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2016.06.25.Sat. 

[] つくみず “少女終末旅行



少女終末旅行 1 (BUNCH COMICS)

少女終末旅行 2 (BUNCH COMICS)

少女終末旅行 3 (BUNCH COMICS)




 人類が消え去った世界をふたりの女の子ユーリとチトが旅する話。ウェブ連載中で、いま3巻まで単行本が出ている。
 一見、どうにも下手な絵に見えるんだけど、いつのまにか目に馴染んで逆に癖になってくる。実はこれ、むしろ相当うまい絵だと思う。(後述)

――結局
補給して移動しての繰り返しか…

この旅路が私たちの家ってわけだね

 内容としては、この台詞そのままの漫画。


 全体の雰囲気は『BLAME!』と『百万畳ラビリンス』を重ね合わせたみたいな感じ。無人の巨大都市とそれを維持する自律機械といった設定なんかは『BLAME!』を思い起こさせるし、ふたりの女の子がボケとツッコミ的に会話しながら旅していくところは『百万畳ラビリンス』に似ている。
 作品紹介を最初に読んだときは、主人公ふたりを除いて人類が滅びてしまっている無人の世界をただ彷徨していくだけの漫画なのかと思ってたんだけど、読み進めてみたらそんなにさみしい感じでもなかった。主人公のひとりが思った以上に楽観的/ゆるふわだったのと、ごくたまにだけどふたりの他にも登場人物が出てきたりするので。だいたい各巻ひとりずつぐらいで対話可能な他者が登場する。
 気質が対照的なふたりの関係にはどことなく安定した構造がある。旅の途中にだれかと出会ったときも、3人の会話というより、相反性を備えたひとりと毎回異なるゲストとの会話、みたいに思えたりする。

 実際のところ、このふたりが正反対の性格に見えるのは、環境設定によるところも大きいと思う。ほとんど他者が登場せず主人公ふたりだけで進行していくような作品世界では、そのふたりは人間関係/コミュニケーションのこれ以上ない究極的縮図になるので。だから性格がどうあれ、ふたりに何かしらの差異があれば対極のものに映る。(そういったところは、施川ユウキの『オンノジ』を読んでいても感じた。)





1. 表現について

 この漫画、たぶん絵が下手ってすごく言われてる気がするし自分も最初そう思ってたんだけど、読んでくとだんだんそんなこともないな……というかほんとうはものすごくうまいのでは……?と思うようになってきた。


 最初にそう感じたのはこの見開き。

f:id:LJU:20160625234257j:image:w400:left 少女終末旅行 1巻p80-81
 (C) 2014 tsukumizu

 たしかに線はラフだしパースも厳格に取ってるとは言いがたいんだけど、濃淡による光と影や透明度の表現はよく見るととても精確で、だからラフであるにもかかわらず描写内容は齟齬なく伝わってくる。


 パースについても、別に技法をわかってないということはなくて、

f:id:LJU:20160625234353j:image:w270:leftf:id:LJU:20160625234428j:image:h200:left 少女終末旅行 1巻p122, 2巻p10
 (C) 2014 tsukumizu

 このあたりの絵なんか、どっちかというと難しい方。っていうか消失点や視界の歪みという概念を理解してないと描けない構図だ。

 他方、力学的構造についてはあまり気にして描いているわけではなさそう。(とくにトラスやブレースの掛かり方を見てそう感じた)
 そのあたりは弐瓶勉との違いかもしれない。


f:id:LJU:20160625234549j:image:w405:left 少女終末旅行 2巻p48-49
 (C) 2014 tsukumizu

 この見開きページでは、多種の図法が一同に会してたりする。一焦点パース/背景付きの側面図/見下ろしパース/キャバリエ投影、といったような。技法はわかってる上で意識的にこの画風を選んでいるんだな、と思える。(これってゲームのさまざまな表現技法の一覧みたいでもある)


 というように、粗い絵柄に見せて技量を隠しつつも、ところどころでハッとする大ゴマが出てくる。

f:id:LJU:20160625234517j:image:w400:left 少女終末旅行 2巻p34-35
 (C) 2014 tsukumizu

 ここなんか特に。この簡素な線で光の表現描写をここまでできるというのがすごい。
 視焦点の取り方など、表現技法を実に適切に選択している。


f:id:LJU:20160625234609j:image:w400:left 少女終末旅行 2巻p94-95
 (C) 2014 tsukumizu

 このページは、音の表現。


f:id:LJU:20160625234625j:image:h200:left 少女終末旅行 3巻p129
 (C) 2014 tsukumizu

 画力が高くないとこういう水の感じなんかも破綻なく描けないと思う。






2. 内容について

 主人公ふたりの来歴にはよくわからないものがある。
 1巻の冒頭、まっくらな地下にさまよいこんで出口を見失っている状況。その前はいったいどこにいたのか、ふたりきりになったのはいつからなのか、いまのところまだ記述されていない。


昔さ
おじいさんと
パンを焼いたことがあったじゃない

あーそんなこともあったなぁ…

かろうじて過去について触れているのはこのぐらいか。


この階層型の都市を作ったのはもっと古い人間だよ
僕たちの祖先はその古代人の作ったインフラに住み着いたにすぎないと――
僕は思うけど

 戦車や銃器の遺物も登場するが、これらは文明崩壊後に再度復元されたものであることがあとがきで記されている。こうした兵器の数々で大規模な戦争もおこなわれていたようだ。ということは、かつての技術水準までは到達できなかったものの一旦ある程度までは復興し、それにもかかわらずまた衰退してしまった――つまり二度の滅亡を経た世界だということになる。

 ちなみにウェブ連載で現在最新の27話ではもう少し過去が見えてきて、世界のこの現状には、自己複製機械の予期せぬ進化が絡んでいる気配がある。(ここでは2巻で出てきたカナザワにもふたたび触れられていて、けっこう切なくなったりする)



 いずれにせよ滅びゆく世界であることはまちがいない。主人公たちの境遇にも決して楽観や安定を見込めるようなものはない。食料の確保を当座の目的に置いて旅している面もあるぐらいだ。ほのぼのとしたキャラ絵が、ときに絶望や死について語ったりもする。
 一方で、主人公ふたりにもその他の登場人物たちにも、どこか達観したところがある。良い意味で気を抜いた感じが。
 こうした生き方はどの世界・どの時代でも普遍的に通じる強さとは違うかもしれないけれど、それでも、そうしたものが求められる局面で参照されるひとつに記憶していてもいいと思う。



f:id:LJU:20160625234448j:image:w316:left 少女終末旅行 2巻p22
 (C) 2014 tsukumizu

くらげバンチ『少女終末旅行』
 http://www.kurage-bunch.com/manga/shojoshumatsu/
インタビュー「どう生きるべきか 『少女終末旅行』つくみずは問い掛ける 」
 http://ebook.itmedia.co.jp/ebook/articles/1507/24/news016.html

 

2016.06.11.Sat. 

[][][] The Field “The Follower” (2016)


The Follower




 無地にタイトルとユニット名を記しただけの簡素なジャケット。これまでに出しているアルバムはすべて同じデザインで、ミニマル・テクノを追求する姿勢が端的に表れている。徹底したスタイル。どの曲もループで埋め尽くされている。各曲それぞれ10分程度の長さがあるけれど、タイムスライダーのどこをクリックしても同じ切断面が現れるといったような具合に。

 M-3 “Monte Veritá” こそは、その極致。単一フレーズの反復が執拗に続く。全長10分31秒のうち6分近くの間、合計22回のイテレーション
 そのなかでわずかに2度、異なるコードでフレーズが奏でられる個所が出現する。同じ漢字を並べた羅列に酷似の一文字を紛れ込ませた間違い探しのごとく。とはいえそのようにトラップを仕掛けたものではなく明確に感知可能な差異として発せられている。
 最初の差異が到来するまでの15ブロックも厳密にはまったく不変の反復というわけではない。主軸のフレーズに少しずつ重ねられ厚みを増していくレイヤー、ひそやかに始まりいつの間にか強まっていく4/4のキックなど、微少かつ漸次的な変化を孕んで進行する。
 ループは圧迫をストイックに蓄積する過程。一方、それら全体が緩やかにも確実な上昇をおこなっていることは、抑制と並んで解放の予感を与えてもくれる。前方のどこかで一気に昂揚が訪れるだろうという期待を。そして実際に訪れる「変化」は結局同じように反復の線上にあって、必ずしも劇的な発散を与えてくれるものではないのだけど、さりとて聞き飛ばす無意味なものとも言えず、効果を出すに足るまさしくミニマルの操作といった感じがある。2度目の変異を迎えたすぐ後には完全な相転移がおこなわれ、別種の反復が末尾まで連ねられる。

 ところで、ジャケットの文字がハンドライティング的なフォントで書かれているということも意味を持ったものであると思う。
 図像を排した一面の単色に、軽くグラフィティのようなスクリプト。このジャンルだったらサンセリフ体のもっと無機的印象のフォントにしてもよさそうなところあえてこういった手業風の字体を選んでいるのは、音楽制作における作者の人為的な操作・介在を強調していると受け取れる。何も考えず機械的に複製しただけの曲とは異なり、構成に工夫を凝らした上で成立しているものであるという意味で。ミニマリズムにはそのように作り手の明確な意志が必要なのだということを、ジャケットデザインが無言のうちに誇示しているとも見える。




The Field

Information
Birth name  : Axel Willner
Origin: Sweden

Links
Officialhttp://www.garmonbozia.se/thefield/
  SoundCloud  https://soundcloud.com/garmonbozia-2
  Twitterhttps://twitter.com/thefield_axel
Label: Kompakt  http://www.kompakt.fm/releases/the_follower_cd

ASIN:B01BI05LOK


2016.05.15.Sun. 

[][][] Andy Stott “Too Many Voices” (2016)


Too Many Voices




 “Luxury Problems” 以降の Andy Stott を決定的に特徴付けたのが Alison Skidmore のヴォーカルであったことは疑いようもない。少年期のピアノ教師だった女性をヴォーカリストとして迎え入れたという経緯も Andy Stott の音楽が纏うロマンティクスに意外と貢献している挿話要素ではないかと思うのだが、それはそれとして、他でもない彼女の声を据えたからこそ現在のこのサウンドが醸成されたことは明らかだろう。徹底的に編集加工されていても拭いきれずに残る声質が楽曲を横断して感じとれることは、エレクトロニック・ミュージックの中で他の音要素と明確に弁別される固有性として働いている。指針や道標のように。

 4th アルバムとなるこの “Too Many Voices” は、タイトルが示す通り、歌声をより突き詰めた作品と捉えることが可能だ。
 特に、アルバムと同じタイトルを持つ M-9 “Too Many Voices” が極致に達している。比較的明瞭なヴォーカルラインに対し、トーンが近接したシンセサウンドが呼応する構図。人の声と機械の声が境界を消失させてつくりあげているポリフォニックな様相は圧巻で、アルバム単体としても、このところの一連の作品全体としても、ひとつの着地点と呼ぶにふさわしい。
 こうした構図は他の曲でも基底において共通している。必ずしも Alison のものとは限らないがアルバムのほとんどの曲でヴォーカル/ヴォイスが登場しており、人工的な音と絡んで響き合う。両者は対比的なものとしてではなく互いに溶け合うものとして扱われている。だからインスト曲のサウンドでも他の曲の歌声が想起され、音調が緩やかにつながっているものと感じさせられる。いつどこで声があらわれてもおかしくないという予期が全編で通底し、あたかも実の声と虚の声とが満ちているかのようでもある。“Too Many Voices” とは、そのように不在の声も含めた状況を指すと考えた方がよいのかもしれない。



特に銘記しておく曲
 M-3 “New Romantic”
 M-6 “Selfish”
 M-7 “On My Mind”
 M-9 “Too Many Voices”





Andy Stott

Information
Origin: Manchester, UK
Years active  : 2005 -

Links
Label: Modern Love  http://www.modern-love.co.uk/

ASIN:B01DOZPHDW


2016.05.08.Sun. 

[] “ヴィクトリア”


f:id:LJU:20160508204058j:image:w400:right


“Victoria”
 Director : Sebastian Schipper
 Germany, 2015



 ベルリンを舞台とし、深夜〜朝にかけて主人公ヴィクトリアがたどる軌跡をリアルタイムで追った映画。全編ワンカットということで注目された作品。

 ワンカット映画というのは過去にもいろいろつくられていて、有名なものだと2014年の『バードマン』だとかヒッチコックの『ロープ』といったところが例に挙げられることが多いようだ。しかしこれらは編集を介した擬似的なワンカットであり、編集をまったく伴わない純粋なオール・ワンカット映画だとソクーロフの『エルミタージュ幻想』など、わりと限定されてくる。たぶんこれまでの作品のなかでは『PVC-1』が意欲的な試みをおこなっていた方だと思う(see. http://d.hatena.ne.jp/LJU/20091223/p1

 ところがこの『ヴィクトリア』は、85分の『PVC-1』を大幅に超える138分という長さの作品。しかも『PVC-1』は撮影の地理的広がりこそ大きいものの途中にトロッコの固定視点シーンを長く挟んだものだったのに対し、『ヴィクトリア』の方はベルリンの街中を駆けめぐって22個所にも及ぶポイントでの行動をひとつのカメラで追い続けたものであり、登場人物も桁違いに多く、非常に広域での動的なワンカット映画となっている。
 全編ワンカットというのは事前計画をかなり綿密に練る必要があると思うのだが、この映画の場合、12ページ程度ある脚本は台詞を記載しておらず撮影ルートや物語の流れのみを示した内容で、会話は役者のアドリブに任されていたとのこと。夜明けというはっきりした時間変化を背後に置きながら大都市の街区でこれだけ複雑な進行の映画を撮影するというのは相当な緊張感があったはず。実際、運転していて道を間違えるだとか撮影中に一般人にからまれるといったアクシデントも起こったらしいのだが、そういったことすらもそのまま自然に作品へ取り込まれてできあがっている。



 ストーリー自体はそれほど込み入ったものではなく、感動や爽快をもたらすようなものでもない。概要としては、ドイツ語を話せないスペイン出身のヴィクトリアが深夜のクラブ帰りに4人の若者と出会って仲良くなるが、やがてある事件に巻き込まれ……といった感じ。リアルタイム138分のなかでの劇的変化という主旨はわからなくもないし、各キャラクターの行動動機も一応それなりに表されてはいると思うのだけど、でもそんなに共感できないな、というような。特に集合住宅からの脱出手段の取り方が……。あれってよっぽどの行為だと思うけど、さすがにあそこまで“堕落”させるのには作品内で描かれた過程や前提だけでは不足していると思うんだよね……。地下駐車場に入ってしまったところでもう状況的にも身体的にも後戻りできなくさせられてしまったのはわかるのだが――。

 ただ、この映画って全編ワンカット撮影を3テイク目で完成させたらしいのだけど、1テイク・2テイクは全然使い物にならず3テイク目でようやく形になった、というようなことを監督が言っていて、だとするともっと撮影を繰り返せばそのたびに違った作品が生まれる可能性もあるのかな、というようなことを思ったりした。ほとんどがアドリブに委ねられているということなので、実は撮影のたびにストーリー自体も細かく変化していく可能性というのもあるのだろうか。キャラクターたちが違った行動を選択し、違った結果が生まれるような。時間改変物みたいだが……。
 もちろん、あのときあそこで車に乗らない、というような選択肢を取ってしまうとまったく成立しなくなってしまうけれど、「全然使い物にならなかった」「形になった」というのは、各テイクごとの細部の差異が映画全体に影響するほどの差異を生じさせていることだとも思うので。むしろそういう複数バージョンの対比を見てみたい気がする。





  • 形式としては現実世界をステージとした演劇のようなものと言えなくもないけれど、見たかぎりではあくまでも映画だと感じられてしまう。それはカメラというフレームに強く規定されているためかもしれない。動的視点の有無は演劇と映画の重要な差異だ。
    また、映像記述形式としてはドキュメンタリーにも近いけれど、やはり決定的に区別され得ると思う。特に大きな違いは、劇伴の有無、および人物がカメラ視点を意識しているかどうか、といったところだろうか。
    • しかしこれらは必ずしもドキュメンタリーの明確な定義とは言えず、例外事例がいくらでもあり得る。映像におけるフィクション性とはどのようなものかという問題はけっこう難しい。

  • 舞台も制作もドイツなのに大部分の台詞が英語、という映画。いかにもノンネイティブの英語っぽい雰囲気がよく出てた。ヴィクトリアがやたら “OK, OK.” というところとか……。

  • 劇伴がベルリンの今にとても合ってる音楽だなー、と思っていたら、Nils Frahm が担当しているとのこと。何か得した気分があった。*1

  • カメラワーク、これ、ひとりのカメラマンが撮ってるのってすごいんだけど、観客としては不可避的にけっこう酔う。
    こういう系の映画って、まだまだ人間のカメラマンによる撮影じゃないと難しい面があるだろうけど、ドローンによるほとんどぶれのないカメラで撮られる例が出てくるのもそんなに遠い将来ではないとも思う。あらかじめ撮影指針がプログラムで組まれていて、役者との相対的位置を調整しながら自律的に撮り続ける映画用の超小型ドローン、みたいな。

  • まさしく「都市」の映画。
    • この映画で都市論や建築論をいろいろ書けるはず。特に「屋上」「街路」「車」「地下」あたりで。
    • 世界のいろいろな都市で同じ物語を同じような撮影方法でつくってみると、都市の違いや固有の性質が明確化される気がする。

  • ピアノのシーンはとても良かった。


公式サイト:http://www.victoria-movie.jp
IMDb:http://www.imdb.com/title/tt4226388/


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“でも、これはごまかしよ、ね。つかまったと思ってるだけ。ほら。わたしがここに合わせると、あなたはもう環 (ループ) を背負ってない”
―Angela Mitchell