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2017-12-22 『スターウォーズ/最期のジェダイ』完成度は高い、だけど何かが違う

[]『スターウォーズ/最期のジェダイ

☆☆ネタバレあり☆☆

・待ちに待ったスターウォーズ EP8の公開! 事前の情報予告編などから想像していたことはすべていい意味でひっくり返され、期待にそぐわぬ素晴らしい作品に2時間33分スターウォーズの世界にどっぷり浸かって、物語を堪能! 目の前のスクリーンのなかで片時の別世界を味わえた。文句なしの満点だ、100点満点、映画映像としても極めてハイレベルなところに達している。人が絵をどうみたら、どういう角度でどういう配置で並べたら最も効果的に臨場感や恐怖感を味わえるかという点も極限まで計算されていると言えるだろう。そのくらい映画としてのできが良い。・・・だが、観終えて時間が立つに連れて・・・気持ちが少しずつ変化してくる。確かに素晴らしい映像、脚本の作品だ、だがそれ以上のなにか、満点を超える何かが無いかもしれないと。

・脚本は練に練られている。物語の整合性に疑問がでないように、きっちりとした話の理由付けが明確になされていて「あれ?」とか「ここおかしいんじゃない?」と観ていて思うようなところはほぼなかった。」(後から何点か思いつくところが出てきたが) ストーリーの流れもほとんどひっかりがなくスムーズだ。上映中も上映が終わっても「うーん、これは隅々まで感覚が行き届いた実にクオリティーの高い映画だ」「拾にスキがない、なんて密度が高く、がっしりと四ツに構えた映像の集合体なんだろう」とほぼ陶酔状態だったのだが・・・しばらくすると、だんだんと魔術が解けてくるように何かが足りない気持ちが沸き上がってきた。

とりあえず一回観ただけなので記憶が不確かだったり、間違えてとらえてしまっているところもあるかもしれないが、気になるところを、気に入った所を羅列しておくとしよう。

☆《ヨーダの造形に泣けた!》

前作『フォースの覚醒』では監督エイブラハムがSW過去作へのオマージュ、回顧に走りすぎているという批判があったが、長らくのスターウォーズ・ファンとしてはそれはそれでワクワクドキドキしてとても良かった。ハン・ソロチューバッカがミレニアム・ファルコンに戻ってくるシーンは感涙ものだったし。崩れ落ちたスターデストロイヤーや、AT-ATスノーウォーカーが画面に出てくるたびに歓喜した。

《 2015-12-22日記 『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』SWファンにとって最高の傑作 》

今作では前作で批判も受けた懐古主義的な部分は少なくなっているという話を聞いていたが・・・なんのなんの、所々にファンなら喜ぶ旧作SWのセリフや映像がさりげなく散りばめられていて、なかなか憎い作りであった。そんな中で1番良かったのはヨーダの登場シーン。CGIの技術は格段に進歩していて、もはやどんな映像でも作れないものはないという状態であるのに、今回のヨーダ−はなんとその最先端のCGIで「エピソード帝国の逆襲」に出てきたマペットのヨーダ−を復活させているとは・・・監督たちのこのこだわり、この意識には敬服するね。作品の時系列を合わせる意味でもヨーダはEP4-6よりもさらに年齢を重ねているのは分かるのだが、あの1970年当時のマペットの風貌、動きをそのままに再現させているとは・・・お見逸れしました。EP5そのままに、杖をつきながらよちよち歩きをするヨーダ。新三部作のEP1-3でありったけCGIを使ってあのピョンピョン素早く目にも止まらに速さでライトセーバーを振り回すヨーダには驚いたが、ちょっとやり過ぎという感もあった。それが今回はなんとでも動きを作れるはずのヨーダをわざわざマペットのぎこちない動きに合わせて作っている。ここにはスターウォーズへの愛を感じるなぁ。そしてヨーダがルークと並んで遠い空を見上げるシーン。見事にEP5の若きスカイウォーカーとヨーダの並んだシーンへのオマージュ。こういうところにSWファンとしては嬉しくて涙が出てしまう。

☆《完璧なまでに美しい配置》

バージョンアップしたAT-M6ウォーカーのなんともカッコよく強そうで恐怖感のあることあること。AT-ATスノーウォーカーのデザイン上の弱点、足の弱さなどを見事に取り除いてまるで強靭な猛獣の如くにしあげている。並んで登場するシーンは画角、配置ともベスト小津安二郎人間、道具の配置へのこだわりのように、この登場シーンはそれぞれの位置関係、観客からの視点など徹底的に計算されて場の雰囲気を作り上げている。このシーンは素晴らしい絵であり写真だ。

《全然動かないスターデストロイヤー》

なんでもかんでも大きく、大きくすればいいってもんじゃないと思うが、今回の作品でメガ・スターデストロイヤーというやたら横にただ長いだけのような全長60kmとかいう設定の巨大艦船が出てきた。たしかにデカさに凄いなぁとは思うのだが、これただ浮かんでるだけ。そしてもっと悪いのは、いままでのシリーズ帝国軍の圧倒的な力の象徴でもあったスターデストロイヤーが相対的にちっちゃくなってしまって、後ろの方にこれまた浮かんでるだけ。ほぼ戦闘、攻撃にも参加してない。「なんだよ、スターデストロイヤー全然動いてないじゃないか」とスクリーンを観ながらイライラ憤り。今回の作品からファースト・オーダー・ドレッドノートなるスターデストロイヤーの2.5倍、19kmもある新艦船も出てきているということだが、メガ・スターデストロイヤーがでかすぎてこのドレッドノートもまるで目立たず。というかこういう馬鹿みたいにデカイ船をわざわざ設定しちゃったために、旧3部作のEP4冒頭で、あのスターデストロイヤーがドーンと出てくるあの巨大感にのけぞって驚いた体験がちゃかされてしまった。正直意味なしというくらい大きさだけを強調した今作品の船艦のせいで、過去の作品が持っていた素晴らしい映像体験やイメージまでもぶち壊してしまったといえるだろう。これはSWファンとして声を大にして非難する! 

《ポーグはただのおちゃらけキャラだったのか》

可愛らしい姿で公開前から注目されていたポーグ。ファルコン号でチューイと一緒にコックピットにいる映像などからも、このちっちゃくて可愛いキャラがどういう力をもっているのだろう。チューイと一緒にファルコンを操ってなにかもの凄い活躍をするのだろうか? などと想像していたら、ただ単に可愛いだけのおちゃらけキャラだった。重力がかかって窓にぎゅ〜っと押し付けられるシーンだとかは笑えたが、完全にディズニーのキャラ売り戦略の部品というだけだったとは。もうフィギアぬいぐるみを売るためだけに追加したキャラという魂胆がミエミエでどうしょうもない。それとも次回作でなにか活躍するシーンでも加えられるのかな? そうでないとあざとすぎるもんな、このキャラは。それでもイウォークやジャージャービンクスよりは良いって? 確かにそうか・・・・(-_-;)

《スターウォーズに燃料切れの話はダメダメだろう》

宇宙の話はねぇ、色々あるけけど、それをやっちゃいけない、それは当然のこととして受け入れた上で観てないとどうしても辻褄合わなくなる部分は出てくる。1番はっきりしてるのは爆発の音。宇宙じゃ音しないでしょ、ドーッカーンとかね。でもそれは目をつぶって見てるわけだし、音がしなかったら映画としてやはりつまらない。(キューブリックは音を消したけど)、同じくこんな巨大船艦で食料はどうしてるの、水はどうしてるの、空気は・・・そして燃料は?? イオンエンジンは、ハイパースペースドライブは・・・いろいろ未来の技術が開発されて現実世界のように燃料に煩わされることはほぼなくなっているという仮定の上で宇宙物の映画をみんな見てるわけで、燃料どうしてるんだろう、こんなに飛べるはずないだろう、嘘だ!と言ってしまったら全部話が台無しになってしまう。だからそういった現実世界的な制約は取り除かれているとう仮定でSF映画はみんな観ているわけなのに・・・燃料がもちません、後何時間でなくなります・・・ていうのをストーリーにいれてしまうのは、大大大失敗、失策なのだけどねぇ。監督や脚本家はこれだけ素晴らしくまとまったストーリーを作り上げたのに、その部分は気が付かないのか? それとも話を作り上げる発想力が足りなくて、つじつま合わせで燃料不足をもちだしたのか? 何にしてもダメダメ。

ハイパードライブで敵艦に神風アタックもダメだろう》

これも、今回やっちゃったら、今までだって危機に陥ったときにただ撃ち落とされるんじゃなくて、ハイパードライブで突っ込めばスターデストロイヤーもやっつけられただろう・・・と思うよねぇ。ホルド提督がカミカゼアタックでメガ・スターデストロイヤーに突っ込み爆破するシーンは少しウルウルきたけれど。

《ハイパースペース・トラッキングシステム

ハックス将軍が「奴らに紐を付けておいた」とするハイパースペースを超えても相手を追跡出来るというシステム。これに対してフィンとローズが「奴らの追跡システムを破壊するのよ」というのが物語の大事な筋になっているのだが・・・なんで、追跡されてるって分かったら、本体の追跡システムを壊そうということになるのか? 相手の追跡システムを解除しない限り、永延に後を付けられてしまうと考えるんじゃなくて、普通に考えれば自分たちの居る船に何か追跡システムに信号を送る装置が付けられている、それを探して壊そうと考えるでしょ。つまり発振器、ビーコンがどこかにあるって考えるのが当然なんだけど。。。sらにおかしいのは、レイには居場所がわかるようにビーコンを持たせてる・・・ハイパースペース超えてルークの居る星にいってるのに?? んー、もうこういう部分でで突っ込み所満載なんだよなぁ。いや、全体的に脚本の出来は素晴らしいのだけれど、サラーッと見ていると粗にはあんまり気が付かないんだけど、よく考えると、監督や脚本家達が“よく考えていない”ところがあれこれ見えてくるんだよなぁ。大体にして30年以上前の設定となる『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』でオビワンが逃げるジャンゴ・フェットのポッドに追跡用の装置を投げつけてくっ付けるシーンがあるじゃない。てことは、ずっとまえからそういうシステムは出来ていたんじゃないの? とか言いたくなるんだよね。

コードブレイカーの話は伏線が回収されていない》

マズ・カナタがファーストオーダーの暗号破りはこの目印を探せ!といって示した花のバッジみたいなやつ。カジノでその目印を付けてた奴はあれ、誰なの? デル・トロ扮するDJが実はあの目印を付けてるやつにだまされて監獄に入れられた、というなら話もまあ繋がるが、あの目印に関しては映画のなかで結局何のお話もなし。伏線がまるっきり回収されず投げ捨てられてる状態。今回の映画公開版は上映時間153分と現状でも長尺だが、監督のライアン・ジョンソンが完成版から50分近くをカットして劇場公開版にした、未公開部分はブルーレイに収録するなんてことを言っているので、ブルーレイになったところで、あれこれつじつまの合わないところや、なんかここが変だという部分が分かってくるのかもしれない。それにしても、2時間33分もありながら話として???と疑問に思った所が何箇所かあるので、この劇場公開版はディレクターズカットじゃなく、短縮版という扱いになってしまう可能性もある。ロード・オブ・ザ・リングのときも同じようなことやってたな。これもソフトを売るためのあざとさに思えるが。

いきなり出てきたけどマズ・カナタが「労使交渉やってるんだよ」といって銃撃戦してるのはちょっと笑った。マズ・カナタも不気味な老女じゃなく、なんかヨーダ的なウケ狙いキャラにしようとしてるのかもしれないが。

《毎度のことだがシスってあっさり殺られる》

ファーストオーダー最高指導者スノーク。フォースのダークサイドを使い手、シス。だけど・・・あっさり殺されるよなぁ。それだけ強いのに、人間の心も読めるのに・・・。真っ二つにされるというのはお約束をきちんと踏襲してるが、それにしてもなんかあっさり過ぎ。でも考えてみれば、EP1でのダース・モールもあっさり、あれぇ〜という感じで真っ二つ、いとも簡単に殺られた。ドウーク伯爵もあっさり首を落とされるし、絶対勝ち目なさそうだったパルパティーンは反応炉に突き落とされて死んじゃうわけだし、シスじゃないけどグリーパス将軍も、もの凄い強いという話だったのに、オイオイというような情けない殺られ方で死んじゃったし、スター・ウォーズに出てくる悪の皇帝やら支配者、将軍・・・なんか邪悪でもの凄い強そうな設定なのに、ぜんぶあっさり殺られてる。(ダース・ベイダーだけは例外?)ことさら今回のスノークの殺られ方って、余りに簡単すぎないか? なにが最高指導者でなにがシスなの、どこが邪悪でどこが強いの? と思わずにはいられない。

《レイは一体どうして強いフォースを持っているのか》

カイロ・レンがダークサイドに堕ちるきっかけとなった話は巧く出来ていた。ルークがその原因だったとはかなりの驚きであり衝撃的であった。しかしなぁ、ダース・ベイダーの息子であるルーク、双子の娘の子だから孫にあたるベンことカイロ・レンで、カイロ・レンがルークを押しのけてジェダイ寺院を崩壊させるほどのフォースを持っていると言うのはイマイチ納得がいかない。母親であるレイアがダース・ベイダーの娘なのだからスカイウォーカー家の血筋を引いているとしても、母親も父親であるハン・ソロもジェダイにはならなかったし、レイアのフォースが特に強かったというわけでもないんだが。そしてそれ以上になぜレイは他のだれよりも強いフォースを持っているのか? この点に関してはなんら答えが示されていない。レンとレイの会話ではレイが両親から見捨てられたただの娘だという話レイがするわけだが。カイロ・レンとレイの会話のシーンです。カイロ・レンがレイに「お前の両親は何者でもなく、ジャクーでガラクタを回収していた夫婦ですでに死んでいる。お前は見捨てられたのだ」と衝撃の事実が告げられたが、じゃあなんでレイはあんなに強烈なフォースを持っているのか? 

《ハン・ソロは本当に死んだのか?》

これもまたレンとレイの会話でだが、レイが「あなたは父親を殺したのよ」と言ったところでレンが「本当にそうおもうのか」というようなことを言っていた。ん??? 確かに「フォースの覚醒」でハン・ソロはライトセーバーで体を射抜かれ、船艦の底へと落ちていくのだが、実際に死んだ様子の描写は一切なし。葬式もなし。でもレイア将軍が夫であるソロの死を感じたような部分はあった。でも完全に死んだという描写はなかった・・・さてここもどうなるのか?

《ルークのホログラムはダメでしょ》

もうさぁ、あれをやったらなんだってオッケーになってしまうじゃない。( ´Д`)=3 それとラストレジスタンスの指輪を付けた子供がフォースを使うような場面があり、次回作への希望につながっていくようなシーンがあるが、なんかこれもわざとらしく、よくよく使われてきたような子供っぽいシーン。まるでディズニーの子供向け冒険物語的な終わり方だ。

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と、ここまで書いてきたら、否定的な所感ばかりになってしまった。この作品を観終えたときには「凄い完成度だ、スキがない、凄い映像だ」と溜息を付くほどにどっぷりスターウォーズの世界に取り込まれ、凄い凄いと感嘆し、かなりの満足感に浸っていたのだが・・・時間が立つに連れて、いろいろなシーンを振り返って考えるに連れて、どんどんと疑問や不満、納得の行かないところが出てきた。

映画の完成度は高い、でも何かスターウオーズ的でない変なものを感じる。商業主義、ディズニーの金儲けの道具的になった部分も大いに感じる。少なくともこれは絶対に言えることだが・・・

「帝国の逆襲」を超える最高傑作!・・・というのは違うな。

当初に予想していた展開は見事にほとんど外れた。カイロ・レンがまるで母親であるレイア将軍を攻撃するかのような予告編の作りや、ポスターで示されたダークサイドに落ちたようなルークの姿も、言ってみれば全部ブラフでありあったな。まるで思っていたこととは違った驚きの展開だったし。でも、その驚きとスター・ウォーズでこれまで感じてきた驚きはちょっと違う。やはり「帝国の逆襲」での「私はお前の父親だ」に勝る驚き、衝撃は無い。自分が映画に求めているものの一つである「やったー!」という爽快感、感動、気持ちよさというものは残念ながらなかったといえるだろう。改めて思い起こすと今までのスター・ウォーズ・シリーズのテイスト、雰囲気から少し違う方向に映画が向きを変えている感じがする。それが次のエピソード9でどうなるか? 新たな3部作まで作られるということなので、ディズニーにしてみればスター・ウォーズはやはり最大のドル箱であろう。

公開から今日で一週間。アチコチに書かれている考察感想、批判、賞賛などを読んでいると、一回の観賞では分からなかった、とらえきれなかった細かな部分を色々と説明してくれているサイトも多々あり、凄いなぁと思う次第。もう少しあちこち読んだり見たりしてから、年内にもう一回観賞しようかなと考えているところ。但し、普通なら二回目は日本語吹き替え版で観賞するのだが、日本語の予告編やCMなどで観るとどうも今回の吹き替えはレイの声にしても喋り方にしてもなんとも軽薄で脱力してしまう雰囲気なので、二回目も字幕で見るかもしれないな。

2017-12-12 いよいよ今週末公開『スターウォーズ/最後のジェダイ』どうなるか?

[] いよいよ今週末公開『スターウォーズ/最後のジェダイ

久しぶりだ、本当に久しぶりだ、これほどまでに公開が待ちどうしい、一体どうなるんだ、どんな展開になるんだと期待と不安に、こんなにもワクワクドキドキする映画は何年に一本だろう。今までのシリーズを通しで観てきたSWファンとしても、今回の『スターウォーズ/最後のジェダイ』ほど期待感と不安が交錯する作品はない、なかった。

ルーカスフィルムを買収したディズニーが作る新シリーズ第一作 エピソード7は不安だらけだった。ディズニーの商魂がスターウォーズという作品を新シリーズでめちゃくちゃにダメにしてしまうのではないか、そんな思いが強かった。しかし、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』はそんな不安を払拭し、やったぞ!という大喝采を贈ることの出来る素晴らしく気持ちのいい作品であった。(エピソード4の懐古的要素が強かったのが、かつてのファンにとってうれしかったという部分も大きいが)

そして2年を置いて公開される今回のエピソード8『スターウォーズ/最後のジェダイ』は新シーリーズの序章であったエピソード7の懐古的な内容から大きく話が飛躍し、大団円となるエピソード9に向かうほんとうの意味での本題となる作品であろう。

ちょろりちょろりと作品に関する噂や情報は流れてきているが、本筋に関わる部分はきっちりとした情報統制のおかげで、いったい話がどうなるかはまだまったく分からない。だが、SWファンとして今までの情報を元にして公開前に『スターウォーズ/最後のジェダイ』がどんな話になるだろうかと想像してみた。公開まであと3日。同じSWファン同士で、あーでもない、こーでもないと予想を話し合うのは映画を観る前の楽しい時間でもある。ワクワク感がさらに増幅する。さあどうなることだろうか!

勝手なそしてファンとしての期待を込めてこうなるだろう、こうなって欲しいという思いはこんな感じ。

◎まず第一に「ルークダークサイドに落ちる」

最期のジェダイという副題もそうだが、先日公開された劇場ポスターで示された、ダークサイドの赤に覆われるルークの顔。さrに、闇か!と書かれたポスターのルークはベールをまといまるで父であるダースベーダーの如くである。

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伝説のジェダイ、最期のジェダイであるルーク・スカイウォーカーはダークサイドに堕ちるのか・・・たぶんそうなりそうだ、そうであろう。だから、映画の副題が「THE LAST JEDI 最期のジェダイ」となっているのであろう。(レイアスカイウォーカーの血を引くがジェダイのトレーニングはしていないのでジェダイにはなっていない)

では、なぜルークはダークサイドに堕ちるのだろう。フォースの力を持ったものがダークサイドに堕ちるきっかけ、それはこれまでのSWシリーズで何度も繰り返し述べられてきたように“怒り”と“憎しみ”だ。怒りと憎しみに心が因われたた時、ジェダイはダークサイドに引きずり込まれる。愛するパドメを失った時のアナキンがダース・ベイダーになったのも悲しみを上回る怒りと憎しみに心が支配されたからだ。皇帝パルパティーンはその期を逃さず、アナキン・スカイウォーカーをダークサイドに導き、自らの下僕としてダース・ベイダーに変えた。

では、ルークがどんな怒りと憎しみでダークサイドに堕ちるのか。ジェダイとして帝国軍と皇帝パルパティーンを破り銀河平和を取り戻したほどのルークが、まさかのダークサイドに堕ちるほどの怒りと憎しみとは何か?

それはカイロ・レンによる親殺しであろう。

エピーソード1−6までのシリーズのテーマはダースベーダーの贖罪であった。またルーカスがこのシリーズにヨーロッパ神話から取り入れたものの一つとして、親殺しの罪とそれに対する右腕を切断する罰、そして贖罪というものがあった。その要素は新しいシリーズにも取り入れられていて、前作『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』ではカイロ・レンが父親であるハン・ソロを殺すといういたましい場面が衝撃的であった。(ハン・ソロがほんとうに死んだかどうかはまだ???だが)

ジェダイであるルークならば共に帝国軍を倒すために戦ったハン・ソロの死に気がつかないはずがない。しかし、遠く銀河の辺境の地でジェダイであることを隠し、身を潜めていたルークはフォースの力も内に閉じ込め自分の居場所を悟られないようにしていた可能性がある。するとつまり、ハン・ソロの死も感じ取る、知ることは出来なかったのかも知れない。

そして、今回の作品の予告編で分かるようにカイロ・レンは自分の中に残るライト・サイドを消し去るために母親であるレイアを殺す。あまりに酷い話だ、カイロ・レンは自分が師と仰ぐダース・ベイダーに近づくために息子でありながら自分を産んだ父と母をも殺すのだ。これはほんとうに酷い話である。

しかし、ルークは未だそのことを知らない。フォースを目覚めさせたレイにジェダイのトレーニングをする中で迷いや不安に苛まれている。そこに、レイアを殺したカイロ/レンが最期のジェダイであるルークを抹殺すべく、トレーニングを続けるルークとレイの前に現れる。そしてルークに告げるのだ「ハン・ソロもレイアも俺が殺した」と。

カイロ・レンが無二の親友であるハン・ソロと、双子の妹であるレイアの二人を殺したことに、ルークの怒りは爆発する、抑えていたフォースの力を解法する、それはカイロ・レンに対する激しい怒りと憎しみを伴って・・・そして、それはファーストオーダーの指揮者であり、シスの暗黒卿であるスノークが巧妙に仕組んだ罠だったのだ。スノークは善の心を残すカイロ・レンを利用して、本来のスカイウォーカー家の1人であり、ダース・ベイダーの子である最もフォースの強いルーク・スカイウォーカーをダークサイドに引き込むことが本当の目的だった。カイロ・レンはそのために利用されていたのだ・・・・。

と、ここまでは今までの情報から『スターウォーズ/最後のジェダイ』のストーリーを自分で勝手に推察したものである。さて、15日に公開される映画本編を観てどうなるか、楽しみでもある。

まあ、ここまで話がくれば「最期のジェダイ」という副題にもダークサイドの側に落ちたようなルークの劇場ポスターにも納得が行く。

さてと、その後はどうなるかだ。今時点で公開されているトレーラーでは、レイが泣きながら「私には誰かが必要なの、私の居場所を示してくれるだれかが・・・」というセリフに続けて、カイロ・レンが手を差し伸べるている。

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最初これを観た時、レイまでがダークサイドに引きずり込まれるのかと思ったが、ひょっとしたら・・・ジェダイのトレーニングをしていたルーク・スカイウォーカーがダークサイドに引きずり込まれてしまう、そしてカイロ・レンは、自分がスノークに利用され、父と母を殺し、それは実はルークをダークサイドに引き込むための罠であり自分はスノークに利用されただけなのだと気がつく。

そして、カイロ・レンとレイは二人で力を合わせて、ファースト・オーダーとスノークを倒す事を誓う。。。。それがエピソード9に繋がる・・・・なんていう結末を期待したい。

最初は『スターウォーズ/最後のジェダイ』はどうにも暗い暗い、どうしょうもなく重い、希望のないストーリーになるのではないかとも考えていたが、もしカイロ・レンとレイがスノークの陰謀に気が付き、二人で手を合わせてファースト・オーダーを破り銀河に再び平和を取り戻すんだ!という話につながるならば、夢と希望は潰えていない。ルーカスがSWシリーズに仕込んだ親殺しへの贖罪というテーマも、両親を殺してしまったカイロ・レンがその贖罪のために、ファースト・オーダーとスノークを叩き潰すというのであればなんとか話に筋も通りそうだ。

さてはて、どうなるか? なんにしても暗いストーリーで終わって欲しくはない。最期には次のエピソード9に繋がる大いなる希望を持たせたエンドになって欲しいと願ううばかりだ。

まだ他にもポー・ダメロンにしろフィンにしろ、色々なストーリーはありそうだが・・・とりあえずメインに3人に関しては色々話て、こんな感じかな? もしくはこうなって欲しいという希望がこれだな。

あとは、ちょっと冗談だが、フィンとキャプテンファズマが対決するシーンがあるが、もしかして、キャプテン・ファズマが「I am your mother 私がお前の母だ」なーんて言わないだろうなぁ〜。まあそうなったら笑っちゃいそうだけど。

さあ、15日金曜日を楽しみに待とう。

追記:12月9日に行われたハリウッドでのワールドプレミア上映後のツイートなどが少しづつネットに上がってきているが、多くの人が今回のエピソード8を大絶賛しているようだ。しかもSWシリーズの中で最高傑作と言われるエピソード5「帝国の逆襲」をも凌ぐシリーズ最高傑作だという声も。そして多くの人がルーク・スカイウォーカーを賞賛している。ということは、ルークはダークサイドに落ちてスノークの配下になるというのは考えにくいか。いっときダークサイドに囚われるが、レイや他の登場人物の力でダークサイドから抜け出し、スノークに大打撃を加えそして死んでいく・・・そういう感じでエピソード9に繋がるのかも? いやはや詮索ばかりしていても仕方ないのではあるが、こうして期待に胸膨らませてあれこれ考えているのが一番楽しいかも。いや、実際の映画を観て、思い切り感動したときのほうがやはり最高だろう。公開が待ちきれない。

2017-11-28 『ジャスティス・リーグ』面白くはあるが、迷走してる。残念!

[]『ジャスティス・リーグ』

・『ワンダーウーマン』がなかなか以上に良かったので、DCのヒーローシリーズであるこの『ジャスティス・リーグ』にはかなり期待していた・・・のだが・・・まあ、そこそこに面白いけれど、ちょっと期待しすぎたな。この手の映画に一番に期待する「やったぜ」「サイコー」といった爽快感、満足感というものは、いまひとつというところ。期待しすぎた分だけちとガッカリ。

・出だしからなんとも暗〜い歌詞の歌が淡々とながれる、なんだかこの世にはもう希望も何もない、諦めろ、悪が支配てしまってるんだ、とか言う感じの歌で「ん〜、なんだこれはダークナイトのクリストファー・ノーラン趣味をジャスティス・リーグでも真似てるのか、違うだろう、こっちはもっと明るくカッコよく行かなくてはだめだろうと、なにか作品の方向性に疑問が湧く。

・しかし、そのドーンと暗い出だしが終わると、なぜか今度はユーモア、ジョーク混じりの展開に変わる。んー、なんか脚本が迷走している感じ、これは嫌な予感。

・脚本の教科書みたいなものには、よく「主人公の葛藤を描け、人間の深みを描け、そこに観客は惹かれるのだ」とか書いてあるものなのだが、なんだかそういった教科書の杓子定規な教えにしたがって、一人ひとりに無理やり妙な葛藤を組み入れている風でもある。サイボーグはなんで俺をこんなからだにした〜と親父にぶーたれてるし、フラッシュのお兄さんの件とか、アクアマンの王との確執だとか、そしてさらにはワンダーウーマンに「私は昔、愛している人がいた。ずっと・・・」なんて言わせて、バットマンに「何百年もそんなことに縛られて生きてる奴なんか」と、吐き捨てられたり。この辺は前二作に続いて、ダークナイトの成功に少しでもしがみつきたい、あのシリアスな脚本になんとか似せれば当たるかも?なんていう意識が相当に根っこを張っているんではないだろうか。

・もう、コミック映画なんだからそんなシリアスな裏話なんていらない。スカッと面白く話をつなげてくれればいいものを、どれもこれも取って付けたように話の中にポツン、ポツンと挿入しているし。テンポを崩して足踏みさせて、ストーリー展開のリズムをぶちこわしてしまっている。特にワンダーウーマンなんてそんなドロドロ怨念じみた女性の内面なんか付け加えないで、思いっきりバサッと敵をやっつける痛快さを徹底して描けばいいものを・・・至極残念。

・アマゾン部族の島にドスンと降りてきたステッペン・ウルフ、凄い重量感で「お、こいつは強そう」と思うわけだが・・・いや、実際にかなり強い! でも、このステッペン・ウルフの顔に全然怖さがない。そんな強力なダークサイドの悪魔の親玉みたいなやつなのに、なんか全然恐怖感が湧いてこない。顔がね、顔がシワクチャ年寄りって言う感じだから、全然強そうに見えないし、怖さがないんだよねぇ。観客恐怖心をもたせるくらいのキャラにしないとだめでしょ。最期はなんかパラデーモンに食いつかれてウギャーなんて叫んでるしさぁ。

・そうそう、アマゾン部族の女王が馬の下敷きになってうごけなくてウーンウーンっていうのも変。あれだけ強い戦士だったのに。本来なら足で馬を宙に蹴り上げてしまうくらいじゃなきゃおかしい。

・そういった首を傾げるような登場人物の描き方に、観ていて不満タラタラであったが、流石にスーパーマンの部分はカッコイイし、ちょっと涙ウルウルくるいい話。最終兵器を出せ!ってロイスを引っ張ってくるあたりはもうあまりに予定調和的に想像できてしまうが、ロイスを見て荒れ狂うこころが落ち着きを取り戻すってのはイイね。(でもキューブを使ってスーパーマンを再生するくだりはなんかチャラいし無理がある)

・と、まあ気に食わないところばかり羅列してしまっているが、一先ず一本の映画としてはそこそこに楽しめはする。ワンダーウーマンがかなり以上にいい出来栄えで、大満足だったので、ジャスティス・リーグにもかなり期待したのだが、その期待にはかなり及ばなかった。

・「マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)」も次から次へと出てきて、話を追いかけるのば面倒くさくなってきてるし。(お次のブラックパンサーはどうよ??)、「DCエクステンデッド・ユニバース」は第一作、第二作と失敗して、ワンダーウーマンでドンと花火が打ち上がったが、今回のジャスティス・リーグを観ると、今後の展開もごちゃごちゃDCと同じように面倒くさくなりそうだな。

・アメコミのファンってわけでもないし、逐一細かな設定まで追いかけてるようなオタクでないかぎり、段々と話がわけわからなくなってくるから、今後のこういったシリーズは横目でチラチラ観ている程度でいいかも。

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予告編で使われていた「あなたを待っていました」っていうシーン。あれはカッコよかったんだけど、本編ではそのあたりが全部カットになっていた。んー、残念、またソフトにしたときに未公開シーンとかディレクターズカットとかで出すつもりなのかね?

☆ブルース・ウェインがアクアマンに「お前って、あれ、触手みたいなもの出せるのか?」とか聞いた後に、ジャスティス・リーグの5人が地下のようなところに集まって雑談みたいなことをしているシーンがあったが、そこでアクアマンが、1人でべちゃくちゃ喋ってるシーンがあり、その後になんだかウーンウーンとトイレで気張っているようなことをして・・・すると次に光るムチが出てきてそれをワンダーウーマンに渡す。アクアマンはフラッシュに「黙ってろよ」なんていう一連のシーンがあったのだが、なにかコミックでこういうエピソードでもあるのかな? どうもアクアマンがウ◯チみたいにムチを体から絞り出してるような雰囲気でもあったな。w アクアマンが喋ってるシーンは上半身だけ映してて下の方はなにやってるのかわからないし、ひょっとしてカットされたのかもしれないけど・・・あそこ、疑問。

☆日本のCMは酷いね。ワンダーウーマンのときも女性のカッコよさを出すんじゃなく、ギャグ路線で予告編作って外してるなぁと思ったが、今回のジャスティス・リーグの予告編もワンダーウーマンのへんてこな顔とか仕草をわざわざ集め、ナレーションも採用!採用!って、どんだけセンスのないトレーラー作ってるんだよ日本は、と呆れ返るね。なんでワンダーウーマンがこれだけヒットしたのかってところが全く考えられていないじゃないのかね。女性ヒロインの最高のカッコよさ、強さが人を惹きつけた最大の要素なのに、それとは逆にギャグ、コケティッシュ、おちゃらけ、そんなもので宣伝打ってる。そして同じことをジャスティス・リーグでもやってる。どうしょうもない

☆スーパーマンは流石にカッコいいが、やっぱり映画の中ではワンダーウーマンが光ってるな、あの変な過去の告白シーンはいらないけど。

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2017-09-02 『ワンダーウーマン』かなりカッコイイ!!予想以上に楽しめた!良作

LACROIX2017-09-02

[]『ワンダーウーマン』

●どうにも「スーパーガール」とか「キャット・ウーマン」とか女性主人公のアメコミ映画はなんかいまひとつという印象があって、アメリカで大大ヒットということだが、ホント? どうなるかな? とちょっと疑いの目を向けつつ観た。しかし予想を超える面白さで、これはなかなかに良かったね。

●時代背景が第一次世界大戦の頃というので、うっそ、あんな格好したワンダーウーマンがそんなところに入ってきたら、メチャ違和感バリバリで、もう全然合わないでしょう・・・という予想もしっかりひっくり返された。あのアマゾネスの格好をしてドイツとイギリスの戦闘シーンにとびこんできても、まったく変な感じがせず見ることが出来た。

●映画の作りが非常に巧いね。

●正直なところ、このワンダーウーマンの役をキャプテン・アメリカやマイティー・ソーに置き換えたら、まあそれはそれで通用する似たような映画になるだろうなとは思った。ピョンピョン飛び跳ねて盾で銃撃よけて、もの凄い力で戦車をひっくりかえすなんて、そのまんまキャプテン・アメリカとかマイティー・ソーでやりそうな映像だ。だが、だがだ。そうは思うもののやはりガル・ガドットが演じるワンダーウーマンが銃火器をはね除け、戦車だろうが悪魔だろうがぶっ飛ばされようがなにしようが再び起き上がって戦うシーンは、それが女性ということもあるだろうが、キャプテン・アメリカやマイティー・ソーが同じことをするよりもはるかにワクワクするし、ようしヤッターという気持ちになる。

●同じシーンを演じたとしても、ワンダーウーマンがやるほうがきっと胸躍るのだ。実際そうだった。

●ガル・ガドットはもう三十路過ぎてるから、たしかに美人だけれど、アップになるとちょっとオバサンが入ってるのは否めない。でもそのくらいのほうがリアリティーが出るというものかな。キャピキャピとしたアイドルチックな女性が演じてたらこのワンダーウーマンの魅力はでなかっただろうし。

脚本も設定もいかにもという感じで定番中の定番、アメコミらしい展開。だがそれが王道でもあるだろう。中盤ちょっとまだるっこしいところはあったが、ワンダーウーマンが戦うシーンは満点をやってもいいくらいワクワクしたし、応援したくなる巧い作りだった。

●相手役の男性がいまいちパッとしないところもワンダーウーマンを際立たせるには役立っていたか。それにしても最近は飛行機でバーンというケリの付け方が多いな。昔は高いところからドーンと落とすが定番だったけど。

●なんだか日本のプロモーションが乃木坂46のへんな曲つかったりして、また馬鹿らしいことやってて非難浴びてたり。日本版のポスター予告編なども、ちょっとギャグっぽいおふざけ方向に振っていて、どれもこれもダメダメじゃんという感じ。アメリカで大ヒットなのに日本での出だしがイマイチなのは、プロモーションが下手クソな上に方向を間違ってるとしか言えまい。なんとかウケ狙いで客をよぼうとしてるんだろうが、それが大いに逆引き。

アニオタとかに客層考えてこんな絵柄とコピーにしたのかね。日本版の予告編もそうだけど・・・作った連中はこの映画ホントにちゃんと見てるのかねと言いたくなる。

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●かなり真面目にカチッと作ってあるし、ワンダーウーマンという女性がかなりカッコイイんだから、おふざけウケ狙いの馬鹿げたトンチンカンプロモーションなんかせず。(実際に大失敗だとおもわれ)こんなポスターのように、超カッコイイ、女性キャラクターとして宣伝すればもっと違う結果になっていただろう。

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2016-12-16 『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』最高だったね!!

LACROIX2016-12-16

[]『ローグ・ワン/スター・ウォーズストーリー

注)ネタバレあり

・正直、ローグ・ワンには全く期待していなかった。最初のトレーラーが公開された時、主役であるジン・アーノの顔つきがなんともパッとせず、なんだか暗くて主役を務めるヒロインとしての華やかさや輝きがまったく感じられないというのが最初の印象。

監督がギャレス・エドワーズというのも“ う〜ん ”という感じだった。「あの2014年のハリウッド版『GODZILLA ゴジラ』の監督。日本の怪獣映画が大好きで日本のアニメなども好きでかなりのオタクというのはまあ映画製作にはプラスかもしれないが『GODZILLA ゴジラ』は内容も出来もチャンチャラ日本の真似事から脱しておらず、ゴジラの造形にしてもこれじゃどうしょうもない。という内容だった」ギャレスが監督するとなると作品のレベルは自ずと知れるだろうという気持ちでもあった。

・しばらくすると6月頃に「ローグ・ワン」の撮り直しがディズニー・スタジオから要求されているというニュースが。ギャレス監督の描く映像があまりに暗く、スターウォーズシリーズに馴染まないとか、監督を交代するだとかそういう話も。このニュースを聞いたときは「ああ、やっぱりなぁ、そうなるか」と思った。自分もトレーラーのイメージがあまりに悪かったからだ。

・その後、追加のトレーラーやキャラクターなどが発表になっていくと、まず第一にあまりにも中国市場に媚びたキャスティングをしている点が鼻についた。まあ、かって日本市場が有力視されたときはハリウッド映画でやたら日本で売ろうという魂胆がミエミエのキャスティングが度々行われた時期もあったので、巨大市場に育った中国を無視するわけにはいかないというのはわかる。だが「ローグ・ワン」はスター・ウォーズという一連の作品の一部なのだ、単発の作品ではない。そこに作品世界の流れを無視したような金儲け主義のキャスティングや演出、脚本を入れることは作品そのものを貶める。ファンが求めているものはスター・ウォーズという一つの夢の世界なのだ。何をやってるんだディズニーは、ギャレスは・・・どうしょうもない! そんな風に思った。

登場人物が並んだビジュアルが公開された時も、え、なんだこれ!と思った。まるで日本のアニメを真似たようなキャラクターの面々。ドラゴンボールとか、そんなアニメのイメージが真っ先に浮かんだ。「ああ、ギャレスはまたこんなことやってるのか、もうだめだ」と思った。やたらどでかい甲冑を身につけたようなゴリラみたいなのは・・・なんか、どこかで見たことあるな。中国人の僧侶みたいなのも・・・んー。これはもう駄目かも・・・。

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・と、何一つ良いイメージが湧いてこないまま、ほんとに、ほんとに、まったく期待せず「まあ、一応観るだけは見ておくか」という程度の気持ちだった。

・そして映画が始まると・・・なんと、あのスターウォーズのオープニングが無い! えー、あれはスター・ウォーズ・シリーズとしては出だしに必須なのではないのか? あれがあるから、あのジャーンがあるから一気に現実の世界から映画の世界に気持ちが切り替わって映画を最高に楽しめるんじゃないか? あのオープニングを抜くなんてなんたることだ・・・と思った。

・そしてしばらく見ていると、なんだか雰囲気がこれまでのスターウォーズ・シリーズと違う。なにか奥行きのようなものが感じられない。薄っぺらな話がすすんいく。「ああ、やっぱりこれはスター・ウォーズらしさがないぞ、これは完璧な失敗作なんじゃないか」そう思えた・・・登場人物たちの演技もどうも軽薄で、重みがない。やはり売れ筋ではないあまり有名ではなない俳優でそろえたせいか、とにかくジワっとくる味のようなものがまるで感じられないのだ・・・。

・しかし、30分を過ぎた辺りからだろうか、ストーリーがムクムクと動き出してくると・・・ん、ん、ん、なんだか面白くなってきたぞ。あれ、なんか良くなってきたぞ・・・なんなんだったんだ最初のあのダメダメ感は、だんだかムチャクチャよくなってきてるじゃないか! と映画に夢中になっている自分に驚く。

・そしてラストまで突っ走る! ダメダメ映画だと思っていた自分のファーストインプレッションは杞憂に終わった。ローグ・ワン!メチャクチャに面白かった。

・いかにもアニメチックなキャラ達で、なんだか冴えない顔つきの連中ばかりだったのだけど、驚いたことにこのキャラ全員が、もの凄くイイ奴らばかりなのだ。それこそ日本のアニメっぽいとも言えるのだけど、あざといなと思っていた例のジェダ寺院の僧侶も・・・いいやつなのだ。ベルズもキャシアンも今ひとつ冴えないのだけど、でも最後にはイイ奴だなって思えるのだ。まったくダメダメなパイロットに思えたボーディ−も・・・泣けるくらいイイ。主役のジーン・アーソも、ほんと今ひとつ華がないのだけど・・・でも、やっぱりイイ奴なのだ。そしてなんといってもロボットの K-2SO が見事なまでにイイ、ひねくれキャラのイイ奴なのだ。そう、ほんとにびっくりした、ローグワンのメンバーが全員、ホントにいいやつらばかりだったのだ。まるでワンピースの仲間みたいな感じだ!

・なんだかセリフも設定も演出も、日本のアニメからかなり持ってきてるなという感じがするのだが、それが却って馴染みやすさにもなっているのかもしれない。

・まあ、もちろん色々ツッコミたいところはあるのだが、見終わった感想は、素直に「よかった、楽しかった! これはなかなかの一作だ」となった。

・ROGUE = 無法者、荒くれ者、はみ出し者・・・・俺たちはローグ・ワンだ! そうか、そうだ、なかなかカッコ良かったぞ!

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《以下完璧ネタバレなので、観終えた方のみどうぞ》

・AT-ATスノーウォーカーの描写はなかなかよかったね。脇からドカンとミサイルを食らって首をガクンと振りながらもまたこっちを向くシーンはオオといいたくなるかっこよさだった。でもやっぱりエピソード5の雪の中のシーンのほうがいいかな?

ダース・ベイダーはスターウォーズ・シリーズ全作品のなかで一番凶暴だったかも? 愛するパドメを失って、ダークサイドに落ち、パルパティーンの元で今が権力とダークサイド・フォースの力の絶世期とも言える時期だろうから、もうぶった斬り殺しまくり・・・いやはや。

スターデストロイヤーに襲いかかるXウイングの集団・・・しっかし、なんで TIEファイターが飛び出してこないんだ。スター・デストロイヤーを囲んで宇宙での戦闘機バトルをするシーンには TIEファイターとのドッグファイトが欠かせないだろう! それがいつまで経っても TIEファイターが飛び出してこなくて、Xウイングだけでスター・デストロイヤーを攻撃してる。「これはありえん」と思ってたらようやく一斉に TIEファイターが飛び出してきて戦闘本格化。オイオイ、遅すぎるぜ、TIEファイターが出てくるのがあまりに遅すぎるよギャレスさん、わかってんの?

・スター・デストロイヤーが真っ逆さまに落ちるシーンはオマージュとして最高!

・そしてだ、一番期待したシーンでもあり、一番よろこび飛び上がったシーンでもあるのだけど、改めて考えるとあれじゃ駄目だと思う、徹底的に駄目だとおもうのが、ラストだ。

・反乱軍兵士が駆けつけた部屋には、白いあの衣服を着た女性がこちらに背を向けて立っていた。そうだ、そうだ、ついにレイア姫が出てくるんだ、どうなるんだ、と振り返ったレイア姫はCGで見事に合成されたエピソード4当時の若々しいレイア姫だった。このシーンを見た時は「うひょー」っとめちゃくちゃ嬉しくなった。「フォースの覚醒」でハン・ソロチューバッカが登場したシーンにも勝る最高のシーンだ。兵士が「これは、いったいなんなんですか」とレイア姫に尋ねる。するとレイア姫は・・・・・

・最高にいいシーンだった、めちゃくちゃ胸がドキドキした。しかしだ、ちょっと思い出すと、あのシーンであのレイア姫の顔つきはないな。なんだかちょっとにやけたような顔つきで「・・・・」と言う。いや、違うだろう。本当のレイア姫ならエピソード4の冒頭で見せたような不安と悲しみ、憂いをもったような表情であるべきだ。沢山の兵士が死んで、ジェダの都市もデス・スターに破壊され多くの人が死んだ中でもたらされたアレを受け取ったならレイア姫は、深い悲しみの中であの言葉を話すだろう。それが・・・なんだか半分にやけたような顔なのだ。ようやく手に入れて嬉しそうな、そんな顔なのだ。おいおい、ギャレス! あの顔はないだろう。せっかくレイア姫を復活させたのに、なんで表情にもっと気を配らなかった、その辺がまだまだギャレスの監督としての若造ぶりなのかも、しかしスタッフにしろなんにしろ、あの表情はおかしいとすべきだろう。(ちょっと怒り)

・スター・デストロイヤーがなんかやたら真っ白で塗装をしてないプラモデルみたいなのがあったり、爆発して人やトゥルーパーが吹っ飛ぶシーンが、どれもこれもいかにもワイヤーで引っ張ってますってわかるような飛び方してたり、そしてそういうのが何度も繰り返されたり、そういう細かいとこにも気になる部分が多々あった。

・そしてまたラスト近くだが、ジーンとキャシアンの最後となるシーン・・・これってまんまディープ・インパクトじゃないか。もうちょっと工夫しろって言いたい。

・最後に、何よりも驚いたのは、いかにこのローグ・ワンがスターウオーズ・シリーズのスピンアウト作品で、一作限りの物語だとしても、まさか全員が最後に消滅してしまうとは思いもしなかった。俺たちは荒くれ者さ、ローグ・ワンさ! そういって仲間になり助けあってデス・スターの秘密を手に入れる。最初はおもっていなかったけど、ローグ・ワンの面々は本当にイイ奴ばかりだった。そのイイ奴らが全員最後には消滅してしまう物語だなんて、ちょっとそれは悲しすぎた。

・いずれにせよ、期待度ほぼゼロだったのに、この「ローグ・ワン スターウォーズ・ストーリー」はなかなかに最高の気分にさせてくれる映画だった。他のスターウオーズシリーズと色彩の並びはちょっと違うが、なんだか日本のアニメっぽくもあるが、そういう思い以上に、もの凄くいい作品、胸が高鳴り心躍る素晴らしい映画だったといえよう。

2016-12-13 スターウォーズ「ローグ・ワン」のプロモ映像ではこれが文句なしに最

[]スターウォーズ「ローグ・ワン」プロモーション映像

・フィリピンで流れている映像とのことだが・・・感動した! 繰り返し見ているけど身震いするほど素晴らしい。

・何度か見ているとその作りの巧さ、演出の巧みさに驚く。

・最初の映像からすっかりストーム・トゥルーパーのヘルメットを被っているのは少年だと思っていた。一度目は最後まで少女だって気が付かなかった。自転車のシーンとか少年そのものって感じ、騙されたねいい意味で。

・二度目をちゃんとみると・・・服が靴がセーラー服姿に変わってるんだもんなぁ。歯磨きのシーンもなるほど、こういうことだったのかと納得できる。なぜ重たそうなカバンをキャリーで引っ張っているのかも・・・一度最後まで見た後でもう一度見返すと、感動が何倍にも増してくる。明るいテンポのピアノの音の中で、この少女の悩みや苦しみがわかってくる。

・お兄ちゃんが同じくストーム・トゥルーパーのフードを被っているのも・・・妹を思う気持ちの表現なんだね。

・きちっとした演出だ。声に出さない細部まで考えられたこれぞ映像の演出というものだ。

ダースベーダーのヘルメットにしろ、ストーム・トゥルーパーのヘルメットにしろ、表情が変わらないヘルメットなのに、ちょっとした仕草や角度の違いで、無機物のヘルメットに人間と同じような悩みや悲しみ、驚きの表情が浮かび上がる。日本の能面の技だね。ほんと、同じ顔形、目も口も変化しないヘルメットなのに、そこにしっかり少女の悩みや驚きの感情がでてる、ラストのシーンなんて、お兄ちゃんと別れて教室に入ろうとしたそのときの驚きが、ヘルメットの後ろからしか写していないのに、どれだけこの少女が驚いたかということがシーンから滲み出るように伝わってくる。うーん凄い。

・こういう映像の技って、昔の日本映画、黒澤なんかがもってた素晴らしさなんだよなぁ・・・今は・・・だけど。

・感動したね!

D

2016-09-01 『君の名は。』予想を遥かに超える日本でしか出来ない映像美

LACROIX2016-09-01

[]『君の名は。』

・異様にでっかい目、瞳の中に星というか白い光が1つ2つ・・・なんかこういういかにも少女漫画雑誌に出てくるキャラそのまんまでアニメオタが好むようなキャラクターには正直もう、かなりの抵抗感があり、ちょっとそれはなぁ〜っていう拒絶感もあって、さてはてどうしようかと考えていたのだが、新海誠に関しては種子島が舞台になっている『秒速5センチメートル』が少女趣味ではあるがなかなかに良い作品であったし、とにかくロケット打ち上げのところとか、都会の春の映像とかがものすごく美しく綺麗だったので、今回もそういった部分に期待して観てみた。

・最初は瀧にしろ三葉にしろ登場人物の顔つきがあまりに少女漫画、アニメっぽくて、やっぱり抵抗感がありありで、ちょっと引き気味であったのだが、段々、段々と非常にテンポのいい展開にドンドン引きずり込まれていき、しかも先がどうなるか全く予想が付かない、次から次へと驚きの展開にもう「これは面白い!」と夢中になってしまった。

・昨年、かなり早い段階で公開された特報の美しい彗星と雲を突き抜けて落ちてくる隕石らしきものの映像、まさかそれがこんな話になるとは、本当に予想外で見事であった。

D

・「誰そ彼」「彼は誰」薄暗くなった夕方は人の顔が見分けにくく、それが誰そ彼(たれそかれ)から黄昏という言葉になり、同じく薄暗い明け方を彼は誰(かわたれ)で、と古典の和の言葉が作中で語られる辺りから、ん、ん、なんだか話が深くなってきたぞと期待が膨らみ、それがこんな凄いストーリー展開に繋がっていくとは!!

・「誰そ彼」つまり夕方の薄暗くなる、昼と夜の移り変わる時刻、黄昏どきが、逢魔時(おうまがとき)、大禍時(おおまがとき)と呼ばれ、魔物に遭遇する、あるいは大きな災禍を蒙るという話はこの映画を観て初めて知った次第。

・入れ替わった瀧と三葉が、薄暗くなって、あなたは誰、彼は誰とわからなくなる時に時間や空間の壁、距離を超えて巡り逢う、その黄昏時のほんの一瞬の恋、しかしそれは好きな人に出逢う時間でもありながら、逢魔、つまり魔物にも出会ってしまう時間、その魔物が大きな禍(わざわい)とは・・・んー、新海誠はなんて凄い物語を考えついたんだろう。素晴らしい、見事な脚本、物語だ。

・口噛み酒(くちかみさけ)なんていう神事とか、岩室のなかにあるお洞だとか、日本の神話、伝記、古事記なんかに通じているようなモチーフも作品になんとも日本的で神秘的な響きを与えている。

・日本の映画って、なんだか外国のヒット作の、ああ、これってあのシーンだとか、あの演出とかを取ってるなぁ、と感じてしまうところが多いのだが、この『君の名は。』に関してはそういった所がまったくなかった。男女が入れ替わってしまうというは大林監督の転校生ばりではあるが、またそれとはまったく別物だし、兎に角観ていて他の作品を彷彿させる場面がほとんど全くないのだ。昨今の映画は作中に「これってあの映画のあのシーンに似てるな、取ってるな」なんて感じる所が一箇所、二箇所位あるものなのだが、この映画に限ってはまったくそういう風に感じさせる所がない。完全純粋100%オリジナルの絵であり、物語であり、展開であり、演出なのだ。もうそれは全部が今まで見たことのない映像、演出、物語と言ってよく、その連続は一瞬足りとも観ていて飽きない素晴らしい作品でありその体験でもあった。

・映像の美しさは言うまでもなく、美しいという以上に心がなんだかホッとする映像なんだな。日本人が生まれてからずっと身近に感じてきた日本の美しさ、すぐそこにあるいつも感じているだけどなかなか最近では見れなくなった美しさ、そんな感じだろうか。キラキラしてるけどキラキラした美しさではなくて、優しく包まれ心を撫でられているような美しさ、そう視覚的な美しさ以上に心情的、情緒のある心に伝わるあたたかい感覚的な美しさがあるというべきだろう。

・なんにしても、この映画は兎に角驚き! 日本にしてもハリウッドにしても最近はオリジナル脚本はダメ!興行が読めない、見込めないから映画化は出来ない!なんて言って、ある程度売れていて知名度のある小説とか漫画とかのアニメーション化、または実写映像化しかやらないような絶対安全牌主義、超保守的で興行成績が見込めない映画なんて作らない!的な風潮が蔓延していて、実に新しさのない詰まらない映画ばかり量産される状況になってしまっているが、こんな風に完全無欠のオリジナルストーリーでこれだけ素晴らしい作品が出来るということにもう一度目を向けて、ネタ切れだ、もう新しい物語は作れない。コケたら責任取らされるから作れないなんていうのはヤメて、今まで誰も見たことのないようなストーリーを作ることに全身全霊を傾けて知恵を集結させるべきだろうな。

でも、新海誠というネームバリューがなかったら、完全オリジナルストーリーで映画化なんて・・・とても出来ないだろうなとも思えてしまうけど。

・こんな素晴らしいオリジナルストーリーの美しい映画を見せてくれた新海誠とスタッフにただただ感謝したいキモチだ。兎にも角にも観ていてワクワクドキドキ、この先どうなるんだと期待して最後まで全然飽きること無く楽しめた素晴らしい一作であった。

・RADWINPSの曲、見終わって一つとして曲の歌詞が頭に残っていなかった。普通は音楽の歌詞が映像をさらにもりあげてくれたりするし、ジーンと染みこんできたりするんだけれど、全編に流れる野田洋次郎の声と、その音楽というかサウンド、音が余りに映像にマッチしすぎていて、歌詞が意識に到達しないくらい音になって歌もサウンドも全部がBGM化しているかのようだ。これって凄いことではあるが、ある意味歌詞が強い意味を持たなくなってしまっているとも言えるかも。

・最後に一言、皆が助かったのが防災訓練でどうとかこうとか・・・って説明されてたけど、それはちょっと話が飛躍しすぎてて繋がんないんじゃない? と思った。あの状況でどうやって防災訓練でみんな避難させたの? ちょっとそこだけが引っかかるというか、全部良かった中でなんか脚本ミスってるような気がするなぁ。どうなんだろ?あれ?

予告編の中ではこれが一番イイな。

D

2016-08-01 『シン・ゴジラ』おいおい、ゴジラが使徒になり巨神兵になってるよ。

LACROIX2016-08-01

[]『シン・ゴジラ』

☆作品の内容に関する記述アリ。

・なんだか最後まで誰が監督なんだ? 結局樋口は監督じゃなくて特技監督か? と訳がわからない状態で公開まで来た「シン・ゴジラ」。

予告編で観る新しいゴジラは古めかしくもあるが、いかにも凶暴で知よりも本能で動くケダモノ的であり、子供人気を取るために日和った今までのゴジラと比べたらかなりいい感じだと思った。待望していたゴジラ新作ということでそれなり、いやそれなり以上に期待はあった。

・そして、観終えた後の最初の印象は・・・「面白かった、なかなかに面白かった、映画を観た満足感もそれなりにあった・・・だが・・・」というものだった。

・一つの映画としての面白さはあった。だが、なんだ、なんだこの納得のいかなさは、釈然としない感覚は。自分は本当にゴジラの映画を観たのか? これはゴジラ映画だったのか? なにかゴジラ映画を観た気がしない、待ちわびていたゴジラ映画を遂に観たのだという気持ちが全然しないのだ。

・この映画をポリティカル・サスペンス(まあ、日本語なら政治緊張劇とでもいうか?)と呼ぶ向きもあるようだが、まさに、そういう政治的な部分にかなり焦点を当てた話になっていることは確かだ。それが面白かった、それが良かったと、政治家や官僚どもの描写を評価する向きもあるようだが・・・そんなものを観たかったわけじゃない。たとえその部分の脚本や演出、描写が今までに無く優れていたものだとしても、ゴジラ映画で観たかったものはそんなものじゃないんだ。

・3.11の東日本大震災でメルトダウンを起こした福島の原発をゴジラに置き換え、あの当時の本当にどうしょうもなかった民主党の最低で最悪な対応を元にして、今ゴジラがが東京に現れたらどうなる? と想定した話を作り上げた発想は非常に面白い。クズ政治家やクズ官僚どもの描き方も至って緻密であり、よく観察し、よく調べ、よく練り上げて脚本にしていると感心する。しかしだ、この映画はその政治的な部分の作り込み、それを主として描くことに執心してしまい、一番肝心なものを、一番大事なものを、本来は主としてあるべきものを、あろうことか脇役に降ろしてしまったのだ。いわずともがな、それがゴジラだ

《この映画は主役をゴジラから政治家や官僚どもに置き換えてしまっている》

・この映画の最大の批判すべきところは、ゴジラ映画からゴジラを主役から外し、危機対応する(のちに書くが全然危機感がない)政治家や官僚どもを主役として本を、映画を作っている点なのだ

・公開から日が経つにつれて「シン・ゴジラ」の評価は上り調子で、傑作だ、素晴らしい出来だ、その多くがこの映画の中の政治的なやりとり、駆け引きの部分、ポリティカル・サスペンスと言われる部分に面白さや、評価を与えているようだが・・・おい、ちょっと待てよ、話の面白さに巧くのせられて、ゴジラ映画であることを忘れていないか? この映画にはなにか大事なものが抜けて落ちていないか? 1954年に本多猪四郎が撮った「ゴジラ」にあったもの、それは《恐怖》だ! 得体のしれない巨大な未知の生物に襲ってくる恐怖、それがほぼ、全くと言っていいほどこの映画からは感じられないのだ。

その原因は、映画の描き方にもよる。

・巨大生物がやってきて逃げ惑う人々の恐怖・・・それがまるでスクリーンに描かれていないのだ。ゴジラがやってきて怯え、悲鳴を上げ、我先にと逃げようとする恐怖にかられた人間、その表情、そういったものがほぼまったく映し出されていない。

・蒲田での人々が逃げ惑うシーンの撮影時に演出部からエキストラに配られたたという「蒲田文書」なる“演技心構え”の文書がネットに流れ、これを読むことが出来るが、そこには「巨大不明生物に襲われて逃げ惑う市井の人々」役の心得が書かれ、

《まず、巨大生物の恐怖を観客に感じさせる最も効率的な方法は、「逃げ惑う市井の人々がまるで本当に襲われているように見えること」。だが、単に芝居で恐怖の表情をしたり、大きな叫び声をあげたりすれば良いわけではない》

《もし本当に巨大不明生物に襲われた場合、人はその人の個性によって違った反応をすると思います。猛ダッシュで逃げる人、ノロノロと逃げる人、体が固まり動けない人、興味が勝り写真を撮る人、顔を巨大生物から背けず体だけが逃げる人、子供を必死に守ろうとする人、連れとはぐれ人波の中で探し続ける人……それら個性の集合体が、画面に力強さと、リアリティと、本物の恐怖を与えてくれると、我々は考えています》

《それぞれのエキストラが「自分が巨大不明生物に遭遇したらどうするか」の想像力を稼働させることを求め、「皆さまお一方お一方にしかできないお芝居をしてください」》

等々、エキストラの人に対する演出部のお願いが書かれている。確かにこの文章を読むと製作スタッフの意気込みや熱い気持ちも伝わってくる・・・しかし! あの蒲田のシーンに恐怖はあったか! あの蒲田のシーンに巨大生物に襲われ我先にと必死に逃げる、生きたい、死にたくないと必死で逃げる人間の恐怖が映っていたか、映し出されていたか、映像にその恐怖が滲み出していたか! 断言する。あのシーンに恐怖はなかった。そしてあのシーンからブルブルと震えるような恐怖は微塵も感じられなかった、ゴジラが迫り来る恐ろしさなどあそこに映っている人、逃げ惑う群衆から、これっぽっちも、まったくスクリーンから伝わっては来なかったのだ。

それは、この映画が恐怖に逃げ惑う一般の市井の人々の表情をほとんど映していないことに大きく起因する。

1954年の「ゴジラ」にあった人々の恐怖、それはこの河内桃子のワンカットだけの表情でもありありと、ひしひしと伝わってくるものだった。

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・そういった人々の恐れおののく表情がシン・ゴジラにはまったく描かれていない。人々が逃げ惑うシーンに恐怖を感じさせようとしたではあろうが、出来上がった映画から感じられるのはただ単に逃げろと言われて逃げているふりをしている群衆の後ろ姿、動きまわる絵でしかない。表情はまったく映していない。そこに悲壮感、必死さがない、恐怖もない、だからゴジラにも恐怖が感じられなくなってしまっている。

・そして、この映画で主役の座を占めている、首相、官房長官、大臣、官邸の人間、官僚にも、全くと言っていいほど、これっぽっちの欠片さえも、あんなょ巨大な生物が東京に襲いかかってきているという前代未聞の恐怖が感じられないのだ。まったくもって、ゴジラを恐れている、もう自分だけでも我先に逃げ出してしまいたいという震えや恐れが感じられないのだ。

・どいつもこいつも、あんなゴジラへの対応をしているというのに、全然シャキとしていてて、顔から恐怖や恐れが微塵も感じられない。未曾有の危機が間近に迫っているというのに、さも平然とした顔で会議をし、対策を練り合わせ、ミサイル攻撃が効かないとわかっても「はあそうですか」といった顔つきをしているの。まるで役者が映画の中で役作りの脚本読み合わせをしているかのように、全く以て1人として恐怖が演じられていない。唯一常にしかめっ面をして周りから浮いて見える余貴美子だけが、ゴジラに対する恐怖を演じているといえよう。しかし、その周り全部がさらっとした顔で平然としているものだから、余貴美子の演技と恐怖が逆に浮いてしまっているというなんとも惨憺たる状態だ。

・長谷川博己、竹野内豊にしろ余りにスッキリ、シャッキリしていて、ゴジラに対峙しているなんていう恐怖がどこにも出ていない。この連中が退治しているのは、政治闘争や権力闘争をしている同じ政治家や官僚どもであって、日本をまさに破壊し潰してしまおうとしている人知の及ばぬ怪獣ではないのだ。ゴジラと対峙している人間を描いているのではなく、決して心底の恐怖など感じない政敵や出世のライバルである人間とやりあっているのだ。だから、なんども繰り返すがスクリーンから登場人物から、恐怖が、恐ろしさが、まったく、これっぽっちも感じられないのだ。それは市井の人々を誰一人としてしっかり描いていないからだ。ただ逃げる遠景を取っているだけだからなのだ。

・その他にも石原さとみにしろ市川実日子にしろ、完全におちゃらけのギャグキャラ設定になっていて、もう全くなにも怖がっている様子がない。

・さも現実味をだそうと「シャツが臭いですよ」なんてシーンを入れているのも、まさに取って付け。そんなこと言っている場合かと言いたくなった。

・ゴジラ対策で会議室に泊まりこんで椅子で寝ている官房長官なんかよりも、まだボサボサ頭の市川実日子のほうが疲れているように見えるが、それにしても恐怖はどこにも存在していないのだ、まるで全部がギャグだ。

・で、結局この映画は何をいいたかったのか、何を表現したかったのか? それはゴジラの恐怖じゃないだろう。官邸の巨大生物登場対策シュミレーションの予行演習を描きたかったのか? それを見せられただけか?

・3.11をベースにした話の作り方は面白いが、それがゴジラ映画か?

・この映画を評価している側にしてもそうだ、おまえらは災害政治シュミレーションを見て面白がっている、内容が濃かった、出来が良かったと言っているだろう。それは、ゴジラを、ゴジラ映画を語っていないだろう。脚本の上手さ、展開の早さに見事に騙され乗せられて拍手をしている。ならばこれがゴジラ映画である必要など全くないだろう。どこを見ているんだ!

・まあ、巷では非常に評価が高まっている作品をここまで批判するのも、ゴジラ映画がゴジラ映画であってほしいからだ。

・最初に書いたように「面白かった、なかなかに面白かった、映画を観た満足感もそれなりにあった・・・だが・・・」なのだが、見終わって時間が経てば経つほど釈然としない気持ちが強くなってくる。

・すくなくともシン・ゴジラは、大量生産された第二作以後の子供向けゴジラシリーズよりはよっぽどイイ、平成ゴジラ・シリーズよりもよっぽどイイ、ミレニアム・シリーズなんかよりもずっとイイ。エメリッヒのGODZILLAよりもずっとずっとイイ、ギャレスのGODZILLAなんかよりも何万倍もイイ・・・しかしだ、だからこそ厳しく言いたい「これがゴジラ映画なのか」と! ゴジラを主役から外して政治家や官僚の災害シュミレーション・ゲームに終始したこの映画はゴジラ映画とは言えない。本多猪四郎が描いた《恐怖》や《人類への警笛》がまるで感じられない映画など、ゴジラがでていようがゴジラ映画とは認めない。そういうことだ。

余談:

・それにしても最初に出てきた第二形態のゴジラには面食らった。まさかあんなものを出してくるとは。第三形態もボタボタと体液やら血肉の塊のようなものを落とす様子が描かれていて、両方共それなりに気持ち悪く、不気味であったが、あのピンポン球の目はなんなんだ? あのピンポン球の目のお陰でせっかく不気味な気持ち悪さが出ていた第二、第三形態のゴジラがまるでアニメのヘンテコキャラのようになってしまった。そう、なんというかあの第二、第三形態はまるでエヴァンゲリオンの使徒じゃないか。予告編で見ていた白い目のゴジラは原始生物のような不気味な怖さがあって期待を持てたのだが、第二、第三形態のあのピンポン球はもうダメダメ。思わず笑ってしまうよあれは。

・都会に燃え上がる火の中をのっしのっしと歩くゴジラ・・・これ、巨神兵そっくり。

・背中から紫の放射能光線を四方八方に発射するのはまるでイデオンか? ゴジラじゃないだろうこれも。しかもその放射能光線があちこちビュンビュンとのべつまくなく飛び交っているのに、ビルの屋上で放射能防護服に見を包んでぶつくさ言いながらゴジラを見ている官房長官らには笑った。おまえらそんな所にいたらあの放射能光線一発ビュンと来たら全員一瞬でお陀仏でしょう。いやはやまったく悠長なことだよ。

・最後の半減期の話はなんたるとってつけ、酷すぎ。

・白組のCG技術はここまで来たのかと思うほど凄い。ゴジラがビルに崩れ落ちるシーンなどもう見事としかいいようのない素晴らしい出来。「同じ予算を与えられて、ヨーイドンで同じCGIのシーンを作ったら日本の方がハリウッドなんかよりも上だ」と言っていた人がいたのだが、今回のシン・ゴジラを観たらその言葉に納得した。白組のCGI技術はレベルはもう世界水準といっても過言ではないだろう。

☆2017年7月8日再見

やっぱ、浅いな、コレは明らかに、おちゃらけ映画だなぁ。なにがポリティカルサスペンスだっちゅーの。という感想が。再び。やたら米国が、米国、米軍が、米軍ががとか、もううんざりうざったし。石原さとみの困ったちゃんアメリカ中枢に関わる女子ぶりは、改めてみていても、もうヘッ?という感じ。さらに評価は下がってしまった。なんだか再見したら、ギャレスのゴジラのほうがまだましだったかも? と思えてきた。いやはや、なんだこのゴジラ映画は。もうダメダメ。

2016-07-11 『インデペンデンス デイ リサージェンス』愛すべき最高お馬鹿映画

LACROIX2016-07-11

[]『インデペンデンス・デイ: リサージェンス』

・「インデペンデンス・デイ」第一作からもう20年かぁ、時が経つのは本当に早いなぁという感じ。

・第一作はあの巨大なUFOが衝撃的で大ヒットしたけど、段々と中身のデタラメさに“お馬鹿映画”の称号が付き、それが高じてさらには「こういうお馬鹿映画も面白いじゃない!」と逆な意味でいう評価が上がった珍しい映画。自分も映画館で最初に見た時はそれまでになかった圧倒的な映像でスゲェ〜と思ったけれど、DVDとかで見返すと、なんともお馬鹿なシーン、ストーリーが満載で、次第に「これはSF映画じゃなくて、ギャグ映画だな」と思うようになった。

・その「インデペンデンス・デイ」が20年という時を経て続編の製作と聞いて、うわー、どうなるんだろうと面白半分で期待していた。なにせ監督のローランド・エメリッヒは「インデペンデンス・デイ」(1996年)以降はと、トンデモ映画、オイオイ映画ばかり作ってきている監督で、作品の質を期待することは殆どない。「エメリッヒでしょ? どうせ!」と言われるような監督だったからだ。(興行収入はそれなりにいってるところは凄いが)

「GODZILLA ゴジラ」(1998年)

「デイ・アフター・トゥモロー」(2004年)

「紀元前1万年 10000 BC 」(2008年)

「2012」(2009年)

・さて、そして20年ぶりに帰ってきた「インデペンデンス・ディ:リサージェンス」、CMや予告編を見るとCGIのレベルが相当に上がっているし(20年前の第一作の時は爆発シーンなどで火薬を使っていたり、日本の特撮のような撮影方法であった)、真面目でしっかりした超SF大作のような雰囲気だ! 第一作を知らない人、見たことのない人がこのCM、予告編を見たら「なんか、凄そうな映画が来たな。映像も凄いし面白そう」と思うだろう。しかし第一作を知っていると、この映像を見ながらプッと思わず笑ってしまうのである。「雰囲気は真面目で凄そうなSF映画だけどこれって・・・」と笑えてしまうのである。

・ジェフ・ゴールドブラムがまたマジ顔でセリフをしゃべっていると、それだけで思い出し笑いしてしまうし、ビル・プルマンが出てくると、おお!あの大統領がまだ生きてたのか!とか思ってしまうし。「今度のは前のよりでかいぞ」なんてセリフを聞くと「ギャッハー、20年経っても前と同じことをしようとしてるぅ、デカさで売ろうとするエメリッヒは健在だぁ!」と大笑いしてしまうのである。

・ということで、今回は作品の質に期待するというのではなく、20年経っても(映像はすごくなってるだろうが)また同じお馬鹿な映画作ってるのかなぁと、そういった期待が大きく、ある意味どれだけそのお馬鹿さの期待に応えてくれるかを大いに楽しみにしてこの映画を見た!

・そして、その期待は100%裏切られることはなかった! エメリッヒは全ての期待に応えてくれた。やっぱりエメリッヒは“お馬鹿監督だw!”

「インデペンデンス・デイ:リサージェンス」は史上最高のおバカ映画と言っていい。ただし、頭に“愛すべき”という言葉を付け加えておく。

この映画は古今東西稀に見る、映画史上最高の“愛すべきおバカ映画”である。(監督のエメリッヒもお馬鹿映画の代表としよう)

・いやー、予告編を見て、なんかモノスゴイ、かっこいいSF映画を期待した人は逆に頭にくるんじゃないかな? なんだこの映画は!くだらん!と怒りだすかも。20年前の第一作を観て知っていて、そのバカバカしさに愛着を感じている人にとっては「20年経ってもおんなじバカなことやってるバカ映画だねぇ」と微笑んで楽しみながら観れるけれど、初見の人にとっては「どうしょうもない映画だ」となるかも。この映画を観る人には世代のギャップが大きく広がっているかもしれない。

・今回の宇宙船は前作よりはるかにデカイというのは聞いていたが、映画の中のセリフでは全長3000キロとか言ってたなぁ。www アホちゃう? 第一作の宇宙船が全長24キロでこれはデカイなぁと驚いたのだが、今回のは言ってみれば日本列島の端からは端までと同じくらいの大きさなわけで、ここまで大きくしちゃったら、人間から見たら空全部が宇宙船なわけで、逆に巨大さとか物凄さが感じられなくなってしまっている。頭の上、見渡す限り全部が宇宙船なんだから、大きいとか小さいとかじゃなく、空に蓋がかかってるようなもの。これはやり過ぎの大失敗、流石エメリッヒ!と言いたくなったね。

・まあ、その他にもツッコミ所は満載なのだが、この映画はツッコミ所をギャグとして観なければならない。いや、エメリッヒはスタッフは至極真面目に作っているのかもしれないが、それがことごとくお馬鹿なギャグ化しているのだから、そこを指摘してもしょうがない。楽しんで笑うのがこの映画の観方とも言えるだろう。

・それにしてもなぁ、まさかインデペンデンス・デイが怪獣映画になって帰ってくるとは思わなかった。日本の怪獣映画ファン、オタクであるギレルモ・デル・トロが作った「パシフィック・リム」やギャレス・エドワーズの『GODZILLA ゴジラ』は日本のロボットや怪獣映画を尊敬し、その流儀やスタイルを踏襲してハリウッド方式で日本映画を作ったものであり、作品の出来はイマイチだったが日本の怪獣映画をここまで愛してくれているんだなという気持ちは嬉しかった。しかし、しかしだ! なんとローランド・エメリッヒはその怪獣映画ヲタの二人よりも更に更に凄い日本映画式怪獣映画を作ってくれたのだな。

・いやー、もう驚き。エメリッヒの『GODZILLA ゴジラ』は日本のゴジラの良さを全然わかってないダメダメ作品だったが、今回の「インデペンデンス・デイ:リサージェンス」は設定からバカバカしさはまるで日本のTV特撮怪獣シリーズ(ウルトラマンタロウとかに近い)であり、怪獣の描写は日本の怪獣映画のニュアンスが強く感じられる。

・ほんと、科学特別捜査隊とか地球防衛軍とか宇宙科学警備隊とかが怪獣から地球を守るって設定とその中で出てきたお馬鹿な怪獣攻撃とかの映像が今回の「インデペンデンス・デイ:リサージェンス」で巨大宇宙船や宇宙人に向かって戦いを挑むアメリカ軍の姿と似てるんだよね。おかしなくらい。この脚本家、日本のウルトラシリーズを土台にして脚本かいたんじゃない? ッて思う位。そしてなんとも、エイリアンとの戦いが・・・・おいおい、これってまんま日本の怪獣映画になっちゃったじゃないか〜と、スクリーンを観ながらびっくり仰天、そして大笑い。いやはやエメリッヒさん、ここまでやってくれるとは御見逸れしました。

・前作で出てきたキャラクターが沢山でてきて、前作をネタにしたようなギャグ(本当は真面目にやってるのかも)を披露するし、ビル・ブルマンが前大統領のくせにエイリアンを格納している場所に入っていって「俺が犠牲になる!」といって首を触手でグゲゲと締められて、エイリアン語を翻訳するシーンとか、もうホントによくもここまでお馬鹿シーンを真面目に復活させるもんだなぁと恐れ入る。

・途中からは段々先が読めてきて、あのスフィア(球体)が出てきて「敵の敵は見方」なーんて言い出すところなんかもう予定調和。アフリカの黒人の部族長かなんかがスウォード(剣)でエイリアンをズッタバッタやっつけるところとか、あんまり名前が知れていないギャラの安い、だけでかなり美形で可愛い女優をぞろぞろ出演させてるところとか、中国の巨大市場を意識して軍のトップが中国人だとか、その娘が美形のパイロット(アンジェラベイビー(楊穎)という中国人アクトレス)だとか、この女優もぱっと見、日本の昔の女優の若いころみたいな感じで可愛いとおもったが、役はスカスカのただの飾りでしかなかったし、エイリアン研究者は同性愛カップルだったんだとか、もう、いやはやサイコーですねと言えるお馬鹿の連発にただただ顔がほころぶばかり。

・意外と言えば超意外で、冒頭からシャルロット・ゲインズブールが出てきたこと。映画の情報サイトやキャストの紹介でもシャルロット・ゲインズブールに言及したり取り上げている所はほとんどないね。あの「なまいきシャルロット」の時の妖精のように可愛らしかった女の子がこんなにシワクチャなオバサンになって出てくるのはちょっと目を背けたい気分も。同じフランス人女優でも「ラ・ブーム」でブレイクしたソフィー・マルソーは歳をとっても妖艶な美しい女に成長したのだけれど、S・ゲインズブールはそれとは逆になってしまっているみたいでちょっと悲しくもあり。

・まあそんなかんなで、この史上最高のお馬鹿SF映画は、お馬鹿をどんどんと積み上げていき、最後にはお馬鹿なりにスッキリ気持よく楽しめるラストでしめくくってある。ジトジト梅雨の湿っけと、ジリジリ暑い夏の中、ひんやりと冷えた映画館でこういうお馬鹿映画を観て、あんまり難しいことを考えず、頭を空っぽにして楽しむってのがこの映画の観方なんじゃないかね? そう考えていれば充分に楽しめる。

ただし、前にも書いたがそれは前作がおバカ映画に変化していき評価を逆の意味で上げたという前作を知って楽しんでいる世代に限ったものであり、まったくなにもその辺のことを知らない人が、期待してこの映画を見たら「なんだこれは、どうしょうもない、馬鹿げた映画だ」となる可能性は非常にたかいだろうな。現にこの映画のことをネットで書いているページはそういう内容のものが多いようだ。

・この映画を観て、くだらない、馬鹿げてると思った人は、前作を観て、そのお馬鹿加減をハッハッハと笑いながら楽しめるようになってから、もう一度この新作を見返せば、楽しめると思うな。

・愛すべき、史上最高のお馬鹿映画に乾杯!

2015-06-07 映画「海街diary」が生まれるまで

[]映画「海街diary」が生まれるまで

・久しぶりに“これは観たい”と思える作品。

・今週末の公開を前にしてメディアミックスのプロモーションが相当に行なわれている。住友林業のタイアップCMはかなりのGRPで流されている。人気番組に4姉妹が出演というPR企画ものも多々。この月曜日からはSWICHなどの雑誌で「海街Diary」「是枝作品」といった特集物が何冊か出され本屋の棚に並んでいる。

・是枝監督の前作である「そして父になる」もカンヌで審査員賞を取ったということで話題にはなったが、今回ほどのプロモーションは行なわれていなかっただろう。思うに「海街Diary」はこれまでの是枝監督作品の中で最大級のプロモーションが行なわれているであろう。

・前作「そして父になる」がテーマとしては重く、社会的な告発的部分を持っていたのと違い、今回の「海街Diary」は家族の絆がテーマという部分では若干の重さはあるが、前作に比べれば圧倒的に観客にかかる負荷は少ない。観客にかかる負荷というものはある程度必要だ。まったく負荷のかからない、お笑い、コメディー、アクション映画などと違って、適度な負荷は映画の深みにもなり、感動の源泉にもなる。重すぎては辛い、軽すぎては見応えがなくなり中身が浅くなる。“適度な、ちょっぐっとくるような負荷”それが当たる映画には丁度いい。そして観客にとっても。それは映画を見終えた後の観賞感として心に残る。一冊の本を読み終えた後の読了感に似たようなものが観客の心の中に生まれる。そういった意味で「海街Diary」は適度な緊張感をもって巧みにバランスを取っている作品と言えるだろう。いつもながら食べ物に例えれば、塩加減が、その塩梅が見る側にちょうどいい映画なのだ

・小学館、フジテレビ、東宝とくればメディアミックスのプロモーションなどお手のもの。まさに自分たちの土俵であり何をどうして作品を盛り上げていくかなど周知している組み合わせだ。だが、いくら手慣れた企業が手を組んだとしても映画のPRが必ずうまく行くなんてことはない。なによりも大事なのは作品そのものが世の中の期待や希望、映画を観る層に訴えかける、惹きつけるものを持っていなくてはどうにもならない。

・吉田秋生の原作マンガ、その質、そして登場人物が4人の姉妹だということ、4姉妹のキャスティングが綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すずという見事な組み合わせだということ、そして映画の舞台が湘南、鎌倉だということ。一つ一つが見事に押さえられたつぼであり、それが集積して仄かな優しい光に包まれている。温かい、人を惹きつける魅力を醸し出している。そういったものを内包した映画だからこそ、企業も「この映画に協力したい」「手を差し伸べたい」《この映画のイメージで企業イメージも一緒にアップしたい》と思うだろう。作品が持ち得た輝きと魅力があるからこそ、それを取り囲むPR戦略も上手く行く。公開前週にこれだけのクロスプロモーションが行なわれているのもやはり作品の良さありきだからだなぁとしみじみと思う。

・BS日本映画専門チャンネルで過去の是枝作品の特集と、“映画「海街Diary」が生まれるまで”という番組を放送していたので見てみた。作品を観賞するまえにメイキングなどを観るのはあまり良いこととは思わないのだが、今回の番組ではあまり深く作品内容に踏み込むことをせず、監督の撮影手法だとか、脚本を作るにあたっての監督の気持ちだとか、そういったものが映しだされていて、面白く興味深かった。

・是枝監督作品としては「歩いても歩いても」で小津安二郎の姿を感じたが、この作品ではさらにその小津安二郎的様式美が強く見られるようだ。鎌倉の古い民家で座卓を囲んで食事をする姉妹の姿は、まさに小津の様式美の世界。この番組の中では「小津から成瀬へ」なんていうことも言っていたようだったが、日本にいる数多の映画監督の中で小津の様式や雰囲気、その手法を自作に取り入れ、取り入れただけではなく見事にそれを小津らしい様式美として映像に映し出している監督は是枝裕和だけかもしれない。

・監督というのは絶対君主のようなもので自分の思った通りい、自分の我のままに映画をとるというものだと思っているが、この番組のなかで是枝監督はカメラマンやスタッフの意見を取り入れて、絵の構図や角度、人物配置、カメラの方向などを修正していた。修正前と修正後の映像を比較するなど、この番組には撮影技法の解説などもあり、この手の番組としては実に面白い。

劇場公開後の6月下旬にもう一本、同じくBS日本映画専門チャンネルで「海街Diaryメイキング」というのが放送されるらしい、これも楽しみだ。

・身近な場所である鎌倉を舞台にしたこの映画、「ああ、これはあそこだな、このシーンはあの角で撮ったな」なんいうのを見つけるのも楽しみだ。

・それにしても、湘南とか鎌倉、逗子なんかを舞台にすると映画ってなんていい感じなるんだろう。この辺は、町やそこに流れる空気そのものがなにか人を惹きつけるものをもっているんだなぁ。美味しい店も本当に多いし。(高いけど)

・生シラス丼を食べるシーンとその時のセリフはちょっとわざとらしいな〜と思ったが。

関連日記

2008-07-02 『歩いても 歩いても』是枝監督が手に入れた小津安二郎的映画感・・・久里浜、葉山が舞台だった。

2006-05-15 『ラヴァーズ・キス』小粒だが、青春映画の佳作としてgood! ・・・吉田秋生の実写映画化として秀作。舞台は江ノ島から長者ヶ崎あたりまで色々。

2006-06-18 『タイヨウのうた』・・・・・・泣けた。・・・是枝、吉田秋生とは関係ないが、湘南鎌倉を舞台にした映画としてはとてもイイ作品。これは七里ヶ浜がメイン。

2014-12-01 『インターステラ−』2014年、今年の一作はこれになる!

LACROIX2014-12-01

[]『インターステラ−』

・2時間49分 映画映像をじわりと噛みしめるように堪能した! 素晴らしい! 久しぶりに《映画》を《観た》〚満足感〛〚充足感〛に浸れた一作。2014年ナンバーワン映画は『インターステラ−』にほぼ決まりだ。

・兎にも角にも話が面白い。難しいとも言えるが、実に巧くリズムとテンポを保ちながら全く飽きる気配など感じることなく、どんどん話に引きずり込まれていく。いや、ほんとに映画の面白さ、映画ならではの映像、展開、映画そのものの素晴らしさをじっくりと味あわせてもらった、見終えた後のこれだけの充足感、満足感も久々だ。

・クリストファー・ノーランの監督作品は映像は美しく素晴らしいのだが、脚本に毎回すっとんきょうとも言えるような大穴がある。致命的な欠陥というわけではないが、その一歩手前くらいのどうしょうもない話のすっ飛ばし、監督の脳内がうみだしたような超ご都合主義的な物語の運び、脚本の粗が必ずある。それがあるから「ああ、また今回もこんな超ご都合主義で登場人物に出来るはずもない不可能なことをやらせてる」「だれがどう考えたってここはおかしいだろう」というのが引っかかって、作品そのものを両手で評価するようなことが出来なかった。

・しかし、『インターステラ−』はそういった監督のご都合主義で書いたような展開はなく、科学的検証もきっちりやったであろう、しっかりとした脚本、ストーリーであった。たぶん、こういう非常に難解な科学的な内容を含む話だからきっちりと科学者、物理学者に話を検証させたという。それがあったからいつものとんでもない“大抜け”が無くなったんだろう。

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・マッド・デーモンのくだりは蛇足。あそこがなければもっと尺も切れただろう。あそこがあるせいでそれまで上品で高尚で気品のあった作品に濁りが出だ。まるで繊細で上品なお吸い物に醤油をどっぷりと掛けたようなおぞましい蛇足だ。

・星野先生の作品に似ているという指摘はネット上でもかなりでているが、これは誠にもって否定しがたい。話そのものもそうであるが、宇宙船のデザイン、惑星と宇宙船のカットなど星野先生の作品のあの場面やこの場面が目に浮かぶ。星野作品は海外でも英語に翻訳されてかなり出版されているが、それを基にしたというのは可能性はかなり高い、いや確実ではないか?

ラストで、一人惑星に辿り着いたアメリア(アン・ハサウェイ)の姿が映る。そして新型の宇宙船に乗り込み旅立つクーパーの姿も・・・アメリアはあの後、凍眠カプセルに入り、誰かが自分を見つけてくれることを信じて眠り続けるしかない、たった一人惑星に辿り着いたアメリアにはそれしか選択肢がないのだ。自分はラストに期待した・・・荒れた惑星の大地で絶望に打ちひしがれたアメリアはきっと救われるんんだと、きっとこの後、ラストではアメリアがたどり着いた惑星にクーパーが時を超えて辿り着き、アメリアの凍眠カプセルを開けるのだと、そして眠りから覚めたアメリアとクーパーの抱擁でこの映画は終わるのだと。しかしそのラストシーンはなかった。・・・・・・そうあって欲しかった。きっと星野之宣であれば、それがラストシーンとして飾られたことだろう。しかし『インターステラ−』においては、アメリアの絶望とクーパーの旅立ちで映画が終わってしまった。この映画のラストは衝撃のラストだ、だが、本当に欲しかったのは身震いし慟哭するほどの《感動のラスト》だ。本当のハッピーエンドにしてほしかった。きっとクーパーはアメリアを救い出しただろう、そういう想像は出来る。だが、この素晴らしい映画のラストは本当に素晴らしい胸がすくような、涙と感動で体中がわなわなと震え出し、男でも女でもわっと感極まって泣き出してしまうようなラストにしてほしかった。そこが悔しいくらい残念なのだ

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・事象の地平線( EVENT HORIZON )

吹き替えは秀逸。剛力彩芽は嫌いじゃないが、そんな実力も表現力も感情もだせない剛力に拙い日本語の吹き替えをさせて吹き替え版を最悪のものにしたフォックのプロメテウスみたいなお話にもならない愚挙をワーナーはとらなかったというだけで○

・天体物理学者のロミリー(デビット…ジャージー)は「自分はここで待ってブラックホールの研究をしたい」とエンデュランス号に一人残ったわけだが、アメリアとクーパーが最初の探査惑星(ブラックホールの超重力により時間軸が歪み、惑星での1時間は通常の7年分に相当すると計算されていた)から戻った時、アメリアが「何年経ったの」と尋ねると「23年だ」と答えているのだが、23年も経っているのにロミリーはちょっとヒゲを増やしただけで全然老けこんでいないというのがなんとも抜けている。

・星野之宣作品からの流用といっても過言ではあるまい。

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_☆2009-06-01 『天使と悪魔』:この映画も星野之宣作品からアイディアを取ったと思われる。


/ハンス・ジマーのサウンドは、壮大で荘厳。かってのヴァンゲリスを彷彿させる素晴らしさ。

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☆インターステラ− 批評・感想 by Lacroix

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2013-10-23 「遊星からの物体X ファースト・コンタクト」

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[]「遊星からの物体X ファースト・コンタクト」(2011)

・まるで期待していなかったが、時間も短いし、さらりと見てフフフンとそれなりに楽しめたが、気持ち悪さもだいぶあり、SFというよりスプラッター・ホラーというような感じ。

・得体の知れないエイリアンを発見して、生体反応も確認せず放置するとか、切り刻むときに博士なんていう連中がだあれもマスクもせず、手袋以外はほとんど素でエイリアンにナイフをいれるとか・・・相変わらず間抜けな演出はいっぱいだが、おちゃらけスプラッターSF映画ととらえればこれでもいいか?

・名作である前作の前日談なんてこと言わないで、単純に一本の気持ち悪さ満載SF映画として作っていればいいものを、スタジオ役員や株主の突き上げが怖くて、やっぱり過去の名作のネームバリューだけはお借りしましょうということで作られたような映画。だから芯はなにもなし。出来上がるまでもなんども製作延期になったり紆余曲折したみたいだが、もうこういう取って付けたようなシリーズモノ、名作の前日談とか続編とか新しい展開とかはハリウッドのお馬鹿連中もいい加減やめたらと思う。でもやめられないんだろうな、それほどネタとアイディアは枯渇してるということだ。

・と、否定的なことを書いたが、一本の映画としてみればそこそこ楽しめる。金は掛かってるけどB級のやすっぽさプンプンのサスペンス、ホラーとしてもまあそこそこ。それもこれも前作のしっかりとした設定がどだいになっているからであろうが、前作を知らない、見ていない人なら「うん、言われるほど酷くないんじゃない、キモいけど面白かったよ、1時間45分それなりに楽しめた」というであろう。

・中身としては『 THE THING 遊星からの物体X 』の焼き直しというよりも『エイリアン1』の焼き直しという感じが強い。頭をひっくり返して四足で歩くエイリアンとか、腹を突き破って出てくるシーンとか、これって話は『THE THING』だけど映像は『エイリアン1』でしょう。ケイトの役はまさにリプリーのシガニー・ウィーパーだし『エイリアン』でリプリーがようやく逃げ出した宇宙船で後ろにエイリアンがいるっていうのも『THE THING』じゃなくて『エイリアン1』のシーンそのまんまだし。(これはオマージュとして受けとっていいだろう)

・ということで『 THE THING 遊星からの物体X 』の前日談、リメイクというわけで撮られた映画なのに、中身はエイリアン1の混ぜちゃってるわけで、だからこういう中途な映画になるんだなぁという典型。いや、エイリアン1を真似たからなんとか見れる映画になったのと言うべきかもしれないか?

・ケイト役で美形の紅一点(もう一人女優はいるが美形としては一人)f:id:LACROIX:20131024071254j:image:rightメアリー・エリザベス・ウィンステッドがなかなか。目が大きくてはっきりした顔立ちで、こういう女性は日本でも海外でもそこそこ受けるか。しかしこの人、全然しらなかったけどホラー・クイーンなんて言われてたのね。なるほど、ホラー映画に出てればちょっとお馬鹿っぽさも滲んでぴったりだったのかも。でもこの作品の中では一人だけ美形でキラリとしてた。こういうのを一人だけ入れるというのもキャスティングの常套手段だが。

・前作はもろ男臭い男男というキャスティングと中身だったし。たぶんプロデューサーか誰かしらが「「THE THING」のシリーズものを作っても受けない。あれは男だらけのキャスティングで華がない。観客動員望めない。エイリアンのリプリーのような強い女性を話に付け加えればもっと観客受けするはずだ。宣伝のネタにもなる。客を惹きつけれる!そうだ「THE THING」の脚本にリプリーに相当する女性を入れるんだ!」とかなんとかやったのだろう。そういう臭いがプンプンする。

・まあおかげでこの女優を知ったわけでもあるが、願わくばそういうホラー映画の客寄せ役じゃなくてなにか真面目な作品でこのメアリー・エリザベス・ウィンステッドの演技を見てみたいとものだ。

・それにしても最近でてくる続編だとか前日談というのはどれもこれもどうしょうもない。「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」も猿のCGI以外はなんとも薄い話だったし。(ところでこれの更なる続編って作られるんだろうか? 出来ても当たることはないだろうな)。「プロメテウス」もエイリアンの前日談と宣伝しておいて、どうしょうもないないようだったし。ターミネーター・シリーズはなんとか持ち直しそうだが、3以降は正直酷い脚本と設定だし。

・ハリウッドはまわりと同じことをやらないと突かれた時言い訳できない、失敗しても「ほかもやってるから」と言い訳できるように周りと同じことをやるというどうしょうもない慣習が蔓延してしみこんでしまっているから、しばらくはこういうシリーズものの前日談だとか、少し話を横に逸らしたやつだとかが続くのだろう。

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2013-08-01 『終戦のエンペラー』残念ながら極めて中途半端な一作

LACROIX2013-08-01

[]『終戦のエンペラー』

・作中のセリフにもあったが、天皇を扱うというのはなんにせよ“センシティブ”な部分を孕む。日本においては否応なく、外国からしても若干の差はあれど同じだ。アラーを映画でも文章でも外国人が描くとこれまで様々な問題が起きてきた。イスラム教徒にとって異教徒が自分たちの神であるアラーを軽率に扱うことはそのまま自分たちと自分たちの宗教、文化を冒涜する扱いとみなされる。

・取り上げた物語の主題に対して、本質に対してどれだけ踏み込むか、踏み込めるか、どれだけ考えを及ばせることができるか、どれだけの深みまで手を伸ばせるか、思考をめぐらせることができるか、物語のなかでどれだけその主題を追求できるか、深く掘り下げ観る側に訴えるものを作ることができるか、それがないのなら映画は取り上げた主題の表面を舐めるだけであり、その主題は物語の具材にしかならない。料理の上に乗っている具材でしかない。

・この映画は“終戦”“降伏”“占領”“マッカーサー”“占領軍”“日本”“軍部”“政治”そして“天皇”という非常に“センシティブ”つまり微妙で敏感で一挙手一投足に非常に慎重さを求められる“問題”を取り上げ,"EMPEROR 天皇" という日本において最もセンシティブな物事をタイトルに掲げ、主題としながらも、そこに深く踏み込むことは避けている。そこに関わる様々な要素もただ並べただけに過ぎずなんら主題に対して深入りしようとはしていない。いや、しなかったのだ。

・主題として"天皇”を取り上げながらも、そこに踏み込めば踏み込むほど状況は更にセンシティブになり、深入りすることは映画としての表現の難しさや説明の困難さ、そして踏み込んだことによる様々な影響が危惧された。だから主題に足を踏み込み、深入りすることは止めたのだ。やめてしまって具材だけを並べ、なんらの意見を述べることもなく、主義主張を面に出すこともせず、ただの"物語"として抑えてしまったのだ。

・即時的な楽しみを目的とする娯楽映画であるならばそれでもいい。面白そうなストーリーだけあればソレでいい。だが、この作品はそういった娯楽作品ではないはずだ、そういった娯楽を志向して撮られたものではないはずだ、ハリウッドのエンターテイメント作品として作ったものではないはずだ。終戦と占領軍、日本の天皇を主題として選んだ時点で作品の本質はエンターテイメントではないものとなる、成らざるをえない。

・だから本当はもっと天皇という腫れ物のような事柄について語り、それを評することが禁忌されている日本にとっても、そこに関わった国にとってもセンシティブな事柄に真正面から向かい、取り組み、日本の終戦とアメリカの占領軍の統治に関してもなんらかの意見、主張を示すべきであり、示さなければならなかった。しかし、それは避けられた。回避され、なんでもない表面的なエピソードの羅列。歴史の上辺だけをなぞるだけの内容に落ち着けてしまったのだ。

・そして映画は意義、主張を持つこともなく、薄っぺらな中途半端な作品になってしまった。それは製作サイドの《天皇に触れることへの恐れ、恐怖、そこから生まれる様々な危惧されるべき事態を恐れ、それを受け入れそれに対処することを避けるため》の気持ちが生み出したものだろう。

・娯楽、エンターテイメントには成り得ない題材を映画の主題として選択したが、その主題に踏み込むことを躊躇い、その主題を論ずることを躊躇い、その主題に深く関わることを躊躇し、その主題に作者の側の意見や主張、判断をすることの一切を避けた・・・いや、観終えた感想からすれば、これは逃げたんだろうなというべきかもしれない。

・こんな"天皇”EMPERORという題を掲げながらも、そこの踏み込めないばかりか、終戦や占領軍、天皇という題材の表面的なつなぎだけでは映画としての話を構築できないと見たのか、随分と白々しい悲恋物語を映画に組み込みラブストーリーとしても客を惹きつけようとしたのだろう。しかしそれがより一層作品の中身を中途半端なものに押し下げ、なにがエンペラーなのだと言いたくなるような話になってしまっている。

・そして最終的には天皇や占領軍、マッカーサーよりも、ラブストーリーに話の中心が寄ってしまっている。これでは第二次大戦終戦時の天皇とマッカーサーの話と思って観に来たら、まるで《第二次大戦の中、アメリカと日本の間で生き、恋をし、戦争によって引き裂かれた悲恋の女性、彩音》なんて題のほうが内容には合っているのではないかと思える程だ。

・社会派や歴史映画という方向には進まず、話をふくらませるために戦う二国の間で生まれた恋という挿話をいれたため元々の主題からは話の中心が離れてしまい、結局はどっちつかずの状況で中途半端に何を描こうとしたのかさえボヤけたまま仕上げられてしまった映画、そう言うしかないだろう。

・プロデューサーでもある奈良橋陽子のキャスティングは流石だった。マッカーサーを演じたトミー・リー・ジョーンズは少し違和感を感じたが、日本側の配役は見事だ。アヤを演じた初音映莉子は印象深い。桃井かおりはこんなチョイ役かとすこし残念。

・やたらと日本の知識人(と称する連中)に多い、アホでマヌケでくだらない反日的自虐感はこの映画の中にはない。そういったものはほとんど感じられない。逆にアメリカをやたら褒めたり、軍部を揶揄するようなシーンもない。そういった点ではこの作品はどっちかに偏向するわけではなく日本人の描き方もアメリカ人の描き方も皇族や天皇の描き方も極めて中立的であり、妙な色眼鏡はかけていない。そこは好まれる。

・ポツダム宣言を"降伏"といい、今の義務教育で間違っておしえられている"無条件降伏"という言葉を使わなかった点も◎

・いきなり出だしであの捏造、偽造と証明されている南京虐殺に関する日本兵が中国人の首を日本刀で切ろうとしている写真が出てきたのは驚いた。GHQ本部に貼ってあったその写真を「そんなものは剥がせ!」と言って剥がす場面を映画の頭に入れるというのは、ちょっとあざとらしさを感じたのだが、これは南京虐殺をやたら史実として認めさせ日本を落とし込めようとしている中国人やらそのロビー活動に洗脳されているアメリカの議員などに対する嫌味だろうか?

・終戦間際の玉音放送と軍部クーデター、その当時の様子を如実に描いているという点で橋本忍の『日本のいちばん長い日』と比べてみれば映画作りの姿勢の違いというものが明白に分かる。問題作でもありあまり取り上げられることもない作品だが『日本のいちばん長い日』を観れば映画の在り方の違いというものが際立って見える。☆2008-04-03 『日本のいちばん長い日』狂気と暴走の歴史が映像に再現される。

・この手の戦争、軍隊、天皇などといったテーマの映画が出てくると、必ずキチガイじみた自虐史観を頭に埋め込まれ洗脳されたような人間や団体が上映禁止運動や、映画にたいする非難などを公然と始めるのが日本の常だったが、この映画ではそういった話がとんと聞こえてこない。日本映画で戦争を描くと「間違っている、訂正しろ!」と喚き立てる狂人とおぼしき日本人や中国人、韓国人などがハリウッド映画なら何も言わない・・・いかにも見え透いた浅はかな思想や意思のない、ただ単に日本を非難して自分を満足させたい連中がうようよしているのだと呆れ返る。

・それでも、この時代、このような内容を扱った映画としてはまあまとも。それも日本人がプロデューサーをしているおかげか。外人がこの手の日本を描いた映画は最低レベルのものばかり。

・原作 岡本嗣郎「陛下をお救いなさいまし」(集英社)

関連

上映時にとにかく批判、上映禁止などの攻撃を受けた良作

「プライド 運命の時」

「明日への遺言」

外国人が日本を描いた愚作

2010-05-16 『靖国 YASUKUNI』終戦記念日の靖国神社がこんなだったとは

2008-07-17 『太陽 The Sun 』これは一体何を描こうとしたのだろうか?

2009-07-08 『TOKKO −特攻−』なぜか、強く響いてこない

2013-07-17 『BRAVE HEARTS海猿』悪くない!ちょっとウルウルだな、

[]『BRAVE HEARTS 海猿』(2012)

・CGIに関しては前作のレガリスの描写の方が上。

・といいつつも、見ていると引き込まれるし、なんとかしろー!!と叫びたくなる。

・吉岡を救い出すシーンに至っては、ここで殺さないだろう、殺しはしないだろうと願い、握り返してきた手で思わずウルウルしてしまった。

・海猿4作の中では一番いいか。

・仲里依紗なんかズケズケした顔ではいままでどうも嫌いだったのだが、この作品では正直いい役を演じている。

・飛行機事故の映画というのは本当は好きじゃない。日航機事故を頭に描いてしまうから。

・このシリーズの映画がやたらと女性人気が高い、観客も六割以上女性だ、とかいうのは、やはりカッコいい男優がぞろりと揃って出てるということか? それに出産、結婚、プロポーズ、子供、若い夫婦の不安、うんたらかんたら・・・で、女性はカッコいい男を見ながら、これって女性の気持ちもよく描かれているよねぇ、となってジーンと来てしまうから女性に受けてるのか? 男がAKBにギャーギャー騒いでるのを見てシラッとしている女性が、EXILEにキャーキャー叫んでいる。要するにEXILEは女性向けのAKBであり、海猿もその要素を多分に織り込んでいるということなんだろう。

2013-07-16 『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』

[]『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望

・踊る大捜査線3はなんだかあまりに酷かったので、なんだこれは状態で頭のなかから消え去っていて、もうストーリーも覚えていない。それを考えればこの最終話はまあなんとか観れる、話もある、ちょっとした主張もある。見応えとまではいかないが、観てもスッカラカンという3とは違って少しは楽しめた。


この国のシステムは何も機能していない。政治も、組織も、その事のほうが犯罪。

2011-08-15 『踊る大捜査線 THE MOVIE 3 』

2013-07-13 『アメイジング・スパイダーマン』

[]『アメイジング・スパイダーマン』

・1,2,3まで終わってシリーズ終了と思ったら、さすがハリウッドドル箱タイトルをそう簡単に終わらせるわけがないか。しかし、新たな展開を見せるのかとおもいきや、前作のストーリーの焼き直しをやるとは・・・自分たちの発想の枯渇をいかにも証明しているようなもの。

・以前のストーリーを焼き直してちょっと手を加えて父との関係やピーターの内面、恋人との関係などを深く描いているが、それにしても基本は焼き直し。サム・ライミのシリーズを観た後ではこれといった驚きはなく、また、ハッとするような意外性やどんでん返しもない。だって、基本のストーリーをもう知ってしまっているんだから。

・ピーターの恋人役でありヒロインの女性グウェン・ステイシー(エマ・ストーン)は、MJ(キルスティン・ダンスト)よりイイ。キルスティン・ダンストはちょっとヒロインんとしては芋っぽかった。やはりヒロインは手が出せない位の、いやそこまでいかなくても普通に誰もが美人と思うような顔立ちとか可愛い女性というのが鉄則であろう。

2013-05-16 『天国からのエール』

[]『天国からのエール』

・これもまた、超が付くくらいベタな話で、ベタな展開で、ベタな演出でと、ベタベタまくりの一作なのだが。そうは思っても、やはりこういう映画を見ると、多少ならずともウルっと来てしまう。

・阿部寛はテルマエの印象が強すぎて最初は違和感アリアリだったが、それは次第になくなった。

・ミムラはいい配役。このあまり目立たず、なんとなく近くにもいそうなおばさんっぽい感じがものすごく自然で良かった。

・桜庭ななみ・・・いもっぽい。へたくそ〜という感じで、最近NHK-BSのCMでみるちょっと大人びたお姉さんという感じとは随分違う。いや、ほんとに演技下手くそ。なにやってても全部おんなじ顔って感じなのだが、ラストで涙を流しながら歌うシーンは良かった。あれ、演技じゃないって感じがするな。もう話と役に完全に入ってしまって、本当に泣いて、涙を流しながらギターを弾いていたんじゃないだろうか。ここは下手くそじゃなく、まさに本物だった。このシーンにちょっと感動してドキッと来た。

・その他の役者もみんな演技は下手くそ・・・でも、それが全体としてはうまくまとまってた。

・学生たちがスタジオの外でみんなでご飯を食べるシーンがいいな。たんまりと出された唐揚げやおにぎりやいろんなものを素手でガシッと掴みとって口に頬張る。ほんとうに旨そう。そして昔を思い出させる。運動会や、文化祭や、学校でやってきた催し物のときにかあちゃん連中が差し入れてくれた食べ物。それをみんなでがつがつ食ったこと。それも青春の1ページ。良かったねあの頃は、まっすぐで、余計なことはあんまりしらなくてさ、なーんてことを見ながら思い出してしまった。

・映画としてはムムムだが、話しとして、作品として、この映画が映し出している雰囲気はいいものがある。ま、こういう作品はあんまり辛口でも仕方ない。観て、ほのぼのとこころが温まればそれで充分なのだ。

http://yell-movie.com/

2013-04-18 『ポテチ』

[]『ポテチ』

・小粒な映画、まあだけどちょっとホッとするかな? 

・素性はいいな。真面目で実直、嘘やハッタリのない映画と言える。

・それにしても中村義洋は、どう見てもダメおやじ、駄目中年の典型って顔つきでなんだか見てるだけで笑ってしまう。「鬼が来た」のあの中国人主人公とも重なってしまうんだよなぁ。www

・木村文乃って、なんか美形。今流行の顔じゃなくて一昔まえの美人系、アイドル系って感じだが、好みだなぁ。優香みたいだとも思った。木村佳乃の姉妹ってわけじゃないのだな。

http://potechi-movie.jp/

2013-04-12 『死刑台のエレベーター』 (;´д`)トホホ…

LACROIX2013-04-12

[]『死刑台のエレベーター』(2010)

・ま、書かなくてもいいかと思ったが、一応備忘録として。

・吉瀬美智子は確かにイイオンナなのだが、それは健康的ではつらつとしたオネーサンってイメージの上でのこと。おねーさんというよりもうなんかシロガネーゼの中年ご婦人というのが実だろうが、コマーシャルなどで観るじつに明るく爽やかな感じが好感を受けているのであり、この映画みたいな場末のキャバクラの性悪女みたいなのではまるでイメージが崩る。こういう性悪も合ってはいるが、この線でやってたら見事に悪役脇役女優の定番になってただろう。こういう線じゃないから受けてるのに、それを全然生かしてないというか潰しちゃってるから魅力もへったくれもなし。

・あとは別になにも言うことなし。

・一応、話題になってたな、ってことで美人オバサンの吉瀬美智子をちょっと見てみようという気持ちで観て、は?って感じで時間の無駄だから早送りしておしまい。

・名作が泣くよなぁ。。。(;´д`)トホホ…

・名作をベースにして脚本を書いても、脚本家が酷ければこれだけ映画が酷くなるというすごい見本。そして演出もなにもかも、キャスティングは大事だがそれだけであとはなんにも無しって映画か?

脚本:木田薫子・・・まあ、監督と一緒に書いたんだろうけど・・・・ハ〜。

f:id:LACROIX:20130413000900j:image


監督: 緒方明・・・・「いつか読書する日」http://d.hatena.ne.jp/LACROIX/20081121

2013-02-03 『キック・アス』完璧といってもいいほどヒーローものじゃない。

LACROIX2013-02-03

[]『キック・アス』(2010)

・ツーン・タタ・タターターンって音楽が気怠くて実にイイ。オフザケしてるというかナメてるというか、タルく乗ってけばイイという雰囲気を最初から示しているかのようでもある。最初にこの音楽を聞いただけで「ん、これは好きになれそうだな」と予感が走る。w

・「それにしても、こういった小さい女の子(ま、年齢規定とかはクリアしてるんだろうが)に「この腐れCUNT」とか言わせたり、ざっぱざっぱと人を切り刻み突き刺し殺させるってのはちょっとおぞましいなぁ」とか最初に思ったのだが、よくこんな小さな子にこんな役やらせられるなぁ、いくらアメリカでもこれってちょっと出来ないんじゃない?と、ヒット・ガール役のクロエ・グレース・モレッツ(読みにくい、書きにくい、長い)いやーホントに13歳位の中学生にしか思えないんだよね、このヒット・ガール! 身長も163cmというからそんなにちっちゃいわけじゃないし。ん、まあアメリカ人の中で並べたらやっぱ小さくなるかな? その辺も巧く考えられてて、いかにも中学生の子供というイメージをしっかり観客に与えているんだろうな、見事! そんな傍目には中学生にしか見えないちっちゃい女の子が卑猥な言葉バシバシ連発して、もうザッパザッパと人を切り刻んで撃ち殺していくんだから、まあ驚き! この辺のエグさグロさはちょっと好きではないのだが、よくもこもまでやっているなという感じだ。(コメントもらいました。感謝と驚き!「キックアスのクロエちゃんは撮影時11歳ですよ。Wikipediaの最初の表記が間違ってるだけです」・・・って、え〜撮影当時11歳のまんま中学生だったのぉ〜! あっちの国じゃ中学生に”この腐れオマ○コ、カーンツ、アスホール云々と堂々と言わせちゃって、悪人とは言え、ざっぱざっぱ人を切り刻ませていいんか? ふへぇ〜)http://matome.naver.jp/odai/2132965539581207801

アメリカはレイティングが厳しいはずだが、こういうのR指定にすればいいってだけじゃなく、根本的に児童保護法だとかなんかそういうのに引っかからないのかね?あの国じゃ。w

・あちこち、あれやこれやの映画のあのシーン、あのフレーズだなっていうのがポンポンと出てくる、使われている。そういうのも面白くはある。わざとらしくこれみよがしにやってるのではなく、すっと話と脚本と筋と絵に馴染んで使われているから違和感がない。抵抗感がない。この辺りは映画作りの技だな、一枚も二枚も上手の。かなりマイナーだが、デイブがケイティと遂に野外ファックするところは「さらば青春の光」か? あちこちに出てくるアメコミ作品のパロディーやらオマージュ、その他色々な映画のあのシーン、このシーンがよくもまあというくらい入っている。ちょろっと隠して端っこに入れるとかじゃなく、どうどうとど真ん中で使ってるというのは気持ちいいな。

・ヒット・ガールが拳銃を悪人の口に突っ込んでほっぺたふくらませるシーンだとか、おいおいだし。f:id:LACROIX:20130222143207p:image:w600

・赤外線スコープで撃ちあうシーンは日本のシューティングゲームをそのまんまに真似てたり。撃ち終わってから手首と拳銃だけをカチャっと傾けるシーンなんか「よく見てるよなぁ」と笑ってしまうゲーム機の映像監督も相当にオタクだな。

・予想できる範囲で最後を落ち着けているわけじゃない。へえ、まさかこういう落とし方か!と、結構なところまで思い切り話を振り切っている、遠慮会釈なしにザッパザッパとだ。これはホントにヒーロー物の映画でも話でも、ヒーローなんてものは全然関係ない、ヒーローなんてものを描こうとした映画ではないわけで、社会の悪だとか、それに対する憤りだとか、割りと以上にそういう点をしっかり描いているんだよなぁ。

・宣伝文句じゃ「特別な力が無くてもスーパーヒーローになれる!」なんて言ってるが、そういう映画じゃないんだな。スーパーなヒーローなんてどこにもいないし、ヒーローすらもどこにもいない、あるのは怒りとそれをちゃんと言葉と行動に出そうという意思だ。

f:id:LACROIX:20130222140323j:image:left・思いっ切りブラックで、グロくて下品でオタク系の映画ではあるが、これはヒーローものともエンターテイメントというものともちょっと違う。社会だとか、そこに寄生して悪をしながら私腹を肥やす連中だとか、そういう組織や体制や連中に対する批判、避難、アンチテーゼ! 

・「ホントは頭にきてるんだぜ、ホントはこういうことしたいんだぜ、ヒーローなんて出てくるはず無いんだからさ、ホントは俺がこういうことしたいんだよ、でも出来ないけどさ、家も、家族もあるから・・・でも、ホントにホントはこういうことをしたいんだ」なんだか、そういう原作者や監督の思いで出来上がった、社会性、現状の体制批判の色合いが乗っかっている映画というのが核心なのかな、そんなふうにちょっとひねって考えてしまったが・・・。


・ヒット・ガールが肩を怒らせて出てきて「この糞オ○ンコヤロー、覚悟しろ!」って言うシーンはかなり!カッコイイ。w

f:id:LACROIX:20130222143202p:image:w590

f:id:LACROIX:20130222143204p:image:w590

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f:id:LACROIX:20130222143206p:image:w590

http://www.kick-ass.jp/index01.html

2013-01-16 『化身』黒木瞳の芸能界デビュー枕営業映画か?

[]『化身』(1986)

黒木瞳・・・若っ。宝塚を退団してこれが映画デビュー作か。新人が芸能界で話題を取るべく思い切って全裸、セックスシーンを演じる。それも一つの手だろうが、ちょっと落ちぶれた清純派女優がヌード、濡れ場を披露するのと違い、宝塚を退団したばかりの女優が脱いでセックスシーンを演じるといっても、それほど注目を集めなかっただろうな。当時の年齢だと25歳位。若々しくピチピチギャルというわけでもなく、ガリガリでもあるし、黒木瞳の認知が上がったのはこの作品からさらに10年後の似たようなエロ不倫映画『失楽園』からだろうから、いかんせん中年美人のイメージが定着してしまって、25歳位という若さなのになぜかおばちゃんに見えて、感じてしまい今ひとつ欲情はしない。おばさんが無理に若づくりしているように見えて、思えてしまう・・・仕方ないかコレ。

宝塚を離れた黒木瞳の枕営業映画・・・と言っても良かろう。

阿木燿子・・・は不惑の40歳か。作詞家という印象でしかなかったが、こういうのにも出ていたのねぇ。しかもこれまたもろ肌さらして大胆なセックス、濡れ場。いやはや。

まあどう考えてもこれはポルノ映画と同列。ポルノ劇場で上映するポルノ映画で糊口をしのいでいた監督がポルノ映画の中に物語や自分らしさ、作家性なんてものを持ち込んでポルノを裸とセックスを見るだけの映画じゃないとひねくっていたのと、一般作映画で通常の劇場で公開出来る映画にポルノを持ち込んで、これは文芸、芸術であると宣っているのが同じだという事。

まあそれにしても、裸とセックスの映像だったらAVでやってればいいだろうという気になる!が。

こういうエロ作品はなんだかんだいっても話題は作りやすいし、そこそこ人も引き込みやすいから定期的に出てくるのだが、今や人気抜群、好感度抜群、美人女優の代表みたいになっている黒木瞳がこんな映画でこんなエロ趣味の枕営業してたというのは、なんともはや。

その黒木瞳が人気を持ち上げたのが10年後に出た『失楽園』でのまた同じようなエロと裸とセックスの映画。そう考えると、なんだかこの映画を見終わったら、黒木瞳がなんとも安っぽく見えてきた。阿木燿子も同類で然り。

2013-01-12 「洋菓子店 コアンドル』予想外にしっかりしてる。

LACROIX2013-01-12

[]「洋菓子店 コアンドル』(2011)

・ふん、またこんな映画。と思っていたが、絵が思ったよりいいな。態とらしい光、態とらしい作りなんだが、手だけは込んでる。つまりテキトーなことをしていない。監督や美術の目が隅まで届いている。ライティングはいかにもという感じで態とらしいんだが、それでも何も考えていないような絵よりはよっぽどいい。考えて絵を作ってるというのが分かるからそれだけでちょっと褒めたくなる。

テキトーなことをしていないというのは映画の基本中の基本なんだよなと改めて思う。テキトーなやっつけデタラメな邦画、撮影、映像、画面というのがもううんざりするほど溢れてるから。最初の5分を観ただけで「こりゃだめだな、考えてない。いい加減につくってる」と分かる映画が多すぎるから。

蒼井優は1985生まれということだから、撮影当時は25歳位か?なんか若いような老けてるような???

グルメブームの中、「かもめ食堂」で料理映画が思った以上にヒットすると分かったら、その後はTVも映画も高級料理じゃなくて手に届く範囲のお料理を題材にした”プチグルメ”作品を連発。「南極料理人」「ホノカアボーイ」「食堂かたつむり」・・・・と、料理研究家なんかをアドバイザーにしてお料理レシピみたいな

記憶にあるだけでも「かもめ食堂」と「めがね」は良かったが、その後は・・・

で、またしても人気女優を使って都会のOLの癒し願望狙いの映画かい!と思っていたのだが、これはまんざらでもなく良かった。脚本ストーリーは可もなく不可もなく。アホPや監督、脚本家があざとく混ぜ込んだウケないウケ狙いのどうしょうもない演出やバカらしい挿話も本筋ではあまり目立たないし。(交通事故の話は邪魔、余計、この映画最大のマイナス点だが)まあなにより映画としての質が良い。カメラ、照明、演出、演技がしっかり”映画”しているからいいんだな、コレは。蒼井優の演技で引っ張っている部分も大きいといえるが、流行りモノを撮って安直に安牌なヒットを狙って映画を作っているんじゃないんだというのが画面から感じるんだな。上っ面だけ、どっかで見たような絵を貼りあわせてテキトーに映画を予算内で時間内で仕上げて作ってるんじゃなくて、この監督やスタッフが”いい作品を作りたい”って熱意、情熱を持って、傾けて、頑張って作っている感じがこの映画にあるんだな。つまり作品に心がこもっている。監督からカメラ、スタッフたち多くの魂がしっかり入っている。そんな感じがするからこの作品はとてもイイ感じなのだ。そこんところが「ホノカアボーイ」「食堂かたつむり」なんかとは大きく違うのだな。

蒼井優の使い方も江口のり子の使い方も実に巧い。二人の役者の個性のいいとこをちゃんと引っ張りだしてる。この役者にはこういう演技させるといいんだってところをきちんと見定めて演出してる。いいじゃん。

http://www.coin-de-rue-movie.com/

f:id:LACROIX:20130115101922j:image:w272f:id:LACROIX:20130115101921j:image:w339

2012-11-26 『ちょんまげぷりん』

[]『ちょんまげぷりん』(2010)

・タイムトラベルものはなんだかんだと話を自由に設定出来る部分もあるので、まあよく使われてるし、ちょっとタイムトラベルもののお話はどこかで観たような似たようなものばかりになってきていて、食傷気味でありマンネリ気味なんだな。

・中村義洋監督・・・じつに真面目だ。

・錦戸亮の役もじつに真面目。

・話もぜんぜんちゃらちゃらしたところ、最近の邦画にあふれてるセンスのない受け狙いだとか冷え冷えするギャグ、笑えない演出というのがない。

2012-11-25 『モテキ』この作りはまさに長澤まさみ主演のAVと言える、だろう。

[]『モテキ』(2011年)

悪くはないんだが、これは映画じゃなくてイベントなんだな・・・・

長澤まさみ・・・悪くない。当たり前だけど脚がいい。

麻生久美子・・・好み

真木ようこ・・・イイ女

仲里依紗・・・・ここだけパス

・映画を観ている間は夢見心地、楽しい気分、日常のうざったさからは切り離された異空間にいる錯覚に浸れる。ならばそれで映画はイイのだろうが・・・。

・カラオケのシーンも、流れる音楽も、見事に今の世代のど真ん中にヒットさせているから観ていてそのまま盛り上がれる。いわば「絶望の国の幸せな若者たち」世代がやってることそのまんまであるわけで、直球ストレートをドーンと放り投げられて受ける方は嬉しさ満開というパターンか。ヒットも頷ける・・・だがそれは映画としてのヒットじゃないということも明白だ。

f:id:LACROIX:20121220091303j:image:left:W300

・長澤まさみが部屋にこんなかっこうでいたら抱きついて押し倒さないというほうが無理。それしなかったら男として異常。その異常を映像で流してるからムラムラ〜。しっかしこの長澤まさみのブチューシーンは凄い。w

f:id:LACROIX:20121220091305j:image:W300:left・このくらいのキスシーンは洋画なら普通だが、長澤まさみがやっていると、もおう邦画としてはAV級だなぁ。ねっとりびっとり、あ〜すごい。w・・・一応アイドル級女優がこういうのやるというのは・・・話題になるし、やっぱ凄い。

f:id:LACROIX:20121220091304j:image:W300:H209:right・これは映画じゃなくてイベントとしてヒットしたんだろう。これは映画ってもんじゃなくてキレイ系女優並べて、懐かしい曲や思い出深いところで最大公約数的音楽やエピソードを集めてとにかくウケ狙いで作ってヒットした、マーケティング映画、集客映画であって映画と言える映画じゃない・・・と思って、まあ長澤まさみを堪能しながら見続けていたわけだが、これもよくある手で最後でクイッと巧くまとめられてクイッといいとこをつまみ上げてクイッっと気持ちを高ぶらせてイイ思いにさせられてキュンっとさせられたら、ああ、まあ悪くないなぁ、なかなか良かったなぁ・・・と観終えることができ、まんざらでもなく楽しくて幸せで嬉しい気持ちになる、させてくれるわけで、そういう意味じゃ悪くもあるまい。

ん、楽しめた。ちょっと胸も締め付けられた。懐かしい甘酢っぱい気持ちもあじわえた・・・でもやっぱり、これは映画っていう作品じゃないね。別物。というかもう映画館で上映されるのは映画的映画である必要性などなくなっていて、映画館はイベントスペースであり、一時の楽しめるイベントを提供するならそれがなんだっていいわけで、映像を繋げて話にして映画という形にして上映してはいるけど、もうそこには映画じゃないものが多くなっているわけだ。

この作品は女性受けはしてるのか? やっぱ男主体だろうな。



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長澤まさみは1000点上げてもいいか。随分豪華なブルーレイBOXとか出てるようだがなんか欲しくなったな。映画としてではなくグッズとしてだが。

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2012-11-16 『レンタネコ』

[]『レンタネコ』(2012年)

55分:市川ミサコがダラーっと暑くてねっころがってる場面がいい。

もたいまさこは出ないのか。

荻上直子の最近の作品はちょっとイマイチ。アイディアにとんがりとかきらめきがなくなってる。



少女趣味の部分だけで撮ってる、ウケ狙いで撮ってる、そういうのがみえすいてきている。

バーバー吉野、かもめ食堂、めがね、であったようなニッチだけど特異であり、だけど実意共感できるもの、それがなくなってる。感覚だけど

なんかやってることがぜんぶわざとらしい。

結局寂しいとか結婚したいとか恋人欲しいとか男が欲しいとか・・・そういう女性の欲求不満を描いた映画に留まってるんじゃないかこれじゃ。

荻上直子にはもっと鮮烈な映画撮って欲しいね。

2012-11-10 『テルマエ・ロマエ』

[]『テルマエ・ロマエ』

・ローマ人役の配役は見事。現存の日本人役者のなかからこのローマ顔を選ぶというのが凄い、お見事、喝采。

阿部寛 - ルシウス(浴場設計技師)

市村正親- ハドリアヌス(第14代ローマ皇帝

北村一輝-ケイオニウス(次期皇帝候補)

宍戸開-アントニヌス(ハドリアヌスの側近)

・海外でも大受けしたと聞くがホントのところどういう反応だったのだろう。まさか日本人が、まさかアジアの東洋の人間がローマ人を演じ、それも見事に演じ、自分たちの誉であるローマの賢人たちを演じ、それを面白おかしくこんな映画にしてしまうなんて・・・相当に驚いただろうなぁ。信じられないという嬉しさだったんじゃないだろうか。こういう映画、こういう話を撮れる作れる日本人というのは、やはりアジアのなかでも特殊なんだろうな。いい意味で。そしてこういう映画が撮れるようになったということが、それこそ10年20年前とは明らかに日本という国やその国民の意識、感覚が良い方に変わったということなんだろう。

・いわゆる他国、多民族が他の国の人間を描くときはあまりいい描き方をされないというのが大体の傾向で、日本人を外人が描くとおかしなところを強調するような描き方ばかりで、まあ観ていてアホかというか頭に来る部分も多い。『ガンホー』とかもあったな。日本人が中国人を描くときも、まあ昔から大体形は決まっていてちょっと馬鹿にしたような描き方をしているのが多い。アジア人の西高東低意識。世の中の西高東低的歴史感、民族感、国家感なんてものが今までの映画のなかにはなんだかんだ言ってきちっと染み込んでいたわけだし、アジア人自体も自虐的に自分たちを描いたりして、西洋はイイ、アジアはダメだ、なんて感覚があったし、それは舶来品嗜好なんてのにも出ていたし、今だって「これは、海外のどこそこのものなんですよぉ、オホホッホ」「これはブルガリの、ヴィトンの、うんぬんの・・オホホ」なんて物が海外製であれば日本より上なんて意識は十二分に残っているけど、この『テルマエ・ロマエ』はそういう意識なんて全然無くて、感じられなくて、本当にフラットで、エンターティメントの感覚で、変なひねくれた意識や感覚なんてどこにもなしで撮られた新しい感覚の映画だろう。年寄りの感覚や劣等感を持った世代の感覚が全然影響していない、実に自由でのびのびしていて、いい映画だと思うな。

・とても楽しめた。ま、前半の面白いところからすれば、後半はちょっとダレたけれど。

テルマエ ロマエ IN ROMA!! http://ameblo.jp/yanksroma/entry-11299586942.html

2012-10-07 『希望の国』悲しみとあきらめ、そしてこの国は絶望の国になった

LACROIX2012-10-07

[]『希望の国』

・この作品を観て、少し、少しだけだけど園子温の監督作品に対する気持ちが変わったかも?

・繰り返される「帰ろうよ、もう帰ろうよ」というセリフが、もうこの国に帰る場所なんてないというメッセージが聞こえた。

・前作の「ヒミズ」から、なぜかこの人の作品にフランス・ヌーベルバーグ時代の雰囲気、匂いを、そして反体制、反社会、反権力的で、自由、解放といった雰囲気を感じるようになった。今回もそれがあった。

映画のタイトルは『希望の国』だけど、半分辺りまで観たところで「この映画のタイトルは逆説、皮肉、アイロニーなんじゃないか、この映画は”もうこの国には希望なんて無い!この国は絶望の国なんだ”」ということを言っているんじゃないか、そう感じた。

☆監督は「正月に原発から20キロ圏内の相馬市に入ってそこで初日の出を見た、それを見ていたらこの国にもまだ希望はあると思った」と言っていたが、この映画の脚本を書き、この映画を撮影し、編集してこういう話として完成させるに至る間は、きっと「この国にはもう希望はない、この国にあるのは絶望だ」そんな感じで映画を作っていたのではないだろうか。

・電力会社や原発や行政や政治や社会などを非難するセリフはたくさん出てくる。だが、話の演出と流れの中に、どこかを、何かを痛烈に批判したり非難したり告発したりするような部分は少ない。全く無いというのではない、いや、やはり原発事故をきっかけとして生じる様々なことが、腹立たしく悲しく頭にくることが話の中で沢山描かれている、いや使われている。だが、そのどれか一つにも強烈な力が込められていない、淡々とした話の流れの中でそういったエピソードは道具的に使われている。そういった腹立たしく怒りが湧いてくるようなことも、なんとなくさらりと、スーッと風が通り過ぎるかのようにスクリーンを流れていく。映像で観る場面とその演出そのものは淡々とし、あっさりとしその事実とは別に重さを感じさせない、重さが乗っていない、ふわふわと空気のように浮かんでいる。だが、その映像の淡白さによって、その場面の中で登場人物が語る言葉が際立つ。頭に残るのだ。鮮明にこちらにむかってくるものが、登場人物がしゃべる”言葉”だった。その言葉が積み重なって、絶望とあきらめが映画の中にどんどんと漂いだした。映画は映像で伝えるもの、映像で語るもの、それとは背反するけれど、この映画は”言葉の映画””言葉が刺さる映画”だった。その言葉が突き刺さった状態で観るラストの映像が悲しみを静かに、大きく深く増幅させていた。

・原発事故のことも、家の庭が警戒区域の境界になったことも、避難所のことも、強制退去のことも、放射能におびえ子供を守ろうとする妻のことも、その他のいろいろなことも、そのひとつひとつに強い怒りや、慟哭や衝動やそれを伝える熱は感じられない。そこから感じられるのは怒りや慟哭や熱ではなくて、静かで、冷めた、深い、悲しみだ。

・この映画のなかに漂っているものは、深い悲しみとあきらめの気持ちなんじゃないか・・・。

・日本という国は、俺達の国は、こんな国だったんだ、こんなどうしょうもない国だったんだ、こんなに腐った最低の国家だったんだ、俺達はずっとそんなことに気が付かないで、気付かれないようにされて今まで生きてきたんだ、そしてそれはちょっとやそっとでは変わりようのない、変えようのない、変えることのできないどうしょうもないほどこびり付いたものなんだ・・・だから、この国には希望なんてないんだ、でも俺達はそんな希望のない、こんなどうしょうもない国で生きていかなきゃならないんだ・・・・そんな、怒りとあきらめをこの映画からじわじわと感じた。

・この国には、日本には希望なんてないんだ、なかったんだ・・・それが『希望の国』というタイトルを付けた意味なんだと・・・そう思った。それが邪推だとしても。

・園子温は「これからも311に関する映画を撮り続ける」と言っていた。映画を撮り続けることは、絶望と悲しみとあきらめを、少しでも押し戻すその為の努力なのかもしれない。

思想の悲観主義、意思の楽観主義・・・それが現実であり、それが理想であり、そうあらねば悪いことはもっと加速する。絶望とあきらめの侵食を少しでも押し止め、押し返すため、一歩、一歩、一歩、一歩、歩き続けなければいけない、そのスタートラインがこの映画ということなんじゃないだろうか。

・軽く繋ぎ合わされた一つ一つの話が最後には鉛のように重かった。重くなっていた。

・小野泰彦(夏八木 勲)と小野智恵子(大谷直子)夫婦の演技が染みる。素晴らしい。・・・NHKの番組で園子温が語っていたけれど、この夫婦の話は・・・悲しい。そして明るく振舞っていたけれど、その心の奥底に降り積もっていたのは、やはり絶望なのだ。二人のシーンでは思わず目を瞑ってしまった。そして音だけが耳に響いた。目で見るよりも映像が脳裏にくっきりと焼きついた。

・この映画を自分は逆説的に、そしてアイロニカルに捉える。そう、そうしっかりと捉えた上で一歩一歩進まなければならないのだろう。

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・311の津波とあの原発の爆発で住んでいる所を追われ、避難所でダンボールの仕切りの中で寝起きをした人たち、放射能に追われるように遠くへ遠くへと逃げた人たち、一年七ヶ月前のあの頃、信じられないような体験をした人たちがこの映画をどう見るか、この映画を観たらどう感じるのか・・・それが気になった。

・『希望の国』公式サイトhttp://www.kibounokuni.jp/


f:id:LACROIX:20121008023151j:image:w300 映画「希望の国」園子温監督の言葉 毎日新聞よりhttp://togetter.com/li/395824

2012-09-27 『フラッド』

[]『フラッド』(1998) (原題:Hard Rain)

ミカエル・サロモンの初監督作品

脚本が『スピード』を書いた人だというのもあるが、設定が違いこそすれ、なんとなく『スピード』に似てるなという展開。

昔の怪獣映画っぽくもある。

脚本は練り込まれてるし、伏線とその回収も巧い。ちょっとした小細工もなかなかだし、演出や話の流れ、ちょっと驚く展開の仕掛けも巧い。とにかく脚本が巧くて、映画の設計図がじつに巧妙に組み立てられている。

2012-09-20 『きな子〜見習い警察犬の物語』きな子は可愛いのだけれど・・・

[]『きな子〜見習い警察犬の物語』(2010)



・動物愛玩映画・・・というジャンルは無いが、可愛い動物をネタに使って客引きを企んだと分かるような映画はほとんど好きじゃない。

・可愛い動物をキャラクターに使えば、子供に受けるし、親子連れをひっぱれるから客動員を増やせるし、癒しぃなんてものを求めるOL、主婦、おばさんなんかも引っ張り込めるし・・・まあ、殆どそういう企みをもって撮られた映画といって過言じゃあるまい。

・動物本来の姿を見つめている訳ではなく、動物の可愛らしさを利用しようとしているのが殆どだから、映画としての質は大概低い、でもその低ささえ動物が可愛いから看過され、”ああ良かったわ〜” ”ああ可愛かったわ〜” ”いい映画やったわ〜”という感想で映画が取り囲まれる。作品を批判するような声は”なにいうてんのよ、まったく無粋やわ〜”とまっというな論もにべも無く否定される。

・そういうのが殆どだから、あまり動物愛玩映画は観ない。まあこれは可愛い子供をダシに使った映画、TVも完全に同じだが。子供を抱いていれば皆優しく接するし、皆お母さんをいい人と思う・・・というようなものでもあるだろう。

・確かに、犬にしろ猫にしろきつねにしろ、頑張って走ってる姿とか人間を救おうとする姿とかは妙に心に訴えてくるものがあるのだが、そこに寄りかかってそれを利用してそれで映画のヒットを目論むようなものはどうにも好きになれない、しかしそういう映画はいつまでもいつになっても作られ続ける。

・雨の場面の撮影・・・めちゃくちゃ下手糞だな。晴れた日だというのにむりやりホースで雨を降らせて雷音を被せてるってのがミエミエ。こんな明るい空で豪雨で土砂崩れなんてそれだけでナンセンスだ。

・ご当地映画として丸亀市とか香川県ではかなりのヒット、らしい。ご当地映画というのはロケへの協力やらロケ費用の削減(というか平気で無理言って地元のご好意に目茶苦茶甘えて、おんぶにだっこしてタダにする)などで製作側としてはじつに美味しいし、その後もご当地では目を瞑っていても人が来てくれるからプロデューサーにしてみればウハウハのパターン。しかも警察犬の訓練なんてことになれば、官が宣伝になるとあれこれ便宜を図って有利な条件をだしてくれるからこれ又おいしい。

・つまりそういう映画そのものではない、作品、脚本、演技とかというものではない、地方での映画撮影という餌を使って、動物という道具を使って予算を落として映画を成立させようという作品であると・・・見えるわけだよなぁ・・・まあ、こういうことをはっきり描くと非難されもするが、実質この映画を観ているとそういう部分がいっぱい見て取れるんだもんなぁ。香川や丸亀市などで気持ち良くこの映画を観たり手伝ったりした人には悪いけど。

《この批評はあくまで映画そのもの、撮られ編集され公開された映画作品に対するものであり、映画の質や出来とか、撮影や公開に至る背景とかそういうものに対する批評として書くのであり、この映画に出てきた”きな子”という警察犬だとか、丸亀警察犬訓練所とかそこで頑張っていた人だとか、実在のものにたいする批判ではない。こういうタイプの映画の作られ方、撮られ方・・・まあそう言ったものに対する考えである。それがひいては今の邦画、日本映画界の状況だとかマズイ体質だとかそういうもの対する批判であるわけで、この映画を観ながら思ったことである。実話だとか実在する人や施設や犬や、そう言ったものへの言葉ではない。あくまで映画という作品やその製作状況にたいして思うところを辛口に書いたということ、そう断り書きを入れておく》

・原史奈がでているとは・・・・(◎_◎)! 若い頃の原史奈って、もうめちゃくちゃ可愛いい、スタイルイイ、イイ女だったけど今一つ大人気には繋がらなかったなぁ。もうちょっと歳をとっちゃってしまって顔つきも変わったなぁと思うけれど、この映画で動いている姿を見るとはおもってなかったので、ちょっとビックリ。

・つっけんどんな女の子である番場新奈を演じた大野百花(9歳)がいちばんの名優か?

2012-09-13 『桜田門外ノ変』これならNHKの歴史番組のほうがマシ。

LACROIX2012-09-13

[]『桜田門外ノ変』(2010)

・役者が軽い、演技が軽い、演出が軽い、撮影もカメラも、構図も、編集も、話の展開も、なにもかもが軽い・・・軽いじゃなくて軽薄。

・これも『十三人の刺客」と同じで太刀回りに迫力、熱がない。動きを配置された演劇。舞台演劇の太刀回りをカメラで撮っているかのようなもの。

・まあなんというか、役者だけはしっかり揃えてるなという感はある。だからといって豪華キャスティングというのではなく、そこそこ名前と顔が通っている役者をたっぷり揃えたという感じだ。だが、それを第一義の頭数を揃えたと言うべきか、役柄と顔付きが合ってないのが多い、無理やり過ぎる。

・長谷川京子はやっぱり綺麗というか可愛い、しかし旦那である関鉄之助が斬首される間際に平和そうな顔で出てきてウフッって感じで笑うってのはどうなのよ? 思わずのけ反り吹き出してしまった。なんちゅう演出なんだこれは? 考えられんというか信じられんというか・・・いやはや全くどうしょうもないね。尋常とは思えん。

・同じく関鉄之助の愛人である、いの(中村ゆり)が捕まって拷問をうけるというのはなんだかサディスティックでちょっとゾクゾク。w

中村ゆりって、ものすごーくイイ感じの女優だし好みでもあるんだけれど、それが吊るされ、打たれ、最後には石抱の拷問を受けていや〜ぁぁと苦しみ悶えて死んでしまう・・・て、これある意味エロチック。このシーンって監督のスケベ心が表に出てるな確実に。かくゆう自分もちょっとこのシーンにはゾクゾク。(笑)

・ま、そういうオフザケばかりが印象に残った感じ。歴史上の事件を取り立てて何するわけでもなくお話として追っかけて映像を撮って、ハイ映画が出来ましたっていっても仕方ない。こういう映画だったら、NHK特集だとかNHKの歴史ヒストリアとかそういうのの方がよっぽどいいんじゃない?

・お金はたっぷり掛かっているようだけど、中味はダメだなこれ。