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2005.11.04.Fri. 

[] ベック, ギデンズ, ラッシュ “再帰的近代化”


“Reflexive Modernization ─Politics, Tradition and Aesthetics in the Modern Social Order─”
 1994
 Ulrich Beck, Anthony Giddens, Scott Lash
 ISBN:4880592366



 現代は近代の徹底化された状況であり、近代と決定的に異質な位相にあるものではないが、しかし初期の単純的近代からは大きな変容を遂げている、という認識が3人の共通の前提。近代以前の社会(伝統社会)/ 単純的近代 / 再帰的近代 という流れで社会は変化してきている、というところをスタートに、各自の理論が展開される。
 それぞれのキーワードは、ベック:《リスク社会》 ギデンズ:《ポスト伝統社会》 ラッシュ:《美的再帰性》といったところ。
 ベックとギデンズには深刻な対立軸は見あたらないけど、この二人とラッシュの間には大きな溝がある。ベック、ギデンズと比べると、ラッシュの概念展開はよくわからない。再帰的近代の推進力としての情報資本蓄積、というところからブルデューにつながっていくのかと思ったら微妙に違うらしいし。そもそも「美的〜」とか「記号」とか「意味の共有」とか言われると抵抗がある。
 ギデンズがラッシュの理論はポスト構造主義的だと言うのは頷ける。

 「再帰的近代」は、「ポストモダン」とどう違うのか?
 ベックとギデンズは、再帰的近代とポストモダンは異なる、と明言しているが、あまり違わないような気が。
 再帰的近代もポストモダンも、「近代」に対置する言葉使い。「現代」が「近代」とどの程度違うのか、というウェイトの置き方の違い。「近代」に対する距離の取り方。あるいは、否定的態度の有無。結局、語り口がどうであれ、「近代」という概念は未だに引きずられている。



ベック “政治の再創造─再帰的近代化理論に向けて”

[キーターム]
- モダニティの《徹底化》
- リスク社会
- 「負の財」の配分
- 省察(知識)/ 再帰性(自己への適用)
- 意思決定の永続化
- 個人化
- グローバル化
- 衝動強迫
- サブ政治
- 工業生産された「自然」〜つまり、「意思決定された自然」

p17 「再帰的近代化」という概念は(reflexiveという形容詞が示唆するような)《省察》ではなく、(まず何よりも)《自己との対決》を暗に意味している。

p18 こうした工業社会からリスク社会への自立した、望まれてないし、誰も気づかない移行を、(《省察》と区別し、また対照させるために)《再帰性》と呼ぶことにしたい。

p23 〜リスクは、際限なく増殖する。なぜなら、多元的社会において人が決断を評定する際に必要とする決定事項と見地の数に応じて、リスクは、リスクそのものを再生産していくからである。

p32 しかし、このことは、新たな、全地球規模に及ぶ場合さえある相互依存を意味している。個人化とグローバル化は、事実、再帰的近代化という同じ過程の二つの側面なのである。

p32 繰り返していえば、個人化は、一人ひとりの自由な意思決定にもとづいてはいない。〜個人化は衝動強迫であるが、選好や生活の局面が変化した場合、人は、たんにその人の生活歴だけでなく、その人のコミットメントやネットワークをも産みだし、自分で立案し、自分で演出することを強制されていくのである。〜結婚や家族に関する伝統でさえも、個人の意思決定に依拠しはじめており、人びとは、こうした矛盾をすべて個人的なリスクとして経験せざるを得なくなっているのである。

p88 いまや、個人生活というミクロコスモスは、解決が極めて困難な地球規模の問題というマクロコスモスと相互に結びついていく。


ベックによる応答 “工業社会の自己解体と自己加害”

[キーターム]
- 非知
- 副作用の時代
- 省察(知)/ 再帰性(自己解体)
- 省察(道具的合理性)/ 再帰性(副作用)

p330 道具的合理性ではなく、副作用が、社会の歴史の原動力になりはじめているのである。

p331 〜ラッシュの反論は、さきに述べた省察と再帰性の混同に基因している。



ギデンズ “ポスト伝統社会に生きること”

[キーターム]
- ポスト伝統社会
- グローバル化
- モダニティの徹底化
- ハイ・モダニティ
- 伝統とは、《集合的記憶を組成する媒体》である
- 衝動強迫としてのモダニティ
- ポスト伝統的世界における日常生活の基本的特徴である、自己という再帰的達成課題
- 自然の徹底した社会化
- 伝統は、アイデンティティの媒体である
- 伝統は《すべて》創り出されたものである
- ポスト伝統社会の有す疑似伝統的諸特質

p108 今日、一人ひとりの行為は、全地球規模で生ずる諸々の帰結に付随して引き起こされている。たとえば、特定の衣料なり食料品を購入しようとする私の決心は、地球規模でのさまざまな言外の意味をともなっている。こうした私の決心は、地球の向こう側の誰かの生計にたんに影響をもたらすだけでなく、その決心自体、人類全体に潜在的な影響を及ぼしうる生態系悪化の誘因になるかもしれない。一人ひとりの日々の意思決定と地球規模での結果との、このような途方もない、しかも依然加速化する結びつきは、その逆の形態である地球規模の諸秩序が一人ひとりの生活に及ぼす影響とともに、社会科学が新たに取り組むべき課題の中心問題となっているのである。

p165 なぜなら、頼るべき超越的専門家など誰ひとりいないため、リスク計算は、いずれの専門家の意見を求めるべきなのかを、つまり、その人の権威を拘束力のあるものと見なすべきか否かというリスクを算入していかなければならないからである。

p165 「何ものも神聖視できない」という原理は、それ自体普遍化が可能であり、科学が権利要求する権威といえどもその例外ではないのである。

p170 《衝動強迫性》とは、《凍結した信頼》、つまり、対象となるものがない代わりに、際限なく続いていきやすい自己投入であると、私は主張したい。


ギデンズによる応答 “リスク、信頼、再帰性”

[キーターム]
- 「シナリオ思考」
- 再帰的近代化・・・制度的再帰性
- 能動的信頼
- ポスト・モダニズム / ポスト・モダニティ(「ハイ・モダニティ」「後期モダニティ」)

p337 〜世界が人間による統制の企てを本来的に受け容れなくなることを意味しているわけではない。こうした統制の企ては、たとえば、重大な帰結をもたらすリスクに関しては引きつづき必要であり、また実行可能である。とはいえ、こうした努力が、善きにつけ悪しきにつけ多くの場合挫折しやすいことを、われわれは認識していかなければならないのである。

p340 それゆえ、われわれは今日、「コミュニティ」と「アソシエーション」─有機的連帯と機械的連帯─という古くからの二分法を疑問視していく必要がある。〜こうした色分けによって新たなかたちの連帯性を把握することはできない。たとえば、今日、ポスト伝統的な感情関係における「親密な関係性」の創出は、《ゲマインシャフト》でも《ゲゼルシャフト》でもない。親密な関係性の創出は、もっと能動的な意味合いでの「共同体{コミュニティ}」の生成を、時空間の無限の隔たりを多くの場合超えて拡がる共同体の生成を意味している。ふたりの人間は、たとえ互いに何千マイルも遠く離れてそれぞれの時間を過ごしてはいても、関係性を保っていく。

p341 今日、多くの状況で、われわれには選択をおこなう以外に他にとるべき途は存在せず、われわれは、選択肢を、変わりやすい専門知識の積極的受容をとおしてフィルターにかけていく。

p350 専門知識を「脱独占」していく必要がある。

p353 民主化に向かう動きは、現実のものであり、非常に浸透性が強い。こうした動きがさらにもっと進展していくと想定することは、妥当である。

p354 ポスト稀少性秩序は、一人ひとりが、純然たる経済的成功以外のものにより高い価値を見いだし、みずからの就業生活を積極的に再構築していく限りにおいて、初めて出現し得る。時間、つまり、有限な存在である人間にとって決定的に乏しい資源の再構築は、一生の職業をたんに「天の定め」と見なしてきたような時代には想像できない柔軟性を、一人ひとりのライフサイクルのなかにもたらす。

p358 美的再帰性といったものが存在するのであろうか? 私は、実のところそうは思わないし、少なくともこうした表現の仕方はとりたくない。ラッシュが言うような、「認知象徴」から切り離されて機能する「空間における記号の、まったく別個の産出配分構造」が存在するとは、どうしても思えない。



ラッシュ “再帰性とその分身──構造、美的原理、共同体”

[キーターム]
- 批判理論
- 情報コミュニケーション構造
- 《美的》領域
- 《共同体
- 伝統から、(単純的)モダニティ、再帰的モダニティへという三段階の概念構成
- 《制度的》再帰性(ベック、ギデンズ)/《自己》再帰性(ラッシュ)
- 再帰的モダニティを、構造と美的原理、共同体に関する理論として再構築
- 初期モダニティの推進力:工業資本の蓄積 / 再帰的モダニティの推進力:情報資本の蓄積
- 記号論的産出配分構造
- ミメーシス的象徴
- 認知的再帰性/美的再帰性

p212 別の言い方をすれば、この場合、伝統社会は《ゲマインシャフト》に、単純的モダニティは《ゲゼルシャフト》に、そして、その後に続くものは完全に再帰的となった《ゲゼルシャフト》に、それぞれ対応していく。この過程における社会変動の原動力は、個人化である。

p213 かりに共同体が《意味》の共有を前提にするとすれば、集合体はたんに《利害関心》の共有を前提にしている。

p224 〜再帰的モダニティにおいては、生活機会は──誰が再帰性の勝者になり、誰が敗者になるかの結果は──「情報様式」におけるその人の位置づけに依拠している。

p243 地理学者が図示するコミュニケーション地図は、ファクシミリや、大規模な衛星通信の送受信機、光通信ケーブル、多国間コンピュータ・ネットワーク等々の所在を具体的に示している。これを見て驚くのは、中核都市の商業地区には、本社部門や金融機関、ビジネスサーヴィス機関が集中し、情報コミュニケーションの稠密度が高いことである。また、郊外では、情報コミュニケーションの稠密度が中程度であり、工場や数多くの高度に発達した消費者サーヴィス機関が所在している。それにたいし、スラム地区やアンダー・クラスの住む地区では、情報コミュニケーションの稠密度は稀薄である。

p253 〜美的なものの空間においても、言語学者にむしろ特有に見いだす「記号作用」と「ミメーシス」とを区分することが可能である。〜記号作用では、意味は、《言葉》における諸要素間の相違や誘意性、同一性をとおして生みだされていく。対照的に、ミメーシスは、類似性をとおして「類像的{イコン}」に意味を表示していく。

p256 美的再帰性は──文化形態に関するものであれ、経験を積み重ねる個人に関するものであれ──概念的なものではなく、ミメーシス的なものである。

p269 つまり、文化的共同体、文化的「われわれ」は、背景をなす共有された習わし、共有された意味、意味の獲得に必然的にともなう共有された型にはまった活動の集合体である。

p288 共同体は、記号表現の絶え間ない問題視をともなわず、むしろ共有された意味や、型にはまった背景的習わしに根ざしている。この場合、共有された習わしは、こうした習わしの指針となり、その習わしに内在化している目標なり「目的因」を有している。


ラッシュによる応答 “専門家システムか? 状況づけられた解釈か?”

[キーターム]
- 美的(解釈学的)次元
- 再帰的共同体
- 解釈学的真理

p371 こうした感情に満ちたコミュニケーションは、共有された想定や前理解からなる網状組織の構築に、つまり、「意味論的地平」の構築にもとづいている。




「再帰的近代化 近現代における政治、伝統、美的原理」
 ウルリッヒ・ベック, アンソニー・ギデンズ, スコット・ラッシュ
 松尾精文, 小幡正敏, 叶堂隆三 訳
 而立書房

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