アニメ版が終わったので、感想。
全12話で、原作の4巻最後までの内容。
- 全体的に、音楽・効果音が良かった。
- 第4話『寺院』の冒頭、電線のあたり。
- 第10話『波長』でのラジオの音楽が夕景ととても合っていた。
- 第5話『雨音』も。原作は絵で音をうまく表現していた。アニメでは、ミュージック・コンクレート手法で曲として成り立たせながらそのままEDにつなげる演出がすばらしかった。
- ケッテンクラートの3Dもアニメ表現上、有効だったと思う。
- 3Dオブジェクトとしてつくりやすいものだったというのもあるだろうけど、作中世界を立体として動きまわる様子が、確かな物体として感じさせる効果を高めていた。前輪とキャタピラー、方向転換といったそれぞれの細かな動きから伝わる存在感。
- 原作者によるEDアニメーションも、曲と相俟って印象に残った。
ところで、アニメ版を見てあらためて思ったのは、屋内と屋外が入り交じったようなこの作品世界独特の空間構成について。
巨大階層都市をケッテンクラートでひたすら進んでいく情景は、どこまでも建物が続く街並、そしてそのはるか上方は別の階層が覆っている。つまりそれぞれ屋根を備えた建物群の上に、また別のもっと大きな屋根が掛かっている、といったような入れ子状の構成。上部すべてが覆われているわけではないようで、雨が降るし、雪も積もる。と思うと火災に対して上からスプリンクラーで散水されるような場所もあるし。全体としては半屋外、といった感じだ。
並び立つ建物や基盤の内部ははっきりと屋内空間。でもそんなところもケッテンクラートで突き進んでいくので、屋外っぽく扱われてるようでもある。
主人公たちが睡眠をとる際も、建物内部であろうと街路であろうとあまり気にせず就寝場所を選んでいる。
作中ではケッテンクラートを家になぞらえようとするシーンがあり、結局、この旅路そのものが屋根のない家だとまとめられている。
移動する空間全体が家だという認識はおもしろい発想。それが可能となっているのは、都市構造によるところもあるし、他の人間に出会うことがほぼないという状況からきているところもあるだろう。物理的な内部性(=どこでも屋内になり得る空間)と、社会的な内部性(=プライバシーを考慮すべき他者がいない)という両面によって、この「家」が成り立っている。
また、ケッテンクラートで移動し続けるという状況設定も重要な点。際限なく広がる都市をひたすら移動していくからこそ、「どこでも屋内になり得る」ということが言えるからだ。(ひとつのところにとどまり続けていただけでは、「あらゆるところが屋内だ」といったようなことは言い得えない)
物資を運び、寝床となり、そしてそもそも移動を担う機能を果たすところのケッテンクラートというものがこの特殊な「家」を組み上げるキーであるのはまちがいない。
形式上はロードムービー的な作品でありつつ、でも、すべてが家なのだという意味では、実はどこにも行っていないと言えるのかもしれない。
「いつか月に行こうよ」というセリフは、この旅の延長線上に月があると捉えるべきなのか、あるいは、決定的な断絶を挟んだ向こう側に月があることを暗示していると捉えるべきなのか。
原作はまだ完結していないとはいえ、これまでのところ、後者と見ることを妨げるものは出ていない。