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2012-06-14 『寒椿』女衒に売られた牡丹と南野陽子が重なる。

LACROIX2012-06-14

[]『寒椿』(1992)

原作宮尾登美子

・全然そういうことも知らないで、いきなり南野陽子の濡れ場が出てきて「へぇ、南野陽子って脱いでたんだ。こんなピチピチの奇麗な若い女性アイドルが!」とちょっとビックリ。しかもすべすべ肌でほっそりしていて胸もペチャでもなく巨乳でもなく程よい大きさ美しさ、乳首も小さく奇麗・・・そんな若くてアイドルの状態でこんな大胆ヌードを披露するんだから凄い。濡れ場シーンは細く華奢な体が実に美しくエロチックだ。それが二度、三度と・・・不幸を抱えた悲しげな表情もなかなか巧い。

・南野陽子 撮影当時は23か4歳・・・そんな若さの南野陽子がヌードになってたって初めて知った。当時は「南野陽子の濡れ場が話題になった」ということだが、若くてピチピチの人気アイドルだった南野陽子の裸を拝めるといのであれば、そりゃ話題になるだろうし、それだけで作品の内容うんぬん別にして人集めには宣伝費何千万掛けるより効果的だろうなぁ。

・ちょっと検索したら、事務所からの独立や人気の陰りなどで一旦歌手活動を休止し、その後この映画で初ヌード披露という流れだということらしい。やっぱりそういうものかな?

トップアイドルから人気が陰り、まだまだ若々しい美しさを持ちながらも肌をさらして濡れ場を演じることで女優に復帰する南野陽子の姿は、陽暉楼で女衒に売り物として扱われ、娼婦として翻弄の人生をおくる牡丹の姿に重なって見える。いうなれば芸能界という陽暉楼の女衒によって南野陽子は生き抜く為にこの役をあてがわれそれを受け入れたと言うことだろうか。

・牡丹を演じる南野陽子の悲しみの表情や、背中に浮かぶ影は、そのまま牡丹の悲しみや人生の影を体現しているとも言える。アイドルのままであればこの役は演じることが出来なかっただろうし、アイドルのままであればこの女の悲しみを演技で伝えることもできなかっただろう。自分の人生と役が重なることで、牡丹という役に女性の悲しさや影が嘘ではなく宿ったということかも知れない。

最後の立回り場面は迫力もある。西田敏行も役にはまっているかたせ梨乃はこういう役には相変わらずぴったりだ。だがなんといっても、この映画は柔肌と乳首をあられもなく晒し、驚くような濡れ場を演じた南野陽子あってのもの、女衒に売られた娼婦としての牡丹の悲しみを南野陽子が体現したことが観るべき点であろう。

・映画なんてものの一部には女優のヌードやエロシーンで売るために作られたってようなのも多いが、この映画もそういう女優の濡れ場で売ろうと企んだ映画であろう。だが、南野陽子の演技や表情を見ていると、女優、女の悲しみや性が浮かんでいるようで、決して南野陽子は売れたくて、もう一度芸能界に復帰したくて脱いだというのではなく、悩みながらも裸になることを受け入れ、悲しみを感じつつ演じていたのだろうと思う。

・もういいや、脱いでしまぇ、関係ないやーって勢いや明るさはこの映画の中の南野陽子には感じられない・・・。

・南野陽子はこの演技で日本アカデミー賞優秀主演女優賞を獲得・・・ってそれも知らなかった。汗

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