おたく語会話(1)…“回る”

「今週の一番」なんかで、LDやGiGiはよく“キャラが回る”(あるいは“ストーリーが回る”)という会話をします。これは一体なんなんでしょう?ちょっと不親切?というのが今回のお話です。

マジック・ザ・ギャザリング(以下、MTG)」というゲームがあります。これ今流行りのトレーディング・カード・ゲームの家元的存在のものなのですが、“回る”というのはこのゲームを僕に伝授(伝道?)した友人が使っていた言葉です。MTGで一般的に使われる用語かどうかは知らないです(汗)

ここでちょっとMTGというゲームについて簡単に説明すると、オリジナル・カード一枚一枚に書かれた“ルール”を駆使して対戦相手を“負け”と規定されているルールへと追い詰めるゲームです。
基本的な構造以外は、そのカードに書かれたルールによってゲームは進められ、新カードの販売配布によってどんどんルールが追加されて行く事になります。当然カードの内容によっては基本的構造さえも脅かす場合があります。
たとえば「このカードを引き相手に見せた時点で相手は自動的に負けとなる」と書かれたカードがあれば、そのカードを引いた時点で自分の勝ちとなるワケです。実際は戦略もへったくれもなくなるのでメーカーはそんなカードを創る事はありませんが、たとえば「相手は手札を全部捨てる」と書かれたカードを使った後に「手札が7枚以下の場合、その差の分だけダメージを受ける」といったカードの組み合わせで相手を追い詰める。そんなゲームです。
このカードの組み合わせ(コンボ)に色々頭をひねり、時に相手がびっくりしたり、あきれかえったりするようなコンボを決めるのがこのゲームの醍醐味となるワケですが、これが中々難しい。誰もがあっと驚くコンボを発想してとしても、カードの枚数制限などで、思うようにコンボを発動させる条件がそろわなかったりして、あれよあれよという間に相手の猛攻の前に敗れ去ってしまいます。

こーゆー、手札が思うように動いてくれない時に、友人は「このデッキ(山札)は“回らん”。組み直さなくては」というような事を言っていたワケです(笑)
カードの中には恐ろしく“強力なカード”、“個性的なカード”がありますが、こういうカードはそのまま使おうと思ってもリスクも大きく中々上手く“使い切らせて”くれません。そこで逆にそのカードの持っているリスクをリスクで無くするカードを探してきて組み合わせ、コンボを完成させて行くわけですが、つまりカードとカードの連携を強くし、時に、その主軸となるカードが上手く引けない時でも2の策、3の策、がそのデッキ(山札)の中に潜んでいて、相手を追い詰めて行く。
そうやってカード同士が有機的に繋がって、始めて自分の開発したオリジナル・デッキ(山札)は“回る”ようになります。

ここらへんの感覚がマンガにも近いかな?と考えたワケです。マンガ(特に少年マンガ)は“キャラ立ち”が第一と言われています。しかしたとえば「サルまん」の“キャラ立ち”の項目で長ランのカラーが1mある男!というアイデアが出てきますが、これはキャラは立っているかもしれないが、おそらく“回らない”であろうという予想が立ちます。カラーが1mある事によって起こり得る事件のバリエーション(つまり、連携のパターン)が少ない事は想像に難くないからです。もちろん、カラー1mで湯水のようにアイデアが湧く人が現れたら事態は逆転しますよ?(笑)
キャラを立てても周りのキャラとのかみ合わせが悪ければ“回らない”。あるいはストーリーとの融合が悪ければ“回らない”。逆に、いかに平凡なキャラであってもストーリー(やりたい事)をよく反映しているキャラならよく“回り”ますし、ときに観客について行けない程強烈なキャラに対し、没個性に見えても平凡なキャラを添える事によって、主格のキャラ自体がよく“回り”出す事もあります。

常に個性的であることを心がけて、出るキャラ全てオリジナルで有る事を強調するような作業は、モーターとモーターを直接噛み合せるようなもので、思ったほど馬力が出たり出なかったり(笑)
たとい、どっかでみたような当たり前のキャラであっても、押さえる所にちゃんと押さえておける。(あるいは、そのつまんない当たり前のキャラをちゃんと動かせるかという面含めて)それ観て「いいい、トコにいいノ(キャラ)置いているねえ」という話も出てきます。

ここらへん総括すると以下のような会話が生まれます。
A「『××××』の○○○様が気に入ってるよ」
B「そう?拙はあんまし好きくない」
A「何で?“立ってる”じゃん!」
B「“立ってる”けど“回ってない”じゃん!」

ほりゃ!(笑)省くとこ省いてワケのわかんない会話になっている!おたくは大体これに近い会話を取っているのですよ。うんうん(笑)一つ分かったところで今回はこの辺で。レッツビギン!(←え?)

2001/09/09
整形/修正 2011/12/18

キャラが回る 追記 2008/06/04

んんんんんんんんんんんん……何だろう?文末の小芝居は……??orz

いや、こう……僕は内輪の伝達効率を上げるために時々、変な造語を使うんだけど、それはそれなりの意味を持って使われている事なんですよ?と、たとえばある評価に対する『回る』という言葉は、こういう意味で使っているんですよ?という……ああああああああ!!(恥)-orz だから、最後の小芝居は!最後の小芝居は読まないであげてえええええええ!!-orz(←…と、小芝居を打つ)

さて…(真顔)、この「デッキのたとえ」ですが、読み返してみるとキャラクター造形に対する解説のみではなく、キャラクターを介した物語の構造設計にまで及ぶ、なかなかいい感じのたとえ話になっているかも、とか思っちゃったりwここらへん『物語愉楽論』において構造解析や、それに伴うパターン分類などの項でも出てくるかもしれません。
が、今回はキャラクターの造形についての『回る』という話に留めておこうかと思います。…というか僕がキャラクターの評価で使う言葉で他に『シャフト』とか『トルク』ってのもあるんですが、やはりこの回るという言葉に端を発してますし、『速度』や『スタートダッシュ』なんて言葉も(こっちは直接、回るから派生した言葉ではありませんが)イメージを同じくして連携がとりやすい、かなり基本的な分析の素子になると思っています。

それで、そもそも何でこんな言葉を用意しようと思ったかというと、マンガなんかで古典的に言われてきたキャラクター造形に対する「キャラが立つ」「キャラを立てる」という言葉に対して疑問が生じたからなんですよね。…こう書くと、「それはLDがキャラを立てるという言葉を正しく理解していないからだ」というツッコミが聞こえてきそうですw…そして実際にそうなんでしょうw
でも僕は「キャラが立つ」という言葉と「キャラが回る」という言葉を分ける事はやっぱり必要だと思っているので後悔はしていないんですよ?(`・ω・´)話を続けます。

昔のマンガの描き方なんかが書かれた本には「キャラを立てる」事の重要性が再三にわたり書かれていて、そしてその後には次のような言葉が続くんですね→「誰も考えた事がない。きみだけのキャラクターを生みだそう!」って。え〜っと今、僕の手元にある資料は「サルでも描けるまんが教室」なんですが、これのキャラクター創作の部分でも、こう書かれています。

P.78「いろいろ書きましたけど、やっぱり立っているキャラって、特徴が明快で、意外性があることね」

サルまん」って基本的にギャグマンガで、いろいろな事を茶化して描いているマンガだとは思うんですが、ここはマジだと思っています。意外性という言葉は、オリジナリティという言葉に言い換えられると思うんですけど、つまりオリジナルな作品を作るように心がけよと言っているわけです。
この訓示はけっこう正しくって、要するに作品を「商品」として売り出すにあたって、他にないものがそこになかったら、その商品はすごいハンデを負うし(建前上、他の作品はオリジナリティをクリアしている事になるから)きみ自身も作家としての商品価値は非常に低いものになってしまうよ?って話なんですね。

…で、実際、手塚先生やトキワ荘メンバーをはじめとしたマンガ黎明期の人たちのキャラの立たせ方って凄まじいし(オバケのQ太郎とか…何かもう立ちゃいい!って感じの造形ですよね)、キャラクターとは違いますが、小池一夫先生の作劇論「オープニングは銀座を裸の女が走っている」にも通じるものがあります。だから、この「キャラを立たせろ!」はキャラクター造形における鉄則中の鉄則だったわけです。(無論、今でも鉄則)

でも、他に類無く、意外性に満ちたキャラクターが必ずしも『面白い』ワケではないんだよなあ〜。

多くのキャラクターたちを骨格ごと描き分け、素直で好奇心旺盛な少年、一本気な正義漢、卑屈な小悪党、悪事をはたらくが愛情深くもある男〜など、様々な性格を当たり前のように描き分けてしまう手塚先生を信奉していた僕は、この「このキャラは特に立っているワケでもないのに、何で『面白い』のだろう?」という謎とず〜〜っと、にらめっこしていたのですが(汗)
………つまり、この「キャラを立たせろ!」という訓示には、実は表に出ない隠された条件があると言えます。いや、別に隠してもないんでしょうけどw
それは「キャラを立たせる」以前に「自分がそのキャラをいくらでも動かせる事がイメージできる(把握された)キャラ」あるいは「そのキャラを用いれば自分からアイデアが湯水のように出てくる(想像を刺激する)キャラ」である事の方がより重要なんですね。
先にこの条件を満たしていないと「面白く」なるはずもないし、逆に言えばこの条件が満たされているなら、こと『面白さ』に関して言えばキャラが立っている(オリジナリティがある)必要はないワケです。

しかし、ながら、その命題は表立って述べるのはマンガの発展性のためにも避けられて来たのだと思われます。…何でって、今言った事は(オリジナリティをクリアしなくていいなら)「自分が感化された既にある面白いキャラ」をイメージすればイメージが明確な分、いくらでも動かせるし、既に動かされた要素に合わせて「自分ならこうするのに」ってアイデアも出てくるからです。
要するに(バレない程度に修正するとしても)パクっちまえ!ば『面白い』か?どうか?ってハードルまではクリアできるって話になります。………いや、まあ実際にフィクションの界隈はモロにそれで動いているのでしょうけど(滝汗)建前として、発展性の保持として、また作家自らの商品性を高める指標として、それをモロに言ってしまってはいかんよね…ってのがあるw

「キャラを立たせる」というのは本来的には「オリジナリティ」という第一のハードルと「いくらでも動かせるイメージ」という第二のハードルの二つのクリアを必要とする言葉なんでしょう。第一のハードルは『面白い』という観点からは絶対的な必要性を持たないものだけど、そうであるからこそ『ウソ』は強めにつかないといけない。(←おっと来た!本論の「ウソに乗る話」参照)……少なくとも二つのハードルをクリアしたキャラクターは大いに誉めるべきでしょうし。というか僕は実際に誉めずにはいられないw

…が!それとキャラクターの分析/評価はまた別の話でw「キャラが立つ」という言葉を狭義に捉えているかもしれいなけど、そこは狭義のままで。「キャラが回っている」という言葉を別に用意して、キャラクターの峻別を図るワケです。則ち「立っていない」けど「回っている」キャラとか、「立たせる」のに手一杯で上手く回せていないキャラとか、そういう風に評価を進めて行くワケです。
それは「デッキのたとえ」で述べたように「すごく立っているが単体では回りづらいキャラ」を、それ自体では立ったキャラとは言えないが「回す役目で置かれたキャラ」という評価にも(ま、別に立っていない必要はないんだけど)移って行くことになりますね。ここらへんは「キャラ配置」や「構造評価」の話に移って行く事になりますが、今回はここまでとしておきます。

今何処(今の話の何処が面白いのかと言うと…)より 2008/06/04
整形 2011/12/18