張。
繋がるって不思議だね。
アメリカで働きたいって思ってた高校の頃の自分に伝えたい、ついに来たよって。俺行ってくる!
アラブに魅せられて
夏休みヨルダン一人旅
大当たりの旅行だった。
砂漠に遺跡にアラブの街、人。
全てが絶妙、素晴らしい!
かわいい、カッコいい、絶景、壮大。
そしてヨルダン、ビックリするほど平和である。周りにシリア、イラク、エリトリア、近いのに
5年前に1日ストップオーバーで立ち寄っただけなので、あんまり参考にもならないんだろうけど、ドバイに比べ
ヨルダンはイスラム教の信仰の考え方が違う様な気がする。
ドバイは、まず入国審査管が上下白色のアラブ服に白ターバンで全身白色の正装。街歩いてても、結構正装してる人を見た。何か位が違うのか、ジーンズでカジュアルな格好のタクシーの運ちゃんに聞いたら、彼らはただ着たくて着てるだけって言ってた。
あれを着る事は、神様に信仰し認められているから着れる、誇り高い事ということ思い着ているらしい。
でも、タクシーの運ちゃんは、面倒くさいから普段は着ないって笑ってた。
そしてヨルダンでは、着ている人がいない。見てないだけかもしれんけど、入国審査管も、警察も普通の格好。他の国でもよく見る感じ。
女性もドバイは全身黒で、目だけ出している人が多かったけど、ヨルダンはサレー巻いてるけど、髪以外顔は出してる。色も黒を貴重は多いけど、もっとカジュアル、マレーシアに近い感じ。
そしてオープンで、気さくな人が多い
厳格って言葉があんまり当てはまらない。
ヨーロッパとアラブとアジアの魅力が混ざった素敵な国。
今のジブンヲ創るモノ
富士山を登る。
そんなメッセージが来たのは11カ月前。
オッケーっと軽い返事をして始まった。
富士山頂計画。
山を登る2カ月前まで舐めきっていた。
とりあえず、周りに言われ道具をそろえる。
富士登山1カ月前に、初登山。
神奈川、鍋割山。
標高1500くらいなのに、バッテバテ。
何とか登りきる。
なるほど、山をなめるなと言う言葉の意味を思い知る。
それからひたすら、登る、歩く。
会社(7階)を毎日階段、登る。
土日はポケモンの力を借り、歩く。
雨の中登山開始。
六合目過ぎから晴れ始める、時に小雨降るも、お盆真っ只中としてはとても涼しい。登山日和。
さらに、最も登山開始にスタンダードな6時くらいまで、大雨の天気が影響したのか、お盆にしては少ないと思われる登山者。
登山渋滞もピークなら2時間と言われるトイレ待ちもない。
あら、快適。
そんな訳で、宿泊地八合目に、計画より3時間くらい早く着く。
着いたら泊まって、ひたすら体力回復、次の日ご来光に備える予定を、変更し、山頂の天気がいい今日登りきってしまうプランに。
とはいえ、八合目から長かった。。。
先頭こじ、2-3番目をオレかりえ氏、4番目におぐ。距離感を一定に、自分のペースで登る。そして、9.5合目着。
この200メートルが、まぁキツイ。
最後は無駄に酸素吸って元気なこじが、限界直前のおぐをサポートし、無事4人登頂!
私、泣きそうなんだけど、何で3人共そんな普通なの? と、噛み締めるおぐ。
そして極端な感激はなく、以外と平静だった、他3人。
ただ絶妙のチームワークが芽生えた登り山だったと言えよう。
達成感は凄くある。でもね、しんどさが達成感を上回り、もう二度と富士山登りたないわ。想像以上に過酷でした。
16時頃下山開始。山小屋チェックイン時間、ギリギリ18時前無事八合目に戻る。
そして山小屋で寝れねぇ、狭い、物音うるさい、でも星と雲海綺麗。
そんな寝たのかただ寝袋で横たわっただけなのか。よくわからない夜を過ごす。
そして5時頃山小屋からご来光。
夜登山は無理だったね、と言いながら、グダグダ準備しながら山小屋を出る。
6時過ぎ下山開始。
脚には来るけど、登山ほどしんどさはない下山。
そして予定を早回りまくって、8時過ぎ無事五合目着。
そして、登山口へ戻りここからは夏休み気分。
銭湯行ってグダグダした後、キャンプ場でコーノス家と合流。
雨の中、バーベキューと花火。
オレとって3年ぶりあいーんのバーベキュー。
ユーさんが指示して、ダンナがひたすら焼く。我々その他は手伝いほどほどに、食べる。
ああこの感じ、シンガポールであり、あいーんさ。
楽しさと同時にノスタルジーを感じつつ、夜明け前に帰路に着く。
一緒に登った仲間、そして下山後のとっておきを準備していた夫婦。
何から何まで感謝感謝!
そして、送り出してくれた妻にも感謝!
ちょうど10日前、ブラック企業時代の所長と飲みに行った。お互い会社は変わり、家族がいて、所長は子どもも生まれた。3年ぶりの再会でしたが、やっぱ話す事は当時の事笑。今ちょっとなんかあると、すぐブラックと言う言葉を使われるが、昔いた会社は筋金入りのブラック。だって、労働基準違反で書類送検がニュースなるだもの。それが、当時感じてたおかしな事が全て今、お酒のネタになる今日。
学生時代から正直自分が東京にいるイメージは湧かなかった。なんか何回行ってもしっくりこなかった。
たくさん旅行して、たくさん引っ越しして、いろんな街で国で過ごしたけど、合わない町って絶対ある。東京は自分にとってその一つ。
でもそんな東京で働き始めて、早3年目。東京駅に着くと帰ってきた感を感じる今日この頃。
あたり前の満員電車、いつものオフィス。家に帰れば笑顔で迎えてくれる妻。
昔も今もその全てが今の自分を創っている。
モノクローム
休暇を使ってシンガポールへ行ってきた。
帰国からもう2年4カ月。
20代独身だったあの頃と、既婚30代の今。ストレスフリーの旅行三昧のあの頃と、日々満員電車と時間に追われる今。
懐かしくも何か当たり前のように目に入ってくる景色と、何か少しの違和感。
当時のシンガポールライフを共にした友人、7割くらいはもうこの地に居ない。
今思えばあの頃のシンガポールはバブルのピークだったのかも知れない。昔ほど派手な広告も無ければ、古い広告や空欄のアドボード。
平日から堂々、ハイブランドの紙袋を下げて歩く買い物客もいない。
気付けばユニクロ、コットンオンにH&M。安いお手軽ブランドが多くなった印象。
綺麗めなホーカーが増えて、50セントくらい値上がりした。一方小汚いホーカーが絶滅しつつある。
席取り合戦だった、夜のラオパサは今や観光客しかいない。席も普通に空いてる。
何となく前ほどのエネルギーがない。
毎年のビザ規制で外国人労働者が減少の一途を辿って、国全体の人口が減ってる。でも多分それだけじゃない。
とっても頭のいい政府だからバブルが弾けるなんて事は無い。そもそも日本を反面教師にしてるし。
でも何だろう、少しずつ、変わってきている。
相変わらずそこら中が工事中だけど。見切り発車だったダウンタウンラインは、半分開通、残り半分になった一方で、相変わらずの建設中のコンドの山はどうするんだろう。
きっと、街も国も人も落ち着いて来た。
久しぶりに会った友人は結婚して出産した。職場の先輩は転職をした。ルーミーは、子供が一人増えた。
ど平日から飲みに行ったり、シシャったり、バーバキューやウェイク、あの頃と同じような時間はもう存在しない。
みんな、少しずつ変わっている。
当たり前だけど、2年弱時計が進んでいる。
あの頃、アホみたいに行った週末旅行も今はない。バブリーだった頃、50ドル、100ドルの買い物なんてためらい無かったけど、日本円から両替したシンドルの50や100は高い。
日本で働くのは大変。
シンガポールの方が楽だし、給料いいしって思う。今でも帰れるなら帰りたいのが本音。
でもどうだろう、今回訪ねて感じた事。我々が描く素晴らしきシンガポールは、もう無いのかな。
そう感じた今回の旅でした。
離れてみて、月日が経って、感じたシンガポール。
我々の原点だから、迷った時にまた来るよ。それが今、この地との関係なのかも知れない。
10年前、ジョージで過ごした1年
3年前、2年弱過ごしたシンガポール。
20代の3分の1を海外で過ごした。
恐いもの知らずの20代。
一人旅が二人旅に変わった30代。
飛行機乗るのも宿泊まるも、入国審査も家族がいる。緊急連絡先が親でなく、妻だ。
同じものを見てすげぇと叫んだり、同じもの食べてうめぇと叫んだり、20代と比べると妻との喧嘩も増えた。
でもシンガポールから始まった物語。
また次シンガポール来た時、懐かしく当たり前の景色がまた違って感じるんだろうね。
これまでの10年、3年、そして今。
これからの3年、10年、そして先。
ずっと笑っていられるそんな人生でありたい。
Lost in Hong kong
今年、6回目の海外旅行。
行き先はマカオ。
トランジット先の香港でパスポート紛失。完全に不注意だった。妻の分も預かってたので夫婦共倒れ。大使館で帰国用の渡航書を発行後帰国。大使館の開館の関係で帰国日を1日延長せざるおえず、連休明けに突然会社を休み、多大な人間を巻き込んで迷惑をかけてしまった。急なホテルにチケット多大な出費。大火傷をした。
いつまでもシンガポールの幻影を追いかけてた。勝手が違う事は百も承知。でもちょっとでも近づきたいとか、その都度日本はなんかなぁって口癖みたいに逃げてた。
経済力のある小国。
政府がとっても頭のいい国。
日本より遥か先を見越して国を動かしている。小国のデメリット、国内の産業が成り立たない、だから海外企業招致。
taxヘブン。結果お金も人も入ってくる、給料上がるし、tax安い。生活水準が自然に上がる。デメリットを逆手にとって最大活用。
そして小国ならではのメリット、何か一つ変えるにも動かすにも、すぐ動かせる。何もかもコンパクトに
そしてその恩恵を受けたあの頃はアホみたいに旅行した。
毎月お金はそこそこもらえる。
家から空港までタクシーで10数分。値段にして10ドル程度。日本の3倍はバジェットのエアラインが存在する。
月二回の海外旅行。
あれはシンガポールのインフラ、給料水準、周辺国の物価の安さ。奇跡が揃ったから成り立った訳である。
対して、日本はどうだろう?
暦上、3連休以上は旅行する。
そう意気込んだ。
1月ランカウイ
3月富良野
4月屋久島
5月ホーチミン
6月済州島
7月宮古島
9月タヒチ (夏休み)
9月武陵源
10月マカオ
12月長崎
年末ボラカイ島
行き過ぎだ。お金もシンガ時代よりかかるし、普段の生活ストレス、空港までのアクセス時間、どれをとっても負担がでかい。その上、2、3年前に旅行してた頃より年もとる。
自分の好き勝手でやってたけど、どう考えても妻へ負担をかけてる。
俺も三十、そして家族もできた。
いい加減、旅行卒業しろって言われた気がしたパスポート紛失事件。
これから一番優先すべきこと考えろって。
香港で大火傷をしてようやく気づく。
いつまでもシンガポールじゃない、
いつまでも若くない、
もう30だもんね。
新しい自分と向き合う時が来た