Hatena::ブログ(Diary)

ゴムホース大學 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

May 01(Sun), 2011

MITニートという人種

17:30 |

 

  f:id:Lacan2205126:20110501173549j:image

   写真(小飼 弾氏)

今から説明するような人種は『世界まる見え』やYoutube海外投稿動画で見たことがあると思う。、米国なんかによく出てくるが、昼間からビールを飲んで気の合う仲間たちと様々なソフトウェア、発明品などを公開しているような人種だ。定職につかずダラダラと生活しているが、実はに高学歴だったり、学歴は関係なくとも高いスキルと知識で一見無駄に思える個人的創作に日々没頭している。その注ぎ込まれるエネルギーといえば病理の次元で、お前もっと社会のためにその知識、スキルを生かせよ!と笑いながら突っ込みたくなるほど高度かつユーモア溢れる馬鹿なものが多い。

彼らのモチベーションの根本は『評価』の獲得ではないだろうか、それは金銭の獲得ではなくより目立ちたい、自分がワクワクすることで多くの人に注目して欲しいという、ある意味、原初的な動機なのだろう。表現行為に似ている。

MIT卒業の学生にこのような人種が多いかは知らないが、その特性から『MITニート』という敬称で彼らをよぶことにしたい。別にMITを卒業している必要もないし、高学歴である必要も無いが、無駄に高い彼らのスキルから何と無くニュアンスが伝わるだろう。

MITニート』はイノベーションの源泉だと思う。よく考えればジョブスもウォズニアックも『MITニート』の匂いを漂わせている。とくにコンピュータマニアのウォズニアックに関して言えば濃厚な香りとまで言える気がする。彼らは本当に自宅ガレージとガラクタからアップルを作ったのだ。商業的打算で開拓できるフロンティアなど限られているし、現代では枯渇している可能性が高い。フロンティアは既存のパラダイムの中で探しても堂々巡りに陥るだけで見つからないだろう。商業的打算を超える、個人的偏愛と好奇心にドライブされる強烈なアクションだけが予測不能な場所にジャンプさせるのだ。依存のコンテンツが出尽くした現代、そういった自律的なものだけが人の関心を集めるのだと思う。形のない物に強く深い意志で形を与える必要がある。

熱中して餌を探すモグラがふと顔を出したとき、本人がすら知らないフロンティアという地面の上だったとしても、顔を出していることには変わりないのだ。もしそれが商業的な形となれば爆発的な『革新』へ化けるのである。『MITニート』にはその可能性がある。もちろん本人達にその自覚があるかどうかは疑問だが・・・。

しかしどうして日本には『MITニート』に近い人種が少ないのだろうか、西村博之などの数少ない例もあるが、ただ日本のニートを思い浮かべると自堕落はニートの特権なのでいいとしても、メランコリックな印象を受ける。実際に心因性疾患の人も多いと聞く。MITニート達のような解放されたメンタリティーを実現させるにはどうすればいいのだろうか?

昨晩、ある絶望大生とそのことを話したのだが、やはり日本の停滞した雇用慣行が原因ではないかという結論に達した。新卒一括採用のレールから外れるともう人生オワタ的な空気が充満しており、『MITニート』のような生活を20代に送っていたら高いスキルがあっても再チャレンジしにくいのだろう。現状はゲーム理論で言うとナッシュ均衡状態と考えられる。既得権が陳腐化していて既得権にすがっていても良いことはあまりないが、じゃあ既得権から外れるとどうなるかというと、深刻なデメリットしかない。

大手企業の平均給与は600万を下回っており、これは団塊世代も入れた数字なので現状の新入社員昇給は、今までと比較すると絶望的だろう。しかし、じゃあ新卒就職しなければと考えると、安い賃金で一生コキ使われる時給フリーターとしての道が大半だろう。つまり限定された機会からスポイルされるともう再チャレンジできないのである。ただもう組織にすがっても保障はされないのだが、すがるしかない。これじゃあメランコリック(憂鬱)になるのは当然だ・・・不の循環の中で閉塞している。


原因はそれだけではないのかもしれない。雇用慣行は1例で、日本全体に失敗や馬鹿に対する『寛容さ』が無いのである。遊び心が命のMITニートは寛容な社会でしか生まれない。日本がこれまで得意としてきた垂直型産業が限界に来た現代、イノベーションの可能性を内包しているMITニートは真のエリートなのだろうが、この日本の現状ではMITニートの出現は絶望的だ。

100人のMITニートの99人はただの馬鹿で終るだろうが、1人は奇跡を生むかもしれない。イノベーターである1人は言うまでもなく、馬鹿で終わった99人も、その高いスキルを生かして再チャレンジできる社会となる必要がある。そうでなければ誰も馬鹿なんて出来ない。

現代の日本の停滞の原因は、かつては繁栄をもたらした拡大均衡要因だろう。しかし時代の変化に伴い。縮小要因となり自分の首を絞めている。自分で作った膨大な玩具の街に覆われて、出られなくなり泣いている子供を見ているようだ。

就職浪人する息子を養う父親が、定年延期で退職しないような、悪人のいない不の連鎖で日本は満ちている。ため息が出る。せめて悪意を持ったヒールであったならばと思う。メンタリティーが少しでも開放できれば。

日本人のもっている創造性を下請け・孫請け型の「ITゼネコン構造」に埋没させないで、自由に発揮させることだ。ベンチャーキャピタルのような資金調達システムも必要だが、いちばん大事なのは技術者モチベーションを引き出し、彼らのアイディアをビジネス化して、多様な実験を可能にすることだ。

そして、これからの新しい『大学』は場所や権威ではなく様々なエンジニア研究者や学生、ポスドクの人達が、研究、ビジネスで繋がりボルボックスのようにプロジェクトごとに合体できる。プラットフォーム型のソーシャルネットワークとなればと私は考えている。学位や卒業の概念はないが、そのような垂直統括型の構造から脱して個人の力を統合できれば、メンタリティーを開放し、大企業の巨大インフラですら実現できなかった『革新』を実現できる可能性がある。日本の雇用慣行の現状で『MITニート』達が起こした革新を起こそうとうすると、それしかない気がする。ボルボックス型のプラットフォームマイクロユニバーシティーが求められている。略して(BPMU)

今求められているのは、良い意味で停滞構造を『壊す人』だろう。

つまり、面白いこと、ワクワクすることに突っ走る大馬鹿野郎達だ。

サラバ