LACROIXのちょっと辛口 映画 批評 ( 映画批評 感想 レビュー 業界 所感 ) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2017-11-28 『ジャスティス・リーグ』面白くはあるが、迷走してる。残念!

[]『ジャスティス・リーグ

・『ワンダーウーマン』がなかなか以上に良かったので、DCのヒーローシリーズであるこの『ジャスティス・リーグ』にはかなり期待していた・・・のだが・・・まあ、そこそこに面白いけれど、ちょっと期待しすぎたな。この手の映画に一番に期待する「やったぜ」「サイコー」といった爽快感、満足感というものは、いまひとつというところ。期待しすぎた分だけちとガッカリ。

・出だしからなんとも暗〜い歌詞の歌が淡々とながれる、なんだかこの世にはもう希望も何もない、諦めろ、悪が支配てしまってるんだ、とか言う感じの歌で「ん〜、なんだこれはダークナイトクリストファー・ノーラン趣味をジャスティス・リーグでも真似てるのか、違うだろう、こっちはもっと明るくカッコよく行かなくてはだめだろうと、なにか作品の方向性に疑問が湧く。

・しかし、そのドーンと暗い出だしが終わると、なぜか今度はユーモアジョーク混じりの展開に変わる。んー、なんか脚本が迷走している感じ、これは嫌な予感。

・脚本の教科書みたいなものには、よく「主人公葛藤を描け、人間の深みを描け、そこに観客は惹かれるのだ」とか書いてあるものなのだが、なんだかそういった教科書の杓子定規な教えにしたがって、一人ひとりに無理やり妙な葛藤を組み入れている風でもある。サイボーグはなんで俺をこんなからだにした〜と親父にぶーたれてるし、フラッシュのお兄さんの件とか、アクアマンの王との確執だとか、そしてさらにはワンダーウーマンに「私は昔、愛している人がいた。ずっと・・・」なんて言わせて、バットマンに「何百年もそんなことに縛られて生きてる奴なんか」と、吐き捨てられたり。この辺は前二作に続いて、ダークナイトの成功に少しでもしがみつきたい、あのシリアスな脚本になんとか似せれば当たるかも?なんていう意識が相当に根っこを張っているんではないだろうか。

・もう、コミック映画なんだからそんなシリアスな裏話なんていらない。スカッと面白く話をつなげてくれればいいものを、どれもこれも取って付けたように話の中にポツン、ポツンと挿入しているし。テンポを崩して足踏みさせて、ストーリー展開のリズムをぶちこわしてしまっている。特にワンダーウーマンなんてそんなドロドロ怨念じみた女性内面なんか付け加えないで、思いっきりバサッと敵をやっつける痛快さを徹底して描けばいいものを・・・至極残念。

アマゾン部族の島にドスンと降りてきたステッペンウルフ、凄い重量感で「お、こいつは強そう」と思うわけだが・・・いや、実際にかなり強い! でも、このステッペン・ウルフの顔に全然怖さがない。そんな強力なダークサイド悪魔親玉みたいなやつなのに、なんか全然恐怖感が湧いてこない。顔がね、顔がシワクチャ年寄りって言う感じだから、全然強そうに見えないし、怖さがないんだよねぇ。観客恐怖心をもたせるくらいのキャラにしないとだめでしょ。最期はなんかパラデーモンに食いつかれてウギャーなんて叫んでるしさぁ。

・そうそう、アマゾン部族の女王が馬の下敷きになってうごけなくてウーンウーンっていうのも変。あれだけ強い戦士だったのに。本来なら足で馬を宙に蹴り上げてしまうくらいじゃなきゃおかしい。

・そういった首を傾げるような登場人物の描き方に、観ていて不満タラタラであったが、流石にスーパーマンの部分はカッコイイし、ちょっと涙ウルウルくるいい話。最終兵器を出せ!ってロイスを引っ張ってくるあたりはもうあまりに予定調和的に想像できてしまうが、ロイスを見て荒れ狂うこころが落ち着きを取り戻すってのはイイね。(でもキューブを使ってスーパーマンを再生するくだりはなんかチャラいし無理がある)

・と、まあ気に食わないところばかり羅列してしまっているが、一先ず一本の映画としてはそこそこに楽しめはする。ワンダーウーマンがかなり以上にいい出来栄えで、大満足だったので、ジャスティス・リーグにもかなり期待したのだが、その期待にはかなり及ばなかった。

・「マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)」も次から次へと出てきて、話を追いかけるのば面倒くさくなってきてるし。(お次のブラックパンサーはどうよ??)、「DCエクステンデッド・ユニバース」は第一作、第二作と失敗して、ワンダーウーマンでドン花火が打ち上がったが、今回のジャスティス・リーグを観ると、今後の展開もごちゃごちゃDCと同じように面倒くさくなりそうだな。

アメコミファンってわけでもないし、逐一細かな設定まで追いかけてるようなオタクでないかぎり、段々と話がわけわからなくなってくるから、今後のこういったシリーズは横目でチラチラ観ている程度でいいかも。

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予告編で使われていた「あなたを待っていました」っていうシーン。あれはカッコよかったんだけど、本編ではそのあたりが全部カットになっていた。んー、残念、またソフトにしたときに未公開シーンとかディレクターズカットとかで出すつもりなのかね?

ブルース・ウェインがアクアマンに「お前って、あれ、触手みたいなもの出せるのか?」とか聞いた後に、ジャスティス・リーグの5人が地下のようなところに集まって雑談みたいなことをしているシーンがあったが、そこでアクアマンが、1人でべちゃくちゃ喋ってるシーンがあり、その後になんだかウーンウーンとトイレで気張っているようなことをして・・・すると次に光るムチが出てきてそれをワンダーウーマンに渡す。アクアマンはフラッシュに「黙ってろよ」なんていう一連のシーンがあったのだが、なにかコミックでこういうエピソードでもあるのかな? どうもアクアマンがウ◯チみたいにムチを体から絞り出してるような雰囲気でもあったな。w アクアマンが喋ってるシーンは上半身だけ映してて下の方はなにやってるのかわからないし、ひょっとしてカットされたのかもしれないけど・・・あそこ、疑問。

日本のCMは酷いね。ワンダーウーマンのときも女性のカッコよさを出すんじゃなく、ギャグ路線で予告編作って外してるなぁと思ったが、今回のジャスティス・リーグの予告編もワンダーウーマンのへんてこな顔とか仕草をわざわざ集め、ナレーション採用!採用!って、どんだけセンスのないトレーラー作ってるんだよ日本は、と呆れ返るね。なんでワンダーウーマンがこれだけヒットしたのかってところが全く考えられていないじゃないのかね。女性ヒロインの最高のカッコよさ、強さが人を惹きつけた最大の要素なのに、それとは逆にギャグ、コケティッシュおちゃらけ、そんなもので宣伝打ってる。そして同じことをジャスティス・リーグでもやってる。どうしょうもない

☆スーパーマンは流石にカッコいいが、やっぱり映画の中ではワンダーウーマンが光ってるな、あの変な過去告白シーンはいらないけど。

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2017-09-04 『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』これもダメダメ

[]『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』

・第一作に続き、この第二作ももうどうしょうもない

・「ワンダーウーマン」がなかなかに良かったので、シリーズ的に前作に当たるが未だ観ていなかった「バットマンVSスーパーマン」を観てみたのだが・・・。

・やっぱり暗くてなんかやだね。キッパリその一言に尽きる。なにせ、シリーズ第一作に当たる「マン・オブ・スティール」がどうしょうもない一作であったから、それに続く「バットマンVSスーパーマン」も、どうせ下らないだろうと観ないでしまっていたのであるが(予告編やCMも「エイリアンVSプレデター」みたいに、ただ人気のキャラを戦わせてるだけというおうな、なんだこりゃと言いたくなる程に酷かった)まあ予想通り溜息がでるような話であった。

アメコミの二大巨塔であるマーベルとDCのうち、マーベルはスパイダーマンから始まって、アイアンマンアベンジャーズとどんどんヒット作を量産し、イケイケドンドンの状態なので、DCとしてもそれをただ指をくわえてただ悔しがっているだけではならぬと奮起したのはいいのだが、新しいシリーズを生み出す方向性完璧に間違えてしまっているとしか思えない。

クリストファー・ノーランに頼んだバットマンシリーズは、ノーラン独自の味付けで、今までのアメコミのイメージから離脱し、非常に重く、真面目、現実的な路線に大きく舵を切り、それが「ダークナイト」で超特大の大成功を収めた。DCとワーナーとしてもその成功の味が忘れられないから、もう一回ノーランの手法に乗っかって、自分たちの持っているヒーローシリーズをまったく新たなものに作り変えて大ヒットをさせたいと期待しただろう。だから「ダークナイト」で思い切りシリアスで現実的な映画にバットマンを作り変えたやり方を、もう一度ノーランにやってもらって、事を上手く運ぼうとしたのだろう。だが、それは大いに裏目に出た。マーベルを真似て自社ヒーローでシリーズ化を狙った最初の作品である「マン・オブ・スティール」は映像は充分に良いのだが、話が・・・コミックで親しんでいたスーパーマンのイメージを全く踏襲せず、いかに現実的に見せるかというところにばかり拘って、「このシリーズのスーパーマンはこういうことになりますから、今までの話とは違いますよ、今までのスーパーマンは忘れて下さい」とでも言っているかのようで、スーパーマンの出自やSマーク意味も、無理やりこじつけたとしか言いようのないとんでもストーリーをさも平然と観客に披露した。しかもそれが押し付けがましく、またクリストファー・ノーランの今までの作品にあまりにも似すぎ「ダークナイト」の成功体験をそのままスーパーマンに移し替えたような、ノーランの手垢がべっとりこびりついているような作品であった。

・大ヒットし評価の高かったダークナイトの味付けで、ストーリーも同じようにしてバッドマンをスーパーマンに置き換えて映画を作れば観客に受けることは間違いないだろう。DCのヒーローシリーズの第一弾として大成功を収め、その後にどんどんヒーローシリーズを量産してマーベルを凌いでやるんだ。と舌なめずりをしたが、大いなる大失敗となる。

・もともとスーパーマンとバットマンはアメコミのヒーロでも陽と陰をあらわす代表のようなもの。明るく健やかで健康的なスーパーマンに、暗く陰湿でダークなイメージのバットマンを重ねるとは言語道断。観客はなんだこれは、今までのイメージを無視するにも程がある!とそっぽを向いたわけだ。

ハリウッドマーケティングなんてそんなもの、元々暗いイメージのバットマンを雲が覆いかぶさっているような暗く現実的な映画にしたのは筋としてあっているが、普通に考えたらスーパーマンをその筋に重ねるなんてしないだろう。単に「こっちで大ヒットしたかあ、あっちでも同じやり方にすれば当たる」というような短絡的な考えしか見えてこない。

・この最初のとんでもないミスでDCコミックのシリーズ映画化には急ブレーキが掛かる。「マン・オブ・スティール」の続編製作は延期になり三年も掛かってようやく『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』に辿り着いたわけだが、前作のイメージを引きずった第二作も、アメコミヒーロー物であるから、そこそののヒットにはなるが、期待された大ヒットには程遠いもので終わる。

・映像的には文句無いクオリティなのだが、ストーリーが・・・相変わらずのノーマン節爆裂。(監督は違うのにそういう方向にさせられてるんだろう。またはノーランが指揮してる?)

どう考えても「ダークナイト」に似ているストーリー展開、キャラクターの配置。観客はそんなに甘くない。なんだこれはとスクリーンを見ながら不満が溜まっていったことだろう。

・まあ、これじゃダメだというところは山のようにあるのだが、いかにもなノーラン節というのが「バットマンVSスーパーマン」にもお決まりのように出てくる。そしてお決まりのようにガッカリさせられる。またこんなこと繰り返しやってるのかよノーランは、と。「ダークナイト」のジョーカー、「ダークナイト・ライジング」のペイン、こんな奴とっととやっつけてしまえと思うキャラクター設定でありながら、まさに無理に生き残らせる。普通ここでバーンとやってしまえばやっつけられるだろう、殺せるだろうと思うのに、それをしない、させないなんとも煮え切らないストーリー。もうワザと殺さないで生き残らせてるんだろうっていう作りのあざとさがバレバレで感じられるから白けてしまう。それがこの作品でもまたレックス・ルーサーJr.で同じことをやってるんだから、見ている途中でオイオイまたこれやってるのかよと頭にきてしまう。スーパーマンはレックスビル屋上ルーサーをぶち殺しちゃってもぜんぜん問題ないじゃないか。スーパーマンの能力があれば育ての母であるマーサ監禁されている場所なんて見つけられるだろうに。だれだってそう思うに違いないのに、ルーサーが「俺を殺したら母親の居場所はわからなくなるぜ」なんて幼稚なセリフを吐かれて手も足も出せずルーサーを逃してしまうスーパーマン。こういうところが馬鹿げているんだよなぁ。もうわざとらし過ぎて嫌悪感バリバリのシーンだ。ノーランの映画にはこういうお馬鹿シーンが必ず入っている。それまできっちりシリアスにリアルに映画を構築してきているというのに、こういう誰が見てもそりゃおかしいだろうという現実的には合わないシーンが、話の展開のつじつま合わせの為にはいっていて、それでガクンとトータルのクオリティーを落としてしまう。ノーラン病とでも言うべきアホさ加減であろう。それが「バットマンVSスーパーマン」でも予想に違わず出てきたので、ほとほと溜息。

・この映画のストーリーの基礎となるところは、バットマンがスーパーマンによって自社ビルを壊され、社員も死に、そこからウェインはスーパーマンを殺してやるというほどに憎むようになり、財力をふんだんに使ってスーパーマンをやっつけようとする、のだが・・・・途中スーパーマンが母親の名前を呼んだだけで、なんでお前それ知ってるの? と、それだけであっさりスーパーマンと和解して仲直りをする。ここまで激突繰り返してきたのが全部エッという驚きとともにチャラになる。これもまたノーランらしいズボラな手前勝手自己中のストーリー展開。(まあ、ノーランは監督ではないけど)

クリプトン星人を蘇らせるにしても「その行為は禁止されています」と警告を受けながら「元老院はもうないんだ」というルーサーの一言で、人工知能が「はい、それではやります」と人間のルーサーにへいへいと従っちゃってるのも馬鹿げてるし。バットマンがあれだけブクブクのスーツというのも見るからに格好悪いし。モンスターも、なんじゃこれはウルクハイトロールかっていうなんの目新しさもないハルク奇形みたいなデザインだし。(デザイン以前の造形かも)

・ということで唯一この映画のなかで心が踊ったのは、やはりワンダーウーマンが登場するところからだな。ワンダーウーマンにはバットマンやスーパーマンみたいにドロドロ、ネチネチしたところがなく、スッキリ爽やかカッコイイ、アメコミ・ヒーローがそのまま描かれていて非常に好感が持てる。

・まあ、見なくてもいいやと放おっておいたこの作品だが「ワンダーウーマン」が非常に良かったので、前作からの流れをつかむためにと見てみたが、やっぱダメだねこの映画。前にも書いたが、DCとワーナーはマーベルの大成功に歯ぎしりして、なんとかこっちも大ヒットシリーズを作ろうと、ジャスティス・リーグの構想を思いついたのだろうが、「ダークナイト」でのクリストファー・ノーランの大成功にうつつを抜かし、きっちりとしたマーケティングも行わず「ダークナイト」の手法で「ジャスティス・リーグ」を構築しようとした、そして、それは第一作目「マン・オブ・スティール」で出だしから大コケし、第二作の「バットマンVSスーパーマン」でなんとか形勢逆転を図るが、結局「ダークナイト」成功の甘い呪縛から抜けだせず、またしても大コケ。ひょっとしてこのシリーズもう途中打ち切りにするんじゃないかという状態まできたところで、この方向性で次もやったらもうオシマイだと気がついたのだろう。そしてノーランやら「ダークナイト」の呪縛からまったく切り離された女性監督パティ・ジェンキンス採用して、リアリティーだとか、社会風刺だとか(まあそういうものもあってもいいが)それよりも本来のDCコミックが持っていたヒーロー物の良さ、アメリカ人に人気があった理由をねじ曲げず、伸び伸びと映画で表現したほうがやっぱりいんだろうと彼女に思いっきり自由に「ワンダーウーマン」を撮らせ、それがなんと全米で大々ヒットになったわけだから、今にしてジャスティス・リーグ最初の二作がなぜ失敗したのかに気がついたということだろう。愚かである。

・さてと、今年の秋にはついに「ジャスティス・リーグ」が公開されるが、「ワンダーウーマン」のこれだけのヒットを目にした後では、もう「ジャスティス・リーグ」をまたノーマン流の暗く陰鬱な方向を踏襲して撮るということはないだろう。それをやったら更にバカでしかない。幸いにして現時点で公開されている予告編を見る限りにおいては「ジャスティス・リーグ」はノーマンと「ダークナイト」の呪縛から離れて、というかもうそんなのダメだ、ヤメたヤメたあんな暗くてしかも当たらない作風なんて・・・と、考えを改めて、純然たるアメコミの良さを楽しさ、ワクワク感を映画に持たせているように感じる。BGMがカム・トゥゲザーっていうのもイケてる!!

・さてどうなるか、期待したいところだけどね。

☆ワンダーウーマンのこの登場シーンは最高!!

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2017-09-02 『ワンダーウーマン』かなりカッコイイ!!予想以上に楽しめた!良作

LACROIX2017-09-02

[]『ワンダーウーマン

●どうにも「スーパーガール」とか「キャット・ウーマン」とか女性主人公アメコミ映画はなんかいまひとつという印象があって、アメリカで大大ヒットということだが、ホント? どうなるかな? とちょっと疑いの目を向けつつ観た。しかし予想を超える面白さで、これはなかなかに良かったね。

●時代背景が第一次世界大戦の頃というので、うっそ、あんな格好したワンダーウーマンがそんなところに入ってきたら、メチャ違和感バリバリで、もう全然合わないでしょう・・・という予想もしっかりひっくり返された。あのアマゾネスの格好をしてドイツとイギリスの戦闘シーンにとびこんできても、まったく変な感じがせず見ることが出来た。

●映画の作りが非常に巧いね。

●正直なところ、このワンダーウーマンの役をキャプテン・アメリカやマイティー・ソーに置き換えたら、まあそれはそれで通用する似たような映画になるだろうなとは思った。ピョンピョン飛び跳ねて盾で銃撃よけて、もの凄い力で戦車をひっくりかえすなんて、そのまんまキャプテン・アメリカとかマイティー・ソーでやりそうな映像だ。だが、だがだ。そうは思うもののやはりガル・ガドットが演じるワンダーウーマンが銃火器をはね除け、戦車だろうが悪魔だろうがぶっ飛ばされようがなにしようが再び起き上がって戦うシーンは、それが女性ということもあるだろうが、キャプテン・アメリカやマイティー・ソーが同じことをするよりもはるかにワクワクするし、ようしヤッターという気持ちになる。

●同じシーンを演じたとしても、ワンダーウーマンがやるほうがきっと胸躍るのだ。実際そうだった。

●ガル・ガドットはもう三十路過ぎてるから、たしかに美人だけれど、アップになるとちょっとオバサンが入ってるのは否めない。でもそのくらいのほうがリアリティーが出るというものかな。キャピキャピとしたアイドルチックな女性が演じてたらこのワンダーウーマンの魅力はでなかっただろうし。

脚本も設定もいかにもという感じで定番中の定番、アメコミらしい展開。だがそれが王道でもあるだろう。中盤ちょっとまだるっこしいところはあったが、ワンダーウーマンが戦うシーンは満点をやってもいいくらいワクワクしたし、応援したくなる巧い作りだった。

●相手役の男性がいまいちパッとしないところもワンダーウーマンを際立たせるには役立っていたか。それにしても最近は飛行機でバーンというケリの付け方が多いな。昔は高いところからドーンと落とすが定番だったけど。

●なんだか日本のプロモーションが乃木坂46のへんな曲つかったりして、また馬鹿らしいことやってて非難浴びてたり。日本版のポスターや予告編なども、ちょっとギャグっぽいおふざけ方向に振っていて、どれもこれもダメダメじゃんという感じ。アメリカで大ヒットなのに日本での出だしがイマイチなのは、プロモーションが下手クソな上に方向を間違ってるとしか言えまい。なんとかウケ狙いで客をよぼうとしてるんだろうが、それが大いに逆引き。

アニオタとかに客層考えてこんな絵柄とコピーにしたのかね。日本版の予告編もそうだけど・・・作った連中はこの映画ホントにちゃんと見てるのかねと言いたくなる。

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●かなり真面目にカチッと作ってあるし、ワンダーウーマンという女性がかなりカッコイイんだから、おふざけウケ狙いの馬鹿げたトンチンカンプロモーションなんかせず。(実際に大失敗だとおもわれ)こんなポスターのように、超カッコイイ、女性キャラクターとして宣伝すればもっと違う結果になっていただろう。

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2017-04-08 『リップヴァンウィンクルの花嫁』

[]『リップヴァンウィンクルの花嫁』

脚本を元にして映画を撮るとき監督の頭の中には、ある程度「この映画はこういう観客に観せたい、こういう客層に観てもらいたい、こういうタイプのこういう人に訴えかけたい」という観客設定というものが少なからず頭のなかにあるだろう。

そのことを考えれば、この映画は明らかに女性向けであろうな。そう、映画を観終えて真っ先に頭に思い浮かんだのは「これって極めて女性向けの映画だな、いやもう極めてというよりも、もう限りなく極めつけに女性という一種類の人間、生物のことを柔らかくしかし綿密に描いた映画だろうな」と思ったのだ。

カメラワークやアングル、画面のトーン、演出、その全てにおいて実に岩井俊二らしい、岩井俊二的な映画の上手さ、技工の巧みさはう〜んと観ていて唸るほどのものだ。まるで別世界に連れて行かれたようなふんわりとした柔らかい空間に取り囲まれるような感覚に包まれるのも、これまた岩井俊二の映像の技術であり魔法であり、それがよどみなく繋がって出来上がったこの「リップヴァンウィンクルの花嫁」という作品は実に作りが巧いし、映像作品としての緻密さ、完成度は極めて上質で極めて高いといえるだろう。

2016-12-16 『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』最高だったね!!

LACROIX2016-12-16

[]『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー

注)ネタバレあり

・正直、ローグ・ワンには全く期待していなかった。最初トレーラーが公開された時、主役であるジン・アーノの顔つきがなんともパッとせず、なんだか暗くて主役を務めるヒロインとしての華やかさや輝きがまったく感じられないというのが最初の印象。

監督がギャレス・エドワーズというのも“ う〜ん ”という感じだった。「あの2014年のハリウッド版『GODZILLA ゴジラ』の監督。日本の怪獣映画が大好きで日本のアニメなども好きでかなりのオタクというのはまあ映画製作にはプラスかもしれないが『GODZILLA ゴジラ』は内容も出来もチャンチャラ日本の真似事から脱しておらず、ゴジラの造形にしてもこれじゃどうしょうもない。という内容だった」ギャレスが監督するとなると作品のレベルは自ずと知れるだろうという気持ちでもあった。

・しばらくすると6月頃に「ローグ・ワン」の撮り直しがディズニー・スタジオから要求されているというニュースが。ギャレス監督の描く映像があまりに暗く、スターウォーズシリーズに馴染まないとか、監督を交代するだとかそういう話も。このニュースを聞いたときは「ああ、やっぱりなぁ、そうなるか」と思った。自分もトレーラーのイメージがあまりに悪かったからだ。

・その後、追加のトレーラーやキャラクターなどが発表になっていくと、まず第一にあまりにも中国市場に媚びたキャスティングをしている点が鼻についた。まあ、かって日本市場が有力視されたときはハリウッド映画でやたら日本で売ろうという魂胆がミエミエのキャスティングが度々行われた時期もあったので、巨大市場に育った中国を無視するわけにはいかないというのはわかる。だが「ローグ・ワン」はスター・ウォーズという一連の作品の一部なのだ、単発の作品ではない。そこに作品世界の流れを無視したような金儲け主義のキャスティングや演出、脚本を入れることは作品そのものを貶める。ファンが求めているものはスター・ウォーズという一つの夢の世界なのだ。何をやってるんだディズニーは、ギャレスは・・・どうしょうもない! そんな風に思った。

登場人物が並んだビジュアルが公開された時も、え、なんだこれ!と思った。まるで日本のアニメを真似たようなキャラクターの面々。ドラゴンボールとか、そんなアニメのイメージが真っ先に浮かんだ。「ああ、ギャレスはまたこんなことやってるのか、もうだめだ」と思った。やたらどでかい甲冑を身につけたようなゴリラみたいなのは・・・なんか、どこかで見たことあるな。中国人の僧侶みたいなのも・・・んー。これはもう駄目かも・・・。

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・と、何一つ良いイメージが湧いてこないまま、ほんとに、ほんとに、まったく期待せず「まあ、一応観るだけは見ておくか」という程度の気持ちだった。

・そして映画が始まると・・・なんと、あのスターウォーズのオープニングが無い! えー、あれはスター・ウォーズ・シリーズとしては出だしに必須なのではないのか? あれがあるから、あのジャーンがあるから一気に現実の世界から映画の世界に気持ちが切り替わって映画を最高に楽しめるんじゃないか? あのオープニングを抜くなんてなんたることだ・・・と思った。

・そしてしばらく見ていると、なんだか雰囲気がこれまでのスターウォーズ・シリーズと違う。なにか奥行きのようなものが感じられない。薄っぺらな話がすすんいく。「ああ、やっぱりこれはスター・ウォーズらしさがないぞ、これは完璧な失敗作なんじゃないか」そう思えた・・・登場人物たちの演技もどうも軽薄で、重みがない。やはり売れ筋ではないあまり有名ではなない俳優でそろえたせいか、とにかくジワっとくる味のようなものがまるで感じられないのだ・・・。

・しかし、30分を過ぎた辺りからだろうか、ストーリーがムクムクと動き出してくると・・・ん、ん、ん、なんだか面白くなってきたぞ。あれ、なんか良くなってきたぞ・・・なんなんだったんだ最初のあのダメダメ感は、だんだかムチャクチャよくなってきてるじゃないか! と映画に夢中になっている自分に驚く。

・そしてラストまで突っ走る! ダメダメ映画だと思っていた自分のファーストインプレッションは杞憂に終わった。ローグ・ワン!メチャクチャに面白かった。

・いかにもアニメチックなキャラ達で、なんだか冴えない顔つきの連中ばかりだったのだけど、驚いたことにこのキャラ全員が、もの凄くイイ奴らばかりなのだ。それこそ日本のアニメっぽいとも言えるのだけど、あざといなと思っていた例のジェダ寺院の僧侶も・・・いいやつなのだ。ベルズもキャシアンも今ひとつ冴えないのだけど、でも最後にはイイ奴だなって思えるのだ。まったくダメダメなパイロットに思えたボーディ−も・・・泣けるくらいイイ。主役のジーン・アーソも、ほんと今ひとつ華がないのだけど・・・でも、やっぱりイイ奴なのだ。そしてなんといってもロボットの K-2SO が見事なまでにイイ、ひねくれキャラのイイ奴なのだ。そう、ほんとにびっくりした、ローグワンのメンバーが全員、ホントにいいやつらばかりだったのだ。まるでワンピースの仲間みたいな感じだ!

・なんだかセリフも設定も演出も、日本のアニメからかなり持ってきてるなという感じがするのだが、それが却って馴染みやすさにもなっているのかもしれない。

・まあ、もちろん色々ツッコミたいところはあるのだが、見終わった感想は、素直に「よかった、楽しかった! これはなかなかの一作だ」となった。

・ROGUE = 無法者、荒くれ者、はみ出し者・・・・俺たちはローグ・ワンだ! そうか、そうだ、なかなかカッコ良かったぞ!

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《以下完璧ネタバレなので、観終えた方のみどうぞ》

・AT-ATスノーウォーカーの描写はなかなかよかったね。脇からドカンとミサイルを食らって首をガクンと振りながらもまたこっちを向くシーンはオオといいたくなるかっこよさだった。でもやっぱりエピソード5の雪の中のシーンのほうがいいかな?

・ダース・ベイダーはスターウォーズ・シリーズ全作品のなかで一番凶暴だったかも? 愛するパドメを失って、ダークサイドに落ち、パルパティーンの元で今が権力とダークサイド・フォースの力の絶世期とも言える時期だろうから、もうぶった斬り殺しまくり・・・いやはや。

・スター・デストロイヤーに襲いかかるXウイングの集団・・・しっかし、なんで TIEファイターが飛び出してこないんだ。スター・デストロイヤーを囲んで宇宙での戦闘機バトルをするシーンには TIEファイターとのドッグファイトが欠かせないだろう! それがいつまで経っても TIEファイターが飛び出してこなくて、Xウイングだけでスター・デストロイヤーを攻撃してる。「これはありえん」と思ってたらようやく一斉に TIEファイターが飛び出してきて戦闘本格化。オイオイ、遅すぎるぜ、TIEファイターが出てくるのがあまりに遅すぎるよギャレスさん、わかってんの?

・スター・デストロイヤーが真っ逆さまに落ちるシーンはオマージュとして最高!

・そしてだ、一番期待したシーンでもあり、一番よろこび飛び上がったシーンでもあるのだけど、改めて考えるとあれじゃ駄目だと思う、徹底的に駄目だとおもうのが、ラストだ。

・反乱軍兵士が駆けつけた部屋には、白いあの衣服を着た女性がこちらに背を向けて立っていた。そうだ、そうだ、ついにレイア姫が出てくるんだ、どうなるんだ、と振り返ったレイア姫はCGで見事に合成されたエピソード4当時の若々しいレイア姫だった。このシーンを見た時は「うひょー」っとめちゃくちゃ嬉しくなった。「フォースの覚醒」でハン・ソロとチューバッカが登場したシーンにも勝る最高のシーンだ。兵士が「これは、いったいなんなんですか」とレイア姫に尋ねる。するとレイア姫は・・・・・

・最高にいいシーンだった、めちゃくちゃ胸がドキドキした。しかしだ、ちょっと思い出すと、あのシーンであのレイア姫の顔つきはないな。なんだかちょっとにやけたような顔つきで「・・・・」と言う。いや、違うだろう。本当のレイア姫ならエピソード4の冒頭で見せたような不安と悲しみ、憂いをもったような表情であるべきだ。沢山の兵士が死んで、ジェダの都市もデス・スターに破壊され多くの人が死んだ中でもたらされたアレを受け取ったならレイア姫は、深い悲しみの中であの言葉を話すだろう。それが・・・なんだか半分にやけたような顔なのだ。ようやく手に入れて嬉しそうな、そんな顔なのだ。おいおい、ギャレス! あの顔はないだろう。せっかくレイア姫を復活させたのに、なんで表情にもっと気を配らなかった、その辺がまだまだギャレスの監督としての若造ぶりなのかも、しかしスタッフにしろなんにしろ、あの表情はおかしいとすべきだろう。(ちょっと怒り)

・スター・デストロイヤーがなんかやたら真っ白で塗装をしてないプラモデルみたいなのがあったり、爆発して人やトゥルーパーが吹っ飛ぶシーンが、どれもこれもいかにもワイヤーで引っ張ってますってわかるような飛び方してたり、そしてそういうのが何度も繰り返されたり、そういう細かいとこにも気になる部分が多々あった。

・そしてまたラスト近くだが、ジーンとキャシアンの最後となるシーン・・・これってまんまディープ・インパクトじゃないか。もうちょっと工夫しろって言いたい。

・最後に、何よりも驚いたのは、いかにこのローグ・ワンがスターウオーズ・シリーズのスピンアウト作品で、一作限りの物語だとしても、まさか全員が最後に消滅してしまうとは思いもしなかった。俺たちは荒くれ者さ、ローグ・ワンさ! そういって仲間になり助けあってデス・スターの秘密を手に入れる。最初はおもっていなかったけど、ローグ・ワンの面々は本当にイイ奴ばかりだった。そのイイ奴らが全員最後には消滅してしまう物語だなんて、ちょっとそれは悲しすぎた。

・いずれにせよ、期待度ほぼゼロだったのに、この「ローグ・ワン スターウォーズ・ストーリー」はなかなかに最高の気分にさせてくれる映画だった。他のスターウオーズシリーズと色彩の並びはちょっと違うが、なんだか日本のアニメっぽくもあるが、そういう思い以上に、もの凄くいい作品、胸が高鳴り心躍る素晴らしい映画だったといえよう。

2013-10-23 「遊星からの物体X ファースト・コンタクト」

LACROIX2013-10-23

[]「遊星からの物体X ファースト・コンタクト」(2011)

・まるで期待していなかったが、時間も短いし、さらりと見てフフフンとそれなりに楽しめたが、気持ち悪さもだいぶあり、SFというよりスプラッター・ホラーというような感じ。

・得体の知れないエイリアンを発見して、生体反応も確認せず放置するとか、切り刻むときに博士なんていう連中がだあれもマスクもせず、手袋以外はほとんど素でエイリアンにナイフをいれるとか・・・相変わらず間抜けな演出はいっぱいだが、おちゃらけスプラッターSF映画ととらえればこれでもいいか?

・名作である前作の前日談なんてこと言わないで、単純に一本の気持ち悪さ満載SF映画として作っていればいいものを、スタジオ役員や株主の突き上げが怖くて、やっぱり過去の名作のネームバリューだけはお借りしましょうということで作られたような映画。だから芯はなにもなし。出来上がるまでもなんども製作延期になったり紆余曲折したみたいだが、もうこういう取って付けたようなシリーズモノ、名作の前日談とか続編とか新しい展開とかはハリウッドのお馬鹿連中もいい加減やめたらと思う。でもやめられないんだろうな、それほどネタとアイディアは枯渇してるということだ。

・と、否定的なことを書いたが、一本の映画としてみればそこそこ楽しめる。金は掛かってるけどB級のやすっぽさプンプンのサスペンス、ホラーとしてもまあそこそこ。それもこれも前作のしっかりとした設定がどだいになっているからであろうが、前作を知らない、見ていない人なら「うん、言われるほど酷くないんじゃない、キモいけど面白かったよ、1時間45分それなりに楽しめた」というであろう。

・中身としては『 THE THING 遊星からの物体X 』の焼き直しというよりも『エイリアン1』の焼き直しという感じが強い。頭をひっくり返して四足で歩くエイリアンとか、腹を突き破って出てくるシーンとか、これって話は『THE THING』だけど映像は『エイリアン1』でしょう。ケイトの役はまさにリプリーのシガニー・ウィーパーだし『エイリアン』でリプリーがようやく逃げ出した宇宙船で後ろにエイリアンがいるっていうのも『THE THING』じゃなくて『エイリアン1』のシーンそのまんまだし。(これはオマージュとして受けとっていいだろう)

・ということで『 THE THING 遊星からの物体X 』の前日談、リメイクというわけで撮られた映画なのに、中身はエイリアン1の混ぜちゃってるわけで、だからこういう中途な映画になるんだなぁという典型。いや、エイリアン1を真似たからなんとか見れる映画になったのと言うべきかもしれないか?

・ケイト役で美形の紅一点(もう一人女優はいるが美形としては一人)f:id:LACROIX:20131024071254j:image:rightメアリー・エリザベス・ウィンステッドがなかなか。目が大きくてはっきりした顔立ちで、こういう女性日本でも海外でもそこそこ受けるか。しかしこの人、全然しらなかったけどホラー・クイーンなんて言われてたのね。なるほど、ホラー映画に出てればちょっとお馬鹿っぽさも滲んでぴったりだったのかも。でもこの作品の中では一人だけ美形でキラリとしてた。こういうのを一人だけ入れるというのもキャスティングの常套手段だが。

・前作はもろ男臭い男男というキャスティングと中身だったし。たぶんプロデューサーか誰かしらが「「THE THING」のシリーズものを作っても受けない。あれは男だらけのキャスティングで華がない。観客動員望めない。エイリアンのリプリーのような強い女性を話に付け加えればもっと観客受けするはずだ。宣伝のネタにもなる。客を惹きつけれる!そうだ「THE THING」の脚本にリプリーに相当する女性を入れるんだ!」とかなんとかやったのだろう。そういう臭いがプンプンする。

・まあおかげでこの女優を知ったわけでもあるが、願わくばそういうホラー映画の客寄せ役じゃなくてなにか真面目な作品でこのメアリー・エリザベス・ウィンステッドの演技を見てみたいとものだ。

・それにしても最近でてくる続編だとか前日談というのはどれもこれもどうしょうもない。「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」も猿のCGI以外はなんとも薄い話だったし。(ところでこれの更なる続編って作られるんだろうか? 出来ても当たることはないだろうな)。「プロメテウス」もエイリアンの前日談と宣伝しておいて、どうしょうもないないようだったし。ターミネーター・シリーズはなんとか持ち直しそうだが、3以降は正直酷い脚本と設定だし。

・ハリウッドはまわりと同じことをやらないと突かれた時言い訳できない、失敗しても「ほかもやってるから」と言い訳できるように周りと同じことをやるというどうしょうもない慣習が蔓延してしみこんでしまっているから、しばらくはこういうシリーズものの前日談だとか、少し話を横に逸らしたやつだとかが続くのだろう。

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2013-08-01 『終戦のエンペラー』残念ながら極めて中途半端な一作

LACROIX2013-08-01

[]『終戦のエンペラー』

・作中のセリフにもあったが、天皇を扱うというのはなんにせよ“センシティブ”な部分を孕む。日本においては否応なく、外国からしても若干の差はあれど同じだ。アラーを映画でも文章でも外国人が描くとこれまで様々な問題が起きてきた。イスラム教徒にとって異教徒が自分たちの神であるアラーを軽率に扱うことはそのまま自分たちと自分たちの宗教、文化を冒涜する扱いとみなされる。

・取り上げた物語の主題に対して、本質に対してどれだけ踏み込むか、踏み込めるか、どれだけ考えを及ばせることができるか、どれだけの深みまで手を伸ばせるか、思考をめぐらせることができるか、物語のなかでどれだけその主題を追求できるか、深く掘り下げ観る側に訴えるものを作ることができるか、それがないのなら映画は取り上げた主題の表面を舐めるだけであり、その主題は物語の具材にしかならない。料理の上に乗っている具材でしかない。

・この映画は“終戦”“降伏”“占領”“マッカーサー”“占領軍”“日本”“軍部”“政治”そして“天皇”という非常に“センシティブ”つまり微妙で敏感で一挙手一投足に非常に慎重さを求められる“問題”を取り上げ,"EMPEROR 天皇" という日本において最もセンシティブな物事をタイトルに掲げ、主題としながらも、そこに深く踏み込むことは避けている。そこに関わる様々な要素もただ並べただけに過ぎずなんら主題に対して深入りしようとはしていない。いや、しなかったのだ。

・主題として"天皇”を取り上げながらも、そこに踏み込めば踏み込むほど状況は更にセンシティブになり、深入りすることは映画としての表現の難しさや説明の困難さ、そして踏み込んだことによる様々な影響が危惧された。だから主題に足を踏み込み、深入りすることは止めたのだ。やめてしまって具材だけを並べ、なんらの意見を述べることもなく、主義主張を面に出すこともせず、ただの"物語"として抑えてしまったのだ。

・即時的な楽しみを目的とする娯楽映画であるならばそれでもいい。面白そうなストーリーだけあればソレでいい。だが、この作品はそういった娯楽作品ではないはずだ、そういった娯楽を志向して撮られたものではないはずだ、ハリウッドのエンターテイメント作品として作ったものではないはずだ。終戦と占領軍、日本の天皇を主題として選んだ時点で作品の本質はエンターテイメントではないものとなる、成らざるをえない。

・だから本当はもっと天皇という腫れ物のような事柄について語り、それを評することが禁忌されている日本にとっても、そこに関わった国にとってもセンシティブな事柄に真正面から向かい、取り組み、日本の終戦とアメリカの占領軍の統治に関してもなんらかの意見、主張を示すべきであり、示さなければならなかった。しかし、それは避けられた。回避され、なんでもない表面的なエピソードの羅列。歴史の上辺だけをなぞるだけの内容に落ち着けてしまったのだ。

・そして映画は意義、主張を持つこともなく、薄っぺらな中途半端な作品になってしまった。それは製作サイドの《天皇に触れることへの恐れ、恐怖、そこから生まれる様々な危惧されるべき事態を恐れ、それを受け入れそれに対処することを避けるため》の気持ちが生み出したものだろう。

・娯楽、エンターテイメントには成り得ない題材を映画の主題として選択したが、その主題に踏み込むことを躊躇い、その主題を論ずることを躊躇い、その主題に深く関わることを躊躇し、その主題に作者の側の意見や主張、判断をすることの一切を避けた・・・いや、観終えた感想からすれば、これは逃げたんだろうなというべきかもしれない。

・こんな"天皇”EMPERORという題を掲げながらも、そこの踏み込めないばかりか、終戦や占領軍、天皇という題材の表面的なつなぎだけでは映画としての話を構築できないと見たのか、随分と白々しい悲恋物語を映画に組み込みラブストーリーとしても客を惹きつけようとしたのだろう。しかしそれがより一層作品の中身を中途半端なものに押し下げ、なにがエンペラーなのだと言いたくなるような話になってしまっている。

・そして最終的には天皇や占領軍、マッカーサーよりも、ラブストーリーに話の中心が寄ってしまっている。これでは第二次大戦終戦時の天皇とマッカーサーの話と思って観に来たら、まるで《第二次大戦の中、アメリカと日本の間で生き、恋をし、戦争によって引き裂かれた悲恋の女性、彩音》なんて題のほうが内容には合っているのではないかと思える程だ。

社会派や歴史映画という方向には進まず、話をふくらませるために戦う二国の間で生まれた恋という挿話をいれたため元々の主題からは話の中心が離れてしまい、結局はどっちつかずの状況で中途半端に何を描こうとしたのかさえボヤけたまま仕上げられてしまった映画、そう言うしかないだろう。

・プロデューサーでもある奈良橋陽子のキャスティングは流石だった。マッカーサーを演じたトミー・リー・ジョーンズは少し違和感を感じたが、日本側の配役は見事だ。アヤを演じた初音映莉子は印象深い。桃井かおりはこんなチョイ役かとすこし残念。

・やたらと日本の知識人(と称する連中)に多い、アホでマヌケでくだらない反日的自虐感はこの映画の中にはない。そういったものはほとんど感じられない。逆にアメリカをやたら褒めたり、軍部を揶揄するようなシーンもない。そういった点ではこの作品はどっちかに偏向するわけではなく日本人の描き方もアメリカ人の描き方も皇族や天皇の描き方も極めて中立的であり、妙な色眼鏡はかけていない。そこは好まれる。

・ポツダム宣言を"降伏"といい、今の義務教育で間違っておしえられている"無条件降伏"という言葉を使わなかった点も◎

・いきなり出だしであの捏造、偽造と証明されている南京虐殺に関する日本兵が中国人の首を日本刀で切ろうとしている写真が出てきたのは驚いた。GHQ本部に貼ってあったその写真を「そんなものは剥がせ!」と言って剥がす場面を映画の頭に入れるというのは、ちょっとあざとらしさを感じたのだが、これは南京虐殺をやたら史実として認めさせ日本を落とし込めようとしている中国人やらそのロビー活動に洗脳されているアメリカの議員などに対する嫌味だろうか?

・終戦間際の玉音放送と軍部クーデター、その当時の様子を如実に描いているという点で橋本忍の『日本のいちばん長い日』と比べてみれば映画作りの姿勢の違いというものが明白に分かる。問題作でもありあまり取り上げられることもない作品だが『日本のいちばん長い日』を観れば映画の在り方の違いというものが際立って見える。☆2008-04-03 『日本のいちばん長い日』狂気と暴走の歴史が映像に再現される。

・この手の戦争、軍隊、天皇などといったテーマの映画が出てくると、必ずキチガイじみた自虐史観を頭に埋め込まれ洗脳されたような人間や団体が上映禁止運動や、映画にたいする非難などを公然と始めるのが日本の常だったが、この映画ではそういった話がとんと聞こえてこない。日本映画で戦争を描くと「間違っている、訂正しろ!」と喚き立てる狂人とおぼしき日本人や中国人、韓国人などがハリウッド映画なら何も言わない・・・いかにも見え透いた浅はかな思想や意思のない、ただ単に日本を非難して自分を満足させたい連中がうようよしているのだと呆れ返る。

・それでも、この時代、このような内容を扱った映画としてはまあまとも。それも日本人がプロデューサーをしているおかげか。外人がこの手の日本を描いた映画は最低レベルのものばかり。

・原作 岡本嗣郎「陛下をお救いなさいまし」(集英社)

関連

上映時にとにかく批判、上映禁止などの攻撃を受けた良作

「プライド 運命の時」

「明日への遺言」

外国人が日本を描いた愚作

2010-05-16 『靖国 YASUKUNI』終戦記念日の靖国神社がこんなだったとは

2008-07-17 『太陽 The Sun 』これは一体何を描こうとしたのだろうか?

2009-07-08 『TOKKO −特攻−』なぜか、強く響いてこない

2013-07-18 『Dolls ドールズ』

[]『Dolls ドールズ』

北野映画のなかでは好める作品。しかし数年前に観た時とは改めてみて随分印象が変わった。

つながり乞食。人形浄瑠璃。お祭りのときの風車やお面を背景にしている映像は美しいが、これはよくある絵だ。たけしが徹底批判した稲村ジェーンでも使われていた。

映像の美しさ、ライティングの故意的ではあるが情緒的でパッと観ただけでハッとする美しさは間違いない。

しかし、ここにヤクザ映画を入れる必要はあるか?

待ち続けていた女性の話も美しいのに。

あえてヤクザ映画の要素を入れる必要があるか? それが北野武の根なのだろう。しかし映画としては余計でしかない。それがなければもっと評価は高まっていただろう。

2013-07-17 『BRAVE HEARTS海猿』悪くない!ちょっとウルウルだな、

[]『BRAVE HEARTS 海猿』(2012)

・CGIに関しては前作のレガリスの描写の方が上。

・といいつつも、見ていると引き込まれるし、なんとかしろー!!と叫びたくなる。

・吉岡を救い出すシーンに至っては、ここで殺さないだろう、殺しはしないだろうと願い、握り返してきた手で思わずウルウルしてしまった。

・海猿4作の中では一番いいか。

・仲里依紗なんかズケズケした顔ではいままでどうも嫌いだったのだが、この作品では正直いい役を演じている。

・飛行機事故の映画というのは本当は好きじゃない。日航機事故を頭に描いてしまうから。

・このシリーズの映画がやたらと女性人気が高い、観客も六割以上女性だ、とかいうのは、やはりカッコいい男優がぞろりと揃って出てるということか? それに出産、結婚、プロポーズ、子供、若い夫婦の不安、うんたらかんたら・・・で、女性はカッコいい男を見ながら、これって女性の気持ちもよく描かれているよねぇ、となってジーンと来てしまうから女性に受けてるのか? 男がAKBにギャーギャー騒いでるのを見てシラッとしている女性が、EXILEにキャーキャー叫んでいる。要するにEXILEは女性向けのAKBであり、海猿もその要素を多分に織り込んでいるということなんだろう。

2013-07-13 『アメイジング・スパイダーマン』

[]『アメイジング・スパイダーマン

・1,2,3まで終わってシリーズ終了と思ったら、さすがハリウッド、ドル箱タイトルをそう簡単に終わらせるわけがないか。しかし、新たな展開を見せるのかとおもいきや、前作のストーリーの焼き直しをやるとは・・・自分たちの発想の枯渇をいかにも証明しているようなもの。

・以前のストーリーを焼き直してちょっと手を加えて父との関係やピーターの内面、恋人との関係などを深く描いているが、それにしても基本は焼き直し。サム・ライミのシリーズを観た後ではこれといった驚きはなく、また、ハッとするような意外性やどんでん返しもない。だって、基本のストーリーをもう知ってしまっているんだから。

・ピーターの恋人役でありヒロイン女性グウェン・ステイシー(エマ・ストーン)は、MJ(キルスティン・ダンスト)よりイイ。キルスティン・ダンストはちょっとヒロインんとしては芋っぽかった。やはりヒロインは手が出せない位の、いやそこまでいかなくても普通に誰もが美人と思うような顔立ちとか可愛い女性というのが鉄則であろう。

2013-06-01 『ツレがうつになりまして。』

[]『ツレがうつになりまして。』(2011)

・西原にしろ、小栗左多里「ダーリンは外国人」にしろ、この細川貂々の「ツレがうつになりまして」にしろ、女性漫画家とその実生活を如実に描いた作品って、なんか続いてるな。受けがいいのはなぜだ? 女性漫画家の描く私生活って一般的なソレとは異質で特殊で面白いということなんだろうか?

・実際に伴侶が鬱になった人にとっては身につまされるような内容なんだろうな。

・疲れて肌荒れしている主婦の宮崎あおいも悪くない・・・相変わらず子供のような大人、その可愛らしい変な魅力。

・伏線の回収が見事・・・これは全然気が付かなかった。巧い!

・こういう刺のないほのぼの系の優しさのある話、映画には佐々部清が合っている。

2013-05-31 『苦役列車』不味いインスタントラーメンのような映画

[]『苦役列車』(2012)

・芥川賞の話題に乗って、大衆の記憶に残ってるうちに映画化してしまえっていうのは大昔からやってることだが、内容を煮詰めもせず、何かを伝えようというわけでもなく、ただ原作の話の筋をなぞっただけでハイ撮りました、作りました、ちゃんちゃん!そんなもんで適当に作ったかのような映画だ。

・ぎっちり煮詰めて、考えぬいて撮った映画(最近そういうのは少ないだろうが)の対局として、こういった粗製の映画はまるでインスタントラーメンのようなもの。最後はしまりもなくだらりと尻切れトンボのように終わって、一体なんだこれはという呆れた気分だけが残る。『ゲゲゲの女房』もまさにそういう映画であったし、そういう風にチャチャチャと余計な監督の考えなんか入れず、粗造りしてなんとか観れる形にしてくれる監督というのも今の世の中は必要なのだろうし、使いやすい、都合がいいのだろう。

・それが映画というもの、何かを表現するというもの、創造するというものとは甚だかけ離れていても、そういうのを求められる監督というのは、そういうのをこなす監督というのは工場の機械みたいなものだろう。

・前田敦子もまあ最初っからこういう映画に出る必要もないだろうに。

・森山未来は頑張っているが、だからってそれがどうしたってわけでもない。頑張りましたで認められる仕事ではないんだし。

・原作も女性からしたら、いや男性が読んでも不快感がにじみ出るような作品であったし、それが文学の一表現としてなら存在価値もあるのだろうが、この手の映画にしてしまう意味合いはあるまい。最もウケない、普通ならとてもじゃないが採用しないような話を映画にするというのは如何にプロデューサーや出資会社などが権威というものを抱っこしたがっているかということだ。芥川賞という権威を着たいがためだけに他は全部どうでもいいよという感じで作られた映画とも言えるだろう。

2012-11-25 『モテキ』この作りはまさに長澤まさみ主演のAVと言える、だろう。

[]『モテキ』(2011年)

悪くはないんだが、これは映画じゃなくてイベントなんだな・・・・

長澤まさみ・・・悪くない。当たり前だけど脚がいい。

麻生久美子・・・好み

真木ようこ・・・イイ女

仲里依紗・・・・ここだけパス

・映画を観ている間は夢見心地、楽しい気分、日常のうざったさからは切り離された異空間にいる錯覚に浸れる。ならばそれで映画はイイのだろうが・・・。

・カラオケのシーンも、流れる音楽も、見事に今の世代のど真ん中にヒットさせているから観ていてそのまま盛り上がれる。いわば「絶望の国の幸せな若者たち」世代がやってることそのまんまであるわけで、直球ストレートをドーンと放り投げられて受ける方は嬉しさ満開というパターンか。ヒットも頷ける・・・だがそれは映画としてのヒットじゃないということも明白だ。

f:id:LACROIX:20121220091303j:image:left:W300

・長澤まさみが部屋にこんなかっこうでいたら抱きついて押し倒さないというほうが無理。それしなかったら男として異常。その異常を映像で流してるからムラムラ〜。しっかしこの長澤まさみのブチューシーンは凄い。w

f:id:LACROIX:20121220091305j:image:W300:left・このくらいのキスシーンは洋画なら普通だが、長澤まさみがやっていると、もおう邦画としてはAV級だなぁ。ねっとりびっとり、あ〜すごい。w・・・一応アイドル級女優がこういうのやるというのは・・・話題になるし、やっぱ凄い。

f:id:LACROIX:20121220091304j:image:W300:H209:right・これは映画じゃなくてイベントとしてヒットしたんだろう。これは映画ってもんじゃなくてキレイ系女優並べて、懐かしい曲や思い出深いところで最大公約数的音楽やエピソードを集めてとにかくウケ狙いで作ってヒットした、マーケティング映画、集客映画であって映画と言える映画じゃない・・・と思って、まあ長澤まさみを堪能しながら見続けていたわけだが、これもよくある手で最後でクイッと巧くまとめられてクイッといいとこをつまみ上げてクイッっと気持ちを高ぶらせてイイ思いにさせられてキュンっとさせられたら、ああ、まあ悪くないなぁ、なかなか良かったなぁ・・・と観終えることができ、まんざらでもなく楽しくて幸せで嬉しい気持ちになる、させてくれるわけで、そういう意味じゃ悪くもあるまい。

ん、楽しめた。ちょっと胸も締め付けられた。懐かしい甘酢っぱい気持ちもあじわえた・・・でもやっぱり、これは映画っていう作品じゃないね。別物。というかもう映画館で上映されるのは映画的映画である必要性などなくなっていて、映画館はイベントスペースであり、一時の楽しめるイベントを提供するならそれがなんだっていいわけで、映像を繋げて話にして映画という形にして上映してはいるけど、もうそこには映画じゃないものが多くなっているわけだ。

この作品は女性受けはしてるのか? やっぱ男主体だろうな。



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長澤まさみは1000点上げてもいいか。随分豪華なブルーレイBOXとか出てるようだがなんか欲しくなったな。映画としてではなくグッズとしてだが。

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2012-11-16 『レンタネコ』

[]『レンタネコ』(2012年)

55分:市川ミサコがダラーっと暑くてねっころがってる場面がいい。

もたいまさこは出ないのか。

荻上直子の最近の作品はちょっとイマイチ。アイディアにとんがりとかきらめきがなくなってる。



少女趣味の部分だけで撮ってる、ウケ狙いで撮ってる、そういうのがみえすいてきている。

バーバー吉野、かもめ食堂、めがね、であったようなニッチだけど特異であり、だけど実意共感できるもの、それがなくなってる。感覚だけど

なんかやってることがぜんぶわざとらしい。

結局寂しいとか結婚したいとか恋人欲しいとか男が欲しいとか・・・そういう女性の欲求不満を描いた映画に留まってるんじゃないかこれじゃ。

荻上直子にはもっと鮮烈な映画撮って欲しいね。

2012-09-15 『武士の家計簿』破綻はないが、つまらない。説明に終始している。

[]『武士の家計簿』(2010)

・2010年に連発公開された時代劇を続けて観ているが、前の二つに較べると絵に安心感、安定感があるな。前の二つはどうもふらふらして軽薄な感じがあったが「武士の家計簿」は出だしからしっかりとした絵、映像だ。較べてみたから分かったことかも知れないが、こうして観ると森田芳光は技が上だなと再認識する。この日記では一つ、二つの作品を除いて森田監督作品はダメダメ、森田芳光はもう全然だめだなと書いてきたのだが、実力は認める、しかし『家族ゲーム』で突出して以降”これは”という作品はないというのも本当のところだ。(まあこれは繰り返し書いているのでしつこいが)

・しかし・・・やっぱりどうもつまらないな〜だらだら冗長感が甚だ。

・話に華も山場も特にはナシ。じっくりみっちり一つの家族とその時代を描いたといえば由しとも言えるが・・・つまらないのだな。

・当時の礼儀作法、家族の様子、親子の関係、そして食ベ物、食事作法、食事風景、当時の服装、当時の家の様子、当時の町の様子、家の作り込み、小道具等々、しっかり時代考証していい加減ではない手抜きのない美術の作り込みなどはなかなかと見て取れるが・・・話がなぁ、ホンが、脚本が・・・華もなくただ淡々としていて面白味に欠ける。

・結局のところ、これでは観終えて「ふーん、そうだったの、江戸末期の加賀藩とか幕末のなんでもない武士一家の生活ってこういう感じだったのか、なるほど、と思っておしまい。不可ではないし、破綻もないし、きっちりまとまっているし、映像はしっかりしているし、お金もかかったセットや美術も立派だ・・・でも、話がつまらない。延々と二時間以上ひとつの家族のお話を淡々と聞かせれているかのようであり、幕末前後の一つの家族と取り巻く状況を”説明”されているかのようだ。

・要するにこの作品は、映画ではあるけれど中味全部が”説明”なのだ。「映画で説明してはダメ、説明しなきゃわからないことは説明したって分からないよ」とは言ったものだが、この映画は全編が”説明”のようなもので出来ている。だから、不出来な作品にはなっていないけれど、まったくもってつまらない、ときめきや興奮がない一作となってしまっている。これならば、映画である必要はさしてないのではないかとさえ思う。当時の様子を再現してナレーションを入れてドキュメンタリーのような、TVの歴史解説番組のようなもので充分かそれ以上になる。

・この映画を観てしまうと、やはり森田芳光は晩年まで「家族ゲーム」の刺々しさやキラメキを再現することがなかったと思ってしまう。自分自身の脚本で、何かを変えるような強烈なメッセージや思い、提言を投げ掛けてくるような映画は殆ど撮らなかった。80年代以降のいちばん上手な”雇われ監督”であり”商業監督”であり”職業監督”から抜け出さなかった人だと思う。亡き人をあれこれ言うのもなんだけれど「そうだ、やっぱりあの『家族ゲーム』の森田芳光だ!」と思わせるような作品は遂に撮らないで行ってしまった。それが残念でもあり、悲しくもある。

・堺雅人と仲間由紀恵のキャスティングは失敗。両方とも売れ線で人を呼べる俳優だから動員をはかるためにはまっとうなキャスティングだが、あちこち映画、TVに出過ぎてどちらかというとおちゃらけイメージが付いている堺雅人に質実剛健なそろばん馬鹿の武士の役は合わない。仲間由紀恵もその夫を支える質素、丹精、奥ゆかしい妻というイメージは合わない。なにせ”ごくせん”のエンクミなんだから。仲間由紀恵に時代劇とかおしとやかな女性役ってもう合わないと思うのだけれどね。

原作:磯田道史「武士の家計簿『加賀藩御算用者』の幕末維新」

2012-09-02 『プロメテウス』リメイクとして見応え充分だが脚本と設定は粗だらけ

LACROIX2012-09-02

[]『プロメテウス』

・出だしから暫くのシーンは『2001年宇宙の旅』の明らかなオマージュ。船内の様子も食べている宇宙食らしきものも・・・。

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過去エイリアンシリーズ1から4までと、時系列の整合性がない。あるように思えるが、時系列に並べてみると明らかにおかしな部分、矛盾が噴出する・・・つまり、脚本と時代設定、背景設定が全く練り込まれていないのだ。

・いや、練り込まれていないというより、練り込んでしまうと話が上手く流れなくなるし、脚本を書き、演出するのに制約が多く出てきてしまうから、しっかりとした時代設定の整合性は無視したのだろう。「面倒臭いからこの位いい、そこまで突き詰めなくていい、当たればいいんだ!」というスタジオ側の強引な論理で時代設定や背景設定の不合理、非整合性も「そんな細かいことなんか全部どうでもイイ!」と切り捨てられたのだろう。

・エイリアンの前日談と監督が言っているが、前日談としては過去のエイリアン・シリーズとの時系列の整合性は全然ないではないか。独立した別物語りとして撮ったというにしては、まるでエイリアン1の焼き直しだし、まるでリメイクのような内容・・・結局どっちつかずである。どうしょうもない

・数々の、散々の期待は、話として最大にして散々に裏切られた。

・あのホログラム映像はなんなんだろう? 自分たちがエイリアンから逃げてやられる様子をホログラムで記録していた? それがちゃんと再生されるようになっていた? まったく意味ふめ〜なお話じゃないか。

・ウェイランド・コーポレーションの創業者だか社長だか会長が、もう老い先無くヨボヨボになって、プロメテウス号に実は乗っていて、その理由が命を永らえさせるために創造主(エンジニア)にお話を聞きその秘訣を教えてもらうのだ・・・って、アホか? 思わず吹き出してしまった。なんだそりゃ?って。しかもそのヨボヨボの足に補助機を取り付けて、通訳であるデイヴィットを連れて生き残っていたエンジニアに会いに行き「どうやったら死なないで済むの? 教えて?」と質問する・・・ハぁ?っともうこの段階でため息。でもってカプセルから出てきたエンジニアにあっさり殺される・・・って当たり前だろ、今まで見たこともない全く分からないそのエンジニアにそいつがどういう生き物かも分からないのに「ねえ君、ボクに長く生きる方法を教えて?」って武装もせず聞きにいくかっての? しかもそれを「お父さま」って・・・吹き出したよ、これで驚かすつもりだったのか? 科学が進んだ世界で知能指数も高い人物がそういうことするか?っての、デイビットはご主人様の部下だとしても「ご主人様、危険です、それは危ないです」って言うだろうっての。もうほんとになんだこのどうしょうもないお話と脚本は?

・いちばん美形のシャリーズ・セロンがヒロインになるのかと思ったら、なんだかツンツンしてるだけで、全然知性も感じられないし、魅力的でもない。他のキャストがそれほど有名ではない役者ばかりだし、やっぱり美しい女性の華が必要だからと飾りであてがわれた役というかんじだ。ヤメテヤメテ、ダメダメェ〜とまるで喘ぎ声でもだしてるように落っこちてきた宇宙船に叫びながら潰されちゃうというのも見ている方が失笑モノ、ある意味ビックリ予想外の展開で大笑い。

・で、「エイリアン」で力強い女性の象徴的存在にもなったシガニー・ウィーパーに代わる女優としてノオミ・ラパスを持ってきたのだろうが「ミレニアム」でのダークな印象はあるものの、まだこの女優にヒロイン的な強さはない。顔つきが少し丸くてぼんやりしているというのも原因かもしれないが、シガニー・ウィーパーのように困難な状況を切り抜けていく知的な力強さはないな。実際は自分で麻酔を打ち込みながら開腹手術を強行するなどの凄い場面もあるが(ここはなかなかエグかった)恐ろしい異生物や異星人と闘うという鋭さや尖った突き刺すようなところがない。ラストもいきなりそう来るか!という決断だし・・・。

・ノオミ・ラパスは「ミレニアム」シリーズのヒロインとして名をあげたが、スゥエーデンの女優であり、有名なハリウッド女優を使うのとはギャラが相当に違うだろう。今回の「プロメテウス」では続編も含めた出演契約が交わされているというが、ハリウッド女優では続編まで含めたギャラとなると高額になるし「エイリアン」の焼き直しでヒットも読めない状態でなるべく製作費を抑えたいと考えたプロデューサーが海外の女優に目をつけたといったところか? ノオミ・ラパス側にしたらハリウッドの大作で主演を射止められるんだから出演料の交渉はある程度(かなりかも)妥協しても受け入れるというものだ。

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・スタジオにとって大ヒット、ドル箱安定シリーズであったエイリアン・シリーズが第四作まで作ってしまって、第四作の最後じゃついに地球にもどってきて「これじゃ第五作は地球が舞台か?」と言うところまで来ていたのだが、どうしても第五作の脚本が上手く出来上がらず、つじつまも合わず、どうにも目茶苦茶な話にしかなりそうにないから、もう第五作は諦めて、別物語として新しい話、シリーズを派生させようとして「プロメテウス」という名前で全く新しい話を立ち上げることとした・・・のだが、結局それも斬新な画期的なアイディアは浮かばず、第一作の焼き直しで話を構築してしまっちゃったということなんでないかな?

・これは過去4部作のエイリアン・シリーズの中に時系列をあわせてどこかに入れるという作品ではなく、リドリー・スコット監督『エイリアン』第一作(1979)の30数年ぶりの焼き直し、リメイクとして独立した一本と考えたほうがいいだろう。ネット上にもあれこれ時系列がわからんだなんだという記述はあふれているが、ちょっと出来の悪い、脚本に粗だらけの失敗リメイクとして考えれば納得がいくし、映像は素晴らしいからまあなんとか満足もできるだろう。


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剛力彩芽の吹き替え・・・ダメだこりゃ。壊滅的な酷さとまではいってはいないが、エリザベス(ノオミ・ラパス)の役を2,3ランク引き下げてしまっている。どう考えても声が幼稚過ぎる。話題作りのためとはいえこういった真面目な作りのSFホラーで剛力みたいな流行り女優、アイドルを使うというのはどういったものか? アニメや子供向け映画ならアイドル人気を使った話題作りも許せるが、この「プロメテウス」でその手を使うか? ヒロインであるエリザベスがガキンチョの声になり表現力も全然のセリフ読みで雰囲気シリアスさも台無しにされてしまっている。

・トレイラー(予告編)に作品の重要部分ともいえる映像が使われている。ラストに近い映像まで使われている。・・・予告編段階でこういった重要な映像を出してしまう映画というのは、大概「ちょっと内容がヤバいからイイ場面をいっぱい予告編に入れてしまえ、予告編にイイ場面をたくさん入れれば観た人はそれだけ興味を持って、凄い映画になりそうだと思う、これは行って観ようという気持ちを作れるから、最初の動員を上げられる」なんていう魂胆が働いている。つまり予告編で本編の見せ場を見せてしまっている映画というのは、大概、本編がダメで予告編で客を釣ろうという程度の映画である。

・結局、人類の起源や創造主なんてのは全く分からないわけで、作品自体も「人類はどこから来たのか」を探求するというような哲学的要素は薄い。大企業の社長が自分が生き長らえたいから創造主をさがしてなんとか延命したいというのが(その程度が)話の元であり、人間の起源を探求するようなキリスト教文化に何をか言わんやというような崇高さや思想と思考の高さはない。じゃあ『人類ばどこから来たのか』という日本宣伝文句はなんだ? このポスターやらネットで使われている宣伝用のキャッチコピーがデタラメ。海外ポスターやfacebookページにはこんな文言どこにもないから日本の配給宣伝が付けたデタラメコピーか?

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・アラビアのロレンスの映像を入れているのはなぜ? フォックスの映画にコロンビアの代表作を? アンドロイドのデヴィッド8(マイケル・ファスベンダー)は確かに「アラビアのロレンス」当時のピーター・オトゥールにそっくりではあるが・・・いやはや、なんとか話題を作ろうとあれこれ画策してるうちの一つだなこれも。

・だけど「2001年宇宙の旅」を彷彿させる古風なイメージ、ファッショのデヴィットは嫌いではない。というかデヴィットがこの映画のほんとうの主役か??

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・大企業が揃えた一流の科学者達・・・のはずなのに、異星の地でちょっとした空気検査しただけでヘルメットを外してしまうとうのはお笑いだし、迷子になってしまった二人が突如現れた幼虫エイリアンにお馬鹿な酔っぱらいみたいに話しかけ、いかにも食ってくださいよといわんがばかりに餌食になるのも馬鹿らしい。なんなんだ、このお話の甘さは? 伏線の張り方もバレバレで、しかもご丁寧に説明しながら伏線を張っているなんて阿呆らしい。「私は妊娠しないの」と言いながらセックスして体内にエイリアンの子を宿すなんてもう見え透いてて呆れてしまう。

・エリザベスの開腹場面など、かなりエグい場面がいっぱいあるが、これは「エイリアン」でリドリー・スコットが描いたSFホラーの轍をしっかり踏襲している。

・フェイスハガーのあの不気味な様態がなくなり、エイリアンの幼虫はまんまチェストバスターになってしまっている。しかもそのチェストバスターが腹の中で成長したものがもう完全に”イカ”!! なんなんだあれは? NHKで見たダイオウイカか??(呆) 

・シガニー・ウィーパー演じたリプリーをノオミ・ラパスが演じるエリザベスで置き換え、新しいヒロインを作り出そうとしているのか? んーシガニーの足元にも及ばないな現段階では?

・兎に角、設定から話の筋、キャラクターまでほとんど「エイリアン」を踏襲して多少現代風に修正をくわえたものであり、これはエイリアン・シリーズの続編やその中のどこかの挿話というものではなく、サイドストーリーというものでもなく、明らかに「エイリアン」の焼き直し、リメイクと言ってしまって問題はあるまい。

・ドル箱シリーズを派生させる脚本を手に入れることにしくじった、出来なかったスタジオが、もうどうにもならなくなって「エイリアン」と同じ話でもう一回シリーズを作ってしまえ!と強引にでっちあげたような作品。オリジナルをリメイクしてちょっと筋を変えてもう一回シリーズものにしてしまえば何作かはヒットを読める!という金勘定で作られたような映画だろう。プロメテウス2(という題になるかどうかはわからないが)という続編は確実だし、それがヒットしたら更に続編も作るつもりだろう。ん? このやり方どこかに似てるのがあったな? そうそう「ターミネーター」シリーズだよ、あれと同じで強引にかこつけてストーリーを引っ張り広げていっても、もう限界がミエミエでどうしょうもないドツボにはまって愚作を作りだしていく、あのパターンに似ている。

・結局この作品「ターミネーター4」と全く同類で極め付けのハリウッド的打算と金勘定の総体としてできあがったような映画と言えるだろう。

・単体として観れば、説明不足は多々だが映像がいいからSFホラーとして楽しめるものの・・・粗が多過ぎ。

・国内宣伝的にも”そのコピーは嘘だろぅ”と言ったもので期待を上げ、アイドル女優を使って話題作りをして、などと騙して客を引き込もうといういわゆる腐敗したマーケティングがあからさまにギラギラとしていて目に余る。映画の宣伝なんてもう手法は出尽くしていて、新たな斬新なアイディア、手法なんて殆ど無く、過去に誰かが行ったデータを並べて「これと、これを今回は使おう」ってやれば充分とも言える。下手な新しい思いつきなどを実行してしくじったらハリウッドのスタジオ側(利益の向上にしか目がない経営陣)はすぐに責任を取れ!となるから、結局は安全策が選択される。だから宣伝というものに創造性だとかクリエイティブな面はなくなり、過去のアイディアの焼き直しで多少のアレンジを加えたもので殆ど充分となる。とどのつまり、作品も宣伝も今の状況では煮詰まってしまっている。映画においてはプロの宣伝担当よりいかに過去を勉強し、最も安全で効率のよいものを選んで実行すればいいとなってくる。誰だっていいとなってくる。なんてね、ここまで言いたくなるような作品と、嘘をついてもなんでもとにかく初週の動員を上げろという企みが見え透いた宣伝。そういったものが寄席集まってできた、妥協と虚偽の産物・・・そういう映画となるか?・・・・今回は辛口過ぎるか?(-.-;)

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2017年11月追記

・BS洋画専門チャンネル「ザ・シネマ」が吹替版を新録して12月3日に放送するらしい。だろうな、もう主役であるエリザベス・ショー博士の吹き替えを剛力彩芽にやらせたのは歴代の映画吹き替えでも最低最悪のトンデモない馬鹿宣伝部のバカキャスティングだった。もうあれはないと思っていたら、公開から5年以上経てようやく主役にきちんとした声優を使って新しく録音したバージョンが出るらしい。映画会社のおバカな若造宣伝マンの低レベルな施策思いつきで作品の価値を大幅に落としたんだから、ここはいっそ今まで出しているソフトも全部廃盤にして新しい吹き替えを再発したほうがいい。と・・・なると、剛力吹替版がプレミアになったりするかもしれないがね。まあ、どんな感じなのか観てみる聴いてみることとしよう。

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2012-08-01 『ダークナイト ライジング』ラストシーンは夢なのだろうか?

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[]『ダークナイト ライジング』(原題:DARK KNIGHT RISES) 


映像の質は文句無し。クリストファー ノーランの撮る作品は細部までスキのない重厚で密度の高い映像ばかりだ。まるで超豪華なゴシック調の寺院や貴族の屋敷、宗教画と建設美に取り囲まれたヨーロッパ教会の中にでも居るかのような感覚である。

・今年期待の一作!前作『ダークナイト』(2009)の素晴らしい完成度、物語の質としての高さ、心臓を突き刺すような峻烈なストーリーにわれながら大喝采、大称賛をしたが、世界的にも驚くほどの高い評価を得た前作の続編ということで大いに期待は高まった。考えてみれば、このところ暫く、公開作に期待するなんてこともずっとなかったなと改めて思う。

・その高い期待からすれば、今回の続編は期待度に比して60%いや70%位の満足度だろうか。前作が非常に高いクオリティーだったのだがから、6割、7割の満足度といってもそんじょそこらの作品からしたら非常にハイレベルな映画ではある。だが、期待度がやはり高すぎただけに少しばかり「こんなものか」という気分になったことは事実だ。

・一人の監督が続けて傑作を撮るということは稀なる上にも稀だ。一人の監督が撮ることの出来る傑作は一本しかないと言う人もいた。そう考えれば、あの傑作である『ダークナイト』以上の作品が、いくらクリストファー ノーランと言えども、そんな続けて撮れるはずなどないのだ、脚本にしろあれほどのモノを、あれを超えるものを書くことはどれだけ難しいかと言うことでもある。

・そんな色々な思いを抱いて観た。見応えがあった。観ながら『ダークナイト』とは違うものも感じていた。

・凶悪でどんなものもその悪の力で踏み潰していくベインが、あの裏話をみせられたら、一気にそれまでの凶悪感がうすれてしまうではないか。あのどんでん返し的設定はいただけない。面白みはあるし、多少なりとも驚くのではあるが、それ以上にベインのキャラクターが一気に色褪せる、冷たくなってしまう。あれではベインというキャラクターを最後にダメにしてしまうようなものだ。

アメリカ政府を出してきたのもいただけない。そのアメリカ政府が手出しできないでただ見ているだけというのも、現実感から程遠い。前作「ダークナイト」でもジョーカーがどこにでもあまりに簡単に忍び込み悪さをするのだが、どう考えてもそれって無理だろうという現実感のまったく伴わない部分がいくつか露見していた。「Xファイル」で都会からいきなり南極に主人公がいっているとか、「復活の日」で日本から歩いて数日で主人公が南極にいっているとか・・・それと同じ類のミス。異常さ。脚本家も監督も映画に関わるすべてのスタッフもこういった不合理、不整合にどうして気が付かないのかと思うのだが、同じようなものが「ダークナイト ライジング」にもある。

その傾向は今回の「ダークナイト ライジング」においても多々ある。その辺の不整合さやどうみても嘘だろうとおもうようなところを抜けたらもっと怖さや恐ろしさも強くなっていたんだろうし、完成度も上がっていたのだろう。なんだか、ほんの数日で都会のどまんなかから南極まで歩いて移動しちゃってるというのを堂々と話の中に入れているようなそういう非現実さと同じものが、いくつかあって、それが映画の雰囲気を少しずつおかしくしていってしまう。

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・アン・ハサウェイがとにかく魅力的。もう本当にとろけてしまいそうなくらいイイ女。今までのキャット ウーマンのマスクはSMの女王様が黒いパンティーを逆さに被った様な品のないものばかりだったが、今回のキャット ウーマンは強い女性、気品、気高さといったものを感じせ、最高のキャット ウーマンになっている。それにしてもアン ハサウェイの美しさと危険さを合わせ持った女性は、スクリーンを観ているだけでうっとりと見とれてしまう。こんな女性が目の前に現れたら、殆どの男はもう目じりを下げてうっとりしてデレデレになってしまうだろう。実際に自分ももううっとり、こんな危ない美女と関わりたいなぁなどと夢想したが・・・。今までのアン・ハサウェイは目がちょっとアンバランスな程大きくて、確かにスーパーモデル的美しさではあったが、少しばかりエキセントリックな風貌に見えていてどうも好きにはなれなかった。しかしこの「ダークナイト ライジング」におけるセリーナ役は文句の付け所のない美人だ。エキセントリックに思えた部分すら強い魅力と誘惑の電波を放つ重要なパーツになっている。このキャスティングは見事だ。

・『ダークナイト』はアメコミコミック的な部分からは全く離れた重厚な実写、人間ドラマに仕上がっていた。だが今回の『ダークナイト ライジング』は少しばかり現実ばなれして、いかにも空想SciFiの世界といったおかしな部分が多々ある。見ていてありえないようなマンガチックな話、設定などが引っ掛かった。なんだか映画が再びコミック、漫画的な世界にに戻った感もある。

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・最後に近づくにつれ「これは、なんて救いようのない話なんだ」と思ったが、それが最後のワンシーンで救われた。サーッとカーテンが開いて爽やかな草原が目の前に広がるような、霧が一陣の風で吹き払われ夢のような美しく幸せな世界が目の前に現れるような、思わず拍手をしたくなる、体中にジーンと痺れるような感覚が走った。最高のラストだ。観た時は、よし、やった!とこのラストに酔いしれ心のなかのもやもやが吹き飛ばされ本当に心が救われる気持ちだったのだが、しばらくして思い出しながら考えると、あのシーンは・・・映画の中の現実なのか、それともアルフレッドの妄想、夢なのか・・・どちらとも受け取れるなと気がつく。あれがアルフレッドの夢なら・・・やっぱり悲しい、涙が出るほどこの映画は悲しい。でもあれが映画の中での現実ならば・・・本当に美しい、素晴らしい、見事な、心を暖かく癒されるようなラストだ。斜めから捉えたセリーナの後ろ姿と横顔、その幸せそうな姿、そしてそれを見て微笑むアルフレッドの姿・・・どちらにでも捉えられるラストだが・・・幸せな方として捉えよう。そうでなければ悲しすぎるし、幸せな姿と捉えれば、他には何もいらない何にも代え難いほど温かく、優しく、美しい、天国の中にいるようなラストなのだから。

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・原題のDARK KNIGHT RAISESをなんでまあライジングとしたのか? 確かにエグザイルのヒット曲もあるしライジングのほうが日本人には耳慣れしているかもしれないが、まったく意思も思考もない邦題の付け方だ。

シリーズ最終章とは言っているが、強欲なハリウッド スタジオがこんなドル箱、大ヒットシリーズを終わらせるはずなどなく。これはよくあることラストではいろいろと次への仕込みが・・・さあ3年後位にどうなるかな?

映画『ダークナイト ライジング』公式サイト:http://wwws.warnerbros.co.jp/batman3/

facebook page: https://www.facebook.com/thedarkknightrises?ref=ts&rf=411685442224057

◯ラストシーンに関するWeb上のあれこれ(ネタバレ)

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1291578677

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1291415697

http://zubazubanews.blog.so-net.ne.jp/2012-07-30-2

『ダークナイト ライジング』の核描写, 米でも批判

http://www.webdice.jp/topics/detail/3609/

2012-07-02 『私の頭の中の消しゴム』わざとらしいが、まあ悪くないんじゃない。

LACROIX2012-07-02

[]『私の頭の中の消しゴム』(2004)

・美男美女のloveストーリー女性の方は美女というよりちょっと幼さののこる可愛い娘という感じでもある。

最初に《アルツハイマーで記憶が無くなって行く女性と、それでも彼女を愛する男性のloveストーリー》を思いついて、そこから話に頭と尾ひれを付け足していったという感じがありありとする脚本で、前半部分などはもう態とらしさ全開であるが、これまた以下にも月9トレンディードラマという感じで、これなら見事に女性受けするだろうという典型的なつくり。

・あちこちの恋愛映画、ドラマの女性をぽわ〜んと夢見心地にさせるような設定、お話が満載。なんだか「ゴースト・ニューヨークの幻」から取ってるなというシーンや「マイ・ブルーベリーナイツ」から持ってきたようなシーンだとかもアリアリ。

・まあ言うなれば、これは恋愛映画でカップル、女性受けを徹底的に狙い、いかにその層の動員を増やすかといった分析をしてそれを全編にもりこんだような脚本であり、ストーリーであり、キャスティングであり、作品である。

・「ここは天国なの?」・・・・どうせ最後はいかにもという落ちで中セル演出だろうと思ってはいたが、最後のコンビ二のシーンは想定内とはいえやはりちょっとウルウルしてしまうな。

・なんだか同じ時期に「1リットルの涙」とか難病恋愛映画があったせいか、どれがどれだ?という感じで話がこんがらがっていた。

・素敵な美男子との時めく出会い。はち切れそうな愛。そして悲劇のヒロイン。それでも愛し続ける男。態とらしく、あざとらしい映画ではあるが、いいんじゃないのこういうのも。映画を観ている間は夢の世界に漂っていられるだろう。

2012-06-14 『寒椿』女衒に売られた牡丹と南野陽子が重なる。

LACROIX2012-06-14

[]『寒椿』(1992)

原作:宮尾登美子

・全然そういうことも知らないで、いきなり南野陽子の濡れ場が出てきて「へぇ、南野陽子って脱いでたんだ。こんなピチピチの奇麗な若い女性アイドルが!」とちょっとビックリ。しかもすべすべ肌でほっそりしていて胸もペチャでもなく巨乳でもなく程よい大きさ美しさ、乳首も小さく奇麗・・・そんな若くてアイドルの状態でこんな大胆ヌードを披露するんだから凄い。濡れ場シーンは細く華奢な体が実に美しくエロチックだ。それが二度、三度と・・・不幸を抱えた悲しげな表情もなかなか巧い。

・南野陽子 撮影当時は23か4歳・・・そんな若さの南野陽子がヌードになってたって初めて知った。当時は「南野陽子の濡れ場が話題になった」ということだが、若くてピチピチの人気アイドルだった南野陽子の裸を拝めるといのであれば、そりゃ話題になるだろうし、それだけで作品の内容うんぬん別にして人集めには宣伝費何千万掛けるより効果的だろうなぁ。

・ちょっと検索したら、事務所からの独立や人気の陰りなどで一旦歌手活動を休止し、その後この映画で初ヌード披露という流れだということらしい。やっぱりそういうものかな?

・トップアイドルから人気が陰り、まだまだ若々しい美しさを持ちながらも肌をさらして濡れ場を演じることで女優に復帰する南野陽子の姿は、陽暉楼で女衒に売り物として扱われ、娼婦として翻弄の人生をおくる牡丹の姿に重なって見える。いうなれば芸能界という陽暉楼の女衒によって南野陽子は生き抜く為にこの役をあてがわれそれを受け入れたと言うことだろうか。

・牡丹を演じる南野陽子の悲しみの表情や、背中に浮かぶ影は、そのまま牡丹の悲しみや人生の影を体現しているとも言える。アイドルのままであればこの役は演じることが出来なかっただろうし、アイドルのままであればこの女の悲しみを演技で伝えることもできなかっただろう。自分の人生と役が重なることで、牡丹という役に女性の悲しさや影が嘘ではなく宿ったということかも知れない。

・最後の立回り場面は迫力もある。西田敏行も役にはまっている。かたせ梨乃はこういう役には相変わらずぴったりだ。だがなんといっても、この映画は柔肌と乳首をあられもなく晒し、驚くような濡れ場を演じた南野陽子あってのもの、女衒に売られた娼婦としての牡丹の悲しみを南野陽子が体現したことが観るべき点であろう。

・映画なんてものの一部には女優のヌードやエロシーンで売るために作られたってようなのも多いが、この映画もそういう女優の濡れ場で売ろうと企んだ映画であろう。だが、南野陽子の演技や表情を見ていると、女優、女の悲しみや性が浮かんでいるようで、決して南野陽子は売れたくて、もう一度芸能界に復帰したくて脱いだというのではなく、悩みながらも裸になることを受け入れ、悲しみを感じつつ演じていたのだろうと思う。

・もういいや、脱いでしまぇ、関係ないやーって勢いや明るさはこの映画の中の南野陽子には感じられない・・・。

・南野陽子はこの演技で日本アカデミー賞優秀主演女優賞を獲得・・・ってそれも知らなかった。汗

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2012-06-12 『GANTZ』&『GANTZ PERFECT ANSWER』男女両用コスプレ映画!

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[]『GANTZ』(2010)&『GANTZ PERFECT ANSWER』(2011)

・昔あった「ガンヘッド」みたいな映画かな? どうせくだんないだろうな、と思って観たら、まあ、ながらで観る分にはけっこう面白かった。

・話はなんとも?印いっぱいで、へんてこなんで、これはストーリーはどうでもいいって感じ。

・CGIは安っぽさも満載だが、千手観音の場面は「お、これはなかなかいいんじゃない」と思った。

・話自体が狂ったような脳内展開なのだが、登場人物の選び方がなかなかで、全員がそれなりに目付きや表情に人の狡さや残酷さの狂気をうかばせている感がある。西丈一郎役を演じた本郷奏多はこういう危ない役にははまっている。吉高由里子にしろ伊藤歩にしろ夏奈にしろ、ちょっとソッチのほうにいってるような感じの女優がぞろぞろでこれは映画の印象を上手く補助している。

・二宮和也のなんともツルリ肌でどこに肉がついているのか分からないようなほっそり女性みたいなコスプレスーツ姿。それに対照的においたのか松山ケンイチのやぼったいけど角のない雰囲気。この辺りは女性ファンを惹き付けるには上手い配役。女性にとってはこの二人のコスプレ映画といってもいいか?

・そして男性にとってはこれまた豪華な美形ピチピチギャルのそうそうたるコスプレ披露。いやはや、スケベ心を実に巧妙単純に刺激する策略。キャスティング。

・夏奈のナイススタイルな出し惜しみヌードとシャワーは生唾ごくりの垂涎もの!大きな胸のピチピチGANTZスーツ姿は男なら誰でも目を見張るだろう。

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・そしてその他にも緑友利恵もなかなか美人でこちらはほっそりピチピチ・コスプレと趣味の多様性にもしっかり対応。さらにその上にこれまた目を引く美形の水沢奈子がセーラー服でゾンビよろしく大暴れ。これは凄い。この二作の中でいちばん印象に残ったシーンだ。

http://ameblo.jp/mizusawa-nako/entry-10878936704.html

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・戸田恵梨香も「デスノート」のあの下着目隠し椅子縛りシーンで人気を上げたようなもんだから水沢奈子もこのシーンでもっと知名度あがって人気になればと思うんだけど、そうも簡単にはいかないか。

・と、思って彼女のブログを見てみたら、2012年3月で高校を卒業し、留学することにと・・・引退するわけじゃないみたいだけど、暫く芸能人としての活動はお休みか・・・残念。

http://ameblo.jp/mizusawa-nako/day-20120327.html

・いやはやありとあらゆる男の趣味嗜好、スケベ興味を全部掬いあげてしまいましょう。ついでに女性のそっちもいっしょにねっ!ていう魂胆がミエミエだけどなかなか凄い、そして上手い。この映画の製作陣も相当にスケベということは確実。楽しんで作ってたんじゃないのって羨ましくもなったりして。

・ということで、この映画は話なんかどうでもよしで(どうでもいいような話だし)、ずらり揃えた男女美形キャスティングのナイススタイル、コスプレ演技を見て楽しむって作品。それがこの作品の本質かも?

・いやはやほんとに、ご馳走さまでした。南無

☆GANTZに関してはこのページが笑える。(ちょっと画像拝借)

http://buta-neko.net/blog/archives/2011/10/gantz_pa.html

2012-06-02 『モンスター』ラストがどうしょうもない。

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[]『モンスター』(2003)

・確かに、あれだけの美形のシャーリーズ・セロンがメイクとはいえこんなおぞましいオバサン姿になって役を演じているというのは驚き。ただし、それがいわゆるネタになっていたわけであり、あのシャーリーズ・セロンが、あの美人がこんな・・・という意外性や驚き、娼婦役と言う下ネタの下品な好奇心が作品の認知度、動員に作用し利用されていることは否めまい。

・とはいえ、シャーリーズ・セロンの演技は確かに凄い。おぞましいほどだ。

・しかし、警察に捕まってからの話の展開はあまりに急ぎすぎというか端折り過ぎ。殺人を繰り返すに至ったまでの経緯や、女性の同性愛的な話は延々と描いているのに、つかまったらあっさり裏切られてオシマイってながれはいい加減すぎる。

・ラストにいたっては「そういう類型的な教条的なことをシラっと言って終わらせるのかよ」という感じ。

・それまでの流れをラストでいきなりぐしゃりと押し潰し、笑いで全部ごまかして適当にながしてオシマイにしたという感じで、このラストはもうどうしょうもないな。あまりに真面目に真剣にこの物語りを描いてたんでは救いようがなくなるからと、最後は冗談っぽく圧を逃がしてお気楽にまとめたと言うことだろう。

2012-05-07 『バーバー吉野』ガキンチョの気持ちが如実

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[]『バーバー吉野』(2003)

・荻上直子の長編デビュー作・・・初の長編でこの堂々たる作り。やはりたいしたものだ。遠慮したり縮こまったりしていない。いや最初はしていたのかもしれないが「もういいや、やっちゃえ!」的に振り切ったのか?

・女の子を描くんじゃなくて、ガキンチョの男の子を描くというのがすごいな。皆んなでエロ本を見る場面だとか、女性監督なのによくこのそわそわしてちょっとあぶなっかしくて火遊びをしてるような気持ちがわかるなぁと感心。

・荻上直子って子供の頃、こんながきんちょの男の子と一緒にその中に入って遊んでたんじゃないだろうか。そうでなきゃ、このエロ本を隠れて外で見るなんて気持ち分からないだろう。見たことはあったとしても、そういう描写を女性は描けないんじゃないかな? どこかで読んだとかちょっと見たとかじゃなくて、実体験として経験したものを映像で再現してるって思える。そうでないとこんな真に迫った(笑)ガキンチョのエロ本見たさの気持ちはわからんだろう。

女性映画監督って、偏見もふくめて、どうもオヤヂっぽい。オヤヂの気持ちだとかまさにオヤヂ的な考え方、視点、経験を持ってるじゃないかと思う。そういう女性でありながらも男性的、そしてオヤヂ的なものを持っている、経験してきている女性が、映画監督になっている向いているのかもしれない。

・西川美和にしても荻上直子にしても・・・やたらめったらオヤヂである。オヤヂ的である。爆!

・この映画はクスっと笑えるが、笑いながらもチクっとさされるというか、ヤバいなこれっていう毒があってけっこうどろっとしたものも含んでいる。子供を主として描いているけど、裏には毒やよどみもあるなぁ、子供独自の、大人になったから分かるような。

・お話は面白いけど、まあそこそこ。女性監督荻上直子の長編デビュー作ということを考えると、そうとうに凄い。この感覚が「かもめ食堂」や「めがね」のような女性に受ける映画に発展していったのではあるまい。この映画は荻上直子の原点かも。そういうことだと癒しだとかいった映画の代表的な監督ってことになっているけど、将来は本当はもっとどろ〜っとしたブラックジョークのすごい映画を撮るのではないかな?

2012-05-01 『ブラック・スワン』なるほど、これは傑作。映画として極めて高水準

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[]「ブラック・スワン』(2011)

・作品の質が極めて高い。部分的にもそうだが総合的に高水準。映画は総合芸術などと言われることもあるが、この作品はそれに値する。近年のアメリカ映画ではこういった高水準の映画は極めて稀だ。それは映画が金儲けビジネスの手段となり、映画をコントロールするプロデューサーやスタジオの役員などの目が、作品の質よりも如何に観客を動員できるか、如何に興収を上げるか、いかに利益を上げるかにのみ注がれているからに他ならない。短期的な利益を上げ、株主や投資家の金銭欲求に応えなければ即座に首を切られる。そんな状況に合わせるためにマーケティングもキャスティングもスクリプトも大衆の嗜好になるべく沢山迎合するようなものになる。最大公約数で最大利益をもたらすべく動く。だがそういった観客に媚を売り、観客を見下し、多数に迎合しつつ観客の懐から金を引き出そうという作品はどんなマーケティングをしどんな迎合的演出をしても、結局はそれを見透かされ逆に観客からそっぽを向かれる。昨今の洋画そして邦画にはまったくもってそういった傾向の作品が多い。だから最近は質の高い映画というのがまったくもって少ない、殆ど無い。あるのかもしれないがそういったものは公開規模が小さいし認知度も少なく、広く多くの人が観ることが出来る状況にはない。そんな現状の映画産業の中でもこういった質の高い映画がでてくるのだからハリウッドにはまだ救いがある。それが日本はどうだろう?市場原理主義、自由経済主義、利益優先主義、効率優先主義などといったアメリカから覆い被せられた強欲資本主義の悪しき部分のみをへいへいと崇め受け取り儲けのことしか考えない映画作り、プロデューサー、製作会社が大手を振って歩いている。しかしそういった作品の多くは作りのあざとさを見透かされ、うんざりされ、白眼視され、観客に受けるマーケティングや観客を引き込む広告戦略に便乗したような作品は却って観客の足を遠ざけさせ、観客の蔑みを受けている。そしていつまでたってのその愚に気が付かない。

・ハリウッドで「ブラック・スワン」のような高品位の優れた”映画”がたとえたまにであっても出てくるというのは、やはり世界の映画産業の中心地であり金儲け主義の低級なマーケティングの産物的映画が9割であったとしてもまだ残り1割の良質な映画を作る力と余力があるということだ。それがあるからまだハリウッドの希望は消えていない。しかしそれに対して邦画の世界はどうか、元々の市場の狭さ、世界規模の公開には持っていけない作品。監督や製作スタッフの労働環境、報酬の悪さ。安定の無さ。閉塞的で大手支配が行き渡っている業界。少しでも余裕があれば迎合マーケティングに拠らない良作を生み出すことも出来るのだがその余裕はない。取り上げれば切りがないほど今の邦画の状況は”素晴らしい映画”を作ることに真逆な動きばかり。

・今の日本で、この「ブラック・スワン」のような”映画らしき映画”、”映画としての本質を踏み固め、高めた映画”、”映画としてあるべき姿を追及した映画”、”本来の映画たるべき映画”、”崇高で気高く、映画であるべき誇りを持った映画”、”映画としての純粋な資質を輝かせている映画”は作りようもないことなのか。

・これだけの見事な映画を観ると、この映画の素晴らしさを味わった余韻のなかで「今の日本映画ではこういった映画は出来ないのだろう」と肩を落とし溜め息をついた。

脚本、台詞、美術、撮影、照明、カメラワーク、美術、CGI技術、構成、編集、キャスティング、役者の演技力、監督の演出力、表現力、そいったものを全て統率しその質を高め、その全てを上級の部位としてまとめあげ更に高みにもちあげ一本の高品質な映画に作り上げた監督の技を称賛する。

・これぞ映画、これこそ映画らしき、映画としての映画。見事な芸術作品だ。

・ナタリー・ポートマンの自慰シーンはエロスというより美しい。体のラインやベッドの周りの部屋の装飾なども影響しているだろうが、下着姿のヒップラインなど女性の体として美しい。歳もあって多少肌は荒れているが。自慰シーンの時間も短いのでエロチックな興奮までは辿り着かない。いやその映像的美しさがスケベな気持ちを帳消しにしてしまうのだ。

・妖精のようだったウィノナ・ライダーが落ちぶれ捨てられ自殺する女を演じているのは少々ショックキング。実生活でも堕してしまった自分自身をそのままに演じているとしても、この役を受けるというのは女優の反面的な意地でもあるのだろう。

・日本的に言えば有名女優の汚れ役、大胆な濡れ場、うんぬんかんぬんとなるのだが、この映画にはエロチックさとか官能は感じられない。この映画の持っている精神的な部分がエロに堕ちていない。そういう下半身趣味、スケベ趣味ではなく、映画の格や品がどんな場面でも下品に堕ちていないのだ。客の目をひくための道具に、作品の下賎なプロモーションの道具になっていない、されていない。

・すべてが作品の質の為に費やされた必要な作品の要素として生きている。

・ナタリー・ポートマンの演技は称賛に値するほど素晴らしい。この作品の中の女性と同じく、ナタリー・ポートマン自信もこの映画での演技によって女優としてのあらたな境地にたっしたのではないだろうか。その表情の変化、不安をあらわす目、口、頬・・・これほどの演技力があるとは驚きだ。もうこうなると演技が演技と感じられなくなる。

女性の表情、その心理描写、精神錯乱に陥っていく過程など映画の表現手法としてこの作品には学ぶべきものも多い。演出を学ぶ者にとっての教科書的存在にもなりえる。

・久々に映画らしい、映画のあるべき姿である映画を観たというかんじである。

・最後にやはり触れておかなければいけないのが、この映画と今敏「パーフェクト・ブルー」の類似性という点。この件はあちこちに書かれているしアメリカでも話題になっているということなので、作品がこれだけいいものであるだけに残念で悲しくもある。

http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20101209

・オリジナルの製作者である今敏に対してキチンとした敬意を払い「あの素晴らしい映像をお借しました」と一言言えば遥かに高い尊敬をこの監督は受けられたものを、パーフェクト・ブルーのリメイク権まで取得してうり二つのシーンやプロットを使いながら「関係ない」と言っている。そういう点が人間として、監督として、芸術家、クリエイターとしては蔑まれる人格であり、そういうことをする者は誰からも敬意をはらわれないのだが・・・

・これは自分が想像するにはこうだ。アカデミー賞ノミネートの世界的ヒット作が他の作品からアイディアやシーンを借用しているとなると、それこそ「ネット・プロフィットの何パーセントを寄越せ、そうでなければ公開停止しろ、ソフト化は許さない」なんてことを言い出すやからは訴訟社会のアメリカには山のようにいる。いやアメリカだけでなく全世界からあれこれいちゃもんを付けてくる連中がでてくる。だいたいハリウッドでは一作映画を作る事に「私のアイディアを盗用された。あれは私がオリジナルのアイデアを持っている。だから対価として何万ドルを支払え」なんていちゃもんを付け訴訟を起こそうとする輩が必ず何人か出てくる。スタジオにしろエージェントにしろそういう訴訟を起こされないように徹底的に防止策は立てているのだが、このブラック・スワンに関しては言い逃れの出来ないような流用だ。監督自身はパーフェクト・ブルーをつくった今敏に敬意を表し「あなたの素晴らしい作品のあのシーンを使わせていただいた。オマージュとして使っていますのでご了承下さい。これもあなたとあなたの作品に対する敬意の現れです」と言いたかったのかもしれない。しかしスタジオ側や監督のエージェントが使うエンターテイメント弁護士は「ちゃんとした契約もせずアイディアを借りているのに、そんなことを言って今敏側から使用権の請求をうけたらどうするんだ。訴訟されたら負けるぞ。そうしたら何億という金を映画の利益から払わなければならないんだぞ。絶対に認めるな。なにがあっても違うと言え」まあ多分そういうことを監督はスタジオやら弁護士やらから散々に言われているのだろう。

・ちょうど2日程前にダーレン・アロノフスキーがいったんコケた「パーフェクトブルー」の実写化リメイク権をまたやるといった話が流れてきたが・・・ここまで今敏の作品を気に入っているのならしっかり明言したほうがよさそうだが「いろいろ使わせてもらいました」って。

・もう亡くなってしまったが今敏が生きていて、しっかりとリメイク権の譲渡契約をしていたら、このブラックスワンの世界興業収入からも数パーセントの利益を受け取ることができただろう。その他もろもろ含めて数億の金が今敏サイドに流れてきていただろう。そのくらいのお金があれば今敏も製作費に苦労せず新しい作品を伸び伸びと作ることが出来ていたのではないだろうか? 日本サイドはエンタメ契約にはほんとに弱い。

2012-03-31 『婚前特急』これじゃトンデモ人間のストーカー映画だ。

LACROIX2012-03-31

[]『婚前特急』(2011)

・いくらなんでもこんな自己中というか、ここまで自分のことを良く考えている男で、調子に乗りすぎで、ここまでわがままが当然という男はいないだろう、と思うのだが、ここまでダメダメ、言ってることを理解しない男を見ているともういらいらしてくるし、ぶった切って視界から抹消してしまいたくなる。さらに、なんでそんな男との縁をいつまでもこの女は切れないのかとこれまたいらついてくる。

・なんだかあまりに男と女の我が侭が強烈過ぎて、コメディーなのに笑えないんだよなぁ。「もうここまできたらあり得ないだろう」っていう言動ばかりだから・・・・。空気読めないどころか、人の気持ちなんて全然考えていない、空気なんて感じてもいない、ただ自分の思ったことだけを正しいと思って周りに押し付けている、言ってみればこういうのはモンスターであり、手に負えないモンスターペアレントとかがいるけどそれと同じ類いの人間なわけで、途中から「自分だったらこんなやつらが前にいたら二度と関わり合いになりたくないし、これ以上の関わり合いを持たないようにするためにズバっと完全に切り離し一切の付き合いを断ってしまう」と思うようになった。こんなのが近くにいたらもう歯ぎしりするくらい苛々して頭に来て爆発しそうになるだろう。

・もう少しクスっと笑える面白さがあれば楽しめたんだろうけど、余りに我の強い、身勝手なことばかり言ってる登場人物を見ていると、もいいい加減にしろよって気持ちで、楽しいっていう笑いは湧いてこなかったな。はあぁと溜め息がでてよくやるよなぁという呆れた笑いはちょっとはあったけれど。

・この二人のあまりのダメダメさに呆れながら観る映画となったが、吉高の視線の強さに引きずられる部分がかなりあったかもしれない。『ロボジー」であまりのやりすぎ演技に監督から「もう異常、変態ですねあの娘は」と言わしめた吉高だが、まさにそのへんてこさ、異常さが表にビンビンと出てきている。

・吉高は美人というよりも宇宙人的変人。このなんともわけのわからぬ異常さ、変人的雰囲気、言動が他にはない人を惹き付ける部分なのだろう。ちょっと恐いけどこういう女性と知り合いになってみたい、深い付き合いはしたくないけど、一緒にいると知らない世界のはじっこに触れるみたいでどきどきする。わくわくする。日常性の外にある何かだから幽霊とか怪物みたいな恐さと好奇心が湧く。そういう女性なんじゃないかな。

・ラストはもう予想通りの終わり方だが、話のほとんどはほぼまったく共感も同感もできず「ちょっとこれは、ここまではないだろう」というものばかり。こんなとんでもない異常な男女の話がなんとかうまく落ちがついてはいるが、本筋にあるのは異常な人間、人格、性格破綻した男女の話であり、これじゃ恋愛ものというよりホラーコメディーに近い。

・男女の性格描写と話の作りに懲り過ぎて、やりすぎて恋愛ものとは違った方向に作品がいってしまった変な作品。

・この男女の人間性ってどこかの何かに似てないか?と思ってしばらく考えていたがスティーヴン・キングの『ミザリー』の主人公アニーだな。・・・・やっぱりそうするとこの映画、あと一歩横に歩をずらせば確実にホラーになってたんじゃないだろうか?

・奇妙で不気味でへんてこな映画である。本来の話の方向からはずれてべつなところにいっちゃってると思う。失敗作かな?

2012-03-30 『サトラレ』

LACROIX2012-03-30

[]『サトラレ』(2001)

・鈴木京香はもうどっししりとした腰の据わった演技。八千草薫はもう演技しているなんてまったく感じさせない演技。演技をしているとまるで感じさせない八千草薫と並ぶと、鈴木京香の演技はもう充分最上級のものなのだけど、八千草薫の演技があまりに自然なものだから鈴木京香演技ががくんと下がって見えてしまう。

・サトラレという奇想天外な設定は面白い。だが、それが映画の話しの中でどんな風に展開していくのか、周りの人に思っていることが全部伝わってしまうという異常な設定をどう話しの中で使いこなすのか? と思って観続けていたが、やっぱりこれは話しを膨らませるのに手を焼いたのだろう。残念ながら話しに広がりも深みも生まれなかった。まあ仕方あるまい。サトラレの設定を使って驚くような話しに持っていくとあまりにSF空想物語り的にしかなりえない。あくまで現実社会の中にサトラレを置いて話しを構築していくにしては、サトラレと言う存在は無理がありすぎるのだな。

・だから結局、この映画は何だか中途半端な結末にしかなっていないし、え、2時間かけて結局こんな話しで終わるの?といった不満が残ってしまう。

・流石本広監督で、撮影、構図など絵は巧い。だがやっぱり映画の根本である話しがこれでは・・・だめだな。

・八千草薫の演技の素晴らしさをしっかり観ることが出来た。ラストの桜と、目を閉じる演技はそれだけでこころがホッとしてしまうな。

・内山里奈・・・このころはちょどいい若さで少女が女性になったばかりのころといったかんじで、ちょっとツンとしたイイ女になってる。いいねぇ。(と最近こればっかり)

2012-03-29 『インベージョン』N・キッドマンの美貌を見る映画か。

LACROIX2012-03-29

[]『インベージョン』(2007)

・二コール・キッドマンがやけに若々しい。顔の輪郭も効いてきて、尖った印象。体のラインもほっそりすっきり。目つきもいかめしい。鼻もピンと尖っている。「ふーん、二コール・キッドマンって昔こんな映画に出てたんだ」と若い頃に出演したB級映画なんだろうと思えるほど。しかしこれって2007年の公開作。

・歳をとると女性は頬や体に丸みを帯びてふくよかになり、肉付きも増えて太くなるものだが、この二コール・キッドマンをみるとまるで若返ったかのようだ。なんとも美しい・・・。

・だが、話しはといえばかなり古いSF映画そのまま。数多くの古典的なSF映画の名作があるが、宇宙人の侵略、ウイルスによる人類感染などはもう目新しさ、斬新さのない話しになってしまっている。スピルバーグの『宇宙戦争』はCGIの凄さもあり観るにはみれる作品になっていたが、それでもやはり子供の頃からなんどとなく聞いた、読んだような話しでわくわく感がなかった。これも同じで話はこじんまりとしているし、え、どうなるのといったどきどき感もあまりない。たぶんこうなるだろうなという予想通りに話は進み、予想をちっとも裏切らない凡庸な終わり方でああそうですか、やっぱりね、という思いが残るだけであった。これで派手なCGIシーンでもあればもう少し娯楽性も上がったかもしれないし、SFらしさももっと出ていたかもしれないが、そういうものもない。

・言ってみれば、いや別に言わずともがなで、これは古典なのだな。古典そのものなのだ。派手なドンバチ、ワイワイガヤガヤのSFに異常なほど見慣れてしまっている今において、こういった純な古典は受けないし、詰まらないととられてしまうだろう。

・ウイルスが人間を変えたために、北朝鮮やらイラクやらブッシュなんかが平和主義を打ち出して紛争が解決しました、我々の側に入れば世界は一つになりますなんていう件も話の中に折り込まれていたが、これもちょっとギャグなのか真面目なのかわからずしらけた。

・ラスト近くのカーチェイス・シーンは今様であり、スピード感も迫力もあったが、際立ったシーンはそれくらいか?

・あとは超美貌の二コール・キッドマンをこれでもかってくらい沢山見ることが出来るということと、ある意味これも古典SFお決まりともいえる下着サービスショットに思わず笑ってしまったところくらいかな、記憶に残ったのは。

・ジャック・フィニィのSF小説「盗まれた街」四度目の映画化

2012-03-28 『結婚しようよ』平々凡々だけれど、これが佐々部清の良さ。

LACROIX2012-03-28

[]『結婚しようよ』(2008)

・佐々部清の作品はなぜかよく観ている。

・吉田拓郎の歌も画面にぜんぜん関係のないようなものが流れているのに、なぜかしっとりと絵と馴染んでいて、じんわりと耳から心に染み込んでくるかのよう。

・何故こんなベタベタで、もう類型的典型的演出、脚本の標本のような映画がいいなぁと思えるのか。格好良くもなく、おしゃれでもなく、センスがいいわけでもなく、朴訥で純朴で単純で新しい感覚もない映画が何故いいなと感じるのか。と、言いたくなるのだが、途中まで観ていると、なんだかこの何でもなさが、あまりに普通でベタベタなところが、工夫も何も感じないほどありきたりで類型的なところが、角や棘のまったくない柔らかな柔らかな真綿の様に思えてくる。

・きっとこういう作品ににそういうものを求めてしまう環境が今の日本に強く漂っている〜なんだろう。これは言ってみれば中高年の年代層に向いた癒し、懐かしさや歯がゆさや甘酸っぱさを感じてしまう作品なのだろう。



・こんな映画ばかり撮っている佐々部清なのに継続的に新しい作品の撮影は続いているし、地道な人気もあるのは・・・・へんに尖りもなく、平々凡々であり普通に、極普通に流れていくような、どこにでもあるような日常、そういうものに懐かしさや思い出やら、それこそ癒しとか心の平穏を求めてしまうような、そういったものが今の閉塞してギスギスした日本に漂っているからなのかもしれない。

藤澤恵麻・・・美人というよりもこの娘もちょっと古風な日本女性というかんじで、かわいい。(最近女優がきれいだとか可愛いとかそっちにばかり目がいってしまっているが)

http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=7692

2012-03-06 『FLOWERS フラワーズ』美しくもなく、女性が描かれているのでもなく

LACROIX2012-03-06

[]『FLOWERS フラワーズ』(2010)

・蒼井優はたしかに古風なのっぺりとした顔つきで大正、昭和の女性の顔的なのだが・・・白黒の画面にしていても日本の古さが全く漂っていない。着物、家、部屋、障子、襖、机、こまごまとした美術を使って古い時代の日本を演出し感じさせようとしているのだろうが、まったく古き日本が感じられない。そして役者そのものからも古き日本の雰囲気が漂っていない。

・唯一女優らしさ、女らしさ、女優の演技、表情や仕草、漂う雰囲気でを感じさせていたのは鈴木京香のみ。

・まるでセロファンに書いた絵がぴらぴらと薄っぺらく動いているような映画。立体感もなければ肉感も生命感も感情も心情もない薄っぺらな透明用紙にのっかったのっぺりとした絵のような女優たち、その演技、その演出、その感情表現、なにもかもが全く奥行き深さ厚みのない極めてぴらぴらとした風に飛びそうな超表面的で上っ面だけを舐めているような映画。

脚本も酷いというか、あってないようなもの。これが脚本というか話しといえるのか? 一体なんなんだこれって?と言いたくなるような映画。いやこれは映画なんて呼べる代物ではあるまい。

・よくぞこんなものを撮ったものだ、作ったものだ。日本の邦画界の悪しき部分が結実したような作品ともいえるか?

・「タイヨウのうた」を撮った小泉監督は嫌いじゃないが、女性の、人間の情緒や感情まで表現できるほどの技と深みはまだ若くもあるし身に付けてはいまい。だからこんな映画になってしまった。あてがわれたホンと作品を雇われとして撮っただけで、この作品になんら心は、思いは、情はこもっていない。

・もうこれは、なにもかもが・・・・な映画。

2012-03-05 『蛇イチゴ』なるほど、これは巧いな。

LACROIX2012-03-05

[]『蛇イチゴ』(2003)

・つみきみほ・・・いい顔つき、表情、雰囲気、演技。

・西川美和の脚本、初監督・・・年齢からかんがえると、この映画、この話しを撮るというのはやはりオヤジ度がかなり高い。(鶴瓶も「ほとんどオヤジ」と言っていたが)20代の女性が撮った映画とはとてもおもえない、凄い、恐ろしい、おぞましい? いややはり凄い。

・だけどなんか、つみきみほ以外の印象が薄いな・・・・。

・しばらくしたらまた観てみるか?

・どろどろを、人間の深層の黒い所を描いているようでありながらも、冗談ぽく流しているから映画そのものに深さがなくなってしまっているというところか。だからグンと惹きこまれはしなかった。





http://www.kore-eda.com/hebiichigo/

2012-03-01 『ドラゴン・タトゥーの女』なかなかの見応え、面白さではあったが・

LACROIX2012-03-01

[]『ドラゴン・タトゥーの女』(2012)

・のっけからオープニングの映像に、その感性の良さ、映像の格好良さ、その極めて高い質に驚く。まるで007シリーズのようなオープニングではあるがそれを遥かに越えるセンス。このオープニングだけでも一見の価値はある。それほどまでに素晴らしい映画の始まり。

・「フェイスブック」もなかなかであったが、立て続けに取ったこの「ドラゴン・タトゥーの女」も想像を遥かに越えるの高品質な作品であった。

・「映画はそれなりに面白いのだが、あまりに過激なシーンに女性として嫌悪感を抱く」という声があったが、確かに、いきなり男根を加えさせられフェラチオを強要されるシーンや、その後トイレの水道で精子で汚れた口内を濯ぐシーンだとか、ベッドに手錠で身動きできないように縛り付けられそのまま後ろから強姦されるシーンなどは男として見ていてもちょっと過激だし嗚咽をもよおすものがある。これは女性が見ていたらかなりの不快感、嫌悪感をもよおすシーンだ。

・だが、それ以外の映画の中身はオープニングに匹敵する質の高さ。久しぶりに実に硬質で面白い映画を観たという感じだ。

・デビット・フィンチャーは何気ない場面でも映像に味を出すのが上手い。そして大きな抑揚を付けなくても画面に話に作品に観客の気持ちを引きこませる演出が秀逸。これ見よがしの派手な演出や仕掛け、伏線を貼っていなくても充分以上に話が面白く惹きつけられる。

・こういう一族の秘密だとか、隠された伝説だとか、血縁の因習なんていう話だと、日本であろうが世界のどこであろうが、どうしてか話は近親相姦、異常な性交、幼児虐待といったものが殆ど。親が娘を犯すだとか監禁して性の奴隷として使うだとか・・・あとは家族の暴力というのも一つのこの手の話のよくある典型であるが、古今東西、日本人だろうがアジアだろうがヨーロッパだろうが、アメリカだろうが・・・なにか人間一族のおぞましき過去なんてものには必ず性とセックスがつきもの。人間はどんな人種、国籍、文化だろうが結局は性欲に溺れる動物だということなのだろう。それを理性で制御するのがまた人間なのだが、その理性がなにかの原因で欠如すると、どんな国、人種の人間もかならず性欲と暴力に陥る。旧家、因習、性的暴行、近親相姦、血脈、怨念、そういったものは人間の本性であり、世界共通の人間の業なのだろう。

ルーニー・マーラは「ソーシャル・ネットワーク」でそんなには目立たなかったがまあまあ可愛い女の子役をしていたのが、この映画のリスベット役は凄いな。いきなりレズでコンピューターマニアでドラックに浸り、男の男根を咥え精液を飲まされ、ベッドに縛り付けられ強姦されるなんて役をするとは予想もつかず。本人も主役級の大抜擢ではあったが、まさか台本をよんだときにこんなハードな役でこんなハードでコアなシーンを演じると知ってオファーを受けるかどうか躊躇したのではないだろうか?

・リスべットを新しいダークヒロインだ!と書いていた記事があったが、いや正にダークだ。ヒロインか?と言われると違う気がするが、ここまでダークで汚れた異常とも言える役をするというのはかなりのものである。次のシリーズもこのまま行くのだろうか?しかしこのリスベット役をやってしまうと他の役のオファーがこなくなってしまうんではないだろうか?

・ダニエル・クレイグは007の強靭で不屈の男という感じではなく、スーパーヒーローでもなく、ちょい頼りなく弱々しい役。このクレイグを観てしまうと却って007のイメージが崩されてしまうかな。

・実に息もつけぬ展開と面白さに映画を堪能できた。しかし最後の最後でリスベットがプレゼントを買い、それを思いをよせるミカエルに届けようとするが・・・結局はゴミ箱に捨てるというのは、ありきたり。最後の最後まで凄い、流石だと思わせてきたのに、このなんとも使い古された類型的な最後の演出で少々がっかり、評価も下がった。このラストは終わりわるけりゃなんとかといいたくなる。なんでこんなシーン最後にいれたのかね? 最後に少しでもリスベットに女性らしさとか観客にこんなリスベットも一人の少女なんだという共感を持たせたいとでも思ったのだろうが、これは稚拙である。


・ちょどBSでスゥエーデン版のミレニアム3部作が放映されていたので、後で見比べてみることにしよう・

ハリウッド版はあとの二作品はどうなってるのかな?


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