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2009-04-04 『フィッシュストーリー』逆鱗の思いがラストに繋がっていれば・・

LACROIX2009-04-04

[]『フィッシュストーリー

伊坂幸太郎小説原作とし、中村義洋監督が監督をする。これは「アヒルと鴨のコインロッカー」が非常に良い出来の作品であったことから、今回も少なからぬ期待はしていた。流れてくる評判もなかなか良いという声が多く、それならばとも思ったのだが・・・何か少し期待外れ。殆ど破綻もなく、しっかりと展開は考えられており、そこそこに面白く話が綴られているのだから悪くは無いのだが、インパクトが無い。見終わって「あれ、こんなものか?」と思ってしまった。自分がもっとインパクトある何かを期待していたせいかもしれないが少し肩透かしを食らった感じがする。「巧い作りだけどなんだか物足りない、これじゃあなんだか少しそつない、ちょっとは美味しいけれど、まあそれなりの定食という感じ」と思ってしまった。期待度が高すぎたせいもあるのかもしれないが。

過去の様々なエピソードが最後に収束して一つの感動的な結末を紡ぎ出す。そういったストーリー映画、小説って最近かなり増えてきている。というか増えすぎ? このブログでは何度も取り上げているがやはり「マグノリア」が辺りから始まり、その後は「バニラスカイ」「クラッシュ」「バベル」等々、脚本、ストーリー構築の一つのスタイルとして多くの脚本家がこにスタイルにトライするようになって来ている。(「マグノリア」や「クラッシュ」は素晴らしい作品)そして、この映画の原作者である伊坂幸太郎の小説はまさにこの時間、立場、環境など異なる人や物事が最後にそれぞれ絡み合って一つの結果を作り出すというスタイルだ。それこそが伊坂ワールドと言われる特徴でもあり、最後の最後にパーッと全ての種明かしがされるが如くストーリーがサーっと開けていくことが快感であり、読後の爽快感をもたらすものでもある。伊坂作品の人気はそういったところにも起因しているであろう。

邦画でも「陰日向に咲く」(これはダメダメだったが)そして「アヒルと鴨のコインロッカー」ではこの脚本構成のスタイルが採られた。たぶん他にも観ていないような作品で似たような脚本構成のスタイルに挑戦しているものは多々あることであろう。言って見れば今の脚本のトレンドともいえる。

●こういうタイプの作品は、小説家、脚本家にしてみれば、ストーリーの破綻がないしっかりとした構成力が要求されるし、個々をコントロールしつつそれがまとまった一つの作品として完成させなければならず、事の他なかなか大変だが、それは腕の見せ所と言ってもいいし、脚本家が自分の力量、構成力をアピールできるからやりがいもあるだろう。だからこそ最近そういった作品が増えてきたのかもしれない。

●だが、複雑なストーリーを抱えつつも、作品として輝くには構成要因となる一つ一つのストーリーに面白さが必要だ。そして更に、一番大事なのは、その個別のストーリーが段々と近づき、まとまっていきラストで一つの物語として本流に”繋がる”その部分、その種明かしである。

伏線を様々に張って、それが徐々に寄せ集まってきて、最後にシュッっと一つの線にまとまる、そのまとまる部分に如何に驚きをもった仕掛けを凝らし、ストーリーを凝らし、巧妙に仕組まれたストーリーを観客に披露できるかが重要。その”繋がり”の部分があからさまだったり、途中からミエミエだったり、なんだよれ?というようなスカスカな話だと観客はそんなもんかよと一気にシラケルし、作品全体が最後の最後で全く詰まらなくなる。

●この映画、先に書いたように充分に面白かったし、なかなかの出来なのではあるが、なにか観終わってしっくり来ないものを感じた。それが何なのだろうなぁとベッドに寝転がりながら考えた。そしてパンフに書かれた「発売当時だれにも聞かれなかった曲が、時空を超えて人々をつなぎ、世界を救う!」というキャッチコピーを見たとき・・・あ、これだな!と思った。

1973年から2012年までのいくつかのストーリーが最後に繋がるのだけれど、逆鱗の歌った「フィッシュストーリー」という歌はどこで繋がってたんだろう?あの歌がなんで惑星衝突を回避する要因になったのだろう?そこのところが頭に浮かんでこないのだ。だからなんだか「フィッシュストーリー」という歌と惑星衝突がまるで別個のストーリーとして頭の中に存在し、違和感を生じさせているのだ。消化不良な感じはここにある。

●話を自分の中で整理してみようと紙とペンを持ち出して時代の異なるいくつかのストーリーとそれがラストに”繋がる”部分をはっきりさせてみた。


1982年 気の弱い大学生雅史、合コンに行く車の中、「フィッシュストーリー」の無音部分に女性悲鳴があるという噂〕

                      ↓

 〔合コンの帰り、カセットが取り出せなくなり、暗い道でちょうどその無音部分が・・・・すると女性の悲鳴が・・・〕

                      ↓

 〔雅史はレイプ魔に襲われていた女性を助ける〕→〔その女性と結婚〕→〔子供誕生〕→〔子供を強く育て正義の味方にしようとする〕

■〔2009年 修学旅行女子学生を乗せたフェリー→寝過ごして一人取り残される女子高生麻美→シージャック

                      ↓

 〔船でコックをしていた男が正義の味方となってシージャック犯をやっつける→女子高生は助かる〕

                      ↓

 〔シージャック犯をやっつけ麻美らを救ったのは雅史の子供、正義の味方に育てようと鍛えていた子供だった〕


■〔2012年 巨大彗星地球に近付く→それを爆破するためロケット打ち上げられる→彗星を爆破したのは難しい軌道計算をした女性 麻美だった〕

●なるほど繋がっている、雅史のエピソードから始まって、雅史の子供が生まれ、正義の味方となり、そして助けた麻美がラストでは地球を救うキーパーソンになったんだと、わくわくするくらい繋がっている。

●だけど、逆鱗の歌う「フィッシュストーリー」がどうして地球を救ったんだ? この部分がやはり繋がらない。作品の中では逆鱗のバンドのこと、メンバーのことが、青春映画に思えるほどにかなり比重をおいて語られていのに「フィッシュストーリー」という曲が地球を救うことにどう繋がったのかが見えない。他のエピソードはきっちりとラストに繋がっていたのに。

●作品の宣伝PR「フィッシュストーリー」という曲が時空を超えて世界を救う!としているのに、全然繋がって無いではないか??

●しかしだ、じっくりプロットを紙に書いて検証し繋ぎ目を確認していったら、ようやく歌と地球を救う部分が繋がる所が分かった。なるほどと。「アヒルと鴨のコインロッカー」の時もそうだったけれど、このフィッシュストーリーも観客に対してリピーター割引をやっている。ん、確かにしっかり見ていないと繋ぎ目を見落としてしまうし、それを見落とすと作品自体が、なんだこれ?と思えるものになってしまうかもしれない。繋ぎ目はあからさまではダメだけど、バレバレでもダメ。だけど最後にははっきり分からなくちゃそれもダメ。この映画でのフィッシュストーリーという曲と、地球の滅亡を食い止める”繋ぎ目”は結構微妙な繋がりしかない。自分にはその繋ぎ目はかなり淡くて劇場でははっきりわからなかった。だが、プロットを検証したことで分かったのは、その繋ぎ目が間接的でかなり遠くに離れた繋ぎ目になっているということだった。

●この映画で一番大切な”繋ぎ目”は、最後の最後にレコーディングした曲の無音部分。逆鱗というバンドが、今まで全然売れなくて、解散することになって、もう最後のレコーディングだというのに、プロデューサーは自分達の思いとは正反対の事をばかり言って、自分達が歌いたい歌を、自分達が歌いたいように歌わせてはくれない。ずっと皆で、このバンドで頑張ってきたのに、何もかも全然うまく行かないままここまで来てしまった。そしてバンドはこのレコーディングを最後に解散する。そんな思い通りにならない不甲斐なさ、苛立たしさ、不満が、最後の最後で「フィッシュストーリー」という曲をバンドが演奏し、歌っているとき、ボーカル吾郎が思わず、間奏のとき、今の自分達のおかれた状況に対する不満を、やるせない自分の思いを愚痴るように語ってしまう。

「なあ、この曲はちゃんと誰かに届いてるのかよ?」と。

一発録音の約束だったし、その愚痴の部分は録り直しはせず、音を消して無音にしてレコードに収録された。その無音の部分が、後々にオカルト的な噂を生じさせ「無音部分に女性の叫び声が聞こえる呪いのレコード」として一部マニアに知られることとなる。バンドは殆ど誰にも知られず、レコードもも全く売れなかったというのに。

●そして、その”無音部分”が時を経て地球を救うきっかけとなる・・・・

■〔1973年 逆鱗の最終録音→「フィッシュストーリー」の間奏部分〕

             ↓

〔ボーカルの五郎が愚痴るように自分達の置かれた状況に対する不満を語る。〕

             ↓

〔愚痴が入った部分は音を消され無音のままレコードに収録される。〕

             ↓

〔無音部分に女性の悲鳴が聞こえるという伝説になる〕

●この赤の部分を上の青の部分の一番最初にくっつければ、ストーリーは全部繋がった。そう、これで全部が繋がった。でもこうして全部のストーリーを繋いでみたら「フィッシュストーリー」という”曲”が、その”音楽””音楽性”が”歌詞のメッセージ”が・・・時空を超えて人々を繋ぎ、地球を救ったのではないということが炙り出されてしまった。

●逆鱗というバンドの売れない悔しさ、思った演奏をさせてもらえないいらだち、自分達の思いが認められない、伝わらない悲しみ、やるせない思い。そういったものが煮詰まってボイルして、ボーカルの吾郎が曲の間奏部分でしゃべってしまった愚痴となったことは確かだ。そこまではイイのだ。そんな彼らの青春の苛立ち、悔しさ、熱さが、やるせなさが時を越えて誰かに届いて、それが地球を救うきっかけとなったというのであれば、素晴らしくイイ映画のストーリーだ。文句無しだ!

だが、フィッシュストーリーという”曲”が、その”音楽性””メッセージ”が地球を救うきっかけになったのではないのだ。雅史が、襲われている女性を助けるきっかけとなり、その後地球を救うところまで繋がっていく一番大切なこの物語のキーは、吐き出した思いを消されてしまったレコードの中の ”無音部分”なのであり、逆鱗というバンドの、吾郎の思いではないのだ。その思いが昂ぶった結果、意図せずに出来た無音部分なのであるけれど、それは「フィッシュストーリー」という曲の歌詞でもなく、唄われていた曲の良さでもなく、逆鱗というバンドの情熱でも苦悩でもなく、この映画の中で狂おしいほど描かれていたやるせなさでもなく・・・・その思いが”消された””無音部分”!なのだ。

「フィッシュストーリー」という曲が、そこに込められていた彼らの思いが・・・時空を隔てて地球を救ったのでは・・・・・・・ないのだ。

☆逆鱗の、彼らの思いが、悔しさが、やるせなさが、時を経て雅史に雅史に伝わったのでもなく、世界を救うラストに繋がったのでも無い。彼らの思いや、青春の苛立ちや、悔しさや、やるせなさ。そういった彼らの”青春の滾り”はプロデューサーに消されて、誰にも聞くことの出来ない無音部分という別の形となった。

雅史が襲われている女性を救うという、地球を救きっかけを生じさせたものは、逆鱗というバンドの思いではなく、フィッシュストーリーという曲そのものでもなく、・・・・・彼らの思いが消された後にその場所に纏わり付いたオカルト的な噂なのだ。

●逆鱗というバンドとフィッシュストーリーという曲は”無音部分”が入った曲という”入れ物”としてラストで地球を救うという部分に関わってはいるけれど、そこに込められていた彼らの”思い”は、どこにも、誰にも伝わらず、どこにも、誰にも繋がっていないのだ。

●映画を解説している文章にはこんなものがある。

「発売当時誰にも聞かれなかった曲が、時空を越えて人々をつなぎ、世界を救う!」・・・違う!

曲が人々を繋いではいないんだ。繋いだのは彼らの曲そのものではなく、彼らの思いを消した無音部分とオカルト的な噂なのだ。(悲しいけれど)

「売れないロックバンドが最後のレコーディングで叫んだ声が時空を越えて奇蹟を起こす。」・・・・違う!

彼らの青春の熱さ、苛立ち、悔しさは、やるせなさ、そういった彼らの声は、誰にも伝わっていないのだ、伝わらなかったのだ。

「自分達の信じる音楽がいつか誰かに届き、この世界を救うと信じて」・・・・そう願っていたのだろうけど!

彼らの音楽は、曲は、その歌詞は、言葉は、最後まで誰にも伝わっていない。無音部分のように彼らの思いは堰き止められたままなのだ・・・・・・・。


●フィッシュストーリーという曲にある消された無音部分に、時が流れて付きまとったオカルト的な都市伝説的な噂こそが、雅史が結婚相手となる女性を救ういきっかけとなったのであり、逆鱗というバンドとフィッシュストーリーという曲自体は、無音部分を抱えた入れ物でしかなく、雅史の行動を引き起こした直接原因ではない。辿っていけば結び付く事は確かなのだけれど、逆鱗というバンドとフィッシュストーリーという曲に込められた熱さや思いは・・・・雅史の行動の起因にはなってはいない。

曲それ自体が地球を救う原因となったのではなく、この曲の間奏部分が無音のままレコードに収録されたこと、そこに後に纏わり付いた都市伝説、オカルト趣味の噂こそが雅史に行動を起こさせ、巡り巡って地球を救う原因となったというのがこの映画に描かれてしまった繋がりなのだ。

(非常に見えにくいけれど、この部分はこの映画の脚本の大きな欠点ミスと言えるであろう)

●この映画を観た後に感じたなにか釈然としない、すっきりしない違和感、ストンと納得できないモヤモヤした気持ちの原因はこの部分にあった。


●逆鱗のラストレコーディングまでに至る物語とそのシーンは物凄く良く出来ていて、そこだけでバンド物の青春映画として切り取っても充分素晴らしいものになりそうなくらいの中身だ。だけど、あれだけ熱く、音楽に無鉄砲に入れ込んでいた逆鱗のメンバーの思いは、堰き止められ、宙を彷徨い、結局彼らの歌は誰にも届くことなく、その曲も、無音部分に女性の叫び声が聞こえるという噂の元となった”無音部分”が入った”入れ物”としてしか認知されなかったのだ・・・・・・。

●この映画の中には二つの流れがある。

A)逆鱗というバンド→売れない、苛立ち→ラストレコーディング→フィッシュストーリーという曲→間奏部分での叫び→無音部分にされる。

B)フィッシュストーリーの無音部分に叫び声の噂→雅史が女性を救う→子供誕生→シージャック→女子高生を救う→女子高生が地球を救う。

A)のストーリーは青春もので熱く情熱的で非常にいい。

B)のストーリーは巧妙洒脱で実にニクイ造りでありそして面白い。この二つのストーリーを繋ぐのは”無音部分”ではあるのだけれど、この二つのストーリーは一つの流れにはならない。

A)の川が堰き止められてこぼれた水がB)の川の源流を作ったのだけれど、A)とB)の川は合流して一つの本流となることはなく、それぞれ別の川として異なった流れを走っている。

二つの大きな流れは A)からB)に一気通貫してはいないのだ。そしてさらにA)の川の流れは激しく昂ぶっていたのだけれど、堰き止められてそのまま終わってしまっているのだ。


●逆鱗というバンドの、彼らの思いは、曲は・・・誰の心にも届かなかった。誰かの心を揺さぶることもなく、地球を救うことにも直接的には繋がらなかった。彼らの思いは、この映画の本筋となるストーリーとは別の所を流れ、そして堰き止められたままなのだ。吾郎の発した叫びはどこにも飛んで行かず、どこにも辿りつかず、堰き止められたまま燻り沈んでしまっている。それが悲しい。映画の出来は憎たらしいくらいにイイ、だからこそ余計に残念に感じてしまうのだ。

「なあ、この曲はちゃんと誰かに届いてるのかよ?」最後の演奏で吾郎がつぶやいたいたたまれない、やるせない気持ちが、逆鱗というバンドの思いが、直接に雅史の心に、雅史ではなくても、誰かの心に響いて、それが地球を救うきっかけになったという流れであれば話はもっとずっと素晴らしいものになっていたはずだ。きっともっともっと爽やかでもっともっと感動的な映画になっていたはずだ。そう思う、だからそうではないことが残念だ。

●この映画、本当に細かいところまで意識を張り巡らせ、仕込みをしているのは凄いなと思う。セリフ、シーン、モノ・・・色んな部分にたくさんの伏線が張ってあり、仕掛けがしてあり、それをいちいち確認していくのも大変だし、実際一回の鑑賞で見えなかったらそれはそこまでである。二回観なきゃ分からないという映画は半分失敗でしょうとも言える。それでも、分かりにくい伏線の部分のマイナスを除いたとしても逆鱗を巡る売れないけど頑張り続ける熱を放射しつづける青春時代のバンドのストーリーはその部分だけでも映画として充分の面白さと味わいはあったし、バンドの部分以外のストーリーは実に巧妙であり、非常に面白くそして爽やかでもある。

●この文章は何度も書き直しをした。それほど自分の心に引っかかる部分を持っている作品であるとも言える。逆鱗というバンドの思いと、フィッシュストーリーという曲がもっと直接的に、はっきりと地球を救うことに繋がっていたのであれば、もっともっとこの映画を賞賛していたと思う。そこが残念であり、悲しくもある。でもそこを差し引いても充分に面白い要素が詰め込まれた映画であることも確かだ。

●彼らの思いが何らかの形で伝わり、繋がっていたのなら、彼らは報われたと受け取れるのだけれど、このプロットでは最終的に彼らはの思いはどこにも伝わらなかったし、結局何も起こせなかったということになってしまっている。そこがこの映画の大きなミスであり失点である・・・・。

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●売れないバンドと彗星の衝突を結びつけるという突飛で飛躍したストーリーはいかにも村上春樹的であり、またフィッツジェラルド的臭いを感じさせる部分もあり、そこは自分の好みではないのだけれど。まあフィッシュストーリー=法螺話なのだからいいのか?

●宣伝用の画像を見たときは「アイデン&ティティ」や「ロッカーズ」のような音楽バンド映画かと思った。(バンドの部分は良い出来だった)

濱田岳田村圭生など「アヒルと鴨」の顔ぶれは出ているだけで面白い。江口のりこは「ハッピーフライト」での無表情な管制官の役が強烈だったが、今回も冷たく鋭い目つきで、あまりセリフもない脇役なのに相変わらず強烈な存在感をしてしている。居るだけで強烈な存在感ということでは鋭い江口のりこ、ほんわかぼんやり平岩紙が双璧になるだろうなぁ。

高橋真唯も強い瞳で強烈な印象。もう少しシーンが多かったら多部未華子を食っちゃってしまってたかも? そしてその多部未華子だが、これまた大きな目で、しかも今回はちょっと抜けたような役で、最後には地球を救う難計算をして、そして宇宙服のままグースカ寝てるなんて、そんな大計算をするようなイメージじゃないけれど、そのギャップがまた良い感じであった。まあフィッシュストーリー、法螺話だし。ラストで宇宙服を着たまま寝ている姿と「ごめんなさい」は可笑しく、しかも爽やかであった。

●それにしても細かな伏線の張り方、仕掛けは、オマージュなんかは多すぎてもう追いかけきれないね。自分はそこまで細かく作品を見尽くすということはしないけれど、ある種の人には種を見つけるだけでもこの映画は相当に手応えがあって面白いであろう。

●今回の作品は脚本が林民生となっている。「アヒルと鴨のコインロッカー」の小説をあれだけ素晴らしく脚本化し、そして映画として仕上げた中村義洋監督なのだから、今回の「フイッシュストーリー」も中村監督が脚本も仕上げているものだとばかり思っていた。「ジェネラル・ルージュの凱旋」に忙しくて「フィッシュストーリー」の脚本まで手が回らなかった?最初そんな風に邪推したのだけれど「ルート225」の時に組んだ林民生に肩を貸し、肩を貸してもらったということかな? 

マルティン・ルターの言葉で「明日世界が滅びるとしても、今日君は林檎の木を植える」が使われていた。日本でこの言葉を名言として広めたのは開高健であろう。伊坂幸太郎は村上春樹的であり、村上春樹の影響を強く受け、そのスタイルを模倣(良い意味で)しているとも言われるが、その村上春樹チルドレンの伊坂幸太郎が作品中でこの言葉を使っているのは面白い。開高健は芥川賞選考委員であった頃、その当時からかなり売れっ子であった村上春樹の作品を高くは評価していなかった。村上春樹の作品は芥川賞候補作品には上がっていたものの、芥川賞に選ばれることはなかった。開高健だけが賞を決められるわけではないのだが、その恨みか因縁かどうかしらぬが村上春樹は「ダンス・ダンス・ダンス」の中でボクという登場人物の言葉を使って、実名は出さぬまでも明らかに開高健の作品とそのスタイルを批判、揶揄していた。そして村上チルドレンともいわれる伊坂作品の映画で、この開高健がよく色紙などに書いていた言葉が使われるというのもある種の繋がり、因縁?か?

追記:言葉の出典に関してはルターではないという説もある模様。未見だが「感染列島」でもこの言葉は使われていたということだ。池澤夏樹も著書「楽しい週末」でこの言葉を使い現代の問題に言及している。(2009.7.11)

●「なあ、この曲はちゃんと誰かに届いてるのかよ?」若さの情熱、疾走、そして壁に突き当たり悩み、もがき、苛立ち、悲しくなる、そんな思い。誰しもがきっと、必ず吾郎や逆鱗のバンドのメンバーと同じような切なさや、やるせなさを自分と自分を取り巻く社会の状況に対して感じたことがあるであろう。この映画にはミステリーサスペンス、巧妙なパズルの謎解きといった要素と、バンドのメンバーの溢れんばかりの情熱の部分が一緒に折り込まれている。洒脱な部分と汗臭い青春物の部分が組み合わさっているからいい感じの映画になっているのかもしれないけれど、バンドの様子をこれだけ熱く描けるのだから、中村監督にはもっと単純で情熱だけで出来ているような熱い青春ものを撮ってもらってもいいのが出来るんじゃないかな?

●まあそれにしてもあれこれ一杯詰め込まれた映画である。そしてまあ、気がついたらずいぶん沢山書いてしまっている。これは「リリイ・シュシュのすべて」の長さを越えてこのブログで最長の批評になってしまった。検索エンジンで辿り着いてここを見た人も、この文字量じゃうんざりして全部読もうなどとは思わなくなるか?(笑)

●もう一回観てもいいかな? 

4月19日追記

原作小説を読んだ。

登場人物それぞれのストーリーはほぼ並列に置かれ、どこかに荷重されているわけでもない。どちらかといえば世界を救った橘という女性と、ハイジャック犯を倒して、結果彼女を救うこととなった瀬川の話が一番の真ん中かな?原作上では特にバンドの部分、フィッシュストーリーという音楽の部分に比重が置かれているわけでもなく、それも時代を超えて絡み合うストーリーの一つの要素として配置されている。

●映画が原作と違うのは、逆鱗というバンドとフィッシュストーリーという曲に焦点を合わせ、荷重を掛けて描いているということ。映画化にあたっての脚本の段階でバンドの部分を大いに脚色し、全体ストーリーの中心部分に据えているということ。そして映画の宣伝PRも「フィッシュストーリーという曲が時空を超えて世界を救う」としている。しかしだ、バンドの部分を強く描いてはいるもののの、ベースとなる全体の構成は原作に則っり、各々の係わり合いも原作に準じている・・・・原作の中では並列的に扱われていた一つ一つのエピソードのうち、バンドの部分を映画では強調して脚色をしたものの、その絡み合いという部分ではバンド、雅史、船のコック、女子高生の位置関係は並列なのだ。

●どれか突出したものがあるわけではなく、並列な位置にあるエピソードがなぜか時を越えて絡み合ったという小説なのに、映画はバンドの部分を突出させてしまった。そして、その並列的な係わり合いが結果的に世界を救うという土台で話は進むのに、バンドを強調しすぎて、そのバンドの音楽が世界を救うとやってしまった。

●だから、ベースとして流れているストーリーとの構成上の違和感が生まれたのだ。全体のストーリーの中ではフィッシュストーリーという曲も、逆鱗というバンドも、無音部分も全体を作る一要素として存在しているのに「フィッシュストーリーという曲が世界を救う」「無音部分が巡り巡って世界をすくう」という言葉まで付けて、それがすべての起因で、原因で一番大事なものというようにしてしまった。これが間違いの原因である。

●何度も書いているけれど、ストーリーをしっかり追いかけると、逆鱗というバンドも、その情熱も、フィッシュストーリーという曲も、無音部分も、そのどれかが強く作用してラストに影響を及ぼしているのではないのだから、それなのに「無音部分が!」「フィッシュストーリーという曲が!」と頭を並べているはずの要素をやたら強調してしまっているから、なんだか言ってることが違うじゃないの?という違和感を生み出しているのだな。

●この辺りは脚色のちょっとしたミス、独走ともいえるし、映画のキャッコピー、宣伝のミスとも言えるな。

●小説の後書きにはこんなことが書いてあった「長い時間と場所を漂う物語を作りたい」と・・・そう、小説は色々な話がふんわかりんと漂い、それがいつのまにかとても大事なことに結びつくというもっとアンニュイストーリなのだ。どこかが強く強調されてはいない、ふわふわした話が小説の持ち味になっているのだ・・・・映画はそこを変えてしまっているけれど。

●面白い作品に仕上がっていることは間違いないのだけれど。

alfredmussetalfredmusset 2010/08/04 01:18  いつもLACROIXさんの映画批評を読ませていただいております。
「フィッシュストーリー」という売れないバンドの売れない曲が
世界を救う導きになったのは、このバンドの最終レコーディングを
めぐる青春夜話での五郎の叫びです。レコード化段階では無音部分
になったのですが、それが女の悲鳴云々は後の人間がとってつけた
因縁であって、あの居酒屋でも岡崎は曲を聞いていて無音の時に
聞こえたウェイトレスの声に男が気づいたとしたら・・、という展
開にしています。悲鳴は伝説の一助になったとしても、おそらくこ
の曲が世界を救うきっかけは、青春の咆哮ともいうべき五郎の叫び、
つまり1970年代の音楽シーンで一足早いパンクロックに青春を燃や
した男女達だと映画は訴えたかったのだと思います。レコードでは
無音でしたが、最後の再現シーンではきっちり五郎が叫び、その叫
びに導かれるように雅史はエリーを救いに向かっていっています。
 私はあのシーンが一番好きです。逆にあとの展開こそ後付けのよ
うなものと考えています。DVDの未公開画像ではなんとあの救った
エリーは雅史の憧れる女性だったと種明かししています。無音の叫
びが女性の叫び声に重なって雅史の勇気を奮い起こたのです。エン
ドクレジットでこのエリーは「運命の女性」と書かれています。

 「僕の孤独が魚だったら・・」という言葉で始まるこの本は叔母
の本棚から岡崎が取り出したものですが、なんとその同じ棚には、
「孤独の発明」というポール・オースターの本が並んでいました。
この中村監督はこういう小細工が好きで好きでたまらないようで、
「アヒルと鴨」でドルジの部屋のキャビネットにはなんとブータン
国旗、ブータン国王の写真があって最初からブータン人だと晒して
ありました。「孤独の発明」は父を語る物語です。ヒーローも父を
語り、レコード屋の親父の父親があの岡崎であることなど考えると
中村監督は原作を遥かに離れた、父と子に連なる物語を映画で表現
したかったのかも知れませんね。
 ちょっと支離滅裂になりましたが、これが私の感想です。

LACROIXLACROIX 2010/08/04 15:29 alfredmussetさん、コメント頂きありがとうございます。
alfredmussetさんのページを経由してこのブログにやって来る人が多かったので、以前よりalfredmussetさんの『アヒルと鴨のコインロッカー』に関するページは拝見させていただいておりました。余りに過分な褒め言葉が書かれているのでちょっと気恥ずかしくもありますが、有り難うございます。m(_ _)m
たまにこのブログの日記を書いていて「面倒だからそろそろ止めるか」なんて思う事があるのですが、そんなときにalfredmussetのように、このブログを読んで褒め言葉を書いてくれる人もいるんだから、微々とでもいいから書き続けていこうと思い直したりしてします。

フィッシュストーリーは劇場で一度観た後に、何度か修正して日記を書いていますが、あの頃一番違和感を感じたのは作品宣伝のコピー「フィッシュストーリーという曲が世代を超えて世界を救う」というものでした。世界を救ったのはフィッシュストーリー曲でも、その無音部分でもないんじゃない? それは始まりではあったけど、その他の色んな要素が積み重なって世界を救うところまできたんじゃないの? フィッシュストーリーという曲と無音部分は巡りめぐってラストに繋がるけれど、その繋がりはかなり遠く薄いんじゃないの?ということでした。まあ、この辺のことは長々と日記に書いて居ますが、あの宣伝文句に納得がいかなかったというのが、自分が延々と文字を連ねたきっかけでした。それにしても随分と書いてますが。作品そのものよりも宣伝コピーに「ちょっとそれは違うだろう」と怒っていたような気がします。(-_-;)
この作品は劇場で1回観ただけなので、もう1回観たらalfredmussetさんの言われている部分にも気がつくかもしれません。特典映像などにもまた色々入っているといことなので、面白そうだなぁとは思うのですが・・・・。
中村監督の作品は嫌いではないのですが、アヒルと鴨にしてもフィッシュストーリーにしても、あれこれ伏線を張ってあって、それを最後にきちんと回収するという技に最初は面白いなぁと感激していたのですが(最近の小説にもこの手の伏線とその回収を使うものが増えてますが) 段々と気持ちが変化してきて、映画の王道はこれじゃないよな。二回三回と観てあとから色々小細工や遊びを探すというようなやり方はゲーム、宝探しの感覚であり、映画の本筋じゃない。なのにそこが映画として評価される、面白いとされるのはオカシイと思うようになってきました。映画の王道は一回観て、全てを理解できて、そして感動することじゃないかと思うのです。仕組まれた小細工の宝探しをするというのは映画の見方、作り方としては邪道なんじゃないか? と思えてきているのです。そんな気持ちもあって、宝探しをさせるような映画はあまり好きではなくなってきているのです。映画ならば小細工なしでドーンとまっすぐ王道で感動させて欲しいなと・・・・。
また、長く書いてしまいそうですが、自分の心情の変化もあって、中村監督お得意の映画作りに今の自分は否定的な気持ちなのです。
それでも、アヒルと鴨も、フィッシュストーリーも、好きな作品であることにはかわりありませんけれど。
フィッシュストーリーの中で一番に重要な部分は、それこそalfredmussetさんが言われるように、父が息子に「正義の見方になれ」と言って武術を教え、その父の教えにしたがって悪を倒し、それで地球が救われるという、父と子の世代を超えて繋がったまっすぐな意志、思いの伝承だと思うのです。もう極論してしまえば、その親子の繋がりが世界を救うと言う部分さえあれば、バンドも、フィッシュストーリーという曲も、無音部分もなくたっていいとさえ思ってしまうのです。

観た映画の事を、観た時に感じた事を忘れまい、記録しておこうと始めたブログですが、最近は劇場公開作品に心引かれるものも少なく、観ても怒りばかりしか出てこないような作品だと、もう日記に書き留めることもしなくなっています。ダメだダメだとばかり書いているのもネガティブ過ぎで嫌なので。
これはと気に入った作品があったら、不定期にこれからも日記を続けていこうと思いますので、お暇なときにちらちら観て頂けたら幸いです。
有り難うございました。

alfredmussetalfredmusset 2010/08/04 20:16  LACROIXさん、さっそくのお返事ありがとうございました。
わ、見ていただいていたんですか、すみません承諾なしにリンクしてしまって。
どうも私の作品への観方がちょっと穿った部分まで追求してしまうのは悲しい
癖かも知れませんね。ということは原作者の井坂氏も監督の中村氏もこういう
好みにマッチしているのかも知れません。しかし中村監督は凄腕だと思います。
なんか原作をすべて換骨奪胎して新たな映像芸術を作り出せる力を持っている
と思います。同じ作者の「重力ピエロ」の映画にはそれが見出せませんでした。
あなたのこの映画批評ブログは数多あるなかでも秀逸だと思います。これから
もぜひ書いてくださいね。楽しみにしています。といって私のほうは途中で
挫折してしまって、反省至極です。ではでは今後もご健勝をお祈り申し上げます。

けにーけにー 2011/10/26 23:22 どうもはじめましてこんにちは。
先程ひょんなことから批評を拝見させていただきました。
若輩者ながら僕が思う部分で、一つ気になる部分があったのでコメントさせていただきました。

批評の中に 世界を救ったのは音楽性や歌詞ではなく無音部分だ ということが書かれていましたが、僕は少し違った感想があります。

反対の意見というわけではないのですが、無音部分を作った要因として吾朗の愚痴が録音されたからなのですが、かくかくしかじかで積りに積もった吾朗のフラストレーションの発射のスイッチを押したのは他ならぬフィッシュストーリーの音楽性であったり歌詞だと思います。

世界を救ったのは無音部分だったりオカルト的な伝説ですが、その無音部分ができた根本には吾朗の愚痴を発射させる最後のスイッチになったフィッシュストーリーの音楽性や歌詞があると僕は感じました。

以上の点で、世界を救う話しにフィッシュストーリーの音楽性は根本で多大に影響していると僕は思いました。

失礼します。

aeae 2012/01/02 20:30 私にも違う解釈があります!


山の中で女性を助けた時、気の弱い雅史は一度引き返しましたよね。
フィッシュストーリーという曲の空白部分が終わって最後のサビが聞こえてきたのか、頭の中でフッとかかったのか、
一発録りで録ったその曲に込もっている情熱や心の叫びなどが雅史の背中を押したように感じました!スイッチを入れたのはフィッシュストーリーだと思いました!
あのパンクバンドが唯一自由に演らせてもらった曲です!色んな気持ちがぶつけられた最高の出来だったと思います。
キッカケを作ったのは確かにフィッシュストーリーの間奏部分の空白だけど、雅史を奮い立たせてくれたのはフィッシュストーリーという曲そのもの、
フィッシュストーリーという曲を作った逆鱗のメンバーが自分達の音楽を正しいと信じてた事、それをそのまま演らせてあげた岡崎さん、、、

空白にあった吾郎のセリフを伝えてもきっと意味がなかったと思うんです。
言葉って頭で考えて理解できるものだけど、音楽って体に?芯に?多分ダイレクトに響くから、逆鱗の信じてた音楽が、最高だと感じてやりきったフィッシュストーリーが、雅史にちゃんと届いたんだと思います。


文章が下手でごめんなさい!自分はこういう事だと感じたので思わずコメントさせていただきました!

LACROIXLACROIX 2012/01/03 21:26 けにーさん、aeさん
それもあり、これもありで、いろんな解釈でいいと思いますよ。受け取り方感じ方は千差万別十人十色ですから。映画の場合じぶんの解釈や考え方を他人に押し付けようという人間が多すぎます。自分はこう思うよ、君はそう思ったんだ。それでいいのにね。まったく。
aeさん、文章に熱気がありますな。気持ちが伝わる文章は上手い下手じゃありませんから。(*^^)v

権兵衛権兵衛 2013/03/12 15:23 宣伝コピーがまさにフィッシュストーリーってことですね。

mkenmken 2013/05/05 19:59 テレビ放映され、取り溜めしていたものを今日見ました。
みなさん、あまり触れいませんが、フィッシュストーリー:ホラ話です。
物語には、実はふたつのホラ話があります。
、ヒーローになって地球を救うという予言
2,地球が滅びるという予言

F-kenF-ken 2013/05/15 00:24 こんばんわ
最近になってこの映画を観て、こちらのサイトを見つけ読ませていただきました。

>「フィッシュストーリー」という曲が、そこに込められていた彼らの思いが・・・時空を隔てて地球を救ったのでは・・・・・・・ないのだ。
>(非常に見えにくいけれど、この部分はこの映画の脚本の大きな欠点、ミスと言えるであろう)

このように書かれていますが、私はそうは思いませんでした。

1つ目は、バンドのメンバーは皆自分たちの曲が売れないことをわかっていた。
なにをしてもどうせ売れないんだから好きなようにやろう、誰にも届かなくてもせめて自分たちだけでも納得できる局にしようと思ったわけだし
五郎の間奏部分のセリフは熱い叫びではなくただの愚痴でした。

そんな全く売れないバンドの曲が、意外な形で、また彼らの思いとは全く関係なく
世界を救うことになる小さなきっかけになった
それがこの映画のおもしろさかなと思いました。

もう1つは“フィッシュストーリー”が“ホラ話”の意であること。
曲を録り終ったあとでメンバーたちが話をしている
もしかしたらあの曲がきっかけで物語が始まるかもしれないじゃん
例えばあの無音部分がきっかけになって男女の出会いがあったりとかさー
どうせホラ話なんだからさ、最終的に世界を救うくらい壮大な話でもいいんじゃね?

というような与太話が巡り巡りってホントの話になっちゃった
ここにこの映画のおもしろさが集約してるんじゃないかと思います
(フィッシュストーリー=ホラ話なのにメチャクチャな翻訳でメンバーに伝わったのもおもしろさのひとつかな)
この偶然の積み重ねが長い時代を経て世界を救った、このストーリーの進み具合が『フィッシュストーリー』という曲にこめた思いが誰かに届いて世界を救うことになった
よりもずっとおもしろく感じます。

やはり「フィッシュストーリーという曲が世代を超えて世界を救う」という宣伝コピーにとらわれ過ぎたのでしょうか?
私は宣伝コピーなど何も知らず(ほぼ映画のタイトルしか知らない状態)で見たので、何の違和感も感じなかったのでしょう。

同じ映画を観ても感じ方が人によって違うのも映画の魅力だなぁ、と感じ自分の思ったところを書かせてもらいました。
これからも熱の入った批評を期待しています。

LACROIXLACROIX 2013/05/15 01:05 ▷そんな全く売れないバンドの曲が、意外な形で、また彼らの思いとは
▷全く関係なく世界を救うことになる小さなきっかけになった。

そう!そうなのですよ。彼らの思いとか情熱が伝わって世界を救うきっかけになった!・・・のではなくて、単なる変な噂話がきっかけになって世界を救うことに繋がったんですよ!

バンドのシーンや、売れない彼らの苛立ちなんかが実によく青春の滾りとして描かれていたのに、それが世界を救ったわけじゃなくて、それはただ空回りしてただけで、その思いが何かを変えたわけでもなんでもないんです。だからこの映画ダメなんです(嫌いじゃないけど)だったらあのバンドの話なんかすっかりそのまま要らないんですよね。脚本としては。それなのに映画の中で熱く輝いていたのはあのバンドのメンバーの青春の滾りだったわけで、本筋とは別のところにあったものが本筋より輝いちゃっているわけです。だから、この映画は脚本として根本的な倒錯があると思うのです。

かといって、あのバンドの話がなかったら、ただ昔のCDの無音部分が地球を救うきっかけになったというのなら、メチャ詰まらない映画になっていたでしょう。

あのバンドの話と、映画の本筋、地球を救うという話が完璧に遊離しちゃってるんです、実は。その辺りですね、私の辛口は。(;^ω^)

嫌いじゃないんですけど、この映画。(*^^)v

通りすがり通りすがり 2014/02/08 08:09 ゴレンジャーがやたらフューチャーされていたので、
ストーリーに絡む5人が集まって世界を救うんだと思って見てしまった。
「ほら話」ならそのくらい盛大にド派手に無理やり落ちを付けても良い気がするけど。
イマイチ、カタルシスが少ない感じ。

muumuu 2014/03/28 05:47 こんにちは。伊坂ワールドのファンの高3です。
みなさんの意見を見て私も私の考え方を伝えたいと思っていてもたってもいられなくなってコメントを書く事にしました。
もう何年も経っているのに年々沢山の意見が集まってて
フィッシュストーリーはまだまだ人気だなと思いました。笑

私の解釈では、「なあ、この曲はちゃんと誰かに届いてるのかよ?」は、
私たち映画を見た人に向けてのメッセージに捉えてもいいかなと思います。

彼らの想いというよりは曲の無音が世界を救ったのかもしれません。
でも「彼らの想いがなかったら」、「彼らの想いを岡崎さんに伝えようとしなかったら」、
「あの時の愚痴がなかったら」、彼らの曲は無音にならなかった。
つまり、彼らの曲の途中で無音になったのは彼らの想いがそうさせたのだからそれでいいかなと思います。

ですがこの映画の中は「あくまでも無音が世界を救った」という見方もあるでしょう。
だからこそ「なあ、この曲はちゃんと誰かに届いてるのかよ?」は
この映画を見た私たちに届いてればいいんじゃないかなと思います。

この映画を見て彼らの想いが乗ったこの曲を私たちは知る。
そして少なからずこの曲を気に入った人はどこかにいるだろうしこうやってこの曲を巡って討論する人もいます。
彼らはそれで充分じゃないでしょうか。そうやってちゃんと私たちに届いていたと思います。

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