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  ::: BUT IT'S A TRICK, SEE? YOU ONLY THINK IT'S GOT YOU. LOOK, NOW I FIT HERE AND YOU AREN'T CARRYING THE LOOP.

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2016.05.15.Sun. 

[][][] Andy Stott “Too Many Voices” (2016)


Too Many Voices




 “Luxury Problems” 以降の Andy Stott を決定的に特徴付けたのが Alison Skidmore のヴォーカルであったことは疑いようもない。少年期のピアノ教師だった女性をヴォーカリストとして迎え入れたという経緯も Andy Stott の音楽が纏うロマンティクスに意外と貢献している挿話要素ではないかと思うのだが、それはそれとして、他でもない彼女の声を据えたからこそ現在のこのサウンドが醸成されたことは明らかだろう。徹底的に編集加工されていても拭いきれずに残る声質が楽曲を横断して感じとれることは、エレクトロニック・ミュージックの中で他の音要素と明確に弁別される固有性として働いている。指針や道標のように。

 4th アルバムとなるこの “Too Many Voices” は、タイトルが示す通り、歌声をより突き詰めた作品と捉えることが可能だ。
 特に、アルバムと同じタイトルを持つ M-9 “Too Many Voices” が極致に達している。比較的明瞭なヴォーカルラインに対し、トーンが近接したシンセサウンドが呼応する構図。人の声と機械の声が境界を消失させてつくりあげているポリフォニックな様相は圧巻で、アルバム単体としても、このところの一連の作品全体としても、ひとつの着地点と呼ぶにふさわしい。
 こうした構図は他の曲でも基底において共通している。必ずしも Alison のものとは限らないがアルバムのほとんどの曲でヴォーカル/ヴォイスが登場しており、人工的な音と絡んで響き合う。両者は対比的なものとしてではなく互いに溶け合うものとして扱われている。だからインスト曲のサウンドでも他の曲の歌声が想起され、音調が緩やかにつながっているものと感じさせられる。いつどこで声があらわれてもおかしくないという予期が全編で通底し、あたかも実の声と虚の声とが満ちているかのようでもある。“Too Many Voices” とは、そのように不在の声も含めた状況を指すと考えた方がよいのかもしれない。



特に銘記しておく曲
 M-3 “New Romantic”
 M-6 “Selfish”
 M-7 “On My Mind”
 M-9 “Too Many Voices”





Andy Stott

Information
Origin: Manchester, UK
Years active  : 2005 -

Links
Label: Modern Love  http://www.modern-love.co.uk/

ASIN:B01DOZPHDW


2016.05.08.Sun. 

[] “ヴィクトリア”


f:id:LJU:20160508204058j:image:w400:right


“Victoria”
 Director : Sebastian Schipper
 Germany, 2015



 ベルリンを舞台とし、深夜〜朝にかけて主人公ヴィクトリアがたどる軌跡をリアルタイムで追った映画。全編ワンカットということで注目された作品。

 ワンカット映画というのは過去にもいろいろつくられていて、有名なものだと2014年の『バードマン』だとかヒッチコックの『ロープ』といったところが例に挙げられることが多いようだ。しかしこれらは編集を介した擬似的なワンカットであり、編集をまったく伴わない純粋なオール・ワンカット映画だとソクーロフの『エルミタージュ幻想』など、わりと限定されてくる。たぶんこれまでの作品のなかでは『PVC-1』が意欲的な試みをおこなっていた方だと思う(see. http://d.hatena.ne.jp/LJU/20091223/p1

 ところがこの『ヴィクトリア』は、85分の『PVC-1』を大幅に超える138分という長さの作品。しかも『PVC-1』は撮影の地理的広がりこそ大きいものの途中にトロッコの固定視点シーンを長く挟んだものだったのに対し、『ヴィクトリア』の方はベルリンの街中を駆けめぐって22個所にも及ぶポイントでの行動をひとつのカメラで追い続けたものであり、登場人物も桁違いに多く、非常に広域での動的なワンカット映画となっている。
 全編ワンカットというのは事前計画をかなり綿密に練る必要があると思うのだが、この映画の場合、12ページ程度ある脚本は台詞を記載しておらず撮影ルートや物語の流れのみを示した内容で、会話は役者のアドリブに任されていたとのこと。夜明けというはっきりした時間変化を背後に置きながら大都市の街区でこれだけ複雑な進行の映画を撮影するというのは相当な緊張感があったはず。実際、運転していて道を間違えるだとか撮影中に一般人にからまれるといったアクシデントも起こったらしいのだが、そういったことすらもそのまま自然に作品へ取り込まれてできあがっている。



 ストーリー自体はそれほど込み入ったものではなく、感動や爽快をもたらすようなものでもない。概要としては、ドイツ語を話せないスペイン出身のヴィクトリアが深夜のクラブ帰りに4人の若者と出会って仲良くなるが、やがてある事件に巻き込まれ……といった感じ。リアルタイム138分のなかでの劇的変化という主旨はわからなくもないし、各キャラクターの行動動機も一応それなりに表されてはいると思うのだけど、でもそんなに共感できないな、というような。特に集合住宅からの脱出手段の取り方が……。あれってよっぽどの行為だと思うけど、さすがにあそこまで“堕落”させるのには作品内で描かれた過程や前提だけでは不足していると思うんだよね……。地下駐車場に入ってしまったところでもう状況的にも身体的にも後戻りできなくさせられてしまったのはわかるのだが――。

 ただ、この映画って全編ワンカット撮影を3テイク目で完成させたらしいのだけど、1テイク・2テイクは全然使い物にならず3テイク目でようやく形になった、というようなことを監督が言っていて、だとするともっと撮影を繰り返せばそのたびに違った作品が生まれる可能性もあるのかな、というようなことを思ったりした。ほとんどがアドリブに委ねられているということなので、実は撮影のたびにストーリー自体も細かく変化していく可能性というのもあるのだろうか。キャラクターたちが違った行動を選択し、違った結果が生まれるような。時間改変物みたいだが……。
 もちろん、あのときあそこで車に乗らない、というような選択肢を取ってしまうとまったく成立しなくなってしまうけれど、「全然使い物にならなかった」「形になった」というのは、各テイクごとの細部の差異が映画全体に影響するほどの差異を生じさせていることだとも思うので。むしろそういう複数バージョンの対比を見てみたい気がする。





  • 形式としては現実世界をステージとした演劇のようなものと言えなくもないけれど、見たかぎりではあくまでも映画だと感じられてしまう。それはカメラというフレームに強く規定されているためかもしれない。動的視点の有無は演劇と映画の重要な差異だ。
    また、映像記述形式としてはドキュメンタリーにも近いけれど、やはり決定的に区別され得ると思う。特に大きな違いは、劇伴の有無、および人物がカメラ視点を意識しているかどうか、といったところだろうか。
    • しかしこれらは必ずしもドキュメンタリーの明確な定義とは言えず、例外事例がいくらでもあり得る。映像におけるフィクション性とはどのようなものかという問題はけっこう難しい。

  • 舞台も制作もドイツなのに大部分の台詞が英語、という映画。いかにもノンネイティブの英語っぽい雰囲気がよく出てた。ヴィクトリアがやたら “OK, OK.” というところとか……。

  • 劇伴がベルリンの今にとても合ってる音楽だなー、と思っていたら、Nils Frahm が担当しているとのこと。何か得した気分があった。*1

  • カメラワーク、これ、ひとりのカメラマンが撮ってるのってすごいんだけど、観客としては不可避的にけっこう酔う。
    こういう系の映画って、まだまだ人間のカメラマンによる撮影じゃないと難しい面があるだろうけど、ドローンによるほとんどぶれのないカメラで撮られる例が出てくるのもそんなに遠い将来ではないとも思う。あらかじめ撮影指針がプログラムで組まれていて、役者との相対的位置を調整しながら自律的に撮り続ける映画用の超小型ドローン、みたいな。

  • まさしく「都市」の映画。
    • この映画で都市論や建築論をいろいろ書けるはず。特に「屋上」「街路」「車」「地下」あたりで。
    • 世界のいろいろな都市で同じ物語を同じような撮影方法でつくってみると、都市の違いや固有の性質が明確化される気がする。

  • ピアノのシーンはとても良かった。


公式サイト:http://www.victoria-movie.jp
IMDb:http://www.imdb.com/title/tt4226388/


2016.05.04.Wed. 

[][] Tim Hecker “Love Streams” (2016)


Love Streams




 4AD からのリリースとなる 8th アルバム。アンビエント/ノイズ/ドローン。
 ヴォーカルを多用している点がこのアルバムの大きな特徴。ただし明瞭なヴォーカルラインはなく、ノイズの一部のようにアンビエンスに溶け込む淡い要素として用いられている。

 本人による説明としては、Rolling Stone Magazine でのインタビューがわかりやすいTim Hecker Reveals How He Made 2016's Most Anticipated Experimental LP。やはり “ヴォーカル” をどう扱うかというところがコンセプトに定められているようだ。プロダクションとしては、ルネッサンス期のフランス人作曲家ジョスカン・デ・プレによる聖歌をオーディオ編集ソフト Melodyne で再構成したものを起点として、Jóhann Jóhannsson がアレンジしたアイスランドの聖歌隊によるヴォーカルを加えるというプロセスをたどっている。聖歌から意味内容を切り離したいという意向があったようで、ラテン語を逆読みしたものを架空言語のように歌わせているらしい。

 ヴォーカルは相当に加工されていて、そもそも歌詞を孕んだものとは到底思えない。ほとんど楽器に近いものとして扱われているようだし、実際そのように聞こえる。それにもかかわらず、この楽曲からはヴォーカルを他のサウンドと明確に異なったものとして認識できるとも思う。つまり、ヴォーカルを他と区別するような、かぎりなく曖昧で、だけど決定的な閾値を狙ってつくられているという感じがあって、何かそうした際を攻めることによってヴォーカルの特質を描き出そうとしているかのようでもある。





Tim Hecker

Information
Origin: Vancouver, Canada
Current Location  : Montreal, Canada
Born: 1974
Years active  : 1996 -

Links
Officialhttp://sunblind.net
  SoundCloud  https://soundcloud.com/timhecker
  Twitterhttps://twitter.com/tim_hecker
Label: 4AD  http://www.4ad.com/releases/790

ASIN:B01BDN5QS8


2016.05.01.Sun. 

[] ダニエル・グラネ, カトリーヌ・ラムール “巨大化する現代アートビジネス”


“Grands et petits secrets du monde de l'Art”
 2010
 Danièle Granet & Catherine Lamour
 ISBN:4314011300




 少し前にタックスヘイヴン利用者を曝いた「パナマ文書」が話題になったとき、ナチスに奪われ行方不明となっていた絵画の所在と所有者が流出文書の内容によって明らかにされた、という報道があった。発見されたのは第二次世界大戦中にユダヤ人画商から奪われたモディリアーニの作品『杖を携えて座る男』。2008年にサザビーズの競売でその消息が再浮上し、モナコに居住するユダヤ系レバノン人の美術収集家デイヴィッド・ナーマドが所持しているのではと疑われていたのだが、作品の所有権を主張するパナマのオフショア・カンパニー IAC(The International Art Center)との関連を特定することができず、原所有者の子孫からの変換要求を斥け続けていたらしい。
 ところが IAC の設立にはパナマ文書作成元の法律事務所モサック・フォンセカが関わっていたようで、この度の漏洩により IAC のオーナーがデイヴィッド・ナーマドであると判明。ナーマドがジュネーヴの自由港に所持する倉庫に当該の絵画が保管されていることもわかり、スイス当局によって作品は押収されるという顛末となった。*1
 この件、関係が難しく時系列にも不明瞭な面があり今なお係争は続いているようではあるのだが、結果はどうあれ、一連の出来事のなかにアートをめぐる現代的トピックがいろいろ詰まっている点で興味深い。すなわち、芸術作品の正統性、メガコレクター、ナチス略奪と訴訟、作品の蔵匿、タックスヘイヴンと自由港、競売の秘密性……など。

 ふたりのフランス人ジャーナリストによる『巨大化する現代アートビジネス』という本は、まさにこうしたキーワードを切り口として書かれている。

 扱われているのはモディリアーニのような近代のアーティストではなくそれ以降のジェフ・クーンズやダミアン・ハーストといった現代アーティストではあるものの、上記のナーマドにまつわる一件のように、売買される対象としてのアート、そしてそれに関わる主要なプレイヤーたちに焦点を当てている。コンセプトや歴史、批評といった見地ではない方向から現代美術を記述している点に新鮮なものがある。


 美術館と施主という関係についても目を開かされるところがあった。
 有名建築家が設計を手がけた個人美術館はいったいどのような施主を持つものなのか。建築誌においてそうした美術館が建築作品として掲載されるとき、テキストはあくまでも建築自体の説明に向けられている。施主の素性について踏み込んだ説明はあまりなく、あるとしても表面的に触れられる程度。自分のなかでも公共の美術館と個人の美術館の差を特に気にせず何となく同一視していて、その運営主体はどれも無色透明で公益志向であると無意識に思ってしまっていた。
 しかし建築家が手がけた美術館には実は個人美術館であるものも多く、それらがアートビジネスの世界でどういった位置付けにあるのか、どういった人物によって運営されているのかといったことは、この本を読んで初めて知った。

 著名な建築家が設計した美術館と私的な美術収集主体の施主という事例は、本書に記載されているだけでも以下のような組み合わせが確認できる。

  • シャウラガー美術館 設計:ヘルツォーク&ド・ムーロン 施主:ホフマン財団
  • パラッツォ・グラッシ/プンタ・デラ・ドガーナ 設計:安藤忠雄 施主:フランソワ・ピノー
  • バイエラー財団美術館 設計:レンゾ・ピアノ 施主:バイエラー財団
  • メニル・コレクション/サイ・トゥオンブリー・ギャラリー 設計:レンゾ・ピアノ 施主:メニル財団
  • プラダ財団ギャラリー 設計:OMA 施主:プラダ財団
  • ブランドホルスト美術館 設計:ザウアーブルッフ・ハットン 施主:ウド&アネッテ・ブランドホルスト
  • グッゲンハイム美術館 設計:フランク・ロイド・ライト(ニューヨーク)、フランク・ゲーリー(ビルバオ) 施主:ソロモン・R・グッゲンハイム財団

 いずれも建築誌を飾るような作品としては自分も今まで認知してきたものばかりだけど、それらの施主を主体として意識したことはなかった。もちろん、世界的コレクターが個人美術館を建てるのであれば有名建築家に設計を依頼するのは自然だろう。それ自体は驚くことではない。むしろ、美術館の背後に控える多様な施主への視座が自分の目から抜け落ちていたという盲点を明らかにされたことが啓発的だった。


 同じことは建築にかぎらず、現代美術の作品そのものについても言える。これまで美術展で作品を見るとき、それが普段どこに所蔵され、どのようなルートをたどり、いかなるマネーの移動を伴ってそこに到達したものなのかといった事柄は、自分の思考の埒外にあった気がする。展覧会カタログのテキストも作品自体の記述に集中しており、市場メカニズムにおける作品の動態を描写するようなものではない。作品を鑑賞するに際して不可欠な観点というわけではないにせよ、美術作品の価値や評価が市場における売買取引を通じて決定されることは確かな事実で、そういった領域が視界から外れてしまっているのは実は偏った状態だったかもしれない。
 市場を極度に重視した結果行き着く先にはダミアン・ハーストや村上隆のような賛否の激しい実践活動があると思うが*2、それらが過剰な境地なのかどうかはともかくとしても、市場状況とその力学を踏まえるという視角が現代アートに対しまた違った理解を提供することはまちがいないと思う。




続きを読む

*1:  
 “Mossack Fonseca's role in fight over painting stolen by Nazis” the guardian
  http://www.theguardian.com/news/2016/apr/07/how-mossack-fonseca-offshore-helped-fight-modigliani-painting-stolen-nazis-panama-papers 
 “Panama Papers: Disputed £17m Modigliani painting sequestered in Geneva” BBC News
  http://www.bbc.com/news/entertainment-arts-36015701 

*2: 
 アーティスト本人によってこうした市場志向の戦略が表明されている端的なサンプルが、村上隆の『芸術起業論』ISBN:4344011783・『芸術闘争論』ISBN:4344019121
 

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―Angela Mitchell