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Kyojiのよろずひとりごと このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2016-06-17 舛添批判を「感情論」とか「衆愚」と決めつけ擁護する論調への違和感 このエントリーのブックマークコメント

既に報道でご存じの通り舛添東京都都知事が経費の公私混合の関係で辞任した。都議会の全会派が不信任案を提出という前代未聞の事態が起きようとしていたが不信任案による解職ではなく辞任だ。セコイ話だが解職なら退職金は出ないが辞任なら退職金が出る。それを考えるとどこまでもセコイ話だといわざるを得ない。

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まあ辞職は当然だとしてもこれで都民の血税でまた選挙を行わなければならない。しかし私が何よりも驚いたのは舛添に対する都民やマスコミ批判に対して舛添を擁護するような論調が「識者」などといわれる連中から出たことだ。

■舛添都知事ギロチンにかけよと熱狂する民衆 (小林よしのり

http://blogos.com/outline/179381/

■セコい都知事を攻撃したのは、もっとセコい高齢者だったんじゃないか。(山本直人

http://blogos.com/outline/179545/

■舛添都知事辞任したこのタイミングこそが感情論を叩く最大の好機(L.Star)

http://blogos.com/outline/179666/

まあ小林よしのりあたりならこの手の記事を書いても不思議ではないが、これだけ舛添の今回の国民からの批判に異を唱える論調が多いことに正直この目を疑った。

共通する論点として

1.舛添前都知事の使途不明経費は少額なのに、これだけ少額の金額に目くじらをたてるのはおかしい

2.都知事の失敗を鬼の首を取ったように「正義の味方面」して叩く風潮に違和感

酷いものだと

3.政治家なんだから、賄賂もありだし、多少お金をたくさん使ってもいい政治や結果出してくれればいいんじゃない?これ以上、叩くの辞めようよ。

なんて論調すらあった。

甘利前経済相の賄賂疑惑(どう考えても立件されないことは納得できないのだが)にしてもそうだが最近非常に気になるのは政治家の不祥事に対して驚くほど寛容な風潮が日本社会に蔓延している点だ、

そもそも上記の1.論点を読んで大きく違和感を感じるのは「芸能人のスキャンダル」と今回の「舛添の公金公私混合事件」をほぼ同列に考えているように見える点だ。

だとすれば全くの見当違いの論点である。

なぜなら舛添東京都都知事「公人」であり。舛添のホテル豪遊や何の目的に使ったか不明の金額はいずれも「都民の血税であるという点

1.2.を論じている人にはこの観点が完全に欠落しているように見える。

あえていうのなら舛添都知事がやっていることは「公金横領」の可能性があるのだ。だから都民を始め国民が怒るのは当たり前だ。

その辺のバカな暇人が芸能人に難くせをつけて叩くのとは全く次元が違うのである。ここを大きく勘違いしている「識者」という人たちが多いのは驚くべきことだ。

上記3.に至っては全くの論外だ。こんな理屈がまかり通るのなら政治家は何をやっても許されることになる。そもそもこれを主張する人たちは舛添が具体的にどんな都知事として今回の事態を帳消しにするような「成果」を収めたというのか? 

ただ、一部の論調で「甘利前経済相」に対してはヒステリックになっていないのに、舛添に対してはヒステリックになっている。

という論には私も賛同する。

実際甘利前経済相に対するマスコミの追及は手ぬるい、というか殆ど矛を収めているといっても言い過ぎではない。

この違いは何か? 推測の域を出ないものの私は可能性として高いと思っているのは

甘利前経済相には「官邸の圧力」があったが舛添都知事にはそれがなかった。

それが甘利と比べて舛添に対してマスコミが容赦ない、その違いに対して唯一考えられる説明である。

いずれにせよ芸能人のスキャンダル等、下世話なことにはヒステリックになっても政治家の不祥事に対しては寛容になっている風潮

それが一般言論人から当たり前のように出ていることに私は危機感を覚えずにはいられない

2016-06-14 舛添辞任不可避。参議院選挙への影響必至 少し面白くなってきた このエントリーのブックマークコメント

さて、当初の見通しと違い衆参ダブル選挙はなくなってしまったが、(一説によれば安倍首相ダブル選挙をやりたかっていたがを菅官房長官が懸命に止めた、という話がある)ここに来て舛添要一東京都都知事をめぐる攻防でまた流れが変わっている。

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ご存じの通り私は舛添の都知事当選に対して懸命に異を唱えていた人物である

■このまま本当に舛添でいいのか? 石原に負けず劣らず放言癖がある男

http://d.hatena.ne.jp/KyojiOhno/20140203

■あえて都知事選ー舛添以外に投票を、20代都民は投票に行こう

http://d.hatena.ne.jp/KyojiOhno/20140201

そして何を隠そう、舛添要一自民党公明党の支持で当選したのである。

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共産党の志位委員長は舛添都知事が辞任しなければ不信任案を提出すると言明していた。これは自動的に自民公明の踏絵になる。

舛添都知事のあからさまな公私混合は都民のみならず、全国民レベルで拡大しておりもし不信任案にノーの判決を投じれば都政だけでなく、来月の参議院選挙への悪影響は避けられない。

そこでとうとう自民公明も舛添えを見はなしたようだ。場合によっては参議院選挙への悪影響を避ける意味でも自民公明自ら不信任案を提出するという

舛添要一都知事辞職はもはや避けられないといっていい

■舛添知事、辞職不可避の情勢 自公が不信任案提出も

http://www.asahi.com/articles/ASJ6F7QL4J6FUTIL078.html

だがどう転んでも自民公明参議院選挙への悪影響は避けられないだろう。いくら日本国民が「忘れやすい国民」だとしても7月10日とみられる参議院選挙までもう一か月を切っている。舛添が辞職にせよ不信任で解職にせよ、来週まで都知事でいられる可能性は殆どないといっていい

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「可決されると(8〜9月の)リオデジャネイロ五輪パラリンピックの最中に選挙を行わなければならない。(終わるまで)猶予を頂きたい」

まあ何寝言いっとるんだ、という感じだ、

となると参議院選挙とほぼ同日に都知事選挙が行われる可能性が高くなってきた。こうなると日本最大の票田である東京都での自民公明選挙への悪影響はほぼ避けられない

なぜなら

  自民公明の支持によって舛添要一都知事当選した

という事実は消えないからである。

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そして仮に舛添に不信任案を自公が提出しても自公にとっては地獄である。なぜなら勝てる候補探しの見通しが殆どたたないため、不戦敗の可能性も高い。

そして参議院選挙への上記の理由による悪影響

まさに進むも地獄、引くも地獄の状況自民党公明党はいる

参議院選において完全ではないものの野党共闘もほぼ達成できた。

ここしばらく選挙結果自公の圧勝だったが、舛添のこのスキャンダルによって面白い状況になってきた。

寧ろ反安倍政権の立場を取る私としては舛添要一に感謝しなければならないかもしれない(笑)

2016-05-30 やはり筋書き通りに動いている 衆参ダブル選挙が行われる可能性大 このエントリーのブックマークコメント

実は本来なら私のもう1つのブログー音楽ブログに書くべきことかもしれないが、この秋口くらいに私が音楽を担当する映画が二本公開される。

■涙の数だけ笑おうよ〜林家かん平奮闘記〜

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http://www.nkw-kanpei.com/

9月3日 角川シネマ新宿 他で全国劇場公開

■中野JK 退屈な休日

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近日に詳細発表(まだ情報解禁ではないため)

実はどちらも本来なら7月に公開される予定の映画だったのである。

しかし遅れた、遅れた理由はいろいろあるが、実はどちらもプロデユーサーが「7月は選挙ーそれもダブル選挙の可能性が高いため。その時期は避けたい」という思惑があったためである。ダブル選挙ともなればマスコミ選挙一色となりエンタテインメントのパブリシテイに割く時間は非常に限られてしまい、映画のプロモーションには不利になる

選挙、それも衆参ダブル選挙である。

そのプロデユーサーが得られた筋書は以下の通り

1.事前に野党対策として「衆参ダブル選挙はない」という情報を流す

          

2.消費税の値上げを遅らせる旨を発表する

          

3.国会閉会の間際に衆議院を突然解散、衆参ダブル選挙に打って出る

これって今まさに起きていることそのものではないだろうか?

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先日、報道でもご存じの通り安倍首相自身は24日、公明党の山口代表との会談で「解散の『か』の字も考えていない」と語ったがその直後、6月1日には消費税値上げの延期を発表する見通しとなった。

安倍首相ダブル選挙をたくらむ理由は、衆参の選挙運動が連動することから与党に有利とされると同時に、今選挙をやっておけば安倍首相の総裁任期終了まで大きな選挙をしないで済むという思惑もある。何よりも衆参ダブル選挙で衆参ともに3分の2を獲得すれば、安倍晋三の悲願の憲法改正(実際には改悪)を実現できることになる。安倍晋三は任期中にどうしてもそれを実現したいらしく、だから今の時期にどうしても選挙をしておきたいのだ。

そもそも過去、衆参ダブル選挙は二回あった。そしてどちらの場合も「ダブル選挙」などという可能性など論じられていなかった

     
1.1980年6月22日 ハプニング解散野党が提出した不信任案が自民党の非主流派の欠席で予想に反して可決されてしまったこと。不信任案可決で当時の大平内閣総選挙を選んだ。尚、この選挙期間中に大平首相は急死。結果的に自民党に同情票が集まり自民党大勝
2.1986年7月6日 死んだふり解散当時の中曽根首相が突然臨時国会を召集し国会が召集された6月2日に衆議院解散した。本会議を開かずに議長応接室に各会派の代表を集め、坂田道太衆議院議長解散詔書を朗読して衆議院解散となった。定数是正の周知期間があるから解散は無理だと思わせた。死んだふりをした。」と述べ、早期解散はできないと思わせたことを「死んだふり」と表現したことから、「死んだふり解散」といわれた

これを見ると今の状況は当時の中曽根首相「死んだふり解散」に状況が酷似していないだろうか?

とにかく今の状況は複数の映画プロデユーサーが事前に得た情報、筋書きどおりに進んでいる、ああいう人たちの情報網はかなり情報源としては信頼性が高いと考えていい。

というわけで

7月に衆参ダブル選挙が実施される可能性は極めて高い

といっていいかもしれない 

安倍晋三が嘘つきなのはいまさらいうまでもない

「解散の『か』の字も考えていない」とはいったが「解散しない」という言葉はいってない

とでもいうのだろう 

安倍晋三特有の嘘のつき方である。

詭弁、論理的矛盾などなんのそのである

野党衆議院統一候補の調整を含め選挙対策を急ぐことを要望する    

2016-05-29 高校の21年ぶりの同窓会 このエントリーのブックマークコメント

ちょっと当ブログ、ここのところ堅い話だったので、閑話休題

というわけで高校ー桐蔭学園高校の12期7組の同窓会がなんと21年ぶりに行われました。前回が1995年ーその時の印象でもびっくりしたんですが、さらに21年(!!) 時々会場のプルーニャ、改め、復活したムニロガストラマニアにて行われました、

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まあ人の事はいえない、といわれればそれまでですが、みんな本物のオジン、ジジイになったな、という感じ、そのため一部時々会っている人間を除き、誰が誰だかわからないというのが率直な印象

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21年、という時間の長さ、(ある意味残酷さ?)を感じました。

それぞれ出世した者、離婚した者、孫が生まれ正真正銘のジジイになった者もいた、

あと、残念ながら他界した人間も四人いました。合掌

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21年のブランクのあと、来年から毎年やろう、ということになりました。在学当時は決して学校生活が楽しい、という感じはなかったんですが、こうしてみると結構団結力がある、というかよく集まりますね。

いいことです

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2016-05-28 オバマ大統領の広島訪問はやはり評価すべき このエントリーのブックマークコメント

日本のマスコミの論調は「オバマ大統領原爆投下謝罪がなかった」といった論調が多い。

確かにアメリカでは今でも「原爆第二次大戦を終わらせた」というイメージが根強く、大統領としての立場を考えると原爆投下への明確な謝罪は盛り込みにくいだろう。

だが、何かその論調、どこかで聞いたことがないだろうか?

日本政府韓国中国に「第二次大戦」の日本の所業謝罪しても「謝罪が足りない」「誠意が見られない」などといわれるのに似ている。

被害者というのは例え謝罪されたとしてもその傷というのはなかなか癒えないものなのだ。

だがそれでも私は今回のオバマ大統領広島訪問ー歴代大統領で初めて広島を訪問したわけだが、−は高く評価すべきと考える。

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オバマ政権歴代アメリカ政権でももっともリベラル色の強い政権といっていい。共和党アメリカ保守層が「社会主義的」といって今でも忌み嫌うオバマケア(日本の健康保険制度にあたるー歴代民主党政権の悲願でもあった)を実現させ、公約である中東での米軍撤退を実現させ(結果的にISISの台頭で事態は悪化してしまったが)この広島訪問もオバマ大統領就任当時から希望していた。

大統領の任期が残り8か月になり、かねてから熱望していた広島訪問を実現させた。

大統領広島長崎を含む第二次世界大戦のすべての犠牲者らに哀悼の意を示すスピーチをした。その中で「核なき世界」を主導する責任についても言及した。

スピーチの内容は翻訳されたものがあるので以下に示す

オバマ大統領広島スピーチ全文 「核保有国は、恐怖の論理から逃れるべきだ」

http://www.huffingtonpost.jp/2016/05/27/obama-begins-visit-to-hiroshima_n_10160172.html


71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。閃光と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自らを破滅に導く手段を手にしたことがはっきりと示されたのです。


なぜ私たちはここ、広島に来たのでしょうか?


私たちは、それほど遠くないある過去に恐ろしい力が解き放たれたことに思いをはせるため、ここにやって来ました。


私たちは、10万人を超える日本の男性、女性、そして子供、数多くの朝鮮の人々、12人のアメリカ捕虜を含む死者を悼むため、ここにやって来ました。


彼らの魂が、私たちに語りかけています。彼らは、自分たちが一体何者なのか、そして自分たちがどうなったのかを振り返るため、内省するようにに求めています。


広島だけが際立って戦争という事実ではありません。遺物を見れば、暴力的な衝突は人類の歴史が始まった頃からあったことがわかります。フリント(編注・岩石の一種)から刃を、木から槍を作るようになった私たちの初期の祖先は、それらの道具を狩りのためだけでなく、自分たち人類に対しても使ったのです。


どの大陸でも、文明の歴史は戦争で満ちています。戦争は食糧不足、あるいは富への渇望から引き起こされ、民族主義者の熱狂や宗教的な熱意でやむなく起きてしまいます。


多くの帝国が勃興と衰退を繰り返しました。多くの人間が隷属と解放を繰り返しました。そして、それぞれの歴史の節目で、罪のない多くの人たちが、数えきれないほどの犠牲者を生んだこと、そして時が経つに連れて自分たちの名前が忘れ去られたことに苦しめられました。


広島長崎で残酷な終焉へと行き着いた第二次世界大戦は、最も裕福で、もっとも強大な国家たちの間で戦われました。そうした国の文明は、世界に大都市と優れた芸術をもたらしました。そうした国の頭脳たちは、正義、調和、真実に関する先進的な思想を持っていました。にもかかわらず、支配欲あるいは征服欲といった衝動と同じ衝動から、戦争が生まれたのです。そのような衝動が、極めて単純な部族間同士の衝突を引き起こし、新たな能力によって増幅され、新たな制限のないお決まりのパターンを生んでしまったのです。


数年の間に、およそ6000万人もの人たちが亡くなりました。男性、女性、子供、私たちと何ら違いのない人たちがです。射殺され、撲殺され、行進させられて殺され、爆撃で殺され、獄中で殺され、餓死させられ、毒ガスで殺されました。世界中に、この戦争を記録する場所が数多くあります。それは勇気や勇敢な行動を綴った記念碑、言葉では言い表せないような卑劣な行為の名残でもある墓地や空っぽの収容所といったものです。


しかし、この空に立ち上ったキノコ雲の映像を見た時、私たちは人間の中核に矛盾があることを非常にくっきりとした形で思い起こすのです。


私たちの思考、想像力、言語、道具を作る能力、そして人間の本質と切り離して自分たちを定めたり、自分たちの意志に応じてそうした本質を曲げたりする能力といったものを私たちが人類として際立たせること――まさにそうしたことも類を見ない破滅をもたらすような能力を私たちに与えられることによって、どれだけ悲劇をもたらす誘発剤となってしまうか。


物質的な進歩、あるいは社会的な革新によって、どれだけ私たちはこうした真実が見えなくなってしまうのか。


より高い信念という名の下、どれだけ安易に私たちは暴力を正当化してしまうようになるのか。


どの偉大な宗教も、愛や平和、正義への道を約束します。にもかかわらず、信仰こそ殺人許可証であると主張する信者たちから免れられないのです。


国家は犠牲と協力で人々が団結するストーリーをこしらえ、優れた功績を認めるようになります。しかし、自分たちとは違う人々を抑圧し、人間性を奪うため、こうしたものと同様のストーリーが頻繁に利用されたのです。


科学によって、私たちは海を越えて交信したり雲の上を飛行したりできるようになり、あるいは病気を治したり宇宙を理解したりすることができるようになりました。しかし一方で、そうした発見はより効率的な殺人マシンへと変貌しうるのです。


現代の戦争が、こうした現実を教えてくれます。広島が、こうした現実を教えてくれます。


技術の進歩が、人間社会に同等の進歩をもたらさないのなら、私たち人間に破滅をもたらすこともあります。原子の分裂へとつながった科学的な変革には、道徳的な変革も求められます。


だからこそ、私たちはこの場所に来るのです。


私たちは、この街の中心に立ち、勇気を奮い起こして爆弾が投下された瞬間を想像します。


私たちは、目の当たりにしたものに混乱した子どもたちの恐怖に思いを馳せようとします。


私たちは、声なき叫び声に耳を傾けます。


私たちは、あの悲惨な戦争が、それ以前に起きた戦争が、それ以後に起きた戦争が進展していく中で殺されたすべての罪なき人々を追悼します。


言葉だけでは、こうした苦しみに言葉に表すことはできません。しかし私たちは、歴史を直視するために共同責任を負います。そして、こうした苦しみを二度と繰り返さないためにどうやってやり方を変えなければならないのかを自らに問わなければなりません。


いつの日か、証言する被爆者の声が私たちのもとに届かなくなるでしょう。しかし、1945年8月6日の朝の記憶を決して薄れさせてはなりません。その記憶があれば、私たちは現状肯定と戦えるのです。その記憶があれば、私たちの道徳的な想像力をかき立てるのです。その記憶があれば、変化できるのです。


あの運命の日以来、私たちは希望を与える選択をしてきました。


アメリカ合衆国そして日本は、同盟を作っただけではなく友情も育んできました。欧州では連合(EU)ができました。国々は、商業や民主主義で結ばれています。


国、または国民が解放を求めています。そして戦争を避けるための様々な制度や条約もできました。


制約をかけ、交代させ、ひいては核兵器を廃絶へと導くためのものであります。それにもかかわらず、世界中で目にする国家間の攻撃的な行動、テロ、腐敗、残虐行為、抑圧は、「私たちのやることに終わりはないのだ」ということを示しています。


私たちは、人類が悪事をおこなう能力を廃絶することはできないかもしれません。私たちは、自分自身を守るための道具を持たなければならないからです。しかし我が国を含む核保有国は、(他国から攻撃を受けるから核を持たなければいけないという)「恐怖の論理」から逃れる勇気を持つべきです。


私が生きている間にこの目的は達成できないかもしれません。しかし、その可能性を追い求めていきたいと思います。このような破壊をもたらすような核兵器の保有を減らし、この「死の道具」が狂信的な者たちに渡らないようにしなくてはなりません。


それだけでは十分ではありません。世界では、原始的な道具であっても、非常に大きな破壊をもたらすことがあります。私たちの心を変えなくてはなりません。戦争に対する考え方を変える必要があります。紛争を外交的手段で解決することが必要です。紛争を終わらせる努力をしなければなりません。


平和的な協力をしていくことが重要です。暴力的な競争をするべきではありません。私たちは、築きあげていかなければなりません。破壊をしてはならないのです。なによりも、私たちは互いのつながりを再び認識する必要があります。同じ人類の一員としての繋がりを再び確認する必要があります。つながりこそが人類を独自のものにしています。


私たち人類は、過去で過ちを犯しましたが、その過去から学ぶことができます。選択をすることができます。子供達に対して、別の道もあるのだと語ることができます。


人類の共通性、戦争が起こらない世界、残虐性を容易く受け入れない世界を作っていくことができます。物語は、被爆者の方たちが語ってくださっています。原爆を落としたパイロットに会った女性がいました。殺されたそのアメリカ人の家族に会った人たちもいました。アメリカの犠牲も、日本の犠牲も、同じ意味を持っています


アメリカという国の物語は、簡単な言葉で始まります。すべての人類は平等である。そして、生まれもった権利がある。生命の自由、幸福を希求する権利です。しかし、それを現実のものとするのはアメリカ国内であっても、アメリカ人であっても決して簡単ではありません。


しかしその物語は、真実であるということが非常に重要です。努力を怠ってはならない理想であり、すべての国に必要なものです。すべての人がやっていくべきことです。すべての人命は、かけがえのないものです。私たちは「一つの家族の一部である」という考え方です。これこそが、私たちが伝えていかなくてはならない物語です。


だからこそ私たちは、広島に来たのです。そして、私たちが愛している人たちのことを考えます。たとえば、朝起きてすぐの子供達の笑顔、愛する人とのキッチンテーブルを挟んだ優しい触れ合い、両親からの優しい抱擁、そういった素晴らしい瞬間が71年前のこの場所にもあったのだということを考えることができます。


亡くなった方々は、私たちとの全く変わらない人たちです。多くの人々がそういったことが理解できると思います。もはやこれ以上、私たちは戦争は望んでいません。科学をもっと、人生を充実させることに使ってほしいと考えています。


国家や国家のリーダーが選択をするとき、また反省するとき、そのための知恵が広島から得られるでしょう。


世界はこの広島によって一変しました。しかし今日、広島の子供達は平和な日々を生きています。なんと貴重なことでしょうか。この生活は、守る価値があります。それを全ての子供達に広げていく必要があります。この未来こそ、私たちが選択する未来です。未来において広島長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの地として知られることでしょう。


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アメリカ大統領としては精一杯の言葉だったように思う。それでもあえて来たのは核廃絶への決意を世界に示したかったということもあると思われる。何よりもこのスピーチはどこかの国の首相と違って気持ちがこもっている

オバマ大統領広島で献花 被爆者の手を握り、抱き寄せた。現職のアメリカ大統領による光景が実現するとはだれが想像しただろうか

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