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 ハンヌ・ライアニエミ “複成王子”



“The Fractal Prince”
 2012
 Hannu Rajaniemi
 ISBN:4153350222







 『量子怪盗』に続く〈ジャン・ル・フランブール〉シリーズの第2巻。これも全3部作とのこと。原作は2012年刊行で邦訳が2015年。第1巻は原作2010年・邦訳2012年だったので、2巻邦訳刊行にはけっこう時間がかかったことがわかる。
 ただこれは無理もない。独特の設定や用語が溢れていて、ロシア語・フランス語・フィンランド語・アラビア語といった多数の言語とその文化、さまざまな現実の古典作品にリンクした語彙など、相当に広範な知識がないと訳せない作品。訳者は酒井昭伸、巻末あとがきでもそのあたりの苦労が語られている。とはいえ日本語での最終的な語感については、やはりこの訳者ならではの仕上がりとなっているし、全体的に翻訳の寄与が大きい作品だと思う。


 2巻は1巻よりも難解だったかも。これはアラビアンナイト風の地球社会の描写が取っつきづらいところにもよるけれど、「物語内物語」というものが全体の構成とテーマに大きく関わっている点からもきている。文章を追っていくのがかなり大変だったけど*1、それに見合うおもしろさがある。
 ポスト・シンギュラリティの未来世界。トランスヒューマンの強大な存在たちが太陽系に覇を唱えていて、その抗争の一端で「怪盗」と「戦闘少女」という属性の主人公ふたりが活動していく物語。
 自我の分裂や融合も自由自在、集合知性や遠距離転送、コピー軍団等々、超技術が当たり前のように繰り出される世界ではあるけれど、物語自体は結局のところ、ごくわずかな数の人格個体たちの相関模様で成り立っている。そういう意味では古典的構図にある。
 ただし2巻はここに、物語の交換によって人物間の特別な結びつきが生じるという設定が絡むことによって、より複雑で自己言及的な小説になっているのが特筆すべきところだろう。随所に混入される物語内物語、登場人物たちがそれらを語る行為自体が果たす機能、当然それら全体もまたひとつの物語として語られるものであり……そのようにして目眩く重層構造が展開する。
 超技術的な「変装」や精神融合などが多用されるため誰が誰だかわからなくなる小説なんだけど、このように入れ子的な物語という要素が組み込まれていることで、どのパートが誰に語られている物語なのか、それが何を目的として語られているのかという点でもよくわからなくなってくる。この酩酊感覚、読者に混乱と労力を強いるものであると同時に、作品の大きな魅力を成している。
 1巻同様の派手な戦闘シーンも健在。用語センスとか全体的に癖のある世界だとは思うけれど、大風呂敷的なシンギュラリティSF概念と良く構築されたストーリーで、近年のSFエンターテイメントのなかではかなりおもしろいシリーズだと思っている。第3作目は “The Causal Angel(『因果天使』)”、現時点で邦訳刊行予定なし。原作は刊行済だけどさすがにこのシリーズを原語で読むのはしんどいので、邦訳が出ることを期待している。






*1:用語や前のパートを確認しながら読むことが必須。kindle版は基本的に複数ページを同時に開けないので、こういう作品は読みづらい。






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―Angela Mitchell