白夜行

東野圭吾白夜行」を読んだ。
僕が氏の小説を読むのは「さまよう刃」に続いて二冊目だ。
さまよう刃」がたいへん気に入ったので、
女房が図書館で借りてきた「白夜行」を次に読ませてもらったのだ。
ドラマにもなったそうだが予備知識はいっさいなく読めた。その感想だ。

ネタバレあります。



まず、●と○に接点がある事はそうそうに察する事ができてしまう。
ストーリーの中心に幼い子供が二人出てくれば、
そして二人のキャラクターが、読者を注目させるほど濃く書かれていれば
確証はないが想像するには難くない。
またその事は、パッチワークによって
早い段階に明らかにされるから、物語のテーマではない。
幼い子供がいけない事をするとなると
すぐに浮かぶのは映画「禁じられた遊び」だ。
だが本作では二人は(社会的には)
罰せられる事もなく、何年も遊び続ける。
そうされると読者としては、それに見合う制裁が
いつどのようにくだるのか、
または彼等にそうさせるだけの過去があったのか、
という事に一番興味が湧くのだが
この作品では実にもっともな筋道・成り行きが用意されている。
…確かにもっともなのだが、納得するには程遠い。
作品の序盤で捜査員の一人が言う。
「もし連中が犯人とすると、
その後の行動が軽率すぎるということです」。
これは幼い二人に対して発せられたのではないが、
まったくその通りである。
二人は犯罪の証拠を少しずつ消していく。
しかし何かを消すという事は、
新たに消す行為=手掛かりが発生するという事である。
また、消せばいいというものではない。
負の繋がりに片をつけてから処理しないと
結局は転移した「負」に冒されてしまう。
例えば「松」にしても、口外していないか執拗に調べた後でなければ
消す意味もないしかえって危険である。
果たして調べたろうか。
調べきる事は無理だろうし、せいぜい問いただした程度だろう。
…稚拙である。
雪だるま式に。転がる石のように。
●は綿密なタイプとして描かれているが
実際には自分の興味の範囲内において偏執的なのであり、
直情径行型で我慢が効かない性格は、
今時の少年犯罪の犯人や、昨今多い児童がらみの犯罪者と変わらない。
そういう、現代社会の理性が崩壊していっている事の
観察・報告が作品の裏テーマだとしたらそれはそれですごいが…。
どうにも、テレビドラマにおける
毎週のヤマ場のためのしがない脚本のような、
こじつけ臭い事件が定期的に発生するので
深読みもあまり実を結びそうにない。
さまよう刃」(ペンションの女性は不要だと思っている)も
犯行を物語る小説ではないが、この「白夜行」も、犯罪小説ではない。
言っちゃなんだが警察の捜査も物語成立のためか、甘過ぎるのだ。
こんな警察には市民の安全は任せられない。
この物語では●と○が自らの心情を正直に吐露する事はない。
また●と○が一緒にいるエピソードもないまま、
二人の繋がりが推理・暗示されていく。
その手法は、原点の事件と結末には有効だったと思うが
中盤はどうだったろうか。二人は物語の主演になっていただろうか。
僕には主演不在だったように思えてならない。
僕にとっては、エンタテインメントになりきれていない、
現代社会を鋭くヤユする」ルポのような読み応えだった。