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2012年04月05

新社会人に贈る言葉『ノンワーキングリッチとグローバル人材の間で』




何故だろうかと最近考える。そしてだんだんと腹が立ってきている。

わが国では何となくだが『市場』『競争』『グローバル化』といった言葉の印象が悪い。若い人のイメージとして、夜遅くまでサービス残業したり、上司に怒鳴られて精神を病んだり、職場で村八分になったり、満員電車でつめられたり、使い走りでドサ周りしたりすることが『市場競争』が苛烈化した働き方だとイメージしている人が多そうだ。顔が死んだ『シンドイ働き方』が競争社会と思っていないだろうか?でもそれは全く逆だと自分は確信している。

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このわが国の多くの人がイメージしている『競争』は、逆に既存構造のボトルネック層が新しい新陳代謝や挑戦を拒み、その過剰利得の皺寄せをガチで食らっている状態と認識すればいい。国家公務員人件費削減に採用数を抑え、結局は上の世代の年俸はカットしない、下請け丸投げのITゼネコン構造、などなど・・・・そしてハッキリと分かっているのに古いやり方を変えようとしない。明らかに売れそうも無いものをゴリ押し営業するのも含めて、その皺寄せを『厳しい時代』『競争社会』と呼んでいるのが現状だろう。厳しいなら彼らの過剰利得の説明をしてほしい。いやせめて少しは雇い人でも新しいことをやらせたらどうだろか。これでは飼い殺しだろう。

事実私の多くの東南アジア起業している私の友人達は、もちろん忙しそうだが、上記のような圧殺的な雰囲気ではない。顔も死んでいない。国際市場競争の最前線で働く彼らが生き生きとしているのを見ていると、わが国で『グローバル化』『競争』という概念が歪な形で共有されてきたのが分かる。

原因は2つあると私は考えている。

1つはワタミ王将のような『村社会的体育会系世界』を競争社会と誤解しているから、日本では『競争』やら『市場』などの印象が悪くなるのだ。あれは国際的な『競争』の概念とは真逆の島国の古代儀式だろう。あれこそ古い家父長的な相互監視の勤勉システムだ。

2つ目は『若い人はグローバル人材になれ』などと言いながら、自分は英語も満足の話せないような『ある種の層』の背中を見続けていたせいだ。そんな人達が何倍の給与も貰いながら採用面接をしていたりする。『これからの日本』などというテーマで討論番組をしていたりする。こんなことを繰り返していたら『グローバル化』という言葉のイメージが悪くなるのは当たり前だろう。日教組グローバル化、市場競争批判などよりこちらのほうが数倍深刻な問題だ。言葉の意味は彼らの尻拭いと同義語だからだ。

本来、競争や自分の力を試す行動は、刺激的で楽しいはずだ。でもワクワクする何かが、国内で無くなってきている。そういう場所は別の『競争』の意味で取って代えられている場合もある。そしてそれは毎日満員電車に乗り、PCで処理すればすぐのことを何時間もかけ、ホッチキスで書類を纏めたり、印鑑を手押しでしたりすることだったりする。時々ホッチキスのトメ方がいがんだらネチネチと怒られたりすることかもしれない。お辞儀の角度などなど。これがわが国の『競争社会』だとすると・・・唖然とする。私はそうでないことを祈る。

だから今の若者の本当の敵は、途上国の若者でもシリコンバレーの優秀層でもなく国内のノンワーキングリッチと考えると妥当だ。しかし問題は恐ろしいことにそれが自分の親だったりするのだ。さらに恐ろしいことに、息子が、『その為に』仕事を奪われて失業ニートになり、仕方なく親父がその状態で食わせていたりする。善人も悪人もいない。負の循環で閉じて何が何かわからなくなっている。こういう歪な安定構造が『本物の閉塞感』を生む。出口が無いとはこういうことなのだ。

そんな中で、ある程度世の中を見回していて極端にイデオロギー的でなく、現状の歪なボトルネックがわかっている賢い若い層が、不毛な論争に関わりたくないとまで思うほど爽やかに絶望していて片方は無言で海外に逃げ、もう片方は淡々 と達観して日常業務と小さく平穏な生活を維持しようと声を殺している状態ではないだろうか。こんな人は周りにいないだろうか?

現状はナッシュ均衡なのだろう。既存レールに乗っても大きなメリットもなければ閉塞した日々だけど、レールから降りたらリスクはさらに大きい。抜け出せない。つまり『飼い殺し』ってこういうことなのだ。

でもこの均衡関係は崩れる始めているような気がする。

自分はいろいろ調べていると、そんなヘドロのような中からでも小さな蓮の窄みが咲くように挑戦する同世代が出てきているのを知った。もちろん経済的には損な選択にしか思えないだろうが、自分の力で開拓しようとする層だ。国内外さまざまな場所で小さな夜行の光を帯びるようにそういう若者が出てきている。20代半ば以下に多い気がする。硬直的な時代の中でワクワクする何かを自分たちで切り開こうとしている。

今後、付加価値を帯びてくる人材はインフラの中に組み込まれなくても、個人そのもので何かを『生産』できる人だと思う。そういう人を企業はなんらかのビジネスモデルで取り込むだろう。そういう人材を囲い込みたいが探し方も方法も分からないという法人の相談も私の元へいくつかある。近い将来、彼らは、彼らがエクソダススピンアウトした『組織』で逆に大きく評価されるかもしれない。

『優秀』という言葉には、自分を組織を含む集団に『最適化』する『優秀』の定義と、従来のルールを破壊して新しいゲームを作るような『優秀』の定義がある。今までは前者しか求められてきておらず。後者など組織では集団リンチで即死だった。『村八分』で排除される存在でしかなかった。もちろん今でもそうだ。

だが、ほんの少しずつ停滞構造の打開のため後者の人材が求められてきている気がする。ただ扱い方は模索中で、正直、自分は現状の硬直した国内法人が後者を扱えるのか分からないが、何かが動き始めているのは分かる。法人も後が無いのだろう。閉塞状態を打開したがっている。


こういう時代だ。身もふたも無くこういう時代を私も君達もサバイバルするのだ。

酷い時代だが、『個人』そのものに可能性が無いわけでもない。そういう複雑な時代を私達は生きるのです。

最後に、新社会人(これもおかしな言い方だが)には君達と同じように人生模索仲のゴム大学長から以下の言葉を贈りたい。これは就職した人も、ニートも全員にだ。(刑務所に入っている人もいるかもしれない)

それは『自分で決める』ということだ。『辞めるも、続けるも、戦うも、逃げるも』もたとえ人に相談したとしても、依存することになっても、ニートを続けるにしても、最終的に意思決定するのは自分でしかない。荒く言うと『腹をくくれ』となる。腹を括った人生はどう転んで も強いからだ。同時に『最悪、死にはしない』と付け加えよう。おめでとう!須磨、妙法寺の鍼灸院

追記、このような分野・問題に関して、ゴムホース大學大学院ベーコン研究所では、日々メンバーと研究活動や情報共有しています。

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所長 宮崎より 

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